仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD   作:おみく

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第27話「救済のアイ・ベグ・ユー」

 真紅のステンドグラスを通った陽光は、淡い赤の輝きとなって宮廷へと降り注ぐ。広間を包むあたたかな光は、贅を尽くした黄金の装飾の数々に反射して煌めき、この皇帝の空間を幻想的に演出している。

 渡は、広間の中心でヴァイオリンを演奏していた。いつから演奏していたのかはわからないが、ずっとここで演奏していたような気もするし、今はじめたばかりと言われればそんな気もしてくる。時間の概念すら曖昧な空間に響くヴァイオリンの音色は、重々しくも妖艶に、たっぷりと情緒を乗せてうねる。それは、渡の心の在り方を示す音色だった。

 やがて演奏は節目を迎え、渡はヴァイオリンの弓を握る腕をそっと下ろした。玉座に腰掛けていた少女が、すっくと立ち上がる。真紅のドレスを翻し、少女は渡の目前まで進む。

 

「うむ、実によい演奏である。そなたの演奏は、いつ聴いても余を飽きさせぬ……これぞまさしく、至高の芸術よな」

 

 胸を張って花のような笑顔を咲かせる少女の称賛に、渡は面映ゆくなって微笑んだ。

 人はみな、心で音楽を奏でている。この少女は、渡の心の音楽を認め、その真価を引き出してくれる。彼女がいてくれるなら、渡はもっと素直に、心のかたちを表現できる気がした。

 黄金で彩られた踵をカツ、カツ、と甲高く鳴らして、少女は広間を闊歩する。

 

「人はみな、己が命という演目を奏でる芸術家だと……そなたは言ったな」

 

 渡は、おずおずと頷いた。それだけで、少女は満足げに破顔した。

 

「芸術を……否、人の心の音楽を守りたいと願う尊き心――そなたが駆け抜けたのは、まさしく、強く、美しく! 鮮やかに煌めく流星の如き生命の軌跡であるッ!」

 

 少女が進んだ先に、光り輝く剣があった。

 本来の担い手を失い、人理によって取り上げられた至宝の剣。その、世界にたった一振りしか存在しない星の聖剣が、約束された勝利を言祝ぐように、燦然と光輝いている。

 

「そなたは口下手なれど、熱く燃え盛るような想いを秘めていることを、余は知っている! そうだ、ゆえにそなたの奏でる演目は、余の心を大いに奮い立たせる! なればこそ――ここで勝利せずしてなんとするッ!」

 

 少女が、その細く嫋やかな指で、聖剣を力強く握りしめた。轟風が巻き起こる。渡よりもずっと華奢な少女が、唸りを上げる聖剣を手懐け、振り抜いた。

 聖剣が放つあまりの眩しさに、渡は目を細めた。それは、長い夢の果ての暁光を思わせる輝きだった。溢れ出る命の輝きが、渡の胸の内にわだかまっていたあらゆる焦りを、不安を、優しく払拭していった。

 この世のあらゆる地獄を斬り裂き、死と絶望の恐怖すら振り払う神造兵装。人の尊さを神話に刻み付けた、散りゆくすべての者たちが思い描く奇跡の結晶。

 例え本来の担い手が醜き人の欲望に囚われようと、人理が死守した最後の宝剣。少女はその輝きを掲げ、真紅のスカートをばさりと翻し、決然と胸を張った。

 

「ゆくぞ、我が半身よ! 勝利は既に約束されている! 余が約束した! この道行きの先に、輝かしき栄光の明日を掴み取るのだ!」

 

 

 渡は、うたかたの夢から現実へと意識を引き戻した。

 魔皇剣を中心に巻き起こった魔力の奔流は、直上へと延びる積乱雲さながらに渦を巻き、キャッスルドランを再現した固有結界にみしみしと軋轢を生じさせている。常人であれば容易く吹き飛ばされてしまう突風の只中で、キバエンペラーは静かにザンバットソードを構えた。

 今ここに、桐生戦兎(マスター)はいない。令呪の補助なしで、英雄王の宝具を迎え討つことは、さしもの()()()()()()の任を課されたキバエンペラーといえども、骨の折れる行為といえる。だが、それでも、今の渡に、逃げ出すという選択肢は存在しない。渡は、キバエンペラーの仮面の下、決然とまなじりを決して、荒れ狂う魔力の嵐へと真っ向から向かい合う。

 ベルトから飛び立った黄金の蝙蝠(キバット)が、キバエンペラーの仮面のすぐそばに寄り添った。

 

「……やるのか、渡」

「うん。これは、僕がやらなくちゃいけないことだから」

「そうか。だったら、止めねぇよ。お前なら絶対に負けねェ! って……オレは信じてるからよ」

 

 長年の友からの絶大な信頼を受けて、渡は仮面の下で小さく微笑んだ。

 

「ありがとう……行こう、キバット!」

「おう! キバッて、行くぜェッ!」

 

 力強く頷いて応えたキバエンペラーは、己の霊基に宿った全回路をザンバットソードへと接続する。緩く振り上げたザンバットソードの柄に装着されたザンバットバットで、刀身を研ぐ。

 即座にキバエンペラーから吸い上げた魔皇力が充填され、透き通るようなプリズムの結晶を思わせる魔皇剣の刀身に、真紅の輝きが満ちてゆく。もう一度、ザンバットを研ぐと、真紅の輝きは次第に光度を上げ、やがて超高光度の輝きは、白とも黄金ともつかない光を放ち始めた。

 ダークキバが巻き起こした魔皇力の嵐が、キバエンペラーを中心に引き裂かれてゆく。いま、キバエンペラーから発せられる魔力は逆巻く風を呼び、その余りにも濃密な気圧差は、この身に触れようと迫る一切合切を吹き飛ばさんと猛り狂っている。

 闇を纏って荒れ狂う真紅の魔力の嵐のその中心に、黄金のキバはなにものにも汚されぬ星の輝きを纏い、剣を構えていた。

 ――いま、機は満ちた!

 

約束された(ザンバット)ッ!」

 

 周囲の光を集めて、キバエンペラーの魔皇剣は黄金の輝きを迸らせる。

 対するダークキバも、既に言葉を必要とはしていない。キバエンペラーの魔皇剣に対し、正面から撃ち合うつもりでいる。あの男は、逃げも隠れもしない。王として、最後の戦いに挑む覚悟でここに立っている。その矜持が、大気を震わす魔力を通じて、ひしひしと伝わってくる。だからこそ、こちらもまた、逃げることは赦されない。

 今、黄金のキバが掲げたソレは、かつて夜よりも昏い乱世の闇を、一刀のもとに斬り祓った、栄光という名の祈りの結晶。その意志を誇りとともに掲げ、渡は、新たな聖剣の担い手として、手に執る奇跡の真名を高らかに謳う。

 その名は――!

 

勝利の剣(エクスカリバー)ーーーッ!!」

 

 ザンバットエクスカリバーから放たれた極光が、闇を引き裂き、結界内のすべてを呑み込まんと奔る。吼え猛る光の奔流が、闇を纏った魔力の刃と激突した。

 黄金の魔力と闇の魔力が互いにひしめき合い、灼熱の突風となって吹き付けてくる。超高熱の魔力は、黄金劇場を形成していた支柱を、壁を、床を、あらゆる装飾を捲れ上がり、粉々に粉砕し、跡形すらも残さず蒸発させてゆく。

 その只中で、ダークキバは憎悪の叫びをあげた。

 

「黄金のキバ……紅、渡! 貴様だけはッ――この()()の存在すべてを懸けてでも……ここで消し去ってくれるッ!!」

 

 黄金の輝きを押し返す闇の奔流の重さが、キバエンペラーの肩をびりびりと震わせる。キングは、その言葉の通り、己の命すら魔皇剣に焚べて、この一撃にすべてを懸けている。

 事実として、キバエンペラーの持てる魔力のみで、原初の地獄を体現した魔皇剣の輝きを押し返すには、僅かに足りていない。徐々に、黄金の輝きが闇に呑まれようとしていた。敵の宝具もまた、間違いようもなく、規格外の宝剣による至高の一撃であることの証左だった。

 

「ぐ……ウ、ぅ……ッ!」

 

 聖剣に接続した魔力回路を、夥しい量の魔力が循環してゆく。星の聖剣は、容赦なく膨大な魔力を要求し、アルターエゴとしての渡の霊基から無尽蔵に吸い上げてゆく。霊格が軋みを上げ、剣を握る手が震え始める。

 本来の担い手でない渡が、それでも人理に与えられるまま、無理矢理に聖剣を抜刀したのだ。霊基へとかかる負荷は尋常なものではない。

 元来、魔術師ですらない渡の体に例外的に与えられた回路が、全身のあちこちでショートをしはじめた。溢れ出した魔力が火花を上げて渡の体を内側から焼き焦がす。

 体が熱い。膝が震える。視界が揺れる。剣を構える体のバランスが、がくりと崩れた。それでもキバエンペラーは、両足で踏ん張って、聖剣を構え続ける。

 

「わ、た……るゥ! お前が折れない限りッ、俺も……諦めねェ! キバれェエエッ!」

 

 ベルトに収まったキバットが、裂帛の叫びをあげた。

 体内で練られた魔力の循環に、キバエンペラーの体が熱を持ち始めている。核爆発の直撃にすら耐えうる黄金のキバの鎧が、かろうじて体内での魔力の暴発を抑え込んでくれてはいるものの、鎧の力を制御するキバットにかかる負荷もまた甚大なものだった。

 このまま魔力の放出が続けば、渡の霊基はキバの鎧諸共融解してもおかしくはない。

 

「渡、さァん……! あなたは……ッ、ひとりでは、ありません! 私たちが、ついてます……だからッ、負けないで!」

 

 左腕に装着されたタツロットもまた、歯を食いしばって、キバエンペラーの体を超高速で循環し続けている魔力の圧力に耐えている。タツロットの体には、小さな亀裂が入り始めていた。それでもタツロットは、渡の想いに応えるため、小さな体で苦痛に耐えている。

 

「キバット……、タツロット……!」

 

 まだ、もう少しだけ、頑張れる。あと少しだけ、踏ん張れる。

 渡は、この極限の状況の中、それでも笑った。みんなが一緒にいる、それだけで、恐怖も不安も吹き飛んだ。

 絶対に勝利する。その決意を胸に改め、キバエンペラーは再び腕に力を込めて、ダークキバの宝具を押し返しはじめた。

 

「ハァァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 腹の底から、力を振り絞る。

 体内に残った魔力のすべてを動員して、渡は剣を執る手に力を込める。ただ、体内を循環する魔力の流れをコントロールすることに集中する。

 剣を構え直し、崩れた姿勢を正す。そのとき、体内を巡る魔術の回路が一気に拡張した。キバエンペラーを中心に、虹の魔法陣が展開される。幾重にも折り重なった魔法陣は、高速で回転しながら、キバエンペラーの魔力の循環を補助してくれる。一気に、体が楽になった。

 

「……ッ!」

 

 聖剣に宿った黄金の輝きが、今までとは異なる輝きを孕んで乱反射しはじめた。

 赤、緑、青。三原色の光の瞬きが、星の聖剣にさらなる彩りを加えている。体を苛む熱が、心地のよいあたたかさに変わった。剣を執るキバエンペラーの姿に、渡だけが知る気高き少女の幻影が重なった。

 

“ありがとう……みんな!”

 

 キバエンペラーは、三原色に光り輝くザンバットエクスカリバーを構え、一気にダークキバの闇の刃を押し返した。世界のすべてを包み込まんと放出された星の輝きが、ダークキバの闇を散らしてゆく。

 

「……そんな、馬鹿なッ、貴様ごときに! このオレが……このオレが、またしてもッ!?」

「僕は、ひとりで戦ってるんじゃない。ここには、みんなが一緒にいる……! だから僕は、戦える!」

「ほざくなッ! 弱者が寄り集まったところで……真の強者を打ち負かすことなど……!」

「できるッ! ()()みんなの力で……今度こそ、お前を倒す!」

 

 剣を握る手に、力を込める。

 今こそ、宿命を断ち切るときだ。

 

「いけェエエ、渡ゥーーーッ!」

「渡さん! 勝利は、すぐそこですッ!」

 

 仲間たちの声が、渡に力を分け与えてくれる。

 三原色を孕んだ黄金の輝きが、奔る。闇を振り祓い、原初の地獄をすら引き裂き、キバエンペラーの決死の一撃は、遂にダークキバの頭上に降り注いだ。

 星の瞬きが、ダークキバの総身を形成する霊子に至るまでを悉く呑み込み、核爆発にすら耐える鎧を灼熱の魔力の只中へと晒す。ダークキバにはもはや、超高圧力の魔力の輝きの中、声にもならぬ絶叫を張り上げるしかできなかった。

 

   ***

 

 屋敷の応接室に通された時臣は、そこではじめて、変わり果てた愛娘の姿を見た。

 黒く艶のあった髪は、紫がかった色に変色している。見開かれた瞳には精気が宿っておらず、光を移さぬ虚のような瞳がただ呆然と時臣を見据えている。身なりこそ綺麗な洋服を着せて貰ってはいるものの、もはや凛と一緒になってはしゃぎまわっていた、元気で、されども奥手な少女の面影はそこにはなかった。

 

「桜……」

 

 震える声で、時臣は愛娘の名を呼んだ。

 返答はない。桜はただ、困惑した様子で小首を傾げ、実父である時臣を見つめ返すだけだった。

 

「ほれ、サクラよ。実の父の呼び掛けじゃぞ、返答くらいせんか」

「え……でも、おじいさま、私はもう……」

 

 杖でこつこつと床を叩きながら、臓硯が下卑た笑みを浮かべる。

 桜は心底から当惑した様子で、次に発する言葉すら思い浮かばぬ様子だった。

 昨夜の雁夜の言葉が、時臣の脳裏に蘇る。絶望的な状況の中で、本心を口にすることすら出来なくなってしまった愛娘の境遇を思い、時臣は一年前の己の判断を深く後悔した。

 時臣は、娘をこんな姿にしたくて、間桐の養子に送り出したのではない。

 

「桜……すまなかった。私が、間違っていた」

「え、えっと……あの……急にそんなことを言われても」

「もう、これ以上、このようなところで苦しむ必要はない。間桐は約束を違えた。……私は、お前を連れ戻しにきたのだ、桜」

「……っ」

 

 見開かれたままの桜の瞳が、困惑した様子でぐるぐると右往左往する。

 返す言葉を失った桜は、ただ胸元に手を当てて、数歩後退るしかできなかった。

 それも当然だろう。変わり果てた間桐雁夜の有り様を目の前で見せつけられておきながら、臓硯の意に反する言葉を、他ならぬ臓硯の目の前で口にできるはずもない。

 臓硯が、わざとらしく桜の肩に手を置き、庇うように前に出た。その仕草が、時臣の目には度し難いほど醜悪なものに見えた。けれども、時臣にも立場というものがある。下手なことは言えず立ちすくむ時臣を挑発するように、臓硯はその歪な笑みを深めた。

 

「それは困るのぅ、遠坂の。サクラは既に間桐の跡取りとしての教育を積んでいる段階でな。それを目の前で奪われることを容認するほど、ワシも寛容ではないぞ?」

「私が我が子を手放したのは、この子の将来を思ってこそ。正当なる魔導の薫陶を受けることも叶わず、ただ体に刻み付けさえすればよいという考えであれば、それこそ当初の約束を違えている」

「カカッ、これはまた異なことを言いおるわ……サクラが正当なる教育を受けておらぬなどと、いったいどこの誰が吹いたほら話か」

「ッ……、あなたは、この期に及んでまだそのようなことを……!」

「はてさて、お主は然様な根も葉もない戯言に耳を貸すほど愚かしい男ではないと思っておったが、果たして」

 

 くつくつとわざとらしく笑いながら、臓硯が桜の背を軽く撫でた。

 

「ほれ、サクラよ。遠坂の当主は然様なお主の処遇になにやら不服を申し立てておるようじゃが、当のお主はどう考えておるのか……自分の口で説明してみせい」

「はい、おじいさま。私はもう、間桐の子ですから……今更、遠坂に戻るつもりはありません。私はこれからも、間桐の子として教育を受けていくつもりです」

 

 一切の感情のこもらぬ瞳で、桜は時臣を見上げた。瞬間、時臣を取り巻く世界が足元から崩れ去っていくような錯覚に囚われた。

 他ならぬ桜自身がこう語る以上、無理を言って遠坂に連れ帰ることはできない。そんなことをすれば、それこそ、遠坂の側が筋を違えた慮外者の誹りを受けることになる。

 

「馬鹿、な……桜」

「帰ってください。私はもう、あなたの娘ではありません」

 

 桜はそれだけ言うと、興味を失ったように時臣から視線を外し、俯いた。見開かれたままの感情を映さぬ瞳で、ただぼうっと床を眺めている。まるで、意志のない人形のようだった。

 愛する我が子をこんな姿に変えてしまった。その事実が、時臣を苛む。返す言葉を失い、ただ拳を握り込むしかできない時臣の代わりに口を開いたのは、この場に招待されるべくもない、招かれざる少女だった。

 

「嘘、ですね」

 

 あの日、冬木の市民公園ではじめて聞いた声と寸分違わぬ少女の声音だった。振り返ると、黒く染まった和服を着た少女が、万丈龍我(ライダー)を引き連れて、誰はばかることなく応接室へと足を踏み入れていた。

 間桐雁夜の姿は、既にない。それだけが、あの夜との違いだった。

 

「きみ、は……バーサーカー?」

「時臣様。わたくしには、嘘が分かるのです。その少女(サクラ)が心の奥底で願っているのは、そのような上辺の言葉ではございません」

 

 桜は、当惑をありありと示しながら臓硯の影に隠れた。桜の頭を撫でる臓硯を、清姫はその蛇のような双眸で睨め付ける。清姫の瞳の中には、真紅の炎が渦巻いていた。それが憎悪に燃える怒りの炎であることは、誰の目にも明白だった。

 今にも臓硯目掛けて飛びかかりそうな勢いのまま、清姫は声を張った。

 

「サクラ――あなたにも女としての矜持があるなら、踏み躙られるだけの花でいるのもこれまでになさい。女には、女の幸福というものがあります。あなたは、もっと素直に、それを求めてもよいのです」

「そんなの、私……知りませんっ」

「サクラ! お前はもう、こんなとこにいなくていいんだ! 遠坂さんは……お前の父親はッ、お前を救うためにここまで来たんだよ!」

 

 万丈が続けて叫ぶが、それでも桜は不安げに視線を泳がせることしかできない。

 なにを不安に感じているのか、その答えは明白だ。臓硯という絶対的な支配者が、今も桜の心を幽閉している。それが分かったところで、そのような指摘はそれこそ言いがかりと一蹴されておしまいだろう。王手(チェック)をかけるには、今ひとつ決め手が足りない。

 清姫はあからさまな嘆息を零して、時臣の隣まで歩み寄った。

 

「時臣様。あなた様は、先程からなにを黙ってらっしゃるのですか」

「なに?」

「よもや、こんなところまで来て、まだ己の本心を口に出来ずにいるなどと……呆れたものですね。そんなことで、よくもますたぁにあのような啖呵が切れたものです。ご自分の家族は、ご自分で救うのでしょう? それとも、あの言葉は嘘だったのですか」

 

 突き放すような冷たい口調だった。

 なんの責任も負わなくいい部外者だから、清姫はそんなことが言えるのだ。あの雁夜と同じ、己の分を弁えぬ無礼者、と。まずはじめに怒りがこみ上げるが、次いで清姫の言葉の意図を咀嚼する。

 己の本心。

 まだ時臣は、桜になにも伝えていないのではないか。

 清姫は、時臣の顔すら見ず、扇子で口元を隠したまま淡々と続ける。僅かな嘲りすら含んだ声音で。

 

「まあ、この期に及んで本心のひとつも口にできないような父親であれば、所詮その程度ということでしょう。少しでも期待をしたわたくしが愚かでございました。あなた様がなにもなさらないのであれば、あの子はわたくしが救います」

「なっ……」

 

 言うが早いか、清姫はばさりと勢いよく開いた扇子を仰いだ。蒼炎がごうと唸りを上げて、臓硯目掛けて放射される。これには流石に時臣のみならず、万丈も絶句した。

 

「ま、待て、そんなことをしたら……!」

「サクラに嘘を吐かせているのは、他ならぬその男です。その男さえ消えれば、サクラは嘘を吐く必要がなくなる。なにか問題でも?」

 

 清姫は淡々と扇子の先を臓硯に突き付け、この場の誰も言えなかったことを言ってのけた。その眼差しは、既に臓硯を敵と定め、昏く据わっている。

 室内で放たれた蒼炎が臓硯を呑み込むかと思われたそのとき、どこからともなく霊体化を解いて姿を現したのは、漆黒の甲冑を纏ったバーサーカーだった。現れると同時に抜き放った剣の風圧が、清姫の炎をくゆらせ、その軌道を逸らす。

 

「――カカッ、嘘を見抜くサーヴァントとは、これまた面妖な。雁夜め、最後の最後に面倒な置き土産を残して逝きおって……どこまでも親の手を焼かせる(せがれ)よのぅ」

 

 バーサーカーに吹き払われた蒼炎の一部が絨毯に燃え移った。徐々に火の手をあげはじめる様を見ても、臓硯はなんら動じる様子なくにいと笑みを深めるだけだった。

 数瞬遅れて、火災報知器が警報を鳴らし始める。次いで、間桐の邸宅に備え付けられたスプリンクラー設備が作動し、天井からシャワーの放水が始まった。室内に降り注ぐ雨の中、一足先に戦闘態勢に入った清姫が臓硯と向かい合う。

 時臣は、未だどう動くべきか判断ができずにいた。ここで力に任せることは、遠坂のやり方ではない。

 

「……フン。遠坂の小倅はまだ踏ん切りがつかぬか。まあ、それもよい。魔術師として、至極当然の判断じゃろうて」

「テメェ、この期に及んでまだンなこと言ってんのか、臓硯!」

「ライダーか。相も変わらず血気盛んなことよ。なぜお主が死んだはずの雁夜のサーヴァントとともにこの場に乗り込んできおったのかは知らぬが、まあ、なんでもよかろう。みな纏めてここで消えるのじゃからな」

 

 臓硯の号令に従って、黒い甲冑のバーサーカーが一足跳びに万丈へと襲い掛かった。

 振り下ろされた剣の一撃を転がって回避しながら、起き上がりざまに構えたクローズマグマナックルをベルトへ装填する。

 

「変ッ身!」

 

 掛け声と同時にベルトのレバーを回転させると、万丈の背後に形成された巨大な坩堝から、夥しい量のマグマが溢れ出した。マグマは室内のあらゆる物質を焼き払いながら万丈を包み込み、その姿をクローズマグマへと変身させた。

 

「カカッ、これは善哉。ではバーサーカーよ、こちらも見せてやれ」

「▅████▀▀▀▀▀███▃▃█████▀▀▀▀██████ッ!!」

 

 言葉にならない絶叫に続いて、バーサーカーの甲冑が漆黒の闇に覆われる。闇は瞬く間にもうもうと立ち込め、バーサーカーの姿を完全に覆い隠した。

 

「ッ、なんだ!?」

 

 クローズマグマも、清姫も、時臣も。臓硯の背後に隠れた桜までもが、息を呑んでバーサーカーの身に起ころうとしている異常に視線を向ける。

 数秒の沈黙を引き裂いて、バーサーカーが纏った闇の中から飛び出したのは、真紅に燃えるエネルギー波だった。すかさずビートクローザーを構えたクローズマグマが、時臣らを庇うように前に進み出て、放たれたエネルギー波を振り払う。

 一瞬ののち、クローズマグマは絶句した。

 

「なッ……なん、で」

 

 バーサーカーが纏った闇が晴れたとき、そこにいるのは既に黒い甲冑の騎士ではなくなっていた。

 ダークレッドとマットブラックの装甲を、ゴールドの装飾で彩った異星の仮面ライダーが、ばさりと音を立ててマントを翻す。はじめうつむき加減だった漆黒のコブラの面は、下方から舐めるようにゆっくりと視線を上げて、クローズマグマをじっと見据えていた。

 エボルトとよく似た装甲を、ドラゴンとヴァンパイアを想起させる装飾で覆い隠したその仮面ライダーを、万丈は知っている。

 

「なんでテメェがここにいるんだよッ!」

 

 かつて伊能賢剛(いのうけんご)が変身し、仮面ライダービルドを窮地に陥れた悪の戦士――仮面ライダーブラッドがそこにいた。

 

「これぞ地球外生命体の遺伝子をも取り込んだワシの秘蔵っ子よ……尤も、姿を変える能力そのものはバーサーカー固有の能力じゃがな」

「地球外生命体の遺伝子って……! テメェまさか、スタークと手を組んだのか!?」

「カカッ、所詮お主らはここで散る命。然様な問いに答えてやる義理もあるまい」

「……ッ、上等じゃねえか! そこの黒い野郎には借りがある! 見せかけだけのハリボテなら、このオレがブッ潰してやる!」

 

 クローズマグマの装甲が、万丈の闘志に呼応して灼熱のマグマを滾らせ、熱く燃え上がる。もはや頭上から降り注ぐスプリンクラーの雨は、眼下に降り落ちることもなく、放水されたすぐそばからクローズマグマの熱にあてられて蒸発していった。

 

「では、お手並み拝見といこうか。ゆくぞ、サクラよ」

「えっ……でも、お、おじいさまっ」

 

 臓硯は、桜の手を引いて、奥の扉から別室へと去っていった。

 桜は、時臣に対し僅かに手を伸ばしかけたが――それを、己の意思で取りやめ、ただ黙って臓硯に追従することを決めた様子だった。

 片手でばさりとマントを翻したブラッドが、悠々と歩を進める。時臣も、清姫も、誰も動けない。この部屋のどこにいようが、ブラッドの攻撃圏内であることに変わりはない。迂闊に動けば、やられる。それをこの場の全員が理解していた。

 クローズマグマは清姫と時臣を庇えるよう、一歩前に出て油断なく構えを取ったまま、視線だけを後方にやった。

 

「遠坂さん。一応訊くぜ……あんた、これからどうすンだ」

「……よもや、他ならぬ間桐の翁があのような慮外者と手を組んでいたなどと……このような結果は想像したくもなかった。だが、そうと分かった以上、捨て置くわけにもいくまい。ブラッドスタークは聖杯戦争に挑むマスター全員の敵……私には、亡き璃正神父に代わり、翁の罪を断罪する責務がある」

「責務とか、難しいこと言って煙に巻いてんじゃねェ! あんた自身がどうしたいのかって、俺はそう訊いてんだよッ!」

 

 瞬間、時臣は衝撃に身を打たれたように固まった。

 

「無駄ですわ、万丈様。この殿方は自分の立場や建前をいたく気にしておられるご様子……サクラの心の叫びに耳を傾けてあげられるほど、器用な男ではございません」

 

 ブラッドが、両腕から真紅のエネルギー波を放出した。波は蛇のようにのたうち、クローズマグマを襲う。ビートクローザーを構え、真正面からエネルギー波を受け止めた万丈は、そのまま一気に前進し、ブラッドに組み付いた。ブラッドの動きを封じながら、クローズマグマは声の限りに叫ぶ。

 

「遠坂さん……! ここまできたら、あとはもう()()()だけだろうが! そりゃ……っ、俺は馬鹿だからよ……難しいことはよくわかんねェよ! でもな、俺も、清姫も、……雁夜もッ! みんな、みんな桜が救われることを望んでんだ! 今、ここで! それができるのは、あんただけなんだよッ!」

「万丈、くん……」

 

 雁夜を救えなかった。その悔しさが、今の万丈を突き動かす原動力だった。せめて、雁夜が最後に懐いた「桜を救う」という願いだけは、意地でも叶えてやりたかった。

 組み合ったブラッドとクローズマグマを尻目に、清姫が数歩前に出る。

 

「――どうなさいますか、時臣様。わたくしは当然サクラを追い掛けますが……生憎と、わたくしは万丈様ほどお優しくはございません。あなた様が、ここまで来て本音のひとつも口にできないような殿方であるならば、着いてこられたところで足手まといも甚だしく。できればここで大人しくして頂いた方が助かるのですが」

「……黙って聞いていれば、随分と勝手な物言いだな。流石は礼儀を知らぬ雁夜のサーヴァントだけのことはある」

 

 時臣もまた、清姫に追従する形で数歩進んだ。

 そして、時臣が、清姫を追い越した。すれ違い様に、雁夜に向けていたものと同じ、冷徹な眼差しを清姫に注ぎながら。

 

「桜は、私が救う。他ならぬ私が、愛娘を取り戻したいと、そう願ったからだ。君こそ、私の邪魔をするような真似はしないで貰いたいところだね」

「……ではお好きにどうぞ。わたくしも好きなようにやらせていただきますので」

 

 時臣を追い越そうと、清姫もまた足早に歩を進める。ふたりの足が、臓硯が消えていった扉へと向いていることを悟ったブラッドは、クローズマグマの拘束を振り払い、雄叫びを上げながら床を蹴った。ふたりを追撃するつもりだ。

 

「ッ、させるかよッ!」

 

 すかさず立ち上がったクローズマグマが、再びブラッドに背後から組み付いた。強烈な肘打ちが、ガン、と音を立ててクローズマグマの仮面を強打する。それでも一度組み付いたならば離れはしない。振り返ったブラッドの顔面を力任せに殴り返したクローズマグマは、そのままブラッドの腕を絡め取り、部屋の壁に叩きつけるようにして抑え込んだ。

 ブラッドの膂力も相当なものだ。少しでも気を抜けば、すぐにクローズマグマの拘束から逃れることだろう。理性のない獣と組み合っているような感覚だった。それでも、万丈は絶対に離さない。

 

「行けッ!」

 

 たった一言で万丈の思いを汲み取ったふたりは、各々決然と頷いた。万丈は、クローズマグマの仮面の下でにッと微笑んだ。

 ふたりが奥の部屋へと消えていくのを見届けると同時、窓の向こうで、極光が炸裂した。ネロが庭園で放った、星の聖剣の瞬きだ。陽の光よりもなお眩い光の奔流が、衝撃波を伴って屋敷の窓ガラスを粉々に粉砕する。吹き付ける突風の中、ブラッドはクローズマグマの拘束を振り払うと、呻き声をあげながら頭上を仰ぎ見た。

 

A()――urrrrrr(ァァァァァァァ)ッ!!」

 

 先程までの獣の叫びとは異なる、血も凍るような冷たい叫びだった。

 苦痛に身悶えするように体を仰け反らせ、荒い呼吸を吐き出す。ブラッドの装甲から、闇が溢れ出した。全身のライダースーツを、真紅の血管が侵食し始める。以前、クローズから武器を奪い取ったときと同じだ。

 

「こ、こいつッ」

「██▀██▅▅▅▅████████▀███▃▃ッ!!」

 

 漆黒のコブラを思わせるブラッドの仮面に元来存在したエメラルドグリーンのラインが、煌めくようなメタリックレッドへと変色する。真紅の瞳をクローズマグマへと向けながら、狂戦士と化した仮面ライダーブラッドは、どこからか取り出したビートクローザーを、やはり漆黒の闇で侵食し、構えを取った。

 

   ***

 

 火の手は徐々に屋敷全域を包もうとしていた。清姫が最初に放った炎が原因だが、その後クローズマグマが放った灼熱もまた大きな要因であることは疑いようもない事実だった。

 時臣と清姫は、互いに会話もなく屋敷の中を進む。ひとつひとつ部屋を虱潰しに探してもいいが、それではあまりに時間がかかりすぎる。そう思いあぐねていたとき、屋敷内に鳴り響く警報に、部屋着のまま慌てて飛び出してきたひとりの男の存在を時臣は認めた。

 その赤らんだ顔を見れば、男が午前中から酒に耽溺していたことは明白だった。紫の癖毛を整える余裕もなく、時臣とほど近い年齢と思われる男は清姫の顔を見るなり絶句し、蛇に睨まれた蛙のように足を止めた。

 

「彼は、確か――」

「間桐鶴野(びゃくや)……ますたぁの兄君であると同時に、サクラをあのような姿に変えた張本人。幼い子どもを嬲り、慰みものにするしか能のない男です」

 

 それを聞いた瞬間、時臣の心の奥底に熱が灯った。雁夜にはついぞ感じたことのない、人としての義憤の熱量だ。けれども、時臣はそれを心のままに発散するような真似はしない。

 鶴野もまた、時臣のことは知っているのだろう。最前まで酒に赤く染まっていた顔をあからさまに青くしながら、呂律の回らない口調で喋り出した。

 

「ち、ちち違うッ、誤解だ! 私はただ、遠坂の娘を調教しろと言われて――」

 

 言葉を終えるよりも速く、清姫の炎が鶴野を焼いた。蒼炎に全身をくるまれながら、鶴野は手足をばたつかせて、絶叫する。

 

「――あッ、ガァぁあああああああッ!!? あ、あヅっ、あづゥッ、な、なんでッ、なんでぇええこんなァァア!?」

「その炎はわたくしの怨念の灯火。燃やすも消すも、わたくしの心ひとつ」

 

 清姫がくすりと微笑むと同時、鶴野を包む炎がぐんと熱を上げる。室内の体感温度が上がった。頭上からスプリンクラーの放水が放たれるが、その程度で清姫の怨念の炎は消えはしない。

 

「ご安心を。あなた様は腐ってもますたぁの兄君。サクラの件に関しても、あなた様はただあの男に従っただけ……ええ、ですから殺しはしません。ただ、教えて欲しいのです。間桐臓硯がどちらに向かったのかを」

「し、知らないッ、知らない知らない知らないっ、私は、なにもっ、ぁああああアアアッ!!」

 

 灼熱の豪華の只中で、鶴野は一心不乱に叫んだ。

 清姫はふむ、と小さく唸ると、そのまま俯いた。

 

「……どうかね。彼は、嘘をついているのか」

「いいえ、どうやら本当になにもご存知ではないご様子。無駄骨でしたね、先へ進みましょう」

 

 和服の裾を翻し、清姫はすたすたと歩き出した。鶴野は、依然として燃え盛る炎に巻かれ、悶え苦しんでいる。火の手が静まる気配はない。

 

「あッ、あァアア、待、待っで、熱ッ、助けっ助けて」

あの子(サクラ)がその身に受けた苦痛と屈辱はそのようなものではございません。あなた様も、少しは嬲られる者の痛みを知っては如何です?」

 

 振り返った清姫は、扇子で口元を隠したまま、嫋やかに微笑んだ。その微笑みの裏に、明確な怒りが込められていることは、時臣にも理解できた。

 鶴野を苛む火の手は、最前よりは僅かに弱まっているように見受けられる。呼吸器や眼球は焼かぬように、頭以外の箇所を念入りに燃やしている様子だった。

 清姫の言葉の通り、死ぬことはないのだろう。だが、あの火傷では、助かったとて後遺症は免れ得まい。或いは、死なない程度の火刑という方が当人にとってはより痛烈な地獄なのかもしれない。炎の魔術師である時臣ならば助けることもできなくはないが、そんな気にはなれなかった。

 清姫は鶴野からは既に興味を失った様子で、迷いのない足取りで進む。その淀みのなさに、時臣は問うた。

 

「どこか、向かう先に心当たりでもあるのか」

「今の男との会話で、少しぴんと来るものが」

「……聞かせて貰えるかな」

 

 清姫は暫し沈黙した。

 時臣に情報を寄越すことに躊躇いがあるのは明白であったが、清姫は雁夜ほど愚かではない。状況を見て、桜を真に救い出すことができるのが、時臣をおいて他にいないことも理解しているはずだ。

 数瞬の沈黙を破って、清姫は静かに語り出した。

 

「この一年間、あの子は地下の蟲蔵で嬲られ続けてきました」

「ああ、それは……聞いている」

「地下の蟲蔵には、サクラの純血を啜った……臓硯子飼いの淫虫が無数にひしめいています。臓硯が本気でわたくしたちと決着をつけるつもりであれば、最後の決戦の地に選ぶのもまた、その場所かと」

「ふむ、なるほど……間桐の工房へ直接乗り込むことになるか」

 

 顎先に指先を添え沈思する時臣を嘲るように、しかし務めて柔らかく、清姫は微笑んだ。

 

「あら。怖気づいたのであれば、あなた様はここで引き返してもよろしいのですよ」

「馬鹿な。この程度で怖気づくなら、そもそもこのような場所まで出向きはしない」

 

 返答はない。清姫は、時臣と必要以上の会話をする気はない様子だった。

 言葉ではそう言ったが、内心としては、僅かに緊張している。基本的に、魔術師が他の魔術師の工房に脚を踏み入れることはない。どのような罠が待ち受けているかもわからない敵の本拠地へ、これより時臣は生身で乗り込まなければならないのだ。

 こんなとき、英雄王(セイバー)がそばにいてくれたら、と。そう思いかけた自分自身の弱い心を振り払い、時臣は進む。

 

 ほどなくして、清姫に導かれるままに、時臣は地下の蟲蔵へと続く重たい鉄の扉を開けた。同時に、湿っぽい空気が、据えた臭いを伴って押し寄せてくる。時臣は、思わず顔を顰めた。このような場所で、愛娘は苦しみ続けてきたのだ。

 地下へと続く階段を降るほどに、立ち込める臭気は強くなってゆく。やがて、最下層へ降り立ったとき、時臣は見た。

 四方を石で囲まれた逃げ場のない空間の中心に、臓硯と桜が立っている。その周囲には、時臣の到来を拒むように、幾千の蟲が蠢き、耳障りな歯音を軋ませている。しかし、だだっ広い空間に対して、蟲の数が些か少ないようにも思われた。

 

「本来ならばこの倍はおったのじゃがな。雁夜め、無駄に使い潰しおって」

「ご存知ないのですか? ますたぁははじめから、このときのために蟲を動員していたのですよ」

 

 清姫が、くすりと柔らかく微笑んだ。

 時臣に燃やされるだけと知りながら馬鹿の一つ覚えとばかりに飛ばし続けてきた蟲による傀儡戦術の意味を、ここで時臣ははじめて悟った。最後の戦いでは、清姫の炎も一緒になって蟲を焼いていた。今にして思えば、その行動にも辻褄が合う。

 

「まあ、なんでもよいわ。どのみちここでお主らが潰えることに変わりはないからの」

 

 四方を囲む闇の奥から、無数の人影が姿を現した。人の形を捨て去った無機質な怪人(スマッシュ)の群れが、時臣と清姫を取り囲む。どこからか湧いて出た大量の羽虫の群れが、上空からボイラーのような羽音を響かせ、ふたりを威嚇する。

 

「さて、遠坂の。最期になにか言い残すことはあるか」

 

 問われた時臣は、清姫より一歩前へと進み出た。

 臓硯の傍らで不安そうにこちらを見つめる桜に、父として、務めて優しい微笑みを向ける。

 

「桜……お前をこんな場所に放り込んだのは、ほかならぬ私の罪だ」

「そんな……そんなことを今更になって言われても……困り、ます」

「ああ、あまりにも遅きに失する失態だということは理解している。だが、だからこそ……今からでも私は、お前を連れ戻したい。もう、こんな場所で苦しむことはないんだ。父も、母も、姉も……家族みんなが、お前の帰りを待っている」

「そんなの、今更すぎます……っ! だって、私はもう……!」

「都合のいいことを言っていることは自覚している。私が言う権利はないかもしれないが……桜には、幸福な人生を歩んで欲しいと、そう願って私はお前を養子に送り出した。しかし、この場所では、それは叶わない。……ああ、こんなことは、もっと早く気づくべきだったな」

 

 自分自身をこんな地獄へ突き落とした父の言葉になど、聞く耳を持ちたくないと思うのは当然であろう。桜はなおも当惑した様子で、臓硯と時臣とに交互に視線を送る。どちらの手を取れば自分が助かるのか、桜自身も悩んでいるのだ。

 ならば、示してやる必要がある。

 時臣は、既に令呪すら失った無骨な手を差し出し、叫んだ。魔術師でもマスターでもない、時臣自身の言葉を。

 

「ここから先は、私がお前を守る。今度こそ……父として。間桐ではなく、私が」

「お父、さん……」

「頼む――帰ってきてくれ、桜。私を、もう一度信じてくれ」

 

 時臣の言葉を鼻で笑う臓硯とは裏腹に、桜は――その瞳を真っ赤に充血させて、時臣を見据えていた。今までずっと我慢していた涙が、堰を切ったように溢れ出してきたのだろう。遅れて、肩を震わせ、吐息を荒げ始めた。鼻水をすすりながら、桜は問い返した。

 

「私……もう、帰ってもいいの? また、お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんと……みんなで一緒に暮らしても、いいの?」

「約束する。みんな、お前の帰りを待っている。だから、お父さんと一緒に、うちに帰ろう……桜」

 

 その言葉が、長く桜の心を凍て付かせていた氷を溶かした。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、大きく頷いた桜には、もう迷いなどなにもない。あらゆる懊悩を振り切って駆け出そうとした桜の肩を、臓硯が強引に掴む。

 

「桜ッ!」

「お父さぁんッ!」

 

 涙ながらに助けを求める娘の眼差しを見て、時臣の決意は固まった。

 ここで、臓硯を倒す。もはや御三家の盟約など知ったことではない。父として、人として、それが今の時臣のなすべきことだ。

 

「カカッ、くだらぬ茶番ではあったが、見ものであったぞ、遠坂の。ここでお主が死ねば、今後サクラもワシに手向かう気は起こすまいて」

「間桐臓硯……聖杯戦争を私物化しようと企む男の口車に乗り、魔導を貶めた貴様に、もはやかける言葉を私は持たない。だが……ひとつだけ語るとするならば」

 

 ルビーのはめ込まれたステッキを緩く掲げ、時臣は明確なる敵意の眼差しを突きつける。

 

「正しき魔術師たれと願って送り出した我が子の心を踏みにじり、自らの傀儡として利用せんとしたその愚行、正当なる魔術師として……いいや、ひとりの父として。今、私が貴様の罪を裁くッ!」

「フン……遠坂の小倅風情が。身の丈に合わぬ妄言はそこまでにせい」

 

 一斉に、甲虫たちが加速を初めた。清姫が炎を舞い上げる。時臣の魔術が、その炎を操って迫りくる蟲の群れを一気に焼き払った。勢いそのまま、清姫の蒼炎が臓硯へと迫る。

 炎が臓硯を呑み込んだその瞬間、臓硯の姿は無数の蟲の群れとなって消えた。四方に散らばった虫の群れの一部は清姫の炎によって焼き尽くされたが、こうなってはどれが臓硯の本体であるか判別がつかない。

 臓硯の支配を逃れた桜が、時臣にひしと抱きついた。時臣は、その背を抱きとめ、父として、優しく撫でやる。

 

「ひっく、ぐすっ……お父さん、お父さぁん!」

「安心しろ、桜。もう離さないからな」

 

 全身で包み込むように、時臣は我が子を掻き抱いた。その間も、蟲とスマッシュの群れは容赦なく押し寄せてくる。

 清姫は下半身を燃え盛る蒼龍へと変化させて、宙を泳ぎように迫りくるスマッシュを翻弄した。豪腕による殴打を灼熱の鉄扇で受け止め、無数の弾丸による砲撃を口から吐き出した火炎の熱で溶かす。

 

「カカッ、多勢に無勢とはこのことじゃな。精々足掻くがよい。お主らがどこまで持ちこたえられるか、高みの見物といかせて貰うとするかのぅ」

 

 どこからともなく臓硯の笑い声だけが反響する。

 臓硯は、なにがなんでもここで清姫諸共時臣を始末するつもりだ。上階で戦っている万丈がバーサーカーに敗れれば、それこそ臓硯の罪を知るものはなく、臓硯だけが戦力を残して終わることになる。そうなれば、桜もまたこの地獄に逆戻りだ。それだけは、避けなければならない。

 すっくと立ち上がった時臣は、短い詠唱に次いで、清姫が撒き散らした炎を操り、蟲とスマッシュの両方目掛けて灼熱の嵐をお見舞いしてやった。蟲は焼け落ち、スマッシュは僅かに後退する。

 

「私は桜を連れて脱出する。着いてこれるか、バーサーカー」

「わたくし、これでもサーヴァントですのよ。一介の魔術師風情に、容易く遅れを取るわけがございません」

「よく言った。ではゆくぞ」

 

 時臣に強くしがみつく小さな桜の背を片手で抱き上げて、ステッキを構えたまま時臣は駆け出した。行く手を阻むようにスマッシュの軍団が立ち塞がる。各個撃破する必要はない。脱出するだけの隙さえ見出すことができれば、あとはどうとでもなる。

 時臣は、三小節ほどの詠唱を紡いで、既に火の海となりつつある地下室中の火炎を一点に掻き集めた。高密度の炎は渦を巻き、灼熱の業火となったそれを一気に放出する。

 避けきれなかったスマッシュの腕に火炎が命中し、その体から火花を噴き上げて倒れ込んだ。拓かれた道を、時臣は桜を抱いたまま走る。スマッシュを踏み越えて、石の階段を駆け上がる。

 

「怖くないか、桜」

「うん、だって……お父さんが、私を守るって約束してくれたから」

「そうか。なら、約束を破るわけにはいかないな」

 

 スマッシュと蟲の群れに追い立てられながら、それでも時臣は朗らかに笑った。

 桜の瞳には、未だ涙が滲んでいる。時臣の娘は、馬鹿ではない。今がどれほど危険な状況で、自分がどれほど危ない橋を渡っているか、自覚できていないわけがない。それでも桜は、時臣を信じてくれた。裏切るわけにはいかない。

 頭上から、轟音が響く。屋敷の一部が崩壊したのかもしれないが、地下室からでは地上階の全容はわからない。時臣らの真上では、仮面ライダークローズと仮面ライダーブラッドが激戦を繰り広げているに違いない。

 無事に逃げ切れるのだろうか。否、桜だけでも脱出させねばならない。押し寄せる不安を振り切って、時臣は地上へと続く鉄扉を開け放った。




【Servant Material】

サーヴァントの情報が更新されました。

【CLASS】アルターエゴ
【真名】ネロ・クラウディウス
【依代】紅渡
【属性】秩序・善
【ステータス】
筋力A 耐久A 敏捷C 魔力B 幸運C+ 宝具A+
(※黄金のキバへの変身時)

【クラス別スキル】
●対魔力:B
 魔術詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術・儀礼呪法などを以ってしても、傷つけるのは難しい。

●騎乗:A++
 乗り物を乗りこなす能力。騎乗の才能。
 ドラン族最強の個体である「キャッスルドラン」と心を通わせた逸話から得られたスキル。
 アルターエゴは、本来騎乗スキルでは乗りこなせないはずの竜種を例外的に乗りこなすことが出来る。

●ハイ・サーヴァント:A
 複数の神話エッセンスを合成して作られた人工サーヴァント。
 ネロ・クラウディウスの、かつて「星の脅威(ヴェルバー)を撃退した」という逸話から、その決戦の折にネロと融合していた女神ヴィーナスの要素を併せ持つ。

【保有スキル】
●神秘殺し:B+
 ファンガイアやレジェンドルガといった魔族を葬ってきた逸話により得られたスキル。
 魔族・魔性といった性質を持つ敵と戦闘する場合、ステータスに補正が得られ、対神秘への攻撃に特攻状態を付与する。

●皇帝の紋章:A
 ファンガイア・キングとしての資質にして、キバの鎧の継承権。
 キバの鎧を身に纏っている限り、魔皇力で出来た巨大なキバの紋章を形作り、そのまま攻撃・拘束に転用することが可能となる。
 紋章による拘束は、同ランク以上の対魔力があれば判定次第で抜け出すことも可能。

●皇帝特権:EX
 本人が主張すれば、本来持ち得ないスキルでも獲得できる能力。
 紅渡は、短期間とはいえ自らをキングであると主張し玉座に就いた。また、かつてとある世界で“世界の破壊者”に旅のはじまりを告げ、世界を渡り歩く旅路へと送り出した逸話を持つ。それらの経歴を総合的に見て得られたスキル。
 本来の紅渡はもう少し口下手であるのだが、このスキルの影響か、誰とでも分け隔てなく会話できる代わりに、どこか遠回しな表現をすることが多くなった。――創造は破壊からしか生まれませんからね、残念ですが。
 また、このスキルの応用で、本来ならば王の資格がなければ使えないもの、或いは、正しい()()()でなければ扱えない兵装をも自在に使いこなすことができる。
 戦闘面においては、セイバークラスに対する攻撃不利の打ち消しと、対セイバークラス、または対「領域外の生命」の特性を持つ敵への攻撃に特攻状態を付与する。


【宝具】
●第一宝具
光輝放つ真紅の皇帝(スーパーノヴァ・エンペラー)
ランク:B 種別:対人宝具(自身) レンジ:- 最大捕捉:1人
 黄金のキバへの変身能力。または、その上位態への強化変身能力。下位フォームへの変身はできない。
 キバの鎧そのものが限定的な「空想具現化」の性質を有しており、全身から魔皇力を放出することで、自身の力を最大限発揮できる環境に世界の状態を変化させることが可能。
 ただし、真祖ほど万能というわけではなく、自由自在に能力に融通を利かせられるわけではない。具体的には、周囲を疑似的に夜に塗り替え、魔皇力のオーラで赤く染まった満月を夜空に浮かべる、というものである。

●第二宝具
招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)
ランク:B 種別:対陣宝具 レンジ:30、60、90 最大補足:100人、500人、1000人
 ネロ・クラウディウスが生前、ローマに建設した劇場を魔力によって形成、再現した空間。自己の願望を達成させる絶対皇帝圏を展開する。
 ネロの意思次第で、再現する建造物はある程度カスタマイズ可能。今回は紅渡を依り代としているため、紅渡が使役する「キャッスルドラン」城内の特性を持つ空間を再現できる。
 戦闘面では、展開時に敵に防御力無視の物理ダメージを与えた上で、3ターンの間、敵の筋力・耐久力を低下させる。
 キャッスルドランの性質を再現した場合は、場内で発動するあらゆるザンバットソードを無力化し、封印する。ただし、例外としてザンバットバットにはこの性質は適用されない。

●第三宝具
約束された勝利の剣(ザンバット・エクスカリバー)
ランク:A+ 種別:対城宝具 レンジ:1~99 最大補足:1000人
 本来の担い手は既になく、座に残されたのは担い手を失った星の聖剣ひとつ。
 抑止力は、星の奇跡の結晶たる聖剣の権能を、黄金のキバの持つ魔皇剣ザンバットソードに封じ込めた。星の脅威を振り祓うため、ただそのためだけに。
 絶大な威力を誇る神造兵装だが、それだけに仮初の担い手であるアルターエゴへの負荷も大きい。また、本来の聖剣そのものではないため、ランクも僅かながら低下している。
 戦闘面においては「星の脅威」の特性を持つ敵への攻撃において特攻状態を付与する。まさしく、星の遣わした究極の切り札である。

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