アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第二話 別世界への鍵
二日後。
ゴウは一昨日の学校帰りに男と出会った公園入口に向かっていた。
この二日間の記憶は振り返ろうとすると曖昧で、頭の中には男との会話がずっと居座っている。
一体彼は何をしたいのか、自分なんかの何に興味を持ったのか、いくら考えても答えは出ず、思考は何度も堂々巡りを繰り返していた。
やがて公園の入口が見えてくると、すでにあの男が入口に立っていた。二日前と同じ制服姿で、首には真新しい、しかし色は以前と同じネイビーブルーのニューロリンカーも装着されている。何やら仮想のデスクトップをいじっているらしく、宙に指を走らせていて、こちらにはまだ気付いていない。
やはり帰ろうか。向こうも来なかったら帰ると言っていたし、二日前のことは忘れていつもの日常に戻って……と今更ながらにゴウは怖気付く。
「よぉ、悪いな。わざわざ来てもらって」
「ひっ!?」
どうしたものかとその場をウロウロしていると、いつの間にかゴウの目の前にいた男に挨拶をされる。ゴウは硬直してしまうが、小さく「いいえ……」とだけ答えた。
あまりに萎縮するゴウを見て、苦笑する男。
「そう構えるない。ちょっと腰を落ち着けて話したいんだが、どうだ?」
「えっ……? は、はい、だ、大丈夫です」
じゃあこっちに、と男に促され、ゴウは男の後ろを付いていく。
しばらく歩いた二人は、駅前の喫茶店へと入った。席に着いたゴウは店内を見渡す。
平日だが放課後で駅前ということもあってか、スーツ姿で何やら仮想デスクを操作している大人以外にも、自分達のように学校帰りの学生客の姿もちらほらと見える。
「何を頼む? わざわざ来てもらったし奢るぞ」
「いっ、いえ、大丈夫です。自分の分は自分で払いますから」
ゴウなりの丁重な断りに、男は特に気にもせずに「そうか?」とだけ言うと、素早く店のホロメニューを開いて注文をする。
それに続きゴウも注文を終えてから間を置いて、男が口を開く。
「そういや、お互い名前も知らないんだったな。これ、ネームタグ。ほれ、お前さんも」
男が指を動かすと、ゴウの目の前に簡単な名刺の代わりとなるネームタグが表示された。
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つまり、如月という名前のこの男は制服の通り、やはりゴウと同じ学校に所属する生徒で、現在中学三年生だと証明されたということだ。
ゴウも同様にネームタグを如月へと送る。
「ミドウ ゴウか……。苗字も名前も中々に渋いな。まぁ、それはいいか。ところで、会った時に聞くべきだったんだがゴウ君よ。お前さん、ニューロリンカーを生まれてすぐに装着して生活していたか?」
予想もしていなかった質問をされたゴウは、如月の意図がさっぱり分からなかった。そんなこと聞いて一体何になるというのか。
如月はゴウの答えを待つようにこちらをじっと見つめている。その表情はどこか切迫しているようだった。
「えーと、確か生後三ヶ月にはもう着けていたとか親が言っていたような……。でもそれがどうかしたんですか?」
ゴウの両親は乳児の頃からゴウにニューロリンカーを装着させ、知育ソフトによる早期教育を施していた。そのおかげかはともかく、成績が少なくとも平均を下回ることは今までなかったが、ゴウのように乳児時代からニューロリンカーを装着する家庭は、特別珍しくもない。
そんなゴウの答えに、如月はほっとしたような安堵の表情を見せた。
「そうかよかった……いやぁ、ほぼ無駄足になるとこだった。ニューロリンカー壊した意味も一応あったな」
「あっ、あの、聞きたかったんですけど、どうしてあの時その……あの人達に見つかってからすぐにあそこから離れなかったんですか? い、いえ、もちろん助けてもらって感謝しているんですけど……。そもそもどうして僕を助けてくれたんですか? 自分のニューロリンカーを……その……」
壊してまで、とゴウが言おうとすると、丁度注文した飲み物が運ばれてきた。
テーブルに飲み物を置いた店員が離れてから、如月が苦笑する。
「質問だらけだな……それもそうか。それじゃ飲みながら順に答えていこうか」
如月は自分の注文したクリームソーダを一度ストローですすると、アイスをスプーンですくい、ちびちびと食べ始めた。
その風貌とかけ離れた様子を見て、ゴウは似合わないと思ってしまうが、もちろん口には出せないので、自分も注文したアイスコーヒーにミルクとガムシロップを混ぜてから、ストローで一口飲むと、如月が話を切り出した。
「俺だって別にな、目に付いた人間を誰彼構わず助けはしない。聖人でもあるまいし。でもあいつら──お前さんに絡んでいた奴らな、最近あの辺で年下とかをカモにして、たかっている学生達がいるって聞いたもんだから……。全く、ソーシャルカメラがそこら中にあるのによくやるよな」
十数年前から普及し始めた《ソーシャルセキュリティ・サーベイランス・カメラ》。通称ソーシャルカメラとは、十数年前から日本全国に取り付けられ始め、今では屋内外問わず設置されている監視カメラのことだ。これの普及により犯罪率の激減、治安の向上につながったと、ゴウも小さい頃から学校の授業やテレビなど、様々なもので目に耳にしてきた。
それでも犯罪自体が消えたわけではなく、カメラの死角や抜け道を探す者も存在する。あの不良達も何らかの違法アプリを使って穴場を探していたかもしれないと、あの後ゴウ自身も推測していた。
「それでここ何日か、あの辺りで人気の少ない場所をしらみ潰しに回っていたら、それっぽい集団を見つけてよ。様子を見ていたら一人がトイレに入って、残りもゾロゾロ入っていったから確信した。あぁこいつらだなって。そしたら案の定だ」
「なるほど……。で、でも何でニューロリンカーを壊したんですか? そんなことまでしなくても……」
そこだけはいくら考えても分からなかった。ニューロリンカーのコアチップの移植は、役所か政府公認のショップに限られる。仮に予備の端末を所持していたとしても、コアチップが無ければ起動もできないし、一日でもグローバルネットどころか、ローカルネットに接続ができない環境というのは、幼児でさえニューロリンカーを所持している現代社会においてかなり不便だろう。
戸惑うゴウに対し、如月はさして気にしてもいない様子で、アイスとソーダを混ぜながら続ける。
「そうだな、あいつらがもっとガタイが良い奴らだったら、お前さんの言う通り証拠を撮ってすぐにその場を離れていたかもしれない。ただ、あんなイキがっているだけのヒョロっちい四人程度なら、ぶん殴って言うこと聞かせることもできた。でも暴力はなぁ……殴ったら逆に俺が警察の世話になるかもしれないし、そんなの釈然としないだろ? だから脅しも意味も込めて、ニューロリンカーをこう……めきっとしたわけよ。あの手合いはな、自分が危険に晒されるかもって思うとすぐに弱腰になる。自分達は簡単に人を傷付けようとするくせにだぜ?」
小馬鹿にしたように言いながら、ストローに口をつける如月。
確かに不良達は自分達より体格が良く、怖そうな(ゴウ主観)如月が現れて、明らかに怯んでいたし、トイレから出ていく時はわずかに手が震えていたのを、ゴウは見逃さなかった。
結果的にカツアゲも喧嘩も起きず、一応は穏便に解決したことになると言えばなる。とんでもない力技だったが。
対して、ゴウにはそんなことを考える頭も行動力もなかった。二年後に現在の如月と同じ年齢になったとしても、自分にできるとはとてもじゃないが考えられない。
「凄いですね、如月さんは……。僕にはとても真似できないです……」
ゴウはその声に自分でも分かるくらい、卑屈さが混じっていたことに気付いて俯いた。
「自分が嫌いか? 会った時にも言ったが、あの時のお前さんは良い眼をしていた。理不尽に対して屈しない、負けたくないという強い意志、大げさに言えば闘志を俺は感じたんだ。……と急に言われても分からないか」
またもゴウの心を見透かしているかのような口振りの如月。
「さて、ここからが本題。お前さんが望むなら『別の世界へ行ける鍵』を渡すことが俺にはできるかもしれない、と言ったらどうする?」
「別の……世界?」
ゴウが首を傾げていると、如月は若干小声になりながら、一本のXSBケーブルを鞄から取り出した。
「そうだ。俺がとあるアプリをお前さんに送れば、お前さんは別の世界に行けるようになる……かもしれない。ただし、直結で渡さないといけなくてな。本当は会った時に渡したかったんだが、ニューロリンカー壊しちまったし」
《優先直結通信》。略して直結は基本的に、家族等の親しい者、信頼する者としか行うことはない。直結によってネットワークの何重ものセキュリティ、そのおよそ九割は突破できてしまうからだ。やろうと思えば、直結相手のニューロリンカーに、悪意あるプログラムやハッキングを仕掛けることさえも可能になる上に、如月は正体不明のアプリを送るとまで明言している。
断って当然の場面だが、ゴウは迷っていた。未だに如月の目的は分からないが、彼から悪意を一切感じられないのが理由の一つ。もう一つは《別の世界》という言葉に何故だか強く惹かれるからだ。今を逃せばそこにはもう行くことができなくなってしまうような、そんな予感がした。
「……もしもそのアプリをインストールしたら、僕も強くなれますか? あなたみたいに」
「御堂ゴウは御堂ゴウでしかないし、如月大悟は如月大悟だ。ある意味強くなれば弱くもなる、とだけ言っておく。さぁ、どうする?」
如月はゴウの質問を意味深かつ、にべも無く返してから、ケーブルの片方の端子を自分のニューロリンカーに挿し、もう片方をゴウ側のテーブルに置いた。
置かれたケーブルを、ゴウはじっと見ながら考える。
やせぎすな体、大して印象に残らない冴えない容姿、おまけに妙に頑固で、自分からはほとんど人に歩み寄らず、そんな自分を変える力も無ければ努力もしない。考えれば考えるほどに、自分のことが嫌になっていく。しかし、それでも。
──これが何か自分が変わるきっかけになるのなら、リスクを侵す価値がきっとある。
迷いを振り払い、ゴウはケーブルの端子を自分のニューロリンカーへと挿入した。
目の前に直結についての仮想の警告文が発生し、すぐに消滅する。
『思考発声はできるか? これからの話を口に出すのはあまりよろしくない』
『はい、できま──話を聞かれたらまずいんですか?』
如月の台詞に、覚悟を決めたはずのゴウは体が固まる。
──やっぱりヤバいものなのかな、というか『別の世界』って元の生活には戻れない的なことなんじゃ……。
早くもゴウが尻込みしていると、視界に【BB2039.Exe.を実行しますか? YES/NO】というアプリダウンロード確認のメッセージが表示された。
如月は何も言わず、じっとこちらを見ている。
そんな視線に急かされるように、ゴウはほんの一瞬だけためらってから、聞いたこともないアプリのダウンロードのYESボタンにそっと触れた。
すると、視界一面が巨大な炎に包まれた。炎のあまりのリアリティに、ゴウは驚いて仰け反ってしまう。
やがて炎が密集し、作り出されたタイトルロゴはこう読めた。
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こうしてゴウはもう一つの世界、《加速世界》への最初の一歩を踏み出したのだった。