転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#265 旅館からの景色

 

 この世界の人々にとって授業とは自宅で受けるリモート授業が基本だった。地上が汚染され出歩くこともままならなくなった当時、地下の居住区は今ほどに整備されておらず、居住区同士の物理的なつながりも(まば)らであった。そのため地下で暮らす多くの人々は一つのところに集まる事さえ難しい状況。僅かな上位層の人間を除いて地下で暮らすほとんどの者たちは効率化を図り、その結果が完全なリモート授業の実施に結びついた。

 

 それから数十年もの月日が流れ、子どもたちの授業はそれが当たり前となり学校とはかつて存在していた非効率な形態と認識される事になる。

 

 だが、そんな認識はここ数年で劇的なまでに変化した。わんこーろの生み出した犬守村という存在が視聴者に地下以外の景色を夢想させ、葦原町という存在を用いて若者たちにかつての生活を追体験させる事で、世界が効率だけで回っているのでは無い事を思い起こさせたのだ。

 

 とはいえ学校の授業とはもちろん勉強の事で、すべての子どもたちが葦原で行われる授業を殊更楽しく受けられたかと言われれば……そうとは言えないだろう。いつの時代になっても勉強は子どもたちにとって面倒な事柄に違いないのだから。

 

 そんな葦原で授業を受けているすべての配信者たちにとって、今回行われるV/L=Fの目玉イベントである修学旅行はまさに待望の校外イベントと言ったところだろう。学校での日々がつまらないわけではないが、それだけではどうにも刺激が足りない。

 

 そんな中で発表された修学旅行は多くの配信者を熱狂させ、多くの視聴者に期待を抱かせた。

 

 かつてのFS帰省イベントのように犬守村を長時間体験できる。そしてその光景を視聴できる。そんなV/L=Fメインイベントである修学旅行が、多くの期待と共についに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーみなさん。配信開始初っ端ですがー……もうちょっとだけ待機でおねがいしまーす」

 

 なこその言葉に葦原学校のグラウンドに集められた配信者たちから笑いが生まれる。既に葦原学校の修学旅行イベントが配信を開始して5分程度経過しているのだが、修学旅行参加者達はまだ葦原にいた。

 

 彼ら彼女らの前で数名の新人開拓参加者が何やら自己紹介らしき話をしているのだが、どうにも様子がおかしい。全員が焦ったような顔で、中には涙目の子までいる。そんな新人たちに古参の開拓参加者が頑張れ! と声援を送っては励ましている様子が先ほどから続けられており、修学旅行に不参加となった配信者たちや視聴者も同じように声をかけている。

 

 彼ら彼女らは修学旅行に参加する……予定の配信者たちだ。

 

 修学旅行に参加するには一度の配信時間の長さと総配信時間が条件として設定されており、涙目になりながら配信をしている彼ら彼女らはあと数分でその条件をクリアできる、という状況の配信者たちだった。

 

「がんばれー!」

 

「あともうちょい! もうちょいだぞっ!」

 

「修学旅行行く前に相当疲弊してて草」

 

『ワイ移住者高みの見物』『全員顔がマジなんですけど!?』『なにこれデスゲーム始まってる?』『むしろ生きるためのやってる節がある』『なこちゃんもやさしいな』

 

 もし現実世界で旅行するとなれば宿泊施設の予約や宿泊先が用意する食事の数など、あらかじめ旅行者の人数を確定しておく必要があり、今回のような土壇場な状況での参加の有無を判断することなど出来ない。

 

 しかしここは仮想空間であり、旅行先はわんこーろの居る犬守村である。観光地でも無いので宿泊先などいくらでも空きがあるし、料理だって多少無理やりにでも用意できる。そのためわんこーろや修学旅行の責任者たちの了承を得て条件まで残り数分の配信者を特別に参加させるべくこのような時間を設けているのだ。

 

「しっかし、思ったよりも多いな。二日まるまる拘束されるから辞退者が出ると思ったんだがな」

 

 想像以上の修学旅行参加者の多さに〇一が意外そうな顔をする。犬守村への修学旅行は基本的に前年に行ったFSの犬守村帰省コラボに倣って進行される。現実世界のほうで効率食と呼ばれる一つ食せば一日分の栄養が摂取できる食品を食べてからNDSの連続稼働によって犬守村へと滞在し続け、夜はNDSに繋がったまま眠る。

 

 就寝時間がしっかり存在しているものの、二日という長時間NDSで精神をネットへ降下させ続けるという行為に抵抗感を抱く者も存在するだろう。そうでなくても二日も拘束されるというイベントは、忙しい有名配信者たちにとってはなかなかに参加しずらいはずだ。

 

 にも拘わらず修学旅行の参加配信者の数は参加条件を満たしている配信者全体の九割以上というもの。当日に体調不良などの理由で不参加となった配信者を除けばほぼ全員が参加している事になる。

 

「犬守村へ行けるというのはそれだけ優先度が高いという事なのでしょうね……私たちは気軽に遊びに来ていますが……」

 

「そんなに焦んなくていいと思うけどなぁ」

 

 週末や暇な時にちょくちょく犬守村へと遊びに来ているFSの面々にとって修学旅行で立ち寄る場所はいずれも行ったことのある場所ばかり。新鮮さはあまり感じられないものの、それでも移り変わる犬守村の風景は見ていて飽きない。生徒会たるFSの今回の修学旅行での役割は初めて犬守村へと行く配信者たちのサポートという事になりそうだ。

 

「お、おわったーー!!」

 

「よっしゃー! これで、これでーー!!」

 

「もうゴールしても……いいよねぇ!!」

 

『なんか最終回っぽくね?』『まだ始まってすらいないのだがw』『何はともあれお疲れ!』『お疲れって言うと本当に終わりみたいだなw』『まあ初っ端目立つのには成功した、かな……?』『感涙と共に胴上げされてて草』『わーい優勝だー!』『草』

 

「あ、終わったみたいですよ。総配信時間は……皆さん合格みたいですね」

 

「よーし、それじゃあ行きますかっ!」

 

 多少予定時間から遅れたものの、条件ギリギリの滑り込み勢が発生する事は分かっていたのでそこまで焦るようなスケジュールにはされていない。進行役のなこその声で今度こそ修学旅行参加組は葦原を出発し、犬守村へと向かう事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すっごい真っ暗……というかちょっと寒くない……?」

 

「ここ知ってる! 帰省コラボのときのトンネルだ!」

 

「水のにおい……? でもなんだか違うような……」

 

『真っ暗でなんも見えん』『配信側の明度調整が必要っぽい』『おま環じゃなかったか』『まあ去年もこんな感じだったよ』『長いトンネルを抜けると~ってやつだなw』『水の匂いis何』

 

 葦原の地を出発した修学旅行組は犬守村と繋がるリンクをたどり、かつて夏の帰省コラボでFSが利用したトンネルの中を歩いていた。将来的に葦原町と犬守村は公式的に繋がり、相応の通行手段が実装される予定となっているが、今はまだ無理やり繋げたリンクから行き来するしか方法はない。

 

「ねえねえなこちゃん、室長が言ってた相応の通行手段ってなんなのかなぁ?」

 

「私も詳しく知らないけど、わんころちゃんの話では線路を敷こうかって相談してるみたいだよ」

 

「へえ、そりゃ電車……いや鉄道ってことか?」

 

「私たちが利用しているモノレールよりももっと前に存在していた乗り物ですよね? 一体どんな感じになるんでしょう?」

 

『ほうほう、電車』『鉄道敷くの!?』『時代的に蒸気機関車とかかな?』『教育映像でしか知らないから全然想像できないな』

 

 一方FSの面々は慣れた様子で暗闇の道を歩いていく。わんこーろ繋げてもらった犬守神社との直通リンク以外でも犬守村へと遊びに来る時はこちらのリンクを利用する事もあり、トンネルの道も既に何度も通ったことのある馴染みの道なのだ。

 

 配信開始前にわんこーろと共に修学旅行組の受け入れ準備へと向かったわちるを覗いたFSの面々は舗装されていない道に不慣れな修学旅行組に注意を促しながらトンネルの先へと向かっていく。

 

「なこそお姉ちゃん、先ほど参加者の方が水のにおいと仰っていましたが……もしかして」

 

「あー……海かな、梅雨のせいで海になってるってわんころちゃんに聞いてたし……」

 

「水着でも持ってくりゃよかったか?」

 

「また今度ですね。ね、なこそお姉ちゃん」

 

「う……なんで私に話を振るかなあ」

 

「なんだよなこそ、お前まだ水着NGなのか?」

 

「まーだ水着で可愛いって言われるの慣れてないのぅー?」

 

「煽らないでナートちゃん、思わず手が出るかもだから」

 

「うえぇ!?」

 

 長い長いトンネルは今まで自分たちが居た葦原と犬守との距離の長さを想像させる。実際には犬守村の容量が膨大過ぎてその処理が追いついていないだけと言う者もいたが、現代において読み込みの遅さは人間が認識できるレベルでは発生しないとされている。

 

 つまり、トンネルの長さは単純に犬守村の広さを表しており、未だ広がり続ける村の全容をおぼろげながら感じ取れる要素でもあった。

 

「あ! 出口見えた!」

 

「あそこ越えれば犬守村か!」

 

「しゃあ一番乗り!」

 

「はいはい走らないでくださーい」

 

『眩し……!』『ついに犬守村に到着だ!』『これだけの人数で来るのは初かな?』『札置の写真展を考慮しなけりゃ初かな』『急いでこけるなよw』

 

 トンネルの終わりを知らせる日の光を感じ取り、参加者たちがざわつき早歩きで出口へと向かっていく。遠くからトンネルへと吹き込んでいく風には明確に潮の匂いが混ざり込み、ほのかに温い空気がトンネルを通っていく。

 

「うわ!?」

 

「な、なに!? 凄い風が……!」

 

 それは葦原では味わえないごく自然的な現象であり、それでいて現代の若者たちはほとんど体験したことのない感覚だった。

 葦原町自体は湖に浮かぶ島であるため、水に満たされた光景というのはそこまで珍しくはないだろう。だが、海のような先の見えない果てしない姿を彼ら彼女らは直に体験したことは無い。未だV+R=Wは海というものを実装できておらず、現実世界ではまだ除染が終わっていない。

 

 だから彼ら彼女らがトンネルを抜け、堤防を登った先で見た光景に驚き声を上げるのは仕方がない事だった。

 

「うおーーー! これが海っ!」

 

「すご……広、てか遠!」

 

「んー……トンネル抜けるときの匂いって、海の匂いだったんだ……」

 

『海だーー!』『あれ!?ここに海あったっけ!?』『前に配信覗いた時には無かったはず?』『初見さんはどうぞわんころちゃんの配信アーカイブへ~』『俺はちゃんと予習してきた。わたつみ平原だよね』『ひっろいなー……海の向こうにうっすら山があるのが見えるくらいだ』

 

 堤防からは周囲の光景がいっそう鮮明に見渡すことができる。穏やかな波を砂浜へと届けるわたつみの海原はもちろん、その後ろに広がるけものの山と田んぼの風景、遥か遠くに見える北守山地の山々。

 

 実は今回の修学旅行は遠くに見えるあの北守山地を中心として行われる事になっている。

 

「まずは犬守山の入り口まで行くんでしたよね、なこそお姉ちゃん」

 

「そうだね、さすがにこの人数で山登りは無理だし。〇一ちゃんもこうだし」

 

「ひぃ~……もう歩けないぃぃ……」

 

「一年前より体力落ちてねーかこいつ」

 

「つい先ほどまで歌にダンスにと大変でしたから。仕方がありませんよ」

 

「ね、寝子ちゃんはなんでそんなに平気なのさぁ……?」

 

「私は最近朝活配信の前にランニングして体力をつけてますので!」

 

『だらしねーなーナートはー』『これがナートさん……?え、塔のときのキリっとしたナートさんは?どこ?』『ここになければありませんね』『初見が混乱してるぞナート』『寝子ちゃんより体力無いのはちょっと……』『少しは運動しろナートもちろん現実でだぞ』

 

「うぅ~……反論できないぃ」

 

 ちょっと得意げに話す寝子をよそに、ナートはふらふらしながら後方の運動苦手インドア配信者勢へと混じっていった。対して進行役のなこそ率いる元気な配信者たちは周囲の光景に喜びはしゃぎまわっている。

 同じような自然の光景は葦原にももちろん存在するが、犬守村という憧れの土地にやって来たという事実は何物にも代えがたい感動を抱く理由には十分といえる。

 

「みなさーん! 修学旅行のしおりの通り、少しだけここで休憩してから宿泊地の火遊治まで行きますからー! あまり遠くには行かないでくださいねー!」

 

 この修学旅行イベントは参加配信者だけでなく視聴者にも楽しんでもらえるようにと、ちょくちょく休憩時間が設けられている。参加者は配信しながら周囲の風景を見て回り、持参したカメラなどでの撮影も許可されているので皆思い思いに行動して犬守村を楽しもうと目を輝かせている。

 

「よし! カメラ持ってきてよかったー!」

 

「あ! あれって狐!? しかも親子じゃん可愛いー!」

 

「うおお、マジでちっこいな……ミニナナちゃんじゃん」

 

「でかい鳥も飛んでんなー……あれってタカってやつ?」

 

「空きれー!!」

 

「? オマエ何撮ってんの?」

 

「川だよ川! ほら、見てみろってこんなリアルな水、葦原じゃまだ実装できてないよ!」

 

 修学旅行組は堤防を下りて田んぼ道を歩いていく。途中犬守疏水にかかる橋を通るとその美しさにカメラを持参してきた配信者が思わずシャッターを切る様子もみられる。

 

 犬守疏水は北守山地から流れる湧き水や雪解け水をまとめてわたつみへと流すために整備された疏水であり、わんこーろが犬守村初期の頃に造った大規模な人工河川となっている。だが疏水そのものはコンクリートで固められているということは無く、ほとんど自然な姿でそこにあった。石や岩でゴツゴツとした水の道を透明度の高い山の水が流れていく様子と初夏の日差しを反射してキラキラと光る水の表現は、ここが仮想世界とは思えないほどに現実的であった。

 

「確かこの水の表現って、葦原でも流用されてるんだよねー」

 

『まじ!?』『確かに水のクオリティヤバイと思ってたけど犬守村産だったか』『なぜ今まで秘密に?』

 

 なこその言葉に視聴者も疑問の声を上げる。それは水の件だけでなく、なぜ長い間町と村との関係性を公式が明確にしていなかったのかという疑問でもあった。

 

「まあ色々あってねー。っと、もうそろそろお迎えが来る頃かな」

 

 だがそれに対してなこそはただ誤魔化すように笑っているだけ。それだけで大体の視聴者は別の話題へと移ってくれた。

 

 元々犬守村はネットに揺蕩う放棄された仮想空間だった。そのため空間の管理元や権利保有者が特定出来なかったり曖昧な状況のままにされており、その空間に形成された犬守村もある意味法律的にグレーな存在とされていた。実際には効率化社会撤廃後の法律によって一律放棄扱いの空間と定められ、権利的なモノは放棄ないし破棄されていた状態だったのだが、後々問題になる可能性があるというわんこーろの考えによって犬守村と他空間との交流が公式的に認められることは無かった。

 

 しかし、塔の開放によってわんこーろの正体が全世界へ(おおやけ)となると、犬守村は国際条約によって保護されるべき空間として数多くの国が合意し、発効されることになった。主塔の開放という一大事件に加えて地球外生命体とのコンタクトというさらに重大事件が発生したことで条約の締結までにはかなりの混乱があったという。そもそも繋がりこそがネット空間の意義であるのに例外的な不干渉の空間を設定する事も、その空間の管理者が人でないことも多くの国を悩ませたが結局は現在まで守り抜かれている"南極条約"を見本として犬守村を特別な空間として認定することになった。

 

 これによって犬守村を形成するネット空間、およびそれらを維持している端末の空き領域へのわんこーろの居住が認められた。……といってもこれらの許可やら認可やらは結局のところ人間の都合なので、わんこーろへ何かしらの強制効果があったとしてもそれらにわんこーろを縛る力は皆無である。犬守村への不干渉という文言も、そもそも最新鋭の機材と最先端の技術を持つ専門家でも容易に辿り着けない場所に犬守村は存在しており、まず手出し出来ない。ようやくネットを扱えるようになったレベルの人類ではネットを泳ぐ電子生命体には敵うはずがないのだ。

 

 つまるところこれらの話は人類側が納得するための話でしかなく、直接的にわんこーろへ関係する話ではない。やろうと思えばどこまでも自由に振舞える事が出来る存在に対して、人類が正気を保つための理由付けのようなものなのだ。

 

 そんな人類側の必死な条約締結の裏側をハラハラしながら見ていたわんこーろは、単純に犬守村の所有者が公式的に自身であると認定された事に喜んだ。人外でありながら人に友好的なわんこーろとしてはそもそも他人に迷惑をかけないようにと心がけてネットを泳いでいるので、これらの条約に関しては大いに感謝し受け入れた。

 

 こういった背景によって犬守村と葦原町は公式的な繋がりを持つことが認められ、公式にリンクが接続される運びとなったわけだ。

 

「なこそー」

 

「あ、狐稲利ちゃん。そっちの準備はもういいの?」

 

「うんー、みんなが手伝ってくれたからー、もう大丈夫だよー!」

 

『狐稲利ちゃん!』『いきなり現れたからびっくりした!狐稲利ちゃんか』『鳥居を利用した犬守村のワープはいつみても慣れんなw』『なんだか不思議でおもしろいけどね』

 

「あっ! 狐稲利ちゃん!」

 

「コイナリちゃーん!!」

 

「狐稲利さん……写真いいかな?」

 

 突然現れた狐稲利に気付いた配信者が声を上げ、周りの配信者たちも次々に狐稲利へと駆け寄っていく。現在の狐稲利は楽な浴衣姿で髪にはわんこーろよりプレゼントされた髪飾りが光っている。シンプルながらも狐稲利が着ると"らしく"見える水色の浴衣を翻し、狐稲利はこちらへやってくる配信者たちへと大きく手を振って迎え入れる。

 誰も彼もが葦原町で出会ったことのある者たちばかりだが、やはり故郷で出会うとなると何処か嬉しさも込み上げてくる狐稲利は勢いのままに自身も駆け寄っていく。

「みんなー! 準備できたからいくよー!!」

 

 そうして修学旅行組は狐稲利の誘いのもと、鳥居を抜けて修学旅行先である火遊治へとむかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北守山地は大小さまざまな山が連なる険しい山地であるが、その中に特筆すべき二つの領域が存在している。東にある犬守村最大規模の神社である札置(ふだき)神社は山地の一割程度を占める広大な敷地のほとんどが瑞垣の迷路になっており、今年も現在進行形で写真展が開催されている。内部の空間は拡張されており、今では前年のV/L=Fの時と比べおよそ倍近くに広くなっている。もしも内部空間を拡張させていない場合、その敷地面積は北守山地の大半を飲み込むほどとなっており、V/L=F開催中の三日間すべてをかけても飾られている写真を全部見て回るのは難しいかもしれない。

 

 そして西に広がるのが、火遊治(ひゆじ)と呼ばれる活火山とそれに伴う温泉を利用した火遊治の温泉街だ。わんこーろが調整したことで数種類の源泉が入浴可能な範囲の温度でいくつも分布しており、大規模な温泉施設をいくつも抱える一大観光地として整備されている。

 

 といっても現在はまだ他空間との公式的なリンクが接続されていない。観光地として設定しているが今は修学旅行組だけの貸し切り状態だ。

 

「おお……でか。こんな建物見た事ないよ……!」

 

「なんだか不思議な匂いがする……海の匂いとは違うような……」

 

 現実に存在していたとある温泉地を参考にして創られた火遊治の温泉街は白い湯気があちこちから立ち昇りほのかに硫黄の匂いが漂う。湯気が肌に触れる感覚や硫黄の独特な香りを初めて体験した配信者たちの驚きと共に、目の前の巨大な建築物に思わず視線が上へと向いていく。

 

 わんこーろが移住者たちと共に制作した温泉街は基本的に和風な老舗旅館が立ち並ぶ風景となっており、いかにもな木造の建築物が軒を連ねている。その中でも最も大きい旅館が今回の修学旅行組が宿泊する場所だ。

 

「はいそれじゃあ順番に受付してもらうよー。五人部屋を用意しているので五人組を作ってもらいまーす。五人組はこちらで組ませて貰っているので心配ないですよー」 

「はーい!」

 

「五人組かぁ、仲良くなれるといいなあ」

 

『元気いいね』『小さい子はすぐに周りと仲良くなれるよなあ』『まるで孫を見ている気分になってくる……』

 

 修学旅行組が宿泊する旅館は古き良き木造建築の立派な老舗旅館という雰囲気を持ち、部屋も十分に備わっているものの基本的に家族連れなどの複数名を想定しての部屋が多い。そのため修学旅行組もそれぞれいくらかの組に分かれて一つの部屋に泊まる事になっている。今回は五人で一つの部屋を利用する事になる。

 

 なこその言葉に元気よく応える声や期待に胸を膨らませる声がある一方、絶望顔を晒す配信者たちがか細い声を漏らす。

 

「ご、ごっ……ごにん……?」

 

「あ、……あっ、あっ……」

 

「は、初めまして……」

 

「こ、こちらこそ……初めましてぇ……」

 

『陰キャしか居なくて草ぁ……』『がんばれ!がんばれ!』『事前に顔合わせとかしてなかったんか……』『コミュ障が事前に顔合わせとか出来るわけない説』『配信者なのに……』『い、行き当たりばったりも配信の華だから……』『これ大丈夫なのお?』

 

「あ? 大丈夫だっつーの。デケーやつはでかい部屋用意しておいたからよ」

 

『違うそうじゃない……』『コミュニケーション能力カンストしてるようなまーるちゃんには分かんねえんだ……』『どうして部屋割りをナートに任せなかったの!?』

「ナートちゃんに流れ弾飛ばさないでくださーい。ほらほら、こういうので仲良くなるのも大切だよー。そのためにほぼ面識のない人たちで五人組作ったんだから」

 

「鬼! 悪魔! なこそちゃんー!」

 

「なこちゃん酷いよ! これでコミュ障が酷くなったらどうするの!?」

 

「はいはい諦めてねー」

 

『これだけなこちゃんにモノ言えるなら仲良くなるくらい楽勝では?』『そんなわけないだろ!見ろよコミュ障メンバーの絶望した顔を!』『草』『みんないい表情するね~』『現実逃避している暇があるなら早く話しかけに言った方がいいぞ』『辛辣ぅ!!』『辛辣か?』『コミュ障には辛辣なんだよっ!!』『それでも声かけないと最悪五人組の中で自分だけハブられる可能性あるぞ』『ハブられるか、変に気を使われて距離取られる』『あ、ああ……!!(トラウマ発動)』『なこちゃんえげつないことするわw』

 

「ちょ、ちょっとなこちゃんこれ本当に大丈夫なのぅ?」

 

「大丈夫だいじょーぶ。ナートちゃんの不安は最もだけど、しっかりまとめ役を一組に一人は居るようにしておいたからさ」

 

「その人の心労が絶えなさそうなのですが……」

 

「本人たちには事前に連絡して了承貰ってるから大丈夫だって。それに……本当に人と交流する事が嫌なら配信者になってるはずがないでしょ?」

 

「それはそうだけどぅ……」

 

「ナートはほうりが心配なだけだろ」

 

「イナクプロジェクトの皆さんは進行役のFS(わたしたち)たちと違って皆バラバラになっていますからね」

 

「ったく、心配性な姉だよなぁ」

 

「そ、そんなんじゃないよぅ……あの子、初対面の人とは一定の距離を置くからさあ、それが心配なんだよぅ」

 

「むしろ逆だと思うけどなあ」

 

 今回の修学旅行は基本的にFSがスケジュールを管理する進行役となっている。そのためFSの五人だけはまとめて同じ部屋に泊まれるように手配されているが、それ以外の修学旅行参加者は出来るだけ交流の無い配信者同士の組み合わせになるようにしてある。これらの話は事前に説明されていたものの、まさかここまでバラバラにされるとは思っていなかっただろう配信者たちが悲鳴を上げているようだ。

 

 とはいえこれをチャンスと捉える配信者も多い……というよりそのように考えないとコミュ障を発揮して一言もしゃべれなくなってしまうからなのだが、とにかくまったく面識のない同業者と修学旅行を理由にして交流を持てるというのは自分から話をしに行くことが難しい内気な配信者にはありがたい仕様であった。

 

 ナートは妹であるほうりが初対面の配信者と上手く合わせられるかを心配しているようだが、むしろ心配なのはほうりと一緒になったメンバーの方ではないかと〇一は思っていた。ほうりはかの有名な粒子科学技研が擁する唯一の配信者グループ、イナクプロジェクト所属でありFSに次ぐ知名度を獲得している。グループの中でもほうりは塔の件で活躍したナートの妹であることが知られてからは抜きんでて名前が知られるようになり、配信者たちの中でも雲の上的な扱いをされている事もしばしば。

 

 幼い頃より両親からの英才教育を受けてきたほうりにとっては他者と交流する事など容易い事で、そんなほうりに周囲が気後れするのでは、と〇一は考えていた

 。

 だが、姉であるナートはそんなほうりの姿はあくまで外面を良く見せているだけであり、本質はもっと人懐こいのだと理解している。それ故に遠慮して同部屋の配信者と上手く付き合えないのではと感じていたのだ。

 

「大丈夫だって。あれから成長したのは私たちだけじゃないんだから」

 

 受付に並ぶ配信者たちを見つめながらなこそはナートと〇一へと笑みを向けた。並ぶ配信者たちは多少ぎこちないながらも互いにコミュニケーションを取ろうと四苦八苦している。思わず心配になってしまう光景に見えるが、何事も初めては上手くいかないものだ。徐々に慣れていって、それから友達になればいい。

 

 あれらは始まりの姿なのだ。そこに上手いも下手も関係なく、互いに距離を縮めようとする姿そのものが大切なのだと、なこそは笑んだまま小さく頷いた。

 

  

「みなさん受け付けは終わりましたか? 各自部屋に荷物を置いてもらい、18時まで自由時間になります。旅館の温泉はもちろんですが、温泉街にある温泉はどれも自由に入浴可能なのでぜひご利用ください。あ、夕飯は用意されているので食べ歩きされるならお腹いっぱいにならないようご注意ください」

 

 寝子が注意事項を言い終わるのと同時に五人組になった参加者たちがそれぞれに行動し始める。さっそく打ち解けて雑談しながら部屋に移動する組もあれば、まるで取引先との打ち合わせのようにかしこまった状態の組もあり、けれどもそれぞれが普段とは違う環境を楽しみにしているらしい事が分かる。

 

「ねえねえ、さっき受付で地図貰って来たよ! 皆で温泉まわろうよ!」

 

「おおナイス! んじゃまずは近くのから行くか?」

 

「えー! この振ってある番号通りに行った方がいいじゃん!」

 

「お土産コーナーってあるのかな……?」

 

「お土産買うのは早くないか?」

 

『温泉饅頭とかあるかな~?』『犬守羊羹とかもあったはず』『ああ、あの生徒会の冷蔵庫に貯蔵されているという』『観光地らしいからあるんじゃない?』

 

「お饅頭! かかお先輩が作ってるの見た事ある!」

 

「ちょっと探してみようか」

 

「私足湯ってのしてみたーい」

 

「浴衣の貸し出しとかもあるみたいよ? 地図に書いてある」

 

「まじ!?」

 

「狐稲利先輩と同じ柄のあるかなぁ」

 

 チームごとに散っていく配信者たち。その様子は各々の配信を通じて多くの視聴者へと届けられる。同じ土地であるはずなのに全く映り方の違う配信風景はその配信者が主役であるが故の違いであり、視聴者層の違いでもあるだろう。それでもすべての人間が、この火遊治の温泉街を楽しく目に焼き付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって修学旅行組が宿泊している旅館の調理場では多くの人間が忙しなく料理の準備を進めていた。腕っぷしに自身のありそうな男性陣が大物の魚を捌き、割烹着を着た女性陣が調理済みの料理を手際よく皿に持っていく。

 

 じゅうじゅうと何かを焼く音やコトコトと煮る音が聞こえ、それを眺めているわんこーろはその迫力に圧倒される。いままでも自身で料理を作ったり、葦原の調理室で料理系の部活が活動している様子を見た事があるがそれ以上の白熱した、まさに戦場とも言えるほどの熱量があった。

 

「わんこーろさん、先ほど料理長に確認を取りました。夕飯のほうは無事人数分用意出来るようです」

 

 そんな調理場の隅で邪魔にならないように尻尾を丸めているわんこーろは調理台に隠れてしまいそうなほどに小柄な存在だが、そこに居る誰もがその存在を認識しており、むしろそのせいでいくらか緊張している者たちも居る。そんな存在へとスタッフの一人が声をかけた。

 

 どうやらそのスタッフは所謂ホールスタッフのようで、慣れないながらも着物を着こなしている姿は長年接客業を熟してきた技術が見え隠れする。ベテランともいえるホールスタッフは今回の修学旅行の責任者の一人であるわんこーろに夕飯及び明日の食事に関しての話を報告しに来たようだ。

 

「ありがとうございます~。すみません全部任せてしまって~」

 

「いえ、謝っていただく事などありません。むしろ犬守村へと招待していただいて光栄なほどです。料理長もやりがいのある環境を揃えてもらえてとても感謝していると言っていましたよ」

 

「んふふ~、お料理~私も楽しみにしてますから~料理長さんにもよろしくお伝えください~」

 

「はいっ!」

 

 元気よく返事をするベテランスタッフに手を振り調理場を離れたわんこーろは次の現場へと速足で向かっていく。

 

 今回の修学旅行は数百名ほどの配信者が修学旅行参加者として犬守村へとやって来ているが、実はそれ以外の者たちも特別に犬守村へと招かれている。その人々というのはイベントを進めるに当たって必要な技能を持つ専門家たちの事だ。

 

 調理場を担当している料理人は現実世界で料理に関する研究やレシピのサルベージと再現を行っている人物であるし、先ほどのベテランスタッフは現実で企業のプロジェクトリーダーを努めていてこのテの人を動かす仕事を得意としている者だ。

 

 それ以外にも火遊治の温泉街を修学旅行組が楽しめるようにと様々な専門家、知識人が犬守村で仕事を熟している。

 

「んふふ~皆さん快く引き受けていただけて良かったです~。料理や接客などは何とかなりそうとは思っていましたけど~一番問題だった温泉関係の専門家の方があちらから声をかけてくださったのはありがたかったですね~」

 

 わんこーろの犬守村開拓配信は数えきれないほどの人々が視聴し、それは塔の開放騒動後さらに急増した。これまでヴァーチャル配信者に興味もなかった層もわんこーろから配信を見始めるなんてこともあり、その中には現実世界で汚染されていない源泉を捜索し、温泉事業を行う民間企業もある。それらの企業は特別に貸し出されたNDSによって温泉の専門家として犬守村へとやってきている。

 

 なお、この専門家たちの中には修学旅行組になれなかった葦原の配信者もいくらか組み込まれている。修学旅行組のように丸々二日間犬守村に居るわけでも無いのでNDSによる負荷はそこまでではなく、どうせならば犬守村の雰囲気を味わってほしいという配慮からだった。

 

「あっ!! わんこーろさーん!!」

 

「わんころちゃん一緒に写真撮ってくださーい!」

 

「わんこーろ先輩この後どこに行かれるのですか?」

 

「一緒にまわろーよ!」

 

「わんころちゃーん」

 

「わんこーろ先輩ー」

 

「んふふ~」

 

 旅館の外では修学旅行組が浴衣姿で観光を楽しんでいる。下駄のカランコロンという小気味いい音色と湯の流れる音が穏やかな空気と湯気に溶け、糸のように流れて繋がる硫黄の匂いに釣られ、温泉へと誘われていく。

 

 初めて温泉に入り、作法の分からない者には熟知した専門のスタッフが丁寧に説明をして、お土産屋の店頭にはその手の店で働いていた事のある人物がおススメの土産物についての説明を熱心に繰り広げている。

 

 そんな人々の喧騒と湯気のけむりの間を通り抜け、わんこーろは身を翻し次の場所へと急いでいく。もちろん声をかけられれば元気に手を振り、写真を求められれば応じる。このイベントは彼ら彼女らに楽しんでもらうためのイベントなのだから。

 

「んふふ~皆さん楽しそうに観光されているみたいですね~。よかったです~」

 

 犬守村に到着してから火遊治の旅館に到着するまでそれなりに歩いて来たはずの修学旅行組はそんな疲れなど無かったかのようにはしゃぎまわっている。きっと、暖かい温泉に入ってリラックスしたならば直ぐに眠気が襲ってきて今夜はぐっすり気持ちよく眠る事だろう。

 

 いや、もしかしたら配信者という想像以上にタフな彼ら彼女らは、夜通し配信しながら視聴者と語り合うかもしれない。

 

「まあ、NDSの連続使用の関係で無理やりにでも眠っていただきますけど~」

 

 修学旅行はまだ始まったばかり。そう急がなくとも大丈夫。

 

 火遊治の温泉街が創られてから初めての観光地らしい賑わいを感じながらわんこーろは楽しそうに人ごみの中へと紛れていった。

 

 

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