転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#255 転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になりました

 

 一連の事件の後、事態は急速に終息していった。衛星が直撃する前に既にセントラルラインがデブリによって穴だらけにされ、脆くなっていた事で衛星の直撃による影響はセントラルラインの先端部分を破壊しただけにとどまり、それより下の進出路にさえほとんど被害が無かった。もちろんマイクロマシンを停止した事によるデブリの被害が発生しており、そのまま進出路が即座に利用できる訳ではないが、衛星直撃の予想から考えれば被害は最小限以下にまで抑えられていた。

 

 そうして無事だったFS及び室長、灯は塔の街に到着した国防隊によって拘束され、地下首都へと移送された。

 本来ならば緊急時の副塔への侵入、および主塔への侵入により、全員が重罪人として国際裁判にて裁かれるはずだった。全世界を揺るがす大事件の当事者でもあり全員が一生政府の監視下に置かれ、死ぬまでその行動が制限される生活が待っている。また、合衆国からの圧力もあり、彼女らの身柄が合衆国へと移され、そちらでも犯罪者として裁かれる可能性もあった。

 

 だが、そのような結末を迎えることは無かった。

 

 あの事件の最中、FSを含めた葦原町の配信者は全員が配信を続けていた。何度も合衆国からの妨害に遭いながらも、配信サイトやアカウントを変えながらも決して配信を止めなかった。また、主塔のサーバーで起こったわんこーろとニコの戦いも、ニコが始めた配信より全てが公開され、この二種類の配信によって全世界の人類が今回引き起こった事件の概要をおおよそ把握していた。

 

 そんな全世界の人々がFSたちの減刑嘆願を訴えたのだ。配信を見ていれば分かる、彼女たちはその命を犠牲にしてでも全世界の人類を救うために行動していたのだと。そして、その結果わんこーろという少女がその命を犠牲にした。

 

 合衆国の言うテロリスト集団などと信じる者は何処にもいなかった。安全な場所からただただ非難声明を発信する合衆国と、リアルタイムで戦場に降り立ち、その命をかけて人類を救うために行動していたFSでは明らかに説得力が違っていたようだ。

 今でもその時のアーカイブはネット上で拡散され、その英雄的行動は賞賛をもって受け入れられた。

 

 にもかかわらず、彼女たちは犯罪者として裁かれようとしている。それに憤り感じる個人、組織、果ては国が、その扱いに待ったをかけたのだ。

 

 減刑どころか彼女たちを人類の救世主として表彰すべきだという声さえ上がるなか、合衆国は多少態度を軟化させたものの、彼女たちが犯罪者であることは変わりなく、また人類の為に行動していたとしても、その行動に意味があったかは定かでない、と言い出したのだ。

 実際にマイクロマシンをわんこーろが散布し始めた場面は配信アーカイブに記録されているが、途中でネットが断線し必要量が散布されたかは不明なのだ。

 それらの事実から、合衆国は彼女らの勇気ある行動は結果を伴わない蛮勇ではないか? と発言した。

 

 

 だが、そんな合衆国の言葉を待っていましたとばかりにとある観測データを全世界に向けて公開したのが、環境保護研究所、通称環研だった。

 

 環研が公開した観測データとは、他国の環境観測関係の組織と連携して揃えた地上全土の気温変化に関するここ数日の観測データだった。

 

 この国は春を終え、徐々に夏がやってこようとしていた。夏の地上の気温は特区や塔の街でも外出制限が出されるほどに上昇する。その急激な気温上昇の兆しが見られるはずのこの時期に、なんと環研が公開したデータには、その兆しが一切見られず、気温の平均的な低下と安定化が観測されたのだ。この国以外の地球全土の観測ポイントで同様の安定化現象がみられ、測定器の故障ではない事は明らかだった。

 

 それはまるで"何かによって地球の気温が調整されているような"不自然な安定の仕方だったのだ。

 

 

 環研および世界各国の環境観測関係の組織はこの事態を説明する一つの仮説を世界に発信した。すなわち、わんこーろは太陽光減衰マイクロマシンの散布に成功していた。そのマイクロマシンによって地球の気温が抑えられている、というものだ。

 

 仮説ではあるが、実際に地球の気温は過去数十年前のレベルにまで低下し、安定している。その調整された温度はナートとほうりが計算した、汚染除去マイクロマシンを稼働させる事が出来る最適な気温であり、マイクロマシンが軌道上で十分な量散布された証である。

 

 その観測データをもって環研は合衆国の"その行動に意味があったのかは定かでない"という言葉に真っ向から反論した。彼女たちの行動に、意味はあったのだと。

 

 

 その後、配信アーカイブに記録された寝子の過去、その実験の主導をしていたのがヴィータという事実がリークされ、合衆国はもはやFSを追及できるほどの余裕が無くなった。すべての責任をヴィータへと被せ、合衆国は美しいまでの手のひら返しを行い、FSを"人類を救った英雄である"と言い出した。

 

 ヴィータの失態により合衆国全体の信頼も揺らぎ、セントラルラインの秘密も暴露されたことでこれ以上FSを非難することにメリットがないと判断したようだ。

 

 そうしてFSは全世界から人類に未来を救った英雄的存在と認知され、現在の地球上で最も名の知れた配信者となった。

 

 

 

 

 

 

 

 諸々の後始末が終わった後、FSは全員が国より謹慎処分を言い渡された。世界中はFSを自己犠牲を厭わず人類を救った英雄と認知しているが、だとしても副塔へと無断で登ることは違法行為であり、この国が法治国家である以上、英雄だからと見逃すことはできない。それ故に国がFSへと言い渡した罰が、この謹慎処分という訳だ。

 謹慎といっても塔の街の拠点から出てはならないというもので、そこに仮想空間での制限はなかった。つまり葦原町での活動はなんら制限されていないという罰とは名ばかりの処分だったのだ。

 

「まあ、実際何のお咎めも無かったしねー。塔降りた時も移送って言われたけど国防隊の人、すっごい丁寧に接してくれたし」

 

「護送車にでも乗せられるかと思いましたが、普通の扱いでしたからね」

 

「手錠されるかとドキドキしたよぅ……」

 

「聞いた話によりゃ真夜やイナクんとこにも来たらしいぜ、住所特定されたって喚いてた」

 

 FSは全員が塔の街の拠点まで戻ってきていた。塔崩壊の危険が去ったことで予定していた休止期間は必要無くなったが、代わりに謹慎期間が課された。配信などは禁止されていなかった訳だが今回の件について室長が大変お怒りで、結局謹慎期間中も配信禁止令が出される事になった。

 ようやく謹慎期間が終わり、つい先ほど復帰記念配信という名のFS全体コラボが終了したところだった。

 

 配信禁止期間の間に世界の情勢は目まぐるしく変化していた。ヴィータが解体され、主塔の閉鎖が解除されたことで進出路の復旧をはじめとした宇宙開拓計画が再び動き始めたり、マイクロマシンによって気温の安定化が成された地上で粒子科学技研が早速汚染除去マイクロマシンの散布を始めたりと、世界は急速にかつての自然を取り戻そうとしていた。

 

「そういえば粒子科学技研の方は大丈夫だったの? なんだかニュースになってたみたいだけど……」

 

「あー……うん。父親がね、技研の代表を辞任したっぽい。後のことは後任に任せて、自分は決定権の無い相談役になるって言ってた」

 

 一通りFSの周りが落ち着いたタイミングで粒子科学技研は今回の騒動で利用された太陽光減衰マイクロマシンを自社が製造したことを公表した。合衆国が批判をひっこめ、FSが英雄視されている絶妙なタイミングでの公表により、粒子科学技研の言葉は概ね好意的に受け入れられた。だが、塔へ登るという違法行為を黙認した責任を取ると代表であるナートの父親は辞任する意向を固め、会社運営に於いて決定権を持たない、只の相談役となる旨を発表した。

 

「マジか……それってワタシらのせいか……?」

 

「う~ん……そんなことは無いとおもうよぅ? あの人たち、決定権がないだけで相談役としてバリバリ口を出してるみたいだし」

 

 粒子科学技研は代表の交代と共に宇宙関係の事業に参入し出している。といっても数十年も宙は閉じられていたわけで競合相手など存在せず、好き勝手やっているらしい。

 

 ナートが耳にした話の中でも興味深かったのは、近々主塔へ技研の技術者と国防隊の合同チームが突入する計画が進行中というものだ。既にわんこーろによって外部から開放できる状態の隔壁を開け、デブリに破壊された進出路の散布装置を付け替えるらしい。

 

 それによって太陽光減衰マイクロマシンの能力を安定、恒久化させる。さらに追加の散布装置を設置し、そちらは技研が制作した"デブリ駆除マイクロマシン"が散布されるという。

 

 このデブリ駆除マイクロマシンは地球の周りを動き回るスペースデブリに付着し、その軌道を変化させるというデブリ回避マイクロマシンの発展機だ。

 

 デブリの軌道を地球へ向かわせ大気圏で燃え尽きさせるのもよし、一定の軌道に集めて回収するのもよし。とにかくこのマイクロマシンを散布することが出来るようになれば、地球周辺のデブリはおよそ五年で人工衛星を打ち上げられる程度に減少させられると予測されている。

 

 これらの宇宙開発のための"ごみ掃除"はほとんど相談役が技研の代表に提案した計画であり、現代表もそれを了承し、進行中だ。

 

 

「それに元々私が家から出て行って、責任を感じて早々に辞任するつもりだったんだって。でも周りから説得されて後任が育つまでは代表でいるって決めてたみたい」

 

「とはいえ、悪りーことしちまったな……」

 

「じゃあ謝りに行く? ひとり暮らししてるほうりちゃんの家に良く来てるらしいじゃん」

 

「マジかよ」

 

「よく、って言うか……もうほとんど一緒に住んでるみたいなもんだよぅ、ほんとにあの人たち仲良いんだからぁ……」

 

「なんで気後れしてるんですかナートお姉ちゃん。家族でしょ?」

 

「あーうん……まあ、そうなんだけど……一緒に住んでる期間はFSのほうが長いからなぁ」

 

「なーにナートちゃん? それって私たちが家族ってこと? いやー照れますねー」

 

「う、うるさいなぁ! いいじゃん別に!」

 

「……時々でもいいので顔を出してあげてくださいね。血のつながった家族というのは大切にしないといけません」

 

「そーだぞナート。ワタシらお前の事、これでも羨ましーって思ってっからな?」

 

「う……寝子ちゃんとまーるちゃんにそれ言われると重いよぅ……」

 

「ふふ」

 

「くくく、」

 

 既にメンバー個人が胸に抱いていた重い感情は只の笑い話として語り合えるほどのものになっていた。決して軽くなったわけでは無い。けれど、乗り越えてその先へと進むことができるようになった。

 

 けれど、そうでない者も居る。

 

「あの……それで、わちるお姉ちゃんは……」

 

「まだ、部屋から出てこないよ」

 

「そうか……。アイツが、わんこーろの一番近くに居たんだもんな」

 

「割り切るなんて、できないかもね……」

 

 その場にいないわちるを想い、何も言い出すことが出来ない。あれほどまでにわんこーろと仲の良かったわちるが、目の前でその親友を失った衝撃をどれほど汲み取ってやれるか分からない。暗く沈んだわちるを再び明るくさせてやれるような存在は、もう居ないのだ。

 

「それでも……前に進まなければいけませんよ。それを、わんこーろさんは望んでいたはずです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界の未来が切り開かれた現在。葦原町は新たな配信者たち、つまりは三期生の受け入れを完了し、V+R=Wプロジェクトの葦原町参加人数は300名を突破した。既に二度の受け入れを体験していた葦原町は大きな問題も無く三期生の合流を歓迎し、彼ら彼女らは先輩配信者と共に思い思いの活動を行いながら今日も開拓作業に精を出している。

 

 葦原町の開拓具合は三期生が合流したことで飛躍的にスピードアップし、開拓完了地は葦原町のモデルとなったこの国の国土のおよそ半分程度にまで進んでいた。葦原町のある場所を中心として徐々に開拓が進められているが、場所によって特徴的な地形や観光名所があった土地は意外とそれらに関するデータが大量にサルベージされる事もあるので、優先的に開拓がされる事もある。

 例としてこの国では南方の諸島や、北方の大地はその豊富なサルベージデータから優先的にV+R=Wで再現されていたりする。

 

 

 また、V+R=Wの開拓はこの国だけでなく他国でも徐々に始まっている。合衆国は巨大な女神像を象徴とした土地を拠点としてV+R=Wの開拓を行っているし、連合王国は国会議事堂の巨大な時計塔を有する都市を構築し、開拓を始めている。

 連邦や共和国も同様に自国の象徴的な建築物を中心としたV+R=Wの拠点を創り、葦原町の後を追っているようだ。

 

 そしてそんな仮想世界の都市で活動するのは、その国で生まれたヴァーチャル配信者たち。

 塔で起こった事件をきっかけとして生まれた大勢の新人ヴァーチャル配信者と、それらをまとめ上げる古参の配信者は連日嬉しい悲鳴を上げながら国と未来の為に仮想世界の開拓を頑張っている。

 彼ら彼女らが開拓し再現した仮想世界の街並みを参考として、現実世界に再び美しい街並みが生まれる未来はそう遠くないだろう。

 

 

 とはいえ葦原町はわんこーろが残した膨大なサルベージデータのおかげで開拓や復興において他国より何歩も先を行っている状況だ。開拓に関する技術や高いサルベージ技術の共有を行うため、葦原町の配信者が他国の拠点に出向したり、逆に葦原町へとやって来る事もここ最近増えてきた。生徒会長のなこそはこれを"交換留学"と言っている。

 

「……」

 

 三期生を迎え、より一層活気を放つ葦原町の中心に位置する葦原学校の屋上で、夏の気配を感じさせる不格好な入道雲もどきを呆然と見つめ続ける少女が居た。

 見上げる空はぽつぽつと雲が浮かびその光景は遠くまで続いており、地上の開拓具合も同様に遠くまで建築物が立ち並んでいる。

 ふと、視線を下へ向ければ合衆国の軍事AIに踏み荒らされて倒壊した建物を撤去する配信者たちが見える。誰もが笑顔で撤去作業を進めており、配信中なのだろうか視聴者へと語りかける様子も見て取れる。

 

 そんな配信者たちが不意に学校の屋上へと視線を向けたのを見てわちるは思わず視線を外し、身を隠すように屋上の床に座り込んだ。今の自分のひどい顔を配信に乗せるわけにはいかない。

 

 わんこーろによって衛星の衝突から逃されたわちるはあの後、酷い荒れようだった。FSと共に国防隊の人間に拘束、もとい保護された時のわちるは主塔に向けて手を伸ばし、わんこーろの名前を叫び続けていた。衛星が衝突した衝撃が副塔にまで届き、セントラルラインの残骸らしきものが大気圏で燃え尽きる光景を見て、わちるはそれまでの暴れようが嘘のように、生気の抜けた様子でその場に立ち尽くしていた。その後も仲間たちの掛け声にも反応を示さず、小さくわんこーろの名前と謝罪の言葉をつぶやくだけ。何も食べないし、寝ている様子もない。配信は出来ないけれど、許可されていたSNSの更新も手を付けなかった。

 

 そんな日が続き、しびれを切らした室長がひきこもるわちるを部屋から引きずり出してご飯を食べさせなければ、そのまま死んでしまったのでは無いかと感じるほどの弱り様だった。

 

 そんなわちるは室長との約束でご飯を食べるようにはなったが、ほとんどの日を薄暗く閉め切られた部屋の中で過ごしていた。窓の外から見える副塔を目にしたくなかったのだ。

 

 だが、そんな日々を室長が許すわけもない。ひきこもるわちるに室長は葦原町へとダイブしてみないか? と提案した。その提案にわちるは肩をビクリと震わせ、懸命に首を横に振った。

 

 わちるはかつてのように笑顔で配信ができるか不安だった。引きつった笑みを視聴者に向けてしまうかもしれない。視聴者はそんな微妙な変化を機敏に察知するほどに、わちるを知っている。様変わりしてしまった自分を視聴者に晒すことが怖かった。

 

 室長は黙って俯くわちるに、配信はしなくていい、散歩代わりに葦原町を歩くだけでいい、と口にし、わちるは渋々ながらその提案に小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 そうして葦原町へダイブしたわちるは、葦原の風をその身に受け、自然と涙が零れてしまうのを止められなかった。

 

 夏が始まる前の、崩れた入道雲と湿気を含んだ暖かな風。若草の匂いに、差し込む太陽の光。

 

 夏の気配は、初めてわんこーろと行った帰省コラボの事を思い出してしまう。わんこーろと一緒にご飯を食べて、花火をして、映画を見ながら夜更かしをした。

 そんな何気ない思い出がわちるの胸中に込み上げてくる。胸の中に押しとどめるのが精一杯で、流れる涙を止めることができない。

 

「わんこーろさん……どうして、あの時……」

 

 わちるの口から零れ落ちた言葉はそのまま屋上の風にさらわれて誰も聞くことも無く掻き消えていく、かと思われた。

 

「それはねーわちるがーとっても大切だからーだよ?」

 

「っ! ……狐稲利、さん……」

 

 わちるの後ろから現れた少女の姿にわちるは思わず体を強張らせる。わんこーろに似た穏やかで暖かな声音はわんこーろの娘、狐稲利のものだ。

 変わらぬ調子で跳ねるようにこちらへとやって来る狐稲利は久しぶりにわちるに出会えたことが嬉しいのか、終始ニコニコと微笑んでいた。わちるの手をとり、その体を立たせ、わちるの暗い表情をまじまじと覗き込む。

 

「んふーわちる元気ないねー? ごはんちゃんと食べてるー?」

 

「あ、あの……狐稲利さん、私……!」

 

 わちるは顔を伏せたまま、狐稲利へと言葉を紡ぐ。わちるが葦原町へと行きたがらなかったのは配信を満足にこなせないだろうという不安と、狐稲利に出会ってしまうかもしれないという焦りからだった。

 

「んー? どしたのわちるー?」

 

 本来ならば狐稲利は葦原各地で遊び回っているか復興作業を手伝っているはずなのに、今日に限って狐稲利はなぜか屋上にやってきた。これが偶然なのか、それとも意図してわちるの下へやってきたのかは分からない。だが、もしもわちるが居ると知って来たのならば……。

 

「ごめんなさい……」

 

「んー……?」

 

 わちるは覚悟していた。狐稲利に贖罪し、断罪される事を。

 

「ごめんなさい……私、わんこーろさんを、……見殺しに──」

 

「やめてー」

 

「っ、……」

 

 狐稲利はわちるの言葉を遮った。いつもの温かな声音に、ほんの少しだけ強い音が混じっている。それを感じただけでわちるは狐稲利の顔を見れなくなる。今すぐ此処から逃げ出したくなる気持ちを無理やり押し込め、ただ狐稲利から浴びせられるだろう罵声の数々を受け止める為に頭を下げた。

 

「……もーう」

 

「あうっ!? こ、こいなりひゃん!?」

 

 だが、そんなわちるを狐稲利は無理やり頭を上げさせ、わちるの両頬をつまんで引っ張った。ぐにぐにと、意外と伸びるわちるのほっぺたをいじりながら狐稲利はわちるの瞳を覗き込む。

 

 同じようにわちるも狐稲利の瞳を覗き込むが、そこにはわちるが想像していた、恨みや憎しみといったものは一切映っていなかった。

 

「そんな事言うわちるはー……こうだよー?」

 

「あひゃあ!? いひゃい、いひゃいですこいなりひゃん!?」

 

「んふーわちるの変顔おかしー! んふー……わちるがーそんな事したんじゃないって、ちゃんと分かってるからー。だからねー自分を責めないでー」

 

「狐稲利さん……」

 

「んふー……ねえわちるー? 葦原って、とっても綺麗だよねー」

 

 わちるの頬を引っ張るのを止めた狐稲利は屋上の端に足をかけ、屋上の床ギリギリで立ち上がった。そのまま片足でバランスを取りながら案山子のように葦原の街並みを眺めている。

 犬守村とは異なる、かつて存在していた街並みは狐稲利にとって物珍しく、それ故にここからの景色はお気に入りだった。こんな街並みを、かつて人間は現実の世界に創り出していた。

 この街並みは、葦原に期待を寄せるすべての人間の目指すべき姿であり、過去に存在していた事を証明する姿でもある。

 

 過去に存在していたのだから、もう一度同じように生み出せるはずだ、と。

 

「うーん綺麗ー」

 

「……はい。わんこーろさんが、創ってくれた……私達の、目標です……」

 

「ちょっと違うー。ここはねーみんなが創った、みんなの場所なのー。はいしんしゃとかー、しちょうしゃとかーみんなみんなが、頑張って創った場所なんだよー」

 

「……はい、そうですね……わんこーろさんは……私達がどうやって前に進めばいいのか、それを教えてくれたんですね……」

 

 やっと前を向いてくれた。狐稲利はまっすぐに葦原の街並みを見つめるわちるに微笑み、もう大丈夫だと確信した。

 

「んふー……それじゃあ、私は後から行くからーわちるはもう行った方が良いよー。また後でねー……わたしはー、たいせつなおねーちゃんが待ってるからー!」

 

 それだけ言うと狐稲利はぴょんと跳ねて下の階へと降りる階段へと向かっていく。狐稲利の言う、"行った方がいい"というのは、一体どこに行った方がいいのだろうか?

 

 そんな疑問を問う暇も無く、狐稲利は階段を下りて行く。最後に手を振って階段の向こうへと消えていく狐稲利を呼び止める事もできず、わちるはその場に立ち尽くす。

 

「え? 狐稲利さん? 行くって、どこに……? ……あれ? アカウントに通知?」

 

 しばらくの間狐稲利の消えた階段を見つめ、生暖かくなり始めた風に吹かれていたわちるにとある通知が受信された。通知音が二度ほど鳴り、わちるの目の前に通知内容が表示される。

 

 それはわちるも利用している動画配信サイトのものだった。この手の配信サイトはお気に入りのチャンネルを登録するとそのチャンネル主が動画をアップロードしたときや生配信を始めた時に自動で更新通知が届くように設定されている。わちるはFSの先輩や仲の良い配信者のチャンネルは登録済みなので通知が届く事は別に不思議ではない。

 

 だが、あまりにもタイミングが良いことがわちるには不思議だった。狐稲利が、早く行った方が良いよ、といった直後の通知。気になりその内容を確認する。

 

「"配信を開始します"……。! こ、これって!!」

 

 更新通知の内容は、チャンネル登録しているヴァーチャル配信者が生配信を始めたという内容だった。そしてその配信を始めたヴァーチャル配信者の名前を見た瞬間、わちるは走り出した。

 

 

 

 

 学校の階段を二段飛ばしで駆け下りていく。途中で出会ったイナクがぶつかりそうになって悲鳴を上げたのを謝罪しながらもそのスピードは落ちない。

 

 途中走り抜ける廊下から聞こえてくるミャンの歌声は今日ものびやかで、どこまでも透き通って聞こえる。開け放たれた窓の外ではかかおが夏の氷菓子の為の大きな氷の塊を後輩たちと一緒に運んでいた。

 

 図書館から出てきたほうりが走るわちるへと手を振る。わちるは手を振り返し、そのまま駆けていく。

 

 

 わちるの頬を流れる涙は、いつの間にか悲しいものではなくなっていた。わちるはただ前へと走り続ける。

 

 

 

 

 

 

 あの、懐かしき夏の匂いのする場所へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わちるが走り抜けたトンネルは夏のコラボの時のように壁面が苔むして蔓も伸び放題な隠された犬守村への入口だ。わちるは足に絡みつく蔓も構わずその先の土手を登り切り、わたつみ平原の堤防を全力で走る。

 

「はぁ……! はあ……! うえ……!」

 

 あまりにも突然体を動かしたものだから横腹が痛む。現実でも最近体を動かしていなかったので脚に上手く力がはいらない。それでもわちるは青々と茂るけものの山の麓を抜け、長閑な田園地帯へと到達した。

 

 全力を出し過ぎたわちるは肩で息をしながら田んぼ道の真ん中で立ち止まり、息を整える。慌てて犬守村へやってきたわちるは大切な事を忘れていたと、目の前にウィンドウを展開し、配信サイトへとログインした。

 

「あ、あはは……!」

 

 その配信枠に映っていたのは、見慣れた神社に、見慣れた縁側で、見慣れた人影が足をぷらぷら揺らしながら尻尾をぱたぱた、耳をピクピクと動かしている姿。

 

 自然と笑みが溢れるわちるは、配信主の柔らかな声を聴きながら、犬守山へと再び走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『んふふ~いや~あの時はほんとにダメかと思いましたね~~散布が終わって帰ろうとしてもネットワークケーブルが切れちゃってるんですから~。セントラルライン内の端末との接続もほとんど切れちゃってて~行きで乗ってきた衛星はデブリに巻き込まれて壊れちゃってましたし~』

 

 配信主の声をラジオのように聞きながら、わちるは犬守山へと走り目指す。そんなわちるの全速力に驚いたのか、木々からカラスが空へと逃げていく。

 いや、それはカラスではなくヨイヤミだ。一際大きなカラスの姿をしたヨルが先頭になって、青い空へと飛んでいく。

 

『え? 何ですか移住者さん~? "どうやって帰ってきたの?"ですか~? んふふ~実はですね~もうダメかな~って思って~ニコさんと最期まで雑談しよっか~って言って~いろんなことをお話してたんですよ~その時にニコさんと脳の話になりまして~。移住者の皆さんはご存じですか~? 人の脳細胞って、ニューロンていうものがたくさんあって~それから伸びた枝みたいなものが~他のニューロンと接続されていて~お互いに繋がりあってるんですよ~』

 

 犬守山の麓へ到着したわちるは顔を上げ、その先に続く石畳と石階段を見やる。長く続くその石の通路には木々の葉の影が落ち、それがゆらゆらと手を振るように揺れ動いている。

 わちるは一度唾を飲み込み、疲れ切った足に力を籠める。そんなわちるを覗き見るナナと、大蛇の姿をしたやたさまが尻尾を振って応援していた。

 

『で、ですね~そのお話を聞いたときにひらめいたんですよ~。このニューロンの構造って、まるでネットワークみたいだな~って。ネットワークみたいだし~宇宙の構造のようでもあるし~……太陽光減衰マイクロマシンの散布図のようにも見えるな~、って~』

 

 息を切らして山道を走るわちるは参道を吹き抜ける風の湿り気に口元を緩ませる。湿気を含んだ夏の風は肌に纏わりつくようであまり好きではないが、その感覚が、かつての夏の記憶を鮮明に思い出させる。

 

(そういえば、前にもこんな急いで登っていた事がありましたね)

 

 その時はヨイヤミに追いかけられていた。今は自分の意思で登っている。けれど、どちらも求めている存在の為に其処を目指している事に変わりはない。

 

『いや~ほんとナートさんには感謝です~。マイクロマシンに空き容量があったおかげで~その空きスペースに私の構成データをしまい込めたわけですから~。ニューロンを参考にして~各マイクロマシンに分散させた私の構成データを、マイクロマシンの通信機能を用いて常時繋げて~散布されたすべてのマイクロマシンを一つのわんこーろとして維持させていたのです~。後は塔が崩壊する前にマイクロマシンに乗って宇宙へ脱出~~。墓場軌道のまだ動かせそうな人工衛星と通信して~衛星経由で地上へと帰ってこれた訳です~。いやはや~一番時間がかかったのは衛星が地上と通信可能なタイミングを見つける事でしたね~んふふ~』

 

 わちるは配信主の声を聴きながら、どうしてやろうか、と考えていた。あれだけ心配して、あれだけ落ち込んでいたのに、当の本人は命の危機を笑い話のように話している。あの時、嘘をついて自分を避難させた事を問い詰めようか。狐稲利ちゃんや移住者さんを心底不安にさせたことを怒ってやろうか。

 

『んふふ~……ん? な、なんですか移住者さん~? え、"心配かけた罰を受けてもらう"? ま、まあ~皆さんに心配かけたことは申し訳ないと思ってますけど~……連絡手段がなかったのですから~仕方なくないです~? ん? "もうすぐやって来るだろうから、しっかり怒られるといいよ"? え、それはどういう意味で~?』

 

 様々な思いが頭の中に浮かび上がるが、ひとまずそれは後だ。今はただ、無事である事を、その小さな体を抱きしめることで確かめたい。

 

 いつの間にか足元で一緒に走っていたよーりと共に、わちるはたどり着く。

 

(この山の参道を進めば、その先には玉砂利が敷き詰められた境内が見えて……その神社の裏側の、縁側に──)

 

「わんこーろさんっ!!」

 

「ん~? うわあ!? わちるさん飛び込みながら抱き着きはさすがに危ないですよぉ~!?」

 

「わんこーろさんわんこーろさん!!」

 

「んおお~……力つよすぎて脱出できない~移住者さんお助け~……」

 

『やっぱり来たなわちるん!』『ちょっと早くな~い?』『わちるん汗でびっしょりじゃん!慌てて走って来たなw』『おおうwこれ首しまってないか?w』『わんころちゃん配信画面に手を伸ばしてるけど……助けられないんだよなぁwwww』『罰なので。しっかり味わってねw』『コレはしゃーない』『わんころちゃんだってこうなるだろうって予想してたっしょ?』『心配させちゃったからねー』『涙でぐちょぐちょわちるん草』『わんころちゃんがすっごい申し訳なさそうな顔をしながらもがき苦しんでて草』『あれ?これわちるんわんころちゃんの和服の中に手突っ込んでない?』『うわあああああBANだあああああ』『隠せ隠せ!』『おいカメラ止め……やっぱ止めなくていいです』『これには運営もにっこり』『わんころちゃんが剝かれちゃう!?』『なお剥いてる本人はその気はない模様』『わんころちゃんに必死にしがみついてたらいつの間にか脱がしていた件について』『などと供述しており』『あれ?わんころちゃん?』『あーあ、二人とも泣いちゃったw』『これは分かる。うれし泣きだわ』『まったく、本当に心配させて』『無事で本当に良かった!』『生きててありがとう……!』『俺たちの気持ちは全部わちるんが実行してくれているから安心だな!』

 

「ん、んふふ~もう十分すぎるぐらい理解しました~~……うう、温かい、柔らかい……けど力つよ~……」

 

『それじゃあ、わちるんもそろったし、もうそろそろ言いますか』『だな、お前らタイミングミスんなよ!』

 

「へ? な、なんですか移住者さん~?」

 

『わんころちゃんおかえり!』『わんこーろさんおかえりです』『おかえり』『おかー』『帰ってきてくれてありがとう。おかえり』『おかえりなさい』『わんこーろさん、おかえり』『また配信楽しみにしてるぜ!おかえり!』『わんころちゃんの配信に、いつも元気もらってます。おかえり』『また犬守村で開拓しようぜ!おかえり!!』『本当に、おかえりなさいわんこーろさん』

 

『さあ!わんころちゃん!』『いつもの口上オナシャス!』『やっぱ配信の始まりはあれじゃないとねー』『と言っても今日は特別バージョンだけどね!』『わんころちゃんはよ!』

 

 

「! ……んふふ~、いつもはわんこーろが"おかえり~"って言っているのに~今回は反対になっちゃいましたね~。それじゃあ、移住者さんのお言葉に甘えて~……」

 

 

 

 空は遠くまで深い青が続き、その向こうにはぽつぽつと高い雲が現れ始めた。湿った空気は暖かさを伴い夏の気配を存分に感じさせる。その空気は風に乗ってわたつみの平原を通り、けものの山の木々を靡かせ、田んぼの水面を撫でていく。春の空気に満たされていた北守の山々は訪れた夏の空気を迎え入れ、植物と動物に新たな季節がやってきたことを知らせた。

 

 繰り返す四季の移り変わり。犬守村に、二度目の夏がやってきた。

 

 

 朱色の鳥居が入口の犬守山には、そんな世界を生み出した神様が住んでいる。小さな体に太くて大きな尻尾とイヌミミを持つその神様は、気まぐれに世界を創造し命を吹き込む。縁側でお茶とお茶菓子を楽しみ、いたずら好きな娘にちょっかいをかけられればしっかりとお仕置きをして、親友の少女のスキンシップが過剰ならばこちらもお仕置きを喰らわせる。知り合いの配信者と共に自然の恵みをいただき、自然の中で暮らす。そんな楽しくも忙しない生活を、画面の向こうに居る移住者と分かち合いながら、その神様は明日も、その次の日も、ずっとずっと私たちと共に歩んでくれるだろう。

 

 ヴァーチャル配信者として。

 

 

「みなさま~ただいま~! 電子生命体のヴァーチャル配信者わんこーろですよ~今日もわんこーろと一緒に、この世界を創っていこ~!」

 

 




 




 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。これにてようやく完結となります。
 三年以上もの長い間、更新をし続けてこれたのも全てはお読みいただいた読者の皆様のおかげです。支えてくださって、ありがとうございました。

 沢山の評価、お気に入り登録、感想ありがとうございました。

 もう、感謝の言葉しか言えません。
 本当に、ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。

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