転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
蝉の声が忙しなく聞こえる犬守村。じわりとした熱い空気の中、一生懸命にその声を響かせています。
それは蝉だけでなく様々な虫や、あるいは蛙など、さらには木々の葉擦れの音や風そのものの吹く音。
犬守村には今様々な命の音が聞こえるようになりました。
「暑いですね~、ようやくここまで開拓できたんですね~」
思わず独り言が漏れてしまいます。家の縁側から見える光景はかつて私がこの世界に生まれる前に、僅かに記憶に残っているものとそん色のないものです。
違いがあるとすれば、この空間は現実ではなく、そして現実には既にこんな光景は存在しないということでしょうか。
眼前に存在する畑には青々とした野菜が顔をのぞかせ、視線を少し上げると開けた空間に水田が見え、その先には河をまたいでけものの山が見えます。
既に昼をとうに過ぎ、もうそろそろ暗くなろうかという時間。私はそんな光景を静かに見つめていました。なんでしょう、黄昏ている、というのでしょうか。自分の創った世界なのに、まるで昔から住んでいたような、そんな感情がこみ上げてきます。
「……もうそろそろ狐稲利さんを迎えに行かないと~」
私は立ち上がり、畑のある庭から外へと歩いて行きます。今日はわちるさんの所属するFSさんでなにやら最新機器を用いた配信を行うらしいのです。詳しい内容は配信直前に公開するらしいので、私も詳しくは知らないのですがどうやらわちるさんとわちるさんの先輩であるなこそさんが一緒に配信されるとのことで、出来ればそちらを視聴したいと思っているのです。
なのでその前に狐稲利さんを確保しなければ!
狐稲利さんはこの時間になっても例のタヌキとけものの山を遊び回っているようです。自分の創った存在に特別の愛着を持っているのか、飽きることなく一日中そうやって野山を駆け回っている姿をよく見ます。
タヌキもまるで狐稲利さんを主人と認識しているかのように付き従っています。
狐稲利さんにとっては私以外の、初めて触れ合うことが出来る存在に人一倍の愛着を持っていても仕方がないというものでしょう。
「暗くなる前に迎えに行きましょ~か。えーと、狐稲利さんの位置は~」
いつものように私と狐稲利さんとの
この村だけでなく、たとえネットの海に潜っていたとしても狐稲利さんを探すことができます。
「ん~と、……ん?」
すぐにつながりによって狐稲利さんの位置は割り出され、どこにいるのかを知ることが出来ました。ですが、どうもいつもと様子が違います。
狐稲利さんの居場所はいつもばらばらでいろんなところを歩き回っています。あっちへふらふらこっちへふらふら、様々なものをゆっくりと時間をかけて観察するのが狐稲利さんの日課なのです。
ですが、今日の狐稲利さんはそうではありませんでした。
此処、つまり私と狐稲利さんの家へとまっすぐ帰ってきているようでした。それだけならば珍しいことではありますが、おかしいと感じるようなことでもありません。何時までに帰ってきて、と言っているわけではないので散策に満足したら帰ってくる狐稲利さんを、ちょうど私が見つけることも時々あります。
ですが、今日の狐稲利さんからは今まで感じたことのない感情が、つながりを通じて私に流れ込んできました。
それは焦燥、恐怖、あるいは……悲痛
狐稲利さんはかなり焦った様子でこちらへと走ってきます。ついにつながりがなくても視認することが出来る距離まで狐稲利さんが帰ってきたところで、私は彼女のそのごちゃまぜになった暗い感情の正体を理解しました。
「狐稲利さん!……これは……」
「…!!……!……」
実際にこの目で見た狐稲利さんは予想以上にひどい姿をしていました。
泣きはらして真っ赤になった目からとめどなく涙が溢れ、走ってきたせいか息を切らしながらもその口元は震えています。顔も服も泥だらけになり、そして何かを抱えている両手は――
真っ赤に染まっていました。
「狐稲利さんっ!?……怪我を!?」
一瞬その姿から転んで怪我をしたのかと考えましたが、狐稲利さんが抱きかかえる"もの"を覗き込み、そうではないと理解できました。
狐稲利さんが抱えていたのは、タヌキでした。
彼女といつも一緒にいた、狐稲利さんが初めて創り出した動物であり、狐稲利さんにいたく懐いていた、あのタヌキでした。
そのタヌキが今、狐稲利さんの腕の中で血まみれでいます。
「っ!、っ!!」
狐稲利さんはめいっぱい涙を溢れさせ、そのタヌキを私の目の前に差し出し、訴えかけてきます。
「……狐稲利さん……」
「っ!!!!」
悲痛な顔のまま、狐稲利さんは私へと必死に訴えます。それがつながりを通じて痛いほど伝わってきます。タヌキの様子を確認すると、その姿はひどいものでした。足があらぬ方向へと曲がり、その柔らかな毛皮からは赤黒い血が流れ落ちています。
「…………」
恐らく、足を滑らせてどこかから落ちたのでしょう。けものの山は激しい起伏のある場所や岩々のむき出しになった場所も存在していますから、そこに運悪く体を打ち付け、このような惨状になったのかもしれません。あるいは同じく泥だらけな狐稲利さんの姿から、滑落しそうになった狐稲利さんを助けようとしたのか……。
「っ!!……!!」
狐稲利さんが私の元へと急いで帰ってきたのは恐らくこの子の治療を私にお願いしたかったからなのでしょう。私の電子生命体としての能力があればタヌキの傷、というか3Dモデルの損傷個所を修復することは可能です。それこそ、怪我を負う以前の状態にロールバックすることさえできます。
野生動物が自然の中で怪我を負うのは仕方がない事で、そんな仕方がない事も再現しているこの空間で好き勝手にデータを改変していいのか?なんて言われてしまうかもしれませんが、それに関して私は明確な答えを出すことは出来ません。
自然を再現なんて言って、自分の好きなように弄っているじゃないかと言われればそうかもしれませんし、人が傷ついた野生動物を保護するのと同じじゃないの?と反論することもできます。
結局その時の状況や、それ以外の要因によって行動は変わっていくのでしょう。今回であればその要因とは、タヌキの傷を治してほしいという狐稲利さんの強い願い、なのでしょう。
「……狐稲利さん」
だから、私は狐稲利さんの願いを聞き届け、タヌキの傷を治し昨日までのように元気に狐稲利さんと遊び回るようにしてあげたい。
ですが、私はそれをすることが出来ません。
「狐稲利さん」
なぜなら、そのタヌキの体は既に冷たくなっていたからです。
タヌキの亡骸を胸に抱き、泥と血にまみれた狐稲利さんは必死に私へと伝えます。"この子を助けてほしい"と、ですが私にはどうすることも出来ません。
やろうと思えばできないわけではありません。その肉体を修復し、再度御霊降ろしを行えばかつてのように動き出すことでしょう。
ですが、それはしてはいけないことなのです。
「狐稲利さん……この子はもう……残念だけど……」
「っ!……!」
私の言葉を聞きたくないとばかりに首を横に振り、うつむく狐稲利さん。
大切で、愛おしくて、ずっと自分のそばにいてくれるはずの存在の、死。それを受け入れられないのでしょう。
いまだタヌキを私の前に差し出し続ける狐稲利さんに静かに、優しく語り掛けます。
「狐稲利さん……命っていうのはね、
だから、"生き返らせる"なんてことをしてはいけない。必死に生きている子たちから死を取り上げたら、きっとこの子たちは"生きること"を忘れてしまうだろうから。
生きることの大切さを亡くしてしまうだろうから。
死なないから何をしてもいいんだと考えるようになってしまうから。
それは、
「私たちが、自由にしていいことじゃないの……」
血で塗れ、震えているその手に触れると狐稲利さんはその亡骸をより一層強く抱きしめ、うつむいてしまいます。
「………が、……い」
「!狐稲利さん、あなた……」
「おね、が……おかーさ……。おねが…い…、おかーさ……!」
涙で震えていて、しっかりと発音できずぼろぼろですが、その声は紛れもなく狐稲利さんから発せられています。
透き通るように優しく響くその声は狐稲利さんの声です。
「狐稲利さん……声が……」
「おねが…、おかーさ……。おねが……い」
ただひたすら私に願う狐稲利さん。ですが、それでも……。
「もう、この子を休ませてあげましょう……?」
狐稲利さんの親として、それを教えてあげないといけない。
「っ、…………らい」
「狐稲利さん……?」
「おかーさ、きらい、……おかーさ、きらい!!」
瞬間、空間全体がとてつもない衝撃を受けたかのように揺れ動きました。まるで地震が起こったかのように感じたそれは恐らく本当にこの空間を揺らしたわけでなく、私がそのように感じてしまうほどの情報の流動を感じたためでしょう。それと同時に狐稲利さんに触れている指先からとてつもない違和感が浸食してきます。私の体を構成する情報群がバラバラに分解されるような、ありえないような違和感。
「うっ!、んっ……!こ、狐稲利さ――」
その浸食は驚くべきスピードで私の体全体を汚染しようとしますが、それよりも早く私は浸食状況を解析し、対抗処置を実行。破損した情報群を速やかに復元しながら浸食を阻止し、消去します。
「狐稲利さん……?、狐稲利さん……!!」
そして、ようやく違和感が治まった時に、狐稲利さんの姿はどこにもありませんでした。
狐稲利さんとのリンクが切れている。そのことに気が付いたのはいなくなった狐稲利さんを探そうとした時です。決して途切れるはずのない狐稲利さんとのリンクが切れたことに私はかなり焦りました。
ですが、その原因はすぐに判明しました。
先ほどの私の体を浸食する何か。あれは狐稲利さんによるものだったのでしょう。決して私を攻撃しようとしたものでなく、激しい感情の発露が彼女の持つ能力を暴走させてしまったのではないかと思います。
狐稲利さんは私を基にして創られた存在です。知識量では劣るもののそれ以外の能力では私と同等です。その気になれば、かつ私が抵抗しなければ私の体へ侵入し、リンクを一方的に切断する事も不可能ではありません。
……狐稲利さんの拒絶の言葉、それが無意識に私とのつながりを拒絶したのかもしれません。
「狐稲利さん……!、どこ?どこにいるの……?」
狐稲利さんとのリンクが切れた以上正確な位置を特定することは出来ません。この広い空間をくまなく探し回るしかありません。
私はとにかく狐稲利さんが行きそうな場所から探していくことにしました。
あのタヌキを生み出したけものの山。一緒に遊んだ犬守山、わたつみ平原。それ以外の様々な場所を自分の足で探していきました。
けれど見つかりません。どれだけ探しても、どれだけ名前を呼んでも、彼女は私の前に姿を現してはくれません。
「狐稲利さん……ごめんなさい……」
さんざん探し回った後、私は自分の家に帰ってきました。
そうです。いろんなところをくまなく探したと思っていたけど、狐稲利さんを探しに飛び出したきり、ここを探していませんでした。
既に日が沈み始め、あたりは薄暗くなり始めています。蝉は相変わらず鳴き、蛙のがあがあという声が嫌に耳につきます。生ぬるい風が私の汗で濡れた肌を撫でる気持ち悪さはまるで今の私の心の内を現しているように感じてしまいます。
「……!狐稲利、さん……」
そして狐稲利さんはそこにいました。家の裏の人目につかない場所、とある木の下で膝を抱えるようにして座り込んでいる彼女はこちらを背にして地面の"なにか"を見つめているようでした。
「…………」
私は無言のまま、拡張空間に保管していた裁ち取り鋏を、ためらいながら手にします。
……自分でも分かるくらい鋏を取る手が震えてます。呼吸だって、こんなにも乱れているのは狐稲利さんを見つけるために走り回ったのが唯一の原因というわけではないでしょう。
狐稲利さんは私へとタヌキの蘇生を願いました。そしてそれを拒絶された。ならば次に狐稲利さんはどうしようと考えるだろうか。
狐稲利さんは私と同等の能力を持っています。3Dモデルを作ることも、魂を創ることだって可能でしょう。それならば、例のタヌキを蘇生することも可能ではないか。
親しき人、愛おしい人、そんな人が亡くなった時に誰しも考えた事があるのではないでしょうか。
"もしこの人を生き返らせることができるなら"
現実には亡くなった方を生き返らせる方法なんてありません。残された者が出来ることはその人のためにたくさん悲しんで、そのあとに悼むことだけです。
ですが、今の狐稲利さんには蘇生させるだけの能力があります。
狐稲利さんが見つめる先にある"なにか"。
それはもしかして……。
「狐稲利さん………」
話しかけても狐稲利さんから返事はありません。ただじっとなにかを見ています。私は3Dモデルの情報をすべて初期化する能力を持つ"裁ち取り鋏"を持つ手に力を入れます。
……これは私がしなければいけないことなのです。命を好き勝手にしてはいけない。それを私は彼女を創るときに決めたのです。本来死んでいるはずの命を他者が自身の身勝手で甦らせてはいけないのです。
それは亡くなった者への冒涜でしかありません。
狐稲利さんの背後からゆっくりと近づいていきます。徐々に狐稲利さんが見つめているなにかが私の視界へと映り込んできます。
「……えっ」
そして、そのなにかを完全に視界に収めた時、私は思わず鋏を手から滑り落としてしまいました。
狐稲利さんが腰を下ろし、木の根元で見つめていたなにか、それは……。
それは小さな盛り土でした。盛られた土の上にはこぶしほどの大きさの石が置かれています。無骨ながら丁寧に作られたそれはまさしく――――
お墓、でした。
「……おかーさ……」
「狐稲利さん……」
こちらを向いた狐稲利さんはいまだに涙に濡れていて、悲しそうな顔であることに変わりはありません。
それでも、それでも私に向けて何とか笑おうと、震える口元を上げようとしてくれています。いつも私に向けてくれているような嬉しそうな顔をしようと頑張っているようで……。
「おかーさ……ごめ、なさ……おかーさ、きらい…うそ……おかーさ、すき。だい、すき……」
もう私は何も考えることが出来ませんでした。その狐稲利さんの言葉を聞いた直後、私は狐稲利さんを抱きしめていました。
強く、強く。彼女のその思いに応えるように。
ああ……なにが教えてあげないといけない、だ。彼女はちゃんと分かっていた。ちゃんと理解していた。
死というものを。
命というものを。
彼女はすべて承知していた。だからこそ、その子を埋葬し、弔い、死を悼むことができた。
私はまだ狐稲利さんのことをどこかただのAIのようなものと考えていたのかもしれません。電子生命体である私が創りだした高性能のAIだと。
ですがそれは大きな間違いでした。彼女は自我があり、私をおかーさんと慕ってくれる。触れ合えば最初は驚くけれど、優しく受け入れ、幸せそうに笑ってくれて、死んだ者を偲び、涙することができる。
この子は、生きているんだ。
「おかーさ、ごめ、なさ……ごめ、なさ……!」
「大丈夫です!、大丈夫ですよ狐稲利さん。もう
「うっううううう…………!」
いろんな感情がどっと溢れだしたように、狐稲利さんは私の腕の中で大きな声で泣き始めます。
「大丈夫ですよ~今はいっぱい泣いてください」
めいっぱい泣いてください狐稲利さん。それが今のあなたに一番大事なことです。