転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
ネットワーク上に存在する数多の仮想空間は管理する管理人によって自由自在に姿を変えていく。明るい雰囲気に満たされ自然と楽しい気分にさせてくれるものであったり、逆におどろおどろしくドキドキするような陰鬱さを表現している空間もある。
それは管理人の設定した独自の世界観であり、まったく同じ空間は一つとして存在しない。過去この世界にも存在していた、個人の
塔の最上部に存在する主塔の全体管理を行うサーバー、CL-589内の仮想空間はそんな地上の流れから隔絶したような、静かな真白に統一されていた。音も匂いも感じることは無く、白い床を踏みしめる感覚さえも薄っすらしたもの。
そんな白紙の空間にポツンと浮かぶ白い影の少女。わんこーろは前を歩く少女より零れ出る粒子の流れを無意識に目で追う。煙のように姿を変える粒子は糸のように細長くなったかと思うと次の瞬間には周囲全体に散っていく。生き物のように動きまわる姿はまるで犬守村で御霊降ろしを行った時のような、魂たる光球を思い起こさせるものだった。
「……!」
わんこーろの視線を感じたのか、少女は歩きながら後ろへ振り向き、無表情のまま首を傾けた。
「……、……衛星は、落ちないよ?」
「……元々墜とす気はなかったという事です~?」
「……、……中央管理室に落としたら、人がいっぱい死ぬから」
初遭遇時にニコと名乗った少女は感情の籠らない声音で淡々とわんこーろの疑問に応える。言葉だけ聞けば無暗に人命を奪うほど非道な存在では無いように見えるが、その言葉を発しているニコに一切の感情が見て取れないのが不気味に映る。
「人に危害を加えるつもりはないのですね~」
「お父様にお願いされたから……、……人を守るようにって」
「お父様……?」
「……、……いろんな知識をもらった。私を私として構成している情報の発端に……、……彼はいる。私は、彼をお父様と呼んでいる。幼い私に知識を与え、精神的な成長と呼べるものを促した彼を、私はそう呼ぶべきだと考えたから……、……私にとって、父親なの、シゲサト博士は」
(! ……やはり、管理者となこそさんの父親は接触していた。それどころか、シゲサトさんは彼女……ニコさんの教育係を務めていた……?)
これまで仮説の域を出なかった断片的な情報を繋ぎ合わせただけの仮定が管理者本人の言葉によってわんこーろの頭の中で明確なものとなる。
わんこーろが天文台隔離空間で見つけたセカンドシグナル。それは目の前の電子生命体ニコのものだった。ニコは宇宙の何処からかやってきて地球の天文台のサーバーへと降り立ち、そこでなこその父親であるシゲサトと親しくなる。
交流を深めたニコとシゲサトの元に当時塔の管理を行っていたヴィータが接触してくる。そして何かしらの契約を結び、二人は塔に住まう事になった。
……だが、そこからが分からない。なぜ、ニコは主塔を閉鎖したのか。シゲサトはどうなったのか? 様々な疑問がわんこーろの頭に浮かんでくる。その疑問のすべてを、当事者たるニコならば知っているだろう。
わんこーろは焦る気持ちを押さえ込み、歩くニコについていく。彼女の言葉が正しければ衛星が墜ちるという情報は自身を此処へ呼び寄せるための偽の情報だった。それならば時間を気にせず聞きたいことを聞くことが出来るだろう。
「ニコさんは人と仲良くなりたいのですか~?」
「? ……、……仲良く? どうして?」
わんこーろの言葉に再度、ニコは首をかしげる。人を守る、仲良くするという二つの行動がどうして結びついているのか、まるで分からないといったように。そんなニコの様子にわんこーろは底冷えするような悪寒を感じる。まるで同じ言葉を発しているにも関わらず、会話が出来ていないような。
「……人を守るように、と言われたのでしょう?」
「分からない。どうして、人を守るために仲良くしないといけないの……、……?」
「……貴方は……」
わんこーろは塔の管理者が同じ電子生命体と知った時も塔に登ると決意した時もどこか現状を楽観視していた部分があった。同じ電子生命体なのだから、自身と同じような存在で、同じような考えを持っているのだろう、と。
だが、わんこーろの精神性を構成しているのはわんこーろとなる以前の記憶によるところが大きい。現在ほど環境が破壊されておらず、自然の美しさとその中で生活する人々の姿を知っていたからこそわんこーろは一人で居ることに寂しさを覚え、ヴァーチャル配信者となる選択をした。
わんこーろはあくまで例外なのだ。人外の超常的な力を持ちながらも人としての精神を有している故に人らしく振舞っているわんこーろと違い、ニコにはそれらの記憶はもちろん存在しない。
地球の外側から来たニコには地球に存在するすべての生物が同等に見えているのかもしれない。それこそ、人と虫の区別がつかないレベルで。それほどまでに電子生命体とは生命という枠組みにおいての上位者なのだ。
……あるいは、ニコにはそういった上位下位といった区別さえついていないのかもしれない。シゲサトに育てられ、シゲサトと同じ"人"として育てられたであろうニコには人も電子生命体も同等の存在として目に映っているのかもしれない。
「分からない……、……なぜアナタは私の邪魔をしたの?」
「じゃ、ま……?」
「どうして……、……皆を助けるのを、邪魔するの……?」
その瞬間、感情の無かったニコの顔に初めて怒りが見えた気がした。音の無いはずの空間にニコの周りを漂う粒子が戦慄く"声"が聞こえた気がした。粒子は渦を巻き、光を散乱させながら勢いそのままにわんこーろへと殺到する。
「っ! 何をするんですか!!」
咄嗟に取り出した裁ち取り鋏で粒子を振り払おうとするが、刃に接触する前に粒子は流れを翻しニコの元へと帰っていく。ニコの掌で渦巻く粒子は次第に細長く動きを変え、徐々に粒子が肥大化していく。
パキリ、という小さな破裂音が聞こえ、ニコの手元にはいくつもの立方体が棒状に集まった塊が出現した。ニコがそれを手に取り、軽く振ると無骨な立方体の塊は洗練された金属質の刃と鮮やかな蒼色の柄を備えた鋏の形へと成形された。
「裁ち取り鋏!?」
「……、……私は、人を守るから……、……貴方は、邪魔」
「っ!?」
目の前にいたはずのニコは掻き消え、次の瞬間にはわんこーろの後ろに回り込んでいた。ニコの振りかぶった裁ち取り鋏の複製品を間一髪で回避したわんこーろはそのまま床を転げ、ニコと距離を取る。
「ニコさんはっ! 一体、人をどうやって守るっていうんですか!」
「……、……どうして人は死ぬの? どうして死ぬことを選ぶの?」
「ニコさん!?」
叫ぶわんこーろ言葉はニコに届かない。真っ白な空間に溶け消えたかと思うと次の瞬間には背後を取られている。カウンター気味にわんこーろは鋏を振るうが、それを予測していたニコは既に体を跳ねさせ切っ先を回避、流れるような動きで手に持った複製品の鋏をわんこーろへ投擲する。
振りかぶった鋏を慌てて戻し、柄の部分で投げられた鋏を弾く。弾かれた複製品は回転しながら空を舞い、粒子に変換されてニコの手元へと戻る。再び鋏を生成し、ニコは問いかける。
「人はどうして、私達みたいに生き続けようとしないの? どうして死んだら、生きることを諦めてしまうの?」
「何を、言っているのですか!」
ニコの声音には殊更疑問だという感情が含まれていた。どうして人は自ら死を選ぶのか。ニコはその疑問をわんこーろにぶつけている。言葉通りに解釈するのなら、それは人が自ら死を選ぶ、つまりは自殺という現象に対する疑問のように思える。
だが、ニコの疑問は人の精神的な状態に起因する自殺という現象に対する説明を求めているのでは無いとわんこーろは理解した。
人と自身を同等とみなしているニコ、"私達みたいに"という言葉に、"死んだら生きるのを諦める"という一見意味の分からない言葉。それをわんこーろは、同じ電子生命体であるからこそ、理解した。
「ニコさん……! 人は! 人は肉体を失えば、死んじゃうんですよ!」
「? 分からない。肉体の消失がどうして死に繋がる? 私達は、肉体を持っていない。私達の存在が、命を維持するのに肉体が絶対に必要という訳では無いと、証明している」
ニコが腕を上げると、周囲に散乱していた粒子が数十個の塊へと変化し、それらは一瞬で裁ち取り鋏の能力を内包した"刃"の形へと変化する。
「私達と人は違うんですっ!!」
ニコの誤解、それは人間という存在が電子生命体と同等の存在だと思い込んでいる事だ。電子生命体は生まれながらに電子の海に存在し、肉体を必要としない。肉体を必要としないから食事も睡眠も必要とせず、寿命も無い。
ニコは人もそのように"成長"すると考えているのだ。
ニコは人という存在における肉体の消滅が、人という存在における一種の"区切り"のようなものだと解釈していた。赤子が乳を飲むのを止めるように、生殖可能な体へと変化するように、
「肉体が無くなっても、人は生き続ける。ただ、それを認識できなくなるだけ。端末という観測装置がなければ人が私達を観測出来なくなるように」
投擲される数十もの刃は複製品とはいえ性能はわんこーろの所有するオリジナルとそん色ない。床に突き刺さった鋏は接触部分の床を初期化し、空間そのものに穴を開ける。ボロボロになった床に足を取られながらわんこーろは雨あられと降り注ぐ裁ち取り鋏を回避する。
「違います! 違うんですニコさん! 命にはいくつもの在り方があるんです! すべての生命が私達と同じ在り方を辿るわけじゃないんです!」
「"命に限りがある"それを証明する方法はない。けれど、"命に限りは無い"を証明することは出来る。私達の存在が永遠に続く命の在り方を証明しているはず」
ニコはこの世に存在する命は全て永遠に生き続けると考えている。肉体を持って生まれ、乳離れや思春期、出産、死を経て肉体を伴った人生から肉体を必要としない人生へと移るだけだと。そしてその新たな人生へ移行した人類を、まだ肉体を持っている人類は観測できなくなる。それ故に肉体を持つ人類はそれを人の終着点だと考えている。
人生は肉体を失った後も続いていく。それこそ、電子生命体のように永遠に。ただ、見えなくなってしまうだけだ。
ニコの人類を守るという言葉は、観測できなくなる前に肉体の有無に関わらず全ての人類を観測可能状態にし、永遠に守り続けるという意味だった。
「! まさか……私が邪魔をしたというのは、秋のV/L=Fで……!」
そうしてニコの思想を理解し、彼女の電子生命体としての技術力を目の当たりにしたわんこーろは、彼女が行おうとした一連の事件の全容を理解した。
「そう。あなたは、邪魔をした。あれが、人を守るための唯一の方法なのに」
ニコは話を始める。あの、秋のV/L=Fに自身が干渉した理由を。
秋のV/L=Fにはいくつか謎が残されている。一つ目は"なぜ、管理者は札置神社に閉じ込めた配信者を人質としなかったのか"
秋のV/L=Fにて札置神社全体を手中に収めた管理者ニコは札置の迷い路にいる配信者をそのまま放置した。迷い路が攻略されるのを防ぐための妨害はしたが、それ以外に直接害を与えるような事はしなかった。その結果ニコの操る九尾とわんこーろの戦いは拮抗し、最終的に迷い路を突破した配信者と共に九尾は打ち倒された。
もしニコが配信者の命を人質にすれば、わんこーろを簡単に無力化できたはずだ。なのにそれをしなかった。
二つ目は"犬守村にダウンロードしようとしていた実行ファイル"。九尾さえ犬守村に降ろすのに数秒程度で事足りたのに、犬守村に送り込まれた実行ファイルがダウンロードされるまでに必要だった時間は二時間。これほどまでに巨大な実行ファイルの正体は一体何だったのか?
二つの謎の答えはニコの思想と実行しようとしていた内容を聞けばすぐに判明した。
「人は、肉体に縛られている。依存している。……、……それじゃあダメ。人は、永遠に生きられるのに」
「だから
人を永遠に生きられるようにし、保護するという考えの下ニコはまず、人類の肉体に対する依存度を低下させることにした。肉体を用いない仮想世界を体験させ、現実よりも仮想世界の優先度を高めるように仕向ける。そのためニコは先進技術研究所へとNDSに関する情報を与え、仮想世界を人類にとって身近なものとするように誘導した。
おあつらえ向きに現れたFSやわんこーろという存在によって仮想世界は人類にとって想像以上に魅力的な場所へと映ったことだろう。そうしてNDSの習熟度の高い者たちが徐々に現れ、NDSを用いた初のV/L=Fが行われる事になった。
ニコはそこで考えていた作戦を実行した。あくまで人類は守る対象であるため、決して害を与えることはしない。その上で彼ら彼女ら配信者をニコの考える概念での"保護"を実行しようと、とある実行ファイルを犬守村へとダウンロードしようとした。
「肉体を消失した人類は、私も観測出来ない……、……なら、観測出来る状態で私達と同じにしてしまえばいい」
「! ……それじゃああの実行ファイルはやっぱり」
「ん。肉体から、精神を引きはがすための、実行データ」
おおよそ信じられない言葉だった。精神とはあくまで脳の活動によって生み出されるものであり、本体は脳そのものなのだ。だがニコはこの精神を脳から切り離し、ネットワーク内で独立させるという。
NDSの不具合の一つとして、ネットワークの断線によってネットに降下中の精神が漂流する可能性があると想定されているが、実は不具合ではなく、それがNDSの本来の使い方なのだという。
「人の精神は、想像以上の容量。思ったよりも、時間がかかった」
「ニコさん……!」
何でもないように、無表情で失敗したと語るニコにわんこーろは憤りを隠せない。彼女の考えではネット内に人の精神を独立させれば、ニコやわんこーろと同じ存在となり、永遠にネット内で生き続けられるのだろうが、それはつまり現実世界の肉体を強制的に捨てさせるという事だ。わんこーろから見ればそれはただの大量殺人と変わらない。
降り注ぐ刃は床を破壊し、わんこーろの回避能力を削り取る。ついにはつまずき、わんこーろの頬を刃が軽く撫でた。とたん頬より生暖かい深紅の液体が滴り、それは刃の能力によってたちどころに初期化され、真っ白なポリゴンの粒子へと還元される。
つまずき立ち止まったわんこーろを地面に拘束するように、刃はわんこーろの服を地面へと縫い付ける。服だけでなく、柔肌を多少傷付けながら服に突き刺さる刃に思わずわんこーろは小さく悲鳴を上げる。
「っ……このことを、ヴィータは……合衆国は知っているのですか……!」
「ううん。知らない……、……私を管理者にすると決めたのも、ヴィータの上層部のごく一部だけが知っていた。今、動いているヴィータに私を知ってる人は、いないよ」
ニコは手に持った複製品の鋏を粒子へ戻し、標本のように固定されたわんこーろへと近づく。この空間はニコが支配する、ニコのための空間だ。ニコが管理し、ニコの思い通りに操作する事が出来る。
電子生命体が支配する空間で戦いを挑むという事は、決して勝つことのできない勝負に望むのと同義だ。それはわんこーろと犬守村のこれまでを見ていれば火を見るより明らかである。
それは同じ電子生命体とて例外ではない。