転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#229 九炉輪菜わちる

 

 かつてこの国の首都とされていた都市は現在高濃度の大気汚染に見舞われ決して人が足を踏み入れることなど出来ない土地となり果てていた。管理する人間のいなくなった高層ビルなどの巨大建築物は倒壊を始め、汚染だけでなくそのような危険性から首都への立ち入りは厳しく制限されていた。

 だが、その立ち入り制限はあくまで地上の元首都のエリアに限られている。地下にはかつて存在していた地下鉄網から派生した大規模な地下居住区が広がっており、この国の首都機能は現在その地下首都へと移されていた。国を動かすための一切が地下へと移され、行政、立法、司法の三権においても同様に地下へと機能も施設も移された。

 

 それは地上の汚染から逃避するための手段であったが、今にして思えば失敗であったと言えるだろう。なぜならこの地下に張り巡らされた首都機能はあと十年程度で完全に停止してしまうからだ。

 

 

 

「ここは相変わらずだな……」

 

 地下にも関わらずまるで地上に存在していた首都のように地下へと伸びる巨大なビル群を見下げ、室長は感情の籠らない声でそう呟く。巨大な地下洞に鍾乳石のようにぶら下がるビルの隙間を蛇のようにうねった通路がいくつも渡されている。太陽を模した巨大な照明装置が空間全体を照らし人々は忙しなく行き交っている。

 

「いや、例の騒動のせいか、いつもより騒がしいか?」

 

 塔の街崩壊の情報は当然首都にも伝わっており、地下首都は塔の街住人の受け入れを行っている。その関係で現在首都は通常よりも人が多いように見られた。雑多な人波を避け、室長は人の流れに逆らうように道を歩いていく。

 

 しばらく歩いていると人がまばらな地区が見えてきた。居住区から離れ、行政関係の施設が集まっている地区へとやってきた室長は、その中の一つの建物へと入っていく。中に入ると数人のスーツ姿の人間がおり、入ってきた室長を一瞥するがそのまま声をかけることも無く視線を外す。室長も慣れたもので、無遠慮な視線をものともせず家の奥へと入っていく。

 家の中は只の民家とは思えないほどの厳重なセキュリティが施されており、一つの扉をくぐるだけでも何十ものロックの解除と暗証番号の入力を求められるほどだった。

 

 そうしていくつかの扉を通り、目的の部屋へとたどり着いた室長は軽くノックした後、返事を待たずに扉を開けて中へと入っていった。

 

「久しぶりだな、蛇谷」

 

「……ああ、草薙か」

 

 部屋の奥に居たのはかつて推進室でわちるとわんこーろが思わぬ遭遇を果たすことになった要因であり、秋のV/L=Fにて管理者の侵入を許す原因となった先研の元代表、復興省の元職員、蛇谷だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か飲むか? 此処なら高級品も飲み放題だぞ?」

 

 部屋の中は想像よりも豪華な装いとなっていた。照明には小さめのシャンデリアがぶら下がり、壁一面は本棚が備え付けられ希少なはずの書籍が隙間なく納められている。中央に置かれている椅子も座り心地がよさそうなうえに装飾も華美なほどで少々座るのを躊躇うほどだ。テーブルも足の部分から縁まで細かな装飾が施されており高級品と一目で分かる。

 

 他にも部屋に置いてあるものはどれも現在では希少、高級とされる部類の素材を用いたものばかりで、いったいどれほどの金と時間をかけて作られた部屋なのか見当もつかない。

 

 だが、室長はそんな部屋の様子を面倒くさそうに鼻を一度鳴らした程度で流してしまう。確かに豪華で圧倒される光景ではあるが、ただそれだけだ。部屋に集められた物品の数々はてんでバラバラで統一感も無く、とにかく貴重なものを集めて一つの部屋に押し込めただけのようにしか見えず、生活感が見られない。

 

 物だけを詰め込んだ部屋は物の展示場所としての意味しかなく、故に室長にはからっぽに見えた。これならば現実にあるこの部屋よりも仮想にある犬守村の方がよっぽど詰め込まれている。

 

「豪華な牢屋だろう? 秋の一件以降、政府は私から塔の情報を聞き出そうと躍起になっている。警護と称して私を監視する人間を多数配置し、このような"がらんどう"に押し込めてな」

 

 秋のV/L=Fで引き起こされた事件によってこの国の政府は蛇谷が先研を通じて塔の管理者と繋がっていた事を知った。政府は蛇谷を"主塔を開放するための最重要人物"として保護し護衛を付けているがそれは建前であり実際には蛇谷のみが知り得る技術、知識に関して彼から引き出そうと考えているらしかった。多数の護衛や抜け出すことも難しい家のつくりは蛇谷が他国、あるいは他組織へと亡命する可能性を考慮してのことだ。

 

 蛇谷はこの特製の牢獄で死ぬまで監視され続ける未来が決定している。

 

「コーヒー以外にもあるが飲むか? 合成じゃないぞ?」

 

「結構だ。聞きたいことを聞いたらすぐに帰る」

 

「寂しいことを言うねぇ」

 

 だがそんな牢獄で生活している蛇谷は最後に会った時と同じく室長に怪しい笑みを浮かべ、自身の持つカップをゆらゆら揺らす。室長に座るよう促し、蛇谷も向かい側の椅子に深々と座り込んだ。

 

「で、何が聞きたいのかね? 大抵の事は既に話した後なのだが?」

 

「……私が聞きたいのは塔そのものというより、それを創った者たちについてだ」

 

 その言葉に蛇谷は指で顎を撫で、わざとらしく首をかしげる。人の感情を逆撫でするような表情は相変わらずだ。コップの中のコーヒーが波打つ様子を眺めながら蛇谷は睨みつける室長の視線を受け流し、天井の照明を見つめる。

 

「……と、言われてもねぇ……さすがにそんなこと知らんぞ? 聞く相手を間違えてるんじゃないか?」

 

 蛇谷の視線につられるように天井を見る室長はシャンデリアの一角に妙な光の反射を見た。照明の一点から照射される光の反射とは異なるその光に室長は顔を顰め、再度蛇谷へと視線を移す。

 

「いいや、管理者と話したことのあるお前なら知ってるはずだ。……ヴィータを知っているか?」

 

「ヴィータね……知っているとも。今話題の、あのヴィータだろう? それが何か?」

 

 蛇谷は続いてコーヒーの入ったコップをテーブルに、コンコンと二度音を立てて置いた。室長が置かれたコップの付近を見ると、木製に見えるテーブルには木の節に偽装した黒く小さな何かが埋まっており、時折照明の光でキラリと反射している。

 

(なるほど。言いたくても言えない、とでも言うつもりか……? ……なら、多少焦ってもらうとしよう)

 

 シャンデリアとテーブルに見られる不審な反射……いや、小型カメラのレンズを把握した室長は蛇谷がこの場で重要な話をするつもりが無いのだと理解した。おそらくカメラだけでなく盗聴器のたぐいも大量に隠されているのだろう。

 蛇谷には出歩く自由どころか、プライベートまで筒抜けな生活を強いられているらしい。

 

 だが、室長にはそんなことは関係ない。ここに来たのは蛇谷の為に空気を読むためでなく、知りたいことを知るためだ。

 

「ヴィータと管理者は繋がっている。管理者は電──」

 

「! おいおいおい、まてまて! 言っただろう? 管理者に関してはいくらか会話をしたことはあるが、周辺組織の話など私に聞いても何も知らんよ!」

 

 室長がいきなり核心部分を口にしようとしたものだから、蛇谷は慌てて声を被せて次の言葉が室長の口から零れ落ちるのを阻止する。なぜ、自身がこのように焦らなければならないのか、と渋い顔をする蛇谷に、室長は涼しい顔だ。

 

「急かさないと出すものも出さんだろう?」

 

「まったく……」

 

 蛇谷はゆっくりと立ち上がると壁に設置された本棚へと歩いていく。収納された本たちを視線で流し見して指先で本の背表紙を撫でていき、そうして蛇谷はとある一冊の本の前で指を止め背表紙を音を出さぬよう慎重に二度叩く、そしてその隣の本を取り出した。

 

「……とにかく、私は何も知らん。復興省の人間にこってり絞られて知ってる事は全部吐いた。知りたければ復興省に聞くんだな」

 

 これ以上話すことは無いと蛇谷は椅子に座り手に持った本を読み始めた。視線は文字を追いながら、あいた手を室長を追い払うように動かし、退室を促す。だが、室長はそんな蛇谷の様子を物珍しそうに観察している。

 

「……蛇谷お前、本を読むのか?」

 

「おかしいことでもないだろう? 効率化社会でも本くらい残っていたからな。読みたいなら一冊借りていってもいいぞ、ここにあるものはすべて私のものらしいからな」

 

「……なら、一冊だけ借りていくことにしよう。FSも葦原町もしばらくは動けないだろうから時間はある」

 

 室長は先ほど蛇谷が背表紙を二度叩いた本を取り出して表紙を確認する。それは古い小説のようで、広大な宇宙空間に見切れた地球と遠くに写る小さな月が描かれ、その間に人類がかつて想像したであろう巨大な宇宙ステーションが浮かんでいる。題名は古めかしいフォントで中央に堂々と白文字で書かれ、その下に作者と翻訳家の名前が続いている。題名だけ見ればまるで楽しい宇宙旅行をする話のように見えるが、表紙に描かれた暗黒の宇宙と無機質な宇宙ステーションの姿がどこか恐ろしさを醸し出しているような気がしてくる。

 

「邪魔をしたな蛇谷」

 

「私はただ此処に居るだけだ。何の邪魔にもなってないさ。……草薙」

 

「なんだ?」

 

「あの子に……九炉輪菜わちるに、すまなかったと言っておいてくれ。あれは私の独断だった」

 

 突然の謝罪に室長は何のことかと一瞬無言になるがすぐに思い出す。蛇谷とわちるの接点と言えばわちるとわんこーろが初めて仮想空間で遭遇することになったあの一件だ。

 

「……わちるも気にしてはいないさ。むしろわんこーろと会わせてくれて感謝さえしてる様だったぞ?」

 

「ふん……お前はあの街にまだ残るのか?」

 

「あの子たちが出ていくまで居続けるさ。あそこはあの子たちの家で、あの子たちは家族で……私はあの子たちの母親代わりのつもりだ。少しでも大人としての責任を果たしておかなければな」

 

 FSメンバー全員が最終日まで残ることを希望したのはあの家から離れたくないという思いの表れだった。ヴィータとわんこーろの予測通り塔が崩壊し、塔の街が壊滅的被害を被るならあの家にはもう二度と帰ってくる事はできない。FSはあの家、あるいはあの家で生活した思い出を手放したくないという思いを無意識に抱いているのかもしれない。もしそうならば、あの子たち全員と一緒に居られる最後の日まであの子たちの保護者として居続けてやりたいと室長は考えていた。

 

 本を小脇にかかえ室長は部屋を出ていく。両開きの大きな扉を開け、すぐそこに居た監視者の視線も気にすることなく出口へと歩く室長を、蛇谷は扉が締まる寸前まで見つめ続けていた。

 

 

 

 

 バタン、と大きな音を立てて扉が閉まると蛇谷は一つ息を吐き脱力する。椅子の背もたれにどかっと体を預け、そのままずるずると背もたれを滑っていく。蛇谷は知っていた。この角度で、この体勢ならば設置されているどのカメラにも手元が映らないという事に。

 

 手に持った本を再度開け、目次の一ページ目をめくる。めくった先に次のページは無かった。この本はその後のすべてのページがくりぬかれ、中に物が収納できるように細工された、本の形をした入れ物だった。

 蛇谷はそこに隠されていたあるものを手に取り、眺める。

 

 金属特有の光沢の上から黒く塗装されたそれ。安全装置が入っている事を確認し、音が出ないように弾倉を取り出して弾丸が装填されているかを確認する。再び弾倉を本体に入れ、人差し指がトリガーに触れないよう注意しながら、静かにスライドを引く。

 

「草薙よ……お前は言ったな。大人は責任を果たさなければいけないと……」

 

 蛇谷はそれをカメラに映らないよう胸元にしまい、本を閉じた。

 

 

 弾丸の数は、一発だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九炉輪菜わちるは遠ざかる塔の街をモノレールの車窓から見つめ、しばらくして物憂げに目を伏せる。後一週間ちょっとであの街から出ていかなければいけない。そして、二度と帰ってはこれなくなる。

 

「……」

 

 モノレールの中へと視線を移すといくらかの家族が固まって座席に座っているのが見て取れる。両親と共に不安げな顔の少年少女が親と手を繋ぎ、遠ざかる塔の街を見つめ続けている。まるでその目に焼き付けようとしているかのように。

 

「わんこーろさん……」

 

 全世界へ発されたヴィータの緊急声明を一斉に報道するニュース番組を見た時も、室長からこの世界の未来を聞いた時も、わちるは不安を紛らわせるように朝から晩までわんこーろと携帯端末ごしに眠くなるまで語り合った。

 

 それでもわちるの不安はまだ心の中にこびりついたままになっている。これが最後という訳じゃない。はなればなれになっても会おうと思えばいつでも会える。そう思い込もうとしても不安に駆られるわちるには難しい。

 

 現実はいつまでも同じ時が流れているわけではない。今のようにずっと続くと思っていた日常がある日途端に無くなってしまう事もある。一緒に居た仲間や家族が散り散りになることもある。わちるはその現実を受け入れる覚悟が出来ていなかった。

 

 だからなのだろうか、わちるは仮想に住むわんこーろを見続けた。配信アーカイブで、生放送で、携帯端末で……。

 

 それはわちるなりの心を守るための防衛反応だったのかもしれない。凄まじいストレスを和らげる為に仮想の世界を求めたのかもしれない。求めたわちるも、受け入れたわんこーろもそれが現実逃避だと理解していた。だが、それ以外に今のわちるが心を保つ方法は無かった。

 

「私……私は、どうしたいんだろう……?」

 

 モノレールは塔の街を離れ、地下へと潜っていく。トンネル内の圧縮された空気が衝撃となって大きな音を立て、等間隔で設置された灯が薄暗い車内を照らしていく。窓を叩くような空気の圧が車体を揺らし、徐々に光が強くなっていく。速度が落ち、近づく駅を見てわちるはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わちるがモノレールから降りたのはそれからいくつか駅を通過した後だった。わちるが降りた場所は駅のような姿をしているが厳密には駅ではない。綺麗に塗装された白色の壁が続き、人の気配は無い。

 わちるの足音だけが響く真っ白な空間はまるでネット内の仮想空間のようにも見えるが、その真っ白な壁の向こうに広がっているのは無限に続くネットワークの世界ではなく土と岩、あるいは監視カメラと監視員のいる監視室だろう。

 

 わちるが降りた駅は本来一般人が入場できるエリアではない。鉄道の管理を任されている人間か、復興省のごく一部の人間だけが特別な許可を得てこの駅の向こうへ行くことができる。だが、例外としてわちるだけは何の許可も必要とせずに入ることができる場所だった。

 

「……」

 

 わちるは慣れた様子で真っ白な廊下を進み、歩みを拒む隔壁は自動で開いていく。おそらく監視室にいる人間が開けてくれているのだろう。その者たちをわちるは見たことも無いし、本来気にするべき者たちではないのだが、扉が自動で開くたびにわちるは軽く頭を下げてから前へと進んでいた。

 

 そうしてしばらく歩いた先にあったのは立派な日本家屋だった。多少近代化されてはいるが、それでも外見は犬守村に存在する建築物に近しい姿をしていた。

 

「……ただいま、おばあちゃん」

 

 

 わちるはポケットから鍵を取り出し玄関の引き戸錠へと差し込んで回し、開錠して扉を動かす。扉はカラカラと音を立てて横へとスライドして開き、わちるは緑色に塗られた玄関の床で靴を脱いで部屋の中へと歩いていく。

 

 玄関から一本の廊下が続き、奥に行けばキッチンやトイレなどの水回りが集まっている。途中の襖を開ければ畳の敷かれた客間があり、広々とした空間が広がっている。

 

「はぁ……なんだか疲れたなあ……」

 

 畳の上に寝転がったわちるはそのまま何をするわけでもなく呟いた。部屋はそれぞれ戸で閉め切られ若干薄暗いのだが、漂う空気は澱んでいない。久しぶりに帰ってきた場所だというのに、常に管理されているこの家はわちるがメンテナンスする必要などないほど完璧な状態に保存されている。

 

 空気が澱むことはおろかホコリが積もる事も無く、壁や柱が朽ちることも、湿気でダメになることもない。それは管理が行き届いているという理由だけでなく、そもそもとしてこの家がかつての日本家屋のように木造ではないというのもある。

 

 木材のように見えるものは合成の建材で、畳のように見えるものは化学繊維を編み込んで作られたもの。障子はそのように見えるだけのプラスチックの薄板がはめ込まれている。その家からは木の爽やかな匂いはなく、畳の落ち着く香りも感じる事はない。

 

 それでもここはわちるの暮らしていた、確かにわちるの実家と言える場所だった。時々帰ってきてはその懐かしさを感じたくなるくらいには。

 

「障子くらい開けた方がいいかな……?」

 

 完全な管理により家全体の空調や湿度の管理が成されているため犬守村の犬守神社のように空気の入れ替えなどする必要はない。わちるもわんこーろと出会うまでは本来そのような行為が必要だという事も知らなかった。祖母は必要な知識ではないと教えてはくれなかった。

 

「ふふ、わんこーろさんのおかげですね」

 

 かつて祖母と暮らしていた時はよくわからなかった行動や家のつくりはわんこーろに教えてもらった。強い雨が降れば雨戸を閉めたり、障子戸は定期的に張り替えなければいけなかったり、畳は天日干ししないといけなかったり。

 

 それらの知識を祖母は、わちるの世代には不必要な知識だからと教えてはくれなかった。祖母も祖母で合成の建材だらけになった家にそのような知識を用いる必要はないと理解していたが、もう習慣付いているから、と言って決してやめることはなかった。

 

 そんな昔ながらの非効率な生き方をする祖母は効率化社会では異常者として見られていたのだろう。出来るだけわちるには周囲の害悪が向かないよう、この家で暮らしている事を秘密にさせ、出来るだけ現代的な生活を与えた。

 けれどもわちるはそんな祖母にひどく懐いていた。たった一人の血のつながった家族であるだけでなく、わちるは祖母の昔ながらの生活を行う姿が好きだったのだ。当時の若者らしく、非効率で不便な生活だと思ったこともあった。けれど、わちるにとっては腰を曲げながらも元気に働いていた祖母の姿は美しく、何処か懐かしさを抱くものだった。祖母が好きだから、その周りにある文化や風習、伝統といったものを感じ取れる生活も自然と慣れていった。

 

「ん~……やっぱり綺麗ですね……掃除しなくても大丈夫かな?」

 

 わちるは畳に寝転がりながら家の中をぐるりと見渡し、美しく保たれている部屋を見つめている。客間の奥には寝室としていた部屋があり、犬守村のように布団をしまう押し入れがあったはずだ。布団だけでなくわちるが幼少期に曾祖母に贈ってもらった木のおもちゃなども仕舞われていただろう。

 

 だが、それらの現代では希少な木製のおもちゃは既にわちるの許可を得た復興省職員が持ち去った後だろう。

 

「こんなに綺麗にしてもらってて、ちょっと申し訳ないですね」

 

 わちるの祖母が亡くなったのは効率化社会が崩壊し、効率化社会に関する諸々の法律が完全撤廃され、かつての法律が再構築された頃だった。新たな法律によってわちるは世界に数組程度しか確認されていない"効率化社会以前"の生活を知っている人間として復興省より"特殊保護家庭"と認定された。

 

 特殊保護家庭とは簡単に言えば効率化社会によって失われたはずの文化的、伝統的生活を効率化社会中も続けていた家庭を政府が保護するという政策だった。効率化社会中の理不尽な扱いに関する賠償金や、古き良き生活を今後も継続するための保障なども盛り込まれたこの政策によって天涯孤独となったわちるは今後の生活を不安なく生きていくことが確約された。

 

 だが、わちるはこの特殊保護家庭の認定によって受けられる特権のほとんどを放棄した。自身は祖母より教えられた知識はほとんどなく、今後もこの家で祖母のように生きることはできないと考えていたからだ。生前の祖母からも、自身が死んだら国を利用して自由に生きなさいなどと冗談交じりに言われていた。

 

 わちるは自身の名義へと変更された家を復興省に預けることとした。自身一人では管理できないことは明白で、祖母との思い出の詰まった家がこのまま朽ちていくのを見てはいられなかった。文化の一切が消失した状態だった政府にとってもわちるの祖母の家はまさに失われた貴重な知識の宝庫であり、願っても無い事だった。

 

 家そのものを丸ごと地下の保護区画へと移設し、限りなく劣化しないように管理される事になったが、名義自体はわちるが持っているのでわちるだけは自由にその家を出入り出来た。今のように、無造作に畳に寝そべっても咎められる事はない。

 

「……そういえば、押し入れってたしか……」

 

 家の中に残っていた木製の小物やおもちゃ、道具などもほとんど博物館のような場所で保管されており、大きな家具がいくつか残っているだけだった。押し入れの中も空っぽのはずだ。

 

 だが、そこまで考えてわちるは一つ、小さい頃の記憶を思い出した。

 

 押し入れは基本的に布団や座布団、その他雑多なものを入れておくだけの場所だったが、いざという時のための貴重品などが"隠されている"場所でもあった。

 わちるは寝転がった状態から立ち上がると、のそのそと向こうの部屋へと移動し、押し入れの扉を開けた。

 

「あった……あはは、かくれんぼでここに隠れておばあちゃんにすっごい怒られたっけなあ」

 

 当然のように押し入れの中には何もない。押し入れは上と下に分けられており、上に布団などが、下に小物などが仕舞われていた。そして、その下部分の床には何やら切れ込みが見て取れる。どうやら押し入れの床に穴が空いていて、そこに蓋がされているらしかった。

 

 わちるはその蓋を爪で器用に持ち上げて取り外す、すると子ども一人分がすっぽりと隠れられる程度の収納スペースが出現した。小さい頃わちるはこの収納スペースにかくれんぼで隠れて、祖母に大いに怒られた事があったのだ。

 鍵が付いているわけでもないので簡単に出入りできる空間ではあるが、もし押し入れに収納されている小物がこの蓋の上に転がってきた場合、幼いわちるでは脱出できなかっただろう。さらに押し入れの中の空間という事もあって、助けを呼ぶ声も聞こえず、見つけ出すのにも時間がかかっただろう。

 

 そんな理由を踏まえて叱りつける祖母に半べそをかきながら正座して痛む足をさすっていたのは今ではいい思い出だ。

 

「! これって……」

 

 そんなわちるが開けた収納スペースだが、スペースの底には何か小さな小箱があった。よくよく見なければ分からないそれをわちるは恐る恐る取り出す。

 

 この家を復興省へと預けた時はこの収納スペースの存在を忘れていたため小箱が残っているなど全くの予想外だった。あくまでこの家の権利はわちるが持っているので復興省の人間がくまなく探すなどということはされておらず、あくまでわちるが家から持ちだしても良いと許可した物品だけが博物館行きになっていたため、わちるが思い出さなければこのままずっとここに放置されていただろう。

 

「……なにが入ってるのかな? 覚えてないなあ」

 

 小箱を開けると中には様々なものがごちゃまぜになって入っていた。

 

 服や小物入れを作った際に余ったのだろう鮮やかな布切れがいくらか。ボタンや装飾に用いるであろう色とりどりの糸、達筆で何が書いてあるかよくわからない変色したおふだ。

 

 そして、一番底で布に巻かれていたとあるモノ。

 

「え!? な、なんで……なんでこれがここにあるの……?」

 

 それは木製の人形だった。ほとんど塗装がはがれて木目がむき出しになっているそれは狐の姿をしていて、わちるの手に収まる程度の大きさだった。

 わちるはその人形に身に覚えがあった。その人形はかつて曾祖母が所有しており、亡くなる際に曾祖母と共に棺に納められたはずのものだったからだ。そして、わちるが仮想空間でわんこーろに復元してもらった人形でもある。

 

「あれ? ……おばあちゃんの名前……? それにこれ……私の名前……?」

 

 人形の表は塗装がはがれてはいるが、それほど損傷はひどくない。日の当たらない場所で布にくるまれていたため日光や湿気によるダメージもほぼ無く、それは裏側も同様だった。

 人形の裏には手書きであろう数名の名前が刻まれていた。最初に刃物で削って名前を彫り、そこをなぞるようにインクが浸みこんでいる。その丁寧な工程によって文字は消えずに残っていた。

 

 そしてその名前の中には曾祖母の名前はもちろん、祖母やわちるの名前まで書かれていた。

 

「もしかして、私に……?」

 

 曾祖母が持っていた狐の人形、それは祖母の手に渡り小箱にしまわれた。きっと祖母は次にわちるへとこの人形を受け継がせるつもりだったのだろう。

 

 かつてわんこーろがこの人形を仮想世界にて復元するとき、この人形は稲荷系列の神社より授かったものだと判明している。お稲荷さんは元々稲作など農業に関する神様であったが、時が経つにつれそれ以外にも様々なご利益を与えてくださる神様として信仰されるようになっていった。家内安全、商売繁盛、厄除け等々……。

 

 曾祖母の持っていたこの狐の人形も、おそらく曾祖母の時代には純粋に田畑の神様として大切にされていただろう、そして時が経ちわちるが生まれ、その子の健康や安全をお稲荷さんに祈るようになった。農作業の神様から子を守るおまもりとして狐の人形が受け継がれてきたのだ。

 

 受け継がれていくにつれ願いは徐々に変わっていき、神様のあり様も解釈も多様なものになっていった。それでもその純粋で力強い願いによって人から人へ思いは受け継がれ、変わりゆく時代に寄り添うようにその形を保ってきた。

 

 きっと、その大いなる流れこそが伝統や文化、あるいは風習といったものの正体なのだろう。

 

 

「っ、おばあ、ちゃん」

 

 わちるは祖母から受け継いだものは何もないと思っていた。祖母がそのように振舞っていたし、わちる自身もそれに従っていて、そうあるべきだと教えられていた。

 

 祖母が亡くなって、その思いは一層強くなり、そして後悔した。祖母はわちるに何も残してはくれなかった。残すべきではないと言われたから。けれどそれは幼いわちるには突き放されたように感じただろう。亡くなった祖母との繋がりが明確に途切れたかのような感覚があった。

 

 もっと祖母と一緒に居るべきだった。祖母の手伝いをして、祖母の生き方を知りたかった。現代らしい若者ではなく、祖母の孫として生きるべきだった。

 

 そんな後悔がわちるにとって祖母との思い出を苦しいものと錯覚させ、蓋をした。祖母の家の管理を復興省に頼んだのも、時々しかこの家に帰ってこないのも、苦しい思い出ばかりの家に居たくないという無意識の逃避からだった。

 

 だが、そうではなかった。祖母はわちるを大切に思っていたからこそ自身の生活を真似させず、若者らしい教育をさせた。自身のように周囲に蔑まれないようにと願ってあえて突き放し、深い繋がりを作らないようにした。

 けれど、それでも祖母にとってわちるは大切な大切な家族だった。長年受け継がれてきたお稲荷さまへ名前を刻み、健やかに育ってくれる事を祈るくらいには。

 

 この狐の人形はわちると祖母との明確な繋がりだった。家族と家族の繋がり、あるいはわちると祖母の居た場所(現実の世界)との繋がり。

 

 わちるは現実世界はひとりぼっちな世界だと思っていた。FSも休止し、皆バラバラになる。だからこそわちるはわんこーろに依存し始めていた。

 

 だが、それは違った。

 

 わちるは繋がっていたのだ。現実世界では効率化社会によってほとんど断ち切られているはずの、受け継ぐというあらゆる文化において重要な行為によって。

 

「……行かなきゃ! ごめんおばあちゃん! 私もう行くね! また来るから!」

 

 狐の人形を握りしめ、わちるは勢いよく体を起こす。そのまま駆け出したわちるの表情は晴れやかで、今までの曇った雰囲気はまるで感じられない。気怠そうな声音は楽し気に跳ね、鼻歌を歌い始めるくらいだ。

 

「このまま終わったらもったいないです! もっと、もっとお話しして、いっぱいいっぱい遊ばないとっ!」

 

 

 

 

 

 

 推進室の拠点に帰ってきたわちるの様子に室長もFSのメンバーも一様に驚いた様子だった。いったい何があったのかと質問する家族に、わちるはあの狐の人形を取り出し、提案するのだった。

 

 みんなで最後の、コラボ配信しませんか? と。

 

 まだ繋がりは断ち切られていない。いや、きっと断ち切られることはないだろう。FSがバラバラになっても、どこかでまた集まれる。今のわちるにはそれが確信出来ていたから。

 

 


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