転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
灯とナートがすれ違った後、灯はリビングで仕事をしている室長の傍に腰掛け、その笑顔を向ける。
「ん? どうした灯」
「お疲れ様です室長。さっきキッチンでナートちゃんに会ったんですよ。どうやら今夜もやっているみたいですよ」
「そうか……あまり夜更かししないように、と言いたいが、あの子らにはいつものことだったな」
配信者活動をしているFSにとって深夜帯での活動はお手の物。その上配信を行っていないため気兼ねなくなんでも話せる状況は彼女らには時間を忘れて楽しんでいられるほど貴重なひと時なのだろう。それを分かっているからこそ、室長も灯も彼女たちに干渉しようとはしなかった。
自身が口出しすることで彼女たちが自発的に始めた"年相応の楽しみ"を制限しかねないと考えてのことだ。
「室長はまだお休みにはならないので?」
「ああ、少しまとめておかないといけない資料があってな」
「? 急ぎのものは全部終わらせたはずですけど……復興省からですか?」
「いいや、……むしろその復興省に突きつけるための資料、かしらね」
「?」
「ああそうだ灯、私はこれから少し出かけてくるから先に寝ていても良いぞ。家の戸締りは頼む」
「へ!? え、今からですか!? もう日付変わってますよ!?」
「少し外を歩いて見たくてな。今日はいい星空が見えそうだ」
「何言ってるんですか、危ないですって」
「なあに、この街に住んでいるものでわざわざ犯罪を犯すようなもの好きはいないさ。居たとしても数分後には警備に拘束されて終わりさ」
渋っていた灯だったが、しばらくすると何かを察したように小さく頷き、息を吐く。
「……もう、気を付けて下さいね。あの子たちも心配します。……当然私も」
「分かったわかった」
室長はそう言って灯に向かって手のひらをひらひらと振り、夜の街へと出かけて行った。
塔の街は夜でも街灯が明るく道を照らしている。空は灰色の雲など一切なく、星空とまあるい月が浮かんでいる。
室長が歩いている場所は住宅街のあいだの小さな道で街の中心部のようににぎわっているわけではない。だが、その静寂に包まれた深夜特有の雰囲気は心を落ち着かせ、考え事をするにはうってつけだった。
「……あの子らに何か買っていってやるか」
通り過ぎる二十四時間営業の店の明かりを横目に見ながら室長はそんなことを考えた。店にはV/L=F宣伝広告がガラスに映し出されている。去年の映像だろう、FSのメンバーが楽しそうに華やかなステージでライブを行っている様子が流されていた。
「くくっ」
あそこの店は特に売り上げが優秀という訳でもない普通な店舗であったが、V/L=Fが行われるようになってからその時期のみ売り上げが急増し、V/L=F中の数日だけで丸一年分の売り上げを叩き出し店長が嬉しい悲鳴をメイクでつぶやいていたのを思い出す。
それからというもの、この時期になるとV/L=Fのチケット持ちのお客の為に品ぞろえをかなり偏らせていることで有名だ。
ゼリー状の携帯食料やスポーツ飲料などを店外にまで並べて販売している様子などはたびたびメイクで話題になっていたりしている。
そのことを思い出してしまい、室長は思わず笑みがこぼれる。
そうして夜の街を歩いていると小さな公園に行きつく。砂場や各種遊具が並んでいるが、当然こんな深夜に遊んでいるような子供はいない。
子どもどころか、人の気配さえ感じない。
いや、一人だけ居た。
公園のベンチに座り、何やら携帯端末を弄っている男性。彼は公園に入ってきた室長に視線を向けず、気にした様子もなく携帯端末に視線を落とし続ける。
室長はその男性の座るベンチの隣に、人二人分程度の距離を空けて座った。
「久しぶりだな……会う場所をあの家ではなくここにしたのは正解だっただろうな」
「……」
室長は気安く話しかけるが男性は答えない。
「塔の街への移動制限は解除されたのか、驚きだな」
「……」
さらに続く室長の皮肉気な言葉にも多少表情を苦々しいものに変えるだけ。
「それで、お前が派遣されてきたという事は、今年も復興省側のV/L=F運営責任者はお前という事で良いのか? ……なあ、蛇谷」
その言葉でようやく男性……復興省に所属する人間である蛇谷は口を動かす。
「フン、V/L=Fに携わった者が他に居ないというだけの理由で制限を解除して私を寄越すとは、予想外だったよ」
憎たらしそうにそう口にする蛇谷に室長は特に何も感じない。こんな口調で、こんな性格なのは馴染みの者として既に承知している。
「なんだ、復興省も人手不足なのか?」
「私の存在が目障りなだけだ。今の復興省の主要な者たち、所謂"主流派"は私を毛嫌いしているらしい」
現在、復興省は一つの大きな目標をもって行動している。それが、ネットの海より全ての伝統、文化、風習をサルベージし、復興する事。
ほとんどの復興省に所属している人間はそれを大前提として活動している。ネットという膨大な情報の塊より本気でかつての日本という国を取り戻せると考えているのだ。
それが"主流派"。効率化社会を完全な失敗策と断定しその時代を忌み嫌う者たちが多く所属している、復興省内で最も大きな派閥だ。
「主流派が効率主義派の人間を嫌うのは今に始まったことではないだろうが……それより、前年と同じく先進技術研究所の人間もいくらか連れてくるのか?」
「ああ、そこも同じだ。特に変更はない」
「そうか、ならあそこは――」
「それも前回と同様に――」
「あれはどうなって――」
「それはまだ調整中――」
室長と蛇谷はしばらくV/L=Fに関する事項を確認するためにぽつぽつと会話を続けていく。とは言っても室長が質問し、それに蛇谷が答えるという、おおよそ会話とは言えない業務連絡のような淡々としたものであった。
「そうか……おおよそ了解した。 ……他に何もないなら私はもう帰らせてもらうぞ。 家で灯たちが待っているのでな」
必要なことを聞き終えた室長はベンチから立ち上がり、早々に立ち去ることにする。
そもそも本来はこのような連絡事項は推進室の室長のPCに正式な資料として送られてくる手はずになっているし、実際に送られてきているはずだ。
にも拘わらず、なぜか蛇谷は実際に会うことを提案した。それが室長には引っかかっていた。どうにも怪しい、そう思わずにはいられない。
「なあ、草薙」
「ん?」
「ここから見える星空は本当にきれいだなぁ」
「……そうだな」
(なるほど、どうやら本題はこれから、という事か)
室長は小さく肯定すると、蛇谷と同じように空を見上げる。塔を中心として灰色の雲が取り除かれた空は、確かに美しく輝いていた。
「本当に綺麗だ……惜しむべくは、あの
「……」
「効率化社会崩壊の引き金となった"例の事件"。あの事件により当時人類が運用していた人工衛星はすべて破壊され、その代わり地球の近傍はおびただしいほどのスペースデブリに覆われた。無理やり地球外へと脱出しようとした船はデブリによりハチの巣にされ、それが新たなデブリとなる……人類は地球という鳥かごに閉じ込められた。唯一鳥かごの出口として機能すると期待された塔も、今や固く閉ざされている」
そこで蛇谷はようやく室長に向き直りその目を見た。
「草薙、私はお前が、お前たちが嫌いだ。かつての日本を取り戻すなどと詐欺のような言葉で、民衆にありもしない希望を抱かせるお前たち"主流派"が」
蛇谷の目は室長を憎々し気に見つめていた。だが、その瞳の奥に灯されているのは憎しみの炎ではなく、自らの使命に燃える、まるで情熱的な若者のそれのようだ。
蛇谷の言葉に嘘はない。彼が、彼らが主流派の主張の裏に潜む、"主流派の真意"を受け入れられないのも、室長には理解できた。その上で、主流派の意見も間違いではないといえた。
蛇谷も主流派も、それぞれが信じる正義のために行動している。
そう考えられるのは、室長が完全な復興省所属の人間ではないからだろう。そして、室長はだからこそ、蛇谷の放った言葉を訂正する。
「そうだろうな。私も、少し前までは私自身のやっていることに自信を持てなかった。復興省の言葉に反抗することも出来ず、あの子たちを危険にさらした」
室長はかつてわんこーろと初めて接触した時のことを思い出した。あの頃は復興省の命令を無視することも出来ず、子どもたちを完全に守ることも出来なかった。
しかしわんこーろと出会い話をし、そしてあのコラボで若者の、かつての日本を想う気持ちに触れた。だからこそ――。
「私は見つけたのさ。私にとって何が最も大切で、失ってはいけないのかを」
「失ってはいけない? フロント・サルベージの子どもたち、とでも言うつもりか?」
「そうだが、そうではない。失ってはいけないモノ、それは今の若い子たちの興味、情熱……所謂"好奇心"と呼ばれるものだ。……あの夏のコラボで実感した。今の若者は今の世を変えるだけの力を持っている。それを私は信じることにした。私は
この世界のどうにもならない問題、例えば失われた文化。例えば取り返しのつかないレベルの環境汚染。例えば腐敗した政治、例えば忌まわしき効率主義の残滓。それらは若者の、人の力で必ず復興させ、修正することができる。
"主流派の真意"、それを否定する"効率主義"、どちらの派閥にも属さぬその考えを、室長は信じて進むことにした。
「愚かだな、結局は若い者に負債を押し付けるだけだ」
「いいや違う、押し付けるのではない、"託す"んだ。もとより我々の世代だけで何とかできる問題ではない。我々の仕事は、この世界の問題を片づけることではなく、未来に託すために、未来を進む若者が足元をすくわれないように、その進むべき道を照らしてやることにあると、私は思っている」
復興省の"主流派"による文化復興、その裏に隠された真意により主流派を否定する"効率主義派"。
それが今までの復興省内部での大きな派閥争いの図であった。
主流派の一部であった推進室はその考えを転換し、新たな道を探り始めようとしていた。