転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

127 / 257
#125 結節点

「んぐ、これはきついですね~……」

 

「おかーさ……」

 

 んふふ、といつもの調子で笑おうとするわんこーろだが、その声はいつもより疲れているように聞こえ、隣にいる狐稲利は悲し気な表情で母親を見つめる。

 

 犬守村の札置神社、その境内は異様な空気に包まれた戦場と化していた。

 重力を失ったように浮遊する石畳と瓦礫がまるで宇宙空間の小惑星群のように漂い、灰色の空間が形成されていた。時折地響きが聞こえ空間自体が震えるような感覚さえ覚える。灰色の空間の中で浮遊する朱色の鳥居がさらに異様さを加速させ、どれほどリアルであろうとそこが現実世界ではない事を突き付けてくる。

 

 わんこーろと狐稲利は浮遊する瓦礫を足場にして飛び回る。自身の体と同じほどの大きさの岩を跳躍し回避、そのまま次の足場へと着地する。間髪入れずに迫りくる鳥居の残骸を避けるためにすぐさま次の足場へと移動する。

 

「狐稲利さんっ」

 

「うんー!」

 

 どうしても避けられない障害物は裁ち取り鋏で切り裂き、破壊したものを足場に次の足場へと跳躍する。鋏はすぐさま拡張領域に収納され、拡張領域を共有している狐稲利が次に取り出し、瓦礫を破壊する。

 

 わんこーろと狐稲利は次の足場へのルートと互いの状況を予測し合いながらこの無重力空間の中心へと向かっていく。

 

「咆哮の衝撃には注意ですよ、リンクがはがされます」

 

「りょうかいー!」

 

 空間の中心にいたのは巨大な体躯を持つ、九尾だった。その瞳をぎょろりと動かしわんこーろと狐稲利の姿を確認すると尻尾の一本を緩やかな動作で右から左へと動かして見せた。

 動作としてはただそれだけなのだが、そこに九尾の巨体と浮遊する無数の瓦礫が合わさることで、その動きはわんこーろと狐稲利への明確な攻撃へと転じる。

 

 巨大な尻尾に弾かれた無数の瓦礫がわんこーろと狐稲利を襲う。それだけならばかつて大蛇と対峙した時とさほど状況は変わらないようにも見える。だが、現在この札置神社境内という空間は重力より解き放たれた空間だ。弾かれた瓦礫は別の瓦礫と衝突し屈折し、砕ける。それが二人に迫りくる数多の攻撃をさらに複雑化させ、回避を困難なものとする。

 

「来ましたねっ! 狐稲利さん、もう一度っ!」

 

「うんー! そっちにいくー!」

 

 回避しきれない瓦礫に対処するべく二人は同じ瓦礫に飛び移り、裁ち取り鋏を構える。前方の瓦礫のみを集中して初期化し無害化させ回避。次の行動へと移り瓦礫の周りを飛び回る。九尾はその素早く流動的な動きをとらえきれない。手足で捕まえようにも自身の体と比べて小さい二人と、そのすばしっこさによってそれは何度も失敗し、それゆえに瓦礫を広範囲にばらまくような攻撃しかできなかった。

 

(これなら、なんとか耐えられますね……、あれ……?)

 

 このまま時間稼ぎをしている間にわちる達がバックアップデータの位置を特定してくれれば、わんこーろの勝ちだ。今問題なのは九尾にどれほどダメージを与えても即時修復され、動きを止めることが出来ないことにある。

 バックアップデータの破壊は位置さえわかればどうとでも出来るし、NDS経由で相手が犬守村に侵入しているのならばその後にNDSを使用している配信者達を全員集めて一人ずつそのリンクを切断すれば良いだけだ。

 

 そう考えてわんこーろは攻勢AIである九尾を札置神社の境内に押しとどめる役目を請け負った。

 だが、わんこーろは知らない。目の前の九尾が今までの存在とは全く異なる存在であることを。正確には、今までの暴走状態の個体ではなく、管理者によってコントロールされた個体であることを。

 

「おかーさ!!」

 

「はいっ!」

 

 九尾による再度の咆哮。だが、それはわんこーろ達へと放たれたものでは無かった。九尾の咆哮は犬守村の秋深まる高い高い空へと放たれる。

 

「また咆哮を……? 何度やっても無駄で――!?」

 

 次の瞬間、九尾はその九つの尻尾すべてを用いて周囲の瓦礫を勢いよく弾きだした。瓦礫と瓦礫がぶつかり弾幕となるそれはこの無重力空間で不規則な軌道を描きあらゆる方向へ跳弾する。

 

「おかーさ大丈夫!?」

 

「大丈夫です! これくらい、さっきと同じように鋏で――」

 

 だが、わんこーろが裁ち取り鋏で初期化しようとした瓦礫は次の九尾の咆哮によって四角い立方体、3Dモデルの初期形状へと全て変化した。さらに九尾は三度(みたび)の咆哮によってその立方体の形を丸い雫のようなものに変化……いや、"削り出した"。

 

(周囲の瓦礫を初期化した! それにこれは"磨り出し鑿"の能力! もしかして私の持っているすべての道具の能力を……)

 

 雫のような白い3Dモデルは空間を浮遊する中で他の瓦礫に付着していく。まるで液体のような性質を持つそれは、次の九尾の咆哮によってその正体が露わになる。

 

 九尾の咆哮に乗せられた能力はわんこーろの持つ道具の一つである"見出し刷毛"。形作られたモデルに色を付けるツールが元になっている道具であり、最終的なモデルの性質を決定付ける道具でもある。

 

 その能力が付与された咆哮により、先ほどの白いだけの液体のような3Dモデルに色が付けられて行く。

 

 

 真っ赤な、燃え盛る炎の色を。

 

(水じゃ、ない!)

 

「っ! 火です狐稲利さんっ!!」

 

 咆哮による見出し刷毛の能力が反映される範囲に存在していた液状の3Dモデルは、赤く燃え盛る炎へと変化する。明確な性質を与えられた3Dモデルはその性質に従って周囲の瓦礫を燃やし始める。

 

(なんで石畳に引火して……っ! これ、石畳が木材に!?)

 

 どうやら一度目の咆哮により石畳が木製のものに作り替えられていたようだ。気が付けば周囲は炎によって包まれ、その熱気さえもリアルに感じられる。九尾を中心として咆哮による3Dモデルの性質改変は一定の範囲にとどまっており、炎に包まれた範囲の外には未改変の石畳が宙を漂っている。それゆえに迷い路までの飛び火は心配ないが、わんこーろたちが炎に包まれている状況であることに変わりはない。

  

「待っててください狐稲利さん! すぐに鋏で初期化を……!?」

 

 拡張領域より鋏を取り出したわんこーろだが、いつの間にか九尾の姿が見えない。辺りは猛り狂う炎の壁が立ちふさがり、その熱気にやられたわんこーろは逆巻く炎とその炎の中に隠れて狐稲利へと接近した九尾の姿を捉え損ねてしまう。

 

「きゃあっ!?」

 

「狐稲利さんっ!!」

 

(この子、炎の中を!? 自分だけ火によるダメージ判定を無効化するのはずるいですよっ!!)

 

 炎にさらされた狐稲利を庇い、とっさに九尾に鋏を向けるわんこーろだが九尾の方が早かった。その尻尾の先端で鋏を持つわんこーろの手を打ち据える。

 

「んくっ!」

 

 強い衝撃と痛みによって鋏を手放してしまうわんこーろ。そのまま鋏は境内の外、迷い路へと弾き飛ばされてしまう。

 

(早く回収を……、手元に戻らない!? はたき落とされると同時に鋏とのリンクを切られた……!)

 

 轟々と猛り狂う炎の中で九尾はこちらをあざ笑うように鳴き声を漏らし、揺らめく九つの尻尾はまさに炎の揺らめきと同化している。辺りは炎に囲まれ、通常の手段では脱出できない。さらにはその炎の壁は徐々にわんこーろと狐稲利の方へと近づいて来ている。

 

「狐稲利さん……」

 

「おかーさ……」

 

 ぼろぼろになり、炎の熱気と薄い酸素にぐったりとしている狐稲利へ近づくわんこーろ。狐稲利の頬に手を延ばすと、体の力が抜けたようにその場に崩れ落ちる狐稲利。宙に浮く瓦礫の上で、わんこーろは狐稲利が倒れこまないようにその体を支える。

 

 ゆっくりと、壊れ物を扱うようにやさしく。狐稲利の額の汗を拭ってやり乱れた髪を指先で優しく整えてやる。

 

 

 そして、決断した。

 

(わちるさんも、なこそさんたちも、配信者の方たちも、みんな現状を何とかしようと頑張ってくださっている……それなのに、私が"こんなこと"をしようとしているなんて知られたら……)

 

「嫌われちゃいますかね……んふふ、炎上確定ですね~……」

 

「お、かーさ……?」

 

 わんこーろの腕に抱かれながら力なく横たわる狐稲利の言葉にわんこーろは応えない。

 

「……わちるさん、なこそさん、聞こえますか~……?」

 

『わん……さん……、聞こえ……ます』

 

『こっちは……だよ……、わん……さん……?』

 

 狐稲利の頬を安心させるようにやさしく撫でながら、わんこーろはかろうじて繋がっているわちるとなこそに連絡を取ろうとするが、すでにリンクはずたずたにされており、不安定な状況だ。多少聞き取れるところもあるが、ひどくノイズが混じり所々聞き取れない部分がある。

 

(途切れるのは、時間の問題ですね……でも、私とのリンクが途切れたら……)

 

 犬守村というネット空間に散った各配信者たち。現実世界でイベントの解説を行っているなこそと寝子。これらが互いに情報の共有を行えているのはその結節点の役割をわんこーろが担っているからだ。

 

 もし、わんこーろとのリンクが途切れれば、それはつまり迷い路に散った配信者たちの孤立と、状況を俯瞰で確認出来ているなこそ、寝子からの情報の供給停止を意味する。そうなれば今でさえギリギリの状況で行っているイベント進行が、完全にストップする。

 

(私が……私がやらなくちゃ……でも、やらなくちゃいけないのは、私だけでいい……)

 

「おかーさ……?」

 

 ゆらりと立ち上がったわんこーろ。狐稲利と同じように、彼女の服は炎に焦げ、ボロボロになっている。体中に擦り傷が見られ、頬は煤で汚れている。

 

 その顔で、わんこーろは狐稲利に微笑んだ。

 

 それも狐稲利がわんこーろのお手伝いをして褒めてもらう時に浮かべるような、とびっきりの笑顔で。

 

「狐稲利さん。ごめんね」

 

「おかーさ? なに? 何が、ごめんね、なの?」

 

「……私は、狐稲利さんのお母さんだから」

 

 ゆっくりと、狐稲利の頬から手を放し、その指先は狐稲利の髪へと移る。手櫛で申し訳程度に毛先を整えてやる。

 

 そして、その美しい娘の髪に、わんこーろは唇で軽く触れた。

 

「おかーさ? おかーさ!?」

 

「お母さんだから、こんなことしかしてあげられないんです」

 

 わんこーろに繋がるリンクはすでにほぼ切断されており、犬守村とのリンクさえ途切れ始めている。そのリンクが完全に消滅してしまう前に、わんこーろは取得した位置情報を参照し、指定した場所との直通ルートを作成した。このルートはわんこーろが指定したもう一つの座標に存在するものを瞬間的に移動させる。

 

 つまり、狐稲利を此処とは別の安全な場所へと。

 

「おかーさ! おかーさん!!」

 

 わんこーろへと叫ぶ狐稲利の姿は、突如としてその場から消え失せた。

 

 あとに残ったのは未だ猛る炎を身にまとった九尾と、どこか満足そうな顔をしたわんこーろだけだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。