「被害者の川島妃花は博多からあさかぜ4号に乗っていたことを博多公安に確認しました。」
「そうか、博多に行くまでは佐賀県の唐津へ行ってたのか。」
「はい。」
「じゃあ、博多からL特急かもめに乗ったって事か。」
「はい、博多からかもめに乗ってたのは確かです。」
「そうか。」
松本は、こう言った。
「じゃあ、唐津からどうやって別府へ行くのか。」
「唐津と博多まではかもめに乗り、博多でにちりんに乗れば別府へ行けれます。」
「なるほど、かもめとにちりんに乗り次いで別府に行ったって事か。」
「ええ、その可能性があります。」
そこへ高山がやって来た。
「班長、この毒殺事件前日にも起きていたことがわかりました。」
「高山、それはどこだ。」
「大分県の別府です。」
「別府、場所はどこなんだ。」
「別府温泉郷です、彼女は別府に来ていたことがわかりました。」
「恐らく、新幹線とにちりんに乗り次いで別府へ行ったのか。」
「はい、まず間違いないと思います。」
そして会議が終わると、特捜班たちは捜査を開始した。
「どうやって、別府へ行ったのですかね。」
「新幹線だとひかりに乗れば博多か小倉でにちりんに乗れば別府へ行く事は可能です。」
「私も同じ意見だわ。」
と、小海は言う。
「よし、僕と南と小海で別府へいこう。」
「ええ、行きましょう。」
「ええ。」
高山は、南と小海と伴って事件が起きた別府へ行く事にした。
昭和63年 ダイヤ改正
青函トンネル関連
津軽線の中小国駅(実際の分岐点は新中小国信号場)から江差線木古内駅まで青函トンネルを挟む87.8kmの路線が海峡線として開業し、更に営業用の愛称として青森駅 - 函館駅間が「津軽海峡線」と定められた。なお開業日の3月13日には青函連絡船と海峡線が同時営業を行ったため、青森駅 - (津軽海峡線) - 函館駅 - (青函連絡船) - 青森駅という一周片道乗車券が購入できた。
これに伴い、下記のような本州と北海道を結ぶ旅客列車が新設された。
寝台特急列車「北斗星」(2往復):上野駅 - 札幌駅間
夜行急行列車「はまなす」(1往復):青森駅 - 札幌駅間
昼行快速列車「海峡」(8往復):青森駅 - 函館駅間
昼行特急列車「はつかり」(2往復):盛岡駅 - 函館駅間(青森駅 - 函館駅間延長)
上記の2つの列車は2002年12月1日に「白鳥・スーパー白鳥」に統合された。また、北海道新幹線開業に伴い2016年3月26日をもって在来線列車は全て廃止された。
寝台特急列車「日本海」(1往復):大阪駅 - 函館駅間
瀬戸大橋関連
瀬戸大橋を挟む宇野線の茶屋町駅から予讃線(当時は予讃本線)の宇多津駅の間31.0kmが本四備讃線として開業(茶屋町駅 - 児島駅間は瀬戸大橋博の開催に合わせて3月20日に先行開業)し、前後の線区も挟んだ岡山駅 - 高松駅間に「瀬戸大橋線」の愛称が与えられた。なおこの段階で宇高連絡船の航路自体は廃止されず、1990年(平成2年)3月まで急行便が両岸住民の便を図って設定されていた。
これによって新設された旅客列車は下記の通り。
寝台特急列車「瀬戸」:東京駅 - 高松駅間(現サンライズ瀬戸)
昼行特急列車「しおかぜ」(5往復):岡山駅 - 松山駅・宇和島駅間
昼行特急列車「南風」(3往復):岡山駅 - 高知駅・中村駅
昼行特急列車「うずしお」(1往復):岡山駅 - 徳島駅
昼行快速列車「マリンライナー」(18往復):岡山駅 - 高松駅
その他普通列車
四国管内においても、かなり大規模なダイヤ改正となり、「しおかぜ」・「南風」が岡山方面への特急列車に移行した関係で高松駅発着の特急列車は「いしづち」・「しまんと」に愛称名を変更した[3]。また高徳線では急行「むろと」、「阿波」が特急「うずしお」に格上げされた。予讃線・土讃線の急行列車に関しても一部列車が存続したが、大幅に特急列車に格上げされた。
なお瀬戸大橋線開業直前の4月1日には、中村線が土佐くろしお鉄道(中村線)に移管された。
その他
3月13日には、他のJR各社でもダイヤ改正を実施した。
新幹線東海道新幹線に新富士駅・掛川駅・三河安城駅、山陽新幹線に新尾道駅・東広島駅が開業した。JR東海では100系G編成という食堂車に代わってカフェテリアを設けた車両が東京駅 - 新大阪駅間の『ひかり』を中心に運用されるようになった。東海道区間の「こだま」では指定席の一部をアコモ改造した「2&2シート」を導入した。山陽新幹線では0系を4列シートにアコモ改造した6両編成(のちに大半が12両編成化)の「ウエストひかり」を新大阪駅 - 博多駅間で運転開始した。上越新幹線では、「あさひ」が時速240km運転を開始した。東日本新宿駅 - 松本駅間の特急「あずさ」にグレードアップ車両を導入した。甲府駅発着の特急「あずさ」は「かいじ」に愛称を変更した。長野地区では、長野駅から飯田線方面を結ぶ急行「かもしか」が、快速「みすず」に格下げされた。新潟駅 - 新宿駅間の夜行快速「ムーンライト」(現在の「ムーンライトえちご」)が定期化された。首都圏では、京浜東北線で昼間に田端駅 - 田町駅間の快速運転を開始した。快速運転区間の途中停車駅は上野駅・秋葉原駅・東京駅で、これにより通過運転区間の所要時間は各駅停車の山手線に比べ、約6分短縮した。また、京浜東北線と山手線は平日はラッシュ時以外は同一の線路を使用していたが、この改正で原則として使用線路を分離する形となった。横浜線や中距離電車では快速が設定された。宇都宮線と高崎線では山手貨物線・東北貨物線を活用し、池袋駅発着の列車を新設した。また、前述の夜行快速ムーンライトの定期化に伴い、間合い運用で東北本線・上野駅 - 黒磯駅間に全車指定席の快速「フェアーウェイ」(原則として土休日のみ運転)が運転開始した。日光線および高崎地区の上越線・吾妻線・信越本線・両毛線では、107系が投入された。東海名古屋駅 - 長野駅間の特急「しなの」にパノラマグリーン車が連結開始した。東海道本線では、三河安城駅が前述の東海道新幹線とともに開業した。中央本線では、211系5000番台が投入された。西日本(瀬戸大橋線を除く)北陸から東京方面(新幹線接続)への連絡を強化し、上越新幹線長岡駅で接続する北陸方面への速達特急列車として「かがやき」が登場した。また、東海道新幹線米原駅接続の「きらめき」が登場した。アコモデーションを改良した485系が充当され、全車指定席で運転された。京阪神地区では、初めて「アーバンネットワーク」の名称が使われるようになり、従来の路線名に「JR神戸線」のような路線愛称がつけられるようになった。JR神戸線の外側快速が六甲道駅に停車するようになった。新快速は夕方時間帯に増発され、琵琶湖線区間で米原駅発着の列車が設定された。また、休日ダイヤの朝にも新快速が運転されるようになった。大阪駅 - 米原駅間の「びわこライナー」が定期列車に格上げされた。JR神戸線・京都線・琵琶湖線の夕方時間帯のダイヤが見直された。JR宝塚線では日中時間帯の1時間の本数が大阪駅 - 新三田駅で4本、新三田駅 - 篠山口駅間で2本に増発された。大和路線では木津駅 - 加茂駅間が電化され、なら・シルクロード博覧会の開催に合わせて日中時間帯の快速が1時間3本(大阪環状線直通のみ)から6本(大阪環状線直通3本、湊町駅(現:JR難波駅)発着3本。増発の快速は郡山駅・大和小泉駅は通過)に増発された。また、亀山方面からの普通は大半が加茂駅発着に変更された。 シルクロード博の開催期間中は臨時快速「シルクロード号」として日中の湊町駅発着の快速を大阪環状線・梅田貨物線経由で新大阪駅発着に変更。これに伴い、西九条駅では構内配線を一部変更して大阪環状線(弁天町方)から梅田貨物線へのルートが新設された。
阪和線では、205系1000番台が投入され、熊取駅 - 和歌山駅間で各駅停車になるB快速が新設された。JR宝塚線では「ほくせつライナー」が、大和路線では「やまとじライナー」が新設された。岡山・広島地区にまたがる山陽本線では、支社界の糸崎駅 - 三原駅間で列車が増発され、糸崎駅折り返しであった岡山方面の列車が三原駅まで行くようになった。直後の4月3日、山陽本線(広島地区)に宮内串戸駅が開業した。九州783系(ハイパーサルーン)が特急「有明」に投入され、そのうち速達の1往復は「スーパー有明」と命名された[2]。小倉駅 - 佐世保駅間では観光特急「オランダ村特急」が新設された。この列車は翌年鳥栖駅まで特急「有明」との協調運転を行っている。日豊本線の特急「にちりん」が28往復に増発され、ほとんどが小倉駅発着だったが半数以上の列車と夜行急行「日南」が博多駅まで運転区間を延長した。また小倉駅 - 博多駅間の快速が1時間1本→3本に増発された。篠栗線と香椎線の交差部分に長者原駅が開業して相互乗り換えが可能になったほか、九州では長者原駅以外にも鹿児島本線・篠栗線・豊肥本線・日豊本線・指宿枕崎線で合わせて9駅が新たに開業した。
舞台は昭和63年だからこんな列車が登場したんですね
小説に登場したらもっと面白くなりそうだ。