転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
完全記憶能力、瞬間記憶能力と呼ばれる能力はその名の通り一度見た内容を瞬時に記憶し、つぶさに思い出す事ができる能力の事を言う。過去の地球でも少なからずそのような能力を持つ人間は存在しており、稀有な能力として知られていた。
そんな完全記憶能力を持つ人間を故意に生み出す手段が発見されたのは、全くの偶然だった。
効率化社会の最中に研究されていたマイクロマシン技術を応用した医療用マイクロマシンによるマイクロマシン療法は数多くの病の治療方法として採用され、実際に成果を上げていた。
だが、そんな光の部分もあれば暗い部分も存在する。マイクロマシン療法の隆盛に比例するようにマイクロマシン療法に関する副反応や医療事故が数多く報告されるようになっていった。
その中でも最も多く報告されたのが、記憶障害を訴える事例だった。マイクロマシン療法を受けた前後の記憶があやふやであったり、過去の一部記憶が抜け落ちていたり、あるいは逆に過去の記憶が鮮明に思い出せるようになったり、マイクロマシン療法を受けた後、一定の物事のみ詳細に覚えられるようになったりと、様々な記憶に関する異常が報告された。
事が大きくなるにつれて医療分野はマイクロマシン療法の適用に慎重になり、その取り扱いを限定的なものとした。その後、マイクロマシン製造企業と医療関係の分野との相互研究による技術発展によって安全な療法が確立されていった訳だが、一部の者はこの、記憶障害という事例に関心を抱いた。
そんな者たちが殊更興味を持ったのは記憶の欠損についてではなく、もう一方の記憶力の向上という点だった。
そして違法で異常な研究と実験が裏で繰り返され、幾つもの命が犠牲になり、そうして生まれたのが、生まれながらに完全記憶能力をもつ人間だった。
人類は完全記憶能力を持つ希白病患者を生み出すという、遺伝子操作に次ぐタブーを犯してしまったのだ。
「ん……」
目を閉じていた寝子は静まり返った葦原学校の教室の隅で目を覚ました。遠くで何か巨大なものが空気を揺さぶる音を聞きながら、教室の中に積まれた机や椅子のバリケードから這い出て廊下へと出た寝子は、ドアの前で腰を降ろし周囲を警戒していたなこその姿を見つける。
「状況はどうですかなこそお姉ちゃん」
「んー……良くはない、かな……。でも狐稲利ちゃんたちが何とか侵攻を押しとどめてくれてるから何とかなりそう。それより寝子ちゃんはもう大丈夫なの? あまり無茶したらダメだよ? 仮想世界でも疲れは溜まるし」
現在葦原町の配信者はわちるとの通信を待ちながら学校内でヴィータとの攻防を繰り広げていた。といっても戦闘自体は狐稲利たち犬守村の者に任せ、わちるとの通信を優先するべく学校内を2.0から隠れながら移動を繰り返していた。校舎の窓から見える葦原町の街並みには一際大きな巨人がその姿を露わにし、巨大な九尾や八岐大蛇と対峙している。
狐稲利の指示によって3.0は学校から離れた場所へ誘導され、FSは比較的動きやすい状況だった。それでも2.0が脅威な事に変わりなく、蛇谷より得られた動作プログラムなどを参考に2.0の動きを予測し、さらにヨイヤミによる援護も加わることで何とか逃げ回る事に成功していた。
だが、仮想空間内とはいえ休みなく逃げ続けることは体力的に難しい、最初に足を止めたのはFSの中でも体の弱い寝子だった。寝子の事を考え、まだ2.0に知られていない教室へと身を隠し、そこでしばらく休憩を取ることになった。
「いえ、これ以上ご迷惑はかけられません……」
「……迷惑なんて誰も思ってないけどね。寝子ちゃんのおかげでヴィータの遠距離攻撃はほぼ無効化してもらったし。寝子ちゃんがいなかったら遠方からの攻撃だけで制圧されてたよ」
「私が出来ることはそれくらいしかないので……」
「……ふーん。まあまだ休憩時間だし、ほら隣に座って」
「お邪魔します」
しんと静まり返った廊下で膝を抱えて座り込むなこそと寝子は木製の壁に背中を預け、僅かに温かみのある廊下の触感に息を漏らす。現実の世界ではこのような木で出来た巨大な建築物で生活する事はおろか、触れることすらできなかった。
廊下の表面に手を添えると木の特徴的な質感が感じ取れる。表面はしっかりとコーティングされているので木そのものの質感という訳ではないが、感じられるぬくもりは合成のプラスチックや金属からは得られない不思議な感覚だ。
「今頃わちるちゃんは主塔の中かなぁ」
「次に連絡が来るのは主塔の散布装置制御室へと到着した頃でしょうか」
「うん。あまり頻繁に通話すると敵に傍受されるかもしれないからね」
ヴィータは未だ侵攻を続けているが、今のところ空間自体の掌握には至っていない。犬守村レベルの情報の密度を誇る葦原町の空間を解析するとなれば最先端で最新鋭の情報端末を用いても一朝一夕とはいかない。NDSを複数用いたとしても、その結果は変わらないだろう。その上こんな時の為に葦原町に存在する3Dモデルやらオブジェクトやらには対ハッキング用の防壁以外にも攻性システム等が隠されており、不用意に破壊すればヴィータ側にダメージが入る事も想定された。
葦原町はこちらからすれば見知った庭のような空間だがヴィータ側からすれば攻略しにくいうえに、あちこちに見えない爆弾が埋まっている恐ろしき空間と言ったところだろう。
遠くから聞こえる爆音と、わずかに感じる振動は狐稲利たちが時間を稼いでいる証拠。廊下にある窓ガラスはどれも衝撃で破壊されたかヒビが入っているものばかり。その向こうに見える空には町から伸びた黒い煙の柱が昇っている。
「……登れなくて残念だったね。……何か理由があったんでしょ?」
「……すみません」
不意になこそが口にした言葉に寝子は顔を伏せる。しばらく唇を噛み締め、何とか謝罪の言葉を吐き出す。
「謝らなくていいんだって。私も勝手な理由で登ろうとしてたわけだし」
「……なこそお姉ちゃんが塔を登ろうとしていたのは、お父さんの事を知りたいから、でしたよね……? 私は、それを勝手とは思いません。……知りたいと思うのは当然の事だと思います」
「うーん……、私が物心つく頃には両親はどっか行っちゃってたから、そこまで思い入れがあるわけじゃないんだ。どちらかと言うと、自分の為かな」
「自分の……」
「両親の事を知れば、私の始まりを知ることが出来るような気がしてね。……あまり難しく考えてはいないんだけど、まあ、そんな感じなんだ」
なこそはこれまで何度か親戚の家や施設を渡り歩いていたが、その中でも最も長い時間を過ごしたのが推進室だった。故になこそは"親という存在は?"と問われたならば室長と灯、二人の顔を真っ先に思い浮かべるだろう。
なので、なこそにとって生みの親はどこか近しい存在ながら他人のような人たち、という認識だった。
幼い頃より抱いていた血のつながった両親の想いも、わんこーろより渡されたコインで知ることができた。なこそとしてはそこでもう区切りがついていた。
だから、なこそにとっては塔に登るという行為は蛇足でしかなかった。知れるならば知っておこうという程度のものだった。
「……私も、同じです。自分自身の始まりを知りたいと思って塔に登る決意をしました。……ただ、もしかしたらこれで良かったのかもしれません」
顔を伏せる寝子はそう自身に言い聞かせる。なこそと同じように自身が抱いている感情はなこそと同様の、その程度の軽い物なのだと思い込もうとしているかのように。
けれどそれは思い込むだけで飲み込めるかは別問題だ。現に寝子の声には緊張と、僅かな安堵が含まれている。真実に触れられなかった後悔と、触れずに済んだという思いから。
「……私にはまだ、自身の始まりを直視する勇気は無いのかもしれません」
「寝子ちゃん……」
何か声をかけるべきか、なこそは逡巡しながらも寝子の肩に手を置く。その手に重ねるようにして置かれた寝子の手は思った以上に冷たく、白かった。そうして再びなこそが何かを口にしようとした瞬間、教室の中から物音が聞こえてきた。
慌てたような足音と共に教室のドアが勢いよく開けられ、なこそと寝子は驚きながらも教室より現れたナートへと視線を向けた。
「寝子ちゃん! なこちゃん! わちるんから通信きた! 今主塔のセントラルラインにいるって!」
「! まだ繋がってるんだよね? もしもしわちるちゃん? そっちは大丈夫? 問題ない?」
「わちるおねえちゃん! お怪我はありませんか!?」
【なこそさんに寝子ちゃん。大丈夫ですよ、此処に来るまでなにもありませんでした。それよりそちらは大丈夫なんですか?】
「もー、こっちの心配は大丈夫だってば! それよりどうしたの? 次の通信は散布装置の制御室だったんじゃ?」
【それが……道が塞がっていて……】
「ん、ちょっと待って。さっき
「う、うん」
教室に戻ったなこそと寝子は教室の床にマップを広げる。それは蛇谷が主塔の管理者より手に入れた主塔全体の地図だった。わんこーろよりもらった地図は副塔と中央管理室までで、主塔内部の構造が分からなかったFSにとってその情報は渡りに船。そのことを思い出したなこそはすぐさまマップの情報をわちるの端末に送る。
だが、そのマップは完全なものではなく、おおよその区画が分かる程度の簡単なものでしかなかった。それでもマップを覗き込むなこそたちはわちるから周辺の様子を聞き出し、マップにわちるの現在位置と、塞がっているという通路の場所を突き止めた。
主塔は主に二つの区画が存在する。地球から脱出し宇宙へと進出するための玄関口である"進出路"と呼ばれる場所は、まさに宇宙の港と読んで差支えない姿をしている。ジンベイザメのような大きな口を開けた進出路はそこから宇宙船を送り出し、停泊させるための施設として運用されるはずだった場所だ。
そしてもう一つの区画が、宇宙空間での各実験を行うための大規模な施設であるセントラルラインと呼ばれる実験施設群となる。進出路とセントラルラインは別の区画として分けられており、進出路とセントラルラインという二つの大きなビルが寄り添っているような姿をしている。進出路は比較的主塔の最初のほうに建造されており、セントラルラインはさらに高いところまで伸びている。
このセントラルラインの589番目の最も高い場所に存在する部屋こそが、塔の管理者が住まう主塔の管理中枢のあるサーバー室という訳だ。
サーバーに行くための道は主塔の中心を貫く昇降機か、非常用の通路しか無いわけだが、わちるによれば昇降機はセントラルラインの上層部で止まったまま動かず、仕方なく通路を進んでいたのだが、通路の方はひどい有様なのだという。通路のあらゆるところに機材や物資が放置され障害物となっており、通路を照らす灯も頼りなく点滅していたりと、確かに人が居なくなった荒廃した施設のような姿だったらしい。
それでもわちるは障害物を飛び越え乗り越え前へと進んでいたのだが、セントラルラインを半分程まで進んだところで通路が完全に塞がれておりそれ以上前に進めなくなっているらしい。
起動した非常用隔壁がそのまま閉じられた状態で故障し、制御パネルでの開放命令も受け付けないのだという。通路に残された痕跡からするとセントラルラインには数メートルごとに隔壁が設けられていたようで、むしろ故障しているのがこの隔壁一枚だけというのは幸運なのかもしれない。
「──なるほど、つまりセントラルラインは予想以上に荒れてるんだね……それはマップを見ても分からないはずだよ……。ナートちゃん」
「な、なに?」
「マイクロマシンの散布装置って何処にあるんだっけ」
「ええと、……マップの此処だね。ちょうど進出路の所。制御はセントラルライン区画で行うようになってるみたいだけど、散布装置自体はそこから離れた進出路区画にあるみたいだね」
「セントラルラインが空港の管制室みてーな役割ってわけか……」
「ねえナートちゃん、今からセントラルラインから進出路へ向かって、散布装置本体を直接操作してマイクロマシンを散布するって事は可能?」
「それは……むりだよぅ……。散布されるマイクロマシンの種類によっては人体や精密機器に有害な種類もあるんだ。だから基本的に散布装置とその周辺には操作する機能は取り付けられないように設計されているんだよぅ。マップを見た感じ、主塔はその辺りをかなり考えて造られているみたい……」
「あくまで制御室から操作しないとダメってこと?」
「うん……」
「……別の方法で操作するのは無理、か……」
全員が黙り込みどうするかと頭を悩ませるがこれといった解決策は出てこない。マップを見てもセントラルラインはその名前の由来となった、実験施設群に繋がる一本の通路以外に横道が一切存在せず、経由できる道も無い。
だが、一人だけ、通路では無く実験施設に目を向けている者が居た。手のひらを握りしめ、目を見開きそのマップとわちるが口にした現在位置の情報を頭の中で反芻する。その幼い少女。
……反芻などしなくても、一度見聞きすれば一生忘れる事も無いのに。
「……わちるお姉ちゃん……お姉ちゃんは今、何処におられると言われましたか……?」
【寝子ちゃん? ええと、今私が居る場所は……】
誰も彼もが押し黙るその場所で、寝子の言葉に通信先のわちるは疑問符を浮かべながらも再度、先ほどと同じように場所の説明を行っていく。
十年以上も共に生きてきた自身の記憶力は疑いようの無いもの。自身の聞き間違いであってほしいという寝子の思いはわちるの次の言葉によって否定される。
【CL-388の、実験室がある前の廊下だよ】
「……」
「寝子ちゃん? どうしたの……?」
「……いえ、ただ、思ったよりも早く自身の始まりを直視するタイミングがやってきた事に驚いているだけです」
自嘲気味に答えた寝子は一度深呼吸してから、再度マップに向き直る。マップには部屋や通路の位置は記載されているが、詳細な部屋の名前などは書き込まれていない。所々欠落した部分もあり、寝子の考えている通りなのかはまだ判断出来ない。
寝子はまだ通信先で困惑しているわちるへと問いかける。
「わちるお姉ちゃん。CL-388の扉に番号が書かれているかと思います。"01"か"02"どちらですか?」
「おい寝子? 何言ってんだ? そんな事マップに書かれていないぞ?」
「……寝子ちゃん?」
「どちらか教えてください、わちるお姉ちゃん」
【は、はい……これは01と書かれているようです。かなり剥げていて分かりにくいですけど……】
「そうですか、その扉は"前方"の扉ですね。なら、
「寝子ちゃん? どういう事?」
「セントラルラインの実験室には出入口が二つ用意されているんです。前と後ろの二か所、それはどの部屋も同じで、統一されていたはずです」
「なんで寝子がそんな事知ってんだよ……?」
「"覚えている"んです。……ここは、私の生まれた場所ですから……」
「っ!」
さらっと口にされたその言葉に全員が驚き、息をのむ。寝子の出生に関しては多少は知っているものの、それほど深くまでは知らない。というより、知らないようにしていた。それが本人の口によって、最も深い場所が
葦原町へと降りる前、ヴィータの侵攻はセントラルラインで行われていた非人道的な実験を隠蔽するためだと室長は言っていた。ならば、ここで行われていた希白病に関する実験とは……。
「寝子、おまえ……」
「……わちるお姉ちゃん、その扉から
【で、でも実験室の扉がロックされてて……!】
「大丈夫です。言ったでしょう? 覚えているって」
空元気に言ってのける寝子の様子になこそたちはただ心配そうに見つめるしかなかった。本来ならば寝子に思い出したくない過去を思い出させるような思いはさせたくない。だが、今はそれ以外に前へ進む方法が無い。それに、たとえ誰かが止めたとしても寝子は口を閉ざすことはしないだろう。彼女はもう前に進むことを覚悟したのだ。
「白衣の人……保育器……端末……人の影、扉を開ける姿……端末を、操作する指先……」
寝子が心の奥底に閉じ込めていたその想いは、本来ならばそのまま心の中で風化するのを待つべき事柄だ。過去に負った傷はどれほど深くても時間が解決してくれる。傷の大きさによってはその時間は数十年とかかる事もあるだろう。それでも、時間が解決してくれる。
だが、完全記憶能力によって寝子の記憶は風化してくれない。目を閉じれば赤子だった頃の記憶さえつぶさに思い出せてしまう。見たくもない、聞きたくもないすべてを寝子は覚えている。
「大丈夫、覚えています。全部の数字は見えませんでしたけど、腕の動きから確定できます……わちるお姉ちゃん、私が言うように数字を押してください」
【……うん、わかった】
寝子が口にした数字は8桁からなる暗証番号で、寝子の記憶によれば月替わりで番号が変更されていたという。だが、変更されていた番号は前年と全く同じものだったらしく、つまりこの扉を開くには8桁の暗証番号12種類のうちどれかを入力する必要がある。
総当たりでも扉を開くことは出来るだろうが、寝子は赤子であった時に保育器ごしに見えた研究員の端末情報からその月の暗証番号を12種全て記憶しており、現在の月に対応した暗証番号を入力すると呆気なく扉は開かれた。
「……私が手伝えるのはここまでだと思います。……後はお願いしますね、なこそお姉ちゃん」
【はい! そちらも無理をしないでくださいね】
わちるとの通信が切れた後、寝子はふう、と息を吐いて教室の床に力なく座り込んだ。赤子であった頃の最も古い記憶をこれほど鮮明に思い出すことなど今までなく、予想以上に寝子は疲れていた。
自身が出来る最大限をやり切った寝子は満足感を抱きながらなこそたちを見回し、何とも複雑そうな顔をしている全員に苦笑する。
「……皆さんなんて顔をしてるんですか、まるで夏のコラボで失言したナートお姉ちゃんみたいですよ」
「んな!? 今そんな事言わなくていいじゃんかあ!?」
「知らなかったんですか? ネットでやらかしたら一生それで弄られるんですよ?」
「エグイ事言わないでよぅ!!」
「ふふ……大丈夫ですお姉ちゃん方、私はいつも通りの白臼寝子です。……本当に、いつもの私なんです、から」
徐々に小さくなる寝子の声には不安げな感情が混じっている。わちるとの通信は音声だけで映像は無かった。だが、恐らくCL-388には寝子の記憶の通りの光景が今も広がっているだろう。主塔が閉鎖された事件はセントラルラインの非合法な事件の数々を隠滅するだけの時間さえ無いほど急な事だった。ならば、CL-388の内部も同様であろう。
希白病患者の人工製造を行っていたその実験室には幾つもの保育器が並び、実験体が機械的に育成されていた。その中の"一つ"であったという事実を、寝子は遠い昔の記憶では無く、今の鮮明な記憶として認識してしまった。
そんな異常なる自身の出生を再確認し、周囲の者がどう思うのかそれを考えた時、寝子の不安が体を震わせる。
だが、震える寝子をそのままにしておくほどFSというグループが薄情であるはずもない。それぞれがそれぞれの事情を抱えて集まったFSにとって、仲間の過去などそれほど重要ではない。それは、その個人だけが重要とすれば良い事柄だ。彼女たちはそれらを受け入れ、そして今を生きている。
なこそが寝子の背中からおどけたように笑って手を回し、寝子を抱き寄せる。
「まったく。寝子ちゃんはまだちっさいんだから、こんな時くらいお姉ちゃんの胸に飛び込んできて欲しいなあ」
「それほど歳は離れていないじゃないですか。配信歴だってほとんど似たようなものです」
「いやいや、配信者にとって一年先輩ってのはかなりのもんだよ~。だからさ、そんな泣きそうな顔しないでよ。ね?」
「泣きそうなんて──あれ……?」
本人さえも知らずのうちに流れ出た涙を、○一がさりげなく拭ってやる。隣に座り、その手を握ってやると、ようやく寝子の震えは収まる。
「寝子は真面目だからなー。ほれ、こうすりゃだいぶマシだろ?」
「……○一お姉ちゃんも、真夜さんにこうしてもらっていたんですか?」
「うぇ……ったく、口調だけはいつも通りなんだからよ」
「すみません……ありがとうございます」
「おう」
恥ずかし気に頭をかく○一の様子に、なこそやナートがからかい始める。睨み付ける○一など何のその、思わず寝子からも笑い声が漏れる。戦場の只中とは思えないほどに穏やかな空間ではあったが、それでもここが戦場であるという事実は変わらない。
寝子は自身の探知範囲外から近づく存在を感知し、未だあふれる涙を乱暴に拭き取り、立ち上がった。
「! 皆さん、敵襲です! 2.0が来ます!」
「よし! 休憩終わり! 早く移動するよ!」
「おう!」
「承知しました!」
教室からの撤退準備を始めたFSを遠目に見る蛇谷は思わず頭を抱える。先ほどまでのわちるとの通信や寝子の出生に関する内容などはすべてが配信を通じて全世界へと届けられていた。ちらりと蛇谷が確認しただけでも寝子の配信は100万人以上の人間が視聴していたようだ。寝子が過去の希白病に関する重大事件の被害者であると噂されている下地がある状況で、寝子がセントラルラインの実験室について記憶しているという情報が様々な憶測を生み出していた。
そして、その憶測の中には真実に非常に近しいものもある。
「ふうむ……」
だが、蛇谷はそれらの反応を一切合切無視して目を真っ赤にした寝子を見つめていた。それらの瑣末事を平和裏に処理するのが大人の役目だ。少なくとも、あの小さな背中に背負わせるべき内容では無い。彼女はこのまま、過去の重荷を降ろして仲間と共に新たな道を歩み始めるべきだ。
とはいえ、それも衛星が塔に衝突するまでのわずかな時間になるかもしれないと考えると、蛇谷も皮肉げに口元を歪ませるしかない。
「……やれやれ、青臭くて見てられんねぇ」
「おじさんには分からないのじゃ」
「……私はまだ草薙と同じ歳なんだがなぁ……」
脇を通り過ぎるイナクの言葉に肩をすくめ、蛇谷は若者たちの後を追う。先ほどは青臭いと言った蛇谷だが、その無鉄砲にも思える思い切りの良さは自身には無い、ある種若者の特権らしさを感じた。
羨ましいとは思わない。だが、懐かしいとは思った。自身にも、あのように支え合う仲間が居た事を薄っすらと思い出す程度には。
「草薙、灯……お前たちは