転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
#187 初夢とハレの服
そこは遠くまで真っ白な光景が広がる空間だった。雪景色とは異なる全くの白一色に支配されたその場所は、素足で踏む足元さえも真っ白なものだから、進む
どれくらい進んだのか、何を目指しているのか、何もわからないままに狐稲利は前へと進んでいく。進んでも進んでも真っ白な光景が続き、果ては見えない。
その光景はかつてわんこーろがこの世界にて目覚めた時、初めて認識した真っ白な状態の犬守村のようであった。何もない、空っぽな状態の仮想領域。だが、それは狐稲利の生まれる以前の話だ。彼女がこの世界でわんこーろに生み出された時には、すでに犬守村はその形を確かなものにしており、このような空間を狐稲利は見たこともなかった。
犬守村とは異なる雑多な仮想空間を巡っていたとしても、ここまで真っ白に整えられた空間はまず無い。生み出された空間は基本的に生まれた時から初期設定のようにある程度形が創られた状態で生み出される。捨てられた空間ならばなおさら、その中身は真っ白とはいかない。
「……んー……」
視界は白色が埋め尽くし、匂いも感じず、音も通らない。体全体の感覚が鈍くなったようにも思える。
だが、狐稲利は歩みを止めはしない。なぜ進んでいるのか自身でも分からないが、それでも進まなければいけないような気がした。
「んー……?」
そして、狐稲利は白い空間の先に小さな影を見つけた。その場に腰を落とし顔をうつむかせる影の主に、なぜか狐稲利は警戒心もなく近づいていく。そもそも狐稲利は好奇心旺盛で明らかに危険と思われる場所や物でなければ積極的にその性質を確かめようとするところがあるわけだが、それにしても正体不明な存在に何のためらいもなく接近する狐稲利。もしもここにわんこーろや狐稲利を知る者が居たならば、とっさにその腕を引っ張り注意するだろう。
だが、ここには狐稲利と、小さな影の主しかいない。
「ねーねー、どうしたのー?」
狐稲利はうずくまり、小さく背中を丸める影に語りかける。自身も腰を落とし、出来るだけ視線を合わせようとする。だが相手は顔を伏せ、その様子は狐稲利からはうかがい知れない。
「お腹すいたー? どこか痛いー?」
影の主は腕や手の細さ、骨格からおそらく少女だろうと推測できた。背はわんこーろよりも高く、狐稲利より低い程度。長く白い髪はまるで寝子のように美しい艶と質であるが、寝子とは決定的に異なる部分がある。
その少女の白く美しい髪の毛先からは、何やらキラキラと光る粒子が零れ落ちている。
よくよく見ればそれは立方体の姿をしていた。わんこーろや狐稲利が3Dモデルを生み出す際に利用する、3Dモデルの初期素材のような。真っ白なポリゴン。
その極小のポリゴンは彼女の体を包み込むように発生しており、幻想的な光の粒子として空間に散っていた。
「……、……アナタ、誰?」
おもむろに、顔を伏せたまま少女は声を発する。
「んー? 私ー? 私は狐稲利だよー。犬守村のー電子生命体でー、配信者ー」
「……、……コイナリ」
「うんー! 狐稲利だよー!」
そして少女はその顔を上げた。幼さの残るその顔はわんこーろよりもさらに幼くみえ、顔にかかる前髪より覗く瞳には幾何学模様が浮かび、光を乱反射する宝石のように輝いていた。
無表情であり、口元もほとんど動かない。四肢はか細く頼りなく、髪色だけでなく体全体の色素が薄く儚げな印象が強い。
次の瞬間には、この真っ白な空間に溶けていなくなってしまうような、そんな危うさが感じられた。
「ねーねーおねーさんはなんていうのー?」
「おねえさん……、……?」
「んー? 違うー?」
「どうして……、……?」
「んー……。わかんないー。でもーなんだかおねーさん、って感じだったからー」
「……、……」
少女の声はひどく平坦で何の感情も含まれていなかった。一言話すのも時間を要し、何を考えているのか読み取れない。無垢な瞳で狐稲利をじっと観察しているだけだ。
そんな視線に対して狐稲利は首をかしげながらも微笑むだけだった。
「……、……私の、名前は――」
「んあ……夢……?」
狐稲利は早朝の犬守神社に漂うかぐわしい香りにつられて目を覚ました。まだ日も出ていない早朝の寒い時間、それでも犬守村で生活していれば自然と決まった時間に起きれるようになってくる。
時々寝坊してしまうこともあるがそれでも狐稲利はいつもの、配信が始まる少し前に目を覚ました。
「ふわぁー……さむー……」
肌寒さを感じてあたたかな布団の中へ潜り込みたくなるが、それでも狐稲利は遠くから聞こえてくる足音に反応し、布団から顔を出して足音の主がやってくるのをぼんやりしながら待っていた。
「狐稲利さ~ん。起きてますか~?」
「あいー……」
やってきたのは狐稲利を生み出した母親、わんこーろだ。先日お披露目した新衣装である割烹着に身を包み、調理器具であるおたまを片手に部屋を覗き見るわんこーろに、狐稲利は寝ぼけ
そんな様子の狐稲利を仕方ないなあ、と困ったように微笑んで尻尾をゆらゆらさせるわんこーろ。いつもこんな感じで朝は得意でない狐稲利だが、この日は母親の一言によって文字通り布団から飛び起きることになる。
「狐稲利さん~お餅は何個欲しいですか~?」
「お餅ー……」
「お雑煮のです~」
「お雑煮ー……、あっ!! お雑煮ー! おせちー! お正月ー!! おかーさ! あけましておめでとーございますー!」
「はい~おめでとうございます~。今年も一年よろしくお願いしますね~。ささ、お着換えして顔を洗ってってくださ~い」
「はーい! あ、おかーさお餅は5こ……10こおねがいー!!」
「そんなに食べられないでしょ~? って、もう居ない……いつもは布団から出るのもっと渋るのに~」
冷たい空気が漂うなかでも狐稲利の動きは軽やかなものだ。ささっと布団から離脱すると布団を片づけ、土間へと顔を洗いに行ってしまった。
「さてさて~それじゃあぼちぼち配信も始まりますし~記念すべき新年初の朝配信をはじめましょうか~」
文化の喪失から復興を始めた昨今、正月は数あるイベントの中でも最も周知されたイベントであるといえる。仕事だろうと趣味だろうと、年が変わるということが特別な意味を持たせ、それ以外のイベントよりも人々が意識しやすいというのが理由だろう。
ここ数年盛り上がりをみせる配信者界隈においてもそれは変わりはしないが、今年の盛り上がりようはヴァーチャル配信者と呼ばれる存在が再びこの時代に蘇ってから過去最大級のものと言っていいかもしれない。
その理由はヴァーチャル配信者界隈のトップグループである
さらにはFSと推進室が旗印となった
手に入らない飾り付けや料理の数々も、この仮想世界ならば存分に堪能することが出来る。もちろん現実ではないので実際に料理の味を舌の上で堪能出来るというわけではないが、それでも現実では手を伸ばすことすらできないものを味わえるというのは現代の人々にとっては非常に魅力的な体験なのだろう。
とはいえ、それら食べ物をはじめとしたあらゆる文化に若者が興味を示すようになったのはここ最近の話だ。それまでは食事など栄養が取れればそれでいいと考える者も居たくらいで、口にするのは味気ないスティック状の効率食と呼ばれるものが主流という具合だった。
料理、あるいは食事という行為に若者が興味を抱くきっかけとなったのも、わんこーろの配信が理由であるという視聴者も多い。見ているだけでお腹が減ってくるようなおいしそうな料理の数々が紹介されるだけでなく、主な視聴者たる若者がまったく知らない食べ物が紹介されるものだから、その興味は尽きることがない。
そんな、興味深くもまったく知らない食べ物の一つが、今わんこーろがちゃぶ台の上に広げているおせち料理なのは間違いないだろう。
「はいは~い移住者の皆さま~今日も犬守村に帰ってきてくれてありがとね~新年一発目の配信ということで~おせち料理を食べながらゆるゆるお話していきますよ~」
『あけおめー!』『あけおめただいまー!』『明けましておめでとう! 今年もよろしくお願いします!』『うおお!?』『二人とも新衣装じゃん!?』『綺麗すぎか!?』『珍しくキラキラしていて美しい……!』
「んふふ~お正月初配信ということでちょっときらきらした服装にしてみました~」
畑仕事や炊事、洗濯などでの汚れが気になるわんこーろと、いつも遊んで泥んこになって帰ってくる狐稲利なのでいつもは煌びやかな服装を避けているのだが、この時ばかりはとっておきの衣装を持ってきたのだと胸を張るわんこーろ。
「ほらほら~移住者のみなさ~ん、よ~く見てくださ~い。かわいいでしょ~ウチの狐稲利さんは~~」
『草』『そこは自分じゃないのかw』『おまかわ』『おまかわ~』『髪も結ってて印象違うなぁ』『もう狐稲利ちゃん前髪いじっても大丈夫になったんだね』『最初の頃はメカクレで恥ずかしがってたのになあ』『あれはあれで可愛かったw』
「んうー……そんな昔のはなしをー……」
「あらあら恥ずかしがってますね~」
狐稲利の新衣装はいつも通りの和服であるが、その和服の様子は今までとは異なる鮮やかで煌びやかなものだった。目立つ紺色を基調に、端の方から松の葉と竹が顔を覗かせ、梅の花が美しく咲き誇っている。縁起物の松竹梅をあしらったものだ。花や葉の縁取りには金と銀の糸が用いられており、刺繍のようにして美しさが強調されていたりもしていて、普段とは異なる豪華さがうかがえる。
いつもは泥だらけになっても構わないと遊びまわっている狐稲利も、そんな見るからに汚したらダメそうな新衣装に少し緊張しているようだった。手足をパタパタと動かしている様子は嬉しさを表す狐稲利のいつもの動きなのだが、どこかその動作もこじんまりとしているように見える。着崩れてしまわないようにと意識しているのだろう。
「ん~やっぱりかわいい~」
『わんころちゃんもかわいいぞ!』『イヌミミの耳飾りも珍しくてかわいい!!』『狐稲利ちゃんもだけどわんころちゃんもあまり装飾品付けないよね』『農作業の邪魔になるからな』『その分こういう時にお洒落してくれてありがたい……!』
わんこーろが着ている和服は濃い赤色の牡丹と鶴と亀があしらわれている。どれも縁起が良いと言われているものだ。金と銀の糸によって牡丹の花が浮き出るように細工された和服の技術はわんこーろによって細部まで丁寧に再現されており、当時の職人の素晴らしささえ伝わってきそうなほどだ。
「んふふ~今回は耳と尻尾も~こんなお洒落に挑戦してみました~さすがに耳に穴を開けるのは怖いのでイヤリングにしましたけど~」
さらに今回はその大きくて目立つイヌミミとイヌシッポにもちょっとしたお洒落をしている。イヌミミにはフチ部分にひっかけるようにして金属製の細いリングが取り付けてあり、わんこーろがぴくぴくと耳を動かすたびにそのリングがキラキラと光を反射している。
「あ~あと、これですね~。わかります~?」
『ん?』『いつも通りふさふさシッポだが?』『ああっ!?わんころちゃんがお尻をこっちに向けてふりふり!?』『貴様は付け根ニキ!?村八分されたはずでは!?』『まさかの不法侵入か!?』『だれか火炎放射器もってこい』『おまえらちょっと落ち着けw』『それでシッポだっけ?』『ん?なんか色が一部違う?』『赤い毛?染めたの?』
「んふふ~染めてないですよ~これはメッシュです~」
わんこーろというヴァーチャル配信者を強く印象付けるという意図と、単純に大きい方がモフモフ度が高くて良いからという理由からわんこーろのシッポは通常の倍以上の大きさとなっている。毛量と毛質はわんこーろが自身の体の中でも特に丁寧に創り出したという自慢のシッポであり、その手触りはわんこーろシッポソムリエ(自称)のFS所属配信者でわんこーろの友人である
そんなシッポの毛に色の異なる一束が紛れ込んでいた。黒いシッポの毛の中でも悪目立ちしないように暗めの赤に色付けされたその一束は他の毛と一緒にゆらゆらとわんこーろの意思で揺れ動いていた。
シッポに出来るお洒落は何かと考えた時、メッシュという選択が浮かんできたのだが、少し冒険しすぎでは……? と躊躇っていたわんこーろだが、そこでも狐稲利の後押しによって、あるいは上手く乗せることに成功し、こうやってお洒落なわんこーろが生み出されたわけだ。
『かわいいいいいいい』『いつもも良いけどこれは最高すぎる』『日頃からもっとお洒落してもろて』『耳にイヤリングえっちい……』『え草』『大人っぽいよなあ』『イヤリングもメッシュもすっごい目立つってわけじゃないからわんころちゃんに似合う』『これは解釈一致ですわ』『とにかく可愛い!』
「んふふ~ありがとうございます~~……あ~なるほど~……これはちょっと、恥ずかしいですね~」
「うん! うん! なんだかはずかしー!」
「ん~恥ずかしくて動けなくなる前におせち料理をたべましょ~!」
「はーい!」
更新再開させていただきます。
更新はこれまで通り一週間に一度金曜日を予定しております