転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
時間はわんこーろが狐稲利を逃がす少し前に戻る。
展示会場の控室に閉じ込められた灯はNDSにより、か細くも繋がった室長との繋がりを必死に手繰り寄せ現状の説明を行っていた。かなり差し迫った状況ではあるが、そんな時であるからこそ情報の共有は優先された。それは室長も同様であり、たとえ管制室から現状を見ることだけは出来ていたとしても、それは視聴者と同じ目線でしか見えない。裏でどのような話し合いが行われ、イベントを実行することにしたのかは室長は知らないのだ。
故にまずは得られている情報量の多い室長から情報の共有は行われた。
『――というのがこちらの状況だ。塔の管理者による攻撃は未だ続いている。此方からではそれを止める手立てが無い……かなり危険な状態と言わざるをえん』
「そうだったんですか……わんこーろちゃんのところのあの不正アクセスが……それに九尾……」
あまりのことに灯は頭が追い付いていない様子だった。わんこーろに執拗なハッキングを行っていた犯人が今回の事件の首謀者であることは理解できたが、その犯人がいくつもの障害を搔い潜って地上へと通信を行っている塔の管理者であると言われても、さすがにすぐには信じられない。
『其方の状況も説明してくれ、なぜあの子たちは配信を始めた?』
しかし状況が状況だ。灯の混乱はもっともだが、今は信じてもらうしか無いと考え室長は灯が知る情報の共有を優先する。そんな室長の言葉に灯はひどく狼狽する。
「あの子達を叱らないであげてくださいっ! 私も同意したんです」
『落ち着け……怒ってはいないさ。あの子達がそうしたなら相応の覚悟があったのだろう? お前が今話してくれた状況を、あの子達も知っていてその上で配信することを決めたのだろうからな』
その後落ち着いた灯は彼女達の配信理由を語る。イベントの失敗によって今後のV/L=F開催が危うくなる事、NDSの安全性の疑問視、ヴァーチャル配信者という概念そのものへの風評被害などを考え、それらを回避する為にまるで"問題など起こっていない"かのように振る舞い、配信を実行したということを。
『わんこーろが対峙している九尾はおそらく塔の管理者が直々に制御している可能性がある。……他の配信者に被害がいかない様にわんこーろが足止め役をしてくれたのは助かった』
「はい、配信を見ている視聴者さんにあまりショッキングな映像を見せられませんから」
『それだけじゃない。管理者は現在掌握した管理中枢に繋がっているNDSすべての設定を改変した。犬守村へダイブしている配信者は現実とほぼ同じ感覚が得られる状況になっているはずだ』
「! それじゃあ、もしわんこーろちゃんがいなかったら……!」
『致命的なダメージを負えば、そのストレスはNDS利用者の精神を著しく損耗させる……最悪な想定だが、死ぬほどの怪我を負えば、その者の精神は……』
「……わんこーろちゃんはそのことを……」
『管理者が犬守村へNDSを利用して侵入したことを把握しているなら、NDSがどのような状態かも把握しているだろう。……迷い路に散った配信者への攻撃を通すわけにはいかない、そう考えてあの子はあそこにとどまったのだろう。――なんだ? なに? ……灯、少し待っていてくれ』
「室長? 何か……?」
室長との通信、その向こうでなにやら室長は先研の職員と話をしているようだった。かなり焦ったような声や物音が聞こえ、しばらくして同じように焦った様子の室長が灯との通信に復帰する。
『管制室からは配信中のイベントを見ることができるが……どうやら状況はこちら側が不利なようだ』
そして室長はわんこーろが九尾の攻撃により怪我を負い、狐稲利を迷い路外へと逃がしたことを灯に説明する。
管制室のディスプレイには炎の中に佇むわんこーろが映し出され、その様子を泣きそうな声を押し殺して冷静に実況するなこそと寝子の声も聞こえる。
だが、それに対して室長も灯も何もしてやれない。
「わんこーろちゃんは無事なんですか!?」
『今はまだ何とかなっているようだが……』
「室長っ! 私、放送室に戻ります!」
言って灯は控室のドアに手を掛け思い切り力を入れるが、そんなことではロックされた扉を開けることは出来ない。灯とてそんなこと承知しているが、少しでも可能性があるなら試さないわけにはいかないと思ってしまうほどに灯は焦っていた。
「室長、そちらからここのドアを開錠することは……無理です、よね……」
『……すまない。管制室の制御は完全に奪われている。お前とこうやって通話出来ているのは管理者に見つかっていない管理空間を経由しているからだ』
「でも、でもこのままじゃ……!」
灯は考える。
現在問題なのはわんこーろが結節点となって維持されている"現実世界の放送室"と"仮想世界の配信者たち"とが分断されることにある。だがそれはもはや避けられない状況となっているらしい。
結節点の消失による孤立によってイベントの進行は不可能になる。その上わんこーろは配信者達の状況を把握することが出来なくなり、今以上に行動が制限される。
それを回避するには……。
「……わんこーろちゃんの、代わりになればいい……」
『なに?』
「室長、私犬守村へダイブします」
『……いきなり何を言い出す? どうしてそんな話になる?』
「私の使っているNDSは今こうやって室長と繋がっています。この状態で犬守村へダイブして犬守村そのものと接続すれば、"現実の世界の放送室"と"仮想世界の配信者たち"の繋がりの中に"運営の居る管制室"を追加することが出来ます。未だ視聴者のコメントが見れないという状態をこれで解消することができます!」
『なるほど……一応言っておくが……危険だぞ?』
灯の説明した案は確かに現在問題である配信者、視聴者間でのコミュニケーションの不可を解消出来るだろう。だが同時に犬守村へダイブするということは犬守村へ干渉している管理者に見つかる可能性が高いということを意味している。
「承知の上です。それに、室長だって私を引き留めるつもりはないでしょ?」
灯は軽い口調でそう言った。
まだ推進室が復興省の一部として機能していた時、室長はFSと復興省の板挟みに悩まされていた。
室長は復興省の室長としての自分と、FSの保護者としての自分の二つの立場を抱えており、それがFSや灯との間に壁を作っていた。壁は彼女たちと室長との立場を明確にし、彼女達をあくまで推進室のいち職員として扱うことを確定させた。
だが、もはや推進室に重んじる上層部など存在しない。正確にはこのV/L=Fが終了するまでは推進室は復興省の下部組織的扱いであることは確かなのだが、そこは重要な部分では無い。
職員として扱っていた頃よりも、室長は彼女たちを大切にして、そして信頼していた。だからかつてのようにただ彼女たちの言葉を一方的に否定し、危険へと進むことに拒絶反応を示したりはしない。
『ウチの家族は一度決めたら投げ出さない、そんなことは考えない頑固者ばかりだからな……。行ってこい。そして、私の代わりにあの子たちを頼む』
それでも室長は自身が行うべき役割を灯に任せなければならないことに唇を噛む。室長がジャミングを受けている副塔施設内から犬守村へダイブするには有線でNDSを繋ぐしかない。しかしそれは管理者に掌握されている管理空間と繋がることを意味しており、実質不可能。現在灯と繋がっている大日本宇宙開発公社の管理中枢を用いてもその回線の細さと、数世代前のハードではダイブすることは難しい。
結局、この状況で動くことが出来るのは灯だけだ。
「はいっ! 行ってきます!」
灯は情報端末とNDSを繋げ、解放状態の推進室管理空間に接続する。ヘッドセットを手に取り、NDSを起動状態に持っていく。
『犬守村の札置神社周辺は管理者によってフィルターが掛けられており、直接札置神社へ入り込めば即座に特定される。私の居る管制室からこのNDSを利用したダイブも同様だ』
「はい。でも私なら」
『そうだ、
管制室よりもセキュリティ面で緩かったことが幸いし、展示会場は無線通信の妨害までは行われていない。それは一般参加者の携帯端末などが生きており、混乱が生じていないことからも明らかだ。
「迂回はこの"推進室の管理空間"を利用して、ですね」
『ああ、そうだ。推進室の管理空間から犬守村へリンクを繋げ、侵入する』
「リンクの接続……見つかってしまう可能性がありますね……」
『リンクを繋げる際に
「既存の、ですか?」
『忘れていないか? 夏の大型コラボの際に繋げていたリンクだよ。あれがまだ生きているはずだ』
「夏のコラボ……あ! 犬守村のトンネルのことですね!」
『新規でリンクを繋げるのは危険度が高いが、既存のルートならば多少は目を欺ける可能性がある。管理空間に許可を取る必要も無いからな』
「分かりました……。よし、それじゃあNDSを起動します。室長、また向こうで」
『ああ……気をつけろよ』
「はい、分かっていますって」
真っ暗な中を歩く灯は前方に見えた光へと進んでいく。ほのかに植物の香りと肌寒さを感じながら暗闇から脱出した先に見えたのは夏のコラボの際、出発地点であった苔むしたトンネルだった。
今では青々とした木々は鮮やかに紅葉し、足元は落ち葉によって埋もれている状態だ。
「ええっと……NDSによる通信状態は良好、今のところ干渉の兆しもなし……室長、聞こえていますか? 犬守村へ到着しました」
『聞こえているぞ。どうやら気付かれていないようだな。始めてくれ』
「はい、犬守村全体の空間とのリンクを確認、設定済みのルートを再検索……、……ありました! わんこーろちゃんに繋ぎます!」