転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
犬守村の北西に存在する火遊治の火山地帯は現在の犬守村の姿が形成されるまでの、おおよそ後半期に創られた土地である。北方の山地を最後にして犬守村では以降大規模な土地開拓は行われていない。
これは単純に塔のゴタゴタによってわんこーろが多忙になった事と、葦原を含めた幾つものV+R=W拠点と繋がりを持つための準備と調整のためで、わんこーろ本人としては移住者の要望に応えながら今後も土地の開拓とアップデートは継続していくという旨を配信で発言している。
さて、そんな犬守村黎明期最後の開拓地である北守山地の火遊治はわんこーろが犬守村の観光地として開拓をはじめ、生み出した土地である。わんこーろたちが暮らすだけならば観光地など不必要で見た目だけの実装に留めそうなところだが、旅館や土産物屋などは内装までしっかりと作り込んでいる。それを見ればわんこーろが将来的に火遊治へと人を招く想定をしていたというのが分かるだろう。
つまりは犬守村がある程度の形になった段階で他の仮想空間との繋がりを持たせる予定をしていたのだ。それが実現出来るかどうかは置いておいて、わんこーろは外部との繋がりを求めていた訳だ。
そんな無意識的な想いはFSや葦原の存在によって成就され、想いに後押しされるようにわんこーろは現在、暖かなつながりの中で人と心を通わせる大切さを再認識していた。
……真っ裸で。
「ん、んうぅ~~わ、わちるさん~~……なんだか手つきがおかしくないです~~?」
「そんなことありませんよ? わんこーろさんの大切な大切なしっぽを洗うのに、そんな不埒な思考をするわけないじゃないですか」
「あ、そう、ですか~~……」
現在わんこーろとわちるは二人っきりでとある火遊治の温泉を楽しんでいた。時刻は日付が変わってすこし経過したあたりの深夜帯。外出は禁止されているがまだまだ元気な修学旅行生が旅館で配信したり持ち込んだボードゲームやカードゲームで突発ゲーム大会でも開催している頃だろう。
狐稲利とニコは明日の夏祭りに関してFSや室長たちと共に話し合いをしている。そもそもお祭りの出店を修学旅行組に任せるという話は狐稲利とニコが提案したものであり、わんこーろはそれらの内容を聞き了承しただけなのでこのイベントに関してわんこーろはほとんど手を出していない。
FSも多忙ではあるものの、ここからは基本的に配信者たちが独自に夏祭りを構築していく時間になる。進行役としてFSが配信者たちの先頭に立つ時間は終わり、配信者全員が並んで組み立てていくコラボ配信が始まる。そういった意味では進行役としてのFSの仕事は終わり、わちるもひと段落したと言える。
つまり、わんこーろとわちるの二人は多少時間の余裕が生まれたわけだ。
「ふふ、わんこーろさんのしっぽ……昔と全然変わらないですね。とっても柔らかくて、太くて、おっきくて……」
「わ、わちるさん~……?」
「なんですかわんこーろさん?」
余裕の出来たわちるは同じく余裕の出来たわんこーろを誘って温泉へと入る事にした。今回のイベント以外では火遊治の温泉街は無人の観光地である。温泉だけを楽しむなら問題ないが、それでは少し寂しいと二人ともそこまで温泉設備を利用していなかった。
なので二人が温泉へと入るのは冬に入った時ぶり。犬守神社のお風呂を使うときでも一人ずつの入浴だったので一緒に入るのもかなり久しぶりな事だ。そのせいか、わちるの視線が何故か鋭い。熱を帯びているという表現よりも鋭いと言った方が適切と思えるほどの眼力。尻尾で裸体を隠しているわんこーろの姿にかつてのわちるならば……それはもうとんでもない事になっていただろう。少なくとも今のように冷静な声音を維持出来るようなメンタルではなかったはずだ。
それがどういう事だろうか。現在のわちるは穏やかな声と雰囲気。わんこーろの尻尾を洗う手つきにためらいは無く、圧倒的な余裕がうかがえる。それがわんこーろには圧のように感じられ、恐れさえも抱かせるほどのプレッシャーに見えた。一体これから自分はどうなってしまうのかという、圧倒的な威圧感。
「わちるさん~、あの、もう尻尾はいいので~……あとは自分で洗いますので~」
「駄目ですよっ!!!」
「ぴ!?」
「いいですかわんこーろさん! 動物にとって尻尾とはとっても重要な器官なんですよ!尻尾は動物の体の重心をとるためのバランサーとしての役割があり、場合によってはしっぽを器用に使う、手の役割を担うなんてことも少なくありません! 何より感情によってぶんぶん振り回される尻尾の愛らしさは何物にも代えがたいところがあるわけですよ! あといい匂いがする! とにかく尻尾というのはメンテナンスを怠ってはいけないのですっ!!」
「メンテて……あといい匂いて……」
先ほどまでの冷静な姿は単純に我慢していただけなのか、というわんこーろの呆れた心境を放置したままわちるのしっぽ愛は止まらない。いや、尻尾というよりもわんこーろ愛なのかもしれない。尻尾の機能などを饒舌に説明しているのもただ感情の高ぶりをごまかすだけなのかもしれない。とはいえ既に爆発しているわちるの姿にわんこーろは引き気味にツッコミを入れるしかない。
「尻尾は体の一部! つまり体全体はしっぽと言っても過言ではありません! なので私が体の隅々まで──」
「過言に決まってるでしょ~~!!」
さすがに許されなかった。
「わんこーろさん。あそこの温泉よかったですね。皆さんに人気だったのも頷けます」
「乳白色のにごり湯でしたね~、お湯がトロっとしていて気持ちがよかったです~」
「あれは家では再現出来なさそうです」
「そうでもありませんよ~。入浴剤というのもありますし~。今なら現実でも販売され始めているのではないでしょうか~」
日付が変わって一時間程度経過した頃、二人はそろそろ温泉巡りを切り上げて宿泊先の旅館に戻ろうと温泉街を歩いていた。辺りは温泉の湯気が立ち昇り、闇夜を照らす街灯の光がぼんやりと湯畑を映し出していた。
辺りは二人の下駄の音と湯が流れる音だけが聞こえるかと思いきや、今回に限ってはそうではない。配信者たちが宿泊している旅館の近くまで来ると中からわずかに騒がしい声が漏れてくる。
「たこ焼きの鉄板てこんな重いの!? 会場まで運べるか心配なんだけど!?」
「そんときゃ拡張領域に放り込んどきゃいいって。それよりもタコだよタコ! 誰か釣り方知ってる人いる? てか捌き方も調べねーと!」
「クジ引きの商品目途がついたよぅ! 美術部が協力してくれるって!」
「え? こっちは漫画部が協力って……」
「ま、マジ? 確か美術部と漫画部って仲悪いんじゃ……」
「射的の銃……こんなもんでどうかな……」
「どれどれ……って、なんでマシンガン!?」
「型抜きのコレって……何? ガム? ラムネ菓子?」
「あ、意外と美味しい……」
「ねーねーこのスーパーボールすくいっての気になるんだけど!」
「お前ら静かにせんか! 消灯時間はとっくに過ぎてるぞ!」
明日のお祭りについての話し合いはまだまだ続くだろう。そう思えるほどの熱量が伝わってくる。かと思えば白熱したボードゲーム大会の様子が聞こえてきたり、そんな騒がしさにブチキレた室長たち引率先生組が部屋に突撃したりとなかなかの混沌具合を見せているらしかった。
「ふふ、皆さん楽しそうですね」
「そう思っていただけているならよかったです~」
室長たちの怒声が聞こえた後はしばらく静かになるが徐々に声が大きくなり元に戻り、室長が再び登場するというのが繰り返される。そんな微笑ましい声を背景にして二人は硫黄の香る温泉街の道をゆらゆら歩いていく。
「……ねえ、わんこーろさん」
「なんです~?」
「帰ってきてくださって、本当にありがとうございます」
「わちるさん~?」
突然のわちるの言葉にわんこーろはどうしたのかとわちるの名前を呼ぶ。何処か寂しそうに微笑むわちるは、そんなわんこーろの手を掴んで先を行く。恥ずかしさで顔を見られないように前を歩くわちるは言葉を続ける。
「わんこーろさんが帰ってきてくれた時、私本当に嬉しかったんです。……でも、少し不安にも思っていました」
わんこーろはあらゆる意味で人類には早すぎる存在だ。未だ人は争いを止められず、些事が大きな争いへと発展する事も少なくない。人は人とのわだかまりを解消する
現在では多くの人間がわんこーろの素性や性格を知り、人類に友好的な存在として認知しているが、もしも敵対的……あるいは情報不足によって正体不明な存在として人類の前に現れたのならば、わんこーろが今のように受け入れられる事は永遠に無かっただろう。
わんこーろの存在を否定する者が、もしかしたら肯定する者よりも多い、そんな未来もあったかもしれない。わちるはわんこーろの帰還によってそのような未来が訪れるかもしれないと危惧していたのだ。
「んふふ~もしかしたら、そうなっていたのかもしれませんね~。私が未知のおそろし~存在で~、塔でなにか怪しい事をしていた~。なんて事になっていたかもしれません~……でも」
でも、そうはならなかった。
何が正しいのかも分からないような混乱の
でも、そうはならなかったのだ。
「み~んな、わちるさんやFSのみなさん、配信者の方々のおかげなんですよ~?」
人は自身の目で見たものを信じる。ネットに書き込まれている情報が真偽問わず多くの人に信じられてしまうのは、自身の手で調べて手に入れた情報だからだ。例え発信者が意図して発信した情報であっても、それは多くの人々が自身の意思で手に入れた情報として認識し支持される。だが、それらの与えられる情報は多ければ多いほどに受信者へ疑問を抱かせる。
一文だけのネットの書き込みよりも、動画による情報の方が与えられる情報は多いが、故に膨大な情報の中に含まれる疑惑を多くの人が指摘する。
偽物の情報ほど与えられるものは少なく、真実の情報ほど与えられるものは多い。あるいは、情報の多少によって人が真偽を見極める難易度が低下する。
そういった点では、生配信による事件の全容を全世界に配信するというあの時の行動は、あらゆるデマやフェイクを吹き飛ばすほどの真実味があった。この世界最大級の国家の発言さえも霞むほどに。
「私がこうやっていられるのも~わちるさんのおかげといっても過言ではありませんよ~」
「ふふ……、今度は過言じゃないんですね」
「む~そんな事言って~。もう一緒にお風呂入りませんよ~?」
「ああっ!? ごめんなさい!!」
怒っている風に唇を尖らせるわんこーろの姿を、可愛らしいものを見る目で捉えながらも慌てて謝罪の言葉をつぶやくわちる。そのまま騒がしい旅館の中へと入っていくのだが、そんな二人の頭に何やら柔らかいものがクリーンヒット。
「わぷっ!?」
「わわっ!?」
ぼふっ、という軽い音と共に二人に直撃したのは旅館の枕だった。白い枕カバーが取り付けられた、少し固めな旅館の枕は重力にしたがって二人の足元に落ちる。だが、次の瞬間には新たな枕がわんこーろの頭上を通過し、わちるの顔面に吸い込まれる。
「わちる先輩!?」
「わんころちゃんも!」
驚く声が聞こえ、そちらに視線を向けると数名の配信者が枕片手にこちらへと手を伸ばしていた。
「二人とも、早くこっちに!」
布団やら座布団やらを積み上げて作られたバリケードの中へと引き込まれた二人。その直後に幾つもの枕がバリケードへと直撃していく。幸いにも積み上げられた布団は旅館の自慢の一品、羽毛百パーセント仕様のふんわか布団だったので衝撃はほとんど吸収されたようだ。
「くっ、攻撃が激しい……!」
「
「遠方からの狙撃警戒!」
「
まさしく戦場の様相を見せる空間にわんこーろは恐る恐る近くにいた配信者に何事かと説明を求める。
「あ、あの~これは一体……」
「ええとね、……実は明日のお祭りでクジ引き景品を絵にしようって、生徒会のみんなが……」
「その絵の依頼を美術部とマンシ部の両方に依頼しちまって、双方にそれがバレちまったんだ」
「マンシ部……?」
「現代漫画復興支援部、通称マンシ部。もしくは漫画部」
「なるほど~……」
未だ振り続ける枕の雨あられ。着弾した枕をこちらが投げ返し、それがまた投げ返されるので延々と枕が宙を舞っている。固めの枕とはいえ枕である事に違いは無く、体に当たっても痛くはない。だが既に旅館の廊下は横たわる配信者たちがちらほら見られ、あちらこちらに築かれたバリケードや砦では今も攻城戦が実行されている。
この状況を生み出したとされるマンシ部と美術部。この二つの部活は設立当時から何かと競い合うところがあった。作品発表の日を同じにしたり、アート作品のイベントでは優勝と準優勝を交互に受賞する、そんな関係だ。とはいえ部長同士は同じアーティストとして仲間意識があるらしく、炎上まったなしな問題を発生させた事は無い。
この争いはさながらキノコとタケノコのような、互いが互いに理解しているからこそ起こる"いつものこと"、それが二つの部活の関係なのだ。
しかし旅先の旅館、それも夜遅い時間というテンションの上がるシチュエーションは部員たちを白熱させるには十分すぎた。
「部長! 部長ってば! 早くなんとかしてくださいってば!」
「なんでじゃあ!? わしなにも悪くないもん! というかわし関与してないもん!」
「部の長として事態を収める必要があるでしょって言ってるんです! ほら! 早くペン置いてください!!」
「嫌じゃあ!! ここで描かねば三日目に間に合わんのじゃあ! コンビニの印刷機を使わんといかんようになるのじゃあ!!」
「知りませんよそんなの!? あれだけ進捗どうですか? って聞いていたじゃないですか!」
「そんな呪いの言葉聞いてるわけないのじゃあ!」
「逆切れしてんじゃないっスよ!」
布団の中に隠れて原稿にペンを走らせるマンシ部の部長イナクは涙目になりながらも副部長の鬼のような形相に必死で弁明する。そもそも今回の枕投げ大戦はテンションの上がった部員たちが勝手に勃発させただけであり、イナクは完全な巻き添えなのだ。
夜の旅館で静かに執筆作業、という全世界の絵描き文字書きの理想が実現したことに嬉しさをかみしめて原稿を完成させようとしていたイナクは現在、戦地に放り込まれたただの一般人になり下がっている。あれでは両陣営を鎮める事はできないだろう。
なお、美術部の部長は既に寝ているので期待はできない。
「ええと、どうしますわんこーろさん」
「ん~……。まあ、これも修学旅行の醍醐味というやつですかね~。行きますよ~わちるさん~!!」
「え、え、ええーー!!」
突如両陣営がにらみ合う戦地へと舞い降りたわんこーろ。その両手にはいつの間にやら枕が握られている。さらにはくるりと巻いたしっぽには追加で二つほど枕が固定されている。
飛び出してきたわんこーろの姿を認識するよりも早く両陣営へより飛来する枕たち。だがわんこーろは両手に持った枕でそれらを空中で撃墜。新たに枕がストックされる。
その様子を見ていたバリケードの向こうの配信者たちは一瞬言葉を失い、そして悲鳴を上げた。
「げぇ!? わんこーろ! へぶぅ!?」
わんこーろが軽く投げた枕はふわふわな布団のバリケードを容易く吹き飛ばし、その向こうにいる配信者へと直撃した。布団をあっけなく吹き飛ばしたはずなのに配信者へと当たる時には軽いぽふ、という音しかしなかったところを見るに、なにやら破壊力が弄られているようだが、そんな事を気にしていられる余裕は無い。
「押さえろ押さえろ!」
「ちょ、両陣営攻撃してっぞ!」
「第三勢力キタコレ!!」
「どっちかって言うとレイドボスー!!」
「言ってる場合かー!」
わんこーろへと投げられる枕は簡単に受け止められ、数倍のスピードと破壊力を伴い投げ返される。バリケードは悉く破壊され、進撃するわんこーろを止められるものは今のところいない。
「んふふ~! あはは~!」
「狂気! 笑うわんこーろ!」
「ひいいいぃ! 痛くないのに衝撃がすごっ──」
次々に倒れていく者たち……正確には寝落ちしている者たちをそれぞれの部屋へと運ぶ班のメンバー。積極的に戦いを煽っていた者たちは室長のお説教部屋へ連行されていく。
「楽しいですね~~わちるさん~~!」
一瞬の狂気をにじませたとんでもなく可愛いわんこーろの微笑みは配信者のみならず、この光景を視聴していた視聴者まで何かゾクリとさせる魅力があった。いつもののほほんとした子犬のような笑みとは異なる、獲物を追い詰める獣のような眼光。それでいて姿はいつもの優し気で可愛らしいものだから、そのギャップに全員がどうすればいいのか混乱状態だ。
「お願いですわちる先輩! 貴方だけが頼りです!」
「わんこーろさんを止められるのは貴女だけだ!」
「んぅ……んな暴走した親友を止める主人込みたいな……早く寝たい……」
そんなわんこーろを止めてほしいと美術部部員らしい数名がわちるへと縋りつくが、わちるは冷たく微笑み、手に持った枕を相手のこめかみに当てる。
そして、
「私だって、負けませんよわんこーろさんっ!」
「あ、ダメだこっちもバーサーカーだった!」
「退避退避ー!」
結局、深夜の大枕投げ大戦は室長を含めた大人組によって鎮圧され、残っていた者たちはもれなく数十分の正座と"お小言"を貰う事になった。その中には室長にやりすぎだと怒られたわんこーろとわちるも含まれており、どちらも何故か楽しそうに微笑み合っていたのだとか。