転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#136 到着

 

 犬守村の北東に広がる北守山地、その山奥に存在する札置神社。一見するとそれなりに大きいだけの神社という風だが、一度その入り口である鳥居をくぐると視界に収まらないほどの広大な迷い路が延々と広がっている。

 

 札置神社は犬守村やわたつみ平原のように一つのエリアとして機能しており、このエリア内の空間そのものを数倍にまで拡張しているのだ。その結果、迷い路の最深部に位置する札置の境内だけでも犬守山一つ分の面積を誇り、それは巨大な九尾を閉じ込めるには好都合な空間だった。

 

「ん~~思ったより巧みですね~生まれたばかりなのに3Dモデル形成の技術がパないです~でも」

 

 札置神社の境内で対峙する九尾とわんこーろは互いに視線を合わせてはいるが、双方の状況は何とも対照的だった。九尾は周囲に漂う瓦礫を初期化し、自身が自由に操作出来る狐火へと変換、攻撃手段としているがそれはわんこーろの干渉によって無効化され、あちらの攻撃手段とされる。

 的が小さいことでまともに攻撃を直撃させることも出来ず、だからといって最初のように咆哮による広範囲の初期化などは行おうとはしない。

 

「やっぱり複数の動作を一度に処理は出来ないんですね~」

 

 水を生み出し操作することで炎を消し、氷塊や邪魔な瓦礫を紅葉へと変える。それらをワンアクションで行うわんこーろに対し、九尾はわんこーろのツール由来の初期化や3Dモデル形成に関する能力を同時に使うことが出来ないようだった。

 

 九尾が出現した時は混乱によって九尾の能力がどの程度なのかまだ解析出来ない状況だったが、ここまでの戦いでわんこーろはその能力がどの程度なのかを把握し始めていた。

 

「不意打ちなどを利用すればまあ、最初のように上手く立ち回れたかもしれませんけども~時間がかかればかかるほど厳しくなりますよ~?」

 

 九尾が全方位への初期化能力をもう一度行使したところで一度目のような動揺は誘えないだろう。出来たとしても初期化の能力をわんこーろによって初期化されてしまう可能性もある。

 それに、初期化の能力と他の能力は同時使用できないため一度初期化した3Dモデルのポリゴンが周囲に漂うことになる。わんこーろほどの存在ならば、九尾が次の能力を使う前に、その初期化されたモデルに干渉し消去するか自身の攻撃手段に変換することが出来るだろう。それが分かっているから、九尾は最初のように無暗に初期化能力を使うことができなかった。

 

「かしこいですね~……それとも、あなたに指示を出している方が、でしょうか~?」

 

 わんこーろの体はボロボロだ。髪の毛も乱れているし、服はもちろん、肌も怪我や煤で見るに堪えない。だがその顔は余裕を持った笑みを浮かべ、美しい翡翠色の瞳から輝きは失われていない。

 

 わんこーろは自信を持ってそこに立っていた。自らの力にではなく、自らを支えてくれるすべての人々の信頼と力を信じているから。決して挫けることなく、どのような状況からでも前に進む力を生み出すことこそが、人間の眩しく映る姿だと知っているから。

 

「あと二十分ほどですか~。まあ、別にいいんですけどね~」

 

 死角から接近する炎や瓦礫はそのままわんこーろへ直撃する前に初期化され真っ白な立方体に変化する。3Dモデルに与えられた性質はおろか物理法則の類さえも完全に初期化され、そこにあるのはただの空のデータだけ。わんこーろが、ふう、と一息するとそのモデルは音もなく光の粒子となって消えていく。

 

 九尾によって各配信者とのリンクが途切れたままではあるが、この空間を飛び回っている内に周辺の空間情報を取得していたわんこーろはこの一帯の空間の権限を取り戻しつつあった。

 

 一時的な上、取り戻せた空間はまばらで限定されているがその範囲は徐々に拡大しており、それを九尾は阻止出来ないし、わんこーろによって奪い返された空間の管理者権限も取り戻せない。これまでの戦闘で取得した情報を用いて九尾の仕様を把握していたわんこーろにとって、対象の干渉が及ばないシステムの構築を行うことはそれほど難しい作業ではなかった。

 もちろん、九尾と対峙しながら並行してそのような作業を行えるほどの余裕を得られたのも、今頑張って迷い路を進んでいる配信者たちを信頼しているからだ。

 でなければ制限時間残り二十分という差し迫ったタイミングでここまで自然体でいられるわけがない。

 

「さあ~次はどうしますか~いくらでも受けて立ちますよ~」

 

 ゆるやかで穏やかなわんこーろの声音とは裏腹にその佇まいはなにものも寄せ付けない絶対的な上位者としての雰囲気を纏っていた。

 九尾は塔の管理AIによって操作された高性能の攻撃用AIだ。その能力はあらゆる防壁を突破し食い破るだけのポテンシャルがある。知能も高く、並のハッカーなど足元にも及ばないだろう。

 

 だが、九尾の目の前に居るのはそのような有象無象とは訳が違う。完全なる情報の集合体にしてネット世界を自由自在に泳ぎ回り操作することの出来る電子生命体なのだ。

 

 その電子生命体が手ずから生み出した犬守村という空間で、そもそも戦うことは無謀でしかなかったのだ。

 

 

「……ん~? これは~……」

 

 余裕を取り戻したわんこーろは九尾の攻撃を片手間に対処し、奪われた空間の奪還に全力を注ぐ。もはやわんこーろをどうこうできるタイミングは失われた九尾だが、その動きはわんこーろの隙を見つけようとする目ざとさがあった。

 

 九尾は考える。もしもわんこーろがただの効率を追い求めたAIのような、人の心を持たない電子生命体ならばそんな隙などあるはずが無い。だが、わんこーろがわんこーろだからこそ、必ずやチャンスはある。わんこーろの余裕が、油断となって現れるタイミングが必ずあると粘り強く攻防を繰り返していた。

 

 だが、その行動はある瞬間からがらりと変化する。

 

 先ほどまでの慎重かつ冷静な行動をとっていた九尾が激しく暴れ出したのだ。わんこーろの死角を狙う攻撃は出鱈目な軌道を描き、その賢さから控えていた咆哮による初期化もひっきりなしに行っている。

 

 突然の破れかぶれな攻撃の嵐にわんこーろは既視感を覚える。そう、このような戦略性も何もないただの物量で押し切ろうとする存在とわんこーろは二度戦っている。

 

(……管理者とのリンクが切れかかっていますね! 制限時間は残り十分程度! 今のうちに石柱にアクセスすれば……!)

 

 だが、それほど上手く事は運ばない。相手はただのAIではなく、かの塔を支配する管理者なのだ。

 わんこーろが暴走状態の九尾の攻撃を掻い潜り、守っている石柱へ手を伸ばした瞬間、先ほどまで滅茶苦茶に動き回っていた炎や瓦礫が、わんこーろ一点を狙って殺到する。

 

(囮!? しまっ――)

 

 すでに石柱に内包されたダウンロード中の実行ファイルに干渉するつもりだったわんこーろはその攻撃を回避することが出来ない。目の前の石柱が邪魔で退路が制限され、周囲はすでに九尾の攻撃によって埋め尽くされており、それがすでにこちらに迫りくる状況。

 

 九尾の暴走はわんこーろの余裕から油断を生み出すための演技だった。それにわんこーろは気付くが時すでに遅く、わんこーろに逃げ場はない。

 

 さすがのわんこーろも顔を歪ませ、やってくる衝撃に耐えるよう目を固く閉じる。が、その必要はなかった。

 

 九尾を足止めすれば必ずやってくれる。そうわんこーろは配信者たちを信頼しているように、配信者たちもわんこーろなら九尾を押しとどめてくれると信頼していた。両者が両者を信頼し、そして必ずやり遂げてくれると信じていた。

 

 

 だからこそ、それは奇跡でも偶然でもなんでもなく、ただ純粋な、努力による結果だった。

 

 

 

 

「わんこーろさんっ!!」

 

 声が響く。

 

 その声はわんこーろの元へと確かに届いた。聞きなれた、とても愛しい者の声だ。決して聞き間違えるはずがない。

 

 配信者と現実世界とをつなぐ通信回線にわんこーろは含まれていない。だからその声がわんこーろに届くはずが無い。

 もし届くとするならば、それはわんこーろへ声が届く場所へと声を上げた者が到着した事を意味している。

 

「わんこーろさんっ! 助けに来ました!!」

 

 わんこーろは目を開き札置神社の入り口、つまり迷い路のゴールに立つ人物を見た。

 

 移住者数十万人を動員しても踏破できなかった難攻不落の迷宮、札置の迷い路。それを僅か二時間という短すぎる制限時間をものともせず踏破して見せたその人物は、高らかに裁ち取り鋏を掲げ、黒い翼を翻しわんこーろに笑みを向けた。

 

 

「わちるさんっ!」

 

 

 その時、九炉輪菜わちる、および複数のヴァーチャル配信者は札置の迷い路の完全踏破を成し遂げた。

 

 


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