アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第十八話
第十八話 雨降り帰り道
六月に入ってから連日続きの雨に、傘を差すゴウはうんざりしながら帰宅路を歩いていた。靴の中にじんわりと沁みてきている水が、不快なことこの上ない。しかも、最近になってゴウは成長痛が始まっていて、雨の日はいっそうに関節がシクシクと痛むのだ。雨の日に傷が疼くというのは本当らしい(この痛みは成長痛だが)。
梅雨前線も毎年じゃなくて、何年かに一度の頻度で発生すればいいのに、という益体のない思考をかき消して、ゴウは四季よりも更に多種多様な景色を見せる加速世界について考える。
木々生い茂る原始林、巨岩立ち並ぶ荒野、しんしんと降り積もる氷雪、機械群が稼動し続ける工場、静寂の夜に浮かぶ月光──。
それ以外にも様々な景色を加速世界で見てきたゴウがバーストリンカーとなってから、早くも一年以上経過していた。生活サイクルにもブレイン・バーストが組み込まれて久しい。
大悟が今年の三月に中学校を卒業し、高校一年生になったことで、通っている中学校に所属するバーストリンカーは、進級して中学二年生のゴウ一人となった。
新一年生にもバーストリンカーはおらず、安堵したような残念なような奇妙な気分ではあったが、進級前と変わらないものの、平日の登下校には通常フィールドでの対戦、休日は無制限中立フィールドでアウトローの仲間とエネミー狩りやホームでの談話など、自分としては中々に充実した日々を過ごしていると思っている。
だが、もしもバーストポイントがゼロになって、加速世界から永久退場した場合、自分は一体どうなってしまうのだろうか。
ゴウは以前レベル4になってしばらく経ってから、大悟にブレイン・バーストを全損したプレイヤーが一体どう生活しているのか、質問をしたことがあった。日常の一部、ともすれば生き甲斐にまでなっていたものが喪失した場合、どうなるのかが想像できなかったからだ。
しばらく迷っていた大悟が語って聞かせた内容は、衝撃的かつ信じられないものだった。
──『ポイントを全損したバーストリンカーは、ブレイン・バーストをアンインストールされる。……そして、同時に加速世界にまつわる記憶を全て失う』
始めは冗談かと思ってしまったが、大悟の神妙な面持ちが嘘ではないと証明していた。
現実で面識のある全損したバーストリンカーと話したことで実際に分かった事実、と大悟は話してくれた。それまでも『記憶を消される』という噂事体は聞いていたものの、いざ直面したら頭の中が真っ白になったとも。
この話を聞いてしばらく悩んだゴウだったが、ブレイン・バーストを行う上でのリスクの一つとして、半ば無理やり納得することにした。《加速》という常軌を逸した技術の恩恵を受けている代償なのだと。
それでもレベル5になった今でも頭の片隅に、ふと浮かんでしまう時がある。ブレイン・バーストを失った自分は、以前の自分に逆戻りしてしまうのではないかと。
ゴウはそんな考えを追い払うように、ぶんぶんと首を振る。たらればの話をしていても仕方ない。そのプレッシャーで負けが込んだら、それこそ本末転倒だ。
ゴウは気持ちを切り替える為に、一丁対戦でもしようと思い立ち、グローバル接続を開始した数秒後。
バシイイイッ! と加速を知らせる効果音が耳を叩く。どうもリストに出た自分を見た誰かが、いきなり対戦を申し込んできたようだ。
暗闇に浮かび上がる【HERE COME NEW CHALLENGER!!】の文字を見て、ゴウはすぐに戦闘態勢へと意識を切り替えた。
視界が戻り、足が地面に着いたことを感じたゴウは、まず《乱入》した相手を確認すると《Citron Frog》の文字が目に付いた。
《シトロン・フロッグ》。最近レベル4になったバーストリンカーで、何度か対戦したこともあるし、ギャラリー登録をしている者の一人だ。そして、ゴウにとっては中々戦い辛い戦法をする相手でもある。
ガイドカーソルが消えるまで警戒しながら歩いていたが、フロッグの姿は見えない。おそらくは建物の陰に身を隠しているのだろう。更に慎重に歩を進めていると、突如横から緑色をした蔓のような触手が一本、ゴウの首へと巻き付いた。
「ぐっ……」
この触手が何なのかゴウは知っている。いや、そもそもこれは──。
急いで首に手を近付けるが、その前に巻き付いた触手がグンッとゴウを引っ張り、金属パイプを組み合わせた建物へぶつかる直前に離れる。引っ張られたゴウは慣性の法則には逆らえず、そのまま建物に頭から突っ込んだ。衝撃で頭にちかちかと星が光るが、頭を振って緑色の触手の方へと振り向く。
しゅるしゅると縮んでいく触手の根元は宙に浮かんでいて、根元に戻りきるとパクンと音を立てると同時に、対戦相手の顔が宙に浮かび上がった。
「ケホッ……それは新しいアビリティ?」
「へへ、そうだよ。奇襲にはもってこいだろ?」
咳き込むゴウの質問に、対戦相手のシトロン・フロッグが姿を現しながら答えた。
彼はフロッグ、つまりはカエルがモチーフの黄緑色を基調としたM型アバターだ。額の両端に当たる部分には大きなアイレンズが二つ、頬までぱっくり広がるこれまた大きな口をした、愛嬌のあるアマガエルのような頭部が特徴的だ。そして、触手の正体はフロッグの口から伸びる舌である。
それはもちろんゴウも知っていたが、襲撃時に視界には舌だけしか見えず、そこに繋がっているはずの頭が確認できなかった。おそらくは新たに取得した保護色の類のアビリティで、動くと姿が見えてしまうのだろうとゴウは推測する。
自由に透明になれるのなら、後ろから迫った方が有効なのに、わざわざ歩いていた自分を待ち伏せ、攻撃範囲に入ってから仕掛けたのがいい証拠だ。ファーストアタック、又は本体が完全に視界から外れなければ問題はない、とゴウは判断付けた。
「伸びる舌に、保護色。カメレオンに改名した方が良いんじゃない──のっ」
ゴウは距離を詰めようと、フロッグめがけて走り出した。
「いやいや、カメレオンにはこんなのできないだろ!」
迫るゴウに対して、フロッグはぐっと両足を曲げると、前方へ一気に跳躍してゴウへと飛びかかった。カエルならではのジャンプ力は、格闘戦では強力な武器となる。
飛び蹴りを浴びせにかかるフロッグの右足を、ゴウは左腕の上段受けで防いだ。右足を引いて地面を強く踏むことで蹴りの衝撃を受け切ったゴウは、空いた右手でフロッグの足を掴みにかかる。
それを読んでいたフロッグは、足を受け止めているゴウの左腕を足場にして跳躍、宙返りを決めて地面へと着地した。
単純な格闘戦ならゴウに軍配が上がるものの、跳躍による立体的な戦法を得意とするフロッグはかなり戦い辛い。しかも以前の対戦で、ゴウに掴まれてからの密着状態で一気に勝負を着けられたことで警戒しているらしく、接近するのを極力避けるようになっていた。更にまずいのは、フロッグは不利な相手との対戦の際、自分の体力が相手より残っていた場合、ある程度対戦時間が経過すると逃げの一手を決め込むのだ。
こういった戦法には正々堂々と戦えと野次を飛ばす者もいるが、ゴウとしては真正面から戦って敵わない相手に突撃するよりも、よっぽど有効な戦略だと思っている。そもそも口で言うほど簡単な戦法でもない。邪魔をされずにオブジェクトを破壊した相手がゲージを溜めた後に必殺技を放つ可能性も、時間がかかる戦法を使わせるリスクも充分にあるからだ。
それからはフロッグから攻撃を仕掛け、ゴウがそれに対応するという地味な展開が続き、その中で少しずつ両者の必殺技ゲージも溜まっていく。
残り時間が十五分を切り、先に均衡を崩したのはフロッグだった。
「《ジェリーズ・ボム》!」
その場で真上に高く跳んだフロッグの両手に一つずつ、水風船のような丸い物体が召喚され、二つの球体を素早くゴウの足元へと放つ。ゴウが避ける間もなく地面にぶつかった球体は一気に弾け、着弾範囲の地面五メートル近くを黄緑の液体が広がった。
この支援、妨害系の必殺技は直接的な攻撃力がないものの、とても滑りやすい潤滑液で非常に厄介な代物だった。走ろうものなら足が滑って一歩目で転ぶのは確実で、ゆっくりと歩くか、四つん這いで移動して水溜りから離れなければならないのだが、当然ながらフロッグがそれを簡単に許しはしない。
フロッグが素早く舌を伸ばして、ゴウの踝へと鞭のようにしならせて打つと、ゴウは踏ん張りも効かず、前に出した手も水溜りに着いた瞬間に滑って、顔面から前方に思いきり倒れ転んだ。
「うぶっ! ──ぐあっ!?」
ゴウの顔に潤滑液がまとわり付く中、フロッグがゴウの背中に舌を打ち付ける。装甲が衝撃を防ぐも、ダメージはゼロではない。
じわじわと体力が削れていく中、これ以上やられっ放しになるものかと、ゴウは転げながら水溜りから脱出した。幸いこの液体は水気が強いので、払い落とすこと自体は比較的容易だ。
「はぁ、はぁ……。今度はこっちの──あれ?」
立ち上がると、フロッグの姿が見えない。ゴウが慌てて周りを見渡すと、フロッグが建物の角へと消える姿が見えた。
「逃げろ逃げろー」
「追っかけないと負けちまうぞー!」
屋上に立つギャラリー達が笑いながら
こちらの体力は先の戦闘と今の攻撃で残り六割。対してフロッグの体力は七割強を残している。このまま時間一杯まで逃げ通す気らしいが、そうはいかない。
「このぉ……待て!」
ゴウはフロッグの逃げた方へと駆け出し、しばらくするとフロッグの走る姿が見えた。
彼は先程の保護色や舌を伸ばす他にも、手足の先を壁に張り付かせる《壁面移動》系アビリティを持っている。それを使わないのは、必殺技の使用によってゲージが残り少ないからだ。ゴウの知る限り、フロッグの持つアビリティは全て限定発動型なので、多用すれば当然必殺技ゲージの消費が激しく、ここぞというときの為に温存しているのだろう。
この機を逃すまいとゴウは必殺技を発動した。
「《ランブル・ホーン》!」
途端にゴウの両足が一回りほど逞しくなり、走る速度が一気に上がる。更に頭の角が五十センチ近くも伸びた。
《ランブル・ホーン》はレベル5のレベルアップ・ボーナスで取得した必殺技で、一時的な脚力強化と角の伸張によって行う突進技だ。直撃すればレベル1の必殺技である《アダマント・ナックル》よりも威力は遥かに高い。
牡牛のように角を突き出して追いかけるゴウにフロッグは気付くと、跳躍と同時に建物の壁に貼り付いた。
「逃がす……かぁ!」
ゴウは進路を変更して、フロッグの張り付いている建物にそのまま激突した。建物は支柱をゴウにぶち抜かれたことで、全体が震えて倒壊を始める。
「はぁ!? わっわっわっ、あ~~~!」
「よし、これで──ふっ!」
驚きと共に足場を失い落下していくフロッグ。ゴウは崩壊した建物から、金属パイプを拾い上げると、落下してきたフロッグに──ではなく、真上の黒雲広がる空へと投げつけた。
今回のステージは《轟雷》。黒雲の中では縦横無尽に雷が飛び交っている。この雷雲を利用する方法をゴウはアウトローから聞いたことがあった。それは金属オブジェクトを空に放り上げることで落雷を意図的に引き起こし、誘導させるというものだ。
ゴウの《剛力》アビリティの膂力によって空高く投げられた金属パイプめがけ、稲妻が獲物を狙う蛇のように、雷鳴と共に空から地面に何本も降り注いだ。
「あばばばばばばばばばば!!」
稲妻の直撃を受けたフロッグは悲鳴を上げると同時に、体力が一気に削れる。落雷が収まると、ゴウは感電によるスタン状態のフロッグの下へと歩いていき、目の前で立ち止まった。
「お、おまへ、なんれ、うおけんら?」
「ダイヤモンドは電気を通さないんだ。一応ね」
落雷を受けてろれつの回らないフロッグの質問にゴウは答えた。
詳しい原理はゴウにも理解できていないが、ダイヤモンドは結晶中に不対電子なるものが存在しないので、電気を通さない絶縁体らしい。その特性はダイヤモンド・オーガーにも適応されているようで、電撃系統の技にはめっぽう強いのだ。さすがに規模の大きくなるほど無傷とはいかなくなるが、今のフロッグのようなスタン状態にはそうそうならない。
ようやく捕えたカエルアバターを見ながら、ポキポキと指を鳴らすゴウ。
逃げ回る戦法を卑怯とは言わない。だが、やられるこちらとしてはフラストレーションが溜まるのが否めないのも、また事実なのだ。
「ま、まへ……」
「待つかぁ!」
ゴウの目の前に【YOU WIN!!】の文字が出たのは、わずか十数秒後のことだった。
「ふー、勝った勝った」
とりあえず一勝したのに満足したゴウは、今までいた《轟雷》ステージの黒雲よりは色の薄い雨雲を眺めながら、足を進める。
もう五分もすれば自宅に着く距離まで歩いていると、メールが一件届いた。宛先は《outlaw IM》と表示されている。
「メモリーさん? なんだろ……」
IMとはアウトローのメンバー、インク・メモリーのイニシャルだ。アウトローではメンバー間でアドレスを交換しているので、時々こうして連絡が来ることがある。
基本的にリアルを知らないバーストリンカーに連絡先を教えるのはリアル割れのリスクに繋がる為、極力避けるのがセオリーとなっているが、アウトローではそこは各々を信頼することにして、アドレスを教え合っている。
ちなみに、今まで他のバーストリンカーに情報が流出したことはないが、万が一情報を売るような裏切り者がいた場合は、メンバーの総力を挙げてその者を全損に追い込むことになっている──らしい。
ともかくゴウは送られてきたメールの内容を確認すべく、仮想デスクをタップする。
【《メンバー全員に通達》
六月九日(日)より《ヘルメス・コード》よりレースイベントが開催される模様。
選手枠は全て埋まったらしいが、観戦用のトランスポーターを入手。
詳細は土曜日に説明する。来られない者にはその日の夜にメールにて説明する。 以上】
簡素な箇条書きでまとめたメール文には、聞き慣れない単語がちらほら見られた。とりあえず土曜日の集会までに、いくらか自習しておこうと思ったゴウだったが──。
バシャァン!
メールの内容に気を取られ、足元にまで注意が向かなかったゴウは、歩道端の水溜りに右足を思い切り突っ込んでしまった。
「あーあー……。とりあえず風呂に入ってから考えるか……」
さっきの対戦でもネトネトした潤滑液まみれになるし、今日は水難の相でも出ているのだろうかと考えつつ、ゴウは自宅へと急いだ。