転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
犬守村の冬は深まり、外は痛いと感じるほどの寒風が吹きすさぶ。それが積もった雪を巻き上げ浚いながら雪雲を運び、そして新たな降雪をもたらすのだ。
村は何処も雪が降り積もり、それは火遊治の温泉街も例外ではなかった。火遊治山の火口近くだけは雪が解け、山の色が見えているが、そこより下へ行けば背丈をゆうに超える雪の壁が出現する。元々の土地柄、火遊治は雪が多く降りやすいし、積もりやすい。
だが、それでも温泉街の積雪は移動が困難なほどではなかった。所々より立ち昇る白い蒸気が揺らめき、ほのかに硫黄の匂いを運んでくる。冷たい冬の風は、温泉の湿った暖かい空気と混ざり、わちるの火照った肌を優しく冷ましてくれる。
「んんぅ~。やっぱり大きなお風呂はいいですね! わんこーろさん!」
「んふふ~そう言っていただけると頑張って創った甲斐があります~。……ですけど~その姿で立ち上がってはいけませんよ~」
火遊治温泉街の中でも有数の大きさを誇るとある露天風呂、そこでわちるとわんこーろは湯に浸かりゆっくりと体を休めていた。白く濁った湯が体を芯から温め、少しヌルっとした触感が肌の保湿や保温に役立っているらしく、湯から上がってからも湯冷めしにくいという。
温泉街でも端のほうに造られたこの露天風呂はそこから見える景色もなかなかのものだ。雪で白く化粧をした北守山地が一望でき、温かい湯に浸かりながらその幻想的な冬の景色を堪能する事が出来る。
そんな光景に興奮した様子のわちるは思わず湯船から体を乗り出し、凄い凄いと声に出して驚いていた。けれど、わんこーろはそんなわちるを焦った様子で制止する。
朝から行われているFSとのコラボ配信はまだ継続中であり、今のわちるの声も配信に乗って視聴者へと届けられている。もちろん映像は映っていない。視聴者は脱衣所前で締め出され、必死の懇願によりギリギリ音声が届けられている状態だった。
映像が無いとはいえ、今のわちるは一糸まとわぬ姿であるため、湯船から勢いよく立ち上がって身を乗り出せばわんこーろも慌ててしまう。
「な、なんでタオル巻いてないんです~!?」
「だってちょっと気持ち悪いんですもん。体に張り付く感じが慣れなくて。それにお風呂でタオルはマナー違反らしいですよ?」
裸程度ならわんこーろとて狐稲利で慣れている。だが、やはり家族と友人では感じ方が違う。夏のコラボの時も一緒にお風呂に入っていたわんこーろとわちるだったが、あの時はFSのメンバー全員と狐稲利も含めた大所帯で、なかなかに狭く感じる犬守神社のお風呂を利用したため、これほどまじまじとわちるの肌を見たことはなかった。
「えへへ……ごめんなさい。わんこーろさんと一緒に大きなお風呂に入れると思ったら、すごく嬉しくなっちゃって」
「んふふ~私もわちるさんと一緒に入れて嬉しいですよ~。今頃他の皆さんは別の温泉に入ったり、観光を楽しんでおられるでしょうね~」
火遊治に存在する温泉はゆうに数十はくだらない。そのどれもが湧く場所や泉質などが異なり、一つ一つに特色がある。なのでFSのメンバーはそれぞれが好みの温泉を見つけようと火遊治の温泉街にバラけて好き勝手に観光しながら色々な温泉を楽しんでいるようだった。
「皆さん楽しそうでしたよ。……それにしても、あの雪だるま軍団は酷いですよー」
「んふふ~さぷらいずさぷらいず~」
ちゃぷちゃぷと温かな湯を楽しみながら二人は楽しそうに会話を続けていった。
『見えない……見えない……』『何言ってんだ? 見えてるだろ?』『脱衣所前に敷かれた畳がな』『わんころちゃーん? 配信画面が畳なんだけどー?』『これが畳配信か……』『ぐううぅ……二人の声と共にわずかな水音がぁ……』『水音……これはセンシティブ』『あ?火遊治の火口に突っ込まれたいのか?』『それはやめて』『ゆるしてゆるして……』『聞こえない俺には何も聞こえない……!』『いいや聞こえたね!絶対聞こえた!!』『バカやめろ火口につっこまれてbするつもりか!』
『なんだかコメント欄うるさくね?』『こいつらは一体何を言ってるんだろな』『さあ?』『二人ともいいな~俺も温泉行きてー』『雪遊びした後だからな。しっかり体を温めてほしいものだ』『移住者はなんでそんな冷静なんだ……? あの壁一枚向こうに一糸まとわぬ推しが居るというのに……!』『わんころちゃんの配信って畑仕事が終わったら大体最後にお風呂入るから慣れちゃった』『もはや娘や孫がお風呂に入っているような感覚になってんのよ』『訓練され過ぎで草』『んあ?誰か来た?』
「んー? いじゅうしゃどうしたのー?」
『あ、狐稲利ちゃん』『湯上り狐稲利ちゃんだ!!』『久しぶりにメカクレモードの狐稲利ちゃんかわいい』『髪しっとり濡れててお美しい……』『また乾かさなかったね?』『わんころちゃんに怒られるよ?』『外寒いし湯冷めしたら風邪ひいちゃうよ?』『移住者コメが完全にお父さんなんだがw』
「あー……おかーさにはだまっててー……よいしょー。いじゅうしゃー私と一緒にいくー?」
脱衣所前に設けられた空間はお湯から上がった観光客がリラックスできるように休憩所となっている。畳が敷かれ、ガラス越しに遠くの雪景色が堪能できる他、飲み物や軽い食べ物なども提供できるような施設も併設されている。
とはいえそのあたりの施設はあくまでそのような設定として存在しているだけなので、実際に料理などが食べられるわけではない。さすがにわんこーろでも従業員を創り出すのは難しかったようだ。もちろん今後の発展具合によってはどうなるかは分からないが。
カメラ代わりにわんこーろが使用している配信ウィンドウはこの休憩室の一角に放り投げられ、畳しか映していなかった。わずかに聞こえる楽しそうな声を聞きながら視聴者たちが畳の編み目を数え始めたころ、湯上りでほかほか状態の狐稲利が放置されていたウィンドウを見つけ、拾い上げたという訳だ。
視聴者からある程度の事情を説明された狐稲利は、一緒に来る? と言い、視聴者は即座にお願いします! と書き込んでいく。このまま畳のクオリティをまじまじと観察しているだけなど耐えられないとばかりにコメントが流れていく。
「んー。それじゃ行こっかー」
一応わんこーろにリンクからメッセージを飛ばし事情を説明し、自身へ追従するように設定した
もちろん、父親のように移住者がうるさかったので髪の毛は丁寧に乾かした後でだ。
現在まだ太陽が沈むには早い時間帯であるが、分厚い雪雲によって火遊治はうす暗くなり始めていた。熱い温泉の湧き出る大穴をぐるりと囲むようにして造られた温泉街の宿たちはぽつぽつと灯りを付け始める。明るく暖かい暖色の光が建物から溢れ、雪に濡れた地面と空へと昇る温泉の蒸気に光が反射する。それらは降り始めた雪によってよりいっそう輝きを増していく。
「んふーみんなー、きれいでしょー?」
そんな景色の中を狐稲利は視聴者と共に歩いていく。和傘を片手に雪の美しさに空を見上げれば、背の高い温泉宿の建物の灯りと共にちらちらと降り落ちる雪が見て取れる。
狐稲利はそんな光景を自慢げに配信画面に映し、ゆっくりと火遊治の温泉街を進む。
『うす暗いとさらに綺麗に見えるなー』『夜になっても此処は明るいんだろうな~』『幻想的だけど、静かで、いつまでも見ていられる……』『あれ?街灯がある』『ほんとだ。初めて見るな』『新たに設置したのかな?これって電気?』
「この街灯はねー、おかーさといっぱい悩んでこれにしたのー。電気じゃなくてガス灯って言うんだってー」
温泉街のあちこちに設置されている街灯には温かな火が灯っているが、これは電気ではなくガスを利用したガス灯だ。現実ではガス管が地下に埋設されており、そこから可燃性のガスが送られる仕組みになっているのだが、この火遊治のガス灯は火山のガスを利用している、という設定だ。そのためこのガス灯は火遊治のあたりにしか設置されず、この温泉街ならではの光景となる予定だ。
「綺麗だねー。んふー次はどの温泉に入ろっかなー」
下駄をカランコロンと鳴らしながら歩くとその動きに合わせて和傘が揺れ動く。しっとり冷たい空気が狐稲利の火照った体を冷ましてゆく。そうするとまた温泉に入りたくなってしまう。
周りを見渡せば何処からも温泉の湯気が立ち昇り、次は何処に入ろうかと目移りしてしまう。そうやってきょろきょろと視線を動かしていた狐稲利の視界に、別行動で温泉を楽しんでいたFSのメンバーの姿が映った。
「おーい!」
「あ、狐稲利ちゃんだ」
「どうやら配信中のようですね。ということはわちるさんはまだわんこーろさんと……」
「あの二人異様に距離近いよねー……今に始まった事じゃないけどさぁ」
『裸の付き合いしてるだけだぞ』『女の子どうし距離が近いのはいいことじゃ』『同い年の友達ってのは良いもんだよ』『同い年……?』『たしかわんころちゃん前に一歳とか言ってなかった?』『わんこーろ(1)』『草』『あれ?そういえばFSの着てるのって夏の?』『懐かし!和服じゃん』『懐かし……いや、まだ一年も経ってねーよ!?』
まだわんこーろと一緒に温泉に入っているわちるを除いたなこそ、○一、ナート、寝子の四人はわんこーろが用意した和傘をさしながら温泉街を散策していたようだ。四人の衣装はいつの間にか夏のコラボで受け取った和服の姿になっており、久しぶりの衣装に狐稲利は目を輝かせる。
もちろん灯の手によって和服は冬仕様に改良されており、冷たい風は入り込まず、暖かさが保たれるようになっている。
「みんなーかわいい! なーとも似合ってるー!」
「あわわ……か、かわいいだって! あの狐稲利ちゃんがわたしを可愛いって!」
「あははーなーとうるさいー」
「ええ辛辣ぅ!?」
『全然辛辣じゃないぞ』『まっとうな意見です』『狐稲利ちゃんの純粋な言葉がナートに刺さってるw』
「あははー! ねえねえ、みんなでおんせんはいろー!」
「いいね、私たちも次にどこ入ろうか話してたんだ」
「どっかおすすめの場所とかあるのか?」
「うんー! こっちー!」
四人と合流した狐稲利は一緒に火遊治の温泉街を巡りながら様々な話をしていく。FSは最近あった嬉しかったこと、驚いたこと、ナートの恥ずかしい話をして、狐稲利は犬守村の動物たちの様子や食べ物の美味しさ、母親であるわんこーろの優しいところを語る。
見て回るだけで幻想的で異国情緒たっぷりな火遊治温泉街は、ただそれだけでいつもと同じ会話であるのにどこか違った雰囲気を抱かせる。そんな新鮮に感じられる会話は次の温泉に到着するまで続くのだった。
「やっぱりお姉ちゃんたち全員と入れるほどの温泉は良いですね」
「
「まあまあ、それでも温泉が残ってるだけでも儲けものだよ。それに最近サルベージされたデータに元温泉地のデータがあったらしいよ。閉じられた源泉の位置が分かれば復活させられるかもって」
狐稲利が案内した温泉は乳白色が美しい大きな温泉だった。ごつごつとした岩が湯から顔を出し、その表面は温泉の成分で艶やかに見える。岩の隙間からしみ出すように流れる湯が満たされた広く大きな温泉は、FSと狐稲利が一緒に入っても全く問題が無い。ナートなどは泳ごうとしたくらいだ。もちろん他のメンバーに怒られたので実行はしなかったが。
もくもくと立ち昇る湯気の中で、じっくりと湯の温かさを感じる一団はそんな温泉の光景を見て唐突に現実世界の事を思い出す。
現実世界の温泉文化も一時は消滅の危機であったが、源泉自体が消え去ったわけではない。温泉宿が無くなったことで源泉を閉じざるをえなくなった場所はあるが、それでもお湯が枯れたわけでは無いので再度温泉として復活させることは出来る。
だが、問題は別のところにあった。源泉自体が生きていたとしても、地上の汚染の影響が地下の源泉にまで浸食している地域も確認されており、もはや人間が入れなくなった温泉もいくつか確認されているのだ。
そのため人が安全に入ることの出来る温泉は限られており、今は安全だと言われている温泉も将来はどうなるか分からないという状況だった。
もしかしたら、今後現実で温泉に入ることは出来なくなってしまうかもしれない。
そんな沈んだ会話を打ち切るかのように、優しく温かな声が響く。
「あ~皆さんお揃いですね~」
「狐稲利さんもここに入ってたんですね」
その声はわんこーろと、わちるだった。温泉を堪能していた二人はどうやらなこそたちと偶然だが合流できたようだ。体を軽く湯で流し、FSたちの輪の中に入っていく二人が最初に声をかけたのは狐稲利だった。
「狐稲利さん配信ありがとうございます」
「んふー。いじゅうしゃたちも温泉きれいだねーって褒めてたよー」
「それは良かったです~。それで~今配信の方は~?」
「んー? 置いてきたー」
「あらら」
『ここに居るぞ……』『こちら移住者、わんころちゃん、画面が畳です』『またかよぉ!?』『しかたないしかたない』『声が聞こえるだけ温情よ』『変な事言ったら音声までミュートされるぞ』『ちくしょう……』
「へっへっへっ、音声だけでもありがたいと思えよお前らぁ」
「皆さん、今ナートお姉ちゃんは変顔しています」
「ちょっと寝子ちゃん!?」
「そういやわんこーろ、この辺りって写真機は大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ~火遊治の地帯は脱衣所から先は侵入禁止になっていますので~。そもそもまだ火遊治の温泉街は建築途中だったので立ち入り出来ないようになっています~」
『火遊治山の開放まだかまだかと写真機プレイヤーはやきもきしています!』『はやく火山の撮影がしたいのじゃ……』『火山の撮影とか普通なら難しい、てか危険だしな~』『間欠泉が吹き出す様子も撮影しに行きたいー!』
全員がそろった場での会話は思った以上に弾み、そこに視聴者たちのコメントが加わり騒がしいほどになる。温泉という開放的な空間にいるということがこれまでのコラボとはまた異なった空間を生み出してくれたのだろう。
とはいえ長く入りすぎるのもまた体には悪い。それに湯を堪能した後も楽しみは残っているのだ。
「それじゃあもうそろそろ犬守神社に戻りましょうか~最後に皆さんにお鍋を振舞いますよ~」
「は~い!」
「鍋か! あったかくて美味い、最高だな」
「何鍋かな~」
「おさかなたくさん獲ったのー。かにもあるよー」
「おお! カニ鍋!?」
「カニって食べたことないなぁ」
「初カニですね」
帰り道も雪の舞う火遊治の温泉街でFS一同は浴衣姿で歩き、その風景や空気からなる雰囲気を楽しんでいた。現実にはもう存在しないそれらを彼女達は知らない。けれど、雪の冷たさを知り、雪合戦の楽しさを感じ、温泉に浸かりながら見る雪景色に心動かすその心情は確かにかつての人々と同じものだった。
「もうそろそろ年末の準備をしないといけませんね~掃除や飾り付けもしないと~。あ、皆さんもおせち食べに来られますよね~?」
「? わんこーろさん、おせちって、何ですか?」
「……え?」
火遊治には冷たい空気の中に懐かしい温泉の匂いが含まれている。それは遠い遠い昔、この国に確実にあった文化の匂いなのかもしれない。きっと人類は、その匂いと温かさを頼りに、かつての温泉文化を復興させることが出来るだろう。この火遊治の姿は、そんな人類の目標となってくれるはずだ。
余談だが、オンにし忘れていた投げ銭のことを思い出し慌ててオンにしたところ、大量の赤絵馬が雪と同時に降り注ぐ事態となったりしたとか。