仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD 作:おみく
衛宮切嗣の申し出に応じるための最低条件としてキャスターが指定したのは、新都のオフィス街に位置する冬木センタービルの屋上に、指定の時間、切嗣ひとりで来ることだった。
キャスターとランサーという、ふたりのサーヴァントを引き連れた桐生戦兎を前に、切嗣は心中で乾いた笑みを零した。
“大した歓迎だな”
ランサーは獲物を前にした獣を思わせる瞳を爛々と輝かせて圧を放っているし、キャスターに至ってはもはや全身から発奮する魔力の波濤を隠す気すら見られない。既にこの場に諸葛孔明の奇門遁甲が張り巡らされていることは明白だった。人払いの結界も張られているようなので、見ず知らずの一般人が紛れ込んでくることはなさそうだ。
真冬の冷たい風が、切嗣のくたびれたコートの裾を揺らす。切嗣は、武器の詰め込まれたアタッシュケースをそっと床に置いた。今の切嗣は、正真正銘の丸腰だった。
キャスターが、先頭に立つ。
「アインツベルンが招来せしマスター、衛宮切嗣。まずは約束通り、ひとりでこの場に参じたこととお見受けする。我らの要求に応えてくれたこと、感謝の言葉もない」
「こちらこそ、会談に応じてくれたことに感謝する。言っても信じてもらえないだろうが、今夜僕は君たちと争うつもりで来たんじゃない」
互いに慇懃に言葉を交わすが、場の空気は張り詰めたままだ。当面緩む気配はない。
「僕からの要求はひとつだ。檀黎斗と石動惣一……そして、言峰綺礼。この三人を確実に始末するまで、君たちと同盟を組みたい」
「聖杯戦争がこのような有り様を呈している以上、それは願ってもない申し出だ。しかし、生憎と我らエルメロイの陣中に、あなたの言葉を信ずるものはいない。その理由は、もはや語るまでもあるまいな?」
「理解している。自分のやったことだからね」
表情をぴくりとも動かさず、切嗣は淡々と認めた。
「……今が戦時中であることを踏まえ、こちらも必要以上にあなたを責めるつもりはない。しかし、信頼できない相手に背中を預けるには、それなりの誠意を見せてもらう必要がある」
「そっちからも要求があることは、僕としても想定の範囲内だった。単刀直入に言ってくれ」
「話が早くて助かる。こちらから要求することはふたつだ」
「聞こう」
「ひとつ。我々エルメロイを敵対者としてみなすのは、件の三名をすべて排除した後。それまでの間、我々に牙を剥くようなことは絶対にしないこと」
「いいだろう。もうひとつは?」
「……ふたつ。以後聖杯戦争が終結するまでの間、衛宮切嗣には我らに対する奇襲・騙し討ちをはじめとする一切の卑劣な企てを禁ずる――そういう約定であれば、こちらにも応じる用意はある」
「なるほど……落とし所としては妥当だな」
戦兎もランサーも、キャスターの要求に口を挟もうとしない。つまり、これが向こうの陣営の合議の結果ということだろう。
キャスターは、懐からひと巻きの羊皮紙を取り出した。
内容は、いま語られたとおりのものだった。束縛術式の対象は、衛宮切嗣。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトならびにソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの両人を対象とした、殺害、傷害の意図を含む行為及び、一切の企てを永久に禁則とする。
「確認した。証文には、不備も抜かりもない」
これが衛宮切嗣を対象に、殺害と傷害のみを禁ずるだけの証文であれば、まだ穴を突くこともできただろう。切嗣の息のかかった第三者に仕事を任せれば事足りる話だからだ。しかし、企てそのものを封じられるのであれば、そういう策に出るわけにもいかない。
記された血の署名は、既に明確な魔力を湛えて脈動している。ケイネスの血だ。切嗣が認めれば、ここにはいないケイネスと呪術契約を結ぶことになる。
「これでも譲歩に譲歩を重ねた結果であることを理解してほしい。我がマスター、桐生戦兎に対する攻撃は禁じていないし、そもそもサーヴァント同士の一騎打ちであれば禁則事項に触れることもない。我々は、一切の騙し討ちを排除した聖杯戦争において競い合おうと提案しているだけだ」
「えっ、ちょっと待てよ。その証文に俺、含まれてないの?」
一歩後ろで静観していた桐生戦兎が上ずった声をあげた。切嗣は、静かに首肯する。
「いいだろう。どのみちこの状況で僕に選択肢はない。だが、この約定を呑むからには、徹底して敵の排除に協力してもらう。檀黎斗、石動惣一、言峰綺礼……この三名の排除が最優先だ。構わないな」
「ねえちょっと待って、無視しないで」
「無論、我々もそのつもりでいる。その三名はいずれも聖杯戦争そのものの敵と見て相違ない。まずは正常なる聖杯戦争を我々の手に奪い返す。その点においては、互いに合意するところのはずだ」
「ねえ」
「賢明な判断だ」
切嗣は手渡された羊皮紙に自らの魔力を通わせた。ケイネスとの間に、決して違約しようのない取り決めが交わされる。これでもう、衛宮切嗣はその魔術回路ある限り、たとえ命を差し出そうとも、永久にケイネスに危害を加えることはできなくなった。呪術契約の成立だ。
務めて優しく微笑みながら戦兎の肩を二度三度と叩くランサーを横目に見ながら、切嗣は提案する。
「それじゃあ、早速だがキャスター。まずは石動に拐われた僕らの仲間を奪還するための計略を練りたい。石動の居場所については、僕に心当たりがある」
「いいだろう。あなたにとって、此度の約定の本懐が久宇舞弥であることは察しがついている。不平等な
「……ご丁寧に舞弥の素性まで暴いているのか。大したものだな、策士孔明」
味方となったはずの男に、切嗣はそれでも苦虫を噛み潰したような表情を向ける。いずれ敵に回ることが確定している以上、情報戦においてこれほど厄介な相手はいない。叶うならば、こういうサーヴァントは自分の手で引き当てたかった。
「で、スタークの居場所に心当たりがあるってのはどういうことだ、切嗣」
「僕と舞弥の見立てでは、石動は言峰綺礼と組んでいると考えてまず間違いない。少なくとも言峰綺礼の居場所は分かっている以上、そっちに狙いを定めれば、必ずあの男にも行き当たるはずだ」
戦兎の質問に答えると、今度は横合いからランサーが入ってくる。
「ちょっと待ちなさい。言峰綺礼といえば、聖堂協会の人間でしょう。檀黎斗と石動惣一がそもそも敵対しているというのに、あの男はその両名と裏で繋がっていると?」
「……そう言ってるんだ」
己の華々しい真名を誰憚ることなく名乗り、笑って戦いに挑む銀髪の女に、切嗣は必要最低限の言葉とともに冷徹な眼差しを向ける。
キャスターは片手を顎へ添えて、ふむ、と低く唸った。
「言峰綺礼が腹に一物抱えていることは、我々も理解している。あなたがたアインツベルンは、既にそこが繋がっていると見ているのだな」
「……話が見えねえな。スタークに殺された監督役の神父は、その言峰綺礼の父親のはずだ。そいつがなんで、父親を殺したやつと手を組むんだよ」
「僕は過去に一度、あの男と接触したことがある。少なくとも、まともな論理感に当て嵌められるような男じゃなかった」
あの夜、長い戦いの果てに切嗣が得た答えを知りたいと、ただそれだけの理由でこの聖杯戦争に参加したのだと、あの男は確かにそう言った。
言峰綺礼は、聖杯の奇跡などどうでもいいのだ。遠坂とは戦う理由が根本から違う。利益を度外視した人間は、ときに切嗣にも読めない行動を取ることがある。だから、恐ろしい。
「――お生憎様、そっちから綺礼に仕掛ける必要はない。探されるまでもなく、こっちから出向いてやったぞォ」
ふいに、老獪さを滲ませた男の声が響いた。この場の全員が反射的に体を強張らせる。
気付けば、切嗣らの周囲を取り巻くように、赤黒い煙幕が渦巻いていた。一分の隙もなく、煙幕はこの場の全員を逃すまいと展開されている。
煙幕の中から姿を現したのは、無数のスマッシュ軍団だった。総勢五十にも迫るスマッシュの群れが、切嗣らを取り囲むように佇立している。そして、並み居るスマッシュの群れの、その先頭に立つのは、くすんだ深紅に煌めく鎧を纏った蛇男だった。
「……スタークゥウウッ!!」
戦兎が、真っ先にその名を叫んだ。ビルドドライバーを取り出し、構えを取る。一瞬遅れて、ランサーも剣呑な眼差しをスタークへ向け、手元に魔力の粒子を手繰り寄せた。巨大な鉾が精製される。
「チャオ〜、戦兎……ま、そう身構えるなよ、今日は戦いにきたんじゃない」
「ふざけるなッ……これだけの民間人をスマッシュにしておいて、今度はなにを企んでる!」
「あァ、企みは企みだが、今回はおまえらと同盟を結びにきたんだよ」
「な……ッ」
軽々しく放たれたその言葉に、その場の全員が絶句した。戦兎は怒気を孕んだ双眸で睨み付け、キャスターは瞠目に動きを止め、ランサーは笑顔のまま、切嗣は無表情で。反応はまちまちだが、みな一様に言葉を失った。
***
日付が変わり、街の灯りが消え始めたころ、綺礼は通い慣れた洋館へと足を運んだ。遠坂の屋敷といえば、綺礼にとっては学び舎といっても相違ない、馴染み深い場所でもあった。
「ようこそ綺礼、待っていたよ」
遠坂時臣の顔色には、明確な疲れの色が見て取れた。今朝の一戦から、おそらく休むことなく新都での騒乱の終息のため奔走していたのだろう。綺礼はまず、師弟の礼に則って、敬愛する恩師に深々と頭を下げた。
時臣は快く朗らか微笑むと、綺礼をソファへ座るようにと促した。
「今朝はありがとう。桜を禅城の屋敷に送ってくれたこと、感謝するよ。これで私も後顧の憂いなく動くことができる」
「いえ、むしろ、その程度のことでしかお力になれず、
「フ、正直ね。聖杯戦争に負けたことはまだいい。大変なのは、後処理の方だ。新都であれだけの騒ぎになってしまった以上、同じタイミングで焼け落ちた間桐家もなにか関係があるんじゃないかと騒ぎになっていてね。可能な限り抑え込みはしたが、教会が機能していない今、まだまだ手が回っていない状況だ」
「父が存命であれば、導師の力になるべくその辣腕をふるっていたことでしょう。私にできることは、あまりに少ない」
伏し目がちに嘆く綺礼を宥めるように、時臣は微笑んだ。
「それは違うよ綺礼。璃正さんの死は確かに哀しいが、君はまだ生きている。それだけでも、今は喜ぶべきだろう。私は、君という弟子を得られたことを、誇りに思っている。今回の聖杯戦争が終わったら、君には兄弟子として凛の指導に当たって貰いたい……そう思えるほどに」
「それは、願ってもないお言葉です」
綺礼の返答に満足気に頷いた時臣は、テーブルの片隅に用意してあった黒壇の細長い箱を差し出した。
「……導師、これは」
「開けてみたまえ。これは君個人に対して、私からの贈り物だ」
促されるままに箱を開けた綺礼が見たのは、一振りの瀟洒な短剣だった。
――お前の師匠……遠坂時臣は、もうすぐお前に家宝のアゾット剣を渡すことになっている。
「……ッ」
刹那、石動の言葉が脳裏に蘇る。石動が予言した通りの未来が、いま目の前に迫っている。それは、綺礼の思考を一瞬停止させるには十分すぎる威力を秘めていた。
目を見開いたまま動きを止めた綺礼の、その反応の意味を履き違えた時臣は、さも喜ばしそうに微笑んだ。
「アゾット剣だ。当家伝来の魔術礼装でね、魔術を充填しておけば礼装としても使える。君が遠坂の魔導を修め、見習いの過程を終えたことを証明する品だ」
綺礼は短剣を手にとって、じいっと見つめた。英雄パラケルススが用いたとされる宝剣を精巧に模したレプリカだ。まさしく、家宝と呼ぶに相応しい精密な造形だった。
――お前はこれから、自分の愉悦のためだけに敬愛する恩師を殺し、そのサーヴァントを奪い取る。
――この世界は所詮過去に起こった聖杯戦争を再現しただけの仮想世界。言峰綺礼なんて人間は、現実世界じゃとうの昔に死んじまってんだからな。
走馬灯のように、あの日の石動の言葉が脳裏を駆け巡る。では、この世界で生きている綺礼は、いったいなんだというのか。目の前で微笑んでいる男は、綺礼が追い求めた魔術師殺しは、この聖杯戦争は。
すべて、
「…………」
石動の言葉には、なんの根拠もない。すべてただの妄言で、石動がアゾット剣のことを知れたことにも、なにか裏があるのかもしれない。綺礼の理性はそう考えるべきと訴えているが、しかし、心がついてこない。
あらゆる感情が消え去った綺礼の面持ちも、時臣の目には感激に極まっているものと映ったのだろう。時臣は微笑みのまま、また頷いた。
「我が師よ……至らぬこの身に、重ね重ねのご厚情。感謝の言葉もありません」
「君にこそ感謝だ、綺礼。君は私にとって家族も同然だ。君がいてくれるなら、遠坂の未来は明るい。だから、綺礼……どうか、これからも私のそばにいてくれないか。そして、ともに凛と桜を導いて欲しい」
「お任せください。不肖ながらも、ご息女については責任をもって見届けさせていただきます」
「ああ、君ならそう言ってくれると思っていたよ。ありがとう、綺礼」
「――ええ。ご息女については、ですが」
刹那、時臣の背後の闇が蠢いた。誰にも気配を感じさせることなく、音もなく、暗殺者の刃が時臣の首筋へと突き立てられる。
その刃を阻んだのは、鉛色に輝く水銀の壁だった。せり上がった水銀が、アサシンの刃を阻み、鞭のようにしなってその身を遠ざける。時臣は、別段驚いたふうでもなかった。
瞠目したのは、綺礼だけだった。
「……綺礼。私は、君を信じていたかったよ」
時臣の表情に浮かぶ色は、失望よりも、悲しみの方が大きかった。ぎこちない動作で目線を伏せる。瞑目した時臣は、深く、震える息を吐き出した。
開け放たれたドアから入室してきたのは、綺礼にとっても見覚えのある人物だった。
「よもやあれほど信じた愛弟子に裏切られようとは、虚しいものよな、トオサカ。なるほど貴様という男は、よほど人が好かったのであろうよ」
嘲笑うように笑みを深めながら、後ろ手を組んだケイネスが入室する。引き連れられるかたちで、
長い青髪を後ろで結わえたアサシンの女は、即座に飛び退ると、綺礼の眼前で、主を庇うように短剣を構えた。現れたふたりを敵対者と認め、目的を暗殺から主人の保護に切り替えたのだろう。
万丈は腹部にビルドドライバーを精製しながら、その双眸に確かな熱を灯して怒鳴った。
「テメェのことはキャスターから聞いた。放っておけば遠坂さんが危ない、ってな……けどよ、それを伝えても、この人は、それでもおまえのことを信じたいって言った。それを、テメェは……ッ!」
「フン、一々くだらぬ感情を語るのはよせ、ライダー。私としては、冬木の
「……なるほど。
綺礼は込み上げる笑いを抑えられず、くつくつと喉を鳴らした。
いかな諸葛孔明といえども、今まで誰にも理解されなかった綺礼の思考を読んで、事前に時臣に護衛をつけることなどできるわけがない。
「綺礼……」
苦しそうな表情で硬く瞑目していた時臣は、開眼すると同時に、その熱い眼差しを綺礼へと向けた。
「夕刻ごろ、彼らが尋ねてきたときは何事かと思ったよ。いきなり『綺礼が私を裏切る』だなどと聞かされても、信じられるわけがなかった。だが、それでも万丈くんの顔を立てて、私はこうして君を招いた。……その結果が、これか」
時臣は、どうやらまだ綺礼を信じているようだった。というよりも、信じたいという感情の方が強いのだろう。決して浅からぬ情の籠もった、縋るような目で、時臣は綺礼を見る。
らしいといえば、らしい。けれども、この状況で未だに現実を受け入れられないその愚かしさゆえに、遠坂時臣は聖杯戦争に負け、今またこのような無様な状況に追い込まれているのだ。さしもの綺礼も、いよいよもって愛想が尽きる思いだった。
「導師よ……あなたは、ついぞ私の心に気付くことはなかった」
「いったい、なにが気に入らなかったんだ。私は、君を心から愛していた。家族だとすら思っていた……それなのに」
「ええ、私もです。私も、あなたを愛していました。嘘偽りなくね」
「ならば何故ッ!」
「これが私の本性です。愛したものを壊さずにはいられないのです……そう、父にそうしたように」
時臣はさも絶望に打ちひしがれたかのような面持ちで絶句した。
その間抜けな表情が、綺礼には心地よかった。父を殺したときにはついぞ味わえなかった興奮が、体のうちから沸き起こる。
「そう、か……璃正さんも、君が」
「我が師よ。あなたも、これから父の後を追うことになるのです」
気が動転してまともに言葉を返せないと時臣を嘲笑うように、綺礼は口角を釣り上げる。
時臣の代わりに前に出たのは、ケイネスだった。
「貴様の本性などどうでもよいわ。どうせ貴様は我らに誅され、ここで無様に死ぬのだからな。……だが、それよりも私には、令呪によって散ったはずのアサシンがまだ存命している絡繰りの方が気になる。貴様、いったいどのような仕掛けを用いた?」
「簡単な話だとも。令呪による自害を強いる前に、ただひとりだけ生き残るようにと、別の令呪を使って
言葉の一部分を強調して、綺礼は眼前で構える女アサシンに視線をやった。
次いで、カソックの袖を捲る。手の甲から、腕までびっしりと刻まれた数え切れないほどの令呪が衆目に晒された。ケイネスも、時臣も、揃って瞠目した。いまや綺礼の体には、檀黎斗をも上回る数の令呪がストックされている。
「――果てしない求道の日々に終止符を打つ。それが、私とこのアサシンの望みだ。そのためならば、どのような手段を用いることも厭いはしない」
「
「ふ、そうだな……おまえの言う通りだ。アサシン、我が忠実なるしもべよ」
たったひとり生き残ったアサシンは、綺礼にとって唯一の理解者といえた。
当初、いつかは綺礼を出し抜こうとしていた女は、それでも求道者として自分と同じ苦しみを背負い戦う綺礼の言葉を信じてくれた。
たとえ非道な令呪による命令で無数に存在する自我を切り捨てることになったとしても、願いの成就のために立ち上がった綺礼に、この女は忠誠を誓うと言ってくれた。
こうして時臣の寝首をかき、すべてのサーヴァントとマスターを屠る瞬間が来ることを、アサシンはずっと、ずっと、長い間、心待ちにしていたのだ。
マスターとして、その想いに報いる必要がある。綺礼は強く、そう思った。
「……ァ、」
アサシンの胸元から、どす黒い闇に包まれた大剣がそびえていた。
「ぇ……?」
一瞬遅れて、アサシンの口元から、ごぽ、と音を立てて真紅の液体が零れ落ちる。
アサシンの心臓部を背後から貫いた刀身には、血のように赤い葉脈が隅々まで根を張っている。霊体化を解いた
致命傷だ。がくりと膝から崩折れたアサシンの髑髏の面が、かツんと音を立てて地に落ちる。はじめて見た女の素顔は、存外にその辺りにいるただの女と、そう大きな違いはなかった。英霊だろうと人間だろうと、死は平等に訪れるということの証左だった。
「な……、ぜ」
「令呪を以て命ずる。バーサーカーよ、そいつを喰らいつくせ」
「██▅▃▃▃██▃▃▃▃▃██▀██ッ!!」
綺礼の腕に刻まれた令呪が一際眩い輝きを放った。
令呪による強制力を得たブラッドは、獣のような咆哮を響かせて、全身から赤黒い闇を放出する。すべてを悟ったアサシンはすかさず
最後の意趣返しとして放たれた短剣を、綺礼はなんの苦もなく裏拳で弾いた。短剣は、地に落ちる前に闇に溶けるように消えた。
「ア、アサシンが……」
「――喰われた、だと」
万丈の言葉を、ケイネスが引き継ぐ。ふたりとも、青い顔でそこに残った
不安定だった魔力の流れが、今までよりもより強固なものとなっているのを感じる。綺礼の思惑通り、不完全なシャドウサーヴァントは、本物のサーヴァントの霊基を喰うことで、その芳醇な魔力源を丸ごと取り込んだのだ。
「テメェ……やりやがったな」
「ああ、やったとも。それがどうかしたかね、ライダー」
「そいつは……アサシンは、テメェの仲間だったんじゃねえのか!」
「君の認識は間違ってはいない。ああ、ともに聖杯を獲ると誓った同士だった」
「じゃあなんでッ! なんで……こんなことするんだよ!?」
「私が、そういう人間だからだよ」
アサシンが最後に見せた顔を思い出し、綺礼はほくそ笑む。
敬愛する恩師を裏切り、信頼を寄せるしもべを裏切り、他者から向けられるあらゆる情を裏切った。自らのうちから込み上げる
シャドウバーサーカー――裏切りの騎士ランスロットは、静かに項垂れてマスターである綺礼の指令を待っている。かつて綺礼になんの答えも示してはくれなかった『仁義』や『道徳』とまるで無縁のこの意思なき人形こそ、綺礼のサーヴァントには相応しい。
「――やつらを始末しろ、バーサーカー。誰一人として生きては帰すな」
綺礼の短い命令に、ブラッドは雄叫びを上げて応える。
もう、綺礼の暴挙を止められるものは誰もいない。
***
スタークは指先にライフルのトリガーをぶら下げて、悠然とした歩調で戦兎へ歩み寄る。
「聞こえなかったのか? 俺は同盟を組もうと言ったんだ。檀黎斗をブッ潰すためのな」
「ふざけるな……ッ! おまえのために、いったいどれだけの人が苦しんだと思ってる!」
「生憎だが、俺は死人は出しちゃいない。スマッシュに改造しただけだ。ほっときゃどんどん感染していく悪質なウイルスをばら撒いた、あのマッド野郎よりよっぽどマシだろう」
「そういう問題じゃないんだよッ!」
いよいよビルドドライバーを腹部に装着した戦兎を諌めるように、スタークが声を張った。
「俺と組むならッ! ――スマッシュに変えた民間人、全員まとめて解放してやる。……今日はそのためにこいつらを連れてきたんだ。ま、ほとんど聖堂教会の人間だがな」
「……ッ、そんな言葉、信じられるか!」
「信じないのは勝手だが、組まないなら連中の命の保証はない。俺の合図ひとつで、こいつらは一斉に自爆する。そういうふうに仕掛けを施した。当然、俺が死んでも、ボンッ……だ」
「おまえ……ッ」
スタークの親指が、背中越しにスマッシュの群れを指した。スマッシュの群れは、整列したまま微動だにしない。スタークの意のままに操られている。下手な言動に出ることはできない。
誰も即座に言葉を返さないことを確認してから、スタークはさらに言葉を続ける。
「そもそも俺がこんな真似しなくちゃならなくなったのは、お前らがこぞって俺の敵に回ったからだ。サーヴァント全員対、俺ひとりなんてフェアじゃねえだろ。だが、おまえらが味方につくなら、こんな雑魚どもはお呼びじゃない。当然、舞弥も解放してやってもいい」
怒鳴り返そうとした戦兎を遮るように、切嗣が一歩前へ出た。
「おまえの口車に乗って、人質が本当に解放されるという保証は?」
「少なくともここにいるスマッシュどもはこの場で全員解放してやる。ただし、舞弥は檀黎斗を倒したあとだ。おまえに民間人の人質が意味を成さねえってことは分かりきってるんでねえ」
「……檀黎斗を倒せば、次に僕らの標的になるのはおまえだ。そのとき、おまえが再び舞弥を楯に僕を揺する可能性に、考えが及ばないとでも思ったのか」
スタークはさもつまらなさそうに笑った。
「くだらないことを聞くなよ切嗣。おまえはいざとなったら舞弥すら見捨てられる……そういう男だ。だったらそもそも、俺の要求なんぞまともに取り合う必要もない。だが、それでも俺の話に耳を傾けている以上、おまえも感じてるんだろう? ――たとえ俺と手を組んででも、檀黎斗をブッ潰すだけのメリットってやつを!」
切嗣は、無言のままスタークを睨めつける。
あらゆる感情を押し殺し、ただ殺意のみを表面化させて。
「なら、こちらからもひとつ条件を提示させてもらう」
「いいだろう、言ってみろ」
「言峰綺礼を始末しろ」
「……なんだと?」
鬼気迫るほどの剣幕で、切嗣はスタークを睨み据える。
言峰綺礼を排除できるなら、手段は選ばない。そういう意図がありありと滲み出ている。
「言峰綺礼を始末したのちに檀黎斗を倒し、アインツベルンの城を奪い返す。おまえを倒すのはその後だ、ブラッドスターク」
「なにを言い出すのかと思えば……、断る。おまえにそんなことを決める権利はない」
「なら交渉は決裂だな。舞弥は殺せばいい。……もっとも、その瞬間、僕がおまえに従う義理もなくなるがな」
切嗣はまるで感情を感じさせないポーカーフェイスで、淡々と続ける。
「僕に人質が通用しないだって? ああ、おまえの言うとおりだ。見ず知らずの人間がどうなろうが知ったことじゃないし、僕にはいつでもおまえを仕留める用意がある。だが、おまえはここにいるスマッシュを戦力に動員することはできないし、自爆させることもできない。そんなことをすれば、そこにいる
切嗣は嘲笑うようにふんと鼻を鳴らして、戦兎たちを顎で指した。
スタークのエメラルドグリーンのバイザーが、切嗣を舐めまわすように見つめる。
「もう一度言うぞ、スターク。言峰綺礼を始末しろ。それが呑めないなら、この同盟はありえない」
「ハッ……なるほど。いいねえ、面白いじゃねえか! 流石は泣く子も黙る
あっさりと首肯したスタークに、切嗣は胡乱な眼差しを向ける。
戦兎も、ランサーも、キャスターも。誰もスタークの言葉を信じていない。それを悟ったスタークは、自嘲気味に笑った。
「信用ないねェ……せっかく俺がその気になったってのに」
「当たり前だ。おまえの言葉を、俺達が素直に信用すると思ってるのか」
「おいおい、そっちから要求しておいて、随分な言い草だな……ま、心配せずとも、成功すりゃおまえらの標的がひとり減る。失敗してもひとり減る。おまえらに損はない。そうだろォ?」
戦兎と切嗣は、互いに顔を見合わせた。
「……ただし! 俺が綺礼を始末するのは、みんなで檀黎斗の城に乗り込んだあとだ」
「どういう意味だ」
「俺たちがアインツベルン城に乗り込めば、綺礼も間違いなく姿を現すだろう。今やあいつは檀黎斗の側近みたいなモンだからな。出てきたなら、あとは正面から叩き潰せばいい……その役目は、俺が引き受けてやる」
「もしもおまえが裏切ったら……?」
「そのときはアーチャーにおれを始末させればいい。……いや、もうアーチャーだけじゃねえな。戦兎に万丈、おまけにランサーとアルターエゴもか……これだけの戦力を纏めて敵に回すのは、流石の俺も御免被りたいんでね」
「……いいだろう。そういう約束なら、おまえとの同盟を認めてやってもいい」
切嗣の返答に、戦兎は瞠目した。
スタークからの要求など、確実に裏があるに決まっている。
「おい、いいのかよそんな簡単に……!」
「僕らの持てる総戦力で檀黎斗を叩く。たとえ罠だとしても、残る全サーヴァントを同時に敵に回すことの意味は、あの男が誰よりも理解しているはずだ」
「切嗣……」
戦兎は、正直言ってひいていた。
長年片腕としてともに戦ってきた舞弥を失って、正常な判断力が鈍っているのではないかと疑わずにはいられない。上手く事を運べば、件の三人を纏めて倒すことができるかもしれないということは戦兎とて分かっている。それでも、戦兎は即断できずにいた。
人質さえ取られていなければ、ここではっきりと断ることもできただろう。口惜しいことだが、スタークの根回しの良さに歯噛みする思いだった。
ふいに、キャスターが戦兎の肩に手をおいた。
「マスター。どちらの選択を取っても、後悔はさせない。私の持てる力の限りを尽くすことを、約束する」
「キャスター……」
「戦兎。進むべき道を決めるのはいつだって、今を生きるそなたらです。私たちサーヴァントは、ただその道行きを見守るのみ……そなたの選んだ道であれば、私もまた、あらゆる敵を討ち滅ぼして、道を切り拓くことを約束いたしましょう」
キャスターに続くように、ランサーが微笑んだ。
結局のところ、どうあっても戦兎には人質を見捨てることはできない。その気持ちを推し量った上で、ともに道を進んでくれるというふたりの言葉が、今の戦兎にはなによりも心強く感じられた。
「いい仲間たちじゃねえか。泣かせるねえ……で、おまえはここまで背中を押されてもまだ悩んでるのか」
スタークは、指先に引っ掛けて弄んでいたライフルを雑に放り投げると、戦兎の目前まで歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
「いいか戦兎ォ。どのみち、檀黎斗を倒さねえ限り、街の人々は解放されない。そして、ここには檀黎斗を仕留めるだけの戦力が揃っている……! なら、なにを悩む必要がある!? 俺との確執なんざ、今は棚に上げておけ! おまえに選択肢はないんだよォ!」
スタークの怒号を合図に、周囲を取り巻くスマッシュの群れが一斉に顔をあげた。無数の無機質な瞳が、戦兎ただひとりを射抜くように見つめる。戦兎にはそれが、助けを求める人々の視線のように感じられた。
硬く瞑目した戦兎は、肺に溜まった空気を吐き出した。
「……わかった。おまえの要求を呑む。その代わり、今すぐみんなを解放しろ!」
戦兎の怒号とタイミングを合わせるように、キャスターとランサーも戦兎の傍らに並び立つ。ふたりとも、それぞれスタークを睨むように佇立していた。
スタークは満足した様子でこくこくと頷いた。
「ああ、それでいい。賢い判断だ。これで、契約は成立だな」
スタークが軽く手を掲げると、スマッシュの群れは一斉に糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏した。身を包んでいた鋼鉄の鎧が霧散する。みな、一様に人間としての姿を取り戻した。みんな、意識を失っている。中には子供や老人の姿もあった。
戦兎の拳に、自ずと力が籠められる。手のひらに、爪が深く食い込む。戦兎の心を斟酌したのか、キャスターが再び肩を優しく叩いた。
「決戦は明朝、場所はアインツベルン城だ。道案内はそこの切嗣にでも頼むんだな」
大きく伸びをしたスタークは、床に放り投げられていたライフルを拾い上げると、振り返らずに歩き出した。
もうもうと立ち込める煙幕が、スタークの身を包む。罪のない大勢の民間人だけを残して、スタークはいずこかへと消えた。
***
赤黒い炎を纏ったブラッドの拳が、冗談からクローズマグマの胸部装甲へと振り落とされた。接触すると同時に、爆炎が吹き上がる。膝を折ったのは、クローズマグマの方だった。
「う、おぉおおおおおおッ!!?」
下方から掬い上げるようなブラッドのアッパーが、クローズマグマの体を天井目掛けて跳ね上げる。マグマを吹き出しながら宙へ待ったクローズマグマ目掛けて、今度は強烈な後ろ回し蹴りが叩き込まれた。赤黒く燃える魔力の輝きは、クローズマグマの体をくの字にへし折るような形で吹き飛ばした。
「が、ぁ……っ」
「▃▃▃██▃██!!」
屋敷の壁を突き破って廊下へと放り出されたクローズマグマを前に、ブラッドは咆哮する。
綺礼は、動こうともしなかった。ただ、ブラッドの猛攻を見て、ほくそ笑むだけだ。
「なにをやっているのだ、ライダー!? いいようにやられているではないか!」
「う、るせェ……! こいつ、前よりも強くなってやがんだよ……!」
戦闘が始まる前は、隅々まで整理の行き届いていた屋敷の惨状は、今や見る影もない。棚と壁はあちこちが粉々に粉砕され、部屋のあちこちから火の手が上がり始めている。圧倒的な力を持つ暴風雨が、この狭い部屋で激突したのだ。そして、折れたのは片方だけだった。
ブラッドの装甲には傷一つ見られない。臓硯秘蔵の刻印虫をふんだんに注ぎ込まれ、サーヴァントを丸ごと取り込んだ湖の騎士は、もはや規格外の強さを誇っていた。
「遊びもほどほどにしておけバーサーカー。これでは間桐の屋敷の二の舞だ」
ブラッドは、マスターである綺礼の命令に大しても聞く耳持たず吠え猛るだけだった。けれども、言葉とは裏腹に、綺礼の頬は愉悦に歪んでいるように見える。
時臣も、ケイネスも、もはや祈るような面持ちでクローズマグマを見守るしかできなかった。
「くッ……うぉぉおおおおおらあああああああッ!!」
燃え盛るマグマのジェットを噴射させて、瞬時に流星を思わせる速度を叩き出したクローズマグマは、室内で待ち受けるブラッドへと一直線に突っ込んだ。弾け飛んだ溶岩の欠片は、ケイネスの水銀がすべて受け止め、弾き返していた。
ブラッドの間合いへと飛び込んだそのとき、クローズマグマが見たのは、両者の間に割って入るかたちで現れた第三者の影だった。
「な……ッ」
漆黒のドレスを、黒光りする甲冑で覆い尽くした小柄な少女。陽光を受けて煌めく金の稲穂のような髪が、ふわりと揺れる。目元は黒のバイザーで覆い隠されているため、表情は伺い知れない。
「――うぉッ!?」
今度は、強烈な威力をもったなにかが、横合いからクローズマグマを打ち据えた。成すすべなく吹き飛ばされていく中で、万丈は、自分が今、あの少女が持つ黒い西洋剣の一撃を受けて弾き飛ばされたことを悟った。
どん、と大きな音を立てて、クローズマグマの装甲が壁に叩きつけられ、そのまま落ちる。一瞬遅れて、みしみしと柱が軋む音が響いた。
少女は、ブラッドへと斬りかかっていた。
「――」
ブラッドの動きが、一瞬止まった。そこへ、少女の黒剣が上段から振り下ろされる。漆黒の魔力を漲らせた西洋剣は、無防備なブラッドの装甲を大きく袈裟掛けに斬り裂いた。
「……ッ!?」
数歩後退ったブラッドへと、黒の少女は猛烈な勢いで攻撃を仕掛ける。その攻撃速度たるや、クローズマグマの比ではない。軽やかな動きで、しかし鋼鉄すら砕かんばかりの威力を秘めた一撃が、間断なくブラッドへと叩き込まれる。両者の剣が激突するたび、衝撃が屋敷を揺らす。
「ちっ……くしょォ、なんだってんだよ、いったい」
起き上がったクローズマグマは、よろめく体に鞭打って、時臣とケイネスのふたりへと歩み寄った。
「おい、なんかよくわかんねえけど、ここは一時撤退すンぞ!」
「待ちたまえ、撤退といっても、いったい何処にッ」
「ライダー、貴様まさか、トオサカを我が工房に――」
「うるせェ黙ってろ! 舌噛むぞ!!」
もはや有無を言わせる隙すら与えず、クローズマグマはふたりを両脇へと抱え込んだ。すかさず、背中のスラスターから勢いよくマグマを噴き出す。
「待て……ッ!」
綺礼は小さく舌打ちし、すかさず黒鍵を投げ飛ばすが、もう遅い。いかな黒鍵といえども、超高熱のマグマの前には無力だ。赤熱した溶岩の奔流が、黒鍵を飲み込み、跡形もなく溶かす。
ふたりのマスターを抱えたクローズマグマは、追尾すら許さぬ速度で窓を突き破ると、月明かりで僅かに白んだ星空に、微かな白煙の軌跡を描いて飛び去った。