転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#239 叡智へのきざはし

 

 わんこーろは塔に登ると決めた時より懸念していた事がある。

 

 塔にはおそらく自身と同じ電子生命体が管理者として待っているだろう。そして今回の衛星の異常動作もおそらくはその管理者によるものだと。

 

 わんこーろは人と会話をすることが好きで、そのためにヴァーチャル配信者となるくらいには会話することに飢えていた。このネットの世界に居る事に気が付いてから数か月程度しか経過していなかった当時は真っ白な空間にただ一人で居ることに言い知れぬ寂しさを覚えたものだ。

 

 だが配信者として活動するようになり、そんな寂しさを覚えることも少なくなっていった。隣には狐稲利が居て、画面の向こうに居る数えきれないほどの移住者と交流することが出来る。時々犬守村にやってくるわちるたちを歓迎し、夜遅くまで語り合うこともあった。

 

 わんこーろはそんな生活を何よりも貴びかけがえのない日々として大切にしていた。今回わんこーろが塔を登るのだとわちるたちが知れば、恐らく彼女たちはその決定に反対するか、同じく塔に登ると言い出す、特にわちるはわんこーろと共に登ることを望むだろう。

 

 だからわんこーろはFSへ塔を登ることを隠していた。自身が守りたいものを守るために。

 

 だが、もし彼女たちが自身の隠している事実に気が付き、共に登ると言い出したのならば受け入れようと決めていた。それは彼女たちの意思を尊重する考えであり、秋のV/L=Fのような騒動を収めた実績からくる信頼でもあった。

 

 

 だが、わんこーろは考える。彼女たちの同行を許すそんな理由は自身の都合のいい言い訳でしかないのではないか? と。時折ふと思い出す、まだ配信者になっていなかった頃の自分は真っ白な部屋で一人何もせず佇んでいるだけだった。それが自分の全てであり、最期なのだとぼんやりと考えていた。

 

 結局のところまだわんこーろは寂しいのだ。隣に誰かが居てくれないと寂しさにその身が砕けてしまいそうになるほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔へと出発する際、わんこーろは狐稲利に犬守村をよろしく頼むと言って出発した。当初狐稲利もわんこーろと一緒に塔を登ると言っていたのだが、それを説得し、万が一の為に狐稲利には犬守村を守ってほしいと願ったのだ。

 

 わんこーろも狐稲利も口には出さなかったが、最悪の場合というのはわんこーろが塔より戻ってこなかった、という場合の事をいう。

 

 別れる際に涙目で頭を撫でるよう要求した狐稲利は母親を困らせまいとそれ以上のわがままは言わなかった。ただ、母親が願ったように、母親の創った帰るべき場所を守る事を約束した。

 

 

「あと30分ほどですね~……」

 

 ネットの海に浮かびながらわんこーろはワールドクロックを表示させる。既に犬守村から中央管理室のサーバーへと入り込んだわんこーろはそこでわちる達から連絡が来るのを待っていた。副塔の防衛区画にある隔壁とドアのロックを解除するためだ。

 既に室長より主塔までの侵入許可を得ていたわんこーろだったが、FSの面々はそうではない。そのことに若干の後ろめたさを感じるものの、だからと言って彼女たちが止まるわけでもない。既に賽は投げられた。ならば行くところまで行くだけだ。

 

 FSの前に立ちはだかる隔壁を開放し、ドアのロックを解除していけば見えるのは開かれた通路が一本。ここを通れば昇降機のある部屋まですぐだ。

 

 わんこーろはFSへと、本当に登るのかと尋ねる。答えなど分かり切っているのに、わんこーろは聞かずにはいられなかった。

 

「上で、待っていますね~?」

 

 その言葉を残し、わんこーろはあと数秒に迫ったタイミングを待っていた。細工箱より出てきた軌道予測データが本物ならば軌道上で乱雑に動き回っているデブリに、ほんのわずかな通り道が現れる。人が通り抜けられるような大きな通り道という訳でもなく、そのタイミングも数秒程度であるが、電子生命体であるわんこーろがデブリの向こうに存在する衛星と通信する程度ならば余裕のある時間だ。

 

「衛星からの信号をキャッチ……通信の許可を取得……通信経路の構築を開始、リンクの接続完了~……うん、それじゃあ衛星の中枢を掌握。全システムを管理下に~」

 

 わんこーろはリンクの確立と共にすぐさま衛星内部へと侵入、間髪入れず衛星の中枢を掌握し、衛星そのもののコントロールを奪う。場合によってはこの衛星に何かしらの罠が仕掛けられている可能性もあったが、どうやらそれはなかったようだ。

 

 衛星を中継地点として確保したわんこーろはそこでようやく一息つく。タイミングがシビアだったデブリの間を通り抜けて衛星へと到達する、という工程を成功させたことで若干の余裕が出た。

 とはいえ別の衛星が衝突する事実は変わらない。すぐに衛星から主塔へのリンクを構築し、主塔内部のサーバーへと移動する。

 

「さて~……どうなっているのでしょうか~……」

 

 主塔とのリンクが構築するまでの間、わんこーろは主塔の全体を管理する管理者が住まうCL-589の内部について考えていた。

 もし管理者が自身と同じ電子生命体ならば、その空間は管理者の理想とする環境が広がっているだろう。わんこーろにとっての犬守村であったり、この国の人々にとっての葦原町であったり。

 

 だから、リンクが繋がり主塔のサーバーであるCL-589へと入り込んだわんこーろはその空間に絶句した。

 

「……真っ白、ですか……」

 

 そこには何もなかった。いや、正確には主塔を管理するためのシステムが収められているのだろうが、それらは管理空間にあえて表示されないように設定されているらしかった。

 

 見渡す限り白い床と壁と天井がどこまでも続き、音も匂いも感じる事はない。それはまるで、わんこーろが電子生命体として目覚めた瞬間に目にした原初の犬守村のようであった。

 

「そんな……それじゃあ管理者は、ずっとここで……?」

 

 天文台の隔離空間で見つけた雑誌から知り得た情報を考慮すると、管理者は数十年前から塔の管理者としてそこに居た。塔そのものが機密の塊であるからローカルネットワークに繋がる事も無く、主塔が閉鎖されたことで会話する相手も居ない。

 そんな孤独な白い空間に、管理者は数十年もたった一人で居たのだ。

 

「……だめです、今は主塔の開放を急がないと……!」

 

 見渡しても管理者と思われる存在は見当たらない。わんこーろは頭を振り、今しなければいけない事へと注力する。空間自体にアクセスし、主塔と中央管理室とを分け隔てる大隔壁の開放処理を行う。

 

「これで大丈夫です~……わちるさんたちも登ってこれるはず~」

 

 主塔の閉鎖はただ人の通行を遮断していただけでなく、その隔壁によって主塔と中央管理室とのネットワークを繋ぐ太いケーブルをも物理的に切断していた。

 切断、というより元々緊急時には機能として分断されるように造られており、閉鎖の解除と共にこのケーブルも再接続される。

 

 わんこーろが主塔の閉鎖を解除したことで主塔のイントラネットはすぐさま副塔群によって構築されたインターネットへと復帰、通常のネットワークから主塔の存在を認識できるようになった。

 

「よしこれで──っ!? こ、これは一体!?」

 

 その瞬間、主塔を常時監視していたヴィータが主塔の開放をいち早く察知。協力関係にある各国の副塔を主塔開放の為という名目で管理下に置き、おそらく主塔を開放したであろうこの国の副塔へと攻撃を開始した。

 

 ヴィータは主塔のセントラル・ラインに残された非人道的な実験の痕跡を抹消するためそのような強硬手段に出た訳だが、その事実をわんこーろは知らない。いきなり攻撃を始めたヴィータにわんこーろが混乱している間に副塔よりネットを切断するシステムが実行された。それが副塔より行われたものであると理解したわんこーろは、対処をそちらへと任せ、自身は本来の役目を全うする為に行動を開始した。

 

「……この空間から衛星を操作しているなら……どこかに衛星へ軌道修正のデータを送っているものが……」

 

 わんこーろは全力で衛星操作のためのシステムを捜索する。見た目真っ白な空間であってもその内部には膨大なプログラムが走っており、それらをわんこーろはくまなく手を伸ばし、一つ一つ中身を確認していく。

 犬守村のようにわんこーろが管理している空間ではないため、空間全体を瞬時に検索することは不可能だ。空間を掌握するにも時間がかかるし、結局は衛星に関する情報のみに焦点をあてて捜索するのが早いと判断したのだ。

 

「はやく……! 早くしないと~……!」

 

 衛星の衝突までのタイムリミットという差し迫った状況がわんこーろをひどく焦らせる。副塔でハッキングに対応しているのは恐らく室長達だろうとわんこーろは予測しており、塔を登っているはずのFSの存在も含めて、絶対に衛星を衝突させないという思いでいた。

 

 しかし、どれだけわんこーろが空間内を捜索しても衛星を誘導しているシステムらしきものは一向に見つからない。もっと深くにあるのかと捜索に集中するが、それでも欠片も出てこない。

 

 さらに深くへ、さらにさらにもっと深くへ……空間の奥深くへと意識を向けるわんこーろがその存在に気付いたのは、声をかけられてからだった。

 

「……、……探してるもの、無いよ」

 

「!?」

 

 跳ねるように体を動かし、背後より聞こえた声の主と距離を取るわんこーろ。咄嗟に拡張領域より裁ち取り鋏を手に持ち振り返った先に居たのは、真っ白な少女だった。

 

「……、こんにちは」

 

 少女はわんこーろよりも背が高く、狐稲利より低い程度。長く白い髪は銀糸のように輝き、炎のようにポリゴンで構成された微細粒子が(きらめ)いていた。腕も足も身長に見合わぬ細さで、何より特徴的なのはその目だ。目の中に幾つものポリゴンが内包されているかのような複雑な格子状の瞳はわんこーろを静かに見つめている。

 

「あなたは……いえ、あなたが……管理者さんですか~……?」

 

「管理者……、……うん、私は、管理者……管理者ニコ」

 

 ニコと名乗った少女は確かにわんこーろの目の前に居る。だが、その姿はあまりにも希薄だった。まるで真っ白なこの空間に溶けて消えてしまいそうなほどその存在感は薄い。

 

「……、……おかえりなさい」

 

 どこか懐かしさを覚える声音で、ニコは表情を変えることなくそう呟いた。

 


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