転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
数百年ほど前より始まり、二十年ほど前に崩壊した究極で狂気的な効率至上主義は世界からあらゆる非効率なものを消し去った。
それには人が古来より脈々と受け継いできた文化、伝統、風習といったものも含まれていた。
確かに人類はかつてより人口を増やし、貧富の差も縮まりすべての人間が幸せを享受していた。
だが、それは一時的な幸せに過ぎなかった。
温故知新、故きを温ね新しきを知る。
人はいつも過去の歴史より学び、発展してきた。過去があるからこそ今より発展することが出来ていた。
だが、過去の人間の生み出したほとんどを捨てた今の人類は徐々にその発展速度を緩やかなものにしていた。
発展ができないということはつまり停滞していることであり、前に進めなくなったということだ。
完全な停滞はつまり、人類の衰退を意味している。
近い将来、人類は自らの愚行によって滅亡するだろう。
それを阻止するために組織されたのが『文化復興省』と呼ばれる機関だ。
かつて存在していた文化、伝統、風習のすべてをデータの海からサルベージしようという考えの下設立されたこの機関。
その役割はそれこそ人類の存亡がかかっているといってもいいほど重要なのだが、設立した政府の人間にもその重要性を理解していない人間がいる。
「そんな組織など、非効率だ」と。
だが、そんな中でも文化復興省は細々と活動していた。
とある一軒の住宅、3階建てで庭付き、都市部にあるにはかなりの物件であるその家のリビングで一人の女性がパソコンの前で眉間にしわを寄せていた。
ソファにぐっと体を預け、目頭を押さえる。
「ふむ……」
「お疲れですね"室長"。はい、コーヒーです。合成ですけど」
「ああ、"あかり"か、ありがとういただくわ」
室長と呼ばれた女性はあかりと呼ばれた少女からマグカップを受け取る。
耐熱合成樹脂で出来たマグカップからわずかに伝わる熱を感じながら、室長はコーヒーを少し口に含む。
合成のコーヒー豆で淹れたものではあるが、その独特の苦みに慣れ切った舌は問題なく受け入れ、のどへと伝わせていく。
「……何か問題でもあったんですか?」
あかりは遠慮がちに室長へ問う。室長がこのように目頭を押さえ、無言になるのは何か重要な事を話さなければいけない時であると長年の付き合いから把握していた。
「……前に話した、"先研"のネットダイブシステム、あれの完成の目途が付いたらしい」
その室長の言葉にあかりは目を見開き、身を乗り出す。
「そんなっ、あれだけ室長が反対してたのに!」
「仕方ないさ、私たちが復興省にせっつかれているのと同じように、先研も上の命令には逆らえん」
室長はコーヒーを口に含む、その苦さが現状を表している気がして、それ以上口が進まない。
「でも…」
「あかりの気持ちもわかるわ。ネットに意識をダイブさせることが普通になれば、文化、伝統の復興以前に、現実さえ放り捨てられる可能性がある。けど、これは決まったこと。私たちが抗議してもどうしようもないわ。それに、今はまだ目途が立っただけ、一般に普及するのはあと十数年はかかるわ、その間に私たちが若者の意識改革に勤しむしかない」
「それが、
「そういうことよ」
室長は残ったコーヒーを一気に喉に流し込み、一度息をついた後立ち上がった。暗い話はここまで、そう言うかのようにあかりへと微笑む。
「そういえば、先月の"環研"の資料知らないかしら?」
「またですか?また寝室に置きっぱなしにしてるんじゃないですか?」
「それが無いのよね、"なこそ"が持って行ったのかしら?」
「彼女は1時間ほど前からスケジュール通り部屋で配信してますよ」
「じゃあ"わちる"か?」
「まだ部屋から出てきてません」
室長はガシガシと頭を掻き、首をかしげる。環研、環境保護研究所の資料とはそこで保護されている植物や動物についての画像や映像データが納められたものだ。室長がコネで合法的にこの資料を回してもらい、今やこの家に住む子たちのおもちゃにされている。
「まあいいわ、なこそは配信が終わったら聞いてみるわ」
「あ、わちるちゃんに声かけておいてください。初配信について打ち合わせしたいって」
「了解よ」
力なく答えた室長はコキコキと首をならし二階への階段をのぼっていく。
「……先研でも完全な状態で遡れるのは60年が限界か……今のログデータの大量保存を可能にした技術の確立する前だからまあ仕方ないのだけど……せめて100年前のデータがサルベージ出来なきゃ意味ないのよ」
室長は独り言をつぶやきながら階段を上る。いやに清潔で効率的なつくりをしたその階段を上りながら室長は現状に思考を巡らせる。
現在日本で本格的に過去のデータサルベージに力を入れているのはこの復興省の中の、自身が室長を務める"復興推進室"以外に存在しないことを室長は嫌というほど理解している。
いまだ効率至上主義から抜け出せない時代遅れな上役の顔をうかがいながら、過去データの利権を手中に収めようとする腹黒胸糞上司を利用し、何とかいくらかの有用なデータをサルベージすることが出来ていた。
「……ふんっ、子供たちを利用してる私も人のことなど悪く言えないわね」
復興推進室の拠点として機能しているこの家の二階は全部で四部屋あり、奥の一部屋は物置になっている。室長は階段に近い方右手の部屋、『九炉輪菜わちる』と書かれたネームプレートの飾られた部屋の前に立つ。
二度、三度と扉をノックするが、部屋の主が出てくる様子はない。
「わちる、起きてるかしら?」
返事はない。
「よし、じゃあ入るわよ」
まるでノックした意味がないと言われてしまいそうなほど気軽に室長はポケットからスペアキーを取り出し、ドアノブに設けられた認証端末へかざす。
「あら、よく寝てるわね」
ベッドの上でいまだすやすやと寝息を立てる少女。あきれたようにその顔を室長は見上げる。
部屋の中は薄いピンク色を基調とした女の子らしい部屋だった。置かれている家具の上にはもれなくぬいぐるみや人形が置かれており、彼女の寝ているベッドにもいくつかのぬいぐるみが置かれている。
だがそんな部屋の一角は物々しい機器に占領されていた。低いテーブルの上に三つのディスプレイが設置され、本格的なマイクが固定されている。
各種機器につながっている配線は丁寧にまとめられ、ディスプレイにはいまだ夢の中にいる彼女の手で書かれたメモが貼り付けられている。
「……使ってくれているのか……」
部屋の主である彼女特有の丸い文字によって丁寧に書かれたメモには配信を行うにあたって大事なアドバイスや話すネタなどが記されている。
現在流通しているこのようなメモなどはそのすべてが木を原料としない素材で出来ている。回収すれば100%リサイクルできるもので、何度でも書き直すことが可能なものだ。
とはいえ、この製品も狂気的な効率化社会の崩壊後に販売されたものだ。当時はメモなど存在しておらずそのすべてが電子データとなっており、紙に書くものはおしなべて非効率だと批判されていた。
室長はそんな時代が終わった後に生まれた彼女たちに"非効率"を教えることにした。
室長さえ知らない、けれど古き良きと呼ばれていた日本。そのかつての効率以外の何か大切なものがあった時代を、ほんの少しでも感じてほしい。その思いを込め、このメモは室長が贈ったものだった。
再度彼女の部屋をぐるりと見渡し、目当ての環研のデータが入った情報端末が無いことを確認し、ベッドの主に向き直る。
「……さて、おーいわちるー?」
頬をぺちぺちと軽く触ってみるが口元をもごもごと動かすだけでたいした効果は無いようだ。
「………」
無言で頬をつねってみるが、あうあうと寝ぼけて口にするだけで効果は無いようだ。
「さっさと起きんか!」
「ひゃわわわわーーー!」
布団を引っぺがされた影響で緩やかにベッドから転がり落ちる少女は情けない悲鳴を上げる。ベッドの下にべちゃ、っと倒れ込んだ少女を見下ろす室長。その眉間には深く皺が刻まれている。
「うう、ひどいですよしつちょ~」
「昼まで寝ている奴に容赦はせん、さっさと降りてこい」
それだけ言うと室長は部屋を後にする。
わちると呼ばれた少女はそんな室長を見送り、何度かあくびを繰り返したのち、床から起き上がる。
「あ、そういえばわんこーろさんの配信見逃した……、後でアーカイブ見ないと」
「まったく、あの寝ぼすけは……配信を始めたら寝坊しないか心配になるわ」
あきれた口調でそう言いながら室長は考える。あの様子では少し厳しめに言ったぐらいでは直らない、朝に強い子に起こしてもらうように頼むか。
考えながらも階段を下りリビングへ戻る。すると先ほどまで室長が座っていた場所にあかりが座りPCを操作している。
「室長、わちるちゃんどうでした」
「私が部屋に入ったときはまだ夢の中だったわ」
「はぁ、あの子ったら……あ、そうです室長先ほど復興省より連絡が来ていましたよ」
そういってあかりは室長に席を明け渡し、画面を指さす。
「復興省から?珍しいわね、何て?」
「調査してほしいものがあるそうです、何でも昨日大量の偽造データが証拠付きで通報されてきたらしいです」
「いつもの事じゃない、通報者に感謝の言葉を送って金一封って流れでしょう?」
室長は困惑しながらそう口にする。いつもその流れは推進室の上部機関、復興省の管轄であり、なぜその通報データがこちらに送られてきたのか。
「それが、通報者の名前はおろか、どこから通報されたかもわからないらしいんです。極め付きは……」
「極め付きは?」
「通報されたデータ、最終更新日時が120年前になっているらしいです」