転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#215 イナク

 

「のじゃ……のじゃ……」

 

 FSに次ぐ大手ヴァーチャル配信者グループ、イナクプロジェクトのリーダーであるイナクは頭垂れたまま廊下をトボトボと歩いていた。すれ違う他の配信者はその姿を見てイナクだと分かっていてもあまりにも力無い姿に声をかけるどころか少し距離を開けて歩いているほどだった。

 

「な、なぜじゃ~……なぜこうも上手くいかんのじゃ~……」

 

 生徒会室を勢いよく飛び出した時とは打って変わり、イナクの顔は非常に情けないもので、今にも泣き出しそうなほどだった。翼はぺたんと折りたたまれ、尻尾は情けなく自身の太ももに巻き付いてしまっている。

 

 あの後イナクはまだ生徒会が調査していない五つ目、六つ目、七つ目の噂を確かめようとしていた。自身の好奇心の赴くまま、謎を求めて進むその姿は確かに配信者のそれであったが、その思惑が崩れた時の情けない姿もまた、配信者のそれであった。

 

 イナクが調査を始めた五つ目の話『永遠に続く廊下』だが、これはどうやら葦原町に接続された各種リンクへと到達するためのルートらしかった。そのような隠されたリンクや別管理空間が存在していることは、知っている者は知っている情報であり、比較的FSと距離の近いイナクプロジェクトの面々はそれを確かな情報として知っていた。

 廊下を行き来する、階段を上り下りする、そういった回数やタイミングによって出現するリンクへの扉。わんこーろが隠した中枢たる天文台の隔離空間への行き方も同様の手法で隠されているリンクの一つだ。

 

 

「うー……もうあと二つしかないのじゃ~」

 

 イナクはパタパタと翼を動かしながらもどうしたものかと頭を悩ませていた。イナクとしては密かに噂になっている葦原学校七不思議、それを目玉とした配信をすることで一期生、二期生の中でも飛びぬけた視聴者を獲得出来るのでは無いかと計画していたのだ。

 だが実際は生徒会の調査が行われており、既に七不思議の半数が解明されていた。しっかりとした調査報告書も制作するらしく、今すぐに七不思議調査配信を行ったところで二番煎じ感は否めない。

 視聴者側はまだその報告書とやらが公開されていないのだからイナクの配信が二番煎じなどとは思わないだろうが、そこはイナクのプライドが許さなかった。というより、FSが既に調査を行っているのに配信で自信満々に葦原町初の調査配信! などと言えるほど彼女の面の皮は厚くないのだ。

 

「はぁ……これじゃあ、また足を引っ張ってしまう……のじゃ」

 

 イナクプロジェクトのリーダーであるイナクは粒子科学技研の所属ヴァーチャル配信者となる前、個人配信者として細々と活動していた。当時はチャンネル登録者数も同時視聴者数もそれほど多くは無かった彼女はそれでも見てくれている視聴者と共に話をするのが大好きだった。

 だが、徐々に増えていく登録者数に彼女は今以上に質の高い配信を目指すようになっていった。増えていくファンの数に見合うだけの面白い配信をしなければいけない。視聴者の期待を裏切りたくはない。そんな想いが彼女を四六時中苛ませた。

 

 期待に応えたいという義務感と応えられなかったらどうしよう、というプレッシャーに挟まれた彼女はそればかりを考えるようになり、次第に自身が面白いと感じるモノよりも、視聴者が求めているモノを優先するようになった。

 そうして、視聴者の求めているモノではなく、彼女らしさを求めていた視聴者は次第に離れていき、彼女の配信に彼女らしさは無くなった。

 

 かつて彼女と楽しく雑談をしていた古参の視聴者がいなくなって、そうして彼女は配信者として大切なものを思い出し、配信を止めた。

 

 これ以上配信者として活動を続けていれば、きっと壊れてしまう。そう感じたから。

 

 だが、そんな彼女はFS新人(わちる)の初配信を偶然見かけ、その初々しさに懐かしさを覚える。

 自身も、あのように視聴者と共に笑い合っていただろう。恥ずかしい思いをしたり、怒ったり、びっくりしたり、嬉しくて泣いたこともあっただろう。そして、挫折する事もあっただろう。

 

 だが、その新人には仲間がいた。まるで家族のように親し気な仲間が。

 

 ──もし、自分にもあんな仲間がいたら──

 

 

 その後、彼女は粒子科学技研のヴァーチャル配信者グループ設立プロジェクトのオーディションに応募した。数千もの応募の中から彼女はかつての配信者としての技術を総動員して臨み、そしてメンバーに選ばれた。

 

 彼女がイナクになった初配信、そこでイナクはもう一度やり直すことにした。配信者としてまず自分自身を大切にし、そのうえで視聴者を楽しませるようなそんな配信者になりたいと願った。

 

 だからイナクは初配信でまずありえないような事をやった。かつて配信者として活動していた事、当時の配信者名やアカウントを公開しかつて自身に期待していた視聴者たちを迎えにいった。そしてもう一度応援してほしいと頭を下げた。

 

 あまりのことに初見もかつての視聴者も困惑し、同期からもどう接していいのか分からず遠巻きにされ、運営にも怒られる始末。だがイナクはそれを承知でやったのだ。過去を過去として切り捨てたくない、あの時も含めて自分自身なのだと思ったからだ。

 

 当然この騒動は炎上するレベルの大事になった。過去のイナクが大げさに暴露され、イナクの契約解除を求める声さえ聞こえ始めた。だが、そのような声さえ意に介さず努力するイナクの姿は徐々に共感を呼び、秋のV/L=Fでわちる達と共に騒動を収束させた事で他の配信者からも一目置かれる立場となり、ようやくイナクプロジェクトのリーダーイナクとして受け入れられることとなる。

 

 そうして始まったイナクとしての新たな配信活動だが、イナクの根本は変わっていない。かつてのような無理をしてまで期待に応えようとしているわけでは無いが、視聴者に楽しんでもらいたいという気持ちは人一倍あった。まだ年若く無鉄砲な所もあるイナクだからこそ、他の配信者があまり触れない七不思議の調査というものをしようと考えたのだ。

 

 だが、その七不思議調査企画もどうやらお蔵入りしそうだとイナクはため息を零す。

 

 同じグループのほうりは血のつながった姉の存在もありFSと仲が良く、同好会活動も順調。ミャンはアーティストとして認められ、配信者界隈の外にまで名が通っている。津々百合姉妹も自由奔放な配信スタイルが受け入れられているらしい。

 

 そんな仲間の足を引っ張りたくはない、というのがイナクの想いだった。

 

「次の企画を考えるべきかの~……ん~ミャンにでも相談してみるかの~」

 

 その"仲間の足を引っ張りたくない"という感情は一歩間違えばかつての期待とプレッシャーに押しつぶされていた時代と同じ轍を踏む事になりかねないとイナクも重々承知していた。だから、それを承知しているからこそ、一人で抱え込む事はしない。仲間の足を引っ張らないためには、仲間に助けを求めてもいいのだ。

 

「のじゃのじゃ、どうせならあの双子も一緒にやるのじゃ! 前に部活の無い日は暇だとか言っておったしのう!」

 

 頭の中でミャンや津々百合姉妹の事を考えていると、しかたないデスねと渋々了承する歌姫や未だ双子から姉妹へと呼び方を変えないイナクに渋い顔をする姉妹が浮かび上がってくる。いつもはほぼ無表情な姉妹がそんな珍しい顔をするものだから、イナクは未だ二人を双子と呼んでいる事に気づいていない。

 

 

「んーそれにしても、じゃ。この六つ目の話は一体なんなのかのう……」

 

 イナクが調べた七不思議の六つ目は『笑う三人娘』と呼ばれ、誰も居ない教室で三人の娘が何やら談笑をしている、というもの。

 これだけ聞くと何が不思議なのか? と思ってしまうだろう。教室で配信者同士が雑談をするなど珍しくも無いし、娘と呼んでも問題ない幼い姿の配信者も多数存在する。

 

 この三人の娘というのが誰なのか、なぜ笑っているのか、どうして三人なのか、説明されていない要素が多数あり、そういう意味では確かに謎の多い話だ。

 

「ふうむ、七不思議とやらの定石では後ろの番号になるにつれてより謎な話になるようじゃが……なぜこれが最後から二番目なのじゃ?」

 

 イナクはその後も残りの七不思議について考えを深めながら廊下を歩いていく。そもそも順番に意味などないのだろうか。三人娘と言うのも何かしらの噂話が組み合わさり伝わっただけで理由など無いのかもしれない。

 

 いや、おそらく無いのだろう。確かな理由などなくただ何となくその方が面白いから、そうやって出来たのが都市伝説であり七不思議なのではないか。

 

「うーむ……考えれば考えるほど意味がないような気がしてくるのじゃ……」

 

 唸るイナクは廊下を歩く。

 

 歩く。

 

「……ん? なんじゃ?」

 

 夕方の寂し気な黄昏の光が窓から廊下を照らしていく。まぶしく葦原の地の天辺に在った太陽はまだ開拓の済んでいない真っ白なポリゴンの水平線へと沈もうとしていた。

 

 遠くから聞こえる配信者たちの笑い声が小さくこだまして無音の廊下へと静かに響いていく。それ以外に聞こえるものと言えば、イナクが廊下を歩くコツ、コツという足音だけのはず。

 

 だが、イナクの耳はそれ以外の音を遠くから捉えてしまった。それは何者かの、何者たちかの笑い声だった。何を話しているのかは分からない。だが、確実に複数人が何かの話をしている事だけは分かった。おそらく、三人。

 

「……ごく」

 

 思わず生唾を飲み込むイナク。季節は冬から春へと変わり始めたとはいえ、この時間帯はまだ少し肌寒い。だが、この鳥肌が立つような寒気はそれだけでは無いだろう。

 黄昏時のオレンジ色の光に満たされた廊下はいつもの葦原町とはまるで違う雰囲気が漂い、既知と異なる未知の状態というものがイナクの胸中をじわじわと恐怖心で満たそうとしてくる。

 

 それなのに、向こうより聞こえる笑い声は殊更楽しそうだ。

 

「まさか、まさかなのじゃ……?」

 

 恐怖心に煽られながらも好奇心から前に進むイナクは笑い声が聞こえる教室の前までやってきた。イナクが教室のドアの前に立っていても中から笑い声が途切れる事は無い。手汗が滲む手を見つめ、仮想空間なのに手汗って出るんじゃのう……などと考えて現実逃避していたイナクだが、数分迷った後、意を決してドアに手をかけ、そして開いた。

 

 

「……!」

 

「……?」

 

「……」

 

「の……じゃ……?」

 

 教室の中はまぶしいほどに夕日の光が差し込み、並んだ教室机を照らしていた。そんな机の一つに三人の少女が集まっている。三人ともセーラー服と呼ばれる制服を身に着けている。現実でも既に廃れた文化であり、葦原町でも制服などという物は存在しないのだが、その三人は当たり前のように同じ制服を着用していた。

 

 イナクの登場に驚き談笑を止め、突然の訪問者へと視線を移す三人の少女。思わず固まった双方だが、イナクの方はある程度覚悟して扉を開けたのでまだ三人の少女の姿を確認するくらいの余裕は残されていた。

 

 一人目は机の上に腰掛け美しい金の髪をなびかせた活発そうな少女。口元から見える鋭い八重歯がその印象をより強いものとし、伸びた両足をぷらぷらと所在なさげに動かし、話をしながら動いていたであろう両手の様子からも少女のお転婆具合がうかがえる。

 

 二人目は金髪の少女が腰掛けている机に付属していただろう椅子に腰掛けている黒髪の少女だ。長い黒髪の隙間から覗く双眸は同じく黒く輝いており、イナクを射貫かんばかりの目力を感じる。だが、表情そのものが険しい訳では無いので睨みつけているわけでは無いだろう。椅子に姿勢正しく座り、両足のつま先はそろえられ、両掌は太ももの上に乗せられている。整えられている黒髪やキッチリとした制服も相まって真面目な性格なのだと分かる。

 

 三人目は隣の机から持ってきた椅子に腰かけ、頭だけを机の上に乗せて目を閉じている少女。脱力して両手を投げ出している様子から寝ているのか、それともただボーっとしているだけなのかは分からない。ふんわりとしたクセッ毛の茶色い髪の少女はこの状況でも動じていない。マイペースな性格なのだろう。

 

 そんな三者三様を表す三人の姿は非常に印象的に映る。ヴァーチャル配信者としてならかなりのクオリティの3Dモデルであるし、第一印象からも特色のある三人だ。だが、そんな三人をイナクは知らない。現在葦原町に参加している配信者をほぼ全員頭に叩き込んでいるイナクだが、一期生にも二期生にも彼女たちの姿に心当たりは無い。

 

「……!!」

 

 イナクが彼女たちについて考え込んでいるタイミングで動いたのは金髪の少女だった。イナクの姿を把握した瞬間、目を輝かせ、まるで跳び箱から飛び降りるように両手で座ってた机を押し、勢いで立ち上がった。そのままスキップするような軽やかさでイナクへと近づくと、そのキラキラした瞳でイナクの瞳をじっと覗き込んだ。

 

「のじゃ!?」

 

「!」

 

 思わずのけ反るイナクに、イタズラが成功したとばかりに笑う金髪の少女。八重歯のギラつく口元の鋭利さにイナクは一瞬ドキリとする。混乱するイナクの腕を金髪の少女は掴み、そのまま残りの二人のところへと連れていく。

 

 そんな金髪の少女の行為に慌てたのは黒髪の少女だ。思い切り首を横に振り、金髪の少女の行動を窘めようとしている。同時にイナクへと申し訳なさそうに頭を何度も下げる黒髪の少女。その間、茶髪の少女はまだ机の上で寝続けている。

 

「あー……えっと、大丈夫、じゃよ?」

 

「……」

 

 ひどく狼狽しているらしい黒髪の少女の姿にイナクは逆に冷静になる。どうもこの少女たちは自身に危害を加えるつもりはないようだ。金髪の少女も黒髪の少女に怒られて、渋々であるが頭を下げてくれた。

 イナクは黒髪の少女に落ち着くようにと声をかける。嬉しそうな、照れているような黒髪の少女は再度小さく頭を下げると、イナクを空いた椅子へと案内する。その丁寧な仕草に少し迷いながらもイナクは誘われることとした。何事も経験だ。恐怖心も彼女たちの姿を見てからは薄れていた。

 

「お隣、失礼するのじゃ」

 

 隣で寝ているらしい茶髪の少女に声をかけると、少女は薄っすら目を開けイナクの姿を確認し、二コリとイナクへ微笑んでもう一度目を閉じてしまった。

 

 そんな茶髪の少女の様子に金髪の少女はヤレヤレと呆れたように両手を上げ、黒髪の少女はイナクへと頭を下げる。だが、そのマイペースな様子にイナクは不快感を覚えなかった。大丈夫じゃよ、とイナクが言うと少女たちは安堵した様子で再び雑談を始めた。時折イナクのツノや翼、尻尾を興味深げに見つめ、それに気づいたイナクが触らせてやったりと比較的穏やかな時間が続いた。

 

 だが、イナクはその空間の決定的な違和感に内心穏やかではなかった。

 

(……やはり、何を言っているのか全然分からんのう……)

 

 三人の少女たちは確かに雑談に興じている。それは確かであり、笑い声も聞こえる。だが、少女達が何を話しているのかイナクには全く理解できなかった。少女たちが話している内容が高度すぎるだとか、言語がイナクの話している言語と異なるという意味では無く、イナクの耳には少女たちの声が全く"聞こえない"のだ。まるで言葉という音を用いたコミュニケーション方法を利用せず、音声として認識できない異なる情報伝達の手法を用いているかのような、そのような違和感があった。だが、内容が"聞こえない"だけであり、内容が"理解できない"わけではなかった。

 

 事実としてイナクは少女たちの言葉を理解出来ていないが、何を話しているのかは理解出来ていた。ツノに視線を合わせていた金髪の少女からは「さわってもいいー?」という意味合いの言葉が発せられたであろうと感覚で理解できたし、黒髪の少女が頭を下げる時には「すみません!」という言葉が発せられたのだろうと理解出来た。だが、それをイナクは彼女らの表情や手指を用いたリアクションによってなんとなく理解出来ているのだろうと思い、深くは考えなかった。

 

(言葉が、話せないのじゃろうか……?)

 

 イナクプロジェクトに所属し、運営元かつV+R=W協力企業の中でも規模の大きい粒子科学技研、そこの娘であるほうりからイナクは話を聞いたことがあった。V+R=Wは現実世界では実行出来ないような実験や検証を行う場として構築された面もあると。そして、そんな実験、検証を望む協力企業の中には医療関係の企業も含まれているという事を。

 

(こやつらは……もしかして……。それなら見たことが無いのも納得じゃし、名前が分からぬのも理解できるのう。個人情報の扱いは厳重じゃと聞くし)

 

 医療関係の企業がこの空間で期待する事……精神的な療養、メンタルケア、リハビリ。そんな検証を行っていても不思議ではない。それならイナクが一期生、二期生の中に少女たちを見かけた覚えが無いのも納得できる。少女たちが、医療関係の企業の紹介でやってきた臨床試験の対象者ならば。

 

(まあ、しばらくは付き合うとするかのぅ、楽しそうじゃし)

 

 談笑する三人を優しく見守るイナクは現状がそれほど深刻でないと感じ、ただ楽し気に笑い合う三人と共に居ることにした。

 


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