転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#131 暗雲近づく

 塔の管理者によってフィルターの掛けられた札置神社周辺は推進室ほどの技術力があれば強引に突破することは可能だ。

 だが、それでは管理者に捕捉されることになり意味がない。塔の管理者はその名の通り宇宙へと延びる軌道エレベーター上層部である主塔の管理者であり、NDSをはじめとした現代科学の数歩先を行った先進技術を開発した存在なのだ。すぐさまフィルターの破壊を察知され逆探の後に掌握されるだろう。

 そもそもNDSの防壁を突破し、その防壁さえも運用できるはずの管理者が人間の手で突破可能なレベルのフィルターを張っているという時点で罠であることは明白だ。

 

 だから、現在進行形でV/L=F会場を情報的に掌握している張本人でもある塔の管理者に、犬守村へ密かに潜入した灯が見つかるわけにはいかなかった。

 

 

 

「室長、あの子たちはどうですか……?」

 

『今のところ上手く立ち回っているよ。わんこーろが攻性AIを足止め、一般配信者は小さなグループを作りながら迷い路のマッピングを行っている。なこそと寝子は不自然にならないよう全体の流れに気を配り、視聴者のコメントを拾っている。お前からも見えているだろう?』

 

「結節点の維持でそれどころじゃありませんよ……! 犬守村全体との接続も各エリアの中枢との接続が必要だって、知ってないと分からないですよこれ! 一定時間で接続に必要なパスが変更されますし、接続状態を確認し続けないといけないんです」

 

『こんな時のために一通りの接続方法とパスを教えてくれていたわんこーろに感謝だな。推進室経由の接続の場合必要な認証がいくらか省略されているのもありがたい……おっと』

 

「どうかしましたか?」

 

『いやなに、移住者のメッセージがまた届いた。まったくわんこーろの視聴者は有能だな』

 

「移住者さんの中には国のお偉い方もいらっしゃるらしいですよ……。室長見えました、犬守山です」

 

『よし、狐稲利は犬守神社だろう。気を抜くな――待て、何だと!?』

 

「室長? どうしました? 其方で何かトラブルが?」

 

 通信をしている室長の後ろからけたたましい警告音が聞こえてくる。職員が慌ただしく動き回り、その内の一人が室長に耳打ちしているらしい声が灯へと届く。

 

『まずいな……。灯! 乗っ取られたNDSが迷い路周辺から犬守村全体への情報捜索を始めた! 仮想空間への各リンクの検索を行っている。どうやら灯が潜入したのがばれたようだ。新規で犬守村へ出入りしたログデータも漁っているらしい』

 

「! 私の場所がバレて……?」

 

『まだ正確な位置までは割れていない。犬守村全体のスキャンと言っても村の構造物はすべて情報の詰まった膨大なデータ群だ。それらをすべて解析するのはさすがに時間がかかる。灯はとにかく動いて位置を固定させないようにしろ。違和感のあるものには近づくな』

 

 管理者が灯の存在を見つけ出すために犬守村全土に捜索用のAIを解き放つ可能性があると灯に注意する。九尾ほどではなくとも管理者の息のかかったAIとなればこちらの手に負えないようなものが差し向けられる可能性もある。

 

 その室長の予感は正しいものだった。管理者は結節点たるわんこーろのリンクを剥がし、孤立させた。にもかかわらず配信者たちは連携して行動しているように見えることを訝しみ、何かしらの方法で各人が連絡を取り合っているのだろうと予測した。

 

 そしてその結果、管理者による捜索は室長の想像以上の規模となって灯を襲おうとしていた。

 

「あ、あれは……」

 

『どうした、何が見える?』

 

「雲です……まるで現実の雲みたいな黒くて気持ち悪い雲が……」

 

 犬守村はそれまで秋の高い空が広がっていたはずなのに、突然北の山向こうからどす黒い雲が空を覆いつくさんばかりに広がっていく。それは徐々に南下し、灯のいる場所まで迫ってきている。

 

 これまで犬守村で雨雲や雷雲といった分厚く暗い雲の姿を見たことのある灯であったが、迫る雲はどの雲とも違う、まるで劣化した油のように重く鈍い。光を通さないその姿は本当に雲かと思ってしまうほど。

 

 よく見ればその雲は何か黒いものを雨のように降らせながら南下してきている。降りしきるその何かは真っ黒な立方体で、細長い針金のような手足が延びている。その姿に灯はサルベージ作業の折に何度も見たとある存在に酷似していることに思わず声を漏らす。

 

「なんでバグが……」

 

『……管制室の管理空間周辺の集積地帯を呼び寄せたか。NDS経由でバグを犬守村へ送り込んでいるようだな……!』

 

「そんなことが!?」

 

『とにかくその雲に捕まるな! 逃げるんだ灯!』

 

 確実にこちらへとバグの雨を降らしながら近づいてくる雲。その様子からまだ灯の位置情報はバレていないらしい、でなければあのような犬守村全体にばら撒くような無駄な方法で攻撃する意味が無い。おそらくばら撒いたバグで灯の位置を捕捉し、攻撃するつもりなのだろう。

 

(怪我をしてる狐稲利ちゃんの居る犬守山には行けない……! 山から離れないと……)

 

 灯は当初わんこーろの言葉通り狐稲利の元へ向かおうとしていたが、北の山から降りてくる黒い雲の様子からそれは悪手であると感じ、逆に犬守山から遠ざかる選択を取った。狐稲利がどの程度の怪我をしているのかもわからず、もしかしたら動くこともままならない状況の狐稲利の元に大量のバグを押し付ける結果になるかもしれない。

 目の前の犬守山に踵を返し来た道を駆けていく灯。目的地は無いが広いわたつみ平原へと逃げれば時間は稼げるのではと思った灯だが、それ以上のスピードで黒い雲は灯の頭上を覆い隠してしまう。

 

「うっ!」

 

 上空より降り注ぐ数えきれないほどのバグ。それらを避けながらも道を進んでいく灯だが、さすがにすべてを無視して進むことは難しい。一際巨大な個体のバグが灯の眼前に降下し道を塞いでしまう。思わず足を止めてしまう灯の周囲を黒い立方体の群れが隙間なく囲んでいく。

 

 顔も体もなく、ただ無機質な黒い立方体に細長い手足が付いているだけの異様な姿のバグが、灯の周りにぞわぞわと蠢いている。虫がアゴを鳴らすようなギチギチという異音が響き、それが灯の焦りを加速させる。

 

『灯!』

 

「大丈夫ですっ!」

 

 そしてバグの一体が灯へ飛び掛かるが、それを灯は難なく回避する。バグの動きは緩慢で飛び掛かる際に予備動作も大きく避けることはそれほど難しくない。今までサルベージ作業の為に集積地帯へ何度も入り込んだ事のある灯にとって見慣れた攻撃方法だった。

 

 だが、それでもこれほどの数は見たことが無い。管理者が効率的に集積地帯のバグを集め犬守村に送り込んでいるのだろう。連続的な攻撃は徐々に灯を取り囲む円を小さくしていき、このままではバグに飲み込まれるのは時間の問題だ。

 

(大丈夫です……わんこーろさんに教えてもらったんです……! こんな時のために!)

 

 灯はバグを受け流しながら自前の拡張領域からとある道具を取り出した。灯の手に収まらないほどに大きく、朱色に色付けされた柄部分を握りしめ、揺れる白い紙垂が目立つ。鈍色の光を反射する二枚の刃、それが重なるように固定された道具で、和鋏と呼ばれるものだった。

 この和鋏はわんこーろの創った裁ち取り鋏を灯が人間の技術力で再現してみせたものだ。さすがに裁ち取り鋏ほどの能力を付与することはできなかったが、それでもデータの初期化と破壊の能力についてはわんこーろのお墨付きを貰った一品だ。集積地帯などで凶悪なバグの対処を行う時の為に制作されたそれを灯は目の前のバグに向かって振りかぶり、突き刺した。

 

「推進室の情報担当、白愛灯を! 舐めないでくださいっ!!」

 

 勢いよく突き刺された和鋏はそのままバグの制御中枢を貫き破壊、初期化し跡も残さずに消し去る……はずだったのだが。

 

「え!? うそ!?」

 

(これ、防壁!? でもなんで、貫けないの……!?)

 

 バグに突き立てた和鋏は接触する直前に半透明な板のようなものに阻まれてしまう。どれだけ押し込もうとしてもそれ以上鋏が動くことは無く、その硬直状態を狙ってバグが灯に殺到する。

 

『ただ集積地帯を管理空間に座礁させただけでは無いようだな……! バグを改良して防壁を展開出来るようにしただけでなく知能も攻撃性能も専門企業の開発物と遜色ない! 防御より回避を優先するんだ!』

 

「で、ですが……」

 

 すでに大量のバグに囲まれている状態、どれほど回避してもこの包囲網を抜け出せなければ意味がない。

 最初は回避できていたが、徐々に縮まる円は灯の回避を困難なものにしていき、そしてとうとう灯は眼前に迫るバグに対応することが出来なくなる。一体でも数を減らそうと振った和鋏は頑強なバグの防壁に弾き飛ばされてしまい、もう灯には打つ手がない。

 

 和鋏による攻撃が無効化されたことで灯に反撃の機会はなくなってしまった。このままバグに群がられればどうなるかわからない。強力なウィルスを内包したバグも混じっているだろう。そんな中で灯は目の前に迫るバグの姿を見て、その攻撃が自身に直撃することを悟る。

 

(あ、これは当たる……)

 

 

 だが、体勢を崩した灯の手を取り、後ろに引っ張る人物がいた。その者のおかげで灯はバグの直撃を避け、その者の腕の中に収まった。

 

「……」

 

「こ、狐稲利ちゃん……」

 

 その者とは、狐稲利だった。体中あちこちがボロボロで灯以上に満身創痍であるはずなのに、狐稲利はいつの間にかバグの包囲網の中に入り込み、灯の体を守るように抱き、その手には弾き飛ばされたはずの和鋏が握られていた。

 

「あかりー無事ー?」

 

「は、はい」

 

「んーよかったーそれじゃあ……」

 

 二人の会話を遮るかのように飛び掛かるバグ。狐稲利が横なぎに和鋏を振るって迎撃しようとする。

 

「あかりはねーわちるたちのおかーさんなんだよー? だからねー」

 

 当然防壁によって和鋏の攻撃は通らない。だが、それは和鋏の能力では防壁を破れない、というだけの話だ。それを振るう狐稲利はわんこーろと同等の能力をもつ電子生命体だ。和鋏との簡易的なリンクを利用して、狐稲利自身の持つ能力を伝達させる。それだけで和鋏に接触した防壁を破壊し、二撃目でバグを完全に破壊し消滅させる。

 

「……さわったら、許さない、よー?」

 

(こ、狐稲利ちゃん、怒ってる……?)

 

 狐稲利は灯を現実世界の"友達"の中でも信頼できるお姉さんとして認識しており、仲のいいFSの母的存在だとも思っている。そんな灯を害する行為を見れば、それは確かに怒るのも無理は無い。相手が犬守村出身の生物で無いことも相まって狐稲利は完全に目の前のバグを排除すべき敵だと判断したらしい。

 

「んー……ほいっ!」

 

「だめ狐稲利ちゃん! その鋏じゃ……って、砕いた!?」

 

 和鋏は多数のバグに対処できるほどの力は無い。だが狐稲利の能力が上乗せされたことでその力は裁ち取り鋏に迫るほどとなっていた。和鋏単体では破壊できない防壁を破壊し、二撃目でバグを破壊する。

 対処に二度の動作が必要ではあるが、それまで全くバグに攻撃が届かなかった事を考えれば破格の威力といえた。

 

「あかりーこっちー!」

 

「狐稲利ちゃん!? そっちは犬守山ですよ!?」

 

 包囲網を抜けながら狐稲利に手を引かれ灯が進む道の先には犬守山の姿が見える。先ほどまで灯が引き返していた道だ。

 後ろには数え切れないほどのバグが追いかけてきているが、それよりも狐稲利の足は速い。その上犬守村の地理を事細かく把握している狐稲利なら灯の手を引きながらでも十分バグを引き離せる。

 

 だが、それでも上空の黒い雲から逃げ切れるほどの速度は無く、容赦なくバグが降り注いでくる。直撃コースのバグは狐稲利が切り払うが、足元にまとわりつくバグはそうはいかない。足をもつれさせる灯を狐稲利がひょいと抱え、二人は犬守山の入り口である鳥居の前まで到着した。

 

「きゃ!?」

 

「おねがいー」

 

 そして、大地と空の両方から迫る大量のバグを前に、狐稲利は灯の体を横にして抱えたまま、その鳥居をくぐった。

 

 その瞬間、まるで暴風雨のような激しい衝撃が犬守山より吹き下ろされる。木々を大きく揺らし地に落ちた紅葉を巻き上げて、その嵐は鳥居をくぐって狐稲利と灯を追おうとしていたバグを飲み込んだ。

 

 その嵐と表現できるほどの"何か"は狐稲利たちが犬守山へ帰ってくるのを待っていた。"何か"はこの山から動くことが出来ないからだ。それを知っていたからこそ狐稲利もわざわざ犬守山へ立てこもることを選んだ。

 

 その何かとは、犬守山全体を管理し、中枢として機能し、本気を出せば山一つを覆うほどのとぐろを巻ける存在。だが、暴走状態だった時ならいざ知らず、現在は中枢であるため山のエリア外へ出ることが出来ない存在。

 

 その何かは待っていた。狐稲利がこちらへと向かい、そしてエリアの境界である鳥居をくぐる瞬間を。

 

 そして、その瞬間はようやく訪れた。

 

 

「こ、この子って、やた様!? す、すごい……管理者の防壁を破壊するなんて」

 

 唸る轟音とともに出現したやた様は目の前のバグを大きく開いた口で丸のみしてしまう。その前にはバグの展開した防壁など意味をなさず、次々とやた様の腹へと収まっていく。

 何やらやた様のお腹からバキバキと何かを破壊するような音が聞こえてくるが……。

 

「やたさまの大好物なのー」

 

『いや、そういう意味では……』

 

 バグの持つ防壁がどれだけ最新鋭のものであろうと防壁という概念である以上、それはやた様にとってはただの食べ物に過ぎない。狐稲利では防壁破壊と本体破壊の二度のアクションが必要だったが、やた様ならば丸呑みのワンアクションで大量のバグを破壊することが出来る。

 

 犬守山のエリア内に居る限り、やた様による防衛能力は維持され、灯の安全は保証される。

 

「ホントはねーおかーさのところ、行きたいのー。でも、おかーさ頑張ってる! 私も、私が出来ることを頑張らなくちゃって、思ったのー。ずっと、おかーさに守られてたら、いけないって思ったのー!」

 

「狐稲利ちゃん……」

 

 山を登り犬守神社へゆく途中、狐稲利は自身の胸の内を語り始める。わんこーろに戦場からここまで飛ばされたことで、最初は悲しい気持ちに包まれていた。足手まといだとわんこーろに言われたような気がしたのだ。

 

 だが、すぐにそうではないと理解した。もしわんこーろと狐稲利の立場が逆ならば、きっと狐稲利も同じように、大切な母親を逃がしていただろうから。

 そして逃がされた自身がすべきことを考えた。迷い路という管理者に監視されているエリアから逃げ出すことができた。それはわんこーろには無いアドバンテージだ。比較的自由に動くことが出来る今、何をすべきか。

 

 それを考えている時、狐稲利は犬守山へと向かう灯を見つけたのだ。

 

 

『灯! 管理空間周辺の集積地帯が集まってきている! 第二波が来るぞ!』

 

「私が何とかするからーあかりはみんなをお願いー。行こっ、やたさま!」

 

 室長の通信を聞いた狐稲利は灯を犬守神社の中に居るように言い、やた様と共に犬守山の麓と空を取り囲む無数のバグとの防衛戦へと向かっていった。

 

(狐稲利ちゃん、あなたはもう守られるだけの存在じゃあないです。だって、今私はあなたに守られている……! 誰かを守れる、あなたは母親(わんこーろさん)そっくりです)

 

 そんな狐稲利を見送りながら灯は一人、犬守神社で狐稲利の、わんこーろの、すべての配信者達の無事を祈りながら結節点としての責任を全うしようと決心した。

 


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