転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#155 集積地帯

 

 かつてこの世界では様々な娯楽が生み出され発展していたのだが、それは環境悪化や資源枯渇に端を発する効率化社会によって不要のものと切り捨てられた。今のネットワークの奥底では当時切り捨てられた数多くの娯楽や文化、伝統風習といったものが浮遊し、風化しながら確かにそこに存在していた。

 

 それらは寄り集まり、ネットの海に小さな島を生み出した。その島は周囲で浮遊するありとあらゆるものをからめとり、そしていつしか巨大な仮想空間へと成り立っていった。

 歪で、混沌としながらも絶妙なバランスで存在するその巨大な空間は、いつしか空間を蝕むウィルス達の巣窟となった。そんなウィルスに惹かれるようにして壊れたアンチウィルスソフトが集まり、それに対抗するようにアンチアンチウィルスが生み出される。

 

 混沌として、おぞましく、さながらネットワークの中の蟲毒のように、その歪さを深めていく昏い領域。

 

 この世界に存在するすべての情報端末の、本来存在しないとされている未使用の空き領域を少しずつ間借りして維持されている不安定で継ぎ接ぎな場所。

 

 その積み重ねられた情報の墓場は、いつしか集積地帯と呼ばれるようになっていた。

 

 

 

 

 集積地帯ではなんでもありだ。ネット空間であるのだから、現実に存在するありとあらゆるものが存在せず、加えてありとあらゆるものが存在していた。

 

 水も空気も重力もなく、天も地も存在しない。けれど超巨大な灰色のビル群が墓標のように立ち並び、奇妙な音データが鳴り響く。遠くの景色はひび割れたテレビのようにぐちゃぐちゃで、空はいくつものエフェクトが狂ったように暴れている。

 

 国や大手企業の専門家が開発したワクチンソフトなど歯牙にもかけず、その姿はまさに難攻不落の城塞のようにも見えた。誰一人としてその全容を把握していない。空間全体を囲って管理する程度しかできず、その内部……中枢がどうなっているのか、知っている者はいない。

 

「う~ん。これは……思ったよりも荒れてますね~」

 

 そんな集積地帯の入り口で呆れたようにビル群を見上げるのは、かつて名も無きネットの深部に沈んでいた空間に、犬守村を創り出した電子生命体わんこーろだ。

 

 下駄をカランコロンと鳴らしながら手に持った紐をたすき掛けにして袖をたくし上げたわんこーろの顔は、いつもと変わらず穏やかなものだった。しかしその手に持った、ありとあらゆる防壁や妨害を透過し、内部の情報を読み取ることが出来る"写し火提灯"と、防壁強度を無視して存在そのものを消去することが可能な"裁ち取り鋏"を見る限り、決してこの集積地帯を見学しに来たわけでは無いことは容易に想像できた。

 

『気を付けてくれ。過去の捜索ログによるとかつて流出した副塔のセキュリティシステムや防衛AIも潜んでいるようだ。危険と判断したらすぐさま退去してくれ』

 

「了解です~」

 

 室長からの通信に返事をした直後、わんこーろは利き腕で持つ裁ち取り鋏を握りなおし、後方から現れた小型のバグを切り払う。

 

「ん~と。目標は~恐らく中枢と思われる集積地帯深部……B7(ビーナナ)に残ってるリンクが使えるかどうかですね~」

 

 既にわんこーろの持つ写し火提灯によって周囲の情報はわんこーろが掌握していた。現在わんこーろがいる場所は集積地帯の外層部の端、A1と呼称されるエリアだ。

 

 この、企業が所持していた集積地帯はこれまで何度か企業のサルベージ情報処理チームが潜入したことがあった。もちろんNDSのようなまだ一般に普及していない機器は利用できず、それでも既存の機器の中で最上級のスペックのものを利用しての潜入作戦だった。

 けれど、数度の侵入で企業が手に入れられた情報といったら、この集積地帯が恐らく全部で三層に分かれているということくらいだった。

 

 当時企業の集積地帯攻略部の人間は外部とのリンクが比較的繋がりやすい領域を外層(A1~A9)と呼び、外層の最も深いエリアからのリンクでのみ潜ることの出来るエリアを中層(B1~B7)と呼んだ。

 企業が把握できたのはそこまでだが、集積地帯全体の規模やデータ密度から、恐らくはその向こうに誰も到達したことのないエリア、仮称深層(C1~)があるのでは無いかと考えていた。

 

 今回情報提供を受け集積地帯へと降り立ったわんこーろに求められたのは、既に有用なデータのサルベージが完了した外層の初期化、中層のサルベージデータ捜索、そして深層の存在の確認。

 

「ん~? 外層からのリンクが辿れませんね~……中層とのリンクは途切れ途切れで固定されてないのかな~?」

 

 唐突に現れては襲ってくる大小さまざまなバグを、わんこーろは視線を合わせる事もなく処理していく。浮遊し絶えず倒壊し続ける瓦礫を足場としてバグの突進を回避し、体をくねらせながら振り向きざまに鋏を振るう。まるでわんこーろが鋏を振るった場所にバグがやってくるかのような、それほどに無駄のない洗練された動きだった。

 

 既に外層の大部分、A6までの領域を完全掌握しているわんこーろは、どこにバグが潜んでいるか手に取るように分かる。

 とはいえその数はおびただしく、さらに増え続けている。わんこーろはため息を吐きながら鋏を薙ぎ、狐稲利に留守番を言い渡したのは正解だったと小さく頷いた。

 

「あ、此処ですね~外層の奥、中層への入り口は~」

 

 そうして大した時間もかからず、本来ならば最上級の情報端末や機材を使用し、熟練のチームで潜入するような領域を、わんこーろは散歩するかのごとく悠々と踏破してしまった。襲い掛かるバグの中には接続機器に致命的なダメージを負わせるような危険なものもいたが、わんこーろからすればその脅威度は高くない。というより、わんこーろの体を傷付けることが出来るような存在はこの集積地帯外でもそうはいない。

 

 そもそもが既に攻略済みのエリアなのだ。どれほどの攻略難易度なのか把握しており中層への入り口であるリンクを見つけたことで、もう外層には用がなくなった。

 

「それじゃ~え~っと~……こう」

 

 とん、とわんこーろが何気ない動作で裁ち取り鋏の切っ先を地面に接触させた。すると暴れるエフェクトや狂ったテクスチャが鋏を中心に初期化され、地面は真っ白な物へと転じていく。その初期化の波はわんこーろの影響下にある外層へと広がっていき、独立して動いているはずのバグやウィルスのたぐいも、その波に飲み込まれるように白いポリゴンへと還元される。

 

 集積地帯の外層は混沌とした悍ましい姿から平面が遠くまで続く、白いポリゴンの浮かぶ空白地帯へと"戻された"。

 

「ん~思ったより早い~。鋏に組み込んだプログラム以上のものは無かったみたいですね~」

 

 裁ち取り鋏はわんこーろの持つツールの中でもかなりの魔改造が施されているものの一つだ。毎日生み出されているウィルスやハッキングツールといったものをわんこーろが収集し、独自のアンチプログラムを創り出し発展させたものを鋏へと組み込み続けているのだ。そのため悪意のあるデータは問答無用で破壊し初期化出来るし、現在主流の防壁や塔の技術を流用した最先端の多重防壁群さえも容易く貫通することが出来る。

 

 流出した主塔の技術さえも流れ着いていると言われていたのでわんこーろはそんな凶悪な代物を、油断なく最大出力でぶっぱなした。その結果大した抵抗も出来ず、バグとウィルスの城塞となっていた外層部は綺麗まっさら更地へと生まれ変わったという訳だ。

 

『……わんこーろ』

 

「はい~?」

 

『……、いや、いい……まあ、元々初期化するつもりだったからな……』

 

 全ては深き深きネットワークの水底で起こった事で、現実ではない。だが、もしもこれが現実ならばわんこーろは巨大な町一つを数秒もかけず更地にしたようなものだ。わんこーろにはそれだけの力がある。そしてそれはわんこーろの全力などでは無い。片手間な、それこそ鼻歌を歌ってやったようなものだ。

 

 改めて室長は目の前に映るわんこーろが、電子生命体という未知なる存在である事を思い知った。

 

「はっ! も、もしかして消しちゃまずかったですか~!? ど、どうしましょう!? さ、サルベージしましょうか!?」

 

 それと同時にわんこーろが確かに人であることも室長は感じた。ころころと変わる表情や、本当に焦っている様子でオロオロするその姿は、愛らしく可愛らしく、人間くさかった。

 まあ、激しく動く犬耳や縮こまっている尻尾は人に無い器官であるが、それを含めて微笑ましいので室長は良しとした。

 

『くく、いや、大丈夫だ。……そのまま中層へ向かってくれるか?』

 

「? 分かりました~」

 

 なぜか微笑んでいる室長にわんこーろは首を傾げるが、深くは考えず先へと進んでいく。まっさらになった外層を歩くわんこーろは目の前にふわふわ浮かぶポリゴンを指先で弾いてどかして、軽い足取りのまま中層へのリンクを検索する。

 

「中層へのリンク~いくつか見つけましたけど~大半は罠ですかね~」

 

『罠のリンク……偽装データ? 防衛用のAIによるものか』

 

「そのようです~ええ~っと……んん~……欺瞞情報による妨害はありませんね~ただ迷わせるだけに別の道を創ったってところでしょう~……えい」

 

 リンクの接続先情報を偽ることでリンクそのものを本物と誤認させるための欺瞞情報も無く、ただリンクを増やしただけのお粗末な防衛機構は、けれどもただの人間では容易に引っかかってしまう。リンクとリンクが円環状に繋がっており、同じ場所をグルグル通らされて、結局たどり着けないという仕様になっているわけだ。

 構成しているリンクも仮想空間も、全て破棄された情報をごちゃまぜにして継ぎ接ぎしたお粗末なもので作られているが、その機能は現役で使用されている"迷路防壁"と同種のもので、性能も遜色ない。

 

 だがそれも、情報の海を渡り歩く電子生命体であるわんこーろには意味の無いものだ。たとえ混沌な集積地帯にふさわしい複雑怪奇の迷路防壁であっても、写し火提灯によるシステムの可視化だけで正解のリンクをあぶり出すことが出来るし、そもそも裁ち取り鋏があれば防壁の存在そのものを消去することが出来るのだ。

 

 わんこーろが鋏を振るうだけで周囲の防壁は容易く崩壊する。どれほど防壁の密度を上げ侵入者を拒もうと構築しても、そもそも情報という存在で構成されている時点でわんこーろの裁ち取り鋏によって強度無視の直接攻撃を受けることになる。

 防壁とリンクで構築された迷路で迷わせようと画策しても、わんこーろはそのルールさえ無視して突破することができるのだ。

 

「では中層のお掃除を始めましょう~」

 

 この時代、情報のサルベージだけで仕事として成り立つことから分かる通り、一般人から企業まで情報の管理、保護に関する意識はかなり高くなっている。一度様々な知識がネットの海に消えていったことから、それらを失わないようにと多少の心得ある者たちが比較的多くなっているのだ。

 

 それが大企業の専門チームならばなおさらだ。機密情報の漏洩防止はもちろん、表沙汰には出来ないが他企業への侵入、工作、情報操作などなど……とにかくそのレベルはかなりのものである。

 

 そんな企業の調査チームが数年もの時間をかけて結局外層と中層の一部分しか把握できなかった集積地帯を、わんこーろはほんの数十分で突破していく。そのありえないほどのスピードに、リアルタイムに進捗報告を受け取っている企業の人間が「最初から彼女に依頼しておけば良かったのでは?」などと呆れ果てたとか。

 

 その後もわんこーろは中層の区画を次々と掌握していった。外層と異なり重要なデータのサルベージなどがまだ完全に出来ていないため、それらの選別作業を後回しにしている関係上、外層のようにまとめて一気に初期化などという力技は出来なかったが、それでも企業が手出し出来なかった中層は瞬く間にまっさらな空間へと初期化されていく。

 

 そしてわんこーろが中層を踏破し、存在しているとされていた深層を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。

 


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