転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
塔の街からFSが退避する当日、既にわちるたちは荷物をまとめ室長の車で街の出入口であるモノレールの駅に向かっていた。モノレールに乗ればそのまま各々の新たな住まいへと散り、再び集まることは無いだろう。
FSメンバーは各々が胸の中に決意を固め、駅の改札をくぐった先で室長たちが家へと帰っていくのを見つめていた。
そしてメンバー全員が乗る予定のモノレールが駅に到着し扉を開ける。車内の少し薬品くさい匂いが駅へと漏れ出るのを感じ、メンバーは互いを確認し合う。このモノレールに乗る者は、塔の街から退避する者だ。
しばらく搭乗者を待っていたモノレールは時間になると扉を閉め、そのまま走り去っていった。完全自動制御のモノレールは車掌という存在もおらず、既に塔の街からの退避期限ギリギリであったため乗り込まなかったメンバーに声をかける者も居ない。
そして駅のホームに残ったのは、FSメンバー全員。
「……さて、それじゃあ行くか」
「……まさか○一ちゃんもねぇ」
「んだよ、なんか文句あっか?」
「というか……まさかお姉ちゃん方全員……」
「あはは……つまり全員そろって登るってことなんですね」
FSは○一を先頭にホームの奥へと進んでいく。元地下鉄を利用して建造されたモノレールの駅はかつて利用されていた地下道がそのままになっており、立ち入り禁止の看板の向こうには無数の鉄道網だったものが広がっている。○一はモノレールの去ったホームから飛び降り、そのままかつて線路が敷かれていた場所へ降り立った。
「お前らどうやって副塔に行くつもりなんだ? あそこはもう閉鎖されてるぞ?」
「う……まあ何とかなるかなって……」
「計画性なさすぎだろ……ついてこいよ」
「○一ちゃんはどうやって侵入するか考えがあるみたいだね?」
なこそはホームに旅行鞄を置き去りに、NDSだけを手に持って○一と同じくホーム下へと降りる。倣うように全員が降りると○一はそのままトンネルの向こうへと歩いていく。
「……塔の街はただ主塔を支えるだけの足じゃねーってことだ。てか、なこそがまさか残るとは意外だな」
「うん? 私は最初から登るつもりだったよ? あそこには父親の残したものがあるかもしれないからね。それにナートちゃんは危なっかしいし、寝子ちゃんは心配だし、これはついていく以外に選択肢は無くない?」
「ふっふっふっ、私の準備は完璧なんだよぅ! 中央管理室に届けられたマイクロマシンも現地でアプデはできるから、昨日の夜までほうりと一緒に最後のアップデートファイルの制作をしてたんだよぅ! 重力を気にしなくて良くなったから容量もかなり余裕が出来たし"こんなこともあろうかと"という機能をふんだんに取り入れたよぅ!」
「私も問題ありません。元々一人でも登れるように準備はしてきたつもりです。犬守村で山登りをして訓練済みです」
「あー……なんか心配になんの分かるわ……」
トンネルの内部は等間隔で明かりが並び、○一は"彼"が残したタブレット端末を操作しながらその暗闇の中を歩いていく。
「で、この道が副塔に繋がってるってこと?」
「いいや、正確にはこの先に副塔に繋がる緊急脱出路が隠されているはずだ」
副塔は主塔の足として機能しているだけではなく、その地下に広大なネットワークを展開する役割も担っている。正確にはこの副塔を中心としてネットワークケーブルが地下に張り巡らされているのだ。まるで大木の下に太く長い木の根が張り巡らされているかのように。
副塔地下にはネットワークケーブルだけでなく電線や水道ガスなどのインフラも張り巡らされているが、これらは一部副塔のケーブルが通されている共同溝を利用して各都市へと通されている。
共同溝とはネットワークケーブルや水道管、ガス管、電線などを通すために地下に設けられた通路のようなもので、人が整備できるように中々に広く、そして長い。
「つまりだ、この元地下鉄はその共同溝の一つに繋がっていて、そこから逆走して副塔の中まで行けるって訳だ」
「……なんで○一ちゃんがそんな事知ってるの?」
「……なーに、こういう緊急脱出路ってのは全部"それなり"の場所に必ず作られているはずなんだよ、それに扉の開放手順も統一されてる。じゃねーと非常時に混乱して訳わかんなくなっちまうからな」
「いや、そういう事じゃなくて──」
「昔地上に出たことがあるんだよ。そん時のノウハウってやつさ」
「え!? ちょ、ちょっと○一お姉ちゃん!? 地上に出たって、どういう!?」
「はえー○一ちゃん凄い事してるんだねぇ」
周囲の驚く声を聴き流しながら○一はトンネルの奥へと進んでいく。事情を知らない寝子やナートが騒ぐ中、真夜に話を聴いていたわちるや○一の身の上を知っているなこそは少しだけ驚いたように目を見開くだけ。というのも○一にとって地上へと出た当時の騒動は思い出したくない過去なのだろうとわちるもなこそも思っていたからだ。それを○一が自分から口にする事に驚く二人。
「昔の話だってーの。……おし、ついたぞ。この扉だ」
トンネルをしばらく歩くと、重厚な両開きの扉がトンネルの側面に現れた。合成コンクリートの側壁の中で金属製の扉は非常に目立つ。薄っすらとサビが浮いているようで茶色く変色したその扉にはドアノブや取っ手のようなものは見当たらず、唯一近くの壁に箱型のケースが取り付けてあるのみ。
○一は慣れた手つきでケースの取っ手を反時計回りに一周させ、一度止めてから時計回りに二周させたのち、取っ手部分を押し込んだ。するとケースが軽い金属音と共に開かれる。
「さて、こっからだな……昔はしらみつぶしだったんだが、今回は強力な助っ人が居るからな」
「わんこーろさんですね!」
早速とばかりにわちるが自身の携帯端末を操作し、呼び出し音が一度鳴ると先ほど名前の上がった存在が柔らかな声と共に端末に写し出された。
『はいは~い。この扉ですね~、暗証番号の入力機器に端末は繋げられそうです~?』
現れたわんこーろは端末のカメラ機能を使い映し出された箱型のケースを確認する。ケースの中には数字とアルファベットの書かれたキーが並んでおり、小さなディスプレイも取り付けられてある。設定された文字列を入力しろという事だろう。
「繋げればいいんだな? ちょっと待てよ……これでどうだ?」
『んん~……大丈夫です~。接続が確認されました~……ええと、これをこうで、こうですね~』
○一はキーの並びの隅に端子を繋げられそうな窪みを見つけ、手持ちの端子を取り出し端末と繋げる。ピコンと音を鳴らして出現したウィンドウをわんこーろが操作していく。難なく解読された暗号がケース内のディスプレイに表示され、重い金属の音が響いてドアが開いていく。
「……いくぞ」
緊急避難通路は地下の居住地区に何らかの問題が発生した場合、一時的に地上へと避難するために設置された通路だ。地下という閉鎖された空間は些細な事故でも予想以上に大規模な災害に発展する可能性がある。炎や有毒ガスは排気機能が停止していれば地下に充満し致命的な被害を人々に与えるし、居住区の老朽化、地震などによる落盤は危険範囲を特定するのが難しく、救助隊が被災地区に入り込むのも時間がかかる。
それ以外の様々な事件や災害が起こった際、安全な地上へと退避するための緊急通路は必ず各地下都市に存在している。
だが、これまでこの緊急避難通路が正規の理由で利用されたことは一度も無い。地下都市の治安が予想以上に安定しており、災害に関する万全の対策がなされた事が理由である。また、この緊急避難通路が造られた当時はまだ地上の汚染が致命的なものではなく、地上に逃げるという選択肢が現実的であったというのもある。現在では呼吸をするのもままならない汚染された地上へと逃げるなど考えられない。それらの理由から今後もこの通路が利用される可能性はほぼ無いだろう。
さて、そんな緊急避難通路は本来地上に存在する塔の街には必要ないように思えるが、この国の街は湖の上に建造された人工島に建造されている為塔の街で何らかの災害が発生した際の脱出路として造られている。
もしくは逆に、塔の街周辺の地下都市で問題が発生した際、この通路を用いて一時的に塔の街へと避難出来るように設定されている。
「つまりだ、この避難路は塔からも、地下からも開くことができる通路になってるってことだ。場所さえ知ってりゃ行き来も可能なんだよ」
「扉の暗証番号が解析出来たらの話ですよね?」
「○一ちゃんたちよくこんなの調べられたねぇ」
避難路を歩くFSメンバーは時たま現れる隔壁をわんこーろの助けを借りて解除し前へと進んでいく。あくまで非常用の通路なので薄暗く足元もよく見えない。わんこーろの居る携帯端末の明かりを頼りにして進んでいく。
「……なんだか、夏のコラボの時を思い出しますね……」
「あっ、私も思った! なんだか犬守村に行くときのトンネルっぽいんだよねぇ」
『んふふ~あの時は皆さんとても緊張されてましたね~』
「あん時が初めてだったな犬守村行ったの」
「凄かったよねーあんなにリアルなの初めてだったよ」
通路は徐々に明かりが増え、床も壁も白塗りへと変わっていく。最後の隔壁をわんこーろが操作し、FSは副塔の根本へと到達した。
副塔の出入り口は既に閉鎖されており、責任者以外は入れないようになっているがわちるたちは避難路を使って副塔内側へと入り込む事に成功した。利用したのが緊急避難路だったため閉鎖するわけにもいかなかったのか、それとも避難路の存在自体が忘れられていたのかは定かでは無いが、全員問題なく副塔へと侵入することに成功した。
「それじゃあ計画通りに、まずは大型昇降機を探すよ」
わんこーろがFSに提供した副塔の内部地図を頼りにわちるたちは副塔の奥へと進んでいく。副塔は中央管理室と繋がっており、副塔を登っていけばいずれそこへと到達することが出来る。だが、設けられた階段を登っていくのは当然だがかなりの時間がかかる。かつてこの国に存在した東京タワーやスカイツリーといった電波塔とは比べ物にならないほどの高度まで登らなければならず、まず時間が間に合わない。
そこで利用する事にしたのが副塔奥に存在する大型の昇降機だ。人はもちろん物資を大量に輸送する為の昇降機は軌道エレベーター内に造られたエレベーターであり、ナートのマイクロマシンを中央管理室へ輸送するのにも使われたものだ。
このように軌道エレベーター内部には移動を容易にするためにいくつもの昇降機が設置されており、これらを利用すれば比較的簡単に中央管理室まで到達することが出来るだろう。
「こっちだね……まっすぐ行けば昇降機」
「乗れば中央管理室まで一気に行けんのか?」
「そのはず。昇降機はロック機能が無いからそのまま乗れるはずだよ。ね、わんこーろちゃん」
『はい、その通りです~。既に副塔の防衛区画から内部区画へと入り込んでいるので通常モードならば隔壁は下りていないはずです~』
副塔はテロ行為などの防衛の為に出入口からしばらくは防衛区画と呼ばれる区画が続く。爆発などの衝撃に強く壁は分厚く幾つもの隔壁が道を阻んでいるため本来ならば許可のある者しか通り抜けることが出来ない。防衛区画を抜けると副塔の心臓部である管制室などがある内部区画へと到達する。内部区画はそこで働く職員の利便性から暗証番号付きの扉は最小限の数が設置されているのみで、FSは既にこの内部区画へと入り込んでいた。
『時間まであと30分程度でしょうか~……』
デブリの動きが細工箱に封入されていた予測データ通りならばあと数十分後に主塔への道が数秒だけ開かれる。そのタイミングを逃せば衛星の衝突を防ぐどころか、主塔へと入り込む事さえ出来なくなるだろう。
わんこーろは既に副塔のサーバー経由で中央管理室まで到達しており、後は定められた時間に定められた衛星へと侵入すれば衛星経由で主塔へと入り込む事が出来る。
中央管理室には監視カメラが設置されているらしく、わんこーろは中央管理室にしっかりとナートのマイクロマシンが到着している事を見て知らせ、搬入リストからも間違いないとナートを安心させた。また、管理室は既に避難が完了しており、警備の人間さえ見当たらないと知らせてくれた。
それから少しばかり注意事項や雑談を交わし、全員が一瞬無言になったタイミングでわんこーろは動き出した。
『ふむ~……もうそろそろ私も行こうかと思います~皆さん大丈夫ですか~?』
「うん、ここまでありがとね、わんころちゃん。」
「マジ助かった。わんこーろも気をつけろよ」
全員がわんこーろの映る端末へ顔をのぞかせ感謝の言葉を述べていく。声音こそいつもの通りで、まるでわんこーろに犬守村で温かいご飯を食べさせてもらった時のような、そんないつも通りの声。だが、その表情は既に覚悟を決めた者のそれだった。そんな少女たちの顔を見てわんこーろは寂しそうに眉を下げ、悲し気に微笑んだ。
『……ここまで来て今更ですけど~……本当に、登るのですね~?』
それはわんこーろが出来る、引き留めるための最期で唯一の言葉だった。誰もが理解しているが、誰も言おうとはしない事実として、もし最悪の結末を迎えた場合ここに居る少女たちはわんこーろも含めて全員生きては帰れないだろう。
衛星が中央管理室に衝突すれば主塔も副塔も例外なく破壊される。その衝撃は塔全体を破壊するだけにとどまらず、塔の街さえも壊滅的な被害を及ぼすと予想されている。衛星が衝突してから塔にいる彼女らが逃げ切るなど不可能なのだ。
わんこーろはそれでも塔に登る決心をした。それは自分だけがこの状況を覆せるかもしれないという責任感や、わちるたち、あるいはわちるたちの居場所を失わせたくないという思いからだった。
だからわちるたちが塔に登ると言い出した時は内心反対だった。彼女たちを守るために塔を登るのに、そんな彼女たちを危険に晒したくないという想いから。だが、彼女たちが生半可な気持ちで登ると言い出したわけではないと理解しているわんこーろには彼女たちの気持ちを否定することはできなかった。自身が塔に登るつもりであるというのもあり、強く反対することも憚られた。
「まあ、父親の職場くらいは見学させてもらわないとねー」
「マイクロマシンの散布を見届ける義務があるんだよぅ!」
「最初に扉を開けたのはワタシだからな。責任は持つさ」
「私自身の為に、決意が変わることはありません」
そんなわんこーろの気持ちに応えるようにFSのメンバーはなんてことないように言葉を紡ぐ。秋のV/L=Fのように自身の命がかかっている状況であろうと自身の成すべき事の為に塔に登る決心をした彼女たちの心は変わることは無い。
「私は、わんこーろさんの友達です。だから、最後までご一緒します」
『……上で、待っていますね~?』
その言葉を最後にわんこーろはわちるの携帯端末からいなくなる。今頃デブリの間を縫って衛星へ、衛星から主塔への道を辿っているのだろう。
わちるたちはわんこーろを見送った後、主塔で合流するために昇降機のある場所へと急いだ。
そうして昇降機前に到着したFSは、そこで意外な人物が待ち構えているのを見つけた。
「あー……バレるの早かったねぇ」
「室長さん……」
「あはは、灯さんもいるね」
昇降機前に居たのは腕を組み仁王立ちしている室長と、少し離れたところで心配そうにわちるたちを見ている灯の二人。室長の表情は険しく眉間にこれまでないほどの皺が寄っているのが分かる。こちらまでその怒気が伝わってくるような視線の鋭さに思わずナートは寝子の背中に隠れようとするくらいだ。
「ナートお姉ちゃん恥ずかしくないんですか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないよぅ!? 室長の背中に鬼が見えるんだって!」
「こーなることは分かってただろが。……ちっとばかし早かったけどよ」
室長は彼女たちがモノレールに乗っていないと連絡を受けた時、彼女たちの目的が塔なのだとすぐに分かった。その理由やそこに行くまでの手段などは把握出来なかったが、彼女たちは必ず副塔にやってくる、そして主塔を目指すだろうと予想できた。
わんこーろが塔に登ることを話したのか、それとももっと別の理由があるのか、室長には分からなかったが彼女たちが此処に訪れるだろう事は確信しており、事実として彼女たちは現れた。
じりじりと近づくわちる達に対し、室長はただ大きくため息をつき、大きく一歩前に出る。
「……なこそ、これはお前が仕掛けたのか?」
室長は静かな声でなこそへと話しかける。室長の言う"これ"とは駅から副塔へ侵入する方法や昇降機を用いた主塔への侵入計画のすべてを指しているのだろう。
「仕掛けたなんて人聞きの悪い。そんなわけないじゃん。登るかどうかって皆で話はしたけどさ、結局各々が決めてその結果全員が此処に居るってだけの話だよ。室長みたいに裏で色々してたわけじゃないよー」
「ちょ、なこちゃんなに煽ってるのさ!? 室長マジっぽいよぅ!?」
「どーせ何言ったって無駄だって」
「いやいや! 私のマイクロマシンの話とかすれば室長なら納得してくれるかも……」
「あー分かってないねナートちゃんは。そういった正論っぽいもので相手を説得出来るのはこっちが"正しい"側にいないといけないの。副塔に不法侵入してる私たちのそんな話、聞いてくれるわけないじゃん」
「となりゃあ……やることは一つだな」
「ですね……」
「お前達、何を話して──!」
なこそたちが小声で話しているのを見ていた室長は苛立ち紛れに彼女たちへと近づこうとするが、その瞬間わちるたちは一斉に昇降機へと走り出した。あまりに突然の事に室長は一歩遅れ、灯も動けない。
「何を! お前達は何をしようとしているっ!!」
「うお!?」
「きゃ!」
「分かっているのかなこそ! その先には何もないんだぞ!」
それでも即座に反応した室長は両脇を通り抜けようとした○一と寝子を本気で取り押さえる。多少荒い扱いになってしまったが、それほど室長も本気なのだ。
「うわぁあ!?」
「みんな大人しくして!!」
「おっと、……"何もない"かあ……あるよ。私たちに出来ることが」
灯の手によってナートが捕まり、次になこそを捕まえようと伸ばされた手をなこそは避け、軽やかに昇降機へと走っていく。しかし避けられた灯は足をひねり、体の方向を変え、回避によって速度の落ちたなこその片腕を捕まえる事に成功した。
「あーあ……もうちょっとだったのになあ……でもまあいっか、一人いれば」
室長は○一と寝子を押さえ込み、灯はナートとなこそを押さえている。では、あともう一人は……?
「! くっ!」
「わちるちゃん!?」
「すみません室長! 灯さん!」
二人への謝罪を叫びながらもわちるは昇降機へと走っていく。既にその姿を取り押さえる者はおらず、わちるは昇降機へと辿り着くかと思われた。だが……
「わちるっ!」
「!」
室長は諦めていない。拘束していた○一と寝子をそのまま床に放置し、凄まじいスピードでわちるへと接近する。子どもと大人の歩幅の違い、ここまで避難路を歩き続けていた無意識の疲れ、そういったものがわちると室長との距離を頭一つ分にまで縮めていた。
おそらくその数舜後にはわちるは室長に捕まり、同じように床に倒され拘束されているだろう。
だが、そうはならなかった。
「なっ!?」
「きゃあ!?」
突然わちると室長の間に真っ白な壁が出現した。天井からせり出したその壁……いや、隔壁はわちるの居る昇降機の部屋を完全に封鎖し、何処からも入り込めないようにしてしまった。直後に副塔全体に鳴り響く警報と赤い警報ランプ。
「! わちるちゃん! 行って!」
「なこそさん……!」
なこそは隔壁の向こうにいるわちるへと叫ぶ。まだ灯に拘束されたままのなこそだが、それでも叫ぶことを止めない。
隔壁により昇降機は完全に封鎖され、中央管理室へと行く方法は閉ざされてしまった。だが、隔壁が閉じる前に昇降機へと到達したわちるは別だ。わちるだけでも、中央管理室へと行かせる。その想いでなこそは続けて叫ぶ。
「早く!」
「よせなこそ!」
「わんこーろちゃんの所に行くんでしょ! はやく行って!」
「──はいっ!」
隔壁の向こうで何やら操作する音が聞こえ、昇降機が駆動する音と振動が感じられる。それを隔壁ごしに室長も灯も、止めることは出来ない。
次第に上へと遠ざかっていく昇降機の駆動音に代わり、副塔全体に警告音が鳴り響く。
≪本副塔への問題発生。発生内容:最重要No371。内部区画の隔壁を作動させます。ご注意ください≫