仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD   作:おみく

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第15話「明かされるトゥルース」

「いやあ、それにしてもアーチャーにかけられた呪いが解けてよかったよ。これでおたくらも万全の態勢で聖杯戦争に挑めるってもんだ」

 

 目の前で膝を崩し、恩着せがましく笑ってみせる石動惣一なる男のことが、切嗣にはまったく信用ならなかった。切嗣の傍らに敷かれた座布団の上で静かに座っているアイリスフィールにしてもそれは同様だろう。

 日ごろ、アイリスフィールが拠点として用いている屋敷に、数日前突然訪れた聖堂教会の石動を名乗る男は、今回の聖杯戦争に関する情報を衛宮陣営に横流しするという建前で定期的に屋敷に顔を出すようになった。実際、シャドウランサーの宝具で癒えることのない傷を与えられたアーチャーを戦列に加えるわけにもいかず困窮していた切嗣にとっては、石動の言葉に耳を傾けるのはそう悪いことではなかった。

 ふと、アイリスフィールがちらと切嗣に目配せをした。切嗣は油断なく石動を睨めつけたまま、小さく首肯する。僅かなアイコンタクトののち、アイリスフィールは切嗣に代わって口を開いた。

 

「今回はあなたが教えてくれた情報のお陰で、無事シャドウランサーを仕留めることができました。お陰でアーチャーの傷も既に回復していますし、それに関しては感謝もしています。ですが、私達にはあなたの目的が依然としてわからずにいます。いったい、私達にシャドウサーヴァントの情報を与えてなにをさせようというの?」

 

 石動はシャドウサーヴァントの情報のみならず、ランサー陣営と同盟を結んだキャスター陣営と仮面ライダービルドの情報、アインツベルン城を乗っ取ったルーラーのサーヴァント、仮面ライダーゲンムなる存在の情報を寄越してくれた。見返りのない情報としては、あまりにも成果が大きすぎる。

 

「何度も言ってるように、シャドウサーヴァントってのは俺たち聖堂教会にとっちゃすごーく邪魔な存在なの。だから、敵対してるおたくらに情報を寄越したってワケ。なにしろ、聖杯戦争を正しく運営することこそが俺たちの目的だからな」

 

 テーブルを挟んで向かい合って座る石動は、表情ひとつ変えずに茶を啜った。当の石動本人も、自分が切嗣らからまるで信用されていないことを知っていながら、特に気にも留めていないように見受けられる。

 

「ならば何故ルーラーの情報まで寄越す。アレはお前たちの戦力なんだろう」

「そりゃあ、俺だって悪いなあと思ってるからだよ。ルーラーの一存でおたくらの城を奪い取ることにはなっちまったが、アレは聖堂教会の意思とは無縁だ。璃正神父も、まさかルーラーがアインツベルンの拠点を奪い取ってるとは露とも思ってねえだろうさ」

「随分おざなりな言い訳ね。お陰でこっちは戦略上の重要拠点をひとつ失っているというのに」

「だからこそ情報を教えたのさ。気持ちばかりのお詫びってわけじゃないが、俺はおたくらとは仲良くやっていきたいと思ってる」

 

 明らかな苛立ちを孕んだアイリスフィールの一言にも、石動に動じる様子はない。

 深く息を吐いたアイリスフィールは、不服を隠すことなく石動を睨み返した。

 

「……いいでしょう。では、質問を変えます」

「どうぞ?」

「これは()()()()()()()()()石動惣一に対する質問です。先日、そちらの言峰綺礼が妙な言い掛かりをつけて我が陣営の人間を襲った、と話に聞いています。それについてなにか釈明は?」

「それは俺に言われても困る。あれは綺礼のやつが勝手に先走っただけだろ? そういう、聖堂教会に対する文句を俺に言われてもねえ」

 

 石動は困ったように首を振った。

 

「なんて無責任な……! あなた、それでも聖堂教会の人間なの?」

 

 アイリの語尾は僅かに上擦っていた。流石の石動も罰が悪そうに眉を顰めた。

 

「いやあ、実は俺がここにいること自体、監督役の璃正神父にしてみりゃ想定外の行動なんだよ。そんな俺が、聖堂教会の人間として正式な返答をするワケにゃいかねえだろ? 俺の一存じゃ答えらんないこともあるってことは、悪いけど分かって貰わないと」

 

 アイリスフィールは額を軽く押さえ、再び大きな嘆息を落とした。彼女に、この手の相手との交渉事が向いていないことは明白だ。切嗣は心中でアイリスフィールを労いつつ、続く質問を引き継いだ。

 

「つまり、お前の行動は聖堂教会に対する背信行為に当たるというわけだ」

「まあ、そうなるな。別に表立って裏切ってやろうって気は()()ないが」

「……なるほど」

 

 切嗣は一瞬の黙考を挟み、乾いた笑みを零した。とんだ茶番だ。この男が聖堂教会という組織に忠誠を誓っていないことは、もはや明確だった。

 

「目的がどうあれ、お前が実利を優先する人間だということはよくわかった。今回はあくまでシャドウランサーの始末が最優先事項だった……だから僕たちをけしかけ、その目的を果たさせた。それ以上の目的はないと、お前はそう言いたいんだな」

「そういうこと。ってか、最初からそう言ってんだろ。信用ないねェ、まったく」

「だったらそういうことで構わない。お前の目的がなんであろうと、僕らも勝利のために利用できるものはなんでも利用するつもりでいる」

 

 石動は感心した様子で頷いた。

 

「へえ? 目的のためなら、この俺をも利用しようって?」

「そう言っている。お前がなにを考えていようと、最後に聖杯を掴むのは僕たちだ。その上で、お前が僕たちを利用するなら、僕たちもお前を利用させて貰う……徹底的なギブ・アンド・テイクだ。僕らの間に信頼関係は必要ない」

「いいねえ、いいねえ、あんたは話が早い。取引をするなら、やっぱりあんたみたいなやつに話を持ち掛けるのが一番だ。間桐のマスターを取引相手に選ばなかったのは正解だったよ」

 

 手を叩いて、愉快そうに石動は笑った。きっと、その笑みにも石動の本心などは込められていないのだろう。この男を信用することは危険だと切嗣の本能は警鐘を鳴らしているが、戦いに勝利するためには利用できるものはなんであろうと利用し尽くし、どんな些細な要素をも味方につける必要があることを切嗣は知っている。毒を食らわば皿までとはよく言ったものだ。

 

「……今度は取引と来たか。やっぱりあるんじゃないか、お前にも目的が」

「まあな。腹の探り合いはここらにしておこう。俺の目的は、キャスターのマスターこと、仮面ライダービルド――桐生戦兎の排除にある。奴を排除できるなら、聖堂教会の情報なんざいくらでもくれてやる……どうだ、悪い話じゃないだろ?」

「それは、お前の個人的な因縁のためか」

「まあ、そういうことになるな。敵がビルドだけでいいなら、俺にだって似たようなシステムはあるから戦えないことはないんだが、サーヴァントを味方につけられちまうと、こっちもねえ?」

 

 石動は困ったように苦笑した。

 

「なるほど、お前の目的は分かった」

 

 かつて米軍によって開発されたパワードスーツが聖堂教会の派生組織の手に渡り、そこで人外の驚異に対する特殊武装へと改良されたという事実は切嗣も知っている。一部では、その強化装甲服を指してライダーシステムと呼ぶらしい。ビルドもおそらくはその類のシステムなのだろう。

 ライダーシステムを用いる組織同士のいざこざに切嗣が首を突っ込む義理はない。返答は決まっていた。

 

「悪いが僕らは今すぐにビルドを排除するつもりはない」

「へえ? これはまた驚いた。おたくらにしてみりゃ、邪魔な敵陣営を消すチャンスだってのに?」

 

 まったく驚いていない様子で、石動はわざとらしく目を丸めた。切嗣は淡々と返答する。

 

「キャスター陣営が遠坂の霊脈を奪い取ろうとしていることは僕らも知っている。遠坂のセイバーといえば、すべての陣営にとって目下最大の驚異だ。それを排除するまで、奴らにはせいぜい働いてもらわなければならない」

「使えるだけ使ってから排除するってワケか。けど、だったらなんで昨日はランサーのマスターを狙ったんだよ。ランサーだって、セイバーに対抗する立派な戦力じゃねえのか」

「単純に、戦力的な脅威度で見ればビルドよりもランサーの方が上だからだ。キャスターが遠坂の霊脈を奪うだって? ああ、結構なことだ。だが、それでランサー陣営にまで力を付けられては本末転倒だからな」

 

 石動は納得した様子で深く頷き、拍手を打った。

 

「流石は悪名高き魔術師殺し、堅実な戦略眼だ。なるほどねえ、あんたの中では、既にセイバー、ランサー、キャスターともに攻略法が確率されてるってワケだ」

 

 実際、切嗣にはセイバーと真っ向から戦う気など最初から毛頭ない。だが、遠坂から戦力を剥ぎ取れるのであれば可能な限り剥ぎ取っておきたいというのが本音だった。万が一、セイバーを失った遠坂が他のサーヴァントと契約したとて、霊脈から得られる魔術的な加護をすべて失ったとあれば、もはやそこらの一般マスターと大差はない。そして、遠坂から霊脈を奪い取れるのは、キャスター陣営をおいて他にはなく、当のキャスター陣営の排除にさほどの労力はかからないと切嗣は睨んでいた。

 

「ま、断られちまったんじゃ仕方ない。今回は諦めるとしよう」

「……随分と物分かりがいいな」

「駄々こねて要求呑んでくれるタチでもなさそうなんでね」

 

 茶化すように肩を竦める石動に、切嗣は返す言葉を持たない。味方でもない相手と必要以上に馴れ合うつもりはなかった。

 

「それじゃ、俺はここらでお暇させて貰うとしよう。またなにかあれば、そのときはよろしく頼む」

 

 切嗣の返答を待たずに、石動は立ち上がった。すぐにアイリスフィールも立ち上がり、部屋を出る石動に追従する。廊下に控えていた舞弥も合流して、ふたりに見送られて石動は屋敷を後にした。

 しんと静まり返った室内に、ひとの気配がひとつ、増える。霊体化を解除したアーチャーが、切嗣の背後に佇んでいた。

 

「あの石動とかいう男と組むつもりなら、お勧めはしない。あの男は、おそらく言峰綺礼と繋がっている。信用するには値しないと提言させて貰おう」

「そんなことはお前に言われるまでもない」

 

 たった一言で返すと、切嗣は静かに立ち上がった。切嗣はもう、武器でしかないサーヴァントと、必要以上の会話をするつもりがなかった。このサーヴァントに、切嗣の理想が理解できないなら、話すだけ無駄だと断じたからだ。

 無言のまま部屋を出た切嗣は、ちらと背後を一瞥した。赤い外套の弓兵は、別段なにを言うでもなく、ひとり節目がちに佇んでいた。

 

 

 

 衛宮の屋敷を出た石動は、冬木の住宅街を歩きながら黙考する。

 アインツベルンを丸ごと味方につけることができれば大きな収穫だったが、あの衛宮切嗣という男はそれほどおめでたい頭はしていないらしい。あの男は、石動惣一という人間をまるで信用していない。短い会話で、石動はそれをひしひしと感じた。

 

「ま、言峰綺礼の身内ってんじゃ仕方ねえか」

 

 後頭部で両手を組みながら、石動はぼやいた。

 衛宮と言峰の間に確執があることは理解している。それは黎斗が記録していたデータにも記されていた。

 これからじっくり十年の歳月をかけて、言峰は衛宮の名を受け継ぐ者と相争うことになるのだ。切嗣から見ても、言峰は因縁の相手ということになる。そんな人間と仲良くつるんでいる石動に、切嗣が心を許さないことなど考えなくてもわかる。

 だけれども、それならそれで構わないと石動は思っていた。こうして切嗣に会いに行ったことには、意味がある。それが果たされたのだから、石動にしてみれば今回のアインツベルンとのやりとりは必要なものだったと言える。

 石動は鼻歌を口ずさみながら、踊るように軽やかな歩調で教会へと続く道を進む。

 

   ***

 

 遠坂邸の地下に敷設された魔術工房には、聖堂教会との通信用に儲けられた蓄音機型の通信機が設置されている。通信機の向こうから聞こえる同盟者たる神父らの声を聞き流しながら、時臣は沈鬱な面持ちで項垂れた。

 昨夜から行われているキャスター、ランサー両陣営による破壊活動のことで話題はもちきりだった。

 

『――しかしまさか、この短時間でここまで遠坂が管理する冬木の霊脈が解き明かされるとは。外様の魔術師がマスターとはいえ、腐ってもキャスター。最早捨て置くこともできますまい』

 

 蓄音機の朝顔から聞こえる璃正神父の声には、少なからず焦りが感じられた。

 万丈龍我(ライダー)との会談を切り上げて拠点へ戻った時臣だったが、キャスターらの動きは予想以上に早かった。偵察に送り込んだアサシンは尽く連絡が途絶え、奴らの動向を嗅ぎ付けて対処をしようにも、時臣らが一箇所を突き止めたときには既に次の要石を破壊に向かっている。完全に遠坂の要石の位置を把握していなければできない、一撃離脱の戦法だった。

 テーブルに片肘をついて額を押さえ項垂れながら、時臣は声を発した。表情は暗澹と陰ってはいるが、それを通信機の向こうの神父に悟られぬように、努めて毅然と振る舞うことを心がけて。

 

「ええ、それは勿論です。冬木の地を管理するセカンドオーナーとして、これ以上、やつらの狼藉を見過ごすわけにもいかない。次にキャスターが姿を見せたとき、我々も勝負を仕掛けます」

『おお、ついに』

 

 璃正神父の声が僅かに弾んだ。時臣も顔を上げる。

 

「そのためには綺礼、君のアサシンには重要な役割を任せたい」

『ハ。私めに務まる役目であれば、なんなりと』

 

 朝顔から綺礼の声が聞こえる。こういうとき、綺礼は常に璃正神父の背後に控えていることを時臣も知っていた。

 

「ありがとう、綺礼。次にキャスターが姿を見せれば、アサシンを総動員してしまって構わない。なんとしても奴らをその場に縫い付けて欲しいんだ。次は、奴らが離脱する前にセイバーで叩く」

『アサシンをここで使い捨てても構わないと?』

「ああ。既に七騎のサーヴァントが出揃った今、情報面で尤も秀でているのは我が陣営だ。まだ宝具を明かしていないサーヴァントもいるにはいるが、キャスター陣営さえ排除してしまえば、それに勝る脅威はあるまい。アサシンの役目は、大凡果たされたと考えていい」

 

 目下、時臣にとって最大の脅威度を誇る陣営は間違いなくキャスター陣営だ。

 長距離狙撃宝具を持つアインツベルンのアーチャーも驚異とは言えるが、アサシンとの戦闘報告から考えるに、戦闘面でセイバーが遅れを取ることはありえない。おそらくは日本の戦国武将であろうランサーにしても、知名度補正は厄介と言えるが、真っ向から戦えばセイバーの方が強いことは先の戦闘で既に立証されている。間桐雁夜のバーサーカーは論外だし、万丈龍我(ライダー)に至っては上手く立ち回れば味方につけることも難しくはない。どう考えても、最優先排除対象はキャスターだ。

 

『わかりました。では、引き続きアサシンには哨戒を命じ、キャスターらが現れ次第、導師に連絡致します……ただ』

 

 蓄音機の向こうから、綺礼は罰が悪そうな声を出した。

 

「どうした、綺礼」

『……先日から続くアーチャー、及びシャドウランサー戦。それに、昨日の一戦で、既に相当数のアサシンが仕留められています。残存戦力はそう多くありません。街中に網を張るとなると、かえって監視の目が疎かになる恐れが』

「ふむ……なるほど」

 

 アサシンは既に十分すぎるほどに当初の目的を果たしてくれたと時臣は考えている。ゆえに、ここでアサシンというカードを切り捨ててでもキャスターを仕留める腹積もりだったが、どの道アサシンの残存数自体が底をつき始めているというのなら、もはや悩む必要もない。このままじわじわと数を減らされるくらいなら、最後にひとつでも役割を与えた方がマシだ。

 

「ならば、残る目ぼしい要石の要点に集中してアサシンを配置させて欲しい。おそらくキャスターは、完全に霊脈を簒奪するために、残る要石も破壊しに現れるはずだ」

『ハ。では、そのように命じておきます』

「……ありがとう、綺礼。重ねて礼を言うよ。アサシンの犠牲は決して無駄にはしない」

『勿体ないお言葉です。次こそが、キャスターの最後にならんことを』

 

 

 璃正神父らとの作戦会議は、残るアサシンを総動員してキャスターらを足止めし、然る後、セイバーで一気に殲滅する、という方針で一応の決着を見せた。

 書き換えられた霊脈に関しては、キャスター陣営さえいなくなれば、後からどうとでも修復できる。セイバーの圧倒的戦力を思えば、作戦そのものに不安はない。けれども、時臣の心は晴れなかった。

 

 ――今のあの子は、まともな魔術師としての教育など受けてはおりません。

 ――間桐臓硯の道具として利用され、幼くして女としての尊厳すら踏み躙られ、苗床として生かされているだけの哀れな少女。

 

 昨夜のバーサーカーの言葉を、時臣は心中で幾度となく反芻する。

 間桐臓硯は、桜を己の野望を成就するための道具としてしか見ていない。当然のように与えられるべき魔導の薫陶もろくに受けられずに飼い殺されていると、バーサーカーは確かにそう言った。

 にわかには信じがたい事実だが、あの局面でバーサーカーが嘘を言うとも思えない。嘘を嫌うサーヴァントの言葉だとすればなおのことだ。

 

「桜……」

 

 誰にともなく、時臣は愛娘の名を呼んだ。

 愛する我が子の幸せを思えばこそ、時臣は桜を間桐へと送り出したというのに、その願いを否定するような待遇を受けているとなれば、話が変わってくる。

 間桐の翁に確認を取って、もしもバーサーカーの言葉が事実であったならば、もう一度桜を引き戻す必要がある。養子として出す家をもう一度選別し直さなければならない。

 

「――どうした、時臣。浮かない顔をしているな」

 

 誰もいないと思っていた閉じた地下室の中で、不意に時臣以外の声が響いた。時臣ははっとして顔を上げた。

 ぱたぱたぱた、と。小さな羽音とともに姿を表したのは、艷やかな黒と赤に彩られた無機質な蝙蝠。その身に闇のキバ(ダークキバ)の鎧を内包した英雄王(キング)の盟友、キバットバットⅡ世だった。

 キバットは地下室の薄暗闇の中、黄金色の大きな双眸を炯々と輝かせながら、デスクの端で羽を休めた。

 

「……キバットか。いや、どうということはないさ。ただ、キャスター陣営との決戦が近付いているのでね……少しナーバスになっているのかもしれない」

「そうか。俺にはもっと違う問題で迷っているように見えたが」

 

 時臣は返す言葉を詰まらせた。キングほどの大英雄を召喚していながら、その主たる時臣が聖杯戦争になんら関係のない事情で迷っていると悟られることはあまり旨くないのではないか、そう思われた。

 けれども、時臣の懸念に反して、キバットは器用に下顎をずらし、ふ、と笑みを零した。

 

「そう身構えるな。俺はキングとは違う。妻や子供の身を案じることのできる男は、これで案外と嫌いではない」

 

 その一言に、時臣は毒気を抜かれ、一瞬遅れて笑みを返した。

 

「驚いたな。君には既に私の迷いもお見通し、ということかな」

「ふふん、当然だ。いったい何百年人間を見てきたと思っている」

「……ふ。敵わないな、君に嘘はつけそうもない」

「ああ、嘘など無意味だ。素直に話した方が楽になるぞ」

 

 時臣の悩みの理由、その真実を告げるべきかでまず迷った。遠坂の当主ともあろう人間が、使い魔(サーヴァント)の使い魔ごときに弱みを見せることがいかに愚かか、分からぬわけではない。だが、それでもキバットが相手ならば、話してみるのも悪くはないのかもしれない、と時臣は思った。或いは、そう感じることそのものが心が迷っていることの証左なのかもしれない。

 

「……養子として送り出した私の娘が、どうやら酷い仕打ちを受けている、という話を小耳に挟んでね。私はそんなことのために愛する娘を送り出したわけではないというのに」

「ふむ。なるほどな」

 

 キバットは再びはばたくと、ふわりと宙に浮かんだ。時臣の周囲を旋回する。

 

「ならばどうする、時臣。娘を救いたいというのなら、俺からキングに口添えしてやっても構わんぞ。キングがその気になれば、いかな家系であろうと()()させることなど容易い」

「いや、そう単純な話でもないんだ。魔術師が一度養子として送り出した娘惜しさに力で他者を蹂躪したとあっては、それこそ遠坂は魔術の世界からの誹りは免れないだろう?」

「ふん。建前や風体、というやつか。人間というのは相変わらず面倒な生き物だな」

 

 キバットは面白くなさそうにぼやいた。ただ圧倒的な力のみで連綿と続く歴史と絶対的な掟を築き上げてきた吸血鬼(ファンガイア)の一族と、時臣が生きる魔術の世界では住む世界が大きく異なっている。それを理解しながら、時臣は微かに微笑んだ。

 

「それが、人間という生き物なんだ。例え遠回りになったとしても、魔術師として、人間として、私は正しい道を歩んでいたい……君はそれを愚かだと笑うかね?」

「まったくもって愚かだな。だが、短い時を生きる人間だからこそ、そういう考え方をするということは俺も知っている。だから、付き合ってやらんこともないぞ」

「そう言ってくれるか。感謝するよ、キバット。これほど頼もしい味方もそうはいない」

 

 時臣は背筋を伸ばすと、燭台に逆さにぶら下がったキバットに目線を合わせた。

 

「桜は私が直々に間桐の翁に事実確認を取る。その結果として、もしも桜が目に余るほどの仕打ちを受けていたなら……その時は、正式な手続きを経て遠坂家に呼び戻すつもりだ。だが、もしもその過程で争いになることがあったら……その時は、君たちの力を借りても構わないだろうか」

「よかろう。もっとも、俺としてはそうなってくれた方が面白いのだがな」

「よしてくれ、キバット。縁起の悪いことは言うものではない」

 

 時臣の苦笑を聞き流しながら、キバットは燭台から落下すると、再び空中ではばたき、舞い上がった。蝶のようにひらひらと舞いながら、時臣に背を向ける。

 

「では、俺からキングに話を通しておいてやる。邪魔をしたな、時臣」

「いや、待ってくれ。今の話は最悪の場合を想定したものだ。まだキングの耳に入れるには」

「違う、その話ではない」

 

 キバットが空中で器用にくるりと振り返った。

 

「お前はこれからキャスター陣営を絶滅させるのだろう?」

「ああ、そのつもりだが……」

「安心しろ、時臣。俺とキングを引き当てた以上、お前に敗北はありえない」

 

 それだけ言い残すと、キバットは時臣の返答を待たず、背を向け飛び立っていった。絶対的な強者のみに許されたキバットの言葉は、時臣の胸中に蟠る不安を和らげるには十分すぎるほどに覿面だった。

 しばしの沈黙ののち、時臣は自らの席から立ち上がった。使い魔にだけ話をさせて、マスターである自分が顔を出さないのでは筋が通らない。時臣は自室を出て、キングの待つ王の居室へと向かった。

 

   ***

 

 此度の聖杯戦争は、仮想空間で行われている偽りの魔術儀式である。

 その事実をケイネスらに告げてから、早くも二分が経過していた。キャスターは目線を伏せたままケイネスの言葉を待ち、戦兎は腕を組んだまま壁にもたれ掛かっている。ランサーだけはいつも通りにこにこと微笑を浮かべたままソファに腰掛けているが、相変わらずキャスターにはランサーの考えは読めない。当のケイネスはというと、眉根に思い切り皺を寄せながら黙考に耽っていた。

 

“これで良かったのか、キャスター”

“ああ。嘘を吐き続けるにも限度がある。こうなってしまった以上はな”

“ま、キャスターがそれでいいなら、俺はなにも言わねえよ。この同盟だって元はキャスターの提案で出来た同盟だし? あとはなるようになれだ”

 

 念話の交信相手である戦兎に視線を向けると、戦兎は表情は動かさず、小さく首肯した。戦兎は既に、同盟が決裂した場合をも想定しているのだろう。そのしたたかな考え方が、キャスターにはやけに心強く感じられた。

 真実を打ち明けたのは、シャドウランサーが理性を持ってケイネスを主と認識し言葉をかけたことに端を発する。

 キャスターが経験した聖杯戦争の記憶を持ったサーヴァントがこの時間軸に存在するのは、どう考えても不自然だ。嘘で塗り固めてその理由を語ることはできるが、嘘に嘘を塗り重ねるほどに、事実との乖離は大きくなっていく。やがて事実との間に生じた綻びが解けたとき、重ね続けた嘘が大きければ大きいほど、ケイネスとの間に生じる亀裂もまた大きくなってしまうことを恐れての判断だった。

 しばし流れた沈思の幕を裂いたのは、他ならぬケイネスだった。

 

「薄々勘付いてはいたのだ。君の話には、おかしな点が少なからず見受けられる」

「……というと」

「君は私の書斎で恋文の下書きを見つけたと言っていたな」

 

 ケイネスがソラウへと宛てて書こうとしていた恋文の存在を、キャスターは思い起こす。その身内しか知らぬ事実を知っていることが、キャスターが他ならぬエルメロイの派閥の人間であることを示しているのだ。

 

「はい。それが、なにか……?」

「この私がそんな迂闊なものを残したまま、他人の手で部屋を漁らせるなど、断じてありえぬ話だ。思うに、未来の君が検めた私の書斎というのは……主がついに戻らなかった部屋なのではないか、とな」

 

 瞬間、キャスターは衝撃に打たれたように瞠目した。

 迂闊だったのは、キャスターの方だ。ケイネスはずっと、キャスターの説明に違和感を覚えながら、それでもキャスターが自らの門閥の身内であることを認め、なにも言わずにいてくれたのだ。

 

「……はい。仰せの通りです」

 

 ケイネスは諦めたように嘆息した。

 

「やはりな。となれば、私がディルムッドとともに聖杯を掴んだという話も嘘なのだろう?」

「ええ。あのシャドウランサーこそ、かつてのケイネス卿が使役したサーヴァント。主であるケイネス卿を守りたいという願いを懐き、しかし志半ばにして敗退した騎士の成れの果て」

「その怨念がサーヴァントの影となり、彷徨っていたというわけか」

 

 キャスターは頷いた。

 ディルムッドの願いは、騎士としての本懐を遂げることにあったと聞く。此度の聖杯戦争に、望まぬかたちとはいえ参戦してしまったディルムッドは、果たして満足して逝くことができたのだろうか。かつてキャスター(ウェイバー)が聖遺物を簒奪したことが切っ掛けとなって、ケイネスは破滅し、そのサーヴァントは非業の最期を遂げ、そしてエルメロイの門閥は没落した。

 

「それもすべては私の責任です。この場所でのあらゆる償いが意味を持たないことも、理解はしています。ですが、それでも……私は二度と、時計塔が誇る才能を失いたくは」

 

「貴様はなにをくだらぬことを言っているのだ、キャスター?」

 

 ケイネスは冷笑をたたえ、キャスターの言葉を遮った。

 

「この世界が仮想現実だと? 誰がそのような妄言を信じると言った。まったくもって馬鹿馬鹿しい。度し難いほどに醜悪な戯言だ。現に私は今ここにいるというのに、貴様はなにを戯けたことを言っているのやら」

「それもあくまで仮想。本来のケイネス卿は――」

「――キャスター!」

 

 ケイネスの一喝が、またしてもキャスターを黙らせる。

 その声で怒鳴られると、昔日の日々が脳裏を掠めるのだ。そうすると、キャスターはなにも言えなくなる。偉大なる恩師に、キャスターは真っ向からの刃向かう術を持たない。

 

「貴様がなんと言おうとも、私は今、この場所にいる。自分で物事を考え、己の意思でこの戦場に立っているのだ。であれば、仮想現実だなんだとくだらぬ理由をつけて戦場から逃げ出すことなどできようものか、出来るはずがなかろう!」

「……ケイネス、卿」

「誰になんと言われようとも、私は聖杯を獲得し、ただひとりの勝利者となって、時計塔へと凱旋する……これは絶対だ。ロード・エルメロイの名にかけて、その役目を放棄して逃げ出すことだけはできないのだよ、キャスター」

 

 キャスターは言葉を失った。

 これでこそロード・エルメロイだ、と改めて思い知らされた。

 時計塔が誇る風雲児。天才の中の天才。貴族の中の貴族。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトとは、常に自信に満ち溢れ、いかな状況であろうとも敵に背を向け無様に逃げるような真似はしない。キャスターが憧れた師は、まさしくそういう人間であった。

 

「キャスター。君は確か、私が聖杯戦争を勝ち上がり栄光の階を確かなものとするため、全力で力を尽くすと、そう言ったな」

「……ッ、はい」

 

 弾かれたように顔を上げる。ケイネスは平時となんら違いなく、不敵に口角を釣り上げて笑っていた。

 

「ならば、それでよいではないか。私は聖杯戦争を勝ち抜くために戦う。君はその私を補佐するために軍師としての辣腕を振るう。ただのそれだけであろうに」

「それが……ケイネス卿の出した答え、なのですね」

「ふん、私が答えを出すには余りにも粗末な問答であったがな。君こそ、そのような妄言を口にしている暇があれば、少しでも次の戦闘に備えた策でも練っておけばどうかね? でなければ、君に力を貸した策士の霊基が泣くぞ」

「……ええ、ええ。まったく、仰る通りです……私はただ、私の成すべきを成すのみ。ケイネス卿の仰る通りにございます」

 

 思わず笑みが漏れる。全身からどっと力が抜けるような感覚に見舞われた。

 ケイネスとて馬鹿ではない。キャスターの語を、まったくの妄言だと断じているわけでもないのだろう。最悪の場合、同盟の決裂まで想定していたというのに、それでもケイネスはキャスターを信じ、今後もともに戦う道を選んでくれた。ここに至るまで、ともに修羅場を乗り越えてきたことで信頼関係が芽生えたのか、ケイネスの心境の変化については未だキャスターにも判然としない。だが、ケイネスがキャスターを認めてくれたというその事実が、今はただただ嬉しかった。

 

「――我が昔日の恩師。私が目指したロード。偉大なるエルメロイ。御身の才能は時計塔が誇る至宝です……今更改めて約束されることではないとお思いだろうが、それでも宣言させて頂きたい。私は、必ずや……必ずや御身をお守りすると、ここに誓います。我が身に宿りし軍師の名にかけて」

 

 震える声で、キャスターは深々と礼をした。

 うむ、と深く頷いたケイネスは、そのまま黙り込んだ。腕組みをしたまま目線を伏せたかと思えば、不意に顔を上げる。なにかを悩んでいる様子に見えたが、やがてケイネスは口を開いた。

 

「――ああ、そういえば。君の田舎訛りの英語(イングリッシュ)を聞いていて、ひとつ思い出したことがある」

「は……それは、いったい」

「私の生徒にひとり、君と似た英語を話す田舎者の少年がいるのだった」

 

 途端に、キャスターは絶句した。

 嫌な汗が一気に吹き出る。正体に気付かれたのか、そういう不安がキャスターの胸中で一斉に鎌首をもたげる。

 ケイネスはキャスターに背を向けると、かつ、かつ、と踵を鳴らして数歩進んだ。

 

「その少年もまた、今の君に似て、度し難いほどに愚かな妄想癖を口にする男でな。まったくもって、魔導の探求には不向きと言わざるを得ない浅慮っぷりを持て余し、あまつさえ、この私に対し論文なぞ提出してきた蒙昧極まる男だ」

「そ、それが……なにか」

 

 心音が早鐘を打つ。生きた心地がしない。

 ケイネスは後ろ手を組んだままちらりと振り返ると、その鋭い視線をキャスターへと寄越した。

 

「だがな、私はこれでも時計塔の花形講師だ。暇な時間などありはしない。どうでもよい落第生だと思っている生徒の論文などに、多忙極まるこの私がいちいち目を通すと、君は思うかね」

「そ、それは……」

 

 他ならぬキャスター自身が覚えている。

 構想三年、執筆に一年を費やしたあの無駄に長ったらしい論文は、若さと無謀さゆえに魔術のなんたるかを理解しようともしなかった昔日のウェイバーがしたためたとんでもない黒歴史だ。他ならぬロード・エルメロイⅡ世が、若気の至りとはいえあんな駄文を書いていたことが生徒間で知れれば、それこそ噴飯ものだろう。

 ケイネスはキャスターの心を知ってか知らずか、冷ややかな声で続ける。

 

「さして名門の出自でもなく、優秀な師を持つでもなく、人より特別優れた才能を持つわけでもなく。……だが、それでいて努力の量は人一倍ときた。才能に恵まれぬがゆえ、不要な努力を強いられてきた哀れな男と断ずればそれまでだが、しかし……これで中々見込みのある生徒でな」

「――……え」

 

 ケイネスはふん、と鼻を鳴らすと、付け足すように続けた。

 

「まあ、まったく醜悪な妄想癖に踊らされる性分であることは、私にも如何ともし難いが」

 

 もう、キャスターはなにも言えなくなってしまった。

 自分が今なにを言われているのかも、混乱した頭では正確に受け止めきれていない。ただ目を見開いて、ケイネスが続ける言葉を受け止めることしかできない。

 ケイネスは最後、微かに、ほんの僅かに頬を緩めた。キャスターでなければ見落としていてもおかしくはない微妙な変化だった。

 

「だが、その悪癖を克服し、魔術師として正しい鍛錬を重ねれば……あの少年はいつの日か、それこそ君のような優秀な魔術師になるのかもしれんな」

 

 ケイネスはそれだけ言い残すと、キャスターに振り返ることなく歩いて行った。

 なにかを言おうとしたが、喉が震えて、上手く言葉を発することができない。にまにまと笑みを浮かべながら歩み寄ってきた戦兎が、キャスターの顔を覗き込むようにして肩を叩いた。

 

「よかったな、キャスター」

「……ッ、な、なにがだ」

「同盟が決裂せずに済んで」

「そ、そうか……それは、そうだな。ああ、よかったとも!」

 

 取り繕うように返答しるる、戦兎に背を向ける。戦兎は悪戯を思い付いた子供のようににんまりと頬を緩めたまま、キャスターの前方へと回り込み、下から顔を覗き込んでくる。キャスターが慌てて背を向ける。戦兎ははしゃいで回り込む。あとはもう、その繰り返しだった。

 

 

 

「ケイネス殿、ケイネス殿。どうして急にあんな話をしたんです?」

 自室に戻りソファに腰掛けたケイネスの眼前に、霊体化を解いたランサーが現れた。ランサーは後ろ手を組んだまま、腰を屈めてケイネスの顔を覗き込んでくる。ケイネスにしてみれば、サーヴァント如きが断りもなく主人の部屋に姿を表し、不躾な質問を投げてくることは不快以外の何物でもない。

 ケイネスはランサーを振り払うように手を振った。

 

「ええいまったく、なんと無礼な使い魔か! 貴様にいちいち説明してやる義理などないわ!」

「なんとご無体な。私は純粋に今のケイネス殿の気持ちが知りたいだけなのに」

「それが不快だというのがわからんのか!? 人の心を知りたいというならば、まずは人並みの慎みを学べというのだ、たわけ!」

「うーん、そういうのは一応仏門で学んだつもりなのですが、いざ対人となるとどうにも距離感が難しく」

 

 ランサーは笑顔のまま腕を組み、顎に指先を添える。

 この戦国武将は、人の心を知ることが己の望みであると言った。それ以上に願うべきものはないし、そもそも願いなどというものは自分の手で叶えるものだと、そうケイネスに豪語したのだ。

 ケイネスとて、聖杯になにかを願いたいというわけではない。ただ、聖杯戦争という大掛かりな魔術儀式の勝利者となったという証が欲しいだけだ。あらゆる勝負事を勝利で飾り続けてきたケイネスにとって、聖杯などという胡乱な代物には微塵も興味がないし、報奨がなんであろうがケイネスは勝つ。それは揺ぎのない事実だ。その認識はランサーと変わらない。

 

「そういえば、ランサー」

 

 不意に、ケイネスは声のトーンを落とした。

 

「貴様、最後にシャドウランサーと何事かを話していたな」

 

「……ええ。彼がなにを思い、なんのために戦っていたのかが知りたくて」

「そうか……ふむ。答えは聞けたのか?」

「かの騎士がなにを懸けて戦っていたのかは、わかりました。痛いほどに伝わってきましたから」

 

 ランサーは笑った。けれども、その笑みに心が伴っていないことを、ケイネスは知っている。ランサーはただ、万人はこうして笑うものだと知って、形だけなぞっているに過ぎない。今彼女が浮かべているのは、中身のない上辺だけの微笑みだ。

 

「そのせいでしょうか。私は、アーチャーがあの騎士の首を跳ねた瞬間――平時ならば感じることのない熱を心のうちに感じました。最期までケイネス殿を想いながら果てたあの騎士の不憫を思うと、どうにも」

「ランサー……その時貴様が感じた熱とやら。それこそが、まさしく貴様がわからぬと宣う人の心なのではないか」

「そういうものでしょうか。まともな人間はああいう時に怒るものだと、私とて理解はしていたので……あのとき感じたものが果たして、万人が抱く感情と同じものなのか、と問われると。私はただ、万人が思い描く『怒りの発露』とやらをなぞっただけに過ぎないのでは、とも」

 

 あの瞬間、アーチャーに対し戦兎とともに怒号を飛ばしたランサーのことはケイネスも覚えている。けれども、あの時のランサーは――笑っていた。

 言葉に込められた熱量も、瞳に宿った怒りも、すべて嘘ではなかったはずだ。それでもランサーの口元は笑っていたのだ。どうしてあんな顔ができるのかが、ケイネスにはわからない。

 

「ケイネス殿。あの時の私は上手く怒っているように見えましたか?」

「あ、ああ……」

「それはよかった。人とはああいう風に怒るものだと学びましたから」

 

 返答に窮したケイネスは、歯切れの悪い生返事しかできなかった。それを受けてまた笑うランサーの痛々しい姿に、ケイネスは底知れない恐ろしさを覚えた。

 ランサーには、ケイネスが今なにを考えているのかも見透かされているのではないか。そう思えてならなかった。それは、ケイネスがランサーを苦手とする大きな理由のひとつだった。

 思わず目線を逸らすと、ランサーはやはりくすりと微笑んだ。それが見下した笑みや憐憫の笑みでないことはケイネスにもわかった。ランサーは柔和な声音のまま、ほんの少しだけトーンを落とした。

 

「ですが、あの騎士にしてみれば……あの結末もそう悪い最期ではなかった、のかもしれませんね」

「なに?」

「私は見たのです。あの騎士が最期の瞬間に浮かべた表情は、怒りでも絶望でもなかった」

「ほう」

「あの騎士は、最後の最後まで、微笑んでいたのです。まるで戦に勝利し、家族の待つ国へと帰る男衆のように……私には、それがわからない。これから死にゆくというのに、かの騎士はあれで嬉しかったのでしょうか。たとえ死を迎えようとも、最後は騎士として槍を振るい、そなたを守る盾となれたことで……満足して、逝けたのでしょうか」

 

 ケイネスはふん、と鼻を鳴らした。

 

「くだらぬ疑問だな、ランサー。当の本人が消滅した以上、今となってはなにを問答したところで答えなど出るわけもあるまい」

 

 なぜサーヴァントごときがあのような行動に出たのかは、ケイネスにもわからなかった。わからないことが腹立たしく、ケイネスの声に僅かな苛立ちの棘がこもる。

 サーヴァントなど所詮はただの道具。英霊の影法師に過ぎない。心があるように見せかけてはいるが、それは所詮、その英霊の生前のあり方をなぞっただけなのだろうと、そう思っていた。

 だが、ランサーは現に、今こうして悩んでいる。孔明を名乗るキャスターはエルメロイの未来を守るために苦労を背負い込み、シャドウランサーに至っては騎士としての本懐を遂げて、満足して逝ったという。

 

「心、か……」

 

 彼らには、人間と同じように思考し、喜び、悲しみ、怒るまっとうな心があるのではないか。そもそもの話、万が一の話だが、ケイネス自身も仮想現実の存在だとするならば、その命の価値はここにいるサーヴァントらとなにも変わらないのではないか。

 

「……ええい、馬鹿な」

 

 無意識のうちにそんなくだらないことを考えてしまっていることを自覚したケイネスは、懊悩を振り払うように勢いよくかぶりを振った。

 

「大丈夫ですか、ケイネス殿?」

「うるさい、くだらぬ心配は無用だ!」

 

 伸ばされた手を振り払う。笑顔のまま腕を引いたランサーに、ケイネスは深く息を吐き出し、訪ねた。

 

「……ランサー。この世界のこと、貴様はどう思う」

「というと、キャスターが言っていた仮想現実だかなんだかの話ですか? でしたら、私もケイネス殿と同感ですよ。やれ虚構だ現実だと言われたところで、私は今こうしてここにいますし?」

「そうか……うむ、そうだな」

 

 自分自身を納得させるようにケイネスは頷いた。結局、答えはそれしかないのだ。

 ランサーもケイネスも、自分の意思で物事を考え、自らの目的のためにこの地に立っている。それを今更、お前は生きた人間ではないからと言われたところで、聖杯戦争を投げ出す理由にはならない。

 例え他人から生きることの意義を否定されようとも、今ここに生きるケイネスは、終わりが来るその瞬間まで生き続けることしかできないのだ。そう思い直し、ケイネスはこれ以上答えのない自問自答を繰り返すことはやめることにした。

 伏せた目線の先に、ひょっこりとランサーの微笑みが顔を出す。

 

「あれっ? ひょっとしてケイネス殿、ほんとは結構悩んでたりします?」

 

 ケイネスはあからさまに嘆息を落とした。

 

「なにを戯けたことを言っている、この私がそのような妄言に耳を傾けるわけがなかろう。だいたい貴様も貴様だランサー! 人の心を知りたいという前に、そのデリカシーのなさを改めた方がよいのではないか?」

「むう。なんとも難しいものですね、人はこういう風に冗談を言って笑い合うものだと思っていたのですが……」

 

 辟易する思いの中、返答をする気力すらも削がれたケイネスは大きくかぶりを振って、もう何度目になるかもわからない嘆息を落とした。対するランサーはやはり笑顔のままだ。

 ランサーが真に人の心を知る日が来るのは、まだまだ先になりそうだと思われた。

 

   ***

 

 石動が聖堂教会の拠点たる冬木教会へと戻ったとき、その帰りを出迎えたのはたったひとりの神父だった。

 教会の天窓から降り注ぐ陽光をその大きな背に受けながら、璃正神父はその年老いた姿からは想像もつかないほどにはつらつとした声を、礼拝堂に響かせた。

 

「どこへ行っていたのかな、石動惣一くん」

 

 はじめ、石動はほんの一瞬硬直した。けれども、すぐに平時の薄笑いを浮かべ、石動は礼拝堂の奥へと歩を進める。

 

「いやあ、ちょっと買い物に。この地方都市じゃコーヒー豆の栽培も難しいから、せめていいものを探そうと思ったらどォーにも時間掛かっちゃって」

 

 璃正神父はくるりと振り返ると、深く息を吐きながら、ゆるくかぶりを振った。

 言峰璃正といえば、第八秘蹟会の司祭にして、前回の第三次聖杯戦争から続けて監督役を任されるほどの傑物だ。齢八十を越える高齢であると聞き及んでいるが、僧衣の薄布に隠された筋肉は、未だ衰えを知らず逞しく張り詰めており、敵に回せば厄介な人間であることは間違いない。

 薄く開かれた双眸の奥で、鋭い眼光が獲物を見定めた猛禽類のように輝いている。その獲物とは、まさしく石動惣一自身のことだ。石動は既にその事実に気付いていた。

 

「なぜ嘘をつくのです」

「嘘だって? なんの話をしてるのかわかんねえな」

「残念だが石動くん。私は教会の間諜に君を尾行させていました。もう誤魔化しは通用しないと考えた方がよろしい」

 

 石動はわざとらしく、あからさまに戸惑ってみせた。

 

「尾行ォ!? おいおい勘弁してくれよ、なんだって仲間内でそンなことするんだよォ!」

「……君の行動には不可解な点が多すぎる」

「不可解な点? 言いがかりだろォ、そんなモン。俺の行動のいったいどこが不可解だってんだよ」

 

 礼拝堂の奥へと進みながら、石動は問い返す。

 

「このところ、君は頻繁にアインツベルンの拠点に顔を出していたようですが。いったいなんの目的であのような敵地へ赴いていたのか、納得のいく説明はできますかな」

「そりゃ敵情視察ってやつさ。遠坂に勝利を掴ませようにも、敵の情報は不可欠だろ? アサシンだけじゃ限界があると思ってねえ」

 

 璃正神父の隣に並び立った石動は、天窓の向こうで輝く太陽を見上げ、目を細めた。既に陽は高く登っている。午前中は丸々衛宮の屋敷で過ごしてきたことの証左だった。

 

「ふむ。では重ねて問いましょう。君は単身敵地に乗り込み、見事なんらかの有益な情報を掴むことは出来たのですか」

「そりゃあもう、とびきり有益な情報を」

「ほう、面白い。それはいったい――」

 

 璃正神父が石動へと向き直ったその時、既に石動はトランスチームガンを神父へと突き付けていた。

 

「――やはりかッ」

「蒸血」

 

 トリガーを引くと同時に、銃口から放たれた煙幕が石動の身を包む。黒煙は瞬く間に拡散し、ふたりの影を覆い隠した。やがて、もうもうと立ち込める黒煙が晴れた時、そこにいるのはもう石動惣一ではない。赤い装甲を纏った蛇の戦士、ブラッドスタークだ。

 蒸血の前から既にスタークの殺意を感じ取っていた璃正は、長年の戦闘経験によって裏打ちされた拳法の構えから、鋭い正拳突きを繰り出した。

 

「うォおッ、とォ……! なンだこの速さはァ!」

 

 すんでのところで身を捻って璃正神父の突きを回避したスタークは、僅かな刹那で璃正神父の戦闘能力の高さを実感し、素直に感心した。蒸血していなければ、今頃石動は意識を刈り取られていたことだろう。生身のままでは絶対に戦いたくない相手だ。

 

「本性を現した以上、最早言葉は不要と知るがいい……!」

「そいつは上等だ。こっちももう、あんたと話すことはなにもない」

 

 続けて繰り出される突きの連撃をいなしながら、スタークは徐々に礼拝堂の奥へと追いやられてゆく。回避を続けながらスチームブレードをトランスチームガンへと連結させたスタークは、銃身に取り付けられているバルブを勢いよく捻った。

 

「あんたはもう、言葉なんか話せなくなっちまうんだからな」

 

DEVIL(デビル) STEAM(スチーム)!』

 

 最後の突きと蹴りの連撃を身を翻して回避したスタークは、振り返りざまにライフルの銃口を突き付けた。璃正神父は飛び退ろうと床を蹴ったが、銃口から放たれたのは銃弾ではなかった。銃弾であれば回避できていたのだろう。それが璃正神父の運命を分かつ最大の誤算だった。

 銃口から放たれた煙幕は瞬く間に広範囲に拡散し、璃正神父の身を覆い隠す。僧衣の袖で口元を覆うが、全身をネビュラガスに包まれた以上、最早逃げ果せることなど不可能だ。呼吸すらままならずにガスを吸引し、肺を外宇宙からの異物で満たした瞬間、璃正神父はぱたりと動きを止めた。

 

「う、ぉぉおお――ッ!」

 

 短い断末魔の叫びののち、長年の鍛錬によって鍛え上げられた肉体が、無機質な機械の体へと作り変えられてゆく。

 丸々とした鉛色の体で、その巨腕を振り上げた璃正神父は、己の両拳をぶつけ合わせて低く唸った。のっぺりとした鉄の顔には、黒い穴が三つだけ穿たれている。

 旧世界において、便宜上ストロングスマッシュハザードと名付けられていた個体だ。

 

「流石に強敵と見込んでネビュラガスは多めにブチ込んだが、まさかなんの耐性もない人間が一発で強化態にまで変貌しちまうとはな。まったく、第八秘蹟会の神父ってのには化け物しかいねえのか」

 

 悪態を吐きながらもくつくつと笑みを零すと、スタークは自らの配下と化した璃正神父(スマッシュ)の巨躯に馴れ馴れしく片肘を乗せた。目の前の怪人には既に、元になった人間の自我はない。

 スタークがなにをしても、璃正神父はもう、怒ることすらできなくなったのだ。

 

「さあて。成り行き上とはいえ()()()()()()ことだし、俺もそろそろ動き出すとするかァ!」

 

 トランスチームライフルを肩に担いだスタークは、ぐっと背筋を伸ばして伸びをすると、ゆったりとした足取りで歩き出した。意思を奪われた鉛色の異形は、なにも言わず粛然と追従するしかできない。

 ついに動き出した星の破壊者は、その凶行を誰にも見咎められることもなく、主人を失った教会を背に歩き去っていった。




 TIPS
【素晴らしき青空の会】
 もともとは聖堂教会を発端とする宗教組織。
 未だ十三魔族が蔓延る時代、人類の脅威たりうる魔族は根絶すべしと唱える過激派が聖堂教会から離反し、この世に素晴らしき青空を取り戻すという大義名分を掲げ設立された。
 しかし、ファンガイアが他の魔族の大半を滅ぼし尽くした現代においては、実質的に対ファンガイア戦のみに特化した組織となっており、聖堂教会の行動理念とは明確に役割が分かたれている。そのため、両組織が同じ管轄内でぶつかることもなくなり、現代では互いに連携をとりあって活動しているらしい。
 言峰璃正らの所属する第八秘蹟会と同様、宗教組織の暗部と呼ぶに相応しい特務機関である。
 また、素晴らしき青空の会には日本支部が存在し、現在(一九九四年時点)の会長は嶋護(しままもる)が勤めている。

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