アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第十六話 恐怖を乗り越えて
ゴウが今まで生きてきた中で、聞いたことのない鳴き声で吠えるクロム・ディザスターは大悟が言っていた通り、全身が黒ずんだ銀色の鎧に覆われた、重装甲の騎士型アバターだった。
肩や胸の装甲は非常に分厚く、指先や肩先、体の端々は鋭く尖っていて、それだけでも充分に凶器となり得る。加えて両腕には巨大な篭手が装着されており、右手には身の丈ほどの長さをした銀灰色の両刃の大剣を握っていた。
咆哮が出ているはずの左右両端に後方へ伸びた角を着けたヘルメット、その面頬の中は真っ暗で口も見えないのに、何かが蠢いていることだけは分かる。
──アレはもう、人の意思で動いていない。
ゴウは直感的にそう確信した。
チェリー・ルークというバーストリンカーの、本来の人格はあそこにはもういない、アバターは《鎧》を形成する媒体でしかないのだ。それを動かしているのは、おそらく《鎧》本来の所有者の思念──。
「あの鎧は、装備するアバターによって姿を変えるんだ。……凶暴性だけは誰が着けても全く衰えないが」
ゴウの前に進んだ大悟が補足するように説明した。
だが、ゴウにはそんなことは今どうでもよかった。アレと戦うなら、
「オーガー、俺がお前さんを連れてきたのはどうしてだと思う?」
「ぼ、僕……僕はあんな化け物と戦うなんて、とても──」
「いや、戦うのは俺だ。よく見ていろ、これが今回の『稽古』だ。ただし、もしもあいつに標的にされたら、そのときは全力で迎え撃て」
どうやら今回の大悟の目的は、目の前の加速世界最悪の存在と戦う姿を見せることだったらしい。しかし、ディザスターがこちらを襲ってくるなら自分で何とかしろと言う。
ゴウには弱々しく抗議をすることしかできなかった。
「そんな、そんなの無理ですよ……」
「落ち着けよ、ビビリすぎだ。あれが怖いのはよく分かるし、それは正常な反応だ。だが、その恐怖を乗り越えて立ち向かうことに意味があるんだ。そうすればたとえ負けたとしても、また一つ強くなれる。お前さんがバーストリンカーに成り立ての頃に、似たようなことを言ったのを憶えているか?」
──『立ち上がって相手を見ろ』
対戦の最中にどんな窮地でも諦めることはするなという、大悟の教えをゴウはもちろん忘れてはいなかった。
しかし、大悟はその相手が目の前の《災禍の鎧》でも、例外ではないと言うのか。
「よう」
大悟は手を振って気軽に話かけながら、ディザスターに向かって歩いていってしまった。
「俺を憶えているか? チェリー・ルークよ。昔、お前さんや嬢ちゃん達と一緒にチーム組んでただろ?」
「…………」
対するディザスターは返事をせず、近付く大悟をじっと見つめている。自分を前にして、逃げも攻撃もしない存在に困惑でもしているのだろうか。
「真面目でいつも一生懸命だったお前さんが、何だって《鎧》なんて物に手を出した? 一体誰から受け取った? 言葉はまだ話せるか? それとももう──」
「ルルゥアアアッ!」
ディザスターはやはり、大悟の言葉に全く耳を貸す気はないらしく、足裏が爆発したかのような勢いの踏み込みで、たった一歩で大悟の目の前に移動していた。片手だけで握った分厚い刀身の大剣を掲げると、そのまま大上段から一気に振り下ろす。
迫る刃を前にした大悟は両腕を自分の頭上で交差させ、防御体勢を取った。大剣と交差した両手首の数珠型の装甲がぶつかり合う。しかし、それはほんの一瞬の出来事で、大悟は大剣が当たった瞬間、交差した腕を一気に下ろすと同時に後退した。大剣がそのまま地面にぶつかり、刃が硬い《魔都》ステージの道路を叩き割る。
「──そうかい」
隙を逃さず大悟はディザスターの右側に回り込み、その右脚に鋭いローキックを叩き込んだ。
「ルオッ!」
ディザスターは怯みもせずに、地面から引き抜いた大剣を大きく横に薙ぐ。あまりの速さに、ゴウには剣が巨大な銀の扇に変貌したかのように見えた。
その動きを読んでいたのか、大悟は体をかがめて回避。そのまま立ち上がる勢いを利用してディザスターの脇に肘打ちを決める。
「ルヴヴッ……!」
体当たりとほとんど変わらない勢いで放たれた肘打ちはさすがに効いたのか、ディザスターが小さく唸り声を上げた。
そこからはディザスターも剣の大振りは危険と判断したようで、剣での刺突を攻撃の主体に切り替え、剣を握っていない片腕の鋭く尖る爪による引っ掻きや、太い腕での打撃、他にも剥き出した鋭利な牙による噛み付きまで繰り出してくる。
大悟はそれらを回避し、受け止め、受け流し、捌く。さすがに無傷とはいかないが、一度もクリーンヒットは受けない。その上、隙を見てはディザスターの装甲が薄いであろう関節部分を攻撃し、火花を散らせる。
ところが、信じられないことに大悟が攻撃した箇所に赤黒い光が一瞬輝くと、ディザスターの鎧から打撃痕が消え、装甲が新品のように戻ったのをゴウは見た。
《鎧》特有のアビリティなのかは分からないが、このままでは大悟の方が先に力尽きるのは明らかだった。にもかかわらず。
「はは、ははははぁ!!」
そんな不利な状況、攻撃の嵐の中で大悟は笑っていた。
「どうしたぁ!? その程度ではあるまい、元《神器》の力は! 《
まるで相手を焚き付けるかのように、大悟は挑発をする。本来、破壊不可能なはずのフィールドの地面さえ叩き割る力を持つ、ディザスターと戦えることが嬉しいとでもいうように。
ゴウは先程まで抱いていた恐怖も忘れ、目の前の攻防に自然と意識を集中させていた。それでも、両者のスピードにとても目が追い付かない。
振るう腕が大気を焼く。踏み込んだ足が地面にヒビを入れる。互いのどこかがぶつかる度に衝撃が周りに拡散する。
この戦いは間違いなく、ゴウが今までギャラリーで見たどの対戦よりも凄まじいものだった。それでも頭の隅に疑問を持たずにはいられない。
どうして大悟は、あの暴威の塊に臆せずに立ち向かっていけるのだろうか。ディザスターを恐ろしいとは思わないのだろうか。
「ふっ!」
「グルッ……」
連撃の間を縫って大悟がディザスターの鳩尾部分に一撃を入れ、ほとんど密着状態だった二人が互いに距離を取った、その時だった。
「何だ……?」
何かの音を聞き取ったゴウは東の方角に首を向けた。あれは──爆発だ。寒色で彩られた《魔都》ステージの空を、断続的な紅い光が染め上げている。
自分達以外にも無制限中立フィールドの池袋で戦っているのだろうかと、ゴウはほんの一瞬、大悟達との戦いを視界から外してしまった。
その一瞬の間を、貪欲な獣が見逃すはずがないのに。
「オーガー!」
大悟の声にはっとして振り向いた時には、戦況は変わっていた。
ディザスターが五指を広げた片手をこちらにかざし、もう片方の腕で大剣を振りかぶり、足を地面に着けていない状態で地面と平行に、まるで飛ぶように急接近してくる。
「う、うわぁっ!」
とっさに横へと飛んだゴウは、ディザスターの突進を間一髪で避けることに成功した。
硬い《魔都》ステージの建物に激突し、簡単に大穴を開けたディザスターは、こちらへ走ってくる大悟へ向けて、さっと左腕を振るう。
すると、その動きに従うように、たった今できた瓦礫群が大悟めがけて飛んでいき、直撃した。砕けた瓦礫で、大悟の姿は見えなくなってしまう。
すぐにディザスターはゴウに向き直り、牙をガチガチと鳴らしながら近付いてくる。
「あ、ああ……」
大悟を瓦礫で足止めしている間に、こちらを先に仕留めようという魂胆はゴウの怯えた思考でも理解できた。
──怖い。
そんなゴウの心境などお構いなしに、歩みを進めるディザスター。
段々と近付くことで、ヘルメット奥の闇の中から爛々と輝く眼がはっきりと見えてくる。ゴウを食物としか見ていない捕食者の眼だ。
──怖い。食べられたくない。
腰から下が石になってしまったかのように動かないゴウの目の前で、立ち止まったディザスターが大剣を真上に掲げる。その動きがゴウにはやけに緩慢に感じられた。
──怖い。怖い。怖い。でも……。
さっきまで戦っていた大悟のように、戦いの中で声を上げて笑うことなどできない。それでも、狂戦士に臆せずに立ち向かっていった師匠の姿を見て、逃げるという選択肢はゴウの頭にはなかった。
「着装! 《アンブレイカブル》ッ!!」
「ルオオォッ!」
ゴウが叫ぶのとほぼ同時に、ディザスターがゴウを両断しようと大剣を振り下ろす。振るった腕がブレるほどの速度で放たれた斬撃がゴウの体に届く寸前、ゴウの握る輝く光が大剣を阻んだ。
光が消えた後には、長く透明な金棒が、銀灰色の大剣を受け止めていた。
「ヴヴヴゥゥ……」
「うう、ううううあぁっ!」
奥歯を噛み砕く勢いで歯を食いしばり、ゴウは全身に力を込めてディザスターを押し返した。そのままディザスターに向けて、金棒を振るう。
ディザスターも剣を両手で持ち直し、ゴウめがけて再度斬りかかってきた。
互いの武器が何合も打ち合って火花を散らす。その度に衝撃がゴウを襲うが、自分の得物を離さないように強く握り込んだ。
ゴウ自身の装甲以上の強度を誇る《アンブレイカブル》と五回もまともにぶつかり合えば、ほとんどの強化外装は砕けるのだが、ディザスターの大剣はおそらく高位の強化外装なのだろう、何度打ち合っても
成長したとはいえ、非常に重い《アンブレイカブル》を振り回しての戦闘は長期戦には向かない。対するディザスターは先程まで大悟と高速の接近戦をしていたのにもかかわらず、まるで疲れを見せずに剣を振り続けている。
一度でも武器の打ち合いを止めれば、一気に攻められて反撃に移る隙もなく倒されることをゴウは分かっていた。故に腕を止めることはできない。
伝説の怪物との打ち合いは、いつしかゴウの意識を一点へと集中させていく。
──もっと……もっと速く。もっと強く。
両腕は限界を迎えていたが、それでもかまわずに腕を振るう。
この時、ゴウ自身気付いていなかったが、打ち合いを始めた時よりも繰り出す攻撃の回転数が上がっていた。他の思考を全て追いやり、ただ武器を振ることのみを考える。
何十回目の打ち合いになったのか、とうとうディザスターの剣の動きがわずかに鈍った。
──ここだ!
「はあっ!」
大剣をすり抜けた金棒の打突が、ディザスターの胸部を大きく凹ませる。
ディザスターが攻撃された箇所を手で押えながら、短く唸って大きく後ろに跳んだ。
そこで一気に体へ負荷が押し寄せ、ゴウは片膝を着いてしまう。
「はっ、はぁっ、はぁはぁ……!」
立ち上がろうとするゴウだったが、無理をした反動からか、体がいうことを聞かない。
「ルル……」
ディザスターが一気に距離を詰めようと身構えたその瞬間、青い影がディザスターの側面に躍り出た。
「喝!」
大悟が左手を添えた右腕を捻りながら、発した運動エネルギー全てをねじ込むようにディザスターの左脇腹へと掌底を打ち込んだ。
叫ぶ間もなくディザスターは何メートルも吹っ飛ばされ、その先で激突した建物の壁面が、轟音を上げながら崩れていく。
上半身の着物型装甲が所々破損し、アバターの素体が一部露出している大悟が駆け寄り、手を差し出して起き上がらせてくれた後も、ゴウは顔を上げられなかった。
「すみません、師匠……。僕が隙を見せたからクロム・ディザスターがこっちに……。油断するなって言われていたのに、僕は……」
「何も謝ることはない。あの怪物相手によく戦った。お前さんは俺の予想以上に成長していたんだな」
大悟に褒められたことにどうしたことか感極まって、ゴウは涙が出そうになっていると──。
ドゴォン!!
崩れた建物の中から、瓦礫を吹き飛ばしてディザスターが這い出してきた。
体の各所から発せられている傷を、再び赤黒い光が修復しようとしているが、ダメージが深いせいか、先程大悟と戦っていた時のようにすぐには消えない。
しばし睨み合う、ディザスターと師弟。
そんな緊張状態を破ったのは、再び東の方から聞こえてきた爆発音だった。聞き耳を立てると爆発音に混じって、かすかに叫び声や怒号が耳に届く。
「ユルルルルルルッ……!」
唸りを上げるディザスターが東の空に向かって五指を開き、腕を伸ばした数秒後。重力を無視するように手を伸ばした方向へと高速で舞い上がった。
先程同様の、まるで空を飛ぶような動きに目を見張るゴウをよそに、ディザスターの姿はあっという間に見えなくなってしまう。
「あの爆発……。オーガー、追いかけるぞ」
どこか切迫した声を出す大悟に頷き、ゴウは大悟と共にディザスターの後を追い始めた。