仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD   作:おみく

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第10話「もうひとりのドリフター」

 冬木において、深山町はベッドタウンとしての側面が強い。昼は未遠川を渡って新都へ働きに出て、夜は昔ながらの木造建築が立ち並ぶ住宅街が大半を占める深山町へ帰って眠る。深山町で暮らす者の多くはそういった生活を送っている。そのため、深夜ともなれば深山町はしんとした静寂に包まれる。一部の例外はあれど、半数以上の家屋からは既に部屋の灯りが消え、町を照らす灯りは等間隔で並ぶ街灯と、空に浮かぶ月明かりのみだった。

 ブラッドスタークは、静謐な深夜の町並みにそぐわぬ怪異の群れを前にして、その仮面の下で特大の溜息を零した。

 

「おォいおいマジかよ。俺、タコ嫌いなんだよなあ……」

 

 ライフルモードへと変形させたトランスチームガンを肩に担ぎながら、あからさまに項垂れてみせる。スタークの眼前には、青黒い触手にびっしりと吸盤を備え、イカか、タコか、どちらとも取れぬ外観をした奇妙な軟体生物が路上を埋め尽くさん勢いで蔓延っていた。

 現状、民間人に見咎められては非常に拙い事態になってはいるものの、この周囲一帯には協力者である遠坂時臣によって人払いの結界が張られている。速攻で決着をつければ問題はない、とのことだった。

 

「ええい、一度消去されたにも関わらずゥ……この檀ッ黎斗神の神ッ聖なるゲームに無粋な水を差してくれるとは、許し難い狼藉ィ! 気色の悪い化け物どもめ、この神が手ずから始末してくれるゥ!」

 

 ブレードモードに変形させたガシャコンブレイカーを携えた仮面ライダーゲンムが、後方からスタークを追い越すかたちで戦場へと躍り出た。最初の一匹目が反応を示すよりも先に、ゲンムの刃が海魔の体を断ち切った。

 同時に、空中にアルファベットで『HIT』の三文字が浮かび上がる。このゲーム上に存在するエネミーキャラに対して、ゲンムの攻撃は特別な特攻効果を持っているらしい。聖杯から喚ばれたサーヴァントに特攻効果は乗らないが、ゲーム上で誕生したキャラ、とりわけバグデータの塊であるシャドウサーヴァントに対し、ルーラーであるゲンムの攻撃は絶大な威力を誇る。

 ゲンムの攻撃を受けた海魔は一刀の元に切り伏せられ、そのまま血飛沫すらもピクセルの粒子へと変換されて消滅した。後方でさしてやる気もなく眺めているスタークと違って、ゲンムは破竹の勢いで海魔を斬り伏せ瞬く間にその数を減少させてゆく。

 

「おォっと、出る幕ないねェ、こいつァ。ま、その方がありがたいが」

 

 今夜ふたりに与えられた仕事は、深山町に出没するシャドウサーヴァント、キャスターの討伐だった。キャスターの宝具の真髄は、異次元から異形種である海魔を召喚し、使役するというもの。この場所に海魔が出現しているということは、周辺にシャドウキャスターがいるということに他ならない。あとは魔力を探知して追跡するだけなのだが、こうして海魔が道を阻むように立ち塞がるため、追跡は難航していた。

 ゲンムが討ち漏らした海魔が、スタークを標的と定めて毒霧を噴出させながらにじり寄ってくる。ヒトデとタコを足したような気味の悪い生物に標的にされるという事実が、スタークに生理的な嫌悪を抱かせる。ジーニアスによって感情が付与されたこともあって、海魔の行動は以前にも増して薄気味悪く感じられた。

 

「はァ、仕方ない」

 

 コブラボトルを装填したトランスチームガンを構え、引き金を引く。

 

 『STEAM(スチーム) SHOT(ショット)!』

 

 電子音を鳴らしながら、コブラボトルの力を内包したエネルギー弾が放たれる。弾丸は狙い過たず海魔を直撃し、血飛沫を舞い上げながらその体を四散させた。それが拙かった。

 海魔の血飛沫と引き裂かれた体の断片が新たな海魔を喚ぶ触媒となり、触手の断片は新たな海魔となってスタークへと迫る。結果的に、スタークの攻撃によって海魔が増える羽目になったのだ。それを悟ったとき、スタークの背筋を悪寒が駆け抜けた。

 

「嘘だろォ、オイ。こいつはちょっと厄介過ぎるんじゃねェかァ!?」

「ンなァァにをやっているゥッ、くォの足手まといがァーーーッ!」

 

 スタークの危機に気付いたゲンムが、複数体の海魔を纏めて斬り伏せ欠片も残さず消滅させながら、剣を構えて駆け寄った。下手に攻撃を加えるわけにもいかず、後退するスタークに毒霧を吹きかけていた海魔の群れを、ゲンムの刃が後方から一気に斬り裂く。直撃だ。アルファベットで『GREAT』の五文字が浮かび上がる。

 ゲンムの攻撃を受けた海魔どもは、異次元から押し寄せる異形種としてではなく、純然たるゲーム上のエネミー体としてピクセルまで分解され、消滅した。

 スタークは脱力した。他のシャドウサーヴァントが相手であれば的確な援護射撃もできただろう。しかし、通常攻撃が効かず、ましてやただでさえ嫌悪感を抱いているタコを更に薄気味悪くしたような異形と戦わされるのは、スタークにしても本意ではない。再び戦場に戻り、次々と海魔を仕留めていくゲンムを見るうち、次第に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思えてきた。

 スタークはゲンムを見つめたまま踵を返すことなく後方へと後じさり、肩を竦めて笑う。

 

「悪いな神ィ、俺は降りる。今回はちと相性が悪すぎるんでね……他のシャドウサーヴァント戦でまた呼んでくれェ!」

「勝手にするがいいッ! サーヴァントですらない貴様などハナから戦力外だァッ!」

「そうかそうか! 温情溢れる判断に感謝しよう。そンじゃ、チャ~オ~」

 

 スタークが軽く手を降ると同時、彼方からスタークの全長をゆうに超える巨大なエメラルドグリーンのコブラが飛来する。コブラがスタークの身を覆い隠すように地を駆け抜けたかと思えば、直後、スタークはその場から姿を消していた。

 

   ***

 

「――して、シャドウキャスターは引き続き逃亡を図った、という訳ですな。既に民間人にも被害が及んでいる以上、早急に対応する必要がある」

 聖堂教会地下の一室に設えられた蓄音機型の宝石通信機へと、言峰璃正神父が淡々と状況を報告する。通信機の向こうにいるのは、遠坂家にいる遠坂時臣だ。宝石通信機を用いての通話であれば、文明の利器を用いての通話と違って、傍受される不安もない。

 

『なるほど。状況は理解しました。魔術の秘匿に責任を負う者としても、此度のシャドウキャスターの狼藉は赦せるものではない』

 

 通信機の向こうから、時臣の声が返ってくる。

 聖堂教会を時臣に事態の報告を行う璃正神父の後方には、綺礼と石動、それからルーラークラスのサーヴァントである檀黎斗が居並んでいた。石動はばつが悪そうに目線を伏せているが、檀黎斗は別段悔いる様子もなく笑みを深めるばかりだった。

 いったいどういう流れでシャドウキャスターを取り逃がすに至ったのかは聞き及んではいないが、この二人でも始末しきれなかったことを考えると、一筋縄ではいかない相手であろうことが予測できる。

 

「いやだって、まさかあんな戦い方するとは思わねェだろォ? タコばっか出して来やがって」

「ええい黙れ石動ィ! 誰のせいで奴を取り逃がしたと思っている」

 

 檀黎斗が、石動の軽口に小声で反論する。

 

「いや俺のせいじゃねえだろォ~。大体、シャドウキャスター相手じゃ俺はハナっから戦力外だって、おたくもそう言ってたろ? それに、そんなこと言い出したら敵の戦力をちゃァんと計算に入れずに作戦を立てたルーラーの方にも責任あるんじゃないの?」

「ぐっ……、貴様この私を前にしてよくもぬけぬけとォ……そもそも貴様があの時ッ」

 

 憤慨する黎斗の言葉を、なだめるように軽く両手を掲げた石動が遮った。

 

「はいはい、いつまでも過ぎたこと言ったって仕方ねェだろ。今回の敵は()()()()()シャドウセイバーとはワケが違うんだ。正面からバカ正直に戦ってくれる手合いじゃあない。次はそれを念頭に置いて作戦を立てるしかないんじゃない?」

 

 黎斗は押し黙った。綺礼と璃正、全員の視線が黎斗を見つめている。

 ルーラーと石動が相対するシャドウサーヴァントは、これで二騎目だ。最初に現れたシャドウサーヴァント、騎士王(アーサー)の力を内包した英霊のなり損ないは、既に檀黎斗(ゲンム)が仕留めている。

 黎斗は軽く咳払いをすると、深く息を吐いた。

 

「その不遜な物言いは気に食わんが、確かに、シャドウキャスターの能力の看破などこの私の才能をもってすれば容易かった。しかしそれを凡才の貴様に詳しく語ることを無意味と断じたのは私の負い目でもある。ふん、無能な貴様にも理解を示してやれる私の寛大さに感謝するがいい!」

「ああ、いつも感謝してるよ。神サマ仏サマ檀黎斗サマってな」

 

 割と投げやりに答えた石動だったが、黎斗はそれで満足したらしい。最前までのやり取りを水に流したかのように笑みを深めると、黎斗は滔々と語り出した。

 

「今回の敵は私の宝具(ゲンム)以外では決定打は与えられない。なにしろ、ゲンムの特攻抜きでいたずらに攻撃を加えれば、途端に増殖するような化け物だからな。次はそれを踏まえて作戦を立てる必要がある」

「……聞いての通りです。時臣くん、君はどう思いますか」

 

 璃正神父が宝石通信機に向き直る。時臣からの返答はすぐだった。

 

『明確な意思も目的もなく徘徊し、その神秘を露呈させ、聖杯戦争そのものを破綻させかねない異分子。それだけに対応は急を要するということは、私にもわかります。ですが、我がサーヴァントはまず間違いなくこの程度では腰をあげてはくれないでしょう』

「フン、当然だ。かつて人類を滅ぼしかけた闇のキバが、たかだか人類ごときのために動くものか。()()()()()ならばまだしも、闇のキバなどを喚んでしまうとはつくづく運のない男め」

「ン、ンンッ」

 

 嘲笑混じりに語られる黎斗の言葉を、璃正神父の咳払いが遮った。

 

『……続けても構いませんか? 神父』

「ああ、申し訳ない。どうぞ、続けてください」

 

 黎斗に変わって、璃正神父が謝辞を述べる。当の時臣も、流石に遠坂家当主ともなれば、安い挑発に乗ってしまうほど愚かしい男ではない。黎斗の言葉などはなから聞かなかったように、時臣は言葉を続けた。

 

『可能であればこの事態が参加者間に広く知れ渡る前に、内々に終わらせてしまいたい。今回、シャドウサーヴァントの討滅を目的として聖杯によって招かれた英霊がそう語るのであれば、引き続き彼らに任せるべきでしょう。なんなら、綺礼のアサシンを索敵に当たらせても構いません』

「は。では直ちに冬木中に散会したアサシンにもその旨を伝えます」

 

 恭しく頭を垂れた綺礼の背後に、全身黒ずくめの影がひとり、姿を表した。青い長髪を結わえた女性のアサシンだ。綺礼に従って、アサシンもその場に傅いている。

 

「アサシン。聞いていたな」

「ぬかりなく。すぐに全員に共有いたします」

 

 必要最低限の返答だけを淡々と告げて、再び闇に姿を消そうとしたアサシンを呼び止め言い含めるように、通信機の向こうの時臣が口を開いた。

 

『待て。ただし、不要な戦闘は極力避けて欲しい。くれぐれも先日の冬木ハイアットのようなことはないように頼みたい』

「……はい。その節は、私の浅慮ゆえに、申し訳ないことをしました」

 

 綺礼は、先日の衛宮切嗣戦での出来事を掻い摘んで時臣に報告していた。

 ただ話をする目的で姿を見せた綺礼にとって、あのような戦闘が待っていることは慮外の出来事であった。敵にアサシンの姿を晒したこと、結果、アサシンの総力を削られたこと、そのいずれも隠し通したい事実であったが、そういった事実を隠すことで、後々に大きな軋轢となって跳ね返ってくることだけは避けたかった。

 思い悩んだ綺礼は、聖堂教会の監督役としての立場で、冬木ハイアットの一件を諌めようと姿を現したところで、予期せぬアーチャーの襲撃を受け、更にシャドウランサーまで乱入してきたために、やむを得ずアサシンで対応した、というシナリオを語って聞かせた。案の定、時臣も璃正も綺礼の言葉になんら疑いを持つことはなかった。

 

『いや、いいんだ綺礼。それもすべては神秘の秘匿のためを思っての行動。それをどうしてただの浅慮と(なじ)ることができようか。私は、君のような敬虔な弟子を持てたことを誇りに思っているよ』

「……勿体ないお言葉です」

『ただ、綺礼。君には今後、不用意に戦場に立つことは控えて貰いたいのだ。アサシンはあくまで間諜の役割のみに徹し、君は必要最低限の報告のみに務めること。これは命令ではなく、君を協力者に選んだ私からの()()だ。そして、君自身のためでもある。これ以上君が危険な目に合わないためにも……どうか、了承してほしい』

「……分かりました。導師がそう仰られるなら」

『ありがとう。やはり君を協力者に選んだことは間違いではなかったと心から思うよ、綺礼』

 

 恭しく頭を垂れながらも、綺礼は周囲に気取られないように、肺に蟠った空気を鼻から吐き出し、目線を伏せた。要はこれ以上勝手なことをするな、という釘差しだろうが、時臣の人格を考えるに、綺礼の身の安全を祈る気持ちも本心からなのだろう。下手を打てば、アーチャーかシャドウランサーに殺されていてもおかしくはなかったのだから。

 だけれども、その祈りは綺礼にとって素直に喜べるものではなかった。時臣の頼みに了承で応えるということは、今後、綺礼が衛宮切嗣の前に立つことは難しくなる、ということだ。アサシンの運用に関しても、以前のように自由にはいかなくなった。

 これでは本当に、ただ時臣のために尽くすだけの道具と変わらない。と、そこまで考えたところで綺礼は己の考えに驚いた。此度の聖杯戦争において、綺礼に与えられた使命は時臣のサポートだ。それをこなせるならば、それ以上に望むものなどなかったはずなのに。

 ふいに、綺礼の肩に手が置かれた。見上げると、石動が微かに頬を緩めていた。まるで、お前の気持ちは理解しているよとでも言わんばかりに、しかし誰にも悟られぬように、石動はにっと微笑んだ。

 

   ***

 

 日は西に傾き、ぽつぽつと街の街灯に光が灯り始めた頃、まだ小学生に上がったばかりの遠坂凛は、ひとり新都の冬木駅に到着した。駅前の広場に足を踏み出した凛は、思わずその足を止め、周囲を見渡した。見慣れた昼間の景色とは打って変わって、薄暗い夕闇に沈みかけた冬木の街は、六歳になったばかりの凛の目にはひどく気味悪く映った。

 

「昼間とぜんぜん違う……すごくイヤな感じ」

 

 ましてや、今は凛の父たる時臣が、この街で()()を行っている最中だ。街中で行われているのは魔術師同士の抗争、英霊同士の血で血を洗う激闘。聖杯戦争が執り行われている間、時臣は家族全員を妻、遠坂葵の実家である禅城の屋敷へと避難させていた。

 聖杯戦争の驚異を知らぬ凛ではないし、時臣からは戦争が終わるまで冬木に近付くことは固く禁じられていた。けれども、凛には聖杯戦争の存在を理解しているからこそ、責任感があった。

 

「コトネ……お願い、無事でいて」

 

 首にかけた魔力計を強く握り締めて、凛は誰にともなく独りごちる。

 今日、凛の友人であるコトネが、学校に姿を見せなかった。担任の教師は病欠だと言っていた。心配した凛はコトネの家に電話をかけて、コトネの身になにかが起こっていることを悟った。

 コトネの両親曰く、昨日からコトネは自宅に帰っていないのだという。

 凛は、コトネが親の言いつけを破って外泊するような少女でないことを誰よりも知っている。真面目だが気が弱く、いつだって凛に頼り切りだったあの少女が、親にも友にもなにも告げずに姿を消すことなど、尋常ではありえない。

 冬木に近寄ることも、夜に出歩くことも、遠坂家では禁じられていたが、友であるコトネが凛の助けを待っているのだとすれば、なにもせずに手をこまねいているわけにはいかない。友を思い、眠れぬ夜をなにもできぬままに明かすことは凛にはできなかった。

 きっと、明日には両親からきつい叱りを受けることだろう。けれども、凛は、既に腹をくくっていた。決して私利私欲のため、恥ずべき目的のために禁を破ったのではない。誇り高き遠坂の一員として、友を救うために凛は屋敷を飛び出したのだ。

 

「……なにこれ?」

 

 凛はさっそく手持ちの魔力計を開いて、そしてその異常な反応に当惑した。

 父、時臣から凛の誕生日に贈られた魔力系は、常に強い魔力を放っている方角を指し示してくれる簡単な魔導器だ。冬木市に立てば、この魔力計がなんらかの怪異が起こっている場所を指し示してくれると思っていた。だけれども、実際に凛が見た魔力計は、針自体が錯乱したかのようにぐるぐると渦を巻いて、めちゃくちゃな方向を指していた。これではアテにならない。

 

「こんな反応見たことない。そこら中に魔力の痕跡があるっていうの?」

 

 途方に暮れた凛だったが、ともあれいつまでも駅前に留まっていては話にならない。日の沈みかけた町中に、保護者もなくひとり佇む凛の姿を訝しげな目で見る人々もちらほらと現れ始めた。

 コトネを探さなければ。それだけを思い、凛はアテもなく駆け出した。

 

 通りを少し外れるほどに、人通りはまばらになっていった。冬の陽は素早く西へ沈み、夜の闇が訪れたとはいえ、時刻はまだ夕刻過ぎだ。だというのに、街のテナントのおよそ半数はシャッターが降ろされている。見慣れた昼間の景色とは打って変わった町並みに、凛は薄ら寒い違和感を覚えた。

 凛は知らぬことだが、夜の冬木市には厳戒態勢が敷かれていた。新都の倉庫街と冬木ハイアットで立て続けに起こった爆破テロは、連日冬木の報道を騒がせている。さしもの聖堂教会といえどもサーヴァントによる戦闘の爪痕を完全に隠蔽することは叶わず、連続爆破テロ事件として処理するほかなかったのだ。警察は市民に夜間の外出自粛を呼びかけ、賢明な民間人はそれに従っていた。

 明らかに平時とは様相を違えた薄暗い街をおっかなびっくり進む凛は、街の路地裏に差し掛かったところで聞こえた不自然な物音に足を止めた。がたんッ、と大きな音を立てて、なにかが落下したような音だ。

 

「なに……?」

 

 心の中には既に恐怖心が広がっているというのに、こういう時、真っ先に逃げるという思考に至らないところが、凛という少女の特異性だった。おそるおそるといった足取りではあるものの、路地裏の奥へと歩を進める。

 

「ッ、いってェ~~~……ッんだよここ!?」

 

 水色のポリバケツ型のゴミ箱をなぎ倒して、中身を散乱させながら、男が自らの腰をさすりながら身を起こした。青いスカジャンを羽織った、茶髪の男だ。頭頂部は奇妙な形に編み込まれている。凛にはそれがエビフライのように見えた。

 どこかから落下したのであろうその男は、暫し表情を苦痛に歪めながらも周囲を見渡し、凛の姿を認めるや、軽く手を掲げて、不器用ながらも笑顔を見せてくれた。

 

「よ、よう」

「あ、あなた誰!? なんでこんなところにいるの!?」

「俺か。俺は万丈……万丈龍我ってんだ! なんでこんなところにいるのかは、俺が聞きてェ! ってかどこだここ!? 知らねェぞこんな場所! 戦兎はどこいったーーーッ!?」

 

 ひとり喚き立てる男を見て、凛は微かに危ない男なのではないかと訝しんだ。けれども、それ以上に、困っているのなら自分が力にならねば、そういう思いが先行した。こんな時こそ、()()()()()()()()()()()()という遠坂家の家訓を実践する時だと、凛は思った。

 

「ええと、まず、ここは冬木市。で、私は遠坂凛。まずは、あなたの話を聞かせて貰える?」

 

   ***

 

 新都の公園のベンチに腰掛けて、万丈は己の記憶を辿った。

 いつも通り、戦兎の開発したガラクタをフリーマーケットで売り捌き、大した売上も得られずに根城と定めた工場へと戻った万丈が見たのは、パソコン画面の前で意識を失い倒れている戦兎の姿だった。

 揺さぶっても怒鳴っても起きない戦兎に業を煮やした万丈は、パソコンを起ち上げ直したところで、モザイクに覆われたような奇妙な画面を目撃し――次の瞬間には、この街でゴミ箱の中に突っ込んでいた。幸いにも遠坂凛と名乗る少女が万丈にこの街の名前を教えてくれたが、冬木市などという街は聞いたこともない。いや、例えこの街の名前が冬木でなかったとしても、おそらく自分が住んでいる街以外の名称を、万丈は概ね知らない。街の名前を聞くことは無意味だった。

 当惑した万丈は項垂れ、頭を抱えた。隣に座った凛が声をかける。

 

「でも、ちょうどよかったわ。万丈さんのお家のことはわからなかったけど……今こうしてここで出会えたことは、きっと意味のあることだと思うの」

「あん? 意味ィ?」

「そ。こんな時間に子供ひとりじゃ、落ち落ち歩いてもいられないもの。行くアテがないなら、一緒にコトネを探すのを手伝ってくれない? 終わったら、お母様に万丈さんのことも相談するわ。お家に帰れなくなってしまったって。そうすれば、きっと万丈さんの問題も解決すると思うの」

 

 凛はなんの迷いもなく、万丈の顔を正面から見つめて高らかに提案した。

 お母様云々は置いておくとして、昨日から帰宅していない友人を探すために、親の言いつけを破って単身この街にやってきたという経緯は聞いている。勇気のある少女だと、万丈は素直にそう思い、感心した。

 

「ああ、心配しないで。もしも危険な目に遭いそうになったら、貴方だけ逃げてくれても大丈夫。ただ、街を歩く間、隣に保護者がいないと怪しまれるし、最悪、警察に見つかったらすぐに連れ戻されちゃうかもしれないでしょ。だから大人に隣にいてほしいの」

「ちょ、ちょっと待て、なに言ってんだお前、逆だろ! 子供だけを危険な目に遭わせられるかっての。友達を探すなら、俺が最後まで付き合ってやる!」

 

 左の掌に右の拳を打ち付けて、万丈は立ち上がった。

 万丈は単純だった。見知らぬ土地でひとり当惑する万丈に街のことを教えてくれた心優しい少女が、いま自分の身の危険さえ顧みず、友のためにひとり立ち上がろうというのだ。万丈にとって、既に自分の置かれた状況などは関係なかった。ただ、この少女とその友人を無事家に帰してやりたい、今の万丈にあるのは、ただその一心だった。

 

「ううん、私なら大丈夫だから。それに、私とあんまり長い間一緒にいるのはお勧めしないっていうか……」

「はァ? なんでだよ」

「そ、それは……詳しくは言えないんだけど。きっと、この街で悪いやつに目をつけられるとしたら、万丈さんよりも、私の方だと思うから……」

 

 ベンチに腰掛けた少女は、目線を伏せて口ごもる。なにか、事情があるのだろうことは予測できたが、どういった事情かはわからない。わからないが、別に大した問題ではないと万丈は思った。

 凛と目線の高さが合うように腰をかがめた万丈は、その小さな肩を力強く掴んだ。

 

「いいから、心配すんな! こう見えても、俺は強ェんだ。悪いやつなんか、俺がぜんぶブッ飛ばしてやる!」

「もう、わからず屋ね! 万丈さんがいくら強くても、この街は今……――」

 

 その先を、凛は口にしようとはしなかった。なにかを言いかけて、ハッとして口をつぐむ。凛の瞳に強い意思を感じ取った万丈は、すっくと立ち上がって息を吐いた。周囲を見渡すが、まだそう夜も更けていないはずなのに、異常に人通りが少ない。

 この少女は、未だ小学校に上がったばかりの幼さながらも、友のために立ち上がるような強い心の持ち主だ。今、この街になんらかの異常が発生しているのだろうが、凛は万丈に負担をかけまいと強情に口を閉ざしているのだ。

 

「ああそうかよ、だったら勝手にさせて貰う! お前がなんと言おうと、俺は絶対ェーお前とその友達を家に送り届けてやるからな!」

「だ、か、ら――……ッ!」

 

 言いかけたところで、凛はまたしても口を閉ざした。訝しんで眉を潜める万丈だったが、凛の視線は万丈を捉えてはいない。その瞳が見開かれる。

 振り向いた万丈が見たのは、

 

「なん、だコイツら……!」

 

 ヒトデのような体に、タコの触手を併せ持つ異形。これまでに万丈が戦ってきたどんな敵とも異なる、正真正銘の化け物が群れをなしてこの公園に集結していた。異形が、ピチャピチャと薄気味悪い舌舐めずりを響かせながら、ふたりを取り囲む。

 凛は首にかけたペンダントを握り締めたまま、硬直している。女の子をひとり抱きかかえて逃げ出すには、あまりにも周囲を取り囲まれ過ぎていた。

 

「いったいどこから湧いてきやがった……!」

 

 ぼやきながらも、彼方から機械音声の小さな咆哮を響かせながら飛来した小竜型の自律行動型ユニット、クローズドラゴンを掴み取り、フルボトルを装填する。腹部にビルドドライバーを押し当てると、ベルトがひとりでに万丈の腰に巻き付いた。

 

「わ、私のせいだ……きっと、私を狙って」

 

 凛は、うわ言のようになにかつぶやいていた。

 この責任感の強い少女がなにか隠し事をしていることは、万丈にもわかっている。きっと凛にはこの化け物どもに狙われる理由があって、万丈を巻き込んでしまったことを深く後悔しているのだろう。でなければ、私のせいなどという言葉は出てこない。それを、理性ではなく、心で感じ取った。

 

「テメェら……」

 

 万丈はもう一度、並み居る異形の群れに一瞥を送る。

 こんな小さな女の子を怯えさせ、そのか弱い命を狙う卑劣さに、虫酸が走る思いだった。心の奥底から湧き起こり燃え上がる熱い闘志の炎を、万丈は抑え込むすべを知らない。

 戦兎は、もう戦うための力は必要ないと言った。平和になった新世界に、仮面ライダーの力は必要ない、と。だけれども、今、目の前に助けを求める少女がいるのならば、話が違ってくる。

 仮面ライダーは、愛と平和(ラブアンドピース)を守るために戦う戦士の名だ。例え敵がいかな大群で押し寄せとも、今万丈がこの手に持つ力は、()()()()に与えられた力だ。

 ならば、迷う理由はどこにもない。

 

「戦兎……お前がくれた力で、俺はもう一度戦う。力を貸してくれ……!」

 

 今はいない友を胸に思い描き、万丈は変身待機状態のクローズドラゴンをビルドドライバーに叩き込んだ。

 ビルドドライバーに備えられた円盤、ボルテックチャージャーが煌々と蒼の輝きを放つ。ベルトのレバーを回転させると、ドライバーから伸びた試験管が前後から万丈を挟み込むように生成された。内部を蒼い龍(クローズ)の成分が駆け巡ってゆく。

 戦う準備は、万端だった。

 

 『Are You Ready?』

 

「変身ッ!」

 

 掛け声とともに、ドラゴンの成分によって形成されたハーフボディが前後から万丈の体を挟み込むかたちで覆い隠した。白煙が噴出する。

 

 『WAKE UP BURNING!』

 『GET! CROSS-Z DRAGON!』

 『Yeah!!』

 

 けたたましい電子音声をかき鳴らしながら、最後に龍の頭部と翼を模したアーマーが装着される。身を包む炎を振り払ったとき、万丈の姿は仮面ライダークローズへの変身を遂げていた。

 

「えっ……ば、万丈さん、その姿、なんでっ」

「凛。お前は俺が守る。なにも心配すんな!」

 

 驚愕し口元を抑える凛にへと振り返った万丈は、ふっと小さく笑みを浮かべた。燃える蒼龍をかたどった仮面で表情まで見えはしないが、少しでも凛が不安を振り払うことができたなら、それでいい。

 ドラゴンボトルの成分を最大限活用するため、戦兎が造ってくれた剣型の専用武器(ビートクローザー)を振りかざし、クローズは付近の軟体生物へと斬りかかった。手応えは、軽い。容易く斬り裂かれたその体から血飛沫を舞い上げ、海魔は断末魔の悲鳴を上げる。

 

「オラオラオラオラァッ!」

 

 クローズの勢いは止まらず、並み居る海魔の群れを片っ端から斬り倒していった。初期スマッシュよりもよほど弱い。どれほどの怪物かと思いきや、その実態はただの標的だった。万丈ははじめ、そういう印象を抱いた。

 異常に気付いたのは、一方向の海魔をすべて薙ぎ倒した頃だった。クローズに斬り捨てられた海魔の遺体が蠢き、その断片から新たな海魔が姿を現すのだ。さしもの万丈も目の前で起こっている出来事に驚愕し、戦いの手を止める。

 

「ゲェ、マジかよ!? なんなんだよコイツらは!」

 

 一瞬立ち止まったものの、今は凛の安全を確保することが先決だ。断片から湧き始めた海魔の群れを剣で薙ぎ払いながら、クローズは凛のいるベンチに戻ると、その小さな体を抱きかかえて走る。

 

「ちょっと目ェ閉じてろ!」

 

 叫ぶや否や、眼前に立ち塞がった海魔の一匹を叩き斬る。血飛沫を舞い上げる海魔から目を背けるように、凛は目と口を固く閉ざした。海魔の群れを掻い潜って、クローズは公園の入り口まで駆け抜けると、その小さな体を地面へと下ろした。

 少女の小さな頭に掌を乗せて、軽く撫でる。

 

「いいか凛、お前はここから動くなよ。悪いやつは、俺が全部ブッ倒してやるからな!」

「あ、あなた、サーヴァント? それとも魔術士!? なんにせよ、アレは魔力で動いてる! やみくもに倒したってダメよ!」

「ヴァーダントだか魔法使いだか知らねェが、だったら幾らでもやりようはあンだよ!」

 

 振り返ったクローズは、ベルトからドラゴンフルボトルを抜き取り軽く振ると、そのままビートクローザーの中央部のスロットに装填した。刀身を彩るイコライザー型のメーターが輝き、電子音を響かせる。

 

 『SPECIAL(スペシャル) CHUUN(チューン)!』

 

「今の俺は……ッ!」

 そのままグリップを二回引く。装填されたドラゴンボトルのエネルギーがビートクローザーの内部へと充填され、出力が跳ね上がる。イコライザーのメーターに灯る輝きが、グリーンからレッドラインまで一気に上昇する。

 

MIRIONN(ミリオン) SLASH(スラッシュ)!』

 

「負ける気がしねェーーーッ!」

 ビートクローザーの刀身が、蒼の炎を纏って煌めいた。それをぶんと振り抜くことで、刀身が纏った蒼炎がごうと唸りを上げて海魔の群れへと殺到する。

 クローズの放った龍の息吹(ドラゴンブレス)は尽く海魔へと命中し、燃え上がる蒼炎は海魔の血飛沫を瞬く間に蒸発させた。斬り裂かれた断片にも炎は燃え広がり、そこから再生した海魔にも炎は連鎖する。火の海の中、再生すると同時に焼き尽くされた海魔は、次々と息絶えていった。

 

「へへっ、やっぱ思ったとおりだ!」

 

 口ではそう宣っているものの、その実、決して深く考えての行動ではなかった。斬って駄目なら燃やしてみようと、ただ単にそれだけの思考だ。炎に巻かれながらも生き延びた海魔を、駆け寄ったクローズの刃が断ち切る。直接の死因が斬撃でも、炎の中にあっては増殖もできず、海魔は沈黙する。

 

「うしッ、やったぞ、凛――……ッ!?」

 

 振り返った瞬間、万丈はクローズの仮面の下で、驚愕に表情を歪めた。

 クローズが公園の入口まで逃したはずの凛は、黒衣を纏った長身の男に抱きかかえられていた。男の周囲へ、別方向からクローズが倒したものと同様の海魔が大挙して押し寄せてくる。

 凛は男の大きな手で口元を覆われ、悲鳴すら上げられない状態で、なにかを訴えるようにクローズを見つめていた。凛が人質に取られたかたちになっていることを理解し、クローズは叫んだ。

 

「テッメ、汚ねェぞ! 凛を離しやがれッ!」

「おお、ジャンヌ。もう暫しの辛抱ですよ、我が聖処女よ。生贄はたんと用意しておりますゆえ……!」

「はァ!? なに言ってんだテメェ!」

「ジャンヌ、嗚呼ジャンヌよ。再臨の時は今来たれり!」

 

 男はなにごとかを喚いているが、それが凛やクローズに向けられたものでないことは明白だった。ぎょろりと剥き出しに見開かれた瞳は、錯乱したように瞳孔が右往左往している。正常な会話が成り立つ相手とは思えなかった。

 もう一度ビートクローザーから攻撃を放とうかとも思ったが、下手をすれば凛に命中しかねない。遠距離攻撃は諦め、駆け出したクローズを阻むようにどこからか湧いて出た無数の海魔が押し寄せる。

 

「うぉおおおどけェッ、邪魔すんなァーッ!」

 

 もはや敵の増殖能力などは万丈の頭になかった。怒声を張り上げながら、クローズは海魔の群れを斬り伏せる。戦う力を持たない凛を狙う、その卑劣さに激怒した万丈は、怒りに突き動かされるままに目についた海魔を片っ端から叩き斬った。何度復活しようが、凛さえ取り戻せればいいと、そう考えていた。

 だけれども、その考えは、海魔の群れを相手取る上ではあまりにも浅慮だった。数瞬遅れて、万丈はそのことに気付く。。

 視界を埋め尽くすほどの海魔の群れを手当り次第に斬り殺し、死んだ海魔は増殖して復活する。クローズの手足に絡みつく触手の数が、クローズの対処しきれる範囲を超えるまでに、そう時間はかからなかった。

 

「クッソ……、なんだよ、テメェら、どけよッ、凛が……!」

 

 ついに、前進を続けるクローズの手足が、海魔によって絡め取られた。身動きが取れない。考えなしに斬り倒し続けた結果、気づけばクローズは、増え続けた海魔によって攻撃も前進もままならぬ窮地へと追い込まれていた。

 

「離せッ、くそっ……凛ッ、凛ーーーッ!」

 

 名を呼びながらもう一度顔を上げた時、クローズは見た。

 

「――ッ!」

 

 凛がその大きな瞳いっぱいにたたえた涙をつうと零して、男の手に塞がれ満足に動かせぬ口で、なにごとかを叫んだのだ。

 

「な……なッ」

 

 それが、凛からの最後の別れの言葉であるかのように、万丈には感じられ、絶句した。

 凛を連れた男の後ろ姿は、押し寄せる海魔の群れに視界を覆われ、ついにその姿はクローズの位置から見えなくなった。すぐに追いかけたかったが、手足に絡みついた海魔が邪魔で、即座に行動することができない。

 

「う……ぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁあああああああああああああ――ッ!!」

 

 怒りとも悲しみともつかない絶叫を、万丈はクローズの仮面の下で叫んだ。

 

 程なくして、クローズの手足に絡みついていた海魔の群れは姿を消した。

 クローズの体を食い破ろうと、この体に何度となく牙を突き立てられた。けれども、プロジェクト・ビルドによって造られた装甲は、たかだか海魔ごときの牙を通しはしない。結局海魔はクローズを傷付けること叶わず、主である長身の大男が去ったことで、海魔どももいずこかへと姿を消したのだった。

 クローズは、膝から崩れ落ちた。

 装甲が消失し、生身を晒した万丈は、今しがた自分たちを襲った出来事への理解が追いつかず、茫然自失といった様子で呆けるしかできなかった。

 

「凛……」

 

 少女の最後の表情が、脳裏をよぎる。

 少女の流した涙が、フラッシュバックする。

 あの時、あの最後の瞬間、心優しい少女はなにを言おうとしたのか。

「あいつ……あいつッ、最後の最後まで……!」

 助けて、とか。死にたくない、とか。そういう類の言葉を告げられたのではない。

 いつ自分が殺されてもおかしくない状況で、恐怖に押し潰されそうな心を奮い立たせて。涙に濡れた瞳で海魔に囚われたクローズを見つめて、幼い少女は叫んだのだ。

 

 ――あなたは、逃げて!

 

 狙われているのは自分だから、自分さえ犠牲になればそれでいい。それで、万丈はもう襲われることはないから、と。

 きっとあの正義感の強い少女は、そんなことを考えて、最後の最後まで万丈の身を案じて叫んだのだ。自分の身がどうなろうが、巻き込んでしまったのは自分だから、と。きっと、そんなことを考えていたに違いない。

 その事実が、万丈にとっては、この上なく情けなかった。

 

「くッ……ぅ、ぉぉぉぉぉぁああああッ!」

 

 腹の底から漏れる嗚咽を堪えきれず、再び叫んだ万丈は両手の拳を地べたに叩きつけた。目頭がじわりと熱くなる。

 守ると言ったのに。必ず家まで送り届けると見得を切ったのに。

 なにも約束を果たせず、あの心優しい少女が連れ攫われるのを黙ってみていることしかできなかった。思えば、凛はきっと、こういうことが起こるとしたら、狙われるのは自分であるとわかっていたのだ。

 万丈の瞳に、もう一度闘志の炎が宿る。このままでは、終われない。

 

「ちくしょう……、ちくしょうッ……見捨てて、たまるかよッ」

 

 あの少女が最初に口にした通り、危険への対処を凛ひとりに任せて、万丈だけが逃げおおせることなどあってはならない。

 絶対に助け出す。手遅れになどさせはしない。女の子ひとり守れないようでは、今後万丈は二度と仮面ライダーを名乗れない。

 万丈は立ち上がり、眦を決して駆け出した。

 

「待ってろよ、凛……! 俺が絶対ェ、助け出してやるからな……!」

 

 公園を飛び出した万丈は、誰にともなく、月夜に咆哮した。

 

「俺はッ、仮面ライダークローズだァァァーーーッ!」

 

 万丈の心のうちで蒼く燃え上がる正義の炎は、もう、誰にも止められない。見知らぬ冬木の景色をぐんぐんと追い抜いて、万丈はひた走る。


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