転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
真っ白な仮想空間に剣戟が響く。文字通り空間さえ切り裂く鋭利な刃は、わんこーろの体を徐々にであるが削り取っていく。
ただのAIならば触れただけでただちに初期化されるような刃の雨であるが、わんこーろは自身を構成する情報群の中枢が傷ついていないため、比較的簡単に情報を復元する事が出来る。
とはいえそれはただの応急処置に過ぎず、変わらずわんこーろが不利であり復元が追い付いていないのが現状だった。
「はあ……ふう……んく」
「……、……」
わんこーろは肩で息をして、体が失われる不快感に耐えていた。電子生命体であるわんこーろには本来痛覚は存在しない。だが、自身の体の一部であるデータが削られる喪失感は痛みに似ている。
もはや裁ち取り鋏を杖替わりにしなければまともに立っていられないわんこーろは、それでも目の前で佇むニコに視線を合わせる。
「アナタは、人には人の在り方が在ると、言った。……、……けれど、それは傲慢」
粒子を操り、空間そのものに干渉するニコは無表情のままわんこーろへ語りかけ、手の中の粒子状のポリゴンを用いて初期化の能力を付与した刃を生み出していく。
わざわざニコ自身が動く必要は無い。わんこーろの動きを予測して、そこへ刃を転移させればいいだけだ。故にわんこーろは満身創痍で、ニコはただそこに立っているだけ。
「かつて人類の平均寿命は現在の半分以下だった。子供はすぐ死ぬのが普通で、体の弱い者は冬を越すことすらできない。それが人の在り方だった。……、……けれど、人はそれを克服した。人は人の在り方を変えられる存在」
変化する事は人の歴史にとって珍しい事ではない。過去には住めなかった土地でも人は住めるように開拓し、村を作り町へと発展させ、それは国と成った。ニコはそれと同様の現象が現実からネットワークへの遷移でも発生すると考えていた。
だが、わんこーろはその言葉を否定する。
「それは……それは在り方を変えているのではありません……。それは経験と成長によるものです。むしろ、そうやって生きる術を模索するのが人の本質であり、それこそが"人の在り方"なのです……! 人は、その在り方を一度として変えたことはありません!」
ニコが人のあり方だと規定していた条件は、人でなくても起こりうる現象であり、それは経験によるものだ。人間の在り方は、その経験の積み重ねを代々受け継ぎ、見知らぬ誰かへと継承する姿そのものにある。
「多くの人々がこれまでの長い歴史の中で培ってきた知識と経験によってそんな"人の在り方"は成り立っているのです。……人は他者を貴び尊重します。他者、つまり"個"を人が尊び尊重する、だからこそ、人は科学の発展に慎重であるのです」
人類史はこれまで目覚ましい科学の発展を辿り、その中には人類が忌避する技術も存在していた。核を含めた大量破壊兵器の技術に次いで人類がその発展に危機感を抱いた技術は、遺伝子操作をはじめとした人類そのものの在り方に改変を加える技術だった。この技術を用いれば自身と全く同じ人間、所謂クローンと呼ばれる存在を創り出す事もでき、それは人類が尊び尊重してきた"個"を脅かす可能性を示していた。
それらの技術の発展を抑制し、人類は"個の在り方"を倫理観を用いて保護した。発展よりも重要なものを人は見つけていたのだ。
「ニコさん、あなたにお聞きします。ネットの中で、人は"個"を維持出来るのですか……! 肉体という外界との境界を失った、魂だけの人が、ネットワークの海に溶け消える事も無く、人として生きていけると……!」
「……、……私達はそれを可能としている」
わんこーろの叫びもニコには届かない。自身の存在が証明となっている以上、ニコが証明の無い事柄を許容するとは思えなかった。ニコは人の営みの中で生活していたわんこーろと異なり、僅かに地上と交信できるタイミングを除いて何十年も一人きりだった。
ニコの考え方は何処までも機械的で、効率的で、冷たかった。
「ニコさん……」
「もう、お話は終わり……」
「ニコさんっ!!」
「ばいばい」
殺到する刃を裁ち取り鋏で弾くわんこーろ。だが、もう足は動かず、鋏を持つ手も震えて力が入らない。すぐに鋏は殺到する刃の衝撃に耐えきれずはじき返され、空間の遠くへと消えていく。手元に戻そうにも空間自体に妨害され、遠くに消えた鋏を追う小さな手には、代わりに鋭利な刃が突き立てられた。
何とか急所を守ろうと体を小さくするわんこーろ。だが、既に意識は遠のき始め、自身が立っているのか座っているのかすら分からない。ぼやける視界の向こうに見える真っ白な少女は、何処までも感情を感じさせない無機質さを湛えていた。
だが、だがその白さに、明滅するわんこーろの意識は場違いな感情を抱えだした。
(なぜでしょう……なぜ、こんなにも懐かしいのでしょう)
真っ白な床に倒れ込み、浅い呼吸を繰り返すわんこーろ。いつの間にか刃の雨は止み、こちらへ近づく足音が聞こえる。振動も、かすかに。
だが、もう目は見えない。
(私は……私は……。私は此処に来たことがある……? いえ、私は此処に、居た)
はじめはその白い空間に犬守村の昔を見たような気がして、そのせいで懐かしいと感じているのだと思っていた。だが、ここにきてわんこーろはそれが勘違いだと気付いた。
(これは……この部屋に残っていた、情報……? いえ、これは……記憶)
空間そのものから感じる古く、それでいて懐かしさを覚える情報の数々。それはわんこーろの肌にいやに馴染んだ。故郷の空気を感じるような、そんな感覚を覚えた。
代わりに、耳が聞こえなくなった。
(私の……真っ白な犬守村で目を覚ます前の……私の記憶)
最後に、体の触感が消失した。
(私は……私は誰?)
そしてわんこーろの意識は遠い遠い暗黒へと沈んでいった。
「……、……」
気を失ったわんこーろの頬にニコは手を伸ばし、その暖かな肌に恐る恐る触れる。それまで誰とも触れあう事の無かったニコにとってその温かさは初めての感覚だった。
ふと表情を緩め、小さく微笑んだニコはしばらくわんこーろを撫で続けていた。その様子はまるで親しい者への親愛を示すかの様だった。
「……、……借ります」
ふわりと浮かび上がった半透明のウィンドウ。そこには動画配信サイトが表示されている。わんこーろやFSが利用しているこの世界で最も巨大な動画配信サイトの一つだ。
ニコは触れているわんこーろよりアカウントを手に入れ、わんこーろのチャンネルへとアクセスする。いくつかの注意事項と設定内容を無視し、ニコは生配信の設定画面を表示させ、そして最後のボタンをクリックした。
「はあ……! はあ……!」
わちるは息を切らしながら主塔の内部、セントラルラインを駆けていく。何処までも続くようにさえ思える長い長い
散布装置の場所はマップに記載されていないが、マップに表示されている部屋の形状、そして寝子の記憶によって位置は特定されている。
あれから隔壁が降りている場所は幸いにも無く、足元の邪魔な物を避けながらならばそれほど問題はない。そうして確実に前へと進んでいたわちるはついに、目的の部屋を視界に収めた。
「もうちょっと……もうちょっと……! あ、あった!!」
"CL-554"と書かれた扉に触れるとドアは自動で開放され、わちるを招き入れるように部屋の中の照明が自動で点けられる。セントラルラインの中でも塔の管理維持に関する部屋は基本的にロックされていない。鍵がかけられているのは企業や国が秘密にしておきたい実験室に限られており、散布室などは自由に出入りすることが出来る。もちろん散布装置の操作端末にはロックがかかっているが、部屋の中に入ることができれば後はどうとでもなる。
少なくとも端末に触れることが出来れば後は専門家に教えてもらえばいいだけだ。
「……もしもし、ナートさん?」
【──、……はいはーい。わちるちゃん今どこにいるの?】
「……着きました。今、散布装置の制御室の端末の前にいます」
【! ……わかった、ここからは私とほうりの出番だね……よし、まずは──】
【わちるちゃん!!】
ナートが端末の操作方法について説明しようとした瞬間、通話になこそが割り込んで来た。ひどく焦った様子のなこその様子に思わずわちるも持っていた端末を落としそうになる。
「なこそさん!? どうしましたか!?」
【配信! わんころちゃんの配信見て! 動いてる!】
「え!?」
わんこーろの配信は既に待機人数だけで数十万人を記録していた。配信画面のサムネイルは真っ白のままで、配信開始までの時間が隅に表示されるだけ。にもかかわらずコメント欄には幾つもの書き込みが続き、それらは多少の違いはあれど言葉の最後にクエスチョンマークが付けられ、配信内容を予想する言葉が流れていく。
そうしてしばらくした後、配信は真っ白な空間より始まった。
真っ白な、それこそかつての犬守村のような何もない空間にただ一人ポツンと佇む少女。人形のように表情を変えることなく、配信画面の向こうの視聴者を見つめているかのようなまっすぐな視線を向けるその瞳には、複雑な格子模様が浮かび上がっていた。
「この子……誰ですか?」
【……わちるちゃんも知らないんだね……】
【ワタシらで知ってるヤツは誰もいねーってことか】
【もしかしたら狐稲利さんが知っているかもしれません。……わんこーろさんがアカウントを共有してるのは狐稲利さんくらいですし……】
配信外でも交流のあるFS、特に仲の良いわちるでさえ、わんこーろのアカウントを用いて配信を行ったこの少女を知る者は居ない。そもそもどうやってわんこーろの配信アカウントから配信を行っているのか。アカウント主であるわんこーろは現在主塔の頂上に居るはずだ、ならばこの真っ白な空間はその主塔の管理空間なのか。
葦原町内の通信網を用いて狐稲利と連絡を取り、配信画面を狐稲利へと見せるが、その反応も予想したものと変わらなかった。
【んー……】
【どう? 狐稲利ちゃん……?】
【わかんないー……でも……】
見たことは無いはず、狐稲利は配信画面に映る少女を見てそう思うが、なぜか断定できない。葦原町の上空でくー子の背に乗りながら少女について考える狐稲利は眉間に皺を寄せ、首をかしげる。
確かに見たことは無い。でも……。
「でも?」
【なんだか、なつかしー気がするー……】
「懐かしい……」
しばらくそのままだった配信画面の少女、ニコはゆっくりと視線を動かし、現在配信を見ている視聴者の情報を読み取る。動画配信サイトのアカウントから個人情報を手に入れるのはそれほど難しくは無い。わんこーろはしようともしなかったが、本来彼女らの種族はその程度造作も無くやってのける。
得られた視聴者の情報は多岐にわたり、名前、年齢、性別はもちろん、所属している国に企業、家族構成、果ては銀行の預金口座まで。
ネットワーク上で管理されているあらゆる情報はニコが指先を動かすだけで手に入れられてしまう。
この配信を視聴している彼ら彼女らに向かって、ニコは人当たりの良い笑顔を演出し、語りかける。
『……、……皆さん。初めまして……、……私は……電子生命体です。死ぬことの無い、永遠に生き続ける存在です──』
ニコの語る内容は有史以来人類が渇望してきた不死への誘いだった。ニコの演説はそれは見事なもので、人の心を掴み取るような巧みな言葉の使い方はニコが人ならざる存在とは思えないほどに上手かった。人心掌握の術を用い、時には同情し、時には肯定し、そうして視聴者の望む言葉を紡ぎ、望む答えを口にした。その、望む答えこそが永遠なる命なのだと誘導しながら。
何も知らない視聴者ならば、その言葉の数々は深く深く心に刺さるだろう。映画監督も賞賛するほどのストーリーに、プロの漫画家も真っ青な展開を用意し、文豪さえも唸らせる言葉を使って話をするニコの言葉は、恐ろしいまでの説得力があった。
「っ! ナートお姉ちゃん! ここの端末からNDSの繋げ方、教えてください! わんこーろさんのところに行きますっ!!」
配信の画面に映るニコの表情は慈愛に満ちた女神のようだった。怖気が走るほどに。あの笑みには何の感情も含まれていない。それが分かってしまった。
そしてなにより、その画面にわんこーろが映っていない事が、わちるには何より恐ろしかった。