転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#263 初めての梅雨、しなしななめくじになる狐稲利

 

 

 七夕という初めての季節イベントを終えたわんこーろにとって、これからやってくるであろう夏という季節は既に一度経験したことのある既知の季節である。当時と比べれは犬守村は広く遠く開拓されたので夏に見られる光景や動物、自然現象などは大きく変わってくるだろうがそれでもわんこーろにとっては二度目の夏であり、未知に対する恐怖というものも無く去年と同じように過ごせばいいやと気楽に考えていた。

 

 だが、そんなわんこーろを嘲笑うかのように夏はじりじりとわんこーろの精神を蝕んでいった。

 

 具体的に説明するならば、犬守村に梅雨がやって来たのだ。

 

 

「おかーさー……むしむしするー……」

 

「狐稲利さんはまだいい方でしょ~? こちらはしっぽが湿気を吸ってぼさぼさのごわごわなんですよ~……」

 

 しとしとと静かに降る雨のしずくはどんよりと曇った空の上から落ちてきては庭に作られた畑の若い野菜たちの実や葉を濡らしていく。まだ収穫には早く、緑色のままのナスやトマトは、それでも水滴に濡れてどこかおいしそうに見えてしまう。

 

 そんなどうでもいい事を考え縁側で横になりながらわんこーろと狐稲利はじめじめした梅雨特有の空気にうなだれていた。

 

 わんこーろたちが住んでいる犬守神社は北守山地からわたつみ平原の海原へと吹き抜ける風のおかげで湿気が留まらず、基本的に過ごしやすい立地ではあるが、それにも限度というものがある。どれだけ風が吹こうとも犬守村全体が梅雨のせいでじめじめしているのならば吹く風そのものがじめじめしていて気持ちの良いものではない。

 雨雲のおかげで強い日差しが遮られ気温自体はそこまで高くないのが幸いだが、不快であることに変わりない。

 

 不満を露わにするようにわんこーろがしっぽで床をぺちんと軽く叩くが、心なしか湿った布のような音が聞こえたような気がした。狐稲利もちらりとわんこーろのしっぽを見るが、先ほどと変わらず生乾き状態のしっぽを確認し、興味なさそうに姿勢を戻す。

 

「コイナリ、お母さま……、お茶、淹れてきた。……氷も入ってる、よ?」

 

「おおー! ありがとお姉ちゃんー!」

 

「助かりますニコさん~」

 

 部屋の奥から現れたニコの声に先ほどまでだらけ切っていたわんこーろと狐稲利は体を起こしてニコから手渡されたコップに口を付ける。

 

 涼し気なガラスのコップに注がれた麦茶と、その中でカランと音を立てる氷の様子は見ているだけで清涼感を得られる。麦茶の中に入れられているのは犬守村で採れた氷だ。冬の間にやたの滝の凍った滝つぼから切り出し氷室で保管されていた透明度の高い氷は長く形を保ち続け、飲み物を冷やしてくれる。

 

 ごくごくと麦茶を飲みながら蒸し暑い空気に抵抗する二人をよそにニコは縁側の向こうに広がる雨模様に興味を引かれている様子だ。

 

「夏……初めて。……、なんだか、懐かしい……?」

 

 ニコはわんこーろに新たな体を貰ってからこの世界について様々な情報を取り込んでいった。時にはわんこーろや狐稲利から、時には配信で移住者たちから、時には過去のサルベージデータから。それらはニコの中で知識となり、行動する指針となり、結果として経験へと繋がっていった。

 

 そんなニコにとって知識でしか知らない夏というものは、殊更特別で興味深い現象なのだろう。

 

「んうー……」

 

「ちょ、狐稲利さん引っ付かないでください~!」

 

 不意に寝転がっていた狐稲利が同じく寝転がっていたわんこーろへとじりじり近づいていき、わんこーろのしっぽを優しく掴んだ。いつものフワフワした手触りを期待していた狐稲利は湿気で微妙な触感のしっぽに不満そうだ。

 

 しかし、それでも狐稲利はしっぽを離さないし、わんこーろも振り払おうとしない。

 

「んう……、」

 

 そんなある意味仲の良い二人に混じるようにして、ニコもわんこーろの懐へともぐりこんで顔を寄せてみる。

 

「わああ~~ニコさん頬っぺたくっ付けないでください~~」

 

 僅かに感じる母親の暖かさと、懐かしい香り……そして圧倒的なじめじめ感。

 

「んぅ……、べとべと、する」

 

 その日、ニコは梅雨の不快さを知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 わんこーろが家の湿気を逃すために家じゅうの窓を開けに行った後も狐稲利は畳の上でだらりと横になりながら湿気の面倒さに唸っていた。

 

 梅雨時期の空気は湿気が多くて非常に過ごしずらい。何をするにしても体にまとわりつくような不快感はどうにも解消できず、だからといって何もせずにその日を終わらすのも、もったいなく思ってしまう。

 

 特に暑い日も寒い日も犬守村を走り回っていた狐稲利にとってはそれはなんとも重大な問題であった。

 

「おぉーわちるーの写真きれいー……」

 

「アジサイ……犬守村にも、ある……?」

 

 あまりにも暇な狐稲利は近くに寄って来たニコと共に友達のSNSを見て回っていた。時折流れてくる映像や画像データは葦原町や犬守村で撮影されたもので葦原の開拓具合を記録したものや犬守村の自然の風景を写し取ったもの等、まるでプロのカメラマンが撮影したかのようなクオリティのものもちらほら確認できる。

  

 葦原町は参加配信者の配信切り抜きや配信者自身が撮影(スクリーンショット)した画像などが主だが、犬守村の風景は"犬守写真機(かめら)"と呼ばれるゲームアプリを用いて撮影されている。

 

 かつて犬守村にバグが発生した際、移住者たちと協力してバグを発見する為にリリースしたそのゲームアプリはバグが発生しなくなった現在も移住者たちの強い希望からサービスが継続されている。現在犬守村で開拓が完了した場所をアプリ上で自由に動き回り風景を撮影していくという単純な遊び方ながら、その舞台である犬守村が桁違いの広さと作り込みのされ方をしているので今でもアプリのダウンロード数は上昇し続けている。とはいえ犬守村開拓の初期にリリースされたゲームであり、わんこーろも積極的に宣伝しているわけでは無いので最近わんこーろの配信を見始めた新参移住者の中には存在を知らず、古参に教えてもらって初めて犬守村へと行ける事を知る者も多い。

 

 なお、このゲームはわんこーろたちが生活する犬守神社の内部には入り込めず遠方からの撮影もできないので現在絶賛だらけ中な狐稲利の姿は移住者達には知られていない。

 

「アジサイですか~、ありますよ~? 確か札置神社の境内の一角を紫陽花だらけにしてた気がします~……あ、ほら見てください~。移住者さんが犬守写真機で撮影した紫陽花です~」

 

「おおー……」

 

「狐稲利さん見に行きます~?」

 

「んー……また後でー」

 

「コイナリ……夏バテ……?」

 

「んふふ~夏バテには早すぎる気もしますけど~」

 

 いつもは元気に遊びまわっている狐稲利も雨のせいで外で遊べず、かといって葦原町も梅雨に突入しているのでそちらへも遊びにはいけない。校舎内で活動している部活動の様子を見に行く事も考えた狐稲利だがここ最近は修学旅行の準備や耐久配信をしている配信者が多く、邪魔になるからと遊びにいくのを控えていた。室内で出来るゲームのたぐいはほとんど母親と姉と遊びつくした。

 

 そうして何もしないまま家でダラダラと時間をつぶしていた結果、行動しようとする意欲まで失われ現在のだらけ狐稲利が生まれてしまったわけだ。

 

「ん~~仕方ないですね~~。とっておきを出すとしますか~」

 

「とっておきー?」

 

「?」

 

 わんこーろは立ち上がりぐぐっと背伸びをして、ついでにしっぽとイヌミミもぴんと伸ばして別の部屋へと歩いていく。何事かと狐稲利とニコはわんこーろの後を追いかけていく。

 

 わんこーろは別室にある押し入れの中を漁りはじめ、一つの小さな箱を取り出し、蓋を開けた。

 

「ふうりん……、?」

 

「おー懐かしいー……なつかしい?」

 

「そうですね~これを出すともう一年経ったって感じがしますね~」

 

 わんこーろが取り出したものはガラス製の美しい風鈴だった。取り出したばかりで多少ホコリっぽいが、汚れも無く割れてもおらず丁寧に保管されていた事がうかがえる。いつも不必要なものがごちゃっと押し込まれている押し入れの中では珍しいとニコは風鈴をまじまじと見つめていた。

 

「……この、独特な絵は……」

 

「これはねーなーとーが描いたんだよー」

 

「……なーと様、独特……」

 

 風鈴に描かれていた絵も色あせることなくかつてと同じ姿を晒している。移住者から散々酷評されていたナートの絵も、今では懐かしく微笑ましい想いでの一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風鈴を吊り下げ、多少精神的な涼しさは確保したものの、結局犬守村の雨は一日中降り続いた。そのおかげというべきか、気温はぐんと下がり生暖かい空気は鳴りを潜め、むしろ肌寒ささえ感じるほどだった。わんこーろたちは久しぶりにこたつへともぐりこんで居間から雨の降る様子をのんびり眺めていた。

 

「おかーさー、ほぞんしょく大丈夫ー?」

 

「ん~……梅干しなどは多分大丈夫でしょう~、塩漬けですし~。カビそうなものは一度岩戸に避難させといた方がいいかもですね~」

 

「お布団も……、このままだとカビ臭くなりそう……、」

 

「押し入れの中も片付けておいた方がいいかもですね~。いつの間にかキノコが生えてた~なんて事にはしたくないです~。……移住者さんたちの方はどうです~?」

 

 炬燵に収まるわんこーろと狐稲利とニコ、そして炬燵の上には配信画面。特にやる事も無く、やってくる夏の為に必要な準備を移住者たちと話すべく、短時間だが配信枠を取ったのだ。配信開始して僅か数分ながら既に同時視聴者数が数万程度である事をスルーし、わんこーろは少しばかり心配そうに移住者へと語り掛ける。

 

 現実世界での地上の除染が進み、着々と人の住める土地が拡大している昨今、季節的な問題も大きく取り上げられるようになってきた。特に地下の居住区に住んでいた者たちは管理され常に快適な環境が提供されていた地下と異なる地上の環境に戦々恐々としている者も多いのだとか。

 

『こっちもなかなかにやべーぜ』『梅雨前線とかいうのが今年から復活してるらしく。雨やべーです』『こっちは雨そんなだけど湿気がヤバイ』『とにかくヤバイっす』

「んふふ~よかったです~皆さんも私と同じ苦しみを味わってるんですね~」

 

『こんなところが同じでも嬉しくないんだが!?』『わんころちゃんも安堵しないで!?』『どこも良くなくて草』

 

「んふふ~」

 

 犬守村の夏の予定や準備について一通り話終わった後は特に何もすることもなかったので移住者と一緒にあてもなくネットサーフィンへと繰り出す。SNSのフォロワーを中心に見て回っているので内容は犬守と葦原の映像や切り抜きと言ったものが大半で、先ほどまでだらけていた狐稲利と奇しくも同じ状況となった。

 

 梅雨の切れ間に見える夏に近づく空の写真。田植えが終わった後の風になびく田んぼの風景。小さく蕾を付けたひまわりたち。

 

 学校でてるてる坊主を大量生産する生徒会。夏の料理レシピを試作する料理関係の部活動。サルベージされた夏歌の練習をする歌の上手い配信者たち。犬守写真機の5000連ガチャチャレンジでssrの【効果音わんこーろ】を手に入れようと頑張っているわちる。

 

「おかーさーこれー」

 

「わちるさんは相変わらずですね~」

 

「確立……エグい」

 

『ニコちゃんの口からエグい出て草』『それだけ衝撃的なんだろうな……現在3000連目にしてSRさえ出ないとは……』『まさかこの確率は……わんころちゃん!?』

 

「わんこーろは何もやってませんよ~わちるさんの運が悪いだけで~す」

 

 梅雨の日常はしとしとと流れていく。梅雨の時期は確かに気怠いものだが、それさえも楽しめるのが人というものだ。

 

「ん~。この季節の写真もなかなかいいですよね~紫陽花が一番きれいな時期ですよ~」

 

「おおー……シカが雨宿りしてるー!」

 

「アジサイの葉っぱのうえに、カタツムリ……かわいい」

 

『やっぱ梅雨の紫陽花って絵になるよね』『教育映像でしか見た事なかったけど、葦原町の紫陽花通りは圧巻』『というか葦原にもカタツムリっていたんだ!?』『先月あたりの生物部広報誌に実装生物一覧載ってたじゃん』『さすがに数千種類の中からカタツムリの名前は見つけられんて……』

 

「葦原町に実装した生物のいくつかは犬守村の生物も混じってるんですよ~。……後々葦原の動物が犬守村へやってきたりもするかもですね~」

 

『ほうほう!』『それって例の町と村とを繋ぐっていう!?』『そっか、両方の空間が繋がったらもちろん生物も行き来するようになるのか』『外来生物とかの問題は大丈夫なのだろうか……』『犬守村の生き物はたくましそうだしな~w』

 

「んふふ~、何をおっしゃってるのです~? 外来も何も、村も町も同じ国をモデルにしてるんですから生物だって同じですよ~……ちょっとばかり絶滅したはずの生物が混じってるくらいで~」

 

『草』『アカン』『とんでもないな犬守村!?』『大型の野生生物は獲物を求めて犬守村へやってきそうだな~』『逆に小型の生物は都市部へ移動したりするかな?』『食料があればまあ……虫とかはそうじゃないかな……』『虫……?』『"G"だよ……』『ああ……』

 

「みなさん~……部屋のお掃除は定期的にしてくださいね~……」

 

『わんころちゃんなんでちょっと引いてるの!?』『さらっと汚部屋認定された!?』『まってくれわんころちゃん!あいつらは部屋を掃除しててもやってくるんだよ!』『さすが汚染された地上でも繁殖している奴らだ……もはや人間にはどうする事も出来んのでは?』『やつらは常時人間の傍に……』『ひい』

 

「ほほ~共同生活というやつですか~~」

 

『やめて!?』

 

 

 やがて犬守村の日は落ち、あたりが暗くなっていく。静かな雨音の響く空間にカエルの合唱が加わり、よりいっそうの夏らしさが醸し出される。短時間で済ませようと思っていた雑談配信もいつの間にか数時間程度続いており、炬燵に入っていたわんこーろの娘たちは肌寒さもあり、うとうと船を漕ぎ始める。

 

「というわけで~じめじめしてるのでこまめに掃除したりしてるんですよ~神棚も狐稲利さんにかたぐるましてもらって~ぱぱっと掃除してます~。ね、狐稲利さん~?」

 

「くぅくぅ……」

 

「うぅん……」

 

『あれ?寝てる?』『さっきから画面外に居ると思ってたらw』『声もなんだか眠そうだったしねえ』『ニコちゃんはともかく狐稲利ちゃんもまだまだ子どもだなあ』

 

「あらら~二人とも寝ちゃってますね~。それじゃあわんこーろもお休みさせて貰いましょうかね~。もうすぐV/L=Fですから~。修学旅行~受け入れの準備は万端~楽しみですね~」

 

『おつー!』『今日は長時間ありがとう』『また修学旅行で~』『今日も配信おつかれさまー』

 

 梅雨が終われば本格的な夏が始まる。わんこーろにとっては犬守村で過ごす二度目の夏であるが、様々な変化が見られるだろう未経験な夏でもある。犬守村は常に進化し、アップデートが重ねられている。それは犬守村をより現実に近づけていく。

 

 今年の夏は一体何がはじまるのだろうか。それを考えるとわんこーろは口元が自然と綻んでしまうのだった。

 

 

 

 

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