仮面ライダービルド×Fate/NEW WORLD   作:おみく

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第9話「街に潜むシャドウ」

 崩壊をはじめたホテル脇の路地裏で、石動惣一を睨めつけた仮面ライダービルドは、忍法刀を構えたまま腰を低く落とした。戦闘になればいつでも迎撃するという意思表示だ。

 

「お知り合いですか、戦兎」

 

 ただならぬ気配を察知したランサーが、両手に鉾を携えたまま、油断なく構えを取る。キャスターも同様に石動を睨んでいる。

 戦兎はランサーの問いへの返答に窮した。目の前にいる敵が地球外生命体エボルトであることを伝えることは容易いが、あまりにも突拍子がなさすぎる。キャスターがなにも言わないのは、おそらく状況を察してくれているからだろう。

 

「俺の名前は石動惣一ってんだ。今は聖堂教会から派遣されてきた雇われの身って立場で通ってる。以後、お見知りおきを」

 

 戦兎が押し黙ったほんの一拍の間を引き継ぐように、石動が恭しく頭を垂れた。

 多くの人間を傷つけ、多くの悲しみを生んだ張本人であるエボルトが、今また石動惣一の姿を利用して、やっと到達できたこの新世界で何事もないかのように振る舞っているという事実が、戦兎の怒りに静かに火を灯した。

 

「ふざけるな……、またそうやって人を騙して好き勝手利用するつもりか、エボルト……!」

「おォいおい人聞きの悪い言い方はよしてくれよ。どんな手段だろうと俺はその時その時の役目はまっとうしてきたつもりだ。で、今回の役目は聖堂教会。その聖堂教会の人間に手を出すことがなにを意味するのか、わからねぇワケじゃねえだろ、戦兎」

「――、っ」

 

 石動の言葉の意味を理解した瞬間、戦兎の中で、今にも爆発寸前だった戦意に僅かな揺らぎが生じた。それを察したのであろうキャスターの手が、そっとビルドの肩に乗せられる。

 

「少し冷静になれ、マスター。相手が聖堂教会という肩書を盾にしている以上、聖杯戦争の参加者である我々が手を出す訳にはいかない……たとえ過去にどれほどの因縁があろうとも」

 

 最後の一言には、キャスターも戦兎の状況を汲み取っているという含みがあった。キャスターと石動の顔を交互に眇めたビルドは、そっと忍法刀の切っ先を降ろす。

 

「なるほど。その方らふたりは因縁持ちでしたか。状況はなんとなく察しました。で、その聖堂教会の石動とやらが、いったいなんの用向きがあって姿を現したのでしょう。まさか聖堂教会の立場を笠に着て、一方的に戦兎を貶めようなどという狭量極まる魂胆で姿を現したわけでもないのでしょう」

 

 同じく状況を察したランサーが、言葉を失った戦兎の代わりに一歩前へ出た。余裕に満ちた笑みを浮かべてはいるが、同盟を組んだ戦兎の敵である石動に対しては僅かながら棘を感じるのは、きっと気の所為ではないのだろう。

 

「そう身構えるなよ、今日は争いに来たんじゃない。ちょっとした挨拶をしようと思っただけさ」

「挨拶?」

「そ。これはほんの挨拶代わり」

 

 石動は懐から取り出したフルボトルを幾度か振ると、手にしたトランスチームガンへと装填した。短い変身待機音に次いで、石動は歌い上げるように一言を告げる。

 

蒸血(じょうけつ)

 

 刹那、トランスチームガンの引金を引いた石動の体は、黒々とした煙幕に覆い尽くされた。赤と緑の稲妻が唸り、蟠る黒煙の周囲で雷鳴を轟かせる。

 黒煙はすぐに晴れた。石動惣一は既に蒸血(へんしん)を終えていた。

 真紅の蛇を思わせるスーツと装甲を纏った異形の仮面。戦兎の仇敵、エボルトの仮の姿。ブラッドスタークが、自らの装甲の噴射孔から白煙を放出しながら、エメラルドグリーンのバイザー越しにビルドを睨めつけていた。

 

   ***

 

 アサシンの諜報活動は、主である言峰綺礼に確かに理想的な報告をもたらしてくれた。

 己がサーヴァントに冬木ハイアットを襲撃させた衛宮切嗣は、主である自らの手を汚さずにこの人混みに紛れて撤退する予定であったのだろうが、そうはいかない。衛宮の動向は街中に放たれたアサシンによって捕捉され、綺礼に阻まれるに至った。

 

「衛宮切嗣。お前は聖杯戦争でも変わらず、そういう手段を用いるのだな」

 

 一歩を踏み出す。衛宮は、眦を決して綺礼を睨め付ける。拒絶の眼差しだ。

 衛宮切嗣に警戒の念を抱かせることは、綺礼の本意ではない。敵意がないことを示すため、綺礼はその場で立ち止まった。

 

「いや、お前が警戒を示すのは当然だろう。私はこの聖杯戦争においては既に敗退した身。重ねて聖堂教会の所属でもある。本来であれば、今宵のお前の行動には諫言を呈さねばならぬ立場にある。しかし、――違う。今宵に限っては、その限りではないのだ。私に、お前を謗る意図はない」

 

 衛宮は、なにも言わない。返答のないまま、視界の隅に見える路地を顎で示した。往来では込み入った話はできないだろうという意思表示だろう。そう綺礼は認識した。

 コートのポケットに両手を突っ込んだまま黙々と歩き始めた衛宮に、綺礼も追従する。

 綺礼には衛宮に害を成そうという危害は微塵もなかった。綺礼を突き動かすのは、ただひとつの疑問。

 

 綺礼は、未だかつて、この世に存在するあらゆる物事に執着を示したことがない。どのような娯楽にも興味を示すことなく、どのような理念にも心からの賛同は示さず、言峰綺礼の行動理念に、およそ目的意識と呼べるものが存在した試しはなかった。

 それでも神を信じ、聖堂教会のためと嘯き、修行という名目で自らを責め苛め続けてきた。いつかは真に崇高なるものが理解できる日が来ると思っていた。父の理想が理解できる日がくると思っていた。そう固く信じて過酷な鍛錬を繰り返し、気付いた時には()()()などというエリートの座にまで上り詰めていた。

 綺礼が己が胸のうちに抱えた欠落をついぞ誰も理解できぬまま、綺礼は過酷な求道の末にこんなところにまで来てしまったのだ。

 

 目の前にいる衛宮切嗣も、きっと綺礼と同じような道筋を辿ってきたに違いない。

 聖杯戦争に挑むにあたって、間諜に調べさせた情報によると、衛宮切嗣もまた己の死地を求めるかのように世界中の戦場を渡り歩いて来たのだという。恩師である遠坂時臣は、それを単なる小金稼ぎに過ぎないと断じた。けれども、そうでないことは綺礼にはわかる。ただの小金稼ぎにしては、衛宮切嗣の行動はあまりに実利に見合っていない。

 綺礼には、衛宮の行動が他人事のようには思えなかった。

 まるで余人には理解の及ばぬ苛烈な戦歴の数々は、或いは綺礼と同様に、見失った己の道を探すための巡礼だったのではないか。綺礼にはそうとしか思えなかった。

 だけれども、己の保身とリスクを度外視して繰り返された衛宮切嗣の戦いは、ある時を堺に唐突に終わりを告げた。聖杯を求める北の魔術師、アインツベルンとの邂逅が、衛宮切嗣の戦いを終わらせたのだ。

 

 すなわち、衛宮切嗣は()()を得たのだ。

 

 問わねばならない。あの苛烈な闘争の果てになにを求め、そして衛宮切嗣はなにを得たのか。ただそのためだけに、言峰綺礼は己の立場さえも忘れて、この場へ馳せ参じたのだ。

 

 ひと目のない路地裏に差し掛かったところで、綺礼は今か今かと待ち望んだ瞬間の到来に逸る気持ちを抑えられず、未だ背を向けたままの衛宮に疑問を投げかけた。

 

「教えてくれ衛宮切嗣! お前はいったい、なにを求めて戦場に身を投じ、その果てになにを掴んだのか。その心の空洞を満たすに足るなにかを、お前はあの冬の大地で見つけたのだろう!?」

 

 返答は、至ってシンプルだった。

 コートを翻して振り返った衛宮の手に握られていたのは、キャリコ短機関銃。衛宮切嗣が多くの戦場で用いてきたサブマシンガンだった。

 

「――ッ」

 

 瞠目した綺礼目掛けて無数の弾丸が殺到する。

 綺礼の対応は早かった。即座に腰を低く落とし、地を蹴った。放たれた弾丸の多くを回避しながら、それでも綺礼を追従して放たれた弾丸を、綺礼は両腕で頭部のみをガードしながら受け流す。ケブラー繊維と教会特製の防護呪符によって隙間なく裏打ちされた綺礼の僧衣は、たかが現代兵器の銃弾ごときで傷をつけられる代物ではない。

 降り注ぐ銃弾の雨の中、一歩も怯むことなく突き進む綺礼に対し、衛宮が次にとった行動は――

 

Time alter(固有時制御)――double accel(二倍速)!」

 

 常人の反応速度を遥かに超えた加速で飛び込んだ綺礼に対し、半ば脊髄反射の如く紡がれた呪文。

 綺礼の腕が衛宮の銃を叩き伏せるよりも素早く、綺礼の反応すらも追い付けぬ加速力でもって、衛宮は後方へと後退してみせた。

 それが魔術によって得られた加速であることは、魔術を涜神行為として取り締まる立場にありながら、あらゆる魔術を履修し、その尽くを踏破してみせた綺礼には容易く理解できた。衛宮は、己の体内時間を魔術によって加速化させることで、綺礼の常人離れした動きに反応してみせたのだ。それがいかに己の体に負荷をかける魔術であるかなど、想像に難くはない。

 

「もう一度言うぞ衛宮。私はここに戦いに来たのではない。ただ、長い求道の旅路の果てにお前がなにを手に入れたのか……それが知りたいだけだ!」

 

 もう一度、両腕を広げて敵意がないことを示す。

 路地の奥へと距離を取った衛宮へ向けて、綺礼は声を荒げた。

 

「お前は実利すら度外視して世界中の戦場を巡り、そしてある日突然その戦いの日々に幕を下ろした。私には分かる。お前は、アインツベルンと出会い、その巡礼を終わらせるに足る()()を見出したからなのだろう? 私はその答えを探し求めて、この聖杯戦争に身を投じたのだ……!」

 

 返答は、待ち望んだ衛宮切嗣の声ではなかった。

 

「残念ながら、お前がその答えに辿り着く日は来ない」

 

 声とともに、突如どこからか現れた白と黒の双剣が高速回転しながら綺礼へと急迫する。それが魔力を内包した尋常ならざる攻撃手段であることは、考えるまでもなく理解できた。

 黒鍵で弾き返すか、回避するか、ふたつの選択肢を思い浮かべたところで、綺礼はそのいずれとも違う選択肢を選んだ。

 

「アサシンッ!」

 

 ただでさえ薄暗い路地の物陰から、音もなくふたつの影が姿を現した。漆黒のローブを身に纏ったふたりのアサシンが、綺礼へと迫る白と黒の双剣を、それぞれ一刀ずつ、手にした短刀で叩き落とした。

 同時に、衛宮切嗣を庇うように、真紅の外套をはためかせながら、白髪のサーヴァントが着地する。

 

「これは驚いた。既に敗退したはずのサーヴァントがふたり。私は幻覚でも見ているのか?」

「……アーチャー」

 

 綺礼は思わず奥歯を擦り合わせた。二騎のアサシンは、短剣を構えたまま互いの面を見合わせる。当の赤の弓兵は、別段綺礼の返答など待つ様子もなく、ふん、と鼻で笑い飛ばした。

 

「どうした神父、らしくないな。アサシンの絡繰が見抜かれたことが、そんなにも痛いかね」

 

 綺礼は返答に窮した。アサシンの姿をアーチャーに見られてしまったのは失策だ。時臣になんと申し開きすればよいのか。額を冷たい汗が伝う。

 

「……答える気はないか。それとも、アサシンの絡繰を見抜かれた咎を責められることでも心配しているのかな? だったら安心しろ。ここで私が、残ったアサシンもすべて始末する。お前は堂々と教会へ戻ればいい」

「ッ」

 

 言葉を終えるや否や、アーチャーの姿が掻き消える。その初速は、綺礼をして人間離れしていると感想を抱かせるには十分な速度だった。地を蹴ったアーチャーは、瞬く間に綺礼との距離を詰める。ふたりのアサシンが一斉に飛び掛かった。

 

「ハッ!」

 

 アサシンも、決して遅いわけではない。人の反応を越えた速度で振るわれた漆黒の短刀だが、しかしアーチャーの速度はその上を行った。即座に腰を落として短刀の軌道から外れたアーチャーは、いつの間にか両手に構えていた白と黒の双剣でもって、瞬く間にアサシン短刀を弾き上げた。まず、一人目のアサシンの胸部から鮮血の華が咲いた。

 既に二人目のアサシンが短刀を構えてアーチャーの懐に飛び込んでいるが、駄目だ。速度があまりにも違いすぎる。綺礼がアサシンの敗北を察した次の刹那には、アサシンの短刀はアーチャーの体を掠めることすらなく、二刀目がアサシンの胸部を貫いた。

 三人目のアサシンが、綺礼を庇うように眼前に立つ。アーチャーは再度双剣の切っ先を下ろし、酷薄な笑みを浮かべた。

 

「なるほど、それがお前のアサシンの絡繰か。数を分散させるほどに個々の能力は落ちると見た……下手な鉄砲なんとやらとは言うが、その格言が間違いであることを証明するにはちょうどいい機会だな」

 

 かつ、かつ、かつ。ゆっくりと足音を響かせながら、剣呑な相貌とは裏腹に、口元に冷笑を浮かべたアーチャーがゆっくりと歩み寄る。

 

「――ッ」

 

 今度は左右から挟撃するかたちで、音もなくアサシンが飛び出した。奇襲としては上々だ。並の人間が標的であれば、対応する余裕などあるはずもない。けれども、あのアーチャーが相手では話が違う。アサシンの短刀がアーチャーに触れるよりも先に、アーチャーの双剣がアサシンの霊基を斬り裂くのだ。

 例え敵がいかに強大な英霊であろうとも、主が戦場にいる以上、アサシンに敗走はあり得ない。綺礼の前に構えた三人目のアサシンが、アーチャー目掛けて飛び掛かろうとした、その時だった。

 

「――ォォォォオオオオオオオッ!!」

 

 アーチャーでも、アサシンでもない第三の咆哮が戦場に響く。

 怨嗟に満ちた雄叫びをあげながら月下の空より急降下してきた闖入者は、手にした双槍をぶんと振り回して、アーチャーの双剣と打ち合わせた。右と左、長槍と短槍を巧みに操って、アーチャーの剣捌きと打ち合わせる。一瞬ののち、相克はすぐに終わりを告げた。

 闖入者が振るった漆黒の長槍とアーチャーの双剣が打ち合った、その刹那――アーチャーの双剣を編んでいた霊子が弾け、砕け散った。

 

「ッ!?」

 

 驚愕したアーチャーはすぐに二刀目を精製するが、闖入者の長槍はアーチャーが精製した武器に触れるや否や、即座にその刀身を粉砕してみせる。力によって粉砕されたようには綺礼には見えなかった。ただ、アーチャーの刃が、闖入者が振るう槍の穂先に触れるや否や、その形を保てなくなったように見受けられる。

 アーチャーは後退しながらも様々な武具を精製して振るうが、そのいずれもが、闖入者の振るう槍とかち合うや否や、即座に砕け散るのだ。闖入者の槍の穂先がアーチャーを追い詰めるのに、さほど時間は掛からなかった。

 闖入者は、低く唸りを上げて、アーチャーの奥にいる衛宮を睨め付ける。

 その双眸は本来白目である筈の箇所まで真紅で染まりきって、血涙を垂れ流していた。剥き出しの歯を強く軋ませて、憎悪に満ちたその瞳を衛宮切嗣へと向ける。全身に(くら)く淀んだ影を纏った漆黒の双槍使いが、アーチャーではなく、そのマスターである衛宮切嗣を狙っていることは綺礼にもすぐにわかった。

 深く息を吐いた綺礼は、次の指示を己の傀儡へと送った。

 

「アサシン、アーチャーを援護しろ。その闖入者を、衛宮に近付けさせるな」

 

 その場の全員が騒然としたのを、綺礼は空気で感じ取った。

 今の指示は援護対象を間違えたのではないかとでも疑うように、アサシンのひとりが髑髏の面越しに綺礼を見やる。けれども、綺礼に指示を出し直すつもりは微塵もなかった。

 一拍の間ののち、綺礼の指示を受けたアサシンが闖入者へと飛び掛かる。路地の影から、無数のアサシンが一斉に舞い上がった。それらはすべて、アーチャーと闖入者との間を阻むように陣形を展開し、瞬く間に闖入者をアーチャーから引き離す。

 一対一で戦えば先程のアーチャーの二の舞だろうが、十騎を越える総数で一斉に躍り掛れば、結果は違う。双槍使いの闖入者の槍捌きもさるものながら、数の有利を押し返すには至らない。闖入者が槍を振るおうにも、それをいなして余りある短刀の反撃が闖入者を襲うのだ。闇夜を駆ける暗殺者の軍勢を前に、闖入者は防戦一方のていを晒していた。

 

「アーチャー。先程の推測に対し、ひとつだけ解を示そう」

 

 無数の影が舞い踊る戦場の中、綺礼は声を大にして宣言した。

 

「貴様が如何な手練たれど、アサシンの数を増やせば対処することは容易だった。それをしなかったのは、私にお前たちへの害意がなかったからだ。それをゆめ忘れるな」

「そうか。では肝に銘じておくとしよう」

 

 既に戦場に衛宮切嗣の姿はなかった。

 最後に残ったアーチャーが、含みを感じさせる笑みを浮かべて、大気に溶けるようにその姿を消した。霊体化による撤退だろう。千載一遇の好機かと思われた邂逅は、しかし衛宮切嗣に一言たりとも言葉を発する機会を与えること叶わず、得体の知れない闖入者によって綺礼は機会を奪われた。

 衛宮切嗣に口を開かせることは至難の業であろうことは明白だった。せめて、今宵衛宮がアーチャーを失わずに済んだことに恩義を感じてくれることに期待したいが、おそらくそれも叶わぬ願いであろうことを綺礼は理解している。

 肺の奥で蟠った息を口から盛大に吐き出しながら、綺礼は双槍使いのサーヴァントに向き直った。

 

   ***

 

 スタークが振り下ろしたスチームブレードと、ビルドの忍法刀が火花を散らしてかち合った。互いの力は拮抗している。互いに剣をぶつけ合い、幾度か相克したところで、スタークは数歩引き下がった。

 

「なァるほど。今のお前のハザードレベルは……5.2ってところか。こいつは驚いた、随分と弱っちまったなあ戦兎ォ」

「……お前、それを測るためにここに来たのか」

 

 スタークは手のひらをひらひらと振りながら答えた。

 

「まあな。場合によっちゃ計画を考え直そうかとも思ったが、その程度のハザードレベルじゃ俺の依代としてもギリギリだ。こりゃ期待はできねェな」

「うるさいよ。第一、力が弱ってるのは俺だけじゃねえだろ。さっきの攻撃、以前と比べりゃ随分軽くなってたぞ」

 

 スタークは、己の腰元を手で叩いて盛大に笑った。

 

「おォっと、こいつは手厳しい! 伊達に一年も付き合ってないねぇ、戦兎ォ!」

「気持ち悪い言い方すんな! 誰も付き合いたくてお前なんかと付き合ってたんじゃねえよ」

 

 スタークは乾いた笑みを零したように見えたが、その視線はすぐに夜空に浮かぶ月へと向けられた。そのまま、あからさまに嘆息する。

 

「ま、俺と長ァ〜いお付き合いの戦兎から見ても弱体化したと感じるんなら、実際そうなんだろう。随分と面倒なことをやってくれたよ、お前らは」

 

 戦兎の言葉は、決してハッタリではない。スタークの一撃は、対応すらままならなかった初期スペックのビルド時代と比べると明らかに軽くなっている。

 エボルトとビルドの最終決戦が行われたあの次元の裂け目は、元来エボルトという存在そのものをエネルギーとして吸収し、新世界を創り出すためのものだった。結果的にビルドも一緒に裂け目に飛び込んだために、新世界創造のためのエネルギーとしてエボルトともども大幅に力を吸い上げられ弱体化したが、両者ともに条件は同じだった。ビルドが弱体化したなら、エボルトも弱体化している。

 一時はどうなることかと鉾を構え直していたランサーは、既にその戦闘態勢を解いていた。

 

「あのー、すみません。どうやら積もるお話もあるご様子ですし、長くなりそうなら私は先にケイネス殿を迎えに行きたいのですが」

「ああ、構わない。どうやらこいつが戦いに来たんじゃないってのは本当らしいし、なにより今の俺達の立場じゃ互いに本気で戦うことはできねえからな」

「そうですか……では、お言葉に甘えて。ケイネス殿を無事退避させたのち、また顔を見せます。落ち合う場所は……まあ、適当に。それでは〜」

 

 随分とアバウトな提案だったが、ここで口に出して場所を告げる方が危ないと判断したのだろう。ランサーは最後まで心情の読めない微笑みを浮かべたまま、すうと夜闇の溶けるように消え去った。

 

 スタークの身を包んでいた装甲が霧散する。石動が生身を晒したのを確認するや、一瞬遅れて、戦兎もまたドライバーから二本のフルボトルを抜き取り、ビルドの変身を解除した。もう二度と出会うことはないと思っていた宿敵と、素顔の視線をぶつけ合う。

 

「なんでこんなゲームを開こうと思った」

「なんでって、随分とくだらない質問をするようになったなァ、戦兎」

「いいから答えろッ!」

 

 戦兎が声を荒げると、石動は頬を緩めたままさもどうでもよさそうにこくこくと頷いた。

 

「簡単な話だよ。お前も知っての通り、俺は力を奪われすぎた。もう、現実世界じゃ実体化するだけの力すら残ってない。だから、聖杯の奇跡にでも縋ろうと思ったのさ。我ながら、恥ずかしい話だろ?」

「お前は本来、新世界を生み出すためのエネルギーとなって消えるはずだった! こんなゲームを開くだけのチャンスすら残ってなかった筈だ……!」

「その通りだよ。お陰様でこっちは僅かな残留思念しか残らなかった。そういう意味じゃ、あの戦いは間違いなくお前ら人類の勝利さ、完全勝利。だが、俺の運も捨てたモンじゃなかった。あとは消滅するのを待つだけだった俺の残留思念が、たまたまバグスターウイルスに感染した人間に取り付いたのさ」

「バグスター、ウイルス……」

「そ。お前もよーく知ってんだろ? 旧世界で最上魁星(もがみかいせい)が研究してた、アレだよ」

 

 ブラッドスタークが用いるトランスチームシステムの原型、カイザーシステムの生みの親にして、旧世界唯一のバグスターウイルス研究者。バイカイザーとして全並行世界の支配に乗り出し、そして最後には戦兎(ビルド)宝生永夢(エグゼイド)によって撃破された男の名だ。

 

「バグスターウイルスに感染した人間に俺が取り付いたことで、俺も道連れでバグスターウイルスに感染しちまったのさ。イヤこれが案外快適でねえ。現実世界じゃ消滅寸前でも、データ生命体としてならまだ人の形を保っていられる……! ほら見ろよ、この世界でならこんなに自由に動き回ることだってできるんだ!」

 

 石動は子供のように無邪気な笑みを浮かべながら、両腕を広げてその場でぐるりと一周してみせた。けれども、その掌に令呪がないことは、戦兎にもすぐに気がついた。

 

「お前、聖杯戦争の参加者じゃねぇのかよ」

 

 ぴたりと動きを止めた石動は、唇をへの字に結んだ。

 

「生憎と令呪の分配は聖杯サマの独断と偏見に満ちていてね。お硬い聖杯サマは、地球外生命体には令呪はくれねェんだとさ」

「当然だ。お前のような()()()()()に立ち向かうために聖杯がその権限を行使することはあり得る話だが、その逆はあり得ない。聖杯はそこまで愚かなシステムではない」

 

 戦兎と石動のやりとりを静観していたキャスターが、ここで口を開いた。

 

「なるほど、だから戦兎には令呪が与えられたってワケか」

 

 石動はいじけた様子で数歩ふらりと歩くと、再びホテルの壁際に設置されたエアコンの室外機に腰掛けた。

 

「現実世界で邪魔なお前をこの世界に引きずり込んで、再び俺が実体化したあとの障害を減らしておこうと思ったまではいいんだが、まァさかこんなことになっちまうとはねぇ。俺も随分焼きが回ったモンだ」

 

 言葉とは裏腹に、石動の表情には()()が感じられなかった。嘆いてはいるが、頬は未だに緩んでいるし、微かに笑みを零しているようにさえ見える。

 こういうとき、エボルトは必ずなにかを企んでいることを戦兎は知っている。

 

「お前、今度はなにを企んでるんだ。令呪も持ってねぇ癖に」

「さあ? なにか企んでたとして、それを簡単に話すほど俺がお人好しじゃないってことは、お前はもうよォーく知ってんだろ?」

「……ああ。その言い方から察するに、令呪があろうとなかろうと、お前の計画には関係ないってことは予測がついた」

「いやまあ、手に入るモンなら欲しいよ。だから、隙あらば奪う。そこは変わんねえよ」

 

 石動は指先を鉄砲の形に見立てて戦兎を指すと、軽くウインクをして見せた。

 嘆息する戦兎の代わりに、キャスターが前へ踏み出た。

 

「ならば質問を変えよう。お前は聖堂教会に所属していると言っていたな」

「ああ、言ったとも」

「いったいどういう理由で? 聖堂教会は、お前のような異分子を雇うような涜神的な組織ではなかったと記憶しているが」

「おっしゃる通り! だが、奴らにとっちゃ神秘の秘匿も神様への信仰と同じくらい大切なことだ。この聖杯戦争を監督する上で、放っちゃおけない驚異がこの街には潜んでる。それを排除するのが、今回の俺に与えられた役割(ロール)ってワケ」

「その、驚異というのは」

 

 石動はしばしキャスターの瞳を見つめたのち、ふっと笑みを零した。あからさまに不愉快そうに眉根を潜めるキャスターに語り聞かせるように、石動は滔々と解説を始めた。

 

「今回の聖杯戦争は、とある時計塔の君主(ロード)が残した記録を元に、檀黎斗神が精密に再現した仮想現実だ。だが、再現世界である限り、そこには本来存在したはずの参加者やサーヴァントがいなきゃおかしい。そもそも存在すらしなかったお前らが此処にいるのは……不自然だよな?」

「ああ……少なくともそのために、本来第四次に参戦していたキャスター陣営は丸ごと消滅していることになる。いや、改変されたのはそれだけではない、各陣営が召喚するサーヴァントもだ。これは最早、過去の第四次からは大きく乖離している」

「そこが檀黎斗神のスゴいところだよ。元々のデータを再現しつつ、今回のゲーム用に調整、改竄したのがこの世界ってワケ。まあ普通に考えて、聖杯戦争そっちのけで快楽殺人に勤しむような主従はゲームとしちゃ必要ねえからな。……とまァそこまでは良かったんだが、問題はここからだ」

「問題?」

「お前らみたいな()()()を押し通すために、本来存在したデータを抹消したんだが、英霊サマのデータってのは思ってたよりもずーっと根が深くてねェ。人理に刻まれた英霊サマってだけあって、その存在が持つ力も強かったんだろう。本来の第四次に存在したサーヴァントのデータは完全に消去するには至らず、バグデータとして残っちまった」

 

 キャスターはやはりあからさまに表情を歪めると、特大のため息をひとつ落とし、片手で己の顔を覆った。

 

「なんッてことをしてくれたんだ……」

「お、もうなんとなく察してくれたかな? つまり、ゲーム風に言うと、製品版になる前に消去された筈のバグデータが降り積もって、サーヴァントのなりぞこないになっちまったって話。ほら、昔流行ったゲームにもあったろ? バグキャラの……『けつばん』だっけ? ああいう感じ」

 

 石動の言う()()()()()()()()にしっくり来なかった戦兎は、疑問符を浮かべながらキャスターの顔を見やった。どうやらキャスターはよく理解している様子で、顎に指先を添えたまま深く頷いていた。

 

「ってわかるのかよ、キャスター!?」

「まあな。……ッて、そんなことはどうでもいい。では、あのセイバーがかつての第四次に参戦していた英雄王の能力を行使したのは」

「まあ、そういうこともあるんじゃないか。強力なサーヴァントはそれだけバグもデカいからな。それが今召喚されてるサーヴァントの霊基に混入して……っつーことはあり得ない話じゃない。製品としちゃとんだ不良品だよ」

 

 石動はちらちらとキャスターの顔色を伺いながら続けた。

 

「元になった第四次の記録を残した君主(ロード)にとって、その英雄王とやらはさぞかし強ォーい英雄豪傑だったんだろうよ。消去された後のバグデータですら、正規召喚された英霊を変質させちまうほどの影響力を持っちまうんだから」

 

「――ン、ンン!」

 

 石動の言葉を遮るように、キャスターは特大の咳払いをした。

 

「話はわかった。その残留データを処理するのがお前の仕事だと、そう言いたいのだな」

「そういうこと。檀黎斗ってのは、これがかなりの完璧主義でな。自分の作った完璧なゲームに、そういう不純物の欠陥品が混じってることが許せないんだとさ」

「……人の記録を勝手に改竄しておいて、随分と勝手な言い草だな」

 

 キャスターは呆れきった様子を隠しもせずにあからさまに嘆息した。

 

「まあそういうなよ。やっちまったことはもう仕方ないだろ? で、そういう残留物のバグデータを総称して、俺たちは『シャドウサーヴァント』って呼んでるってわけだ」

「シャドウサーヴァント……そのものそのままサーヴァントの影、ということか」

 

 戦兎もまたキャスターと同様に、顎に指先を添えて深く頷いた。元より人理の影法師でしかない英霊の、さらにあやふやな影となると、どういう存在なのか想像はつく。

 

「シャドウサーヴァントには大した思考能力はない。本能に従って動くか、かつて抱いた強い目的に沿って動くだけの、言っちまえば獣みたいなもんだ。戦闘能力も本来持ってたモンとくらべりゃ劣化してる。だが、それでも奴ら腐っても英霊だ。そこらのハードスマッシュなんかよりは強ェんじゃねえか?」

「……お前、なんでそんなこと俺たちに教えるんだ」

 

 警戒心も露わに詰問する戦兎に向かって、石動はにっと微笑んだ。

 

「なーんにも知らないままじゃ、お前らもスッキリしねえだろ? それに、この程度の情報なら教えたところで俺にデメリットはないからな」

「今度は、嘘はないんだろうな」

「まあ、シャドウは本来の予定には存在してなかったイレギュラーだからな。こっちも手を焼いてる。あわよくばお前らがシャドウをぶっ潰してくれりゃちったァ仕事が楽になるかな〜、くらいの打算は否定しねえよ……っとォ」

 

 言いつつも、石動は両手で膝を支えて立ち上がった。戦兎の肩をぽんぽんと軽く叩き、わざとらしいくらいにこやかに微笑む。煩わしく感じた戦兎は、その手を勢いよく振り払った。

 

「触ンな」

「つれないねえ……ま、仕方ないか」

 

 石動は踵を返すと、戦兎らに背を向けた。最後にもう一度、首だけを回して視線を寄越す。

 

「今日はお前らの元気そうな顔見れて安心したよ。ここに来た目的がほんの挨拶だけってのはマジだから、そこは心配すんな。情報料も別にいらねぇ。せいぜいありがたく思ってくれ」

「ふざけんな、全部自分たちで撒いた種だろ」

 

 石動は戦兎のそっけない返答に満足したように笑みを深めた。

 

「ま、なんにせよこのホテルはじき倒壊する。お前らもとっととこっから離れるんだな。チャ〜オ〜」

 

 石動は軽く掲げた手のひらをひらひらと振って、夜の闇へと姿を消していった。追う気にはならなかった。

 地響きをあげて大地を震わせる巨大高層物をちらりと見上げる。今は、このホテルから素早く退避し、再度ケイネスと合流することが肝要だ。キャスターと顔を見合わせた戦兎は、キャスターがその姿を霊体化させるのを確認すると、ビルドフォンにライオンフルボトルを装填し、ビルド専用バイク(マシンビルダー)を展開させた。

 夜の市街地を駆け抜けるバイクの駆動音も、崩れ行くホテルの轟音の前に随分と矮小なささやきであるかのように感じられた。

 

   ***

 

 切嗣が帰路についた時、既に時刻は早朝五時を回っていた。

 ハイアットホテル襲撃の任務を終えた舞弥が、切嗣に追従して拠点と定めた武家屋敷の門をくぐる。一日中諜報活動のため動き回り、セイバーが猛威を奮った乱闘から、冬木ハイアットまで一連の任務をこなした直後だというのに、その表情には疲れの色など欠片も浮かんではいない。そういう風に、切嗣が育て上げたのだ。

 

「舞弥。今日はありがとう。君は先に屋敷に戻って、休息をとってくれ」

「ありがとうございます。切嗣は?」

「僕もすぐに休むさ。心配はいらない」

「そうですか……それでは、お先に失礼します」

 

 軽い会釈ののち、舞弥は切嗣に背を向け、屋敷へと向かってゆく。

 舞弥の姿が見えなくなったのを見計らって、切嗣は短く、己の傀儡の名を呼んだ。

 

「アーチャー」

 

 呼びかけから間もなく、背後に気配が感じられた。

 振り返ったとき、切嗣は思わず眉根を潜めずにはいられなかった。

 切嗣の背後に立っていたのは、確かにアーチャーだ。赤い外套を身に纏い、仏頂面で立ち尽くしている。そこは平時となにも変わらない。問題は、アーチャーがその身に刻んだ傷の数々だ。

 赤の霊衣はところどころが裂け、その褐色の肌にもいたるところに擦り傷や切り傷が刻まれている。奇妙なことに、切嗣が魔力を流し込んでも、アーチャーの傷が癒えることはなかった。いずれも、先の戦闘であの黒い(シャドウ)サーヴァントから貰った傷だ。

 本来ならばとうに回復していなければおかしい傷が、時間経過で回復せず、魔力を注いでも癒える様子が見られない。これは異常だ。

 

「アーチャー。その傷は、すべてあの黒いサーヴァントにやられたものと見て間違いはないんだな」

「ホテルの襲撃に際して、あの白いランサーから直撃を貰った覚えはない。アサシンも同様だ。結果から判断するに、そう考えるほかないのだろうな」

 

 切嗣が見る限り、アサシンとの戦闘においてもアーチャーが傷を負う様子はなかった。

 近接戦闘の実力をとっても、アーチャーの性能は申し分なかったと切嗣は評価している。けれども、あの黒いサーヴァントとの戦闘は――あまりにも相性が悪かった。アーチャーの精製する武器はすべて無効化され、打ち砕かれ、アーチャーばかりが槍の攻撃を通してきたのだ。それでも繰り返し武器を精製し、粉砕されながらも致命傷だけは避けながら対応できたのは、アサシンの助力を抜きにしても、ひとえにアーチャーの実力がなせる技であると評価していい。

 切嗣は、戦力として運用する上で、己のサーヴァントを高く評価していた。

 

「マスター」

「なんだ、アーチャー」

 

 だからこそ、本来会話をするつもりなど毛頭なかったサーヴァントに対しても、必要最低限の口を利くことにはさして大きな抵抗はなかった。仕事を的確に実行してくれるなら、それ以上に望むことなどなにもないからだ。けれども、アーチャーの口から出た言葉は、切嗣の予想にないものだった。

 

「あの神父の言っていた言葉だが」

「気にするな。あんなものはくだらない妄言だ」

「ああ、アレが単なる思い違いであることは承知している。だが、私からも尋ねてみたくなってね。マスターはいったい、聖杯に如何なる願いを託して戦うのか」

 

 一瞬、無意識に自分の顔が強張ったのを、切嗣は自覚した。取り繕うように平静を装う。

 

「……そんなことを聞いてどうする」

「どうもしないさ。言うなれば好奇心、というものだろう。――いや、答える気がないなら今の質問は忘れてくれて構わないがね」

 

 切嗣は、押し黙った。

 長い間、世界中の戦場を転々と渡り歩き、人を殺し続けてきた頃の記憶が脳裏をよぎる。ひとりでも多くの人間を救うための殺人。救済のため戦争。余人が聞けば、壊れていると謗られてもなんらおかしくはない理想。

 切嗣はいつだって、その戦場で散る命の数を天秤にかけて、ひとりでも少ないと判断した皿を切り捨て続けてきた。多数を生かすためには、少数を殺し尽くすほかにすべがないと固く信じてきたからだ。

 すべての命に一切の貴賤はなく、老若男女の別け隔てもなく。命をただ数のみで判断して、切嗣は己を無謬の天秤と定めてきた。

 切嗣の信念に、言峰綺礼が言っていたようなわけのわからない()()は微塵も介入しない。いまだかつて、切嗣には己の求道のために戦った試しなど、ただの一度たりとて存在しない。

 その殺戮の日々も、もうすぐ終わる。

 この世に蔓延る戦いの歴史を、衛宮切嗣が終わらせる。

 聖杯を手に入れ、その膨大な力を用いて、この惑星に存在するあらゆる()()を一掃するのだ。それが、切嗣の純然たる願い。

 

「……恒久平和の実現、と言ったらどうする」

 

 ぽつりと呟き、切嗣はアーチャーをみやる。

 傷だらけのアーチャーは、静かにその瞳を閉じた。

 

「――そうか。それが貴方の願い、か」

 

 アーチャーの表情に陰りが差した。切嗣はそれを見逃さながった。

 

「それがどうかしたのか、アーチャー」

「……いいや、なんでもない。アイリスフィールから断片的には聞いていたのでね。だが、……そうだな。率直な感想を言わせて貰うなら……そんなものは、夢物語でしかないように私には思える」

 

 刹那、切嗣は眉根を潜めた。

 

「なんだと」

「それを実現させるに足る奇跡など、はなからこの世に存在してはいない。貴方の理想は……魔法よりも遠く、奇跡よりも儚い」

「――ッ、……そうか」

 

 はじめはなにかを言い返そうとした。けれども、言い返すべき言葉は切嗣の中からは出てこなかった。

 所詮は己の記憶を持たず、己の在り方さえも判然としないサーヴァントだ。いつの時代、なにを成した英霊であるのかは知ったことではないが、所詮道具になにを語ったところで無駄だったのだ。そう思い至ったとき、切嗣の思考は即座に戦場に立つ冷徹な機械へと切り替わった。

 アーチャーには視線を寄越すこともなく、切嗣は屋敷へと歩を進め、振り返ることなく必要事項だけを淡々と告げた。

 

「あの黒いサーヴァントについては僕も調査を進めておく。だが少なくとも、お前の武器があのサーヴァントには通用しないと知れた以上、二度と同じ戦法は取らない。お前は土蔵に入って快復に努めろ」

「……了解した」

 

 短い返答ののち、アーチャーの気配は静かに消え去った。霊体化し、土蔵へ向かったのだろう。

 この屋敷の土蔵には、土地の霊脈の流れを利用した魔法陣が敷かれている。おそらくアーチャーが負った傷は、魔術的なダメージだ。魔法陣の上でいくら時間を過ごしたところで気休めにしかならないだろうが、なにもしないよりは幾分マシだろうという判断だった。

 誰もいない屋敷の庭をひとり歩きながら、切嗣は懐から取り出した煙草に火をつけた。肺いっぱいに吸い込んだ煙を、冷たい夜気に吐き出す。しばし切嗣の頭上に蟠った煙草の香りも、切嗣が再び歩き出す頃にはいずこかへ溶けてなくなっていた。後には切嗣が踏み潰した煙草の吸殻だけが残されていた。

 

   ***

 

 理想を追いかけて、ただまっすぐに走り続けることができたあの頃の自分は、もうどこにもいない。

 夢を見られるのは、子供の間だけだ。大人になって、この世には正義の味方などというものは存在していないのだと思い知らされた。知りたくもない現実をそれでも受け止めるほかになく、見たくもない現実をそれでも直視するしかない。

 いかな絶望を突きつけられようとも、走り続けるほかにすべを知らなかった。ただ己を突き動かす夢に殉じて、ひとりでも多くの人間を救いたい、そんな愚かな理想に陶酔して、最後にはすべてを失い、哀れな姿に成り果てた。

 

 ――そんなものは、ない。ないんだよ、爺さん。

 ――貴方の抱いた理想は、この世界のどこにも存在していなかったんだ。

 

 衛宮切嗣の祈りは、世界の外側へ到達せんとする力をもってしても、叶わない。奇跡などというものは、この世界のどこにも存在しない。飽くなき戦いの道を突き進んでも、その先に待つのは地獄だけだ。そんなことはもう、他でもないアーチャー自身が痛いほどに知っている。

 だけれども、そんな現実を突きつけたところで、今の衛宮切嗣は止まらない。歪んだ理想を胸に突き進む愚者には立ち止まることすらも許されないことを、皮肉にもアーチャーだからこそ理解できてしまう。

 その果てに絶望が待っていようとも、今更己が原点たる願いを否定し摘み取ることなどできはしない。今はただ、愚かで歪んだ理想を胸に戦い続けるほかに、彼らが進む道など存在しないのだから。




 TIPS
【シャドウサーヴァント】
 サーヴァントの残留霊基。サーヴァントのなり損ない。
 サーヴァントでありながら、何らかの理由で正常な霊基を獲得するに至らなかった残留物。
 本来、第四次聖杯戦争に存在していたサーヴァントの霊基データは檀黎斗によってすべて抹消されたはずだった。しかし、消えずに残留してしまったバグデータが蓄積し、影を纏ったサーヴァントとして実体化している。
 これらのバグデータによって構成されたシャドウサーヴァントに明確な自我はなく、戦闘能力も大幅に低下している。されど、英霊は英霊。神秘を纏わぬ攻撃では倒せないものと推測できる。
 また、一部のバグデータは、今回の聖杯戦争に正規召喚されたサーヴァントにも英霊の残滓として取り込まれており、その霊基を変質させている。

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