転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
犬守村での異変はとある配信者の独り言から始まった。
「あれ? 配信できなくね?」
室長とV/L=F運営が副塔の管制室に閉じ込められる少し前、すでにV/L=F最後のイベントの為にイベント参加配信者はその全員が舞台となる犬守村の札置神社に集合していた。
V/L=F最後のイベントはこの札置神社を中心として広がっている広大な立体迷路である迷い路を舞台とした所謂宝探しゲームだ。迷い路内には犬守村各地に存在する神社の分社や各エリアの中枢をモチーフとしたものが祀られている。迷い路各地に存在するそれらを誰よりも多く見つけ出し、ゴールである札置神社へと到達したものが優勝となる。
じつは前日の写真展はこのV/L=Fクライマックスイベントの最終調整のために行われたもので、実際に大量のNDSによる同仮想空間への同時接続の安定を確認するためのものであったのだ。
参加配信者の中にはこの最後のイベントが犬守村で行われるのではないか、という予想をしていた者も多く、そのため写真展では迷い路探索に繰り出すものが現れたわけだ。
それだけ聞くと写真展の際に迷い路探索に出かけた配信者の方が探索を行った分、若干の有利を得ているように思えるがそこはしっかりとわんこーろも考えている。
迷い路探索を行わず、札置神社でわんこーろたちと会話することを選んだ配信者たちには、迷い路の仕様や分社がどこにあるのかをそれとなく伝えられ、ほのめかしていた。実際に足で迷い路を体験した者、わんこーろから話を聞くという形で情報を得た者、それぞれのアドバンテージをどのように利用するのかは配信者の自由だ。手に入れた情報を独り占めして個人で迷い路を進むもよし、情報共有のためチームを組むもよし、とにかく迷い路を最速で踏破することが求められるゲームだ。個人でもチームでも配信者はそれぞれが自身の枠で配信をすることが許されており、そこで視聴者に意見やアドバイスを貰うことも許可されていた。
それに加えてV/L=Fの公式配信としてFSが司会を務める迷い路踏破実況配信が放送される予定であり、この配信は夏の大型コラボの際に行われた公式配信の拡張版のようなもので、参加配信者の配信がまとめて確認することが出来る。
そんないくつもの配信がなぜか、繋がらなくなっていた。
犬守村へダイブしている配信者たちの通信はどうやっても動画配信サイトに繋がらず、視聴者との会話が出来ない状況。それどころかメイクなどのSNSなども確認できないという、現実世界との繋がりのことごとくが切断されている状況だった。
そんな状況であるから配信者たちがネットの中に閉じ込められたと騒ぐのも仕方が無かった。皆が不安を口にし、蛇谷や先研の職員のように混乱状態に陥る……かと思われたのだが。
「ほらほら~紅葉きゃっちゲーム! 一番多く取れた子はごほーびあげるよー」
「皆さま足元に注意してくださいね。走ってはいけませんよ」
ナートとほうりが配信者たちの中でも実年齢の低い子たちを集め、何やらミニゲームのようなことを始めていた。小さい子たちは楽しそうにゆらゆら揺れ落ちる紅葉を追いかけ、それをナートのとなりにぴったりくっついているほうりが優しく注意していく。
幼い配信者たちは目の前の遊びに夢中で不安を感じる暇もなさそうだ。
少し離れたところでは○一やわちる、真夜が他の配信者たちを集めて現状の話し合いをしている。
「これってなにかのバグでしょうか? 視聴者さんは見えてる、のかな……?」
「うーん、待機中になっておるから……配信は始まっていないようじゃのう……」
「私のところもダメそうだナ。……双子が泣き出さないか心配だったガ、ほうりとナート殿に感謝だナ」
話し合いに参加しているわちるは不安そうにしている。両者とも新人という枠組みであるため不測の事態に動揺するのは仕方がない。それでも何とかFSのメンバーとして同じく不安そうな配信者たちをまとめようと積極的に話を進めようとしていた。
「真夜さんのところはどうです?」
「私もだめねぇ……○一はどう?」
「……ワタシんトコもダメだな……けど、枠に張り付けてたリンクが生きてる……V/L=Fの公式配信は生きてるみてーだ」
「公式配信の司会はなこそちゃんと寝子ちゃんよね? 現実の方にいる二人と連絡取れる?」
「……無理だ。メイクも他の通話アプリも全滅してやがる」
それぞれの配信者は予想外にも皆冷静なものだった。不安そうにしているものは多いが、それでも混乱から暴れ出すような者が居ないだけでも上等だろう。年長の一般配信者やナートが幼い子たちをまとめ、安心させている間に他の者が現状の把握に勤め、問題に対処しようとしていた。皆が皆、自身の行うべき役割を理解しており、とりあえずの混乱は防がれたようだった。
そもそもこのV/L=Fに呼ばれた配信者たちは配信者としての一定の実力を認められた者たちばかりで、その実力とはトラブルが発生した際の対処能力なども含まれている。
荒らしや炎上など、予想外の問題が発生した際も比較的スムーズに問題を収束する能力に長けたものたちがおり、そんな配信者たちが率先して混乱を回避するように立ち回っていた。彼ら彼女らが今まで培ってきたそれらの能力は、NDSを用いたネットの中であっても存分に振るわれる。
だが、それはいまだ犬守村に居る配信者たちが現状の深刻さを把握していないからこその平穏ともいえた。もしもこれが、外部からの攻撃によりV/L=F運営と連絡が取れない上に、運営がなんの対処も出来ない状況だと知らされれば……。
命の危機さえある事態だと理解してしまえば、ただの配信者である彼ら彼女らが冷静でいられる保証はない。
「みなさ~ん! ご無事ですか~~!?」
「おかーさ、みんなそろってるよ!」
「わんこーろさん!」
「わんこーろ先輩だ!!」
「狐稲利ちゃんもいる……!」
そんな中、配信者の集団にわんこーろが合流した。現実にいる室長と話をしていたわんこーろがネット環境の異変に気付き、慌てて犬守村へと帰ってきたのだ。
時間的にもうすぐこのラストイベント開始予定時間になる。イベントの中止を告げるにしても、とにかく現実世界に居る司会担当のなこそや寝子、V/L=F運営と連絡を取らなければいけない。
「わんこーろさん! 私たち外部との連絡が取れなくて……! 何とかなりませんか?」
急いでわんこーろのもとへやってくるわちるはナートたちが落ち着かせている幼い配信者たちちらりと見て、それからわんこーろに話しかける。わんこ―ろはそれだけである程度この場所の状況を把握し、わちるに促されるように声量を抑えて話を始める。
「ちょっと待ってください、確認しますね~……むむ~……」
「どんな感じでしょうか……?」
「犬守村の……迷い路を含めた札置神社一帯に侵入と脱出ができないように防壁が構築されているようです~それがまるでフィルターのように機能していて、こちらの発信をすべてシャットアウトしているみたいですね~……」
「向こうと連絡は取れそうですか?」
「それは大丈夫ですよ~このくらいならちょちょいのちょいです~。とりあえずなこそさんとねこさんに繋ぎますね~」
わんこーろが空中に展開したウィンドウを操作し、防壁によって阻害されていた外部との通信を回復させていく。
札置神社一帯を孤立させるように展開されていた防壁群はNDSに用いられるものを転用したもののようで、本来ならばまず手出し出来ないような堅牢さを誇っている。
だが、ありとあらゆる情報の海を渡り、それどころか情報そのもので形作られている電子生命体たるわんこーろならば、そのようなものは全くの障害とならない。
V/L=F運営である蛇谷と先進技術研究所の職員が総出でかかっても攻略できなかった防壁を、ほんの数秒で貫通させ通信回線を復旧させて見せた。
「繋ぎます~防壁を破壊して繋いだので"相手"から何かしらの妨害があるかもしれませんが~私が何とかするのでそのまま話してくださって大丈夫です~」
「分かりました……なこそさん、寝子ちゃん、聞こえますか……?」
『わちるちゃん!? よかった! やっとつながった……!』
『わちるお姉ちゃん! そちらは無事ですか!?』
「わんこーろさん! 繋がりました! 皆さん! 繋がりました!」
わちるの声に反応して配信者たちがわちるのもとに集まる。
「わちる、これ一体どういう事だ? V/L=F運営はなんて言ってんだ?」
○一だけでなく、他の配信者も不安そうな声で二人に状況の説明を求めた。現在犬守村へダイブしている配信者たちは現実との連絡手段が途絶している。これが何かしらのトラブルならば運営からのアナウンスがあってもいいはずだがそれすらなく、またNDSの利用者からの緊急浮上命令さえ受け付けないという状況に、一体運営は何をしているのかという疑問が浮かび上がる。だが、それに対する答えをなこそも寝子も持ち合わせていない。
『私たちも連絡が取れないの。合流した灯さんも室長とも連絡が取れないらしくて……』
『もうすぐイベント開始時間になるのに……どうしましょう……』
困惑するなこそと寝子だが、二人の言葉を聞いているわちるは不思議と冷静だった。先ほどまでの不安が、わんこーろと合流できたことである程度軽減された結果だろう。わんこーろさえいれば何とかなる。そのような思いがわちるの内にあった。
「灯さん……私たちは、どうすればいいんですか?」
なこそと寝子の通信にそうわちるが問いかけると、通信の向こう側から小さな物音がした後、灯の声が聞こえる。
『……今分かっていることは、ネット環境は健在だけど不正アクセスによって通信が制限されている、ということね。管制室は施設の出入口がロックされてる上に情報的にも封鎖されているみたいでよく分からないの……』
「そうですか……繋がっているのはそちらの"放送室"とだけ、ということですね……」
なこそと寝子はラストイベントの司会進行を行うために展示会場の"放送室"に特設された配信設備を利用してイベント全体の配信を実況する予定だった。放送設備を生かしたリアルタイムな実況の声がイベント会場全体に流され、会場のいたるところに設置されたディスプレイで各配信者の様子を確認できる、ということになっていたのだが、謎の通信障害によってどの配信者とも連絡が取れない状態だった。幸いにも迷い路各地にあらかじめ設置されている固定カメラ代わりの配信枠より映像を見ることができ無事は確認できたものの、放送室側から配信者への連絡が取れない状況だった。
しかしわんこーろによって遮断されていた通信回線が復旧、放送室側からの通話が可能となり、ある程度の状況が判明した。
まず問題発生時に判断を仰ぐべきV/L=F運営との連絡が取れない。V/L=F運営の本部が設置されている塔の施設への入場も扉のロックがなぜか有効になっており、入ることが出来なかった。それは現地で灯が確かめている。
それとあらゆる情報の通信が雑に切断されており、配信者側と視聴者側との相互の情報のやり取りが非常に困難となっている。
『元々V/L=Fで行われるすべての配信のコメントとかは荒らし対策で一度V/L=F運営を通すことになってたの。……おそらくその運営と放送室との通信が遮断された影響で視聴者のコメントも見えなくなっているみたい』
「このままじゃ配信は……」
「もしかして、イベント、中止……」
「そんな……」
V/L=Fの全体管理を行う運営との連絡が取れないという事態はイベント進行において絶望的な状況だ。その上視聴者からの反応が伺えないということは、まともに配信が行われているのかすら分からないという事を意味している。
配信者全員の脳裏にV/L=F中止という選択が脳裏をよぎる。そうなっても仕方がないと思えるほどの状態だった。
「わんこーろさん……」
「ん~~……V/L=F運営と繋げることは、できます~。ですけど~……」
わちるのすがるような声音にわんこーろはためらい気味に肯定する。
結局わんこーろが遮断されている通信を繋いだとしても、それは応急処置にしか過ぎず、不正アクセス者という根本が取り除かれたわけではない。
V/L=Fを続けるということは、その不安要素を抱え込んで不安定なままでいるということだ。
この不正アクセスが塔より行われているものだと知っているのはまだV/L=F運営だけであり、FSやわんこーろを含めた犬守村にダイブしている配信者の全てはまだそのことを知らない。
故にわんこーろはこの不正アクセスを行っている存在が犬守村にバグをもたらした犯人であると知らず、単独犯なのか複数犯なのかどれほどの技術力を有しているのか判断できなかった。
情報が封鎖された故に敵の規模と実態が把握できていない。だがそんな中でもわんこーろは犬守村全体をスキャンして、敵の侵入がNDSからであることを把握していた。それに加えてV/L=F運営と連絡が取れない事実から、おそらく運営の管理中枢を含めた全管理空間は敵に掌握されているだろうと判断した。
先の通信障害が侵攻の合図であったとしたら、それからほんのわずかな時間で運営の管理中枢を奪い、NDSの次世代防壁群を突破し、犬守村内部に入り込む手腕はわんこーろさえも目を見張るものがあり、だからこそ全通信の復旧を行うのはためらわれた。
通信の全復旧とはつまり、妨害をしている防壁を全破壊することであり、それが相手の神経を逆撫ですることになるかもしれない。
ただでさえ放送室との通信復旧のために防壁を破壊しているのだ。もしかすれば、もう敵は報復行動を開始している可能性も――。
「……! まさか……!」
「わんこーろさん? これはっ、何が!?」
ネットの中であるにも関わらず、まるで地震が起きたように札置神社が大きく揺れる。地鳴りとともに空気さえ震えるように感じる中、札置神社に集まっていた配信者たちの姿が徐々に薄くなっていく。
「なに!? これ!?」
「体が……消える!?」
「うわぁ!?」
「! 間に合って!」
配信者の姿に異常が発生した直後、わんこーろはウィンドウを展開し、現在の配信者同士のリンク状況を確認する。迷い路全体に施されたフィルターによって切断されていたそのリンクをすぐさま復旧し、それらの結節点として自身を結びつける。その作業が終了したと同時に配信者たちの姿が消失した。先ほどまで集まっていた数十人もの配信者たちは跡形もなく消え去り、そこに居た形跡さえ見当たらない。
「消えた……いえ、違いますね、これは……」
『皆さん札置の迷い路のあちこちに散らばって……!? これはわんこーろさんが?』
「いえ、おそらくこれも何者かの仕業でしょう」
放送室の端末を操作し、なこそはわんこーろのリンクをたどり配信者たちの現在位置を確認していく。
放送室のディスプレイに映し出される配信者たちの位置情報。元々は迷い路を探索する配信者の映像を視聴者に見てもらいながら実況し、イベントを進行していく予定だった。数多くの配信者の配信画面を同時に映し出し、面白い行動をしている配信者をクローズアップする、といった具合に。
だが、配信者が配信も出来ず、位置情報だけしか表示させることが出来ない現状では放送室のシステムは正常に機能しているとは言い難い。だが、それでも俯瞰視点からすべての配信者の居場所を把握出来る放送室の存在はかなり重要だ。V/L=F運営の居る管制室と連絡が取れないなら猶更。
「なこそさん、皆さんばらばらになっても私が繋げているリンクから通信が出来るはずです~!」
『え、ええと……ちょっと待ってね……』
不慣れな放送室の端末を操作しながらなこそが通信を繋げるといきなりの事に混乱する配信者たちの声が聞こえてくる。だが、怪我をした者や体調不良を訴える者はおらず、配信者全員の無事が確認された。
「どうやら皆さん無事のようですね~。仕方ありません、これ以上好き勝手される前に速攻で通信を復旧してしまい――」
わんこーろが言葉を言い終わる直前、地震のような揺れがひときわ大きくなったかと思うと耳を覆いたくなるほどの破壊音が響き、札置神社の境内に敷かれていた石畳の破片と土煙が空に舞う。
「っ、何が――」
音と衝撃の発生源は境内の中央あたり。わんこーろは目を凝らし、土煙の先を確認する。そこには先ほどまで存在しなかった巨大な岩が突き刺さっていた。境内の石畳を破壊し、その岩は深々と地面に食い込んでいる。おおよそ犬守神社に元から存在してるはずのない巨大な岩は強烈な違和感と圧迫感を放ち、眼前のわんこーろの前に出現した。
そして、その岩の上には一体の巨大な生物。
「――まったく、鵺から始まって八岐大蛇ときて、今度は"九尾"ですか~……有名な妖怪ばかりで私も思わず溜息がでますよ~」
岩の上からこちらを見下ろすのは美しい九本の尾を持つ狐であった。金の毛に覆われたその体は通常の狐とは比べ物にならないほどの巨体であり、筋肉質な四肢と刃物のように鋭利な爪を持ち、知性を感じさせる瞳でわんこーろと狐稲利を射貫く姿は、確かに物語に登場する九尾の狐を連想させた。
「どうやら私の相手はあなたのようですね~」