転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#236 最後の一週間

 

 ヴァーチャル配信者界隈で個人勢として活躍している真夜はかつて企業に所属するヴァーチャル配信者だった。とはいえ当時の企業所属と言えば棒読みが標準の、企業の商品を紹介するだけの存在でしかなかった。

 そんな中で○一たちが所属するFSが台頭してくると真夜は早々に味気ない企業所属から個人配信者へと転身。社員として働いていた時の貯金と配信者として培った技術をもって個人勢の中でも早々に頭角を現す事になる。

 

 ほぼ毎日の配信に加えグッズやボイス販売を精力的に行い、秋のV/L=Fなどのリアルイベントにも参加し、その上でバイトに明け暮れることで真夜は一人で住むには少し広いと思えるくらいの家に住める程度の収入を得ていた。

 

「まあ貴方たちFSに比べれば狭苦しい部屋で申し訳ないのだけれど」

 

「んな事思ってねーよ!」

 

 そんな一人では広く感じる家だからこそ、真夜は○一に一緒に住まないかと提案したのだ。

 

 FSが塔の街で暮らせるまで残り六日となった日、○一は真夜の住む地下居住区までやってきていた。塔の街から遠く離れているため泊りがけで真夜の元にやってきた訳だが、その理由は今後○一が真夜と一緒に暮らすことになる家の様子を確認することと、どの程度家具を運び込んでも大丈夫かという下見の意味があった。

 

「ホントわりーな真夜。突然なのに住まわせてもらって」

 

「あら? いいのよ別に。ちゃんと生活費は○一ちゃんからも出してもらうし、家事も分担だからね」

 

「わかってるよ。……なあ」

 

「ん? なあに?」

 

「いや……。そういや、ワタシたちが居た、あそこって今どうなってんだ?」

 

「孤児院の事? それなら1年前に閉鎖したわよ? 院長先生がかなりのお歳だったみたいで、今は新設された施設に先生と子どもたちは移ってるはずよ」

 

「そうか……あそこもう無いのか……」

 

「建物は無いけど子どもたちにも先生にも会えるわよ? ……あら、ちょっと感傷的?」

 

「ちげーって……」

 

「……何か探し物でもあった?」

 

「……」

 

 何気ない真夜の一言に○一は分かりやすく狼狽えるが無言を貫く。そんな様子に真夜は小さくため息をつき、素直ではない妹の姿に少し呆れる。○一は昔から頑固でこうと決めたら曲げる事を知らない。それはあの時も変わらなかった。

 

 真夜と○一と、彼が地上を目指した時と。

 

「ちょっと待ってなさい。 ……ええと、どこにしまったかしら」

 

 真夜はおもむろにベッドの下から収納ボックスを引っ張り出し、中身をごそごそと漁り始めた。ボックスの中にはいろんな道具が押し込まれており、これじゃない、あれじゃないと真夜がいくつか道具をボックスから取り出していくが○一にはそれらの道具が何か分からずハテナマークを浮かべるばかり。真夜はそんな○一を気にする事無く目当ての物を探している。

 

「……何探してんだよ」

 

「アナタが欲しいもの。……あったわ、ここに置いてたのね。はいこれ」

 

 ようやく真夜が取り出したのは小さな小箱、中にあったのは緩衝材に保護されたタブレット型の端末だった。かなり型式の古い物のようで画面は細かな傷が目立ち、ケースもひび割れが所々に確認できる。○一は差し出された端末に覚えはなく、どういうことかと問おうとしたが先に真夜が口を開いた。

 

「これは彼の端末よ」

 

「……は!? いや、なんでそれがここにあんだよ!? あんときの端末は国が持っていっちまったじゃねーか!?」

 

「スペアよ。もし私たちが地上に出るっていう計画が実行する前にバレちゃって、集めた情報を全部没収された時の為に彼が保険として残していたものよ」

 

 かつて幼少の頃○一と真夜、そして二人が"彼"と呼んでいる少年の三人は大人を出し抜き地上へと向かった。彼は情報を集め、住んでいた地下居住区から地上へと到達するための緊急避難通路の位置を特定し、通路に存在する隔壁の開放方法も調べ尽くした。もちろんそれには○一と真夜の協力が不可欠だったが、集まった断片的な情報を復元し、データとして完成させたのは彼の功績だ。

 

 この地上への冒険が終了したと同時に彼が持っていた端末は当然没収され、三人が所持していた情報の全ては国によって回収されてしまった。

 

「まあ、私もこんなものがあるなんて全く知らなかったのだけどね。一年前に孤児院の引っ越しの時に院の先生が見つけてくださって、譲ってもらったの。……彼の最後の思い出だから」

 

 "彼"に関する遺品はそのほとんどが孤児院に残されている。とはいっても彼個人が所有していたものというのはかなり少なく、殆どは家具や安価に購入できる絵本等、彼を含めた数人がお金を出し合って購入した共有物ばかりで、真夜が持っている端末は彼のみが唯一所持していた数少ない品だった。

 

「……なんで、これをワタシに……?」

 

「だって今のアナタの目、昔と同じなんだもの。……余命宣告されて、ベッドでうつむいている彼に"地上にいこう!"って言いだした時とまったくおんなじ」

 

「……」

 

「アナタが何をしようとしているのか……多分知らない方がいいんでしょう? だから聞かないけど、まあ……これくらいなら良いんじゃない?」

 

 そう言って真夜は○一に彼の端末を手渡した。端末は表面の傷は目立つが、中身は問題ないようだった。生前彼が大事に使っていたのもあるだろうが、真夜が大切に保存していたのもあるのだろう。

 

 真夜は知らない方がいい、と言っているが○一の考えている事を彼女はおおよそ把握していた。伊達に幼少期から一緒に育った仲ではない。○一は何度も悩み、そして決意したのだろうと察する事ができた。

 

 ○一は三人で地上へと出たあの騒動をトラウマとして抱えて生きてきた。だが、それは秋のV/L=Fに起こった騒動を経てゆっくりと融解し○一の記憶の一部として受け入れられようとしていた。当時の騒動を真夜と一緒に思い出として語り合うくらいには。

 

 そうして当時の事を思い出す○一は大人たちに追い掛け回されていたあの時、彼がよく笑っていたのを思い出した。前に出て暴れる○一に、ストッパー役の真夜、意外とボケもツッコミもこなす彼。そんな三人の冒険はひたすら楽しい思い出として○一のトラウマの内側に存在していた。きっとトラウマを乗り越え、当時の事を思い出さなければそんな事さえ忘れたままだっただろう。

 

 あの冒険が彼の最期を良きものに出来たのか、○一にはまだわからない。だが、○一はかつてのように、あの冒険そのものを"やらなければよかった"と否定することは無くなった。

 

 行動する事に意味がある。実際にそうだった。

 

 だから、○一は決心した。かつての彼のように、ナートや寝子の想いをそのまま潰えさせない為に。

 

「……真夜、ワタシは……まだ分からねーんだ。……ワタシがやろうとしてることが、本当にやって良いことなのかって」

 

 ○一は真夜の背中に向かってそんな事を言う。とっくに決心していて、だからこそこうやって行動しているのにそんな言葉が○一から飛び出す。だがその言葉に対して真夜は正しく○一が求めている言葉を返す。これまで何年も○一の傍で彼女の為に言葉を紡いでいた真夜だからこそ、どんな言葉を求めているのか分かる。

 

「あら? そんなの悪い事に決まってるじゃない。あの時もそうだったでしょ? 三人で秘密の計画を立てたときみたいにね」

 

 そう言って真夜はにやりと口角を上げ、○一の手を取った。その手はかつてと同じく○一を奮い立たせるような力強さを秘めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔の街よりFSが退避する四日前。ナートは衝撃のあまり崩れ落ちていた。原因は目の前にいるほうり、あるいは彼女と自身の両親にある。もしくはもっと根本的に、ナートの自業自得という線が最も有力かもしれない。

 

 ナートとほうりは二人で暮らす予定の家で荷解きを行っていた。配送済みのナートの荷物が到着しそれを二人で整理している最中、唐突にほうりがナートへと呟いたのだ。

 

「あ、そういえばお姉様。お父様より連絡が来ましたよ」

 

「んえ? 何の話?」

 

「例のマイクロマシンです。三日後には中央管理室まで輸送出来るらしいです」

 

「……ん? んんん!?」

 

 それは何でもないような、それこそ世間話をするような声音でさらりと口にされたもので、ナートは言葉の意味を理解するのに多少の時間を要した。軌道上へのマイクロマシン散布計画をナートはまだ諦めておらず、どうにかしてマイクロマシンを作ってもらいそれを副塔まで輸送してもらえないかと考えていた。

 

 なのでナートはわんこーろより話を聞いた次の日に粒子科学技研へとマイクロマシンの製造と輸送を依頼した。両親を巻き込むことになるが、それを最小限に抑えようと詳しい説明はあえてしなかった。

 

 なぜ中止したはずのマイクロマシンの製造を行うのか、なぜ中央管理室まで輸送するのか、そういった当然の疑問を抱かれツッコまれると思っていたナートだったが、なんと粒子科学技研はナートの要望を即座に了承。既に製造ラインは確保済みなのですぐさま製造させていただきますと言われてしまった。

 

 これにはダメ元で依頼したナートも唖然とするほかない。そうしてしばらく呆けた後、ナートはその粒子科学技研からの言葉が、所謂断り文句なのだろうと納得した。"行けたら行くわ"のような、実際はそんなつもりも無いけど当たり障りのない言葉で子どもを宥めようとしているのだろうと。実際には製造ラインなんて作られていなくて、すぐさま製造なんて言葉も偽りだろうと。

 

 だが、実際はそうでは無かった。なんとあの粒子科学技研は実際に会社が持つマイクロマシンの製造ラインの一つを、ナートとほうりが開発中のマイクロマシンの為にずっと空けておいたのだという。そして今回のナートからの依頼により、送られてきたマイクロマシンのデータを元にすぐさま製造を開始、そうしてついに依頼されていた量の製造が完了し、中央管理室まで輸送する予定だという。

 

 副塔や中央管理室は一般人でも入場可能であり、要人が他国へと渡る移動手段としても用いられている。さらに言えばこの副塔と中央管理室によって繋がった国と国との通路は物の輸送路としても活躍している。特にマイクロマシンなどの精密機器を安全かつ確実に輸送するルートとして利用される事が多い。故に中央管理室へとマイクロマシンが輸送される事に何の問題も無いし、誰も不審には思わないだろう。

 

「ナートお姉様、あまりお父様とお母様を侮らない方がいいのでは? お二人とも塔の騒動が起こった時には、既に私たちが何か行動を起こすのではと予期していらしたようですよ?」

 

「うえ!?」

 

 ナートとほうりの太陽光減衰マイクロマシンの開発中止が協力企業へ伝えられた時、両親はあの二人がこの程度で諦める訳が無いと考え、製造ラインを確保し続けた。そもそもとして開発は中止されただけで破棄されたわけでは無い。ナートとほうりのマイクロマシンは確かに地球規模の散布は不可能となったが、局所的かつ短期間ならば大いに利用できるだろうという声も社内であり、ラインを一つ空け続ける事は意外にも受け入れられた。

 

 そうしてしばらくしてナートより連絡が来る、中止したはずのマイクロマシンの製造依頼であるその内容に両親はやはりと確信した。送られてきたマイクロマシンのデータは先日中止される寸前に提出されたものと大きく異なる点がいくつか見られる。中でも決定的だったのはマイクロマシンの重力下での制御システムのほとんどがごっそり抜け落ちていた事と、代わりに対宇宙仕様に変更されたシステムと外殻の素材。

 

 ナートはこのマイクロマシンを宇宙へと持っていくつもりなのだ。

 

 そう確信できるだけの情報が両親の元には揃っていた。主塔で現在利用されているはずのデブリ回避用マイクロマシンと散布装置の設計には粒子科学技研もいくらか協力しており、現在流通しているマイクロマシンと互換性がある。ナートとほうりならばその仕様を把握しているか、粒子科学技研より情報の閲覧ができるだろう。風による地上からの散布が不可能となったのならば、宇宙からの散布を考えるはずだ。

 

 本来ならばそれは不可能だと即座に否定するべき予想だ。主塔は封鎖されておりマイクロマシンを満載したコンテナや人間はもちろん、ネットワークからも入り込む事が出来ない主塔。そんな主塔へと入り込み、マイクロマシンの散布を行うなど。

 

 だが、両親は知っていた。ナートとほうりから、あるいは粒子科学技研という巨大な企業の情報網を用いて、人ならざるネットワークの海に住まう存在の事を。両親はわんこーろという存在が、正真正銘の電子生命体なのだと理解していた。

 

 秋のV/L=Fで行われていたイベントの裏側も、社内にV/L=F運営と協力して札置神社の絵馬情報を集めていた社員が数名存在していたのである程度把握している。そのため両親は電子生命体であるわんこーろの力を借りて、ナートが主塔へと登るのだろうと予想できた。

 

 そうしてナートとほうりの両親は二人の行動を黙認する事にした。

 

「なんで許してもらえたのかな……? どう考えたって会社にマイナスじゃん……」

 

「依頼した本人が言わないでください。というより私はお姉様が私にさえ秘密にしていた事に怒っているのですけど? お父様とお母様、コレ私も知ってると思っていましたよ」

 

「あ、あはは……ご、ごめんね?」

 

 ほうりがナートの行動について知ったのはつい先日の事だ。ほうりがナートと一緒に二人暮らしをする旨を両親に報告するため実家に帰った時、ナートが希望したマイクロマシンの製造が完了したという内容がほうりに伝えられ、それをナートにも伝えておいてくれという両親の言葉に疑問符を浮かべる。ほうりが両親より話を聞き出し、そうしてナートの行動を知ることになった。

 

「……はあ、お姉様が決めたのならば私は止められません。お父様とお母様もそのつもりなら、何も言うつもりはありません。けど……」

 

「けど?」

 

「……無事に、帰ってきてください」

 

 ナートの行動に多少不満があるほうりだが、それはナートがルールを破り、危険な行動に出ようとしているからでは無い。むしろなぜ自身も連れて行ってくれないのかという不満だ。ほうりもナートと同じくマイクロマシンの開発に注力し、中止となった時には悔しさを嚙み締めたものだ。それなのに姉だけは危険を顧みず、その先に行こうとしている。それがほうりには悔しく感じてしまうのだ。姉の力になれない、姉一人だけにまた責任を背負わせていると。

 

「大丈夫だよほうり……ワタシは絶対に帰ってくるから。もうほうりを一人にするつもりはないよぅ?」

 

「お姉様はいつもそれです……調子のいい事ばかり言って」

 

「な、なんだよぅ……って、わわ……!」

 

「これで許してあげます」

 

 ナートの隣に座り込み、ゆっくりともたれかかるほうり。自身の体を支えるナートの慌てように少し溜飲を下げるほうりは、その心地よい姉の温かさに任せて目を閉じていく。

 そうすればナートは何も言わなくてもほうりの肩を抱き、小さく笑い声を漏らす。それは決して不快ではなく、昔々の遠い記憶にある、幼い日々を想起させるものだった。

 

 姉は必ず帰ってくる。もう一人にはしないと言ってくれたから。だからほうりはナートの腕の中でまどろみ、彼女の行く先が良きものとなるように祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔の街より退避する二日前、FS最年少のヴァーチャル配信者白臼寝子は塔の街より離れた地下都市の一つにやってきていた。そこは地下首都の賑わいとは打って変わり、出歩く人間などほとんど見られないような寂れた都市だった。規模としては村程度のもので、住んでいる人間も高齢者が大半を占めている。まさに地下都市の限界集落とも呼べる光景が広がっていた。

 

「……多少、変わりましたね」

 

 この村はかつてはもっと人が行き来するような活気のある村だった。主要な都市部との中継地点に存在する村なので村外の人が訪れる事も多かった。それ故にこの村の規模ではありえないような様々な施設が建てられていた。合成食品の販売所や衣類、日用品を扱う店などはもちろん、村の奥には大きな総合病院も建てられていた。

 

 地下開発区の数割を占拠するほどの広く巨大な病院施設はまるで迷路のように通路と病室が地下深くへと続いており、その全体像は勤めていた医者さえも把握していなかった。

 

 だからだろう、この病院があの事件の隠れ蓑の一つとして利用されたのは。

 

「希白病とは……それほどまでに有用だったのでしょうか……? 私のような者を生み出して……それほどまでに……」

 

 

 この世界にて発展したマイクロマシン技術はあらゆる分野に浸透し、発展していった。特に医療分野におけるマイクロマシンの活用と活躍は目覚ましく、これまで難病とされる数多くの病気に関する治療法を確立させたり外科手術を必要とせずマイクロマシンを飲み薬として服用することで患部の治療を行うなど医療の進歩に貢献した。

 

 だが、同時にマイクロマシン療法の副作用とされる症状や医療事故と思われる事件が多発した。まだ発展途上の技術であったにもかかわらず、国がマイクロマシン療法を強く推進していた背景がそれを増長させたとも言われている。

 マイクロマシン療法に関する副作用と事件において最も有名なのが、希白病だ。過去に発生した大規模な希白病患者を人為的に発生させる事件によって生み出された子供たち。寝子はそんな子どもたちの生き残りの一人だ。

 

 事件が発覚した後、寝子はこの病院の地下実験棟にて発見され保護された。世界各地の実験施設にバラバラで収容されていた被害者たち(実験体)は事件の発覚と流出した実験資料によって所在が特定され、命あるものは一人残らず助け出された。

 

 この病院は希白病に関する大事件に関わったとして世間からバッシングを受け、その影響は村全体にまで及んだ。病院が廃病院となるだけにとどまらず、村にあった便利な施設や店も軒並み撤退し、現在の寂れた村へと変貌したというわけだ。

 

 

 寝子はこの村に時々訪れては当時の事を調べていた。自身が生まれ、そして希白病となった場所のことを調べようと決めたのは自身の出自を明確にしたいという思いがあったからだ。

 

 だが、調べれば調べるほどこの病院と自身の記憶には若干の齟齬があることに寝子は気づいた。

 

「此処には、もう来る必要はないですね……きっと」

 

 希白病の症状により、生まれた瞬間さえ記憶している寝子には病院で過ごした時の記憶が三つある。一つは先ほどの病院で実験体として収容されていた時の記憶。一つは事件が発覚し、保護された先の病院の記憶。

 

 そして、寝子が記憶する中で最も古い記憶、生まれた瞬間の病院らしき施設での記憶。そこでは自身と同じような赤子が保育器に入ったままずらりと並べられ、その様子を白衣を着た医者らしき人物がなにやら端末を操作しながら確認していた。

 

 部屋は真っ白で窓も存在せず、無機質な照明が並べられた保育器を照らしているのみだった。だが、時々医者らしき人物が持つ端末に映された文字が見えることがあった。そこに書かれていたとある"ことば"を赤子だった寝子は何度も見聞きすることになった。他の人間が持つ携帯端末であったり、暗証番号を入力しないと開かないドアのパネルであったり、もっと単純に医者の口から出た言葉であったり。

 

 それらの情報から寝子はその"ことば"が、部屋の名前であると確信した。

 

 そして、先日わんこーろより聞いた実験施設群の最上層に住む管理者についての話より、その部屋の所在までも特定できてしまった。

 

 寝子が生まれた場所。最も古い記憶にある希白病患者の実験、その大本である施設の所在、それは──

 

 

「空の上に、あるのですね……私の生まれた場所……CL-388は」

 

 赤子から今まで決して忘れることなく記憶し続けていたCL-388(ことば)を寝子は小さく呟いた。その呟きを耳にしたものは、もはや寂れた村には誰もいなかった。

 

 


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