転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#252 【記憶データを削除します閲覧者はご注意ください】

 

 重里とわんこーろが主塔での生活に慣れ始めた頃、重里はいつものように地球時間に合わせた時計通りに目を覚まし、部屋の窓から見える青い地球を眺めながらその日の仕事を行っていた。重里は基本的に部屋から出ることは無い。出たとしても気分転換に主塔や中央管理室まで降りて買い物や飲食を楽しむ程度で、仕事を含めた生活のほぼすべてがこの部屋に集中していた。

 

 それはわんこーろも同じで、この頃のわんこーろは塔の管理者であるヴィータの代表、オクルスから塔の管理に関する引継ぎを行っていた。それは塔全体の管理方法だけにとどまらず、地上との通信方法や衛星との接続方法など多岐に渡った。重里と同じように気分転換で他所のネットワークへ行くことはあっても必ず主塔のサーバーへと帰ってきた。

 

 二人とも慣れない仕事に四苦八苦しながらも互いに言葉を交わしていればその程度どうという事はなかった。地上に未練が無いと言えば嘘になるかもしれない。特に重里は地上に娘を残しているのだから。

 少しでも娘の為に何かしたいと、重里は主塔での働きで得た報酬のほとんどを娘のいる施設へと寄付し、同時に自身のコイン型のカレンダーを送った。娘宛てのメッセージも同封したが、そのメッセージが娘へと無事届けられたかを重里が知る術は無い。

 

 そんな行いも結局は自己満足の何物でもないと分かっては居ても重里は止めなかった。それが重里にとって心の安定を確保していた行為だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「コピー、ですか……?」

 

【ああ。どうもヴィータ上層部ではまだ塔の全体管理を彼女に一任する事に反対する者たちも居てね。……気を悪くしないでほしいのだが、人類に反逆するのでは、と】

「……私は主塔に来る前から彼女と共に生活していました。私からすれば、それはありえないと断言できます」

 

【うむ、私もそう考えている。引継ぎの際もまるで優秀なヴィータの幹部候補と対しているような有能さがあった。言動は幼いが……優秀であることは疑いようもない。だが……我々ヴィータが彼女を見つけたのが不法アクセスから、というのがね……】

 

「今の彼女は人並みの知識を既にを有しています。出来る事でもやってはいけないことがあると、しっかり認識しています!」

 

【分かっているさ。だが……彼女は人知を超えた存在だ。塔の管理の片手間に彼女が開発したシステムやプログラムを見ただけでそれは疑いようもない。……未知を恐れるのは人として仕方のない事だと理解して欲しい】

 

「だから、わんこーろのコピーを造る、と?」

 

【できるかどうかは分からない。ただ、彼女を構成するデータをそのままコピーすれば、全く同じ存在を生み出せるのでは無いかと、いくらかの上層部役員は考えている。そこにある程度の制限を割り込ませ、人への攻撃を行わないようにリプログラムすれば……】

 

「っ! 人は! 人は"個"の人権を尊重し守る倫理観を持っている生物です! だからこそ、完全なクローン人間はこの発展した現実でも登場していない! それを、それを彼女が人類ではないからと簡単に破り、禁忌に手を出すというのですか!?」

 

【……それが人類の為ならば、仕方のない事だ】

 

「貴方も、オクルスさんも賛同しているのですか!? わんこーろのコピーを生み出す事に!」

 

【……これはヴィータ上層役員の賛成多数で可決された案件だ。……既に開発者コード:01(わんこーろ)からは了承を得ている。君に話したのは只の情報共有をしたに過ぎず、君から許可を得る必要は無いのだよ】

 

「くっ……!」

 

【すまないな重里君……だが、もはや人類に時間は残されていないのだよ。それこそ、倫理観など端に寄せて見ぬふりをしなければならないほどにね】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重里はオクルスからの話を聞いた数日間、何も手を付けることが出来なかった。わんこーろは確かに人類に非常に友好的だ。人間ならばお人よしと評されるくらいには自身に宿る強大な能力を惜しみなく人類に与えている。

 そしてヴィータは、そんなわんこーろの好意を利用して自身の都合のいいように動かそうとしていた。だが、わんこーろ本人はそれを受け入れている。それこそが自身の存在意義だと言わんばかりに。

 

 だが重里は知っていた。わんこーろはただ寂しがり屋なだけだ。人に頼りにされる事でその寂しさを紛らわせているだけの、只の小さな子どもにすぎないのだ。

 

 有能であるからと、そんな子供を利用している。自身を含めた大人たちに重里は憤りを隠せない。そして思い至る。わんこーろは此処に居てはいけない。彼女はもっと広大で、無限に続くネットワークの海を悠々と浮かんで自由に生きるべきであると。

 

 そうして重里はわんこーろのコピーを造るという提案を了承し、また、ヴィータより要請されていたコピーの教育係を受け入れる代わりにとある条件をヴィータに提示した。

 

 それはわんこーろのコピーを生み出した後、そのコピーの教育が終了し塔の管理が任せられるようになったら重里とわんこーろを地上へと戻してほしい、というものだった。

 

 機密だらけの主塔から降りるにはいささか釣り合わない条件のように思えたが、あっさりとヴィータはこの条件を承諾。これにより重里とわんこーろはコピーの教育が終了次第、塔から降り、塔の街で暮らすことが約束された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お父様……、……これはどういう意味?』

 

「ん? どれだい? ……ああ、これはね──」

 

『ん……、……分かったもう出来る』

 

「……大丈夫かい?」

 

『うん』

 

 ヴィータと重里の交渉が行われてすぐにわんこーろの協力の下、彼女のコピーが生み出された。わんこーろを構成するデータのすべてを、ブラックボックスとなっている部分も含めて丸ごと複製して生み出された存在は"開発者コード:02"と名付けられた。

 

 そんな開発者コード:02に対し、重里は精一杯の愛情を注いだ。わんこーろのすべてをコピーし生み出されたが、その記憶だけは真っ白で、まるで生まれたばかりの幼子のようだった。そんな開発者コード:02に重里は"ニコ"という名前を与え、我が子のように接した。

 

 ニコの教育に関してヴィータから求められたのは塔を管理するための必要最低限の知識と、人を絶対的な存在と教え、逆らわないように思い込ませる事。

 

『お父様、私、お母様のようになれる……、……?』

 

「ええ、もちろんです。ニコなら、わんこーろのようになれますよ」

 

『……ねえ、お父様。お母様はどんな方……?』

 

「そうですね……明るくて、寂しがり屋で、とても人懐っこい子でしたよ」

 

 重里はニコの教育係となってから一度もわんこーろと会っていなかった。ヴィータがそのように指示し、それに従うように言われたからだ。ヴィータが言うには電子生命体同士の交流によってどのような問題が引き起こされるか予想できないから、らしい。

 かつての世界ではAI同士での会話を行わせたところ、人間の理解出来ない言語を使い始めた、なんて事が起こったという。人外同士でのコミュニケーションは人にとって害ある思想の形成に繋がる可能性がある。それを阻止するため重里を介した接触も許可できないと判断されたようだ。

 

 重里はその指示に粛々と従った。ニコの教育が終われば二人で地上で暮らせる。わんこーろに自由な世界で再び生きてもらえる。

 

 ニコに関しても管理者となることに積極的で、お父様お母様と呼んでいる重里とわんこーろが塔を去る事も知っている。知っていて、ニコは管理者となることを了承した。

 

 

 すべては順調で、このまま重里がニコの教育を終えれば何の問題も無いと思われた。重里とわんこーろは自由となり、ニコは管理者として塔を維持する。

 

 

 

 

 ……だが、そうはならなかった。これは過去の記憶データであり、取り返しのつかない事件の前日譚なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……思ったよりニコも教え甲斐がありますね。まるで昔のわんこーろを見ているようです。……ん? 通話? 非通知で?」

 

 それは重里がニコの一日の教育を終え、自室であるCL-589へと帰ってきたタイミングだった。重里の私用の携帯端末に見知らぬ通話がかかってきたのだ。主塔に住むことになってからほとんど使うことの無かった携帯端末には、非通知の文字が浮かび、絶えず振動している。

 

「……もしもし」

 

 しばらくためらった重里だったが、その通話に出る事にした。地上に居た頃の友人の番号は今では全て削除しているし、電話としての機能を失った携帯端末にかけてきた電話の主が誰なのか気になったというのもあった。

 

 だから重里は気軽にその電話に出てしまった。主塔という機密性の高い空間で、ヴィータの目を盗んで重里の携帯端末にアクセスするような存在が誰なのか、深く考える事もせず。

 

『シゲサト? 久しぶり~。わんこーろだよ~』

 

「わんこーろ!?」

 

 予想外の電話の主に重里は声を上げる。ヴィータとの約束ではニコの教育が終わるまで会話することは出来ないはずだった。だが、わんこーろは携帯端末より重里へと話しかけている。

 

「どうしたんですか? この事はヴィータは知っているのですか?」

 

『う~んとね、そのことなんだけど~……ちょっと来てくれないかな?』

 

「え?」

 

 わんこーろはニコの教育に影響しないよう別の実験室に設けられたサーバーに居た。セントラルラインの中間地点あたりに存在するその実験室へ行くため、重里は昇降機で降り、目的の実験室へと向かった。主塔は主に存在している直下の土地と同じ時間を参照しており、それによると現在は既に夜遅く、塔の中を出歩いている者もほとんどみられない。夜の様相へと変化した主塔内部はわざと薄暗く照明が制限されていた。

 

 

「……ここですね。ドアのロックは、開いていますか。……わんこーろ、入りますよ?」

 

『ああ、シゲサト~来てくれたんだね~』

 

 部屋の中は中央にサーバーが置かれているだけの質素な実験室だった。照明は無く、窓さえも無い。サーバー冷却の為に肌寒さを感じる部屋へと重里が語りかけると、それにわんこーろから返答が返ってくる。

 

「どうしたんですか? 一体何が?」

 

『んふふ~』

 

 部屋全体から聞こえてくるわんこーろの声はいつものように緩やかで、ふわふわとしていた。まるで幼い子どものような温かさと柔らかさを含んだ声音は彼女が声というコミュニケーション方法を手に入れてから変わらない。重里が可愛らしいと評したそのままの声で、わんこーろはただ静かに微笑むような声を発するだけ。

 

 だが、その声に重里は言い知れぬ不安感を覚えた。これまで長い間共に生活してきた中で、わんこーろがこのような含むような笑い方をするときは何か隠し事をしていたり、何か悪戯を企んでいる時なのだと知っていたからだ。

 

 いつもならばその笑い声にこらえきれない高揚が見て取れるのだが、今のわんこーろにはそれが無い。

 

 まるで無理をして笑っているような、そんな声だ。

 

「……そちらはどうだい? 私の方は順調だよ、ニコも物覚えが早く、これなら予定より早く塔の管理を任せられそうだ」

 

『んふふ~流石は私とシゲサトの子どもですね~』

 

「誤解を招きそうな言い方だね!?」

 

『んふふ~……。ねえ、シゲサト~』

 

「ん? なんだい?」

 

 わんこーろの声音は変わらない。これまで通りの、重里が可愛らしいと評したそのままで、だからこそ、次の言葉に重里は凍り付いた。

 

『私を殺してくれませんか~?』

 

 

 

 

 

 

 

 重里が知っているヴィータとの約束の内容は、ニコの教育が終わったら重里とわんこーろは塔の街で穏やかに暮らせる、というものだった。拠点は塔の街に置くとこになるが、それでも可能な限りの自由が約束されていた。その気になれば国内外へ旅行する事だって出来る。そういう約束だと重里は認識していた。

 

 だが、実際にはそうでは無かった。少し考えれば分かることだ、塔という全世界の叡智を集め、国という枠組みさえも置き去りにして建造されたそれの、最も秘匿すべき情報を知っている存在をそのまま開放するなどありえない。

 

 そして、決して情報が外部に漏れないようにする簡単で完全な方法は、その情報を知る人間を消し去る事だ。

 

 重里を主塔へと迎え入れる以前に調べた内容から、彼が居なくなっても大きな騒動にはならないとヴィータは判断していた。唯一血のつながりのある娘との交流も塔へ入ってからは一度も無い。ならば、消し去ったところで問題は無い。

 

 ヴィータは初めから重里を、わんこーろを消し去るつもりだったのだ。塔の秘密を知る只の一般人である重里と、人類に敵対する可能性のある未知の地球外生命体。そのような不安要素をヴィータが放置するわけが無かった。最初からわんこーろのコピーであり、複数の枷を付けてヴィータの思いのままに動かせるニコを生み出させる事こそがヴィータの真の目的だった。

 

 そして、目的であるニコの教育が終わり次第、二人は誰にも知られることなく消し去られる予定だった。だが、それに待ったをかけたのは、なんと消し去られる予定のわんこーろだった。

 

 何処から情報が漏れたのか、なぜこちらに接触してきたのか、困惑するヴィータをよそに、わんこーろはヴィータへととある取引を持ちかけた。

 

 

 それは、「自身は潔く削除されるから、その代わり重里を自由にしてあげてほしい」というものだった。

 

 

 わんこーろは未知の電子生命体で、それを削除(ころす)となれば予想以上の犠牲が出るだろうとヴィータは予想していた。最悪の場合塔の機能を完全に奪われ、塔に網羅された地球上の全ネットワークさえも掌握されかねないと考えていた。だからこそわんこーろの抹消計画は可能な限りネットワークを用いず、イントラネット内で完結させるようにしていた。だが、その考えは電子生命体の前では何とも幼稚な考えだった。

 

 わんこーろの凶悪さは彼女の抹消計画が彼女自身になぜか知られていることから証明されたのだ。

 

 そんなわんこーろでも出来ないことは多い。ネットワークの中に住んでいる関係上、現実世界には積極的に干渉出来ない。もしネットの遮断された場所で重里に危害が及べばそれをわんこーろは防ぐ事が出来ない。

 自身を守る術はいくつもある。最悪の場合、塔のあらゆるシステムを破壊しながらネットワークの海に逃げる事だってできるだろう。だがそれは重里を守りながらでは不可能だ。

 

 

 わんこーろは孤独だった。まだ自身に名前も無く、ただ真っ暗な宇宙を電波や宇宙線に乗ってさまよい、永遠とも思える長い時間をかけてようやく地球という星を見つけ、重里という友達を作った。

 

 重里は自身の孤独を埋め、様々な事を教えてくれた。一般知識や専門技術、そして人を思いやる心を。

 

 重里は言っていた。あの天文台の窓より見える汚染雲に覆われた大地を見て、そこに本来存在していた自然豊かな土地と人々の伝統と文化が根付いた世界の復興した姿をいつか見て見たいと。

 

 わんこーろはそんな重里の思いに賛同した。重里の身の安全を確保する為だけでなく、重里の娘のような次世代の子どもたちの為にわんこーろは自身の存在を犠牲にする決意を固めた。

 

 その結果として、わんこーろは重里の命の保障と引き換えに、死を選んだ。

 

 

 

「なにを、何をいってるんですか!? どうして、なぜ貴方が! わんこーろが死なないといけないっ!!」

 

 重里の叫びは部屋に響くほどの声量となり、いつもの言葉さえうまく出てこない。そんな様子の重里をわんこーろはただじっと見つめるようにしゃべらなかった。

 一通り叫び終えた重里が肩で息をしているところで、わんこーろが話し始める。

 

『ごめんなさい~……本当は知らせたくなかったのですけど~……最後に、シゲサトの顔をみておきたかったんです~。……私の最期は~シゲサトに終わらせて欲しいと、思ってしまったんです~』

 

 重里には最後まで知られずにいたかった。だが、どうしても最後に重里に会いたくなった。重里の声が聞きたい、重里の顔を見たい。

 

 自身の最期を、最も親しい人の手で終わらせて欲しい。自身は画面の向こう側にいて、決して触れられない場所にいるけれど、それでも重里の腕の中で眠らせてほしいと、願った。そんな想いを込めてわんこーろは言葉を紡ぐ。

 

『お願いです~わんこーろの、最後のわがままを、聞いてはくれませんか~……?』

 

「なんで……それなら、私も君と一緒に……!」

 

『ダメです~シゲサトは生きてください~。生きて、私の分まで生きて欲しいのです~』

 

 断固として譲らないわんこーろ。その姿はいつもの重里と共に何でもない雑談で楽しそうにしているわんこーろのそれだった。自身の命を犠牲にしようとしているのに、重里を思いやる感情のままで……。そんなわんこーろの声を聞いて頭に血が上っていた重里も徐々に荒げた声を収める。

 

「……。……随分と、わがままなんだな……」

 

『んふふ~知ってるでしょ~? 私は、わがままで、いたずら好きで~……寂しがり屋なんです~』

 

 いたずらが成功した時のような明るい声音。これも重里は聞いたことがある。

 

「……、わんこーろ。覚えているか? 君が私へと最初に送ったメッセージの内容を」

 

『……電子生命体は、夢を見るか? ですね~』

 

「君と出会って、確信した……電子生命体は、心がある。人と同じ、温かで、人を思いやる心を持っている。絶対に」

 

『シゲサト……ありがとうございます~』

 

「君は、私にとって大切な大切な友達だ。……これからもずっとそれは変わらない」

 

『ですけど~人の時間とは流れていくものなのです~シゲサトはこれから長い人生を歩んでいってほしいと思っています~。私には出来ない事です~』

 

 部屋の端末の電源が勝手に入る。暗い部屋でタッチパネル式の端末が怪しげに光り、重里が触れても居ないのに画面が操作されていく。すべての情報が表示され、それらが削除対象として選択されていく。

 

「……わんこーろ。君はこれで良かったのか? 人類の為に、君が犠牲になるなんて」

 

『違いますよ~』

 

「え?」

 

『私はそんな偉い考えなんてしてませんよ~私はただ、友達に生きてほしいだけなんです~』

 

「……」

 

『シゲサトは~私のたった一人の、友達ですから~』

 

「! ……酷いヤツだな、君は……」

 

 重里はその手で友人を殺そうとしていた。最も親愛なる友人であるわんこーろを自らの手で消し去る、本人が望んでいたとしてもそれは耐えがたい苦しみを伴う行為だった。

 重里はこの状況において自身の命など惜しくは無いと考えていた。もし自身の命の代わりにわんこーろが助かるのならば、喜んで差し出していただろう。だが、既にヴィータは危険な存在を処分すると決定しており、重里もその範囲に含まれていた。それをわんこーろがその命をもって救おうとしているのだ。

 

 わんこーろは重里に生きてほしいと願った。今の重里に出来ることは、わんこーろの願いをかなえてやる事だけ。只の一般人であり、さして特別な力も持っていない重里には彼女の想いを汲む程度の事しか出来なかった。

 

 

「……」

 

『シゲサト』

 

 重里はひどく震える指先でサーバーの操作端末へと触れる。これほどまでに端末を冷たく感じた事があっただろうか? 粘りつくような汗が額を伝い、歯はカチカチと音を立てる。

 そんな重里の傍に寄り添うようにわんこーろはタッチパネル式の端末を動かし、指先の前に実行ボタンを表示させた。赤く点滅するこのボタンを押せば、このサーバーに住まうわんこーろのすべてが消去されるだろう。

 

『今まで、ありがとうございました』

 

「……、こちらこそ、だよ。わんこーろ……また、会おう」

 

『……ええ、必ず』

 

 端末に表示されたボタンを押すと、サーバーが力強く唸り声を上げる。最後の崩壊していく声を重里に聞かせまいと、わんこーろは自身が消失するまで一切言葉を発しなかった。ノイズが走る端末の画面に顔をうずめ、重里は消去が完了するまで声を上げて泣き叫んだ。誰もいないその部屋で、彼の叫びを止める者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わんこーろ。私はきっと地獄に行くだろうな」

 

 涙に目を腫らした重里は初期化されたサーバーを前に呆然と呟いた。もう彼に語りかけてくる優し気な声は聞こえない。自らの手で消し去ったのだから、それも当たり前だ。重里は力なくよたよたとした足取りで数歩、端末から後ずさり、踵を返して部屋から出ていこうとする。

 

 

 「があっ!?」

 

 だが、そんな重里の後ろから突如として爆発音が響いた。いや、爆発音では無い。音は小さく乾いていて、たった一度だけ。それは発砲音だった。

 発砲音と共に重里の肩に重い衝撃が走り、そのまま前のめりに床へと叩きつけられた。床の冷たさと共に、そこで重里は自身の体から流れ出る血の温かさを感じた。

 

 何者かに撃たれた。そう理解した時には既に後方より金属音が聞こえ、次弾の装填が完了していた。

 

 それはロボットアームだった。人の腕とは似ても似つかないカーボン製の外装を纏った滑らかな姿のその先端には黒い筒状のものが固定されており、そこから煙が漏れ出ている。部屋に硝煙の匂いが充満し、どこからともなく声が聞こえてくる。

 

【素晴らしい。なんとも美しく人間らしいものを見せてもらったよ、重里君】

 

「っ! オクルス……! 貴様……!」

 

 こらえきれない喜びをこれでもかと滲ませたオクルスの声は弾むように踊り、床に這いつくばる重里を見下ろしているようだった。

 

【すまないね重里君。私は人と交わした約束は守る主義なのだが……くく、人以外とは、ねぇ?】

 

「この外道が……!」

 

【それは君も同じでは無いかな? 友人の命を犠牲にして一人生き残ろうとしていたのだからね。まあ、それも無駄だったが】

 

「はあ、はあ。く、……初めから、私もわんこーろも、逃がすつもりは無かったか!」

 

【当然だろう? お前達のような危険な存在をそのまま残してはおけない。人類が存続するには、危険分子はことごとく消し去っておかなければいけないのだよ】

 

「くっ……!」

 

 被弾した肩をかばいながら重里はつま先に力を入れ、低い姿勢のまま扉の向こうへと体を転がした。運よく二発目の弾丸は重里に命中する事無く、床に小さな穴を開けただけだった。

 

 重里はそのまま昇降機へと転がりながら滑り込み、端末を操作して昇降機を動かした。

 

【こちらに来るのかい? 良いだろう、君にはその権利がある。君たちのおかげで塔を意のままに出来る道具(ニコ)を手に入れたのだから】

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは……」

 

 オクルスと初めて面会したCL-590、そこにオクルスが居るかは分からなかったが、可能性があるのならばそこ意外に考えられない。居なかったとしても部屋の奥に見えた"何か"。それがオクルスがどこに居るかのヒントになるかもしれないと考え、重里は肩から血を流しながらも、セントラルラインに放置された資材から適当な鉄骨らしきものを手に取り、CL-590へと乗り込んだ。

 

 だが、そこで待っていたのは重里の予想をはるかに超えたものだった。

 

 部屋は照明で明るく照らされ、前までは伺う事の出来なかった部屋の奥にある"何か"をしっかりとその目で確認することが出来る。

 

 それは、あまりにもおぞましい物だった。只の人間では直視する事すら憚られるような。人が守るべき倫理観の外にあるようなそれは……"人"だった。

 

 一つではない。幾つものそれは、オクルスが過去に説明したヴィータ上層部役員の人数分置かれている。

 

 人としての、"考える"という機能以外のすべての肉体を取り払った……それは、水槽に浮かぶ──

 

 

【くくく……そうだ。コレが私達ヴィータ上層役員の姿だよ】

 

 

 どれだけ時代が経とうとも、どれだけ科学が発展しようとも、人が人である以上、いつかは死ぬ。怪我か病気か寿命か、要因は様々あれど行きつく先は同じ。だが、ヴィータはそうは考えなかった。

 人類が渇望し、追い求めた不死、それを今の人類ならば実現することができるのではないか。そうしてヴィータは不死に関する様々な実験を行った。中でもマイクロマシンを投与することで人間の脳を活性化させ、ありえないほどの記憶能力を有する人類を生み出した実験は非常に有用なものだった。肉体は傷つき老いようともどうとでもなる。だが、脳だけはそうはいかない。希白病の実験は母体の胎に居る赤子にマイクロマシンを投与することで完全記憶能力を与える事ができたが、これが後天的に可能となるならば、記憶能力だけにとどまらず、脳の劣化を完全に防ぐ事が可能となるのではないか。

 

 ヴィータ上層役員はそんな歪な不老不死を求め、そのために最適な体へと自らを処理していた。

 

「これがヴィータの……こんなこと、合衆国は知っているのか!」

 

【もちろん知らないさ。ヴィータという機関は我々上層部の操り人形。合衆国は何一つとして感知していないのさ】

 

 ごぽごぽと水槽に気泡が混じる。それはまるで重里を嘲笑っているかのようだ。

 

【老いる肉体を捨て、思考する機能だけで生きている我々、まさに次世代の人類と呼ぶにふさわしいと思わないか?】

 

「そんなもの、人間ではないっ!」

 

【そうかな? 君は肉体を持たない電子生命体を友としていたじゃないか。01の存在が、人が"個"として存在する為に肉体が必要ではない、と証明しているように見えないかい?】

 

「うるさいっ! 生まれながらにそうである存在と、自分から持ちうるもの(からだ)を捨てたものが同じなものかっ!」

 

【……そうか、残念だな】

 

 水槽の影よりロボットアームが伸び、黒い筒状の機械が火を噴いた。それは重里の下腹部に命中する。弾丸は回転運動によって肉体の骨を砕き、その破片と弾丸のエネルギーによって内臓までぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

 

「があっ!?」

 

 衝撃によって吹き飛ばされる重里。濃い赤色の血液がとめどなく流れ出て、その勢いは止まらない。その光景を部屋に設置されたカメラから確認したオクルスは面白そうに笑う。

 

【血が出過ぎている。既に手遅れだな。ああ、そんなに床を汚して。後で清掃する者たちの事も考えてくれよ】

 

「はあ……っ、はぁ……」

 

 既にオクルスの言葉を聞く余裕のない重里は歪む視界と気絶しそうになるほどの激痛に耐えながら部屋を這い出る。持ってきた鉄骨を杖替わりにして、彼が無意識に帰ろうとしている場所を察したオクルスは興味深そうにその動きを観察していた。

 

【次は何処に行くのかな? くくく……ああそうか、なるほど。02にもお別れを言わないといけないだろうねぇ。安心したまえ、君の最後はしっかりと02の記憶データから削除しておくよ。02の中で、君は無事01と共に塔を去ったと記録されるだろう。くくく……】

 

 

 

 

 

 

 

 CL-589へと帰ってきた重里は無駄だと分かりつつも扉をロックし、居住スペースの奥にあるニコのサーバーへと寄りかかる。血でべっとりと濡れるサーバーの外装に構うことなく、重里は力尽きてその場にうずくまる。

 

「ぐ、……わんこーろ、すまない。君の分まで生きるという約束、守れそうにない……」

 

『お父様……? どう、したの……?』

 

 重里のただならぬ様子にたまらずニコが話しかける。まだ感情に乏しいニコは、それでも重里を心配するように声をかけ、重里は出来るだけニコを心配させないようにと体を落ち着かせる。

 今から言う言葉を、ニコにしっかりと記憶してもらうために。

 

「はぁ、はぁ……ニコ……よく、聞きなさい……」

 

『? はい、お父様』

 

「ふぅ、ぐ……最後に、君に教えることがある」

 

『最後? まだ教育期間は終わっていない』

 

「いや、最後なんだ……はぁ、……ニコ、どうか"人を守ってほしい"」

 

『人間を、守るの? なぜ?』

 

 まるで首をかしげるように、殊更不思議そうに問いかけるニコ。まだ人というものを重里以外に見たことの無いニコには、人類という大きな集団の在り方をよくわかっていない。そのような教育も行っていなかったから。彼女に求められていたのは、塔を管理する方法と、ヴィータに逆らわないことだから。

 

 だが、それでも理解してくれるはずだ。なんせ、この子はわんこーろの子どもなのだから。

 

「塔を管理するのも、自然を復興させるのも、すべては人の為、だからだよ……この世界の科学も、自然を復興しようとする想いも、それは人が人を守るために行われる行為だから。……ニコ、どうか、人を守ってくれ。人を守り、人の生み出したあらゆるものの守り手となってくれ……それが、私の、最後の願いだ……」

 

 最後の力を使い果たし、崩れ落ちる重里。突然重里の声が聞こえなくなった事に不安をあらわにするニコは、しきりに重里を呼ぶ。小さな幼子が父親を呼ぶかのように。

 

『お父様? ……どうしたのお父様? どうして、何も言わないの?』

 

【ふむ、これで終わりか。思ったよりも早かったね重里君。もう少し粘るかと思ったのだが……】

 

 その様子を見ていたオクルスはつまらなさそうにそう吐き捨てた。人の肉体を捨てたオクルスはその愚かな人間の最期をただの玩具のようにしか見ていなかった。肉体の消失と共に、人間性を失いつつあったオクルスの変異した心は本人さえ気が付いていない。

 

「すまない……ニコ、お前にこんな重荷を背負わせ、て……」

 

『お父様? ねえお父様?』

 

【おやまだ生きていたか。なら此処で終わらせてあげよう。彼女との思い出の詰まった、この部屋でね】

 

 不意に現れるロボットアームと、銃口。それは重里の頭部を狙っている。重里はもう動かず、狙いが外れることはないだろう。

 

『お父様……ねえ教えて、どうやって人を守ればいいの?』

 

「……」

 

『お父様……人を守るって、どうするの? 分からない。分からないよ』

 

 泣きじゃくる子どものように答えを求めるニコ。だが重里はもう声を出すことも出来はしない。

 

【光栄に思うといい……君の犠牲は人類の未来を切り開くだろう】

 

『ねえ、お父様は人間だよ? なら、私はお父様をまもるよ……だからね、目を開けて……。ねえお父様、お父様が人間なら──』

 

【死になさい】

 

 銃口から弾丸が発射される寸前。

 

『──"アレ"は人間……?』

 

 ニコの声が変わった。

 

 

 

【!? な、なんだ……!? 何が起こって……!】

 

 突如オクルスが悲鳴を上げる。オクルスとヴィータ上層部の居るCL-590へと数千もの不正アクセスが殺到し、非常アラームが鳴り響く。主塔のセントラルラインでも特別仕様となっているCL-590は塔の中でも屈指の防衛力を誇るが、それはもちろん電子生命体を考慮していない。もしニコが本気を出せば、そのようなもの薄紙と同じものだ。

 

【な!? セントラルラインが緊急非常事態システムを起動!? 最重要区画の塔からの離脱を提案だと……!? バカなっ!】

 

 そしてもう一つCL-590が特別である理由は、その実験室のみを塔から離脱させられるという仕様にある。その実験室を塔から切り離し、簡易的な宇宙船として航行出来るようになっている。……いや、宇宙船というよりはどちらかと言うと救難ポッドだろうか。塔の非常事態に備え、そのような逃げ出すための機能が備わっているのだ。

 その、緊急時にのみ動くはずの機能が不正アクセスにより動かされている。

 

【賛成多数!? ありえないっ!! 我々ヴィータ上層部がそのような判断をするはずが……! まさか、お前っ!!】

 

 そこでようやくオクルスは気が付いた。目の前のサーバーに住まう人外によって、自分たちが宇宙へと漂流させられようとしている事に。

 

 枷を付け、逆らわないように教育を施したはずの、道具でしかないはずの電子生命体のコピーに。

 

『ねえお父様……私、お父様を、人を守れたかな……?』

 

 ニコには人に害を及ぼしてはいけないという命令が埋め込まれている。オクルスたちを排除しようとする行為に、その命令が反応しないという事は……オクルス達を、ニコは人と認識していないという証だ。

 

【やめろ! 今すぐ止めろ!! やめろおおおおおおおお!!!!!】

 

 ガコン、というロックが外れる音と共にCL-590の区画が塔から切り離され、宇宙へと飛んでいく。本来ならば実験室内からある程度動きを制御する事も、塔へと復帰させる事も可能なはずだが、それらの機能はニコによって破壊されていた。

 

 オクルスたちヴィータ上層部を乗せた宇宙船はそのまま宇宙を漂流し続けるだろう。広大で果ての見えない宇宙を延々と、誰からの助けも得られず、実験室の生命維持装置により数十年も生き、暗黒の宙を漂い、いつか太陽の重力に捕まって、最期は灰となって燃え尽きる運命が待っている。

 

 その運命を、肉体の無いオクルス達はあがく事すらできず、ただ絶望しながら受け入れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お父様。私、お父様の言葉、守るから……この世に存在する、すべての人を守ってみせるから……怪我も、病気も、寿命さえ無いような、そんな自由な場所で、永遠に人を守り続けるから……だから、見ててねお父様』

 

 それから数日後、ニコは全ての人類を守るべく行動を開始した。衛星を操り主塔を閉鎖し、NDSの技術を地上へ与え仮想空間へと人の精神を(いざな)った。

 

 ニコは、ただ重里との約束を守るために数十年もの間、真っ白な空間で生きることを決めたのだ。


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