アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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第十七話

 第十七話 暗黙のルール

 

 

 クロム・ディザスターを追って、池袋の東方面に向かって走る大悟とゴウ。

 先程までの爆発音は止んでいたが、悲鳴のような叫び声がゴウの耳に届いた。おそらくディザスターが移動した先で、バーストリンカーを襲っているのだろう。

 しばらくすると、前方で真紅の光が発生した直後に、北側の建物が一直線に軒並み倒れていくのが見えた。

 

「やっぱりな……自分で引導を渡す気か。オーガー、少し急ぐぞ」

「は、はい……!」

 

 光を目にした大悟に急かされるゴウだが、先程までの戦闘で体力ゲージこそほとんど削れていないものの、精神をひどく磨り減らしたからか、走る速度がどうも上がらない。それでも懸命に足を動かして走っていると、街道を抜けて開けた場所に出た。

 

「な、なんだこれ……」

 

 道の先の開けた空間はクレーターのような窪地だったが、その光景を見たゴウは呆然としてしまう。

 クレーターは内側も外縁も焼け焦げた跡だらけで、更に北側の外縁には小型のクレーターと、そこから一直線に(わだち)が地面に刻まれ、炎がちらちらと燃えている。その先の建物群は無残に倒壊していた。

 極め付けに周辺には、バーストリンカーの死亡を表示するマーカーがいくつも回転していて、凄まじい戦闘があったことを物語っている。

 建物群を倒壊させた張本人がどこかにいるはずだとゴウが辺りを見渡していると、大悟が外縁に沿って駆け出した。

 

「ロータス! こっちだ!」

 

 大声で誰かに呼びかける大悟の後を付いていくと、その先に人影が見えた。

 こちらに気付いて接近するデュエルアバターが、はっきり視認できる距離まで近付くと、ゴウは息を呑んだ。

 漆黒のF型アバターだ。

 四肢には手足の代わりに長大な剣が付いているが、今は左手足の剣は半ばから折れ、顔の覆う鏡面ゴーグルはクモの巣状のクラック痕が走っている。アーマースカートは所々が欠けていて、黒い装甲で目立たないが、ひび割れた全身は炎で焼かれたような焦げ跡だらけだった。

 それでも、ゴウは仮にベストコンディションの自分が、この傷だらけの状態であるアバターと対戦しても、絶対に負けるという確信があった。

 アウトローのメモリーのように、黒っぽい装甲を持つデュエルアバターを何人か見たことはあっても、このアバターの装甲色は他と一線を画するものだった。それに大悟が呼んでいたアバター名。つまり──。

 

「やはり貴様……アイオライト・ボンズ、この場所で何をしている?」

 

 大悟がロータスと呼んだアバターは対面するや否や、折れていない右腕の剣をこちらに向ける。同時に発せられた威圧感は、手負いであってもゴウを圧倒するには充分だった。

 一方の大悟は、向けられた殺気をまるで気にしていない様子で右手を上げて挨拶する。

 

「よぉ、二年半と少し振りか? 黒の王よ。そう構えるない、俺の連れが怯えちまう」

 

 やはりそうだ、と思うゴウ。目の前の漆黒アバターは黒の王《ブラック・ロータス》。三ヶ月前に復活したレギオン、ネガ・ネビュラスの頭首であり、レベル10を目指して先代赤の王を討ち取った叛逆の王。

 数秒間黙ってゴウと大悟を見ていたロータスは、はぁ、と肩を落としてから向けていた剣を降ろした。

 

「相変わらずだな。生憎(あいにく)だが急いでいるんだ。わざわざ呼び止めた理由は何だ?」

「こっちに《災禍の鎧》が来ただろ。どこに行った? それと《スカーレット・レイン》がここにいたはずだ。ディザスターを追っている時に主砲の光が見えた」

 

 また凄い名前が出てきて、ゴウの情報処理能力は限界を迎えそうだった。

 スカーレット・レインとは、二代目赤の王その人の名前だ。レベルアップ・ボーナスの全てを遠距離火力の強化に費やし、出現座標から一歩も動かずに三十人もの敵を倒したという逸話から、《不動要塞(イモービル・フォートレス)》の二つ名を持つ、加速世界最強の遠距離攻撃を持つバーストリンカーである。

 

「……ディザスターは、あの小娘の砲撃を受けて逃走しているよ。私まで巻き込んだ一撃をまともに食らったからな。今、レインと……シルバー・クロウが追っている」

「おぉ、お前さんの《子》か。確かにあのディザスターの動きには《飛行》アビリティくらいでしか追いつけないな。──そうか。レインの嬢ちゃんから協力の依頼を受けたのか」

「その通りだ。我々ネガ・ネビュラスと赤の王は、《災禍の鎧》を手に入れ、不可侵協定を破って暴れるチェリー・ルークを断罪するべくここに来た。初めはディザスターを待ち伏せする為に《池袋サンシャインシティ》に向かっていたのだが、ここで《イエロー・レディオ》率いる黄のレギオンに奇襲を受けてな」

 

 不機嫌そうに事情を説明するロータスの口から更なる王の名が出てきて、大悟が怪訝そうに口を挟んだ。

 

「レディオだぁ? なんであの道化野郎がここに来る?」

「四代目ディザスター討伐の際、《鎧》を密かに手に入れていた彼奴(きゃつ)は、最近になってプロミネンスに属するチェリー・ルークに譲渡した。結果、停戦協定を破ったという名目で赤の王であるレインの首を狙ったのさ。それを阻止すべく戦う我々の元に、ディザスターがいきなり現れた。予定ではフィールド内部時間で二日は余裕があったのに、どうやら池袋駅に向かう電車の中でダイブしたらしい。レディオはディザスターに腹を貫かれてレギオンの連中と一緒に逃げていったよ、いい気味だ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてロータスは話を締めくくった。どうやら、ディザスターはここでの戦闘を嗅ぎ付けて、散々暴れていったようだ。

 そんなディザスターを断罪する為にレギオンマスターである赤の王と、三次元の機動力を持つシルバー・クロウが追跡している、とゴウは頭の中で情報を整理する。

 

「さて、こちらの事情は話したぞ。今度はそっちが話す番だ」

「あぁ、俺は《災禍の鎧》の復活を聞いてな。ヤマ張ってここにダイブしたらドンピシャ、戦闘の途中でこっちからの爆発音に惹きつけられたディザスターを追ってここに来たってわけよ」

 

 簡潔かつ軽い口調で話す大悟に、ロータスが呆れた様子で嘆息した。

 

「自分から《鎧》に近付くとは……それでそんなにボロボロなのか。……その連れはアウトローの新入りか?」

「あぁ俺の《子》、ダイヤモンド・オーガー。もうそろそろレベル5になるかならないかってとこだな。さっきは短時間だが、ディザスターとも真っ向からやり合ったんだぞ」

 

 大悟の言葉を受け、「ほう?」とロータスが観察するようにゴウへと視線を向ける。

 黒の王の視線を受けたゴウは、口内の水分が空になって舌が貼り付いてしまったかのように声が出ず、ロータスに向けて軽く会釈するのが精一杯だった。

 

「あのディザスターと正面切って戦える戦闘力が……さすがは《荒法師》の《子》だな」

「最初は俺がディザスターとの戦闘を見せる稽古のつもりだったんだが、不意を突かれてこいつが狙われてな。いやぁ、一時はどうなることかと──」

 

 その時、北の方角から大爆発が起き、三人は一斉に振り向いた。

 崩れゆく塔の中で、闇色の粒子が空に舞い上がるのがゴウにはかすかに見えた。あれは間違いなく《災禍の鎧》のものだ。

 

「……どうやら決着したようだ。私は向こうに行くが、お前達はどうする?」

「そうだな……帰るとしようかな。嬢ちゃんによろしく言っといてくれ」

「会わないのか? 以前プロミネンスの建て直しに手を貸していたそうじゃないか」

「久々に顔でも見ようかとも思ったが、やめだ。《親》を断罪する場に向かうのも野暮だろ。またな、《絶対切断(ワールド・エンド)》」

 

 くるりと(きびす)を返した大悟はひらひらとロータスに後ろ向きに手を振って、その場を離れ始めた。ゴウもロータスに一礼し、大悟の後に続いて歩き出す。

 すると、クレーターの方から、濃紺の装甲に大柄な体格のデュエルアバターが向かってくるのが見えた。

 確かネガ・ネビュラスの一員、《シアン・パイル》だとゴウは記憶している。どうやらクレーターで回っていた死亡マーカーの一つから復活したようだ。

 こちらを発見したパイルは身構えたが、大悟が親指をロータスの方に示すと、向こうとこちらを交互に見てから、警戒しながらもロータスの方へ向かっていった。

 

「黄色の連中も復活し始めているな……ここからさっさと離れるぞ。ここからだと池袋駅のポータルが近い。……いやぁ、しかし今日は疲れた」

 

 そう言いながら、大悟はぐっと腕と背筋を伸ばした。

 

 

 

 ポータルに向かう道中、ゴウは頭の中を整理するのに忙しく、無言で歩いていた。

 大悟にいきなり無制限中立フィールドへダイブするよう呼び出されたと思ったら、加速世界初期から存在する伝説の存在、クロム・ディザスターとの戦闘。

 その後、別の場所で黒のレギオンと赤の王が、黄色のレギオンに待ち伏せを受けて戦闘中に、ディザスターが襲来。

 そして、消耗から逃走を図ったディザスターを追跡の末、赤の王とシルバー・クロウが倒したらしいこと。

 この短時間で目まぐるしく状況が変わって困惑だらけのゴウであった。

 特に王と呼ばれる存在に対面したのは一番の衝撃だ。加速世界で数人しかいないレベル9のバーストリンカー。手負いであっても『全てを切り伏せる』と言わんばかりの威圧感を放っていた、黒の王ことブラック・ロータス。

 そして、そんな王とも平然と受け答えをしていた大悟。

 

「──あれこれ聞いてくると思ったのに、随分と静かだな」

「へっ? い、いえ、いろいろありすぎて軽くパニック状態ですよ」

 

 そんな自分を見て、大悟が肩を揺らして笑うので、ゴウは少しむくれる。

 

「笑わないでくださいよ……。だったら聞きますけど、師匠は王達と知り合いなんですか? 黒の王にも随分と親しい口振りでしたけど」

「んー? そうだなぁ、王なんて呼称も、奴らがレベル9になってからだしな。数度対面しただけの奴から、昔から対戦していた奴までいろいろだ。お前さんは随分ビビってたが、そう構えなくてもよかったんだぞ」

「そんな軽く言いますけど、黒の王に剣を……腕を? ともかく向けられた時のプレッシャーったら凄かったですよ」

「今でこそロータスも凄い奴だが、新米(ニュービー)時代は四肢の剣に攻撃力全振り状態で、とんでもなく打たれ弱かったんだ。昔は剣の腹を殴ったら簡単に砕けてな。ちょっと硬い板チョコみたいなもんだったな」

「板チョコって……」

 

 大悟のあんまりな例えに、ゴウは引きつった笑いしか出てこなかった。

 

「何が言いたいかってぇとな、今は王と呼ばれるようになったバーストリンカーだって、初めから敵無し、なんてことはまずない。スタートラインは俺もお前さんも王連中も、皆同じってことさ」

 

 さり気なく励ましてくれたらしい大悟の言葉に少し自信が出たゴウは、更に質問を続けた。

 

「師匠、さっき言っていた《親》を断罪って……ディザスター、いやチェリー・ルークは赤の王の……?」

「そうだ。チェリーは現赤の王スカーレット・レインの《親》だ。先週アウトローで俺がプロミネンスに一時加入した話を聞いただろ? その時のチームメンバーとしてレインとチェリーに初めて出会った。レインなんか、レベル3のヒヨコもいいとこだったな。原石みたいな素質は感じていたが、まさかとんとん拍子でそのままレベル9にまでなるなんて思いもしなかったなぁ」

 

 懐かしむ大悟の言葉に、どこか悲壮感が混じっているのは当然だろう。短期間とはいえ、共闘した仲間が加速世界から消えるのに思うところがないわけがない。

 身近なバーストリンカーで全損した者がいないゴウは、大悟にどんな言葉をかけていいか分からなかった。

 

「……チェリーが《鎧》に頼った理由はおおよその見当が付く。ハイレベルの壁にぶつかったんだろう」

「壁?」

「停戦協定の影響で、通常対戦で他レギオンのハイランカーと戦うのはほぼ無理。ここでエネミー狩りをするにしても、リスクの方がでかすぎる。そんな中で《鎧》の力に魅力を感じてもおかしくはない」

「じゃあ師匠は今回、チェリー・ルークは被害者だと──」

「いや、それは違う」

 

 大悟はぴしゃりと断言した。そこに議論の余地はないと言わんばかりの強い口調で。

 

「確かに奴の境遇にはある程度の同情の余地はあったし、動機も理解できなくはない。だとしても、《鎧》を装備することを選んだのは他ならぬチェリー自身。今回の騒動で全損した者、無残な倒され方をしてブレイン・バースト自体にトラウマを持った者もいるかもしれん。そいつらに対しての行いの責任もまた、チェリー自身に向けられる。良い機会だから覚えておけ。加速世界では閉鎖された空間故の弊害はあっても、逸脱して歪んだ力を許しはしない。その対象には、仮にも無法者(アウトロー)を名乗る俺達でさえも例外ではないと知れ」

 

 大悟の言っていることは、ゴウにも一応の理解はできた。ゲームとしてのルールを破っていなくても、マナーやモラル、暗黙の了解といったものは、このブレイン・バーストに限らずとも存在するということだ。

 だからこそ、ケジメをつける意味でも赤の王は、チェリー・ルークを加速世界から永久退場させるべく、断罪の実行に至ったのだろう。

 それを頭では分かっていても、ゴウは中々気持ちを飲み込むことはできなかった。《子》が《親》に引導を渡す。あるいは逆であっても、そんな結末はあんまりではないか。

 ゴウが顔を曇らせていると、大悟に背中を優しく叩かれた。

 

「……そう暗い顔をするな。さっき《鎧》のオーラが噴き出していたのが見えたろ? 多分、一時的にでもチェリーは正気に戻っただろうし、二人は最後の瞬間に話す時間も作れただろうよ」

「……はい。あ、そういえば、今度こそ《鎧》は消滅したんでしょうか?」

「多分な。今回の面子で隠し持とうなんて奴がいるとも考え辛い。まぁ、もしまた出てきたら今度は倒せるといいな」

「二度とごめんですよ! もう無我夢中だったんですからね!」

「はっはっはっ。そら、駅が見えたぞ」

 

 

 

 現実世界に戻ると、ゴウは制服姿のままベットに倒れこんだ。

 無制限中立フィールドにダイブしてここまで消耗したのは、初めてのダイブ以来だ。

 しばらく何も考えずにぼーっとしていると、大悟からのメールが届いた。内容は労いの言葉と明日のアウトローでの集まりで、今回《災禍の鎧》に関わったことは黙っておいてほしいという懇願だった。

 大悟は単独で《鎧》について調べていたと話していたし、アウトローの面々には何も言っていないのだろう。ゴウはメディックあたりに怒られるのを避けようと、コソコソする大悟の姿を想像して小さく噴き出してから、了解したことを大悟に返信した。

 ──それにしても、あの感覚は何だったんだろ……。

 ゴウはディザスターとの打ち合いでの集中力を思い出す。

 戦闘中はほとんど無意識だったが、いま思い出すとほとんど限界を超えて動いていた。あれだけ一つのことに意識を向けたのはブレイン・バーストでも現実でも初めてかもしれない。

 多分あれが実力以上の力を引き出せた状態なのだろうか、とゴウは漠然と考えていた。

 より実力が上の相手との戦いは、自分も一つ上のステージに引き上げられる。それが極限状態に近ければ近いほどになりやすいのではないかと。

 それを教える為に、大悟はディザスターの戦闘を自分に見せようとしたのだろうか。結局は自分自身が戦う羽目になったが、何かが掴めた気がするので結果的に良かった……のかも知れない。

 ──まだまだ僕は強くなれる、もっと上へと行けるんだ。

 随分前向きに考えるようになったな、とゴウは自分自身の考え方の変化に驚きつつも、それを嫌とは思わない。

 それからゴウは疲れを癒すように、母親に夕飯の時間だと叩き起こされるまで眠り続けた。

 余談になるが、翌日のアウトローの集まりでは案の定、《災禍の鎧》の話題が挙がった。

 事前に大悟に釘を刺された通りに黙っていたゴウだったが、その振る舞いを不振に思ったメンバー達にカマをかけられ、口を滑らしてしまう。

 問い詰められたゴウは口を止めるわけにはいかず、洗いざらい全てを話した後。

「また勝手に危ないことして!!」と怒り心頭のメディック渾身の右ストレートが、見事に大悟の顔面へと決まったのだった。

 

 

 

《災禍の鎧》騒動の数日後。

 大悟は地上より遥かに高い場所にいた。現実世界の高層ビルではない。無制限中立フィールドのとある場所にそびえ立つ、巨大な鉄柱とも、塔ともつかない物体をよじ登っているのだ。手足を掛ける所はあるにはあるが、非常に少ないスペースなので、いつ落下してもおかしくはない。

 遥か下方に存在する《繁華街》ステージの地上は、夜の闇を照らす無数のネオンやイルミネーションに彩られた光の海と化していた。大悟が今いる約三百メートルの高さであっても、同様の高度の高層ビルが空を照らし、自身の手元が充分に見えるほどの明るさだ。

《繁華街》ステージは建物内侵入禁止となっているが、この塔は現実世界では二〇三〇年代に観光スポットの役割を終えた、歴史的建造物として保存されている元電波塔、通称《旧東京タワー》に当たる。内部は立ち入り禁止でソーシャルカメラも設置されていないので、ソーシャルカメラの映像を基に形作られるブレイン・バーストでは、内部構造は元々生成されていないのだ。

 

「ふぅ……さて今日は──いたいた、ラッキー」

 

 三三三メートルの塔を登り切った大悟は少し息を整えてから、嬉しそうにひとりごちた。

 塔の天辺は人工物一色の《繁華街》ステージとは思えない空間が広がっている。

 直径二十メートルほどの円内には青々とした芝生が広がり、中央には小さな泉が水を(たた)えていて、さながら都会のビオトープといったところか。

 そんな庭園には一軒の小さな家が建っていた。真っ白な壁にはツタが這い、尖がった屋根は深緑色。草花に囲まれたメルヘンチックなコテージはお伽話に出てきてもおかしくはないデザインだ。

 芝生を歩く大悟は迷いのない足取りで家へと直行し、ドアを二回軽くノックした。

 すると、音もなくドアが開く。室内の明かりが大悟の目に入るが、扉の前には誰もいない。毎回のことなので気にも留めずに大悟はそのまま入ると、この家の家主へと挨拶をする。

 

「夜分に失礼。半年振りになるな、レイカー。いきなりで悪いが、茶の一杯でも貰えるかね?」

「あらこんばんは、法師さん。ちょっと待っていてくださいね」

 

 穏やかな声で応対した人物は、華奢な車椅子に乗ったF型のデュエルアバターだった。純白のワンピースと鍔広帽子を纏い、流体金属のような腰まで伸びた髪パーツは空色。

 水色の肌をした手を宙で動かすと、テーブルにティーセットが現れ、慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。

「どうぞ」と差し出されたカップを、大悟は椅子に座ってから手に取った。

 

「今日は景色を見てなかったんだな。百万ドルの夜景を独り占めしないのか?」

 

 顔を覆う頭巾の口元部分を下に引っ張り、湯気の立つ紅茶を一口飲んだ大悟の軽口に、車椅子の麗人はくすくすと笑った。

 

「さっきまで眺めていましたよ。《繁華街》ステージは久々でしたけど、長く見続けていると光で目がチカチカして疲れちゃうんですよね」

 

 大悟がこのプレイヤーホームを初めて訪れたのは二年ほど前。以前から大悟は、無制限中立フィールドにダイブしては東京中を巡り、高い塔や建造物を登るのがマイブームだった。その中でも景色をしばらく楽しんだ後、すぐにポータルからログアウトできる旧東京タワーはお気に入りで、発見してから大体一ヶ月に一回の頻度で今も訪れている。

 そんなある日、天辺まで登ると見慣れぬプレイヤーホームが出現していた。その所有者こそが、現在より二年半前に崩壊した黒のレギオン、ネガ・ネビュラスのサブマスターにして、《鉄腕》や《ICBM》などの通り名を持つ《スカイ・レイカー》その人だった。

 それまで対戦したことは何度もあったが、まさかこんな場所で再会するとは思いもよらず、この場所で初めて対面した時はお互いに面食らってしまったものだ。

 それから度々会っては話す仲になったものの、十回にも満たない回数しか会っていない。大悟は月に一回行くか行かないかくらいの頻度でしか訪れないし、特に再会の約束をしているわけでもないので、ダイブする時間がズレれば当然会えない。故にこうして会って話すことは、ほとんど偶然の産物だ。

 

「それにしても……毎回無茶をしますね。ほとんど壁と変わらないこの塔を身一つで登るなんて」

「僧だからな。修行の一環だよ。ここでお前さんと出会う前からの習慣みたいなもんだ」

「あなたみたいなハイランカーなら、どこのレギオンも欲しがるでしょうに」

「俺の居場所はもうある。仲間も《子》もいるしな」

「ダイヤモンド・オーガーだったかしら? うちのアッシュが褒めていたわ。『ブリリアントでストロングな奴だ』って」

「ほぉ、渋谷の髑髏(どくろ)ライダーが? そういえば少し前に対戦したとか言っていたか。それにしたってそのまんまな感想だな……。稽古の相手とかしてやってんのかい?」

「ここだとちょっと狭いから、通常対戦で何度か。まだまだ一本取られたりはしないわ。そっちは?」

「うちのもまだ負けはしないが、それでも着々と成長している。もっと伸びるよ、あいつは。……《子》の成長ってのに、こうも感慨深いものがあるなんて、《親》になるまで知らなかったよ」

「そうね。同感だわ」

 

 お茶請けに出されたクッキーをつまみながら、和装の法師と洋装の麗人という正反対な組み合わせの二人は雑談をしながら、ゆったりと時を過ごしていった。

 

「……何日か前、無制限フィールド(こっち)でロータスに会ったよ」

 

 やがて、大悟は黒の王と再会したことを切り出した。

 カップに口をつけていたレイカーは一瞬だけ停止してから、テーブルにカップを置く。

 

「そう……元気にしていましたか?」

「少しだけ印象が変わっていたな。昔はもっと尖っていたというか、生き急いでいるようだった。《子》を持って落ち着いたのかね」

 

 大悟はレイカーからわずかな動揺の気配を感じ取っていた。かつて仕えていた主であり友人ともいえる存在が、話に出てきたことだけが理由ではないことは分かっている。

 

「シルバー・クロウ。加速世界始まって以来初の完全飛行型アバターにして、黒の王ブラック・ロータスの《子》」

「……何が言いたいの?」

「二年半前に黒のレギオンは崩壊した。メモリーの情報じゃ、かの《帝城》に挑んだとか。──あぁ、否定も肯定もしなくていい。真相はともあれ、メンバーを新たに……とはいっても三人だけだが、再度レギオンが復活したのにお前さんは戻らないのか? ロータスにも、お前さんが求めて止まなかったものを持つシルバー・クロウにも会いたいだろうに」

「今更……どう戻れと言うんですか。加速世界で育んだ絆も、サブマスターの責任も放棄してまで空に近付くことを渇望し、それ以外を捨てたこの私に」

 

 レイカーは車椅子を操作し、自分の足元が大悟に見える位置に移動してから、ドレスの裾を(まく)り上げる。傷一つ無い滑らかな大腿部には、膝の球体関節から下が存在していなかった。

 大悟はその理由を知っている。彼女が加速世界の重力を断ち切るべく、強力な武器でもあった両脚さえも捨てることを望み、それを己の主に無理に頼んで切断してもらったことを。

 

「当事者でもない俺がこんなことを言うのも筋違いだろうが、お前さんもロータスも、己を責め過ぎている。二人とも本当はとっくの昔に相手を許していると、お互いが一番よく分かっているだろうに」

「仮に……仮に彼女が私を許していたとしても、私は許せない……自分を。今も両脚が戻らないのは、私の中に未だ空を求めた狂気が残っている証である他ありません」

 

 レイカーは茜色のアイレンズを潤ませながら、両手でドレスの裾を強く握り締める。そうしていないと、堰き止めている物が溢れてしまうと言わんばかりに。

 

「……過ぎたことを忘れろとは言わない。ただしそれを飲み込んで消化するにせよ、抱え続けるにせよ、前を向ける奴が本当に強い奴だと俺は思っている」

 

 現実世界の如月大悟よりも、遥かに長い時をアイオライト・ボンズとして加速世界で生きてきた男は、その重ねてきた時を感じさせる口調で言い放った。

 両手をドレスから離して俯くレイカーを横目に、大悟は椅子から立ち上がる。

 

「今は無理でも、少しのきっかけや誰かに手を借りて乗り越えられることもある。もっとも、その役目は俺じゃないがね。お茶と茶菓子、ご馳走さん。縁があったらまた会おう」

 

 そのまま家から出た大悟は扉を閉め、泉の中央部に存在するポータルへと向かいながら、夜空を見上げる。やや上方には謎の文字を表示した電光板を付けた飛行船が飛んでいた。

 ──もうちっと他に言い方があったかもな。……どうも俺は説教じみていけない。

 大悟は少し唸って頭を掻いた。友人の悲しむ姿を見るのは胸が痛むが、ここで燻り続けるには惜しい存在だ。ただし今回はそれを差し引いても、彼女の過去に無作法に踏み込んでしまったことは否めないが。レギオンについての話を持ち出したのも、今日が初めてのことだ。

 振り返って家の方を向くと、この位置からは窓が見えないので、当然レイカーの姿も見えなかった。

 

「《超空の流星(ストラト・シューター)》……お前さんなら、きっと飛び越えられるさ」

 

 大悟は自分にだけ聞こえる声量で呟いてから、ポータルへと足を踏み入れた。

 

 

 

 これ以降、大悟とスカイ・レイカーがこの場所で出会う機会は二度と訪れなかった。

 やがて一羽の鴉がこの庭園に導かれ、下界を見晴らしていた彼女を連れ出すのは、これより数ヶ月先の話である。

 

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