転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
降り注ぐ火の粉にわんこーろは目を細める。
お気に入りだった浴衣は小さな焦げがあちこちに広がり、炎の煙によって汚れていた。
熱風にたなびく黒髪を翻し、わんこーろはこちらに放り投げられた瓦礫を見つめる。その場で跳躍し、くるりと体をひねりその瓦礫を回避すると空中に放り出され、身動きが取れないわんこーろへとさらなる追撃の炎が放たれるが、それらがわんこーろへ届くことはなかった。
炎はわんこーろへ接触する寸前、灰のように真っ白な3Dモデルへと還元され、わんこーろが触れると同時にそれは真っ青な水玉へと変化した。
鋏を失ったとはいえそれらの道具はあくまでわんこーろの能力を内包したツールに過ぎず、鋏を奪ったからといってわんこーろの能力を制限したことにはならない。
とはいえ鋏という道具にすることで能力の起動までの時間を短縮する、ショートカットキーの役割を担っていたため、能力の発動は今までのような瞬時に発動することが困難になってしまった。
それを補うためにわんこーろは水玉による炎との相殺を狙う。
「さて……ただではやられませんよ~……」
いつもののんびりとした声音で不敵に微笑むわんこーろは周囲に浮かべた水玉とともに、炎をまとう九尾の懐に飛び込んだ。
炎と水がぶつかり蒸発する音と煙が漂い、僅かな足場を飛び回るわんこーろ。炎はわんこーろを取り囲むが、それは生み出した激流によって呑まれ届かない。
炎と水、それらを自由自在に操り戦いを繰り広げるその姿はさながら神話の大戦のごとき異様さと神秘性を放っていた。戦う存在が九つの尻尾を持つ巨大な狐と、人の形をしていながらもその犬の耳と尻尾から人外とわかる容姿であることがさらにその非現実的な様相を底上げし、その光景を見た視聴者はまさに大興奮状態の真っただ中。
『うおおおおおおお!!!』『すっげええええええええ!!??』『アニメか!? 映画!? クオリティすごすぎる!』『わんころちゃんがんばれぇええええ!!!』『負けるなー!!』『頑張れ!俺たちがついてるぞ!!』『凄い……めっちゃ綺麗だ……』『わんころちゃん凛々しい……いつもとのギャップが良い……』『まさに神様と神様の闘いだ……!』
配信を見た視聴者はその様子をコメント欄に興奮のまま書き込んでいく。当然そのコメントの内容をわんこーろを含めた配信者や、放送室にいる二人は把握出来ていない。視聴者は今画面の前で起こっている戦いが、ただのイベントの
視聴者からはこのまま札置神社で行われている戦いやバックアップデータの捜索がすべて"そういう設定"の物語だと思っておいてもらわなければ困るのだ。少しでも違和感を覚えられるとそこからV/L=Fで発生している問題が発覚する可能性がある。
それらの事情を踏まえたうえで、わんこーろは九尾との戦いを展開していた。本格的に九尾の動きを止めるのならばあのように水を生み出して対抗するよりも、この空間そのものをひっくり返すくらいの反則的な、情報そのものを弄るメタ的な攻撃方法を用いる方がまだ楽であり、あのように火の熱さに苦しむ必要はないはずだ。
だが、そこまで強硬的で犬守村の世界観を崩壊させるような方法を用いれば、"設定"が崩壊してしまう。
あくまでわんこーろが戦っているのは不正アクセスを行った侵入者ではなく、犬守村に現れた九尾という妖怪であるということにしておきたかった。
だがそれらの設定を遵守し、さらには配信者たちを守るために境内に留めておく消耗戦。それはさすがのわんこーろでも厳しいものがある。
(まだ……なこそさんともわちるさんともリンクは生きている……このまま私が留めていればいずれ……)
時間稼ぎをしていればいずれ迷い路の配信者たちがバックアップデータのリンクを見つけてくれる。見つかったリンクの位置情報を頼りにリンクを切断すれば九尾を無力化することもできるようになる。
だが、その考えは九尾の次の行動によって瓦解する。
「! 何をっ!?」
九尾が顔を上げ、空へ咆哮する。その動作によって今までの状況が悪い方へと転がっているだけに、わんこーろは警戒を強める。
ひと際激しい地鳴りとともに、空より巨大な石柱が現れ、札置の境内、その地面へと深々と突き刺さった。
注連縄の施されたその石柱は戦場の中心にそびえ立ち、九尾はその石柱の上へ降り立つと再度咆哮する。
するとなにやら空中に数字の羅列が現れる。半透明なその数値はカチリ、カチリと音を立てて変化していく。50から49へ、49から48へ。その数値は一秒ごとに一つ減っていく。
「何の……カウントダウン、ですか……?」
タイマーと思われるその数字の最も大きい桁は01、その次は59、最後は10を示している。つまり、残り時間はあと1時間59分10秒。
時間稼ぎをしていればいずれ……と思われていた状況は、残り二時間という短すぎる制限時間によって想定を大きく上回る軌道修正を余儀なくされた。
(こんなの……こんなのって……)
石柱の上から九尾の容赦ない攻撃が続く。わんこーろはそれに対応しながらも次善の策を模索するが、何一つとして浮かんでこない。リンクは途切れる寸前で、配信者たちの居場所もわからない。もちろん九尾のバックアップリンクの場所も把握できず、そんな中で二時間という制限まで加わった。
この迷い路を作り出した本人だからこそ理解していた。二時間でこの迷い路に散っているバックアップのリンクを見つけ出すことなど不可能だということに。
この迷い路を踏破した人数は両手で数える程度しかおらず、それも犬守写真機を利用した数十万人総出での結果だ。たった二時間で、それもワープポイントなどの新しいシステムを導入した新しいバージョンの迷い路を踏破することはかなり難解だ。
前日のように配信者に迷い路のマップが配られているわけでもなく、そもそも見つけるべきバックアップリンクとやらがどのような姿をしているのかもわからない。自身が何かしらの手助け、例えばマップの配布などを行いたいとは思うものの、九尾の攻撃を境内に押しとどめるのに必死でそちらまで手を回すことができない。そもそもマップデータを転送する配信者たちの位置情報がわからない。唯一の手がかりである音声などを共有しているリンクも途切れそうな状況。
(私が……私が何とかしないと……私が……!)
焦りの中に居るわんこーろだが、どうすることも出来ない。ただ九尾の攻撃を弾き、映し出されたカウントダウンが進んでいくのをただ見ているしか出来ない。
(私じゃないと……私がやらないと……!)
『あまり焦るものじゃないぞわんこーろ。少しは頼ってくれ。……頼りないかもしれんがな』
「え……室長、さん……?」
そんな時、ひと際鮮明な声がわんこーろに届いた。ノイズだらけであることに変わりはない、そのはずなのに、その声はわんこーろの耳に確かに届いた。
『何とかギリギリ間に合ったみたいだな。……時間がない、こちらの状況を簡潔に説明する』
室長はこの回線が犬守村にダイブした灯を結節点として維持されていること。それはわんこーろが九尾によってリンクを切断されても維持されること。この事件の犯人が塔の管理者であることなどを説明していく。細かな説明を省いてはいるが、それでも出来る限りの情報をわんこーろへと渡していく。
『――以上のことからこちらの通信網は応急処置とはいえほぼ復旧出来たといえる。だが……』
「……私は、その通信網から外れる、というわけですね」
今繋がっている通信が切れればわんこーろは犬守村そのもののリンクも切断されているため、完全に孤立する事になる。ただ一人で、視聴者の声も聞こえず戦い続けなければならない。
『……わんこーろ、私たちは……』
「大丈夫ですよ室長さん。……もう大丈夫です。さっきまで私は全部一人でやらなきゃって、そう思ってました。でも、そうじゃなかったんですよね。私は自分が人ではないからって、人以上に頑張らなきゃって思っていたのかもしれません」
自身が今まで何でも一人でやってきたからか、それとも人外であり他の配信者とは全く異なる存在だと理解しているからか、わんこーろは事態の収拾を一人でするつもりだった。だが、ネット世界だけでなく、現実にも問題が起きているのならば、それはもうわんこーろの手に負えない状況である。
だから、わんこーろはそれらを人に託すことにした。
「……後のことは、お任せしていいですか?」
『ああ、もちろんだ。こちらこそ頼む。どうかあの子達が配信を終わらせるまで……』
「もちろんです、皆さん頑張っているんですから私が頑張らないわけには行きません。……あと、一つだけお願いがあるのですが」
『なんだ?』
「灯さんはおられますか?」
『はいっ! 聞こえてますよわんこーろさん』
「灯さんにお願いがあります。傷ついた狐稲利さんを犬守神社に転移させました。どうか、あの子が無事か見てきてくださいませんか……?」
『! 分かりました! 狐稲利ちゃんのことは私に任せてください!』
その言葉を聞いてわんこーろはふう、と息を吐き安堵する。唯一の心残りを、灯になら任せられる。
「……さあ! 皆さんっ! 楽しんでいきましょう! 配信すたーとですっ!!」
その言葉を最後にわんこーろとの通信は途切れてしまう。代替となった灯によってわんこーろ以外のイベント参加者達の通信は健在だが、わんこーろからの通信も、わんこーろへの通信も反応なく、公式配信に映されている札置神社境内に設置されている固定カメラの映像でその姿が何とか確認出来る程度だった。
わんこーろに繋がる通信網はすべて切断され、誰の声も届かない孤独な戦いを続けていた。だが、わんこーろの顔は先ほどまでの焦燥感を募らせたような表情ではなく、とても晴れやかだった。
九尾の攻撃を間一髪で回避し反撃に転じる際にはその幼い姿に似合わぬ不敵で怪しげな笑みを湛え、カウンターを叩き込む。視聴者はその姿に歓声を上げ、声援を送る。
リンクを切断され、その声が届くはずもないのにわんこーろは笑みを深くし、炎の中を飛び回る。いつしか暗く曇っていたわんこーろの心は、すっかり晴れ渡ったものに変わっていた。