転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
ここ最近の犬守村は雪が降る頻度も減り、降ったとしてもそれほど大粒の雪にはならなくなってきた。山々を覆っていた分厚い雪も徐々に薄くなり雪解け水となり地下を通って麓まで流れ、それらは犬守疎水からわたつみ平原へと到達する。
山々を通ることでろ過され綺麗になった雪解け水は山の栄養をたっぷりと含み、海へと流れて生き物たちを育む一助となってくれる。
そんな春の兆しが見える犬守村へ足を踏み入れる四人の影。
「おお……! これが犬守山! これが雪かの!」
「空気が冷たいですネ……暖かくしてきてよかったでス」
「んふふ~滑らないように気を付けてくださいね~。なこそさんも~」
「うん、ありがとわんころちゃん」
わんこーろの導きで犬守村へやってきたのはイナク、ミャン、そしてなこその三人だった。狐稲利はナートとほうりの同好会へ遊びに行き、FSは残った報告書などの処理がまだだと言って葦原町へ残ったままだ。本当は付いていきたそうにしていたわちるも"空気を読んで"V+R=Wに留まっていた。
「わーい! なのじゃ!」
「転ばないでくださいヨ」
いまだ雪の盛られた場所の多い農道を踏みしめ、凍った雪の砕ける感覚に興奮気味なイナクをミャンが窘める。事前にわんこーろより葦原町以上の寒さだと聞いていたイナクとミャンは冬用の衣装に身を包み、暖かい状態で犬守村へとやってきた。
イナクほどではないがミャンも秋のV/L=F以来の犬守村の様子に若干興奮気味のようでしきりに辺りを見回している。枯れた木枝には真っ黒で大きな烏が何羽か留まっているが、それをヨイヤミさんだと知っている二人は笑顔を向けて名前を呼んだり、控えめに手を振ったりしていた。
そんな中、犬守山への道を進みながら横目でわんこーろへ視線を移すなこそだけは、冷静な様子だった。何度か冬の犬守村へ来たことがあるから慣れている、というわけでもなさそうで、なこそは軽い調子でわんこーろへと話しかけた。
「でも、珍しいね。わんころちゃんが私だけに重要なお話があるなんて」
「んふふ~ミャンさんの事が無くてもこの後なこそさんには犬守村へ来ていただくつもりだったんです~。葦原町ではお話出来ない事なので~」
「あ~まあ、そうだよね」
葦原町は基本的に配信者のプライベートな話をするのはあまり良しとはされていない。誰もが閲覧出来るプロフィールに書かれている内容ならば問題ないが、住所や本名、あるいは個人の触れられたくない話題などは口にしないのがマナーだ。ゆえにわんこーろはなこそを犬守村へ呼び、FSはそれを察した。
「室長からちょっとだけ聞いたよ。あの天文台、見られるようになったんだっけ?」
「はい~。確証が得られるように隅々までデータのサルベージを行っていたので~なこそさんにお伝えするのにこんなに時間がかかってしまいました~お許しを~」
「そんな。全然大丈夫だから。……そう、分かったんだね」
「ええ~」
どこか寂しそうな、けれど何処か期待している。少し下を向いたなこその顔に浮かぶ表情からわんこーろはその程度しか察する事が出来ない。ただ、犬守山へと行く足を止めないことから知りたくない、という訳では無いのだろうと思った。
わんこーろが言った通り、なこその父親に関する情報を得た後、その情報に虚偽が含まれていないか検証し、さらに詳細な情報が無いかと再度天文台空間を検索し、その結果父親に関する情報が確かなものであると確信した室長はその内容をなこそへと伝えて欲しいとわんこーろにお願いした。室長の口から言う事も出来るのだが、わんこーろにお願いしたのにはとある理由があった。
「わんこーろどのー! あれが犬守村じゃなー?」
「中々の山道ですネ。リーダー、足元注意ですヨ」
「分かっておるのじゃ!」
駆け出すイナクを追うミャン。まるで小さな子どもとその保護者だ。見ているだけでほっこりするような二人の後をわんこーろとなこそがついていく。
「ふふ、私の事は後で良いよ。それよりミャンさんの振袖、お願い」
「任せてください~」
元気よく山の入り口から参道を登る二人を見てなこそは思わず笑いだす。初めて犬守村へやってきた自身のことを思い出したのかもしれない。確かに、あのイナクのはしゃぎようはかつてのナートのようで、その後に続くミャンの姿はなこそのように思える。
なこそはわんこーろと手を繋ぎ、控えめな笑みを浮かべて二人の後へ続いた。
「え~と。確かこの辺りに使ってない生地が~……あ、ミャンさんどんな柄が良いとかあります~?」
「……正直、和服に関してはほとんど知識が無いのデ……お任せしても良いですカ?」
「りょ~かいです~。それじゃあ成人式というわけで~桜や藤の花をメインとした振袖にしましょ~季節的にも合ってますし~」
「のうのう狐稲利どの、これはなんじゃ?」
「これはねー壁掛けの振り子時計だよーあれで一つの時計ー」
「ほう、あの左右に振れているモノは飾りではないのじゃな!」
犬守神社へやってきたイナクとミャンをとりあえずいつもの配信部屋へ通し、保管していた羊羹を出してしばらく待っていてもらう。その間にわんこーろは隣の部屋の押し入れに突っ込んでいた様々な3Dモデルの中から和服用の反物を取り出していく。わんこーろ自身の服だけでなく、あのわんぱくでおてんばな狐稲利の服を作るための反物なので現実の物より多少耐久度が高めに設定されているそれを、わんこーろはいくつか取り出しミャンの前に持ってきて広げてみる。
こたつでまったりしているなこそに、借りてきた猫のように縮こまって正座しているミャン。部屋の内装が気になってあちこち歩き回っては狐稲利にこれはどういったものかと質問し続けるイナク。とりあえずイナクのことは狐稲利に任せ、わんこーろはミャンの要望、希望を聞き取りしながらどのような振袖にしていくのか話を進めていく。
といっても反物や絵柄はおまかせとのことだったので、ひとまずわんこーろは成人式の振袖によく使われる意匠である桜や藤をあしらった振袖を一着、反物から早々に切り出すとそれを宙に浮かせる。わんこーろがその小さな手を動かすと生地はその動きに合わせて折り重ねられ、徐々に振袖の形へと変化していく。
まるで布がひとりでに踊り出したかのような不思議な光景に、先ほどまで好奇心旺盛に部屋を見回していたイナクも呆然とその様子を見上げていた。これがわんこーろが服を作る時のいつもの方法なのだろう、狐稲利だけは驚くことなく、驚いている二人を見て楽しそうに笑っていた。
「よし、っと~んふふ~どうです~? まだ仮止め、みたいな状態ではありますけど~こんな感じになりそうですが~」
「……凄いでス。こんな、こんなに……綺麗なんテ。……あト、思ったよりしっかりしてるんでスね……」
ある程度形になった振袖はわんこーろが言ったように美しく咲き誇る満開の桜の花が描かれていた。白い生地に浮かぶ桜の花を主役として、季節の花々が揃い、何とも賑やかだ。桜の花の下には流れる河が描かれ、それは遠くまで続いている。まるで物語の一場面のようなその画は、ミャンが音楽活動を通して創ってきた世界を連想させた。
「単純に布の量が多いですからね~そこは慣れるしか無いかもです~。布の重量自体をシステム的に弄ることもできますけど~どうします?」
「いエ、このままでお願いしまス。とても、気に入りましタ。なんとお礼を言っていいのカ。あ、お金についてなのですガ……」
「あ、今回は別にいいですよ~。生地も余ってて使うかどうかわからないものですし~私から作らせてとお願いしたようなものですし~」
「だ、ダメでス! こんなすごいものを頂いテ何もお支払いしないのはイナクプロジェクトとしても頂けませンし、私個人としても納得できませン!」
使った反物も悪く言えば余りもので、振袖の形にするのもそれほど手間はかかっていない。ものの数分程度といったところだろう。その手間でさえ狐稲利や自身の服を作る際の手順をトレースしただけ。なので今回作った振袖は無料で良いというわんこーろだが、創作者として対価は払うべきと考えるミャンはその提案を受け入れない。
ひどく真面目な目をして一歩も譲らないだろうミャンを見て、わんこーろも困り顔だ。ここでお金をもらったとしても、電子生命体である自身では使い道が無い、というのもあり、もらっても意味がない、つまりは渡す必要の無いお金を出させようとしている、とわんこーろは感じているのだ。
「なーにやってんだか……わんころちゃん」
「ん~……なんです~?」
そんな両者固まったままの状態に呆れたなこそは仕方ないとばかりにわんこーろへと耳打ちする。なこその言葉を聞いたわんこーろは悩まし気な声を漏らし、そうしてあまり納得してなさそうな声でミャンへと提案する。
「ん~……それじゃあ、また何かお手伝いしてほしいことがあったら頼りにさせていただきます~」
「いや、それでハ……」
「まあまあ、とにかく今回はそれで~。次回からは諸々考えておきますので~」
それでもミャンはしばらくの間その提案を自身に有利すぎる条件だと突っぱねていたが、やさしく微笑みながらも一歩も引かないわんこーろを見て、渋々了承することとなった。最後の抵抗として口約束ではなく、しっかりとした契約書を制作したうえでミャンも引き下がったのだった。
「わんころちゃん、今度誰かに作るときは料金設定とか考えておいた方がいいよ?」
「ん~……分かりました~」
決して自身の技術を軽んじているわけではない。自身のもたらす技術や能力がとてつもない価値を持つ……かもしれないと、わんこーろも理解はしている。だが、やはりどこか甘くなってしまう。それが身内、あるいは同業者とも言えるヴァーチャル配信者ならばなおさら。彼ら彼女らがどれほど苦労し、どれほど努力しているのかを理解しているからこそ、この程度は良いんじゃないか、と思ってしまう。
そんな考えを抱くわんこーろに、今後も同じような3Dモデルの制作依頼をこなすつもりならば創作者として無料で請け負うのはいけないことなのだと、この時ばかりはなこそも強めの声音で注意しておく。創作者の上位層が無料や低価格で仕事を請け負えば周囲の者の立場が無い。クオリティと完成までの速度の両立はプロでも難しい、それを簡単にやってのけてしまうわんこーろにはそのあたりの自覚が薄いのだろうというなこその思いから出た言葉だった。
ミャンが気に入った振袖はまだ仮止めのような状態で、服として着用できるような状態では無い。そのためこの後わんこーろによって本格的に仕立てが行われ成人式の予定日数日前までには届ける事を約束して、その日は解散となった。まだまだ遊び足りないようなイナクを小脇に抱えてミャンは何度も頭を下げて犬守村を後にした。
犬守村の出口への案内役である狐稲利を先頭に、帰ってゆく二人を見送るわんこーろとなこそは、小さく息を吐き互いに顔を見合わせ家の中へと戻っていった。
まるで嵐が過ぎ去ったかのように静寂を取り戻した犬守神社でなこそは羊羹と、ようやく沸いたお茶を頂きながらわんこーろの話を聞いていた。
わんこーろはそれまでの経緯、室長が天文台サーバーの閲覧許可を取り、そこから葦原町の深層での出来事などをかいつまんで話していった。なこそも例の部屋に自身の親に関する情報が隠されていたことに驚いている様子だった。彼女の知りたかった事は、彼女の最も近くに隠されていたのだから。
「……そう、やっぱり、この人がお父さんだったんだね」
「はい~かき集めた資料によるとほぼ間違いありません~。お名前はシゲサトさん。元々はこの国の環境保護関係の職に就いておられたようです~その後宇宙開発関係の職を経て、合衆国の天文台職員となったようです~」
なこそは手に持った写真を見て小さくつぶやく。写っている眼鏡をかけた男性は優しそうな瞳でこちらへ微笑んでいる。彼の経歴は職員リストにも記載されており、彼が天文台の職員となるまでに様々な国で、様々な職業に就いていたことが判明した。職員の中でも扱える言語の数は最も多く、多様な文化に精通している秀才だった。
「そうなんだ……はは、お父さん、私と同じでいろんな事してたんだね。……なんだか似てるね」
わんこーろの話を聞いても、なこそは何の感情も湧いては来ない。だがそれも仕方がないだろう。父が仕事をしている姿どころか、父の顔さえも見たことがない。なこその記憶にない人物の職歴など、聞いたところで何の感慨も湧かないのは仕方のない事だろう。
「この写真だと仕事一筋、って感じに見えるもんね……いろんなもの置いてって、夢を追いかけてったのかなぁ……」
どんな人物だったのか、どんな性格をしていたのか、何一つ分からないがここまでの話を聞いた分にはまるで娘が居るようには思えないほどの自由人に思えてくる。だから、なこそは写真の人物を皮肉るように、そんな言葉を発してしまった。
すぐさま聞かせてしまったわんこーろへ、ごめん、と謝るなこそだが、わんこーろは優しく微笑んでその小さな手のひらをなこそへと向けて諭すように、つぶやいた。
「なこそさん」
「……何?」
「もし、よろしければそのカレンダー、直させてもらっても構いませんか~?」
「……直せなかったところが、直るの……?」
「サルベージした職員リストの映像データにシゲサトさんが映っているものがいくつかありました。もちろんカレンダーも。組み合わせれば復元ができなかったところが直せると思います~」
それこそが、室長がわんこーろになこその父親について話をしてほしいと願った理由だ。現実では劣化が進みほとんどカレンダーとしての役目を果たしていなかったそれは、一度わんこーろによってある程度修復されていた。だが、完全に修復するには情報が少なすぎたため中途半端な状態での修復しか成されていない。
だが今回得られた新たな情報をもって、なこその持つカレンダーを完全な形に修復する事が可能になった。
「……」
「どうします~?」
「……、……お願い、していいかな?」
「はい~、では……」
おもむろにポケットからコイン型のカレンダーを取り出したなこそは、その手が極力震えないように注意しながらわんこーろへと手渡した。受け取ったわんこーろはそのカレンダーを人差し指と親指の先で軽く持つ。
そのままゆっくりと手を離すとカレンダーは宙に浮かび上がった。わんこーろが展開したウィンドウより、復元したカレンダーの形状データが上書きされ、かつての姿へと完全に修復されていく。まるで逆再生している動画のように、欠けた部分が復元されていった。
ウィンドウの更新データの反映率が100パーセントを表示したとき、カレンダーは再びわんこーろの手のひらへと納まった。
「……はいどうぞ~」
「うん、ありがとねわんころちゃん……はは、綺麗になったね」
まるで新品のような光沢を持つカレンダーは今まで以上に黄金色に輝いている。まるでそれそのものが光を発しているかのような美しさだ。わんこーろはなこその手の中にあるカレンダーの一点を指差し、なこそは首をかしげながらもそこに注目する。
「ここ、見てください~傷がついているでしょ~?」
「あ、ほんとだ。これは復元できなかったってこと?」
「いえ~実は、シゲサトさんの持っているカレンダーにも既に傷がついていたんです~……傷がついているところの数字、なんだかわかります~?」
「数字……あ、これって……」
なこその持つコイン型のカレンダーは厚めの円盤と薄めの穴あき円盤が重なり、二つの円盤をスライドさせることで表面に印字された年、月、日を表す数字を組み合わせて40年分の日付を表示させる事ができる40年カレンダーである。そのカレンダーの月と日を表す数字の羅列の中に、ワザと付けたであろう傷が残っていた。経年劣化による損耗ではなく、人為的に付けられたその傷が指し示す日付は、なこそにとって大切な、両親との繋がりを示す数字でもあった。
「私の……誕生日……?」
「……忘れないようにしてらっしゃったんですね~。いろいろな国へ出かけたり、その国で働いたりされていたので、持っている時計はすべてその国の標準時間に合わせて、日付さえ異なる場所で働いておられた事もあったんでしょう~。もしかしたら電子機器を持ち歩けないこともあったかもです~。でも、このカレンダーだけは肌身離さず、大切な日に傷を付けて、決して忘れないようにしてらっしゃったのでしょう~」
なこそは両親のことを全く知らない。母親は亡くなったらしいということを室長に調べてもらい知ってはいたが、父親についてはそれさえも分からない状態だった。父が自身をどのように想っていたのか、そもそも
だが、そのカレンダーはなこそと彼との関係性を示すだけでなく、彼が父親としてなこそを想っていた何よりの証拠だった。
「わんころちゃん……。私、自分の両親の事とか、あまり知りたいと思ってなかったんだ。……私を捨てたのか、それともどうにもならない理由があったのか、どちらにしたって私の前からいなくなっちゃったんだから」
なこそは手に取ることが出来るただ一つの父との繋がりを胸に抱き、潤んだ瞳を隠すように顔を伏せる。震える声で今まで誰にも言わない、言ってもどうしようもないはずの言葉をようやくすべて吐き出す機会を得た。
「でも……よかった、知れてよかった……! ありがとわんころちゃん……!」
わんこーろは微笑み、小さく丸まったなこその頭を優しく撫でてやる。今のなこそは年相応の、まだまだ小さな少女なのだ。
この時ばかりは甘えても誰にも文句など言われはしないだろう。
「んふふ~……大事に、なさってくださいね」