仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD   作:おみく

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第6話「サーヴァント参集」

 間桐雁夜は、倉庫街のコンテナに背中を預けたまま、ずり落ちるように地べたに尻餅をついた。アスファルトには、咳き込むと同時に吐き散らした血液が点々と広がっている。雁夜の体の凡そ半分は、体を内側から食い荒らす刻印虫によって機能不全に陥っていた。既に片目は壊死して視力を失っているし、残った隻眼も、バーサーカーが魔力を消費するほどに視界に火花が散ってちかちかと眩む有様だった。

 

「バーサー、カー……」

 

 コンテナの物陰から軽く顔を覗かせる。雁夜のサーヴァントは、光輝溢れる鎖に全身を絡め取られ、身動きを封じられていた。あれでは霊体化して逃れることもできまい。だが、それでも少女(バーサーカー)は敵意に満ちた眼差しをセイバーへと向けている。

 宝具を解放するか、とも考えたが、あの鎖はおそらく尋常なものではない。宝具を発動したところで逃れることができる保証もないし、なによりも雁夜のコンディションを考えるに、()()()()()という展開だけは絶対に許されない。ただでさえ崩壊寸前の体で戦闘に堪えているというのに、その上で宝具発動のための魔力を吸い上げられて、なにも成せずに終わるなど目も当てられない。宝具を発動するのならば、確実にあのセイバーを葬れる舞台を用意してからだ。

 

「くそッ、時臣め……なんてバケモノを引き当てやがったんだ」

 

 雁夜は歯噛みした。

 互いが召喚した英霊(サーヴァント)に、あまりにも戦力差が開きすぎている。魔術師としての素養がこんなところにまで関わってくるのでは、わざわざ狂化の属性を付与した甲斐がない。尤も、ステータスアップの目的で狂化を付与し召喚した雁夜のバーサーカーは、宝具以外のあらゆる能力値が凡そ底辺と呼ぶに相応しいものであった。こんなことなら、狂化属性などはじめから付与しなければよかった。だが、それでもバーサーカーは聖杯戦争にかける唯一の希望だ。ここで失うわけにはいかない。

 

「背に腹は代えられない、か……」

 

 己の右腕に宿った令呪へと視線を落とし、雁夜は忌々しげに独りごちた。

 

 バーサーカーの放った火炎の直撃を、キャスターの宝具という密室空間で受けて、なおセイバーは一切の疲労を感じさせることなく、悠々と佇立していた。闇のような漆黒と、血のような真紅に彩られた全身装甲を身に纏ったセイバーは、黄金の剣を振り上げる。己の宝具で雁字搦めにしたバーサーカーにトドメを指す気だ。

 

「まずは一匹」

 

 謳い上げるように、セイバーの仮面から声が漏れた。

 

「バーサーカー、絶滅だ」

 

 セイバーの鎧の腹部に取り付いた黒と赤の蝙蝠が、セイバーの言葉を引き継いだ。

 漆黒のマントを翻し、振り上げられた黄金の剣があわやバーサーカーを貫こうというその瞬間、捕らわれたバーサーカーを起点に魔力の輝きが吹き上がった。

 

「ます、たぁ」

 

 夜を昼と染め上げんばかりの黄金の輝きの中で、バーサーカーは目線を伏せ、苦しそうに呟いた。さしものセイバーも剣を突き出す手を止め、片手で仮面を覆う。吹き上がった魔力の粒子が夜の大気に溶けて消える頃には、鎖に囚われていたバーサーカーの姿も露と消えていた。

 

「フン、令呪を使ったか。それもいい、所詮は儚い命……この(オレ)が手ずから誅するまでもない」

 

 セイバーのエメラルドグリーンの複眼が、今度はビルドへと向けられた。

 刹那、ビルドの装甲の下で、戦兎は全身が総毛立つような感覚に囚われた。完全体となったエボルトと対峙したときと同等か、それ以上の威圧感だ。今のビルドでは、苦戦は免れないだろう。撤退するにしても、あのセイバーを前に逃げおおせることなどできるのだろうか。一瞬とはいえ身動きを封じられたビルドに、セイバーは軽く指を向けた。

 

「貴様、さっきこの(オレ)()()()()()()と呼んだな」

「ああ。その装甲はなんらかのライダーシステムによるものだ、違うか」

「雑種風情が、戯けたことを。ソレは所詮、人間どもが造った贋作(まがいもの)。我が纏うは、原初の鎧……あらゆる魔族を闇に葬る()()()()。貴様らが纏う贋作と一緒にされる謂れはない」

 

 セイバーの嘲笑混じりの酷薄な言葉を耳にした瞬間、ビルドの装甲の下で、戦兎の体からすっと熱が引いていく心地がした。寸前まで眼前の敵に抱いていた畏怖すら鳴りを潜めて、戦兎は深く息をついた。

 

「……なるほどな。正直俺は、その闇のキバってのがどんなシステムなのかなにも知らない。だが、少なくとも……ひとつだけわかったことがある」

「ほう。なんだ、言ってみろ、雑種」

「確かにアンタの言う通りらしい。アンタは、俺が知ってる仮面ライダーとは決定的に違う」

 

 これまで戦兎が出会ってきた仮面ライダーは、みな自分以外の誰かを守るために戦っていた。なりゆき上戦うことになってしまったライダーもいるが、それでも彼らの心の根底にあったのは、なにかを守りたいという感情だった。それを知っているからこそ、戦兎は言うのだ。当然のことを当然のように、なんの衒いもなく堂々と。

 

「だから、前言撤回だ。俺は、アンタを仮面ライダーとは認めない。認めるわけにはいかねぇんだよ……!」

 

 ビルドは、ドリルクラッシャーを構え直した。戦いの気配を察知し、ランサーもまた鉾の切っ先を上げて構える。黒と赤の鎧に身を包んだセイバーは、別段戦いの構えを取るでもなく、その仮面の下でくつくつと乾いた笑みを溢した。

 

「なにを言い出すのかと思えば、戯言も甚だしい。闇のキバを纏ったこの(オレ)を前に仮面ライダーなどという称号は無意味。今からそれを、証明してやる」

 

 セイバーの足元が波打った。湯水の如く湧き出たエメラルドグリーンの魔力が、セイバーの足元のアスファルトに巨大な蝙蝠の紋章を描いていた。煌めく闇の紋章は、魔力を漲らせて膨張してゆく。なにが起こるのかは判然としないが、まずい、ということだけはその場の全員が本能的に理解した。

 

『キングは天の鎖(エルキドゥ)に引き続き、さらに宝具(ダークキバ)の力を解放するつもりでいます』

 

 宝石通信機から聞こえる時臣からの報告に、遠坂時臣は頭を抱えた。

 戦場となる倉庫街から遠く離れた遠坂邸の地下においても、時臣は状況の把握に不自由はしなかった。斥候として放ったアサシンのひとりが仕留められたことは想定外だったが、ならばキャスターに気取られる間合いに入らなければよいだけのこと。倉庫街からは些かばかり離れた新都のビルの屋上に陣取ったアサシンからの報告を受けて、そのマスターである言峰綺礼と、セイバーのマスターたる遠坂時臣は情報を得ているのであった。

 

「これは拙いな」

『拙いですね』

 

 時臣にとっての誤算は、自らのサーヴァントが人類史に名高い英雄王・ギルガメッシュと、人類の天敵たる種族・ファンガイアのキングによる複合サーヴァントであったことだ。傲岸不遜極まるセイバーが、いち人間でしかない時臣の制御下に甘んじることをよしとするわけがない。案の定、時臣の思惑に反して、緒戦から宝具であるダークキバを開帳したばかりか、天の鎖(エルキドゥ)にダークキバのさらなる能力まで披露しようとしている。このままではセイバーが持つ宝剣の真の能力をも解放しかねない。

 

「宝具とは本来、必殺の切札。それをこうも早期の段階で繰り返し衆目に晒すなどと、あまりにも軽率に過ぎる」

 

 かつて世界をも滅ぼしかけた()()()()は、最後の切り札でなければならない。確実に仕留められるかと思われたバーサーカーを取り逃した時点で、この戦闘をこれ以上続行させる利点は少ない。これ以上の戦力の開帳は避けるべきだ。

 

導師(マスター)よ、ご決断を』

「……セイバーは十分やった。緒戦の成果としては上出来だ。これ以上の戦闘は、我が陣営の方針に反する」

 

 どんな時でも余裕を持って優雅たれ――それが遠坂家に伝わる家訓だ。それを肝に銘じてきた自分が、よりにもよって緒戦で令呪を一画失うことになるなどと、考えたくもない失態だった。しかし、マスターを尊重する心がけなどかけらも持ち合わせていないセイバーを制御するには、必要な消費だと断ずるほかない。

 

「令呪をもって奉る――」

 

 時臣の右手に刻まれた令呪が、赤の輝きを放った。

 

 地面に描いた巨大なキバの紋章をいざ放とうというその瞬間、ふいにセイバーの仮面はその方角を転じた。視線は東南。その方角に遠坂邸が存在する。

 

「貴様ごときの諫言で、キングであるこの我に退()()と? ふん、大きく出たな、時臣」

 

 闇のキバの仮面の下で、さも不服そうにセイバーは独りごちた。足元に満ち満ちていた魔力の輝きが、すうと消失してゆく。セイバーは興味を失ったようにビルドから視線を外し、黄金の宝剣を下ろした。漆黒のマントを翻して、セイバーは背を向ける。

 

「命拾いしたな、雑種ども」

 

 数歩、進む。セイバーが踏みしめたアスファルトに亀裂が入り、沈む。刻まれた足跡に炎が灯り、ゆらりと燃え立つ。最後にセイバーは、ちらりと全員を一瞥した。

 

「次までに有象無象を間引いておけ。(オレ)(まみ)えるのは真の英雄のみでいい」

 

 最後にそれだけを言い残したセイバーの鎧姿が、闇夜に溶けるように消えてゆく。セイバーが実体化を解いたことで、この場の誰もが予想しなかったかたちで、聖杯戦争の緒戦は幕を下ろした。

 

「なるほど。どうやらセイバーのマスターは、あのセイバーほど剛毅な(タチ)ではなかったようですね」

 

 拍子抜けとばかりにランサーは苦笑するが、一方のキャスターは神妙な面持ちを崩すことはなかった。

 

「いや、堅実な判断だ。セイバーが強敵であるということは、この一戦で十分に理解できた。これ以上の情報を開示する前に撤退を選んだ引き際の鮮やかさは、見事と言わざるをえない」

 

 事実として、奇門遁甲を駆使したキャスターのサポートさえあれば、この戦闘から離脱すること自体はそう難しいことではなかっただろう。戦闘を続行して情報や能力を露呈させるでもなく、セイバーは計り知れない力を持っている、そういう印象だけを他陣営に叩き込み、一方的に撤退させたのだ。

 

「今後もあんなやつらと戦うとなれば、ビルドだけじゃ苦戦を強いられることは間違いない。こっちも戦力を整える必要がある」

 

 ビルドドライバーに装填されていた二本のボトルを引き抜くと同時に、戦兎の身を覆っていた二色の装甲が霧散する。生身を晒した戦兎を前に、ランサーは手にした鉾の切っ先を下ろした。戦意は感じられない。

 キャスターは再び、どことも知れぬランサーのマスターに届くよう、声を張った。

 

「ご覧の通り、此度の聖杯戦争は一筋縄ではいかぬ猛者揃い。ましてや、セイバーがあれ程の強敵と知れた今、戦いの趨勢を左右するのは、情報と戦略、そしてそれを運用するに足る戦力と心得ます。如何ですかな、ロード・エルメロイ」

 

 一泊の間を置いて、魔術迷彩で隠匿された声が辺りに響いた。

 

『ふむ……よかろう。有能な男は嫌いじゃあない。それが礼を弁えた男とあらば尚更だ。少々、田舎訛りの英語(イングリッシュ)なのが残念だがね』

「では、ケイネス殿(マスター)

 

 ランサーが顔を上げる。なおも姿を表さぬまま、ランサーのマスターは続けた。

 

『キャスター、いや……中華に名高い策士、諸葛亮孔明とでも呼ぶべきかな? いいだろう。先程のアサシンを屠るに至った情報、そして強敵セイバーを相手取り、犠牲なく戦いを進めた采配と手際に免じて、この場はこちらも矛を収めよう』

 

 かつ、かつ、と革靴がアスファルトを叩く音が響く。コンテナの影から、後ろ手を組んだ青年が顔を見せた。金髪をオールバックに撫で付けた、厳しい表情の男だ。その男の顔を、キャスターはよく知っていた。

 

「あれが、ランサーのマスター……」

「時計塔が誇る一級講師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。神童と謳われた、天才中の天才。それが味方につくとなれば、これほど心強いものはない」

 

 おべっかを並べたてるキャスターの言葉を聞き流しつつも、ケイネスは満更でもなさそうに頬を緩めた。

 

「よろしいのですね、マスター」

 

 己が主へと向き直ったランサーを、ケイネスは片手で制す。

 

「策士と謳われた男の口車に乗ることに些かの懸念はあるが、ここまで得体の知れぬ連中となると様子見が得策だ。それに、あのセイバーのような敵もいる以上、今ここで不用意にことを構える必要もあるまい。緒戦はあくまで慎重に、な」

 

「ケイネス殿がそう仰るのなら、私に異論はありません。まあ、正直なところ、キャスターのマスターとはもう少し楽しんでみたかった、という気持ちもありますが」

 

 笑顔のままにしれっと言ってのけるランサーに、戦兎は眉根をひそめた。

 

「勘ッ弁してくれ、こっちは二度とあんたみたいなのと戦いたくないんだよ!」

「あっははは! まあまあ、そうおっしゃらずともよいではありませんか。あのまま続けていればどちらが勝ったのか、興味ありませんか?」

 

 笑顔のまま戦兎に迫るランサーを、マスターであるケイネスが窘めた。

 

「フ、そう逸るなランサー。これは聖杯戦争。最後の勝者となる陣営はひとつ。そこなマスターとの決着もいずれつけられよう」

「ふむ、確かに。ではキャスターのマスター、その折にはよしなに」

「最ッ悪だ……!」

 

 戦兎はあからさまに肩を落としてみせた。反面、ランサーはにこやかに微笑むばかり。出会ったときから、戦闘を経て、今に至るまで、キャスターはこの少女の笑顔以外の表情を見ていない。そこに些かの狂気を感じるものの、口にするほどのことでもないと思考を切り上げた。

 

「それでは、ケイネス卿。詳しい話は冬木ニュータワー最上階のスイートで如何か」

「ふん、こちらの所在すら把握済みとなれば、今更秘匿する理由もあるまい。よかろう、貴様らを我が魔術工房へと招待しようではないか」

「痛み入ります」

 

 ケイネスの判断は間違ってはいない。魔術工房とは、魔術師によって造り上げられた要塞のようなものだ。そこに踏み入るということは、すなわち手練の兵隊で固められた城内に踏み込んでいくようなものだ。下手に魔術を行使しようとすれば、たちまちケイネスが張り巡らせた(トラップ)の餌食になることを意味している。ビルドへの変身などは以ての外だ。それを理解してなお、キャスターはケイネスの魔術工房を話し合いの舞台に選んだ。ケイネスが、卑怯な手段で寝首を掻くような手合の魔術師ではないということを知っているからだ。

 

「では行くぞ、マスター。くれぐれも粗相のないようにな」

 

 やや冗談めかして、キャスターは戦兎の肩を叩いた。戦兎はさも煩わしそうに嘆息した。

 

   ***

 

 マンホールの鉄蓋が、ずずずと音を立ててずれる。下水へと続く隙間を押し広げるように、白い和服を纏った少女は、両手で鉄蓋を引きずり動かした。顔の面積の凡そ半分が罅割れた男の姿が見えると、途端に少女――バーサーカーはその表情を輝かせた。

 

「ますたぁ、ますたぁ」

 

 下水へと続く梯子に手足をかけて、うつろな瞳で星空を見上げる間桐雁夜の脇に両腕を差し入れて、その体を地上へと引きずりあげる。ふたりは今、戦場となった倉庫街から、三ブロックほど離れた地点にいた。未だ倉庫街から出られてはいないものの、雁夜ひとりでは、移動するだけでも小一時間はかかる。少女の助けを得て、芋虫のように這い上がってきた雁夜を、バーサーカーは抱き留める。

 

「ごめんなさい、ますたぁ。わたくしが至らないばかりに……こんなところで令呪を使わせてしまって」

 

 雁夜は、バーサーカーの腕の中で悶え、その細腕を振り払った。路上へと転がった雁夜は、夜の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。長らく下水の臭気の中にいたので、それだけで生き返ったような心地がした。

 彼方から、遠くサイレンの音が響く。戦場となった倉庫街へと押し寄せるパトカーや救急車、消防車による騒音だろう。今この場所には、ふたりの姿を見咎めるものは誰もいない。遠く響くサイレン音も、今の雁夜にしてみれば、外界の出来事のようだった。

 雁夜は冷たいアスファルトに仰臥し、夜空を見上げた。全身が血まみれだった。乱れた息は、当分整う気配もない。

 皮膚という皮膚がただれ、じくじくと痛々しく血液を垂れ流す雁夜に、バーサーカーはおそるおそる触れる。

 

「ああ、ますたぁ……なんとおいたわしい姿でしょう。わたくしの愛で、少しでも癒やして差し上げられたら」

「バーサーカー……おまえは、いったい……なんなんだ」

 

 荒く吐き出される呼気の合間に投げた問いに、バーサーカーはきょとんと目を丸めた。

 

「……嫌ですわ、ますたぁ。わたくしはあなたの()()ですよ」

 

 清姫。

 それが雁夜が喚び出したサーヴァントの真名だ。安珍清姫伝説における化生。愛憎に狂い、蛇の化身と成り果てて、惚れた男を焼き殺した魔性の女。それが、雁夜の喚び声に応えた英霊の本性だ。

 戦闘能力は、あのセイバーには及ぶべくもない。生前惚れた男を雁夜と誤認し、自らの歪んだ視点による理想を押し付けてくるどうしようもない女。

 いよいよもって、雁夜はとんでもないハズレサーヴァントを引かされたのではないか、という懸念に陥っていた。宝具を解放し、蛇の化生としての能力を発揮すれば、おそらく戦えないことはない。けれども、最低限の戦闘のために宝具の発動が必要となれば、そのたびに雁夜の魔力は食い荒らされることになる。

 

「いや、駄目だ……俺は、こんなことで立ち止まっていられない。あのセイバーを倒さないと……桜は――ッ」

 

 それでも戦うしかないと、緩くかぶりを振って言葉を発したところで、肺から血液が込み上がってきた。ごほごほと粘っこい咳をして、血を吐き捨てる。喉に絡んだ不快感を吐き出そうと、咳を続ける雁夜の頭を、バーサーカーが抱き寄せた。

 

「ますたぁ」

 

 バーサーカーの白く美しい和服が、雁夜の吐き出した赤黒い血で汚れることも厭わずに、少女は雁夜を包み込むように腕に抱き、その罅割れた肌に柔らかく瑞々しい肌を擦り寄せた。

 

「ますたぁがあの少女を救うために命を投げ出すというのなら……それを止めるだけの言葉を、わたくしは持ちあわせてはおりません。わたくしはただ、死地へ飛び込もうとするますたぁを守るために力を振るうだけ」

「バー、サー、カー……おまえ」

「わたくしは、もう二度と愛する殿方を死なせたくはありません。ますたぁがあの少女のために聖杯を獲るなら、わたくしはますたぁを救うために聖杯を獲ります。だから、ますたぁ……次こそは、宝具の開帳を。ますたぁが望むなら……わたくしは醜い蛇の化生と成り果てることも厭いはしません」

 

 確かに、聖杯の奇跡に縋れば、死人同然の雁夜の体を元通りにすることもできなくはないだろう。だが、そんなことはもう、雁夜にとってはどうでもいいことだった。

 どうでもよいことだと思っている筈なのに、無意識のうちに、雁夜の手は、自分を抱き寄せるバーサーカーの髪へと伸びていた。指の間に、薄緑の絹糸のような長髪を絡める。バーサーカーは、その雁夜の指にそっと己の小さな手を重ねた。

 

「今度こそ。今度こそ……わたくしは、愛した人を守り抜きたいのです。だから、ますたぁ」

「ああ……くそ」

 

 これより先に待ち受ける戦いの連続を思えば、暗澹たる気持ちに苛まれる。果たして、遠坂時臣を倒すまでに、いったいどれ程の道程を経る必要があるのか。雁夜は己の血で赤く彩られた掌を眇め見た。

 たった一回の戦闘でこの有様であることを考えれば、宝具を開帳しての戦闘はどれ程体力を消耗するのか、想像するだけで背筋が寒くなる思いだった。だけれども、雁夜の望む桜の幸福は、その先にしか有りえない。

 バーサーカーが雁夜を安珍の生まれ変わりだと思いこんでくれるのなら、それすらも利用して、持てるものすべてを総動員してことに挑まなければならない。

 衰弱し、弱りきった体に鞭打って、雁夜はバーサーカーの腕からすり抜け、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ますたぁ!」

 

 よろめき、路地の壁にもたれ掛かろうとする雁夜の体を、小柄な少女が支える。雁夜は戦場だった地点へと一瞬ちらりと一瞥を送ると、彼方で響くサイレン音から身を背けるように歩き出した。

 

「帰るぞ、バーサーカー……いつまでも、こんなところいるわけにはいかない」

「はい、ますたぁ!」

 

 立っているのもやっとというほどのコンディションで、それでも雁夜は歩を進める。バーサーカーが、よろめきながら前進する雁夜が倒れてしまわないよう、そっと傍らに寄り添って支える。薄暗い倉庫街を、ふたりはゆっくりと歩き出した。

 

   ***

 

 切嗣は、スコープから視線を外すと、懐から取り出した煙草にライターで火をつけた。母子への負担を考え、九年もの間禁煙を努めていた切嗣であったが、昔の感覚を思い出すという意味も込めて、かつて愛用していた銘柄を買ってみれば、まるで昨日まで吸っていたように自然と体が動いた。肺へと取り込んだ煙草の煙を、冬空へと吐き出す。

 

『キャスターとランサーが動き出しました。おそらく、同盟を組むものと思われます……どうしますか、切嗣』

 

 インカムから、舞弥の囁き声が漏れる。

 

「そのままケイネスを尾行しろ。両陣営の拠点を特定次第、キャスター諸共始末する」

『了解』

 

 短い返事を残して、通信は途切れた。魔術師殺しの右腕としての教育を受けた舞弥には、別段難しい説明も必要なく、最低限の命令だけで必要なことはすべてこなしてくれる。

 

『いいのか、マスター。この段階でキャスターとランサーを両方始末してしまっても』

「構わない。徒党を組まれるよりはマシだ」

 

 極めて冷淡に、切嗣はこことは離れた場所に待機するアーチャーに返答する。

 セイバーが強敵であるという事実は十二分に理解できた。理解できたからこそ、セイバーと真正面からやり合うという選択肢は切嗣の中から消え去った。始末するのなら、マスターである遠坂時臣を直接暗殺する。可能であればその前にセイバーをルーラーにぶつけたいところだが、いずれにせよキャスターとランサーは邪魔だ。いずれ始末する必要のある相手であるなら、徒党を組んで攻略が困難になる前に始末した方がいい。

 次の方針は決まった。機械的な動作でライフルを組み換え、己の鞄の内側へと収納した切嗣は、漆黒のコートを翻し、次の戦場へと歩を進める。

 

   ***

 

 ――聖杯戦争の約定に従い、己がサーヴァントを討たれた言峰綺礼は聖堂教会による身柄の保護を要求する。

 茶番もいいところだが、そういう建前の上で、綺礼は冬木教会の地下室に匿われていた。背後には、父である言峰璃正神父も同席している。聖杯戦争の監督役としての役目を果たすべく、璃正神父は携帯電話で誰かに指示を送っている様子だった。

 璃正神父の指示で動く聖堂教会のスタッフは、既に冬木市のあちこちに配置されている。警察や自治体への根回しも万全だ。あの倉庫街での戦闘による惨憺たる傷痕は、とことん事実を歪曲された上で市井(しせい)へと広まることだろう。

 

「いやまさか、冬木に召喚されたサーヴァントが、こうも早い段階でひとところに集結しちまうとはねえ」

 

 璃正神父の傍らに控えていた男が、レンズに色のついた丸眼鏡を人差し指で押し上げながら、ふらりと歩を進める。名を、石動惣一(いするぎそういち)というらしい。聖堂教会に所属するスタッフで、今回は特別な事情があって璃正神父に付き添っている、という話は綺礼も聞き及んでいる。

 

「これでセイバー、アーチャー、ランサー、キャスター、アサシン、バーサーカー……そしてルーラー。合計七クラスのサーヴァントがこの冬木に揃ったってわけだ」

「本来、サーヴァントが七騎出揃う前に戦端を開くことは重大なルール違反だが、今回に限ってはルーラーの参戦によって、曲がりなりにも七騎揃っていると言い張ることはできる。お陰で我が導師は誰にも咎められることなく聖杯戦争を続行することができる、というわけだ」

 

 あまりにもおざなりな理論だ。詭弁もいいところだろう。綺礼は抑えられず、くつくつと笑った。

 未だ姿を見せないライダーのクラスを含めると、此度の聖杯戦争には合計八騎のサーヴァントが参戦している勘定となる。本来、聖杯戦争とは七騎の英霊によって行われるものだ。規定数を超えたサーヴァントを動員しての聖杯戦争など、異例中の異例である。

 石動は狭い地下室をふらふらと歩き回りながら、綺礼に流し目を送った。

 

「で、ご自慢のアサシンはキャスター陣営擁する仮面ライダービルドによって撃破。残るサーヴァントは未召喚のライダーと、特別枠のルーラー含めて七騎ってシナリオか……あんまり意味ないと思うけどねぇ。あのキャスター、もうアサシンの絡繰りには気付いてんだろ?」

「かといって、アサシンの脱落を衆目に晒してしまった以上、教会に身柄の保護を求めぬわけにもいくまい。案ぜずとも、あのキャスターとて、不用意に教会に疑いの目を向けることが己にとっての不利益となることくらいは理解していよう」

「左様。教会はあくまで中立地帯の不可侵領域。その教会にあらぬ疑いをかければ、我ら聖堂教会からの諫言は避けられぬものと知らぬキャスターではあるまい」

 

 電話を終えた璃正神父が、ふたりの会話に横入りする。この場合でいう()()というのは、令呪の削減や、一定期間の戦闘禁止令といったペナルティを指す。

 サーヴァントとは、この時代の知識と、聖杯戦争に関する最低限の情報を聖杯によって与えられた状態で現世へと喚び出される。おそらくは中華の軍師、諸葛亮孔明と思しきあのキャスターが、自ら教会を敵に回すような愚行を犯すとも思えない。

 

「万事、ことは抜かりなく進んでいる。アサシンは教会の庇護下におき、今後も水面下で諜報を続け、ルーラーは聖堂教会所属のサーヴァントとして、聖杯戦争を監督する。なにも懸念はないよ、石動君」

「おお、怖。ゲームマスターによる八百長ってのは、これだから手に負えない。運営側ほど敵に回しちゃいけない奴はいないって、実感させられるよ」

 

 璃正神父に肩を叩かれた石動は、わざとらしく両肩をすくめてみせた。

 

「だが、念には念を入れておこう。今後あのキャスターに対しては今まで以上に距離をとって諜報を行う必要がある。迂闊にあの陣形の内に踏み入ることのないよう」

 

 綺礼の傍らに、黒い影が立った。どこからともなく現れた、四人目の人影だ。

 

「はっ、仰せの通りに」

 

 髑髏の仮面をつけた黒衣の女は、綺礼に対し恭しく傅いた。

 ハサン・サッバーハ。仮面ライダービルドによって撃破された筈のサーヴァントは、今も五体満足のまま、現世に存在し続けていた。キャスターはどういうわけか既にこの絡繰りに気付いている様子であったが、たとえ気取られようとも綺礼の成すべきことは変わらない。

 アサシンの姿が地下室の影に溶けるように消えるのを見届けた綺礼は、踵を返した。

 

「おっと、もう休むのか」

「ああ。少し休息を頂こう」

 

 ちらりと石動に一瞥し、綺礼は地下室をあとにした。

 此処から先は、父である璃正神父にも気取られてはならない隠密行動だ。綺礼の標的と見定められた男は、先の乱戦に姿を見せなかった。けれども、衛宮切嗣という男のこれまでの行動を考えるに、このままなにもせずに夜を明かすとは考えにくい。

 きっと衛宮は、動く。

 ならば綺礼は、追いすがり、問う必要がある。

 長い旅路の果てに、おまえはいったいなにを掴んだのか、と。

 

「念のため、一体のみを教会に残し、あとはすべて冬木市中へ散開させろ。朝を迎える前に、衛宮切嗣はなんらかの動きを見せるはずだ。奴の初動、決して見逃すな」

 

 冷めきった心に唯一熱を灯す男の存在に期待を寄せて、放浪の求道者は淡々と命令を下す。主の司令を聞き届けた無数の影たちが、足音ひとつ立てず教会の外へと飛び出してゆく。

 綺礼にとっての聖杯戦争の真の幕開けだった。


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