転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
早朝、まだ太陽も顔を出していないような時間であるにもかかわらず、狐稲利は布団の中で目を覚ました。いつもならばわんこーろの作る朝ごはんの匂いに誘われるように起きる狐稲利だが、今日はわんこーろさえもまだ寝ているような時間帯に起きた事に、狐稲利自身も何とも不思議な気持ちでいた。
「んぅ……さむい……んん~?」
まどろみの中で狐稲利はどこか遠くで響く、聞いたことのない音を聞いた。何かが擦れているような、砕けるような、緩やかでありながら崩れていくような音は、確かに犬守村のどこかで鳴っていた。
だが、それ以外の音は聞こえてこない。鳥のさえずりも、風が草木を揺らす音も。
それが狐稲利にはとても不思議な感覚だった。まるで犬守村ではない、それこそ音という概念が存在しないネット空間のような、何とも寂しい感覚を覚えた。
「んん……」
まだ寝ぼけている狐稲利はしばらくして布団から抜け出し部屋を出る。ゆっくりと、まだ寝ている母親を起こさないように注意しながら。そして前日の夜に見た雪時雨の光景を思い出しながら期待を胸に庭へと視線を向ける
「うんしょ、うんしょ……、おおー!」
障子戸を開け、雨戸をズラし、そして庭の様子を確認した狐稲利は思わず感嘆の声を上げる。それ以外にその光景を表現する事が難しい、それほどまでに外の景色はとてつもなく美しく、狐稲利の感情を掻き立てた。
犬守村は植物の萎えた寂しい冬の光景から、白銀の世界へと一変していた。わずかに顔を見せ始めた日の光により、美しく輝く白く積もった雪があらゆるものを覆い隠し眩しく映っていた。
まだ時期が早いからか、その積雪量はそれほどではなく、狐稲利の足首程度までしかなかった。それでもまだ、ちらちらと軽く降り続けている様子から今後も犬守村へ雪が積もり続けるだろうと予想できた。
「お、おかーさ……。……ううん。えと、えと……」
思わずその光景に、横で寝ていたわんこーろを起こそうとする狐稲利だが寸でのところで思いとどまる。昨日もなにやら推進室の室長と夜遅くまで話をしていたらしい母親を、自身の勝手で起こすのはためらわれたため、次善の策を実行に移すことにした。
「えと……たしかこうして……え~と……」
【狐稲利です。はいしんします。ゆき見に来て】
「こんな感じでいいかなー? えーと、配信するには~……」
なんと狐稲利はわんこーろのメイクアカウントに自身の名前で呟き、配信の開始を宣言。早朝の何の告知も無い突然のゲリラ配信、それも狐稲利からの告知という珍しさから早起きな移住者たちが困惑しながらも反応を返す。
わんこーろより事前に配信方法を教えてもらっていた狐稲利はたどたどしくも設定を終え、配信を開始した。このような時の為にわんこーろは狐稲利に一人で配信が出来るように一通り設定のやり方を教育されており、もちろん自由に配信することも許可されていた。
かつてわんこーろの寝顔を全世界に配信してしこたま怒られた狐稲利だが、それでめげないのが狐稲利だ。
「みんなーおはよー狐稲利だよー。えと、電子生命体のヴァーチャル配信者ー狐稲利ですー」
『おはよー狐稲利ちゃん』『いきなり来たからびっくりしたw』『ちゃんと挨拶出来てえらい』『でもちょっと声小さくね?』『わんころちゃんはまだ寝てるの?』
「うんーだからちょっと小声なのー。あのね、あのね、ゆきが積もったのーだから見せたくてー」
そういって狐稲利は移住者をじらすことなく雨戸を開け放ち、その向こうに見える雪景色を配信画面いっぱいに映し出した。
『うおおおお!? すっご』『眩し! 白すぎる!?』『うわマジでこんな真っ白になんの!?』『教育映像でもこんな一面雪景色とかみたことない……!』『ヤバすぎだろ……初めてみた……』『これが雪か…』
移住者の反応に満足そうに頷く狐稲利は庭へと向かい、そのままぴょんと縁側から飛び降りた。白い息を漏らし、配信画面へ振り返った狐稲利は移住者へと問いかける。
「それじゃーみんな、行きたいところとか、あるー?」
狐稲利の一言でコメント欄は勢いよく流れていく。にこにこと微笑みながらそのコメントを見る狐稲利は、視聴者の要望を見ながら何処に行こうかしばらく頭を悩ませる。並行して外に出る準備を終え、狐稲利は銀世界へと駆けだした。
雪の積もった道を踏みしめ、狐稲利はざくざくと音を立てて足跡を残していく。まだ小さく、歩幅も狭いその足跡は、狐稲利が初めて雪という現象を体験した確かな証だった。
その足跡は犬守山を下りるまでは比較的まっすぐであったのに、田んぼ跡まで来るとその歩幅はまるで飛び跳ねているかのように広くなり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しなく動き回っていた。田んぼの上に積もったまっさらな雪の絨毯の上には大の字に倒れたであろう形跡さえある。
「あはははーーー!! ねーねーいじゅうしゃー! ゆきって冷たいんだよーー!」
『そりゃそうだwww』『すっごいはしゃいでる狐稲利ちゃん久々に見たw』『もう全身雪まみれじゃねーかw』『これまたわんころちゃんに怒られるんじゃね?w』『まあ楽しそうだからいっか!』
「んふー! こうやってねー雪をかためてねー……雪だまー。とりゃー」
『うおっ!?』『ちょ、配信画面に投げないで!?』『雪で前が見えんwwww』『狐稲利ちゃーん!? どこー?』『雪玉連射しないで!?』
「んふふふふーー! 次はあっちー! あっち行こー? ついてきてー!!」
『まって狐稲利ちゃん!』『配信画面が追い付いてないのよw』『草生やしてる場合じゃねえぞw』『この道は……わたつみ平原かな?』『雪で景色が様変わりしてっから全然わからん』
ひたすら楽しそうに配信を続ける狐稲利は冷たい風がやってくるわたつみ平原へと向かっていく。
わたつみ平原は晴れの日は綿花などの植物が自生する
晴れと雨の日で姿が変わるその平原は、果たして雪の日はどうなるのか?
そんな疑問の答えを知るべく狐稲利は移住者を置いてけぼりにしてどんどん道を進んでいく。そして到着したわたつみ平原は、狐稲利の期待通りの姿へと変わっていた。
「わあーー!!! みてみていじゅうしゃー! こおり! こおりだよー!!」
『おおお!? 海? だけど凍ってる!?』『すご……海の上が凍ってるのか』『これは壮観だな……』『いやマジですごい……海の向こうまでずっと氷が張ってるのか』
海となったわたつみ平原はその表面に分厚い氷を張り、青白く濁っているように見えた。氷の表面はうっすらと雪が積もり、それが風にあおられて巻き上げられていく。所々氷のつなぎ目であろう白い線がはしり、それらが顔を出し始めた太陽に照らされてまるで鏡のように光を反射する。
「んう~まぶしい! つめたい! きれい! ……んふ~? いじゅうしゃーあれ、なにー?」
どこまでも続く氷の世界は見渡す限り平らに続いており、その姿は起伏のある犬守村では珍しい光景だ。いつも犬守村を散策している狐稲利でさえ、そんなまったいらな氷の世界を見たことはない。
まさに、冬の間だけ見ることの出来る幻想的で神秘的な光景といえるだろう。そんな様子に終始興奮しっぱなしの狐稲利はしきりに遠くまで続いている氷の水平線を眺めていたのだが、とある場所でその視線が停止した。
それは海のど真ん中、何もないはずの氷上になにかが"生えている"。
遠くからは、まるで植物が地面から生えているように見えなくもないが、こんな季節の、こんな場所に植物が生えている訳もない。そのよくわからないものは氷の上に蛇行した線を引くように続き、海の向こうまで続いていた。
『なんだろ? 雪の塊?』『にしてはおかしいだろ。なんであんな海の真ん中に?』『たしかに。雪が積もったとしてもあんな何もない場所にかたまって積もるとは思えんな』『怪しい……』『危険?』
「んん~~? 行ってみる? いってみる!」
『ちょっと待って狐稲利ちゃん!』『危ないよ!? 氷が薄いところもあるかも!』『ストップストップ!!』
「ん~……わかったー……。でも、あれってなに、かなー?」
氷の上を歩く狐稲利はそのまま不可思議ななにかの正体を掴もうと沖へと歩いていこうとするが、すぐさま移住者からの制止が入る。渋々であるが立ち止まった狐稲利はそれでも不思議そうに首を傾げ、氷の上に造られた"道"を見つめていた。
「あれはですね~"御神渡り"ですよ~」
「んふっ!? おかーさ!」
『わんころちゃんの声!』『よかった……これで安心だぁ……』『狐稲利ちゃん一人はやはりひやひやするよ……w』『保護者きた!』
いつの間にか狐稲利のうしろ、配信画面の外から顔を出したわんこーろは雪と氷で滑りやすい海上を注意しながら歩いていく。配信画面に手を振りながら狐稲利の元へとたどり着くと、その手を取りしっかりと繋ぐ。
「あ~も~、またこんなに手を冷たくして~。今度てぶくろ作ってあげますから~」
「んう~おかーさの手あったかいー……。ねーねーおかーさ、あれって"おみわたり"って言うのー?」
「ええ、そうですよ~。御神渡りと言うのはですね~簡単に説明すると~湖などに張った氷に亀裂が入ってせり出す現象の事なんですよ~それが湖水などの滲出の影響で大きく成長して~このような氷の生えた道のような形になるわけです~。不思議ですよね~その姿から神様の通り道なんて呼ばれていたんです~」
わたつみ平原で起こった氷上の自然現象、御神渡りは狐稲利とわんこーろがいる地点から海の中心を目指すように蛇行して延びている。氷と氷が収縮によりぶつかり合い、上へとせり出し、さらに亀裂の隙間よりにじみ出る海水によってそのせり出した氷は大きく成長している。
狐稲利が早朝聞いた何かが砕けるような音とは、この氷の収縮によりせり出した氷が御神渡りとして現れる時の音だったのだ。
「へえ~なんだかふしぎー」
『御神渡りか、初めて聞いた』『ちょっと調べてみたけど、これって湖限定じゃないのか』『有名なのは湖で発生してたものっぽいけど、海はどうなんだろう?』
「わたつみ平原は現実の海よりは狭いですからね~雪が降るとこんな感じで全面氷結するようになっているので~おそらく御神渡りは頻繁に発生すると思います~」
「おかーさーこれってどこまで続いているのー?」
「ん~? これはですね~。その名の通り御神渡りですからね~……。どうせなら何処まで続いているか見に行ってみましょうか~。大丈夫ですよ~わんこーろの歩く場所は安全ですから~」
狐稲利の手を引っ張り、わんこーろは御神渡りの先、海の向こうへと進んでいく。まるで氷上を滑るように進んでいく二人に追随するように配信画面が追い、風景が気持ちのいいスピードで流れていく。
『これが自然にできるってのが信じられんな』『むしろ自然じゃないとこんな感じに蛇行しないんじゃ?』『それは分かるんだが、何というか……自然ヤバいなという感情が理解を拒否するというか……』『分かる。人間が計算して造ったものなら納得できるけど、自然がこんな巨大で大規模なもん作り出したら脳が混乱するわ』
「んふふ~移住者さんが感じているその感覚こそが~かつて人が自然の風景や現象に神様を見出した感覚なのかもしれませんね~。さて、みなさん~御神渡りの終着点が見えてきましたよ~予想されていた方もおられるかもしれませんが~文字通り御神渡りなのですから~その終わりは当然ここですよね~」
「おおー塩桜神社ー」
神様の通り道とも言われる御神渡り、その終着地点にあったのはこのわたつみ平原の中枢であり、平原の中心に位置する神社である
海に沈んだわたつみ平原であるが、丘の上に造られた塩桜神社の敷地だけは小島のように海から顔を出していた。その小島より下に造られた、半ばまで海に沈んでいた鳥居をくぐったあたりで御神渡りの亀裂は止まっていた。
『この光景すごいな!』『本当に神様が神社に入っていったみたいに見える……!』『こんなことあんのか』『やべ、写真とっとこ』
まるで御神渡りがそのまま鳥居を通って神社の中へ入っていったかのような光景。人が作り出した神社という建造物と、完全なる自然現象である御神渡りが合わさった本来不自然なはずの光景は、人の理解の及ばない神様の存在を感じさせるに十分だった。
「……ねーねーおかーさ、かみさまって、本当にいるのー?」
「……そうですね~。いると言えばいますし、いないと言えばいない、かもですね~」
「ん~?」
わんこーろの曖昧な言葉に狐稲利は首を傾げ、うんうんと唸っている。そんな様子を微笑ましそうに見守るわんこーろの視線は遠く遠く、わたつみ平原のさらに向こう、幽世の入り口である霊山へとむかっていた。
広大な山地の雄々しさや、荒々しい河川の暴れるさま、植物の萌ゆる太陽の暖かさと、命さえも凍てつく寒さ。それらに人知を超えた何かを感じるのならば、それはその自然の姿に神様の存在を見出しているからではないだろうか。移住者や、狐稲利が御神渡りに畏怖に近しい感情を抱いたように。
この国では様々なものに神様が宿ると言われている。それは畏怖を抱く自然現象だけでなく、ありとあらゆる動植物、無機物にまでおよび、それが自然の厳しさを人々に伝え、物を大切にするという考えを育んだ。
故に、神様を信じるのならば、ありとあらゆるところにいると言える。
そんな意味でわんこーろは先の言葉をもって狐稲利の質問の答えとしたのだが、移住者は全く別の答えを出してくる。
『神様なら目の前にいるんだよなぁ』『創造神わんころ』『マジでやってることは神様なんだけど見た目はただの幼女なんよ』『神様はいるよ? インターネットで見た』『私が神だ』『おまえだったのか』『神様!彼女ください!』『それは神の力を超越した願いだ……』『草』『わんこーろが神なら狐稲利ちゃんも神では?』『狐稲利ちゃん神の自覚を持ってください!』『理不尽で草』
「皆さんの神様のイメージ偏ってますねぇ~」
「? わたしも、みんなもかみさまじゃないよー? わたしはわたしでーいじゅうしゃはいじゅうしゃだもんー」
狐稲利の言葉に先ほどまでふざけていたコメント欄の神々は一斉に移住者であることを肯定していく。そのあまりにも統率の取れた様子に、思わずわんこーろも笑い出してしまうのだった。