転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
それはFSが休止前の最後の全体コラボを終わらせ、打ち上げを行っている時までさかのぼる。
それぞれが今後の話をして、オフコラボはいつからできるだろうか、葦原町での活動はいつから再開しようか、そんな事を話している時だった。
唯一、その違和感を覚えたのはわちるだけだった。
わちるは今回の事件が起こった当初、どうすればいいのか分からず混乱し、ただ平静を装う事しかできなかった。現実から逃避するようにわんこーろに依存し、ただ時が経ち事態が収束するのを待っていた。
だが、時間が過ぎ去ればすべていつも通りに戻ることなど無い。ただ一人孤独に耐える事に意味はなく、移り変わる日々を大切にするべきだと、今は亡き祖母とかつて住んでいた家から教えてもらった。
だから、わちるはもう現実から目を背けることはしない。視野を狭くして、見たくないものを見ないようにして、感じた気持ちを押し込める事はもう、しない。
「あ、そういえばわんこーろさんは今回の事、大丈夫なんですか?」
「はい~。何も問題はありませんよ~。今は塔の街にある葦原町のサーバーのデータ引っ越しを手伝っていますけど~衛星が落ちるという当日は私も塔の街からは離れているつもりです~」
FSが今後どこで生活するのかという話になった時、寝子が流れでわんこーろへと話をふる。わんこーろはいつものように微笑み、柔らかい声音でその疑問に答える。それを聞いた寝子もFSのメンバーも納得したような反応を返し、そこに疑問を挟む余地はなかった。
だが、わちるだけは違った。
これまでわんこーろが配信者としてデビューし、犬守村を開拓し、葦原町を創り出す手伝いをするまで、そのすべての道程を常に傍で見守っていたわちるには分かった。前までの視野の狭くなっていたわちるならば気付かないほどに些細な違和感。それをわちるはわんこーろより感じた。
何か取り繕うような前置きを話す前に、無意識にわちるの口は動く。
「嘘ですよね?」
「え?」
「わちる?」
「わちるお姉ちゃん?」
その瞬間、全員の視線がわちるへと向いた。そのどれもが疑問と困惑を含んだものであり、唯一わんこーろだけは目を細めいつもの笑みを作るだけ。
「んふふ~わちるさん? 何をおっしゃっているので~?」
FSメンバー同様にわちるの言葉の意図が理解できないと、わんこーろの表情にも困惑が見て取れる。だが、その困惑した声音の裏に隠された感情のゆらぎさえも、わちるには判別出来てしまう。わんこーろと出会ってまだ一年も経っていない、けれど分かるのだ。
友達だから、親友だから、一番大切にしたい人だから。
「……お願いしますわんこーろさん。本当の事を教えてください。お願いします」
わちるの目は画面の向こうにいるわんこーろを捉える。いまだ温和に微笑むわんこーろと真剣なまなざしを向けるわちるの視線はしばらくの間交錯し、互いに微動だにしない。
わちるの視線に含まれているものは、嘘を許さないという厳しさでは無い。かといって怒りでも、悲しみでも無い。
あるのは、わんこーろへの信頼だ。
わんこーろならば本当の事を話してくれる。わんこーろならば、この想いに応えてくれる。そんなわんこーろに対する信頼のまなざし。
もしわちるの声に含まれている感情がそれ以外のものならば、わんこーろは最後まで本当の事を話さずごまかしていただろう。怒りや悲しみはもちろん、わんこーろを大切に思う親愛だったとしても同様だ。
だが、それが信頼となればわんこーろはただ口を閉じるしかない。
"どうしてそんな大切な事を黙っていたの!"という怒りも"どうしてそんな危険な事をするの?"という心配も、わんこーろはすべて背負って行くつもりだった。だが、わちるから感じる信頼の感情は、わんこーろが背負っていけるたぐいのものでは無かった。
それは、背負うものではなく、隣を一緒に歩く事を意味した感情だったから。
「……はあ~……わちるさんは私の事をよく見ていますね~……」
「もちろんです。ずっと、ずっと見ていましたから」
先ほどまでの笑みを崩し、自嘲気味に声を漏らすわんこーろへとわちるは得意げに応える。
「分かりました~……それでは、お話します~」
そうしてわんこーろはFSに隠していたすべてを話し出す。
わんこーろの話は長く続いた。例の細工箱が開いたところから始まり、中に入っていたデータの数々についての話や塔の管理者が同じ電子生命体であり、主塔の実験施設群であるセントラルライン最上部に住まう事など。
今回の騒動はその管理者が引き起こした事件の可能性が高いという事。そして、わんこーろが塔に登れば衛星の衝突を防げるのでは無いかという考えから、管理者の誘いに乗り、塔を登るつもりである事まで、現在わんこーろが知る全てを話して聞かせた。
その間、FSは誰も何も言葉を発しない。想像していた以上の内容に誰も口を挟む勇気はなかった。わんこーろより答えを求めたわちるでさえ、わんこーろがこれから行おうとしている事に驚き固まっているほどだ。
わんこーろの言葉が正しければ、わんこーろが塔を登ることで今回の騒動は最も理想的な形で収束する可能性がある。すなわち、衛星の衝突が避けられ再び塔の街で配信者として生活していられるという未来が。
しかし、そう上手く話が運ぶとはFSの誰もが思えなかったし、わんこーろ本人も自覚していた。そもそも管理者が主塔へと到達するための方法をわんこーろに提示した時点で罠の可能性はかなり高く、争いになればわんこーろが不利になると想像できた。
秋のV/L=Fでわんこーろが塔の管理者が操る九尾に対して、他の配信者の存在という人質を取られた状況で戦っていたにも関わらず最終的に勝利を納められたのは、戦場となったのがわんこーろがよく知る、わんこーろが創りし犬守村だったというのが大きい。
地形を知っているという有利だけでなく、既に空間自体と繋がっていたわんこーろは九尾の攻撃に空間を経由して干渉し、別の情報へとたやすく書き換える事が出来ていた。それ故に不利な状況を強いられていても耐えることが出来ていた訳だ。
だが今回はその逆。わんこーろは全く未知の、管理者が支配する空間へと単身乗り込むつもりなのだ。
あまりにも危険な行動。だが、わちるたちはそれを止める術を持ちえない。既にわんこーろは塔に登るとわちるたちに断言し、決してその言葉を覆すつもりは無いようだった。隠していた話をわちるたちに語ったのも、ただの決定事項を伝えただけで、反論しても聞いてもらえないような雰囲気だった。
だが、そんな雰囲気の中、声を出したのはナートだった。
「わ、わんころちゃん……!」
「はい~なんですかナートさん~」
わんこーろはナートに向き直る。画面越しにも関わらず不思議と二人の視線は合わさる。わんこーろはナートより何かしらの否定的な言葉が発せられるのではないかと予想していた。塔に登るのはやめてほしい。危険だから、と。
だが、ナートより告げられた言葉はそうではなく、まったく逆の言葉だった。
「私も……私も塔に登るっ! 連れて行ってよぅ!」
「え、ええ~!?」
「はあ!? おま、ナート何言ってんだよ!?」
「ナートちゃん!?」
周囲が困惑の声を漏らすなか、ナートは言葉を続ける。その声に迷いは無く、わんこーろと同様に決意した者の目をしている。
「……理由をお聞きしてもよろしいです~……?」
「私と、ほうりがマイクロマシンの研究をしてたの、覚えてる……?」
「はい~……でも、確かあれは~」
「中止、したんだよね。地上での実証実験の成功が見込まれないからって……」
「……地上の気温上昇による世界的な無風化……それで地球規模のマイクロマシンの拡散は無理だって判断して、中止にしたんだ。……でも、わんころちゃんのさっきの話を聞いて、思ったんだよぅ。もし──」
もし、マイクロマシンを地上で散布するのではなく、地球の軌道上に散布したのならば。
ナートはその方法を開発当初から前提として考慮していなかった。もちろん地上から風を利用した拡散方法よりも宇宙からの散布方法の方が確実ではある。だがそもそも宇宙へと到達する手段が閉ざされているなら考えるだけ無駄だと、諦めていた。
しかしわんこーろはスペースデブリの間を縫って主塔へと到達するという。ならば当初より無駄だと考えていた案が採用できるかもしれない。
ナートはこれまで自身が貯め込んだ知識と技術のすべてを用いてとある一つの案を提示する。
すなわち、わんこーろが主塔に到達したと同時に主塔の閉鎖を解除し、地上のネットワークへと復帰させる。マイクロマシンを持ったナートは塔の街経由で副塔に入り、解放された隔壁から主塔へと入り込む。
主塔にはデブリを回避するためのマイクロマシンの散布装置が存在し、それを用いてナートとほうりが開発した太陽光減衰マイクロマシンを散布するという案。
「おま、マジで言ってんのかナート! 副塔は立ち入りが制限されてっだろ! 怒られるだけじゃすまねーぞ!」
「わんころちゃんの言ってることが本当ならこれが最後のチャンスなんだよぅ! 今、軌道上にマイクロマシンを散布できる施設は主塔にしかないから、もし塔が破壊されたら……!」
風を用いたマイクロマシンの散布方法は当然ながら散布範囲にばらつきが出てくる。それをカバーするためにナートは世界中の塔の街に設置されている汚染除去マイクロマシン散布装置と電磁緩衝地帯を同時展開した複合型散布圏の形成を行おうと考えていた。だが、それも各国の塔の街との連携が不可欠で、実現にはかなりの時間がかかると推測された。
地上の無風化という問題が無ければ時間はかかるが全世界に散布できると考えていたナート。だが先日、室長より知らされたこの世界の未来が行き止まりであると言う事実が、ナートとほうりの研究にダメ押しを突きつけた。
しかし、ここにきて最後のチャンスがやってきた。
「デブリ回避用マイクロマシンは粒子科学技研が作ったんだ。そのノウハウがあれば、現在の太陽光減衰マイクロマシンを地球外で運用できるよう改良できるんだよぅ! これが最後の、地球の汚染を止める最後のチャンスかもしれないんだっ!」
主塔のマイクロマシン散布装置を用いて太陽光減衰マイクロマシンを散布すればデブリのように地球を覆い、太陽光を減衰させる事ができる。今回の事件が最悪の結果となり、塔が崩壊し散布装置が破壊されたとしても、一度軌道上に入り込んだマイクロマシンはそのまま周回し続ける。時間の経過とともに一定量は軌道を外れるだろうが、それでも半年から一年は減衰効果が維持される。
その間に熱に弱い環境改善用のマイクロマシンを散布すれば、完全とは言えなくとも地上の環境復元のための橋頭保を確保するくらいはできるだろう。
「ナートちゃん、でもね……やっぱり塔を登るのは……」
「お前の言ってることも分かるけどよ、……じゃあそのマイクロマシンを用意するのはどーすんだよ?」
「それは……」
「粒子科学技研だろ? つまり、今回の件に巻き込むってことになる」
「……」
塔の街から副塔へ、副塔から中央管理室へ行くことは実はそれほど難しい訳では無い。各国の要人が来日する際に最も安全な移動手段として自国の塔の街から中央管理室を経由してこの国にやってくる事も多く、単純に富裕層が国外旅行の為に利用する事さえある。
だがそれは今回の衛星衝突騒動が起こる前の話だ。現在副塔は誰の入場も認められておらず、入り込めば即座に捕まり処罰が下される。子どもであるなら保護者、関係者への連絡も行われるだろう。
もし、ナートが言うようにマイクロマシンを主塔まで輸送し散布するならば、そのためにはどうしても粒子科学技研の手助けが必要となる。ナートとほうりが制作したマイクロマシンはまだデータとして葦原町に保管してあるだけで現実世界に実物が造られているわけでは無い。
マイクロマシンを実際に制作し、それを主塔まで輸送する。地球全体を覆うほどのマイクロマシンとなれば大型のコンテナ程度の量は必要となるだろう。はっきり言って、これらの工程を全てナートが一人で、それも秘密裏に用意して実行するのは難しい。
手を借りれば、ナートの行おうとしている事が明るみになり、犯罪だとバッシングを受ける事になる。それが粒子科学技研ほどの大企業ならば金銭的な損失だけではとどまらない、信頼は傷つき企業として汚点となるだろう。また、ナートの保護者である室長も処罰対象となる。
「やめとけって。ワタシらがどうにかできるような問題じゃなかったんだよ」
「……」
ナートは悔しそうに歯を食いしばり、意志の宿った双眸は次第にうつむいていく。○一の言葉は厳しいがその通りだった。彼女たちはまだ子どもであり、その行動による責任は周囲の大人が背負うことになる。
それを理解できたからこそ、ナートは何も反論できなかった。
だが、そんな中ナート以外に声を上げる者が現れる。
「私は、登ります」
「! 寝子、ちゃん……?」
「おい、おい寝子何言ってんだ……?」
先ほどのナートの時とは打って変わり、なこそも○一も突然の事に言葉が継げない。塔を登ると言い出したのは寝子だった。FSでも大人びた考えを持つ真面目な性格の寝子が、先ほどの話を聞いてなお、塔に登ると宣言したのだ。全員その真意を測りかねているように見えた。
「なんでだよ……? 何の理由が……」
「登らなければ……ならないんです」
ただ淡々と口にする寝子の様子に○一は混乱するしかない。思い返せば先ほどから寝子の様子は少しおかしかったと思い至る。わんこーろが本当の話をしてくれて、それを聞き始めたくらいからだろうか、寝子は両掌をぎゅっと握りしめ、わんこーろの言葉を一字一句聞き逃さず記憶するかのように集中していた。はじめはそれを自身と同じく、衝撃の事実を告げられた事による困惑かと思っていた。
だが、そうではなかった。寝子はわんこーろの話を聞き、何かを知り、そして決意したのだ。何を知り決意したのかは寝子にしか分からないが、それは何物にも代えがたい寝子に取って最も重要な何かだったのだろう。
「……皆さん、少し頭を冷やしましょう? まだ時間はあるんですから、ね?」
塔に登る者、それを止める者、両者とも言い分があり、どちらが正しいとも、悪いとも言えない。結論など付くはずもない空気が漂う中、そこへ割って入ったのはわちるだった。わちるはまだ衛星の衝突まで時間があると言い、それまでに各々が採るべき行動を決めようと提案した。
若干無理やりな方法であり、時間稼ぎのように思えるが、とにかくこの場で話し合っても答えが出る話でも無かった為、メンバーは全員無言のなかわちるの提案を受け入れ、その日は解散となった。
『すみません、わちるさん~……』
「いえ、……私は……」
わちるに話しかけるわんこーろは少し寂し気に笑み、わちるへと頭を下げた。わんこーろは電子生命体だ。様々な人間と交流をし、そして犬守村を創り、葦原町の礎を築いた。
だが、人では無い。そんなたった一つの事実が、自分たちのように決意を鈍らせる事無く塔に登る決意をさせたのかも知れない。そう考えるとわちるまで寂しく感じてしまう。
そんな他所を拒絶した決意をただ一人で決めたからこそ、わんこーろは先ほどのナートや寝子の言葉を否定しなかった。そもそも否定したとしてもそれに従うような者たちでは無いと理解していたのもある。塔に登るなと言ったところで、決意した彼女らを自身では止められないだろうと。
「わんこーろさん……私も、私もわんこーろさんと一緒に塔へ──」
そして少女たちは最後の決断を下すため、塔の街での最後の一週間を過ごしていく。