仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD 作:おみく
戦兎らが
「俺はプロテインの貴公子、万丈龍我……またの名を、仮面ライダークローズ!」
「僕はアルターエゴ。今は、ハイ・サーヴァントとして皇帝ネロ・クラウディウスを名乗っています」
ライダーとネロの自己紹介は、はじめてそれを受けるものに対してあまりにもぞんざいなものだった。ケイネスにしてみれば既に慣れたものであり、取り立てて叱責する気も起きなかったので、ただ諦念の嘆息ひとつ溢して自己紹介自体は聞き流すことにした。
「色々と言いたいことはあるが……一晩のうちに戦力が二騎も増えたことを思えば、事の首尾は上々と言ってもよかろう。あのセイバーを撃退したことも事実。ここは素直に貴様らの凱旋を喜ぶべきなのであろうな」
「意外だな、ケイネス。アルターエゴはともかく、遠坂と間桐の両方と繋がりを持ってる万丈が仲間になることには、もうちょっと渋ると思ってたが」
「ふん、あまり私を安く見るなよ桐生戦兎。アルターエゴを味方につけた以上、もはやセイバーなど敵ではなし。バーサーカーに至ってはそもそも眼中にすらないわ。その程度の分別もつかぬ蒙昧と私を一緒にするな」
不快感を隠そうともせず、ケイネスは戦兎を睨んだ。
戦闘の一部始終はケイネスとて把握しているし、そもそも万丈龍我が器用に嘘をつける手合にも見えない。多くの生徒を育て評価してきた時計塔講師としての審美眼にはそれなりの自信を持っている。
「で、貴様らはこれから先、いったいどうする腹積もりでいるのだ。聖杯戦争が中断したとあっては、こちらから表立って遠坂に仕掛けるわけにもいくまい……まあ、出来ることなら、再開前に遠坂かスタークのどちらかを仕留めておきたいところだが」
「それについては、私に考えがあります」
「ほう」
期待した通り、はじめに声をあげたのはキャスターだった。
「間桐雁夜から得た情報によると、明日、娘との面談を目的として、遠坂時臣が間桐の屋敷の門を叩くそうです。しかし、間桐雁夜が遠坂時臣との決着を望んでいる以上、話が穏やかに進むとは思えない。ともすれば……セイバーかバーサーカー、そのどちらかが明日、脱落する可能性も考えられる」
「まあ、そうなった場合、脱落するのはバーサーカーと見てまず間違いはなかろうよ……もっとも、それはあくまで“我らが動かねば”の話だが」
キャスターはにい、と笑みを深めた。
「お察しの通りです、ロード。私は、アルターエゴを率いて間桐邸に乗り込むべきと進言いたします」
「お、おい、ちょっと待てよ。聖杯戦争は一時中断するって話だろ、それをこっちから仕掛けるような真似して大丈夫なのかよ」
「案ずるな、ライダー。なにも我々から仕掛けるわけではない。セイバーとバーサーカーが戦闘に突入した場合、その仲裁役を我らが担おうと言っているんだ。その結果として、セイバーが脱落することになる可能性は否めないがね」
付け足すように告げられたキャスターの本音に、万丈はあからさまに表情を引きつらせ、身を引いた。
「うッわ、ズリィなテメェ……やっぱ遠坂さんの言ってた通りのヤツじゃねーか!」
「ふ、遠坂氏が私をどう評していたのかなど興味もないが、それはそれとして、私の方策になにか不満でもあるのかな、ライダー」
「……いや、ねーよ。セイバーの野郎をブッ倒して、雁夜と遠坂さんにはちゃんと話をさせる。そンで、本当はあの人たちが戦う必要なんてねえってことを分からせて、みんなで桜を救い出す……! そーいう作戦なら手を貸してやってもいい」
手のひらに拳を打ち合わせて、万丈は迷いのない視線で言い切った。キャスターは頬を緩めて首肯すると、戦兎とネロに向き直る。
「マスター、アルターエゴ、君たちはどう思う」
「俺は賛成。清姫の話じゃ、間桐がシャドウバーサーカーを召し抱えてるのは間違いなさそうだし、そっちも放っておくわけにはいかねえからな」
「僕も異論はありません。あのセイバーとの戦いになるなら、今度こそ、僕が倒します」
意見が出揃ったところで、ケイネスは振り返り、傍らに控えるランサーの顔を見やった。ランサーはいつも通りにこやかに微笑んでいた。彼女の攻撃的な性格から見て、今すぐにでも戦場に攻め込み暴れ回りたいと考えていることはあまりにも明らかだったので、わざわざ考えを問う気にもならなかった。
「――よかろう。間桐の屋敷が戦場となる可能性がある以上、どのみち捨て置くわけにもいかぬ。我らは遠坂より先んじて間桐の屋敷へと乗り込み、その趨勢を見守ることとする。連戦になるやもしれぬが、明日に備えて、各自英気を養うように」
誰も異論はなく、全員が各々の所作で頷いた。
既に夜も深く、これから摂れる睡眠時間も限られている。ケイネスもまた深く頷き返すと、自身もまた休養を求め、自室へと戻っていった。
天窓の向こうに見える夜空には厚い雲がかかり、月灯りを遮っていた。ケイネスが去ってから、既に数時間が経過している。
工場内は既に消灯されているが、戦兎のラボの一室だけは消灯されてなお人工の灯りにぼんやりと照らされていた。無数のパソコンモニターから漏れる光だ。デスクの上には乱雑に研究資料が散りばめられており、その中でも一際目を引くのが、大量の計器と無数のコードに繋がれた、スクラッシュドライバーだった。
持ち主の万丈は、手持ち無沙汰のあまり、腕立て、腹筋、背筋、シャドーボクシング等のトレーニングに終始打ち込んでいたが、やがてそれにも飽き、モニターと向かい合ったまま動かない戦兎の背後に立った。
「なあ戦兎。お前、眠らなくて大丈夫なのかよ」
「それはこっちのセリフだ」
「あァん? 俺はべつにィ? なにしろ俺は? 無敵のサーヴァントッ! だからなあ!」
両腕の筋肉を見せつけるボディビルダーよろしく腕を振り上げる万丈だったが、戦兎はモニターに向かい合ったまま、振り返ることはなかった。虚しくなったので、気づかれる前にそっと腕を下ろした。
「お前、セイバーの宝具をまともに食らったんだろ。体力の消耗が激しいのは、俺よりもお前のはずだ」
「ああ、いや……なんか不思議とピンピンしてんだよな。やられた瞬間はやべえッて思ったんだけどよ」
キーボードの打鍵音が止まった。戦兎はくるりと椅子を回転させて、振り返る。じいっと万丈を眇めて、戦兎は眉根を寄せた。
「やっぱりな。お前の体は、普通じゃない」
「あん? そりゃ、今の俺はサーヴァントだからな」
「セイバーのあの宝具を受けて平気でいられる理由は、それだけじゃ説明がつかないんだよ。あれは、サーヴァント一騎くらいは確実に葬り去れるだけの威力はあった」
セイバーの魔皇剣から放たれた真紅の極光に視界が覆われ、すべての感覚が消え失せた瞬間のことは、万丈も覚えている。確かに、あれほどの威力の攻撃を受けたことはいまだかつて一度もない。
「お前があの攻撃を耐えられた理由はおそらく、エボルトの遺伝子にあると俺は見てる」
「はァ? そりゃいったい、どういうこったよ」
「いいか万丈。お前がなんでサーヴァントになったのかは知らないが、少なくとも英霊になった今も、お前の中にエボルトの因子が残っていることは間違いない。そうでなきゃ、クローズには変身できないからな」
「それがなんで、あの宝具の攻撃を受けて耐えれたことに繋がるんだよ」
戦兎は再びキーボードを叩き、万丈のスクラッシュドライバーから採集したデータをモニターに映し出す。戦兎のドローンが撮影したセイバーの宝具展開に関する映像記録も残されていた。モニターは、他にも様々な計算式や英語の羅列で埋め尽くしているが、それがなにを意味するのかは万丈には分からない。
「これは仮説だが……あの宝具の性質と、エボルトの遺伝子が持つ性質。その両方が上手く作用して、お前はあの宝具から生還できたんじゃないか……俺はそう睨んでる。サーヴァント戦ってのは、互いの相性で決まるものだって、キャスターも言ってたからな」
「そういうもんか。なーんか難しくてよくわかんねぇけどよ」
「ま、現時点では俺もまだ仮説でしか話せてないからな……わからないのも無理はない。だが、仮にこの説が正しいとするなら、それは俺たちにとって有益なファクターになる」
「お、おう」
デスクチェアごと振り返った戦兎は、子供のように無邪気に笑みを深めた。物理学者として、好奇心のスイッチが入った瞬間だった。
これ以上話を聞いても、どうせ万丈に難しい話はわからない。だが、それでも戦兎の瞳があまりに純朴に輝いているので、万丈は諦めて聞き返した。
「で、つまりどういうこったよ」
「ふふん、よく聞いてくれました! 万丈も知っての通り、ライダーシステムは元々、エボルトの力が封じられたフルボトルを、地球の科学で解析し、応用したものだ。だから、エボルトの成分がなきゃ、俺達は変身すらできない」
「おう、そうだな」
「だが、俺のビルドはエボルトとの最終決戦でその成分の殆どを吸い尽くされちまった。おかげで、今のビルドのスペックはほぼ初期状態まで落ちてる。それはお前のクローズも一緒のはずだ……少なくとも、マグマナックルなんか使えるはずがない」
「ん? いや、普通に変身できてっけどな。なんかこう、心がカーッ! となったら勝手に出てきたぞ、マグマナックル」
「……それは、今のお前がサーヴァントだからだ」
戦兎は呆れた様子で笑みを溢すと、万丈に背を向けて、再びモニターに向かい合った。
「サーヴァントの力の源は、魔力だ。仮にお前がその魔力を原動力に、スクラッシュドライバーやマグマナックルを精製し、失ったはずのエボルトの成分すら補って変身したんだとすれば――」
別のモニターに、フルフルラビットタンクボトルの画像が表示される。よく見れば、パソコン本体とスクラッシュドライバーを繋ぐコードは、フルフルラビットタンクボトルにも接続されていた。それは同様に、スパークリングボトルにも繋がれている。
「魔力をライダーシステムのエネルギーに変換、或いはその逆の現象を引き起こすシステムを構築すれば、エボルトの力に頼らずとも、ライダーシステムを強化できるかもしれない」
「つまり、なんだ……よくわかんねえけど、ビルドも俺のクローズみてぇに強化できるってコトか!」
もはや、ほぼ戦兎の言葉を復唱しただけだった。問われた戦兎はまた子供のように笑った。
「そういうこと。で、そのために……こいつも利用させてもらうつもりだ」
戦兎の視線の先には、スタークから齎されたバグヴァイザーが、デスクの上にぞんざいに投げ出されていた。既にデータの吸い出しは終わっているらしく、また別のモニターにバグヴァイザーの内部データが表示されている。万丈にはそれがなにを意味するデータなのかはわからなかったが、戦兎のことだ、また新しい武器を造ろうとしていることは容易に想像できた。
「うお、まーたよくわかんねえことしてんな。今度はどんな改造するつもりなんだよ」
「それは実証実験でお披露目するまでのお楽しみ。ま、少なくとも朝までには完成させるつもりだから、お前もあんまり夜ふかししすぎるんじゃないよ」
「いや、だから……そりゃこっちのセリフだっつってんだよ!」
***
時臣にとって、聖杯戦争開始以来、最も長かった夜が明けた。
朝を迎え、ぴりりとひりつく冷たい空気に触れ、時臣はひとり、ここに至るまでの道筋を追想した。
セイバーの敗北。令呪の無駄な消費。手駒であるアサシンの脱落。そして、盟友たる言峰璃正の死。立て続けに襲い来る不幸を前に、さしもの時臣といえども、これまで傲岸不遜なまでに確信していた勝利の道に、微かなりとも“万が一”という暗雲を感じ始めていた。
言峰璃正といえば、第八秘蹟会が誇る老練にして屈強なる代行者にほかならない。その手練が志半ばで命を落としたのだ。自分もまた同様の道を歩む可能性があるのではないか。常勝無敗にして歴代最強と謳われた
「お父様……?」
愛娘である遠坂凛の、宝石のような一対の瞳が、門前で佇む時臣を捉えて離さない。このような早朝から、用件を告げることもなく自分を屋敷の外へと呼び出した父に対し、凛は緊張し身をこわばらせている様子だった。
時臣はこれから、戦争に参加する人間のひとりとして、生死の境の戦いに身を投じてゆかねばならない。絶対的な勝利の確約が失われた今となっては、これが娘との最後の会話になりかねないことを、時臣は自覚した。
「凛」
短く娘の名を呼び、片膝をついた時臣は、そっと優しく凛の頭を撫でた。呆気にとられた様子で目を見開いた凛を見て、時臣は今になって、いまだかつて一度も娘の頭を撫でてやったことがないことに気付き、戸惑った。
「成人するまでは協会に貸しを作っておけ。それ以後の判断はおまえに任せる。おまえならば、独りでもやっていけるだろう」
だけれども、戸惑いは一瞬だ。一度口火を切ってみれば、後は次から次へと言葉が溢れてきた。
家宝である宝石の扱い、大師父からの伝承の件、地下の工房の管理をはじめとして、これから遠坂を次ぐ人間に必要な教養を、的確に、要件をかいつまんで説明してゆく。それは、時臣が、凛を次代の遠坂頭首として指名するも同然の訓戒だった。
凛は、澄んだ瞳で真っ直ぐに時臣を見つめ、真摯に耳を傾ける。そこには、一切の迷いも、不安も、戸惑いも感じられはしない。凛の純朴な瞳にあるのは、尊敬する父に対する憧憬と、自分こそが遠坂の跡目を次ぐのだと信じて疑わぬ硬い決意だけだった。
凛にならば、遠坂のすべてを託すことができる。そういう確信とともに、一通りの説明を終えた時臣は、もう一度凛の頭を撫でた。
親として、子を慈しむように、いまだかつて表にしたことのない想いを込めて。
“――ああ、そうか”
時臣はいま、改めてこの聖杯戦争に勝利することの意義を見出した。
聖杯を得ることが遠坂の義務であるという大前提は今も揺るがない。けれども、時臣にはそれ以上に、決して死ぬわけにはいかない理由がある。宝石のような少女の瞳をじっと見つめ返し、時臣は頬を緩めた。
「――凛。私は今、大切なことに気付けた」
「え……大切な、こと?」
「ああ。おまえのおかげだ」
幼い我が子の背を、時臣ははじめて抱きしめた。ただただ当惑するしかできない凛の小さな背を、時臣はただ父親として、強く抱擁する。こんな行動は遠坂時臣らしくないと、自分でも分かっているが、父親としての在り方を心に思い描いたとき、時臣はこうしたいと強く思った。時臣は、この一瞬のみ、行動を感情に任せた。
抱擁はほんの一瞬だった。僅かな触れ合いながらも、凛のぬくもりを確かに感じ、時臣はもう思い残すことなどなくなった。
立ち上がった時臣の顔には、最前までの不安はどこにもない。誇り高きひとりの魔術師として、時臣は決然と凛に向き直った。
「凛。いずれ聖杯は現れる。アレを手に入れるのは遠坂の義務であり、なにより――魔術師であろうとするのなら、避けては通れない道だ」
「――ッ、はい、お父様」
凛もまた強い眼差しで、きっぱりと頷いた。時臣の“誇り”が正しく凛に受け継がれていることを確信し、胸が満たされる思いだった。凛ならば、時臣よりも遥かに容易に魔導の秘奥を修めるに違いない。この瞬間、時臣は自分がひとりで戦っているのではないことを心で理解した。もう、恐れるものはなにもない。
「私はもう行かねばならない。あとのことは分かっているな、凛」
「はい。――行ってらっしゃいませ、お父様」
凛もまた決然と、澄んだ瞳で頷いた。
これより冬木に戻り、間桐臓硯との会見に挑む腹積もりでいるが、屋敷にはあの間桐雁夜がいる。停戦中とはいえ、間桐雁夜の陣地に乗り込む以上、覚悟は必要だ。間桐と遠坂の間には不可侵条約が取り交わされてはいるものの、聖杯戦争の渦中である以上、臓硯が雁夜になんらかの肩入れをする可能性も否めない。だが、いかなる敵が立ち塞がろうとも、時臣は負けるわけにはいかない。万難を排して、勝利を掴み取る必要がある。
「時臣さん」
必勝の覚悟で踵を返そうとしたところで、屋敷の門を出たところにひとり佇む葵の姿が目に入った。凛のすぐ側まで歩み寄った葵は、そのたおやかな手を凛の肩に置き、名残惜しそうに時臣を見つめた。聖杯戦争の最中、それもこんな早朝に、時臣が急遽禅城の屋敷を訪れるという事態に、直感的になにかを感じ取っているのだろう。
時臣は新たな決意を胸に、いつも通りの不遜な笑みを浮かべ、葵に向き直った。
「すまない。突然の訪問に驚いたことだろう……だが、なにも心配はいらない。私には、負けるわけにはいかない理由がある」
「それを確かめるために……ここへいらしたのですね」
「ああ。そして答えは得た。これより私は、間桐の屋敷へ向かう」
「えっ……」
葵の表情に陰りが差す。
間桐といえば、桜を送り出した養子先の家系だ。実母として、桜を思い出さずにはいられないのだろう。
「事情は話せば長くなるが……とある筋から、桜が不当な扱いを受けているという情報を耳にしてね。信じたくはない話だが、聞いてしまった以上、事の真贋を見極める必要がある」
「桜が……? そんな、どうして……ッ」
葵は両手で口元を覆い、声を上擦らせた。凛も葵と同じように瞠目している。
時臣は目を伏せ、緩く頷いた。
「君の言いたいことは、私とてわかっているつもりだ。我々は、間桐の私欲を満たすために桜を養子に出したのではないのだから」
凛と桜は、いずれも呪いの域にまで達する程の才能を持って生まれた奇跡の子だ。その才能は、この世の正道を外れた怪異を際限なく呼び寄せ続ける。ゆえに彼女らは、己の身を守るため、魔導をその身に修める必要があったのだ。だというのに、遠坂の秘術は一子相伝。秘術を伝授できるのは、姉の凛にだけだ。
いっそ桜が魔術の才能をもたず生まれていたら、遠坂の子としてずっとそばにいられたのに、そう思ったことがないといえば嘘になる。だがそれでも時臣は、桜の才能を祝福したかった。いつか愛する我が子が魔術師として強く羽ばたく日がくることを夢見て、時臣は苦渋の末に桜を間桐の養子として送り出したのだ。
その決断が桜の今の地獄に繋がったのだとすれば、自らの手でその過ちを精算する必要がある。
「私は、桜を連れ戻す。そして、今度は自分の意思で、あの子に未来を選ばせる。今更だと思われるだろうが……今のあの子に私がしてやれることは、それしかない」
「……っ、また、桜に会えるんですか……?」
葵はそもそも、桜を養子に出すことを心から容認していたわけではない。彼女は時臣の意思に従い、諦念の末に桜を送り出したのだ。腹を痛めて産んだ愛娘と二度と会えないことの苦悩が幾ばくのものか、想像に難くない。
つらいのは自分ひとりではないと己に言い聞かせ、桜の意思を無視して、母の想いに蓋をして、いつかは遠坂での暮らしを忘れられるはずと強引に引き離したことが間違いだった。今の葵の顔を見て、時臣はあらためてそう確信した。
桜と、もう一度向かい合う必要がある。
「この戦いが終わったら、私はやり直したいと思っている。もう一度、家族四人で話し合って……今更だと理解はしているが、それでも」
桜が生きていくためには、魔導の道は必修といえる。いつかは離れ離れになるのだとしても、それまでは家族として、そばに寄り添いたい。不器用ながらも、それははじめて時臣が口にした、時臣個人の願望だった。
「……わかりました」
時臣の決意を感じ取った葵の表情からは、戸惑いの色が消えていた。夫婦の間には、長年連れ添った信頼と、固い絆がある。
「あなたを信じて、ここで待ちます。必ず、帰ってきてくださいね」
「私も、お母様と一緒に待っています。だから、桜を……お願いします!」
凛は子供ながらに母にも劣らぬ強い眼差しで深く頭を下げた。
この世の誰よりも信頼する家族たちから送られる、揺るがぬ信頼と熱い激励。確かな想いを受け取った時臣に、これ以上不要な言葉を重ねる気はなかった。これが、ふたりの願いなのだ。
決然とした首肯で応え、踵を返した時臣は、迷いのない足取りで歩き始める。
未だ日が昇って間もない市街地には、往来の人通りも少なく、数分に一回、車道を車が通り過ぎていく程度だった。禅城の屋敷を離れ、しばし歩いたところで、ぱたぱたぱた、と小さく風を叩く羽音が時臣の耳朶を打った。
朝靄の中から姿を現したのは、黒と赤に彩られた蝙蝠、キバットバットⅡ世だった。
「ふふん、ようやく吹っ切れたようだな、時臣」
「ああ。あの日、君が言った言葉の意味を、私はようやく理解したよ」
キングは、王としての責任を果たした。だが、それだけしかできなかった。そう、キバットは言った。
最初のきっかけは、時臣に真っ直ぐに感情をぶつけてくる万丈龍我の存在だった。業腹だが、間桐雁夜の見当違い甚だしい言葉も、時臣の心になんら響かなかったわけではない。決して相容れぬ敵であることに違いはないが、雁夜は雁夜なりに、時臣と真剣と向かい合っていたのかもしれない。
「では聞かせて貰おうか。お前がなにを見出したのか」
「責任を盾にするだけでは、救えないものもある……ということさ」
我ながら、柄にもないこと言ってしまった自覚して、時臣は遅れて笑みを零した。
愛するものを救いたい。桜を救うための理由など、たったそれだけの単純なものでよかったのだ。
だというのに“魔術師として責任を果たすために我が子を養子に出した”という事実が前提として来るせいで、それを覆すためにはより大きな責任が必要なのだと思い込み、時臣は今日まで自分から動くことなく構えていた。
責任という言葉を盾に、人として大切な感情から目を背け続けていたことに、時臣は遅ればせながらようやく気付いたのだ。
「ふ、少しはいい顔をするようになったな。では、それを踏まえて重ねて問おう。お前がこれからやるべきことは、なんだ」
「桜を救う。そして、聖杯をこの手に掴む。そのためならば、私はもう迷わない」
迷いとは、余裕なき心から生まれる影だ。それは優雅さとは程遠いものであると、愛する家族たちの真っ直ぐな眼差しが、改めて時臣に教えてくれた。
時臣を信じて送り出してくれたふたりに対し、恥じることなき完全無欠の父であり続けるためには、桜を救い、その上で聖杯を掴み取り、遠坂の魔導を完遂させる必要がある。
今度こそ、家族みんなが笑って過ごせる未来を掴み取るために。
決意を新たにした時臣は、決戦の地である冬木への帰路を急ぐ。
***
窓から差し込む陽光に目を細めながら、雁夜は地べたに座りこんだまま、ぼんやりと空を見上げた。雲ひとつない澄んだ空だった。あらゆる雑念から解放された雁夜の心も今、この空と同じように澄んでいる。
こつ、こつ、と床を叩く杖の音が耳に入った。音の主は知れているので、わざわざ振り返ってやる気にもならない。
「これ、雁夜よ。これから遠坂の頭首が来るというのに、随分と落ち着き払っておるではないか。お主、いったいなにを考えておる」
「なにも。もう、考えるのはやめにしただけだ。悩んだところで、結局答えなんて最初から決まってるんだからな」
雁夜は一瞥すら寄越さず、乾いた笑みを零した。
時臣が桜を救いに来る。あの絶対的な自信家が、今更自分の過ちを認めて、のこのこと間桐の屋敷へやってくるのだ。
おそらく時臣を動かしたのは、あの
万丈の熱苦しいまでに実直な言葉の数々は、雁夜の摩耗しすり減った鉄のような心にも確かに届いていた。あの馬鹿正直なサーヴァントにあったのは、心の底から桜を救いたいという素朴な善意だ。それは、わかっている。
「ふむ。遠坂時臣との決着を望む、か……力の差は歴然だろうに、どこまでも愚かしい男よ」
「ああ、まったくその通りだな。自分でもそう思うよ……こんな戦いに命を懸けなきゃならないなんて、反吐が出そうだ」
ようやく臓硯へと振り返った雁夜は、自嘲気味に笑った。もう、今更迷うことなどなにもない。反吐ならなにもしていなくても常に出そうだ。
振り返って見上げた臓硯の顔に、いつもの薄ら笑みはなかった。面白くもなさそうに、凪いだ表情で座り込んだままの雁夜を見下している。その表情を見ることができただけで、雁夜にしてみれば痛快だった。
所詮、雁夜も臓硯の玩具に過ぎないのだということは、他ならぬ雁夜自身が誰よりも分かっている。きっと臓硯は、雁夜がもがき苦しむ姿を眺めて笑っていたかったのだろう。臓硯が見たかったのは、こんな開き直った姿ではない。
ひとつ息を吐いた臓硯は、微かに口角を吊り上げ、言葉を続けた。
「まあ、よかろう。聖杯戦争の参加者同士の問題であれば、ワシが口出しをすることでもなし。万に一つでも、お主が遠坂を打ち負かすようなことがあれば……カカッ、そのようなことはあり得ぬじゃろうが、それはそれでワシに損はないからのう」
今、雁夜は察した。この男は、雁夜のことも、時臣のことも、等しく玩具としてしか見ていない。表向きには桜に面会するための場を設けたのだと宣ってはいるが、時臣がここへ姿を現した時点で、雁夜が黙ってはいないことも、臓硯には既に見抜かれている。
「時臣が来る前に、人払いの結界は張っておいてくれよ。あいにく、俺にはそんな余裕も知識もないんでね」
「よかろう。死にゆく息子の頼みとあらば、聞かぬわけにもいくまいて」
仮にも父親の言葉だとは思えない軽薄さではあるが、今更なにかを言い返す気にはならなかった。
もうそろそろ、時臣が来る時間だ。雁夜は死体同然の体を刻印虫で無理矢理動かし、立ち上がる。ふらつく姿勢を、霊体化を解いた和服の少女がすかさず支えてくれた。
「……バーサーカー」
「ますたぁ。わたくし、バーサーカーの名を返上いたしたく思います」
「なに?」
予期せぬ言葉に、雁夜は視線を落とし、少女の顔を見やる。
そこで雁夜は微かに驚いた。少女もまた、雁夜と同じように、清々しいまでの笑みを浮かべていたからだ。
「もう、わたくしには真名を隠す必要もございません。それになにより、わたくしより、あちら側の黒騎士様の方がそのお名前にふさわしそうですし?」
そう言って微笑んだ清姫の視線の先にいるのは、シャドウバーサーカーの飼い主である間桐臓硯だった。黒騎士は姿を現さないが、清姫がなにを言いたいのかは理解できる。
「カカッ、これはよい。確かに、バーサーカーがふたりおったのではややこしくて敵わんからの」
「ええ、そうでしょうとも。それでは、臓硯様。こちらはこちらで好きにやらせていただきますので、あとのことはどうぞよしなに」
臓硯へとにこやかに微笑みかけた清姫は、雁夜の背を支え、少しでも雁夜に負荷をかけぬようにと、牛のような歩みで前進する。臓硯はもう、なにも言おうとはしなかった。雁夜も、あえて振り返ろうとは思わなかった。
「なあ、……清姫」
「うふふ、やっとわたくしの名前を呼んでくださいましたね、ますたぁ」
「ああ……まあ、今まではクラス名でしか呼んだことがなかったからな」
そうですね、と囁き、清姫はまた笑った。
清姫は、決して自分から多くを語ろうとはしない。だから雁夜は、自分から口を開くことにした。
「はっ……馬鹿なマスターだよな。素直にキャスターたちの提案に乗っておけば、こんな無謀な戦いに付き合わせることもなかったのに」
「ええ、それは、そうですね。でも、やっぱり……――それは“嘘”ですから」
清姫が浮かべた消え入りそうな儚い笑みに、雁夜は目を丸めた。
「そう、か……なら、俺の選択もあながち間違ってなかったんだな」
「いいえ、残念ながら大間違いです。ここまで筋金入りだったなんて、呆れてものも言えません」
にこりと微笑みながらそんなことを口にする清姫がおかしくて、雁夜は笑った。なにかを面白いと思ったのは、久々だった。
「いいや、俺にとっちゃ正解だね。お前に燃やされずに済んだ」
「もう、ますたぁったら……ご冗談は程々にしてくださいまし」
きっと瞳を尖らせた清姫だったが、すぐに堪えきれなくなり、片手で口元を覆って、くすくすと笑い出した。
この聖杯戦争に参加している誰よりも愚かで、誰よりも救いようのない、自己満足を満たすためだけの戦いに参加しようとしているマスターに、こうも健気に付き従ってくれるサーヴァントがいる。それだけで、雁夜はなにも恐れることなく戦える。
道連れは、ひとりでいい。キャスターたちには、こんな愚かな戦いに付き合う必要も義理もないのだから。
特に、どこまでも馬鹿正直なあの男は。
「――お前、本当は分かってたんだろ。俺が戦う本当の目的は、桜のためだけじゃないってこと……ああ、いや、丸っきり嘘ってわけでもないが」
「ええ、分かっておりました。ですが、他ならぬますたぁご自身が、いつからかその事実にお気付きになっていたご様子でしたので……わたくしから申し上げることは、とくになにも」
「ははっ、そうかよ」
本当は、口にするのが怖かった。嘘をつけば、逆上した清姫に燃やされるのではないか。そう思って避けてきた事実は、言葉にしてみると、案外と大した問題ではなかった。この少女は、誰よりも近くで、雁夜だけを見つめ続けてくれていたのだから。
「……ますたぁこそ、よいのですか」
「なにがだ?」
「この戦いに負ければ、
「いいんだよ。そんなことはもう、どうでも」
桜は救いたい。だが時臣は殺したい。矛盾した、二律背反の感情。
万丈の説得を受けて変わりはじめた今の時臣なら、或いは桜を救い出し、かつてと異なる、新しい未来を提示することができるのかもしれない。それくらいのことは雁夜にだって分かる。目を背けようとしていただけで、本当のところは理解している。
だけれども、それを理解してなお、やはり時臣のことは許せない。あの日、葵の純情を奪い去り、あまつさえその幸せを踏み躙った男のあり方など、認められるわけがない。時臣を許し、認めることは、雁夜の血の滲むような一年の努力を否定するようなものだ。
あんな小さな子供から父親を奪うことが正しいのか、と。いつか万丈に問われた言葉に、雁夜は答えられなかった。だが、自分の愚かしさのほどを自覚した今であれば、答えられる。いくら悩もうと、答えなど最初から決まっていたのだから。ならば、悩んだところで意味はない。救いたいという感情と、殺したいという感情。矛盾を抱えたまま、最期まで走り抜こう。たとえそれが誤った道だとしても。
「まったく。あれだけ選択肢を提示されながら、こんな結末しか選べないなんて……誰かさんによく似て、本当に、救いようのない人」
「ああ、そうだな。今ならなんで俺の喚び声に応えたのがお前なのか、嫌ってほど理解できる」
いつか見た夢を思い出す。
怒りと憎悪に支配され、荒れた野山を裸足で駆け抜け、最期にはたったひとり、誰にも看取られることなく逝った愚かな少女の夢を。
そんな生き方しかできなかった。その愚かしさは自覚しているが、しかし間桐雁夜とはそういう男だ。そういう生き様しか選べなかった男なのだ。今更自分の人生を偽る気もなければ、変えようともがく気もない。
だが、しかし。
少しだけ、変わったものもある。
かつての雁夜ならば、考えもしなかった言葉。
「――清姫。お前には、感謝してる」
屋敷の玄関に辿り着いた雁夜は、外へと続くドアを開ける前に、掠れた声で言葉を紡ぐと、そっと清姫の頭に手を載せた。既に半分以上感覚のなくなった死人のような顔で、それでも不器用に笑ってみせる。清姫は、衝撃に打たれたように目を見開き、やがて、にこりと優しく微笑み返してくれた。この笑顔にずっと安心させられていたことに、雁夜は今更気付いた。
「それじゃあ、いくぞ」
「ええ、わたくしはいつでも」
ここから先は、前だけを見て突き進めばいい。雁夜と清姫は、いつもよりも重たく感じる玄関ドアを勢いよく開け放ち、最後の戦いの場へと足を踏み出した。
***
人の通りもまばらな早朝の市街地に、朝靄を切って走る二台のバイクの姿があった。桐生戦兎の乗ったバイクが先頭を走り、少し遅れて万丈龍我の乗ったバイクが追走するかたちで、これから戦場となる間桐の屋敷へ向けてアクセルを握り込む。
ふいに、大地を揺らす轟音が響いた。木々に止まっていた鳥たちが一斉に、空へ飛び立つ。なにかが爆発した音であることは明白だった。
戦兎が急ブレーキでバイクを旋回させながら停車すると、万丈も一瞬遅れて、戦兎と同様にバイクを急停車させる。
「な、なんだよありゃ!?」
ふたり揃って、ヘルメットを取り払う。真っ先に視界に入ってきたのは、ここ深山町から、冬木大橋をひとつ隔てた新都側の空に、もうもうと黒煙が昇っている景色だった。
次いで、なにかが爆発するような轟音が立て続けに起こり、最前まで青く澄んでいた新都の空が、次第に黒煙で塗り替えられていく。悲鳴とも怒号ともつかない喧騒が、風に乗って深山町へと渡ってくる。
「なんの騒ぎだ……?」
「なにあれ、テロ?」
周囲の民家の窓が、ひとつ、またひとつと開け放たれ、なにも知らない冬木の住民たちが口々にぼやきはじめる。みな、異様な騒音に叩き起こされたのだろう。いま、聖杯戦争の参加者と一般人とに関わらず、この場の全員が同じ景色を眺めていた。
「嘘だろ……こんな朝っぱらから」
驚愕する戦兎が漏らした呟きに応えるように、傍らに降り積もった霊子が、白装束の麗人をかたちづくった。姿を現したランサーもまた、眉根を寄せて新都の空を見上げている。双眸に反して、その口角はやはり、不自然に吊り上がっていた。
「戦兎。神秘の秘匿もなにもないあの動きを見るに、あれはもしかしなくともスタークの仕業では」
「だろうな……どう見てもまともな聖杯戦争じゃない。――悪い万丈! そっち任せた!」
「ッ、はァっ!? ……オイ、戦兎!?」
決断すると同時に、戦兎はヘルメットを深くかぶり直し、答えを聞く間もなくバイクのクラッチを踏み込んだ。強くアクセルをひねる。万丈の声を振り切って急加速した戦兎のマシンビルダーは、冬木大橋へと続く道を弾丸のような速度で駆け抜けてゆく。戦兎の発進に合わせて、ランサーはいつの間にか姿を消していた。
「俺はどーすりゃいいんだよ!?」
「あちらはビルドとランサーに任せましょう」
「うぉおおッ!?」
いつの間にか背後に立っていた黒装束のアルターエゴに驚いた万丈は、バイクから飛び降りそうになる衝動を堪えて、向き直った。
「いや、任せるっつってもよ……!」
「セイバーが来ます。すべてが終わる前に、急がないと」
「……ッ」
間桐の屋敷には、雁夜と時臣がいる。戦えばどちらか、或いは両者ともに命を落とすかもしれない。手遅れになってしまう前に、自分にできることをするべきだ。ネロの言い分を自分自身の胸中に落とし込み、納得させた万丈は、逡巡を振り払うようにかぶりをふると、ヘルメットをかぶり直した。
「だーーーッ、もう、仕方ねェな! こうなりゃ飛ばすぞ! しっかり捕まってろよ、ネロォーッ!」
万丈に返答することなく、ネロの姿は霊体化して消えていった。
「って消えんのかよッ!?」
もはや万丈の背後には誰もいないが、それでも大胆に上体をひねって振り返り、ひとしきり叫ぶと、ふうと一息ついてハンドルを握り直す。
あの戦兎がそう簡単に負けるはずがないと自分に言い聞かせた万丈は、アクセルを握り込み、戦兎が進んだ道とは別方向へとバイクを急発進させた。
「そっちは任せたぞッ、戦兎ォオオーーーッ!!」
TIPS
【3月22日】
間桐雁夜の誕生日である。
おめでとう、雁夜おじさん。
本当は22日に投稿したかった。