転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
迷い路をゆっくりと進んでいくナートとほうり。時折後ろをついてくるほうりのことを気にかけながら通った道を記録していくナートが、ちらりとほうりの様子を伺うとその視線に気が付いたほうりは小さく微笑んで首をかしげる。
「どうかなさいましたか? ナート様」
「う、ううん……なんでもないよぅ」
気まずくなってすぐに視線を外すナートの姿を疑問に思いながらもほうりはナートの後に続く。
ナートはほうりと合流してから何度か彼女に話しかけようとしたが、どうにも勇気が出ない。現在ナートもほうりも自枠での配信を行っておらず、寝子は他の配信者の枠をチェックしているようで、こちらから話しかけなければ反応はない。
つまり、今ここでナートとほうりは二人きりで、誰も聞き耳を立てている人間はいないということだ。ナートもそれは理解しているが、それでもやはり何のきっかけもない状況では話しかけにくく、いつものようなやんちゃな姿のナートはどこへやら。会話というものも先ほどのような二、三の言葉を交わす程度だった。
ほうりは時折ナートに話しかけはするが、肝心のナートが緊張のあまり話を続けることが出来ず、結局会話は成立しなかった。ナートはその事にさらに焦りを見せるが、対するほうりは信頼できる先輩の後を素直についていく。そうナートが指示したためだ。
「んぅ……方向が分かんないなぁ、迷い路からじゃあ太陽の位置なんてあてに出来ないし……」
「そうなんですか……?」
「うん……前のアプデでね……。ほうりちゃん? 大丈夫?」
ナートの目の前に浮かぶ半透明なウィンドウには虫食い状態のマップデータが表示されている。それはナートが歩いた部分がリアルタイムで反映されるだけでなく、時間が経つごとに空白部分が埋まっていく。それは他の配信者が歩いて集めたマップデータを寝子が収集し、各配信者のマップデータに随時更新しているからだ。このイベントに参加している全ての配信者、および寝子の記憶能力によってリアルタイムで制作されていく迷い路のマップデータだが、それでも埋められた部分はおよそ4割程度にとどまっている。
しかし、迷い路の正確な規模を把握することが出来ていないため配信者はおろか、寝子でさえ現在のマッピングの進捗が4割であることを知らない。配信者の散った位置や、埋められるマップ情報からおおよそ程度の進捗を判断する程度しか出来ていないのが現状だ。
そんな現状に多少の焦りを覚えるナートだが、悩んでいても仕方がない。どれだけ地道であろうと前に進まなければ意味がない。そんな思いから迷い路を進んでいたナートだが、ふと横目で見たほうりの様子がおかしいことに気が付いた。
ただ普通に歩いているだけのようにしか見えないが、ナートはほうりの傍に寄り、そのあたりにある大きめの石にほうりを座らせる。大丈夫かと問うナートにほうりは驚いた様子だ。
「えと、なにが、でしょう……?」
「ちょっと足見せて」
「きゃ、ナートさん!?」
「いいから、わたしの体にもたれて、ほら」
「は、はい……」
石に腰かけたほうりはナートに言われるがままナートへと足を向ける。ほうりの前にしゃがみこんだナートはほうりの足に優しく触れると靴と靴下を脱がしてしまう。
「やっぱり、赤くなってるね……」
「すみません……」
「もう、隠しちゃだめだよ? ネットの世界だからって油断しちゃったのはわかるけどねー」
申し訳なさそうに謝るほうりをナートは優しく注意してやる。靴擦れによって赤くなったほうりの足先をいたわりながら何か絆創膏や包帯代わりになりそうなものは無いかと服のポケットや拡張領域を探ってみるが、利用できるような物は見つからない。当たり前だ、ネット空間で怪我をするなんてこと今まで無かったのだから。そもそも絆創膏を使ったとして、現実のように効果があるのかすらわからない。
(まるで現実みたいに怪我を……これは思ったよりもマズイのでは……)
「ナート様?」
「……ん、何でもないよぅ。痛みはない? 違和感は?」
「もうご心配いりません。歩けます」
ほうりの足に触れるナートの手に、じんわりと汗が滲む。それを悟られないようにすぐさま足から手を放し、ほうりへ痛みや違和感について問いかけるナート。ほうりは何でもないように返答するが、それがやせ我慢の類であると、ナートは察した。
(この子の怪我や病気を隠すクセはまだ直ってないのかぁ……仕方ない)
「じゃあ、はい」
「え?」
「おぶってあげる。ほら乗って」
しゃがんだまま、おもむろに背を向けたナートの様子にほうりはいまいち何をしているのか分からないようだったが、ナートの次の言葉でその恰好が何を示しているのかを理解した。どうやらナートはほうりを背負い、そのまま迷い路を進むつもりのようだ。
「い、いえいえ! そんな失礼な事を……!」
「その脚じゃあ上手く歩けないでしょ? これ以上酷くなったら大変だし、そのまま放置なんてしたらわたしがFSやイナプロの人に怒られちゃうからさ、ほらほら遠慮せずに」
「で、ですが……」
「いいからいいから」
その後もほうりは大した事ないと言ってナートに背負ってもらうことを遠慮していたが、ナートはしゃがんだ格好のまま動くことなく淡々と乗るように言い、最終的にほうりはナートにおんぶされることになった。
重かったら降ろしていいですから! というほうりの必死の言葉を受け流し、ナートはほうりを背負い、彼女の持ち物を指先にひっかけた状態で迷い路を進むことになった。
(当たり前だけど……昔より大きくなったんだなぁ)
背負うほうりを気遣いゆっくりと迷い路を歩いていくナートは確かに感じる彼女の温かさを背に感じながら昔のことを思い出していた。
かつてのナートは自由のない拘束された生活を送っていた。秒単位で決められた作業と勉強の毎日を、自身を押し殺すことで耐えていた。そんな毎日でもわずかに存在する自由時間で、ナートにとって最も心休めることができたのは妹とのふれあいの時間だった。
妹と逢う時間さえ決められていたためそれほど長い時間一緒にいたわけではないが、それでもナートの妹はナートに随分となついていた。幼いナートの後ろを、さらに幼い妹がちょこちょことついてきてはナートの腰にがっしりとしがみついてくるのだ。
安心したように幼い妹はその状態のまますやすやと眠りだす。仕方なく妹を抱きかかえ、寝室に向かうのが妹と遊ぶ時間のお決まりだった。
そして、当時の記憶を思い出したのはナートだけではなかった。ナートに背負われているほうりも、かつて姉と過ごした日々を思い出していた。
(なんだか、懐かしいような……?)
まだ物心付かないような幼い時に記憶した姉の姿。おぼろげな記憶の中にしか居ない、だが確かに居たはずの姉の存在を。その後に続くように溢れ出る姉との楽しかった日々の記憶。
眠気によって視界がゆらゆらする中確かに感じた、温かく大きな背中に背負われていた思い出。暖かさと、優しいにおい。その懐かしい記憶がほうりの口から零れ落ちる。
「お姉ちゃん……」
「え……」
「え? あっ!! も、申し訳ありません! なんだかナート様とこうしていると昔を思い出してしまいまして……」
思わず思っていたことが口に出てしまったほうりは慌ててナートに謝罪する。その後もナートの背の上でわたわたと言い訳をするほうりだが、そんなほうりの様子をナートは気にしている状況ではなかった。不意にお姉ちゃんと言われたことでほうりが自身の正体を察したのかと思ったのだ。あまりにも唐突だったため、ろくな返しも出来ず、幸い背負ったほうりを落とさなかったことにナートは自分自身を褒めてやりたくなるほど安堵した。
そしていまだに焦った様子のほうりに優しく語り掛ける。その声が、震えていないか確かめながら。
「ほうりちゃん、お姉ちゃんが居たの……?」
ナートは慎重にほうりへと問いかける。これまでほうりと接した感じでは彼女はナートの知る知的で穏やかな性格の持ち主であることに変わりはない。だが、それはほうりから姉についての話題がなかったから。
ほうりが姉をどう思っているのか、それをナートは聞きたかった。
(我ながら臆病で卑怯な方法……)
姉であることを告白することもできず、一方的にほうりの気持ちを探る自身の姿に思わず顔が下を向く。次の瞬間にはほうりの口から忌々しそうな声音で姉のことが語られるかもしれない。そう思うとどうしても前を向くことができなかった。
「はいっ! 私のお姉ちゃ……お姉様はとってもお優しい、尊敬する方なんです! 私が幼いころはとても可愛がってくださり、お姉様と居る時間は私にとってなによりも代えがたい時間でした」
だが、そんなナートの思いとは裏腹にほうりは嬉しそうな声で姉のことを語りだした。幼いころの微かでわずかな記憶だろうに、ほうりはその大切な思い出を一つ一つ噛み締めるように語りだす。
「私にとってお姉様はとても大切な方で、大好きな人なんです」
「っ……」
ほうりは自身がどれほど姉を好いているのかを口にする。だが、それはナートにとって何とも居た堪れない言葉の数々であり、彼女の口から姉の賛辞が聞こえるたび胸が締め付けられる感覚に陥った。
ナートは考える。ほうりは本当のことを言っているのか? 今のわたしはほうりにとって只の他人だ。その他人に聞かせるための対外的な言葉として姉を善いように言っているだけではないのか? もし本音であったとしても、ほうりの言葉は……。
(勘違いしてる……わたしは、そんな褒められるようなもんじゃない。わたしは、逃げ出したんだ)
「――ですけど、時々お姉様はお父様と口論になることがありました……お父様は私が知らなくても良い事だと仰られますけど……きっと原因は私にあるのです……」
「えっ?」
「……お姉様は私のことをとても気にかけてくださるお方でした。本来私が行うべき責務、お姉様は私の代わりとなりご自身の自由さえ削ってそれを肩代わりしてくださっていたのです。幼い私にはそんなこと分からず……いえ、分かっておりました。分かっていて、私はお姉様に全ての責任を押し付けて……知らないふりをしていたのです」
まるで胸の内にあるものを吐き出すかのように言葉を続けるほうりの声は苦しそうで、時折言葉が詰まる。ナートに語っているのかそれとも自身に言い聞かせているのか。ほうりを背負っているナートには彼女の顔を伺うことは出来ない。
だが、分かったことはある。先ほどのほうりの言葉は彼女の本音であり、彼女を苦しめる罪悪感だ。本来彼女が持つ必要の無い、無意味な罪悪感であると。
「申し訳ありません……こんな話をナート様にお聞かせするなんて……。なんだかナート様には……いえナート様だから聞いてほしかった、と言いますか……すみません。私自身なんだかよく分からず……」
「違うよほうりちゃん」
無意味な罪悪感を抱くほうりを、ナートは真正面から否定した。それが、彼女に罪悪感を抱かせた本人としての責任だと思ったから。
「? あの、何が――」
「ほうりちゃんは何も悪くないよ。逃げ出したのは姉の方、自分の責任さえ全うできずに、ほうりちゃんに全部丸投げしたんだよ。たとえほうりちゃんが言ったように姉がほうりちゃんの分の責任まで背負ってたとしても、自由のなかったあの場所で、ほうりちゃんは正しかった。逃げ出した姉の方がダメだったんだよ」
感情のこもらない声でナートは断言する。まだ幼く義務やら責任やらの意味もわからなかったほうりにそれらを背負えと言うのは酷だ。そして親はそれを強要した。
ならば姉であるナートがするべき行動は一つだ。
そして、自分でそれらの重しを背負い込んだくせに、耐えられなくなったら逃げ出した。
ほうりは一瞬ナートが何を言っているのか分からなかった。だが徐々にその言葉の意味を理解するとその顔は険しいものに変わる。配信者の先輩であるナートのことは尊敬している。だが、だからと言って姉のことを悪く言われる所以は無い。それが姉の事を何も知らない人物からの言葉ならば猶更。
「なっ!! わ、私のお姉様を侮辱しないで――……あ、れ?」
だがナートの言葉に反論しようとした時、ほうりは既のところでその勢いを無くす。通常ならば怒りの感情のままにナートへ激しい怒気を向けるところだが、聡いほうりは先ほどのナートの言葉に違和感を覚えていた。
ナートはなんと言ったか? 姉が逃げ出したと言ったか。
ほうりは会話の中で一度として現在姉が不在であることを話していない。にもかかわらずナートはすでにほうりの傍から姉が居ない事を知っている。
さらには自身や姉がどのような生活をしていたのかも知っているような口ぶり。
不思議と安心する雰囲気、温かさ、声、匂い。
……懐かしさ。
まさかと思った。もしかしてとも。
息が苦しく、動悸が激しい。心臓がいつになく脈動しているのを感じる。声の震えが止まらず、彼女と触れている体の部分が嫌に意識される。
そしてほうりは、口にした。
「お姉、ちゃん……?」
「……うん……久しぶりだね」