転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
わんこーろがネットの底で生み出した犬守村はかつてこの国に実際に存在していた風景を再現したものだ。多少わんこーろや狐稲利、動植物が生きやすいように創られているが、基本的に現実世界を正確に模倣しており、この空間では五感を現実と同じように感じる事が出来る。
わんこーろの記憶にある古き良き原風景を再現したそこは、見るものが見れば懐かしい雰囲気の漂う緩やかな生活の場であり、また見るものが見れば非効率で面倒な生活の場と映るだろう。
わんこーろは面倒と思ったことはないが、配信を視聴する移住者の中にはそう感じる者もいるだろう。悪意からではなく、重い物を運んでいたり腰を曲げて畑仕事をしているわんこーろと狐稲利を見て、心配からそんなことを思ってしまうのだ。
だが、そういった思いは決してマイナスではない。むしろ非効率を潰して効率を求めることは時間を短縮し、労力を縮小し、新たなシステムを構築する余裕を生み出す。人類はそうやって進歩してきたのだから。
だが、行き過ぎた効率化はそれ以外のすべてを切り捨ててしまった。
システムを突き詰め、脇道に逸れることを良しとせず、ただひたすらに効率を追い求めた"効率化社会"と呼ばれる時代。それは今では完全な失敗であると断じられ、当時を知る人々に忌み嫌われている。
だが、その先鋭化した効率至上主義は十数年前までは考えられないような科学の進化を促し、新技術の確立を可能とした。そんな技術の一つが、マイクロマシン技術だ。
マイクロマシンはありとあらゆる分野に応用された。工業利用や通信関係はもちろん、医療へも先進技術として用いられ、目覚ましい活躍を見せた。従来治療不可能とされていた症状までも治療することができ、人類の平均寿命を数年伸ばしたとさえ言われたほどだ。
だが、急速に普及したマイクロマシン療法は同時に多くの問題を発生させた。体に投与された治療用マイクロマシンによる人体の異常が多数報告されたのだ。そういったマイクロマシンによる問題は他業種でも報告され、そこでようやくマイクロマシンに関する法の整備が行われる運びとなった。
現在ではマイクロマシンの開発には法的に多数の許可証が必要となり、開発者にも相応の資格取得が義務付けられ、素人には扱えない高度な技術となってしまった。
「うう~~ん……やっぱこれ容量的にムリくね?」
「どこですか?」
「ココ。詰め込みすぎて流通規格の1.5倍くらいはデカくなってる」
「……確かにこの重さでは散布範囲は限られますね……」
「そもそも一般の散布装置に入らないよぅ」
ナートとほうりは屋上の活動拠点で何やら向かい合って難しい顔をしていた。天気が良いということもあり、二人は小屋の中ではなく広々とした屋上のど真ん中に腰を降ろし、互いに展開したディスプレイに指を走らせ、表示された数値をいじっては頭を抱える、という動作を続けていた。
傍ではナートの飼いキツネであるナナが居た。最初はナートにちょっかいをかけたりしていたのだが、ほうりと真面目な話をし出すといつもの面白い反応をしてくれなくなったので、仕方なくナートの近くで丸くなって日向ぼっこに興じていた。時々思い出したように主人から頭を撫でられるので、それほど不満には思っていないようだ。
二人が目指すのはマイクロマシンの致命的な弱点である熱に弱いという特性の克服、あるいは解決方法だ。
地上の汚染は地球規模の問題であり、それに対応するには地球規模の対策が必要となる。だが、マイクロマシンは熱に弱い。たとえ地球全土に汚染除去マイクロマシンを散布できたとして、気温の高い地域ではその効果は著しく低下するだろう。それは"夏"という季節のあるこの国でも同様だ。
この国には崩れているとはいえ四季が存在し、夏はマイクロマシンの機能が低下するほどに気温が上昇する。マイクロマシンの汚染除去効果は継続するからこそ、その効果が十分に発揮されるため夏が来るたびにその機能が死んでは除去能力は全体的に低下してしまうだろう。
一年中気温の高い国々はもちろん、そういった季節の移り変わる国々を考慮しても、地球全土の汚染除去マイクロマシンには熱対策が必須なのだ。
「やっぱ既存のヤツを耐熱仕様にするのは無理かねぇ。どっかの企業が作ってたりするのかな……」
「デモ品は見たことあります。秋のV/L=Fの展示会でご覧になったのでは?」
「ああそういえば。ちょっと調べてみるね……あったあった。あーコレ重すぎってわたしが言ってたやつじゃん」
「……スペックも耐熱に重点を置いているせいか除去能力を上乗せできる余地はなさそうですね……」
「うーん……やっぱ既存品の改造は諦めて"マイクロマシンの為のマイクロマシン"にする?」
「既に設置されている散布装置と電磁干渉地帯を利用するにはそれしかありませんね」
「あーあ、結局ゼロからマイクロマシンの設計しなきゃなのかー……」
マイクロマシンの熱対策という事で二人がまず最初に試したのは、現在流通しているマイクロマシンを改造して耐熱仕様に出来るかという試みだった。耐熱となれば熱に強い素材を用いたり、対象に冷却設備を搭載したりと様々な方法があるが、極小のマイクロマシンとなればそれらの方法は中々に難しい。ソフト面でもハード面でも容量は多く、大きくなる。
マイクロマシンは電磁干渉地帯を用いて散布装置から散布されるが、マイクロマシン自体が重くなればその散布範囲も狭くなる。散布範囲が狭くなればその分散布装置と緩衝地帯の設置箇所も多くなり、設置費用が余計にかかる。
その他諸々の問題が頻出し、既存の製品を改造する案は却下されることとなった。
そしてその代わりに提示されたもう一つの案、"マイクロマシンの為のマイクロマシン"
「しっかしほんとーにできるのかなぁ? 太陽光を反射する専用のマイクロマシンなんて」
「理論上は可能のようです。わんこーろ様にサルベージして頂いた話ですと、実際に上空で粉末を散布して太陽光を遮る実験が行われたとか」
「粉末?」
「小麦粉です」
「ええ……なんか怪し……」
「実際に効果はあったらしいですよ? 他には……火山の噴火などの影響で気温が低下した事があると」
「あ、それ知ってる。火山灰とかが巻き上がって、薄暗くなるんだよね」
「薄暗くなると言えば……同じように地上は大気の汚染で濁った雲が漂っていると聞きますけど……」
「あれはねぇ……汚染雲自体が熱貯め込んじゃってるから太陽光を遮ってもバカみたいな温室効果でプラマイゼロなんだよぅ」
二人が考える"マイクロマシンの為のマイクロマシン"それはつまり、現在運用されているマイクロマシンの弱熱性はそのままに、新たなマイクロマシンで太陽光を遮って地球の温度を低下、安定させるという考えだ。
汚染や環境破壊によってもたらされた気温の上昇を、マイクロマシンによって強制的に低下させるこのマイクロマシンを用いれば既存のマイクロマシンは改良せずとも運用し続ける事が出来る。それどころか気温による散布範囲の限界が無くなるので現状よりも広範囲へ均等にマイクロマシンを散布する事が出来るようになる。
その恩恵は粒子科学技研の汚染除去マイクロマシンにも、もちろん適用される。
「関連したデータがサルベージできないかわんころちゃんに聞いてみようかな」
「お父様にもお話してみます。もしかしたら会社の方で資料があるかもしれません。私とお姉様がすぐに考え付く事を、専門の方が思いつかないはずがありませんから」
先進技術としてマイクロマシンの開発は様々な分野で行われ、その技術者も数えきれないほどに存在している。まだ学生であるナートとほうり以上に造詣の深い者も同様に数えきれないほどに存在するだろう。
実際にマイクロマシンを開発、製造している企業は粒子科学技研だけでなく、専門性の高い分野において限定的な動きをするマイクロマシンというものはいくつもの企業が開発し、その種類は数千とも、数万とも言われている。それらのマイクロマシン開発に用いられた技術は社外秘を除いてネットに公開されており、日々蓄積されている。
そんな濃密な歴史の中に、まだ存在しない全く新しいマイクロマシンをただの学生でしかない自分たちが開発するなど出来るのだろうか……。そんな思いを二人は抱いている。
だが、それは謙遜が過ぎた。
まず、他企業と異なり二人のマイクロマシン開発環境は現状実現できる最高レベルのものだ。マイクロマシン開発大手で二人の両親が代表を務める粒子科学技研ですら、その開発には膨大な時間と資金が必要になってくる。
通常の開発環境では、まず情報端末上で動かせるかどうかを検証した後、試作機を制作し投入環境に近しい実験空間で想定通りの動きをするかを検証する。何十回、何百回もの微調整を繰り返し最適化した後、実際の現場での稼働テストを行う。この稼働テストが上手くいかなければ実験空間での微調整へと逆戻りだ。
環境改善を目的とするマイクロマシンならさらに散布装置や電磁干渉地帯の利用許可、あるいは新建造の為に時間が必要となり、それらの設備で問題なく新規マイクロマシンが稼働するかのテストも行われる。これも問題があれば実験空間で再度調整。
調整、調整、さらに追加で調整。つまり利用する環境によってマイクロマシンの最適化が非常に重要となってくるわけだが二人の居る開発環境、V+R=Wはネットの中に存在しているにもかかわらず、現実と非常に酷似した環境を実現しているという、仮想と現実が融合したような特殊な空間となっている。
過去にもネット上にマイクロマシン投入環境のデータを入力して現実での調整作業を省略しようという考えはあったのだが、仮想空間の再現が不十分で実用性は皆無だった。
だが、V+R=Wはわんこーろ監修によって砂粒の一つまで再現された凄まじい再現度を誇っている。ネット上で情報の書き換えを行うように簡単にマイクロマシンを調整でき、現実で行うような検証がすぐさま可能。時間がかかる実験も指定した空間のみを時間加速でき、何度もやり直しが出来る。まさにマイクロマシン開発において理想ともいうべき開発環境なのだ。
そんな最高の環境を与えられているのは、マイクロマシン開発においてトップ企業である粒子科学技研の代表の娘たち。幼いころから英才教育を受けていた二人は発展的なマイクロマシンの知識を有しており、同時に開発に必要な免許類もすべて所持済み。NDSの取り扱いの習熟と共にV+R=Wでの動きに適応した彼女らの手にかかれば、まるで粘土をこねるような直観的操作でマイクロマシンの構造を構築していくことなど簡単なものだ。
もしも今後そんなマイクロマシン開発の様子が配信されたとしたら、その道のプロはあまりのことに腰を抜かすだろう。それはさながら現実の3Dモデル制作技術者がわんこーろ式の3Dモデル制作に目を見開き驚きに固まった時のように。
「とりあえず創ってみる? 葦原町なら開発費なんて無いし」
「……そうですね。……やってみましょうか」
だからこそ二人は軽い気持ちでそんなことを言ってしまうのだった。