アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第二十一話 レース閉幕
今やレースイベントは、阿鼻叫喚の地獄のような有様になっていた。ジグソーから発された赤い光が爆発的に膨らみ、その領域に入ったあらゆる物体を錆び付かせ、破壊していったからだ。
光の範囲内に入ったスチールグレーのタワーが、赤錆に包まれながら亀裂が走り、所々に巨大なクレーターのような陥没を作り出す。
タワーを走っていたシャトルも影響を免れず、三台のシャトルが光の中に入ってしまい、あっという間に錆びだらけになる。だが、事態はそれだけでは済まなかった。
光は体力ゲージが固定されているはずの乗員達にまで影響を及ぼし、乗員達の体をボロボロと朽ちさせていく。崩壊するシャトルと共に悲鳴を上げて落下していく彼らの姿を、しっかりと見てしまったゴウはあまりに残酷な光景に吐き気を催しそうになる。
更に破滅の光はゴウ達の隣に浮いていた観客スタンドへと伸びて、呑み込んでいった。底部にヒビがいくつも走り、外板が剥がれていく。やがて、百人を超える観客の乗ったスタンドが呆気なく崩壊した。観客達はレース参加者同様に、なすすべもなく全身を崩壊させながら落下し、姿が見えなくなっていく。
幸いゴウ達のスタンドは光の範囲内には入っていないが、それでも隣のスタンドの末路を目の当たりにした観客達は集団パニックに陥った。
言葉にならない悲鳴を上げてスタンドを走る者、顔を覆って何かを呟く者、リアクションは様々だが恐怖が伝染し、そのほとんどが我を忘れているようだった。
「《空間侵食》……とんでもないことしやがる。──コング、使うなよ?」
「でもよ! このままじゃ、このスタンドまでアレの範囲に入るのは時間の問題だぜ!?」
事の有様を目の当たりにして低く唸った大悟が、コングの方へ振り向いて何やら諭しているが、ゴウには何の話なのか分からない。
「いいか、全員よく聞けよ。たとえこのままスタンドと一緒に崩壊していっても《心意システム》は使うな。パニック起こしている奴らが勘違いして、襲いかかってってくるとも分からん」
「師匠、心意システムって……?」
ゴウの問いに何故だか躊躇を見せる大悟は、未だに猛威を振るう赤い光を一瞥すると、大きく深呼吸してからゴウの方へと向き直った。
「詳しい話は今度教える。まず赤錆野郎が発動しているのは空間侵食の心意技と言ってな。心意技の中でも最悪の部類に入る。だがここまでの広範囲、高威力で長時間発動させ続けるなんて──」
「皆、あれ見て!」
メディックが指差すタワーの方を見ると、ジグソーの発する赤い光の中に別の色の光が発生していた。
それは空色の光を帯びた旋風。渦巻く風がネガ・ネビュラスのシャトルを包み込み、その影響なのかシャトルは崩壊せずに未だに走り続けているのだ。
それでも徐々に減速していく銀のシャトルを、ジグソーの乗る錆びたシャトルが追い越していった。前方には障害物となるアンテナが立ち並んでいるが、ジグソーは錆びていくそれらを意にも介さず直進し、砕き散らしていく。
観客スタンドは先頭のシャトルと同期しているので、どんどん銀のシャトルから離れ、錆びたシャトルがゴールへと突き進んでいく光景を見せつけられる形になっていた。
「このまま、何もできないのか……」
ゴウは思わず呟いていた。
──いきなりレースを滅茶苦茶にした奴が優勝して、優勝賞品もかっさらっていく。それは『正しい』のか? いや、そんなことは間違っている。許されることじゃない……絶対に──。
「──ガー! おい、オーガー!!」
はっと我に返ると、ゴウは大悟に肩を揺さぶられていた。大悟の手に込められた力は強く、食い入るようにこちらを見ていて、そのアイレンズにはどこか警戒の色を感じる。他のメンバー達も心配そうにゴウを見つめていた。
「し、師匠? 何ですか?」
「お前さん、何をした? いや、何をしようとした?」
「え? ぼ、僕は何も……」
ほとんど睨むような視線をゴウに向けていた大悟は、やがて表情を少し和らげ、肩を掴んでいた手も離した。
「……そうか、ならいい。いきなり悪かったな」
「皆さん、あれを! シルバー・クロウが……」
リキュールの声にゴウを含めたメンバーが、ジグソーのシャトルに追い縋ろうと飛翔しているシルバー・クロウへ視線を向ける。
銀色に輝いていたはずの金属フィンで構成されていた翼は、赤い光の中を突き進んでいることで、根元から剥離して今やほとんど残っていなかった。それでも何とかシャトルのリアを掴み、力づくで後席に飛び込む。
ここでクロウに気付いたジグソーが振り向くも、クロウの右手が銀色の光を帯びて剣の形を取り、ジグソーの胸部装甲の中央を狙った。だが──。
「ああっ……!」
ゴウには今の悲鳴が自分から出たのか、他の誰かから出たのか分からなかった。全身を錆びに侵されていたクロウの右手が、肘からあっけなく砕け落ちたのだ。
ジグソーが右腕から伸びる突起を、倒れ込むクロウの左脇に引っ掛けて支える形となるが、どう考えてもクロウを労わっての行為とは思えない。
ジグソーがアクセルから足を離したことでシャトルは減速し、同時に赤い光が収まっていく。シャトルは垂直状態で完全に停止していても、タワーとの間に引力が働いているようで落下はしなかった。
やがて、クロウの左腕がジグソーの右腕の突起によって切断された。
「
キルンが呻く中、ジグソーは両腕を失ってぐったりしているクロウを、糸鋸が付いた両腕の突起を首にクロスさせて吊り上げていた。そのまま首を切断するつもりなのだろう。
「ひどい……こんなのもう嬲り殺しじゃないか」
悲痛な声を上げるゴウだったが、空間侵食なる光が消え、パニックの収まり始めた観客の中にはゴウとは異なる意見を持つ者もいた。
「あいつ、何しに来たんだ?」
「期待させといてこれかよ……」
「結局あれじゃ犬死じゃない……」
失望の混じった嘆息は、ゴウを激しく動揺させた。
──どうして皆、クロウのことを責める? 必死にジグソーの横暴を食い止めようとしているのに、そんなのあんまりじゃないか。
先程ジグソーの行動に感じた怒りと同じものが湧き上がり、ギャラリー達を
最初に感じたのは悪寒。もう死を待つだけのクロウの体からオーラが滲み出ている。それは先程の銀色ではなく黒銀、ともすれば闇の波動。
あの色と限りなく近いものをゴウは知っていた。忘れるはずがない。あれを最後に見てから、まだ半年も経っていない。もう二度と見ることはないと思っていたのに──。
「まさかあれは……」
大悟もオーラの正体に感づいたのか、警戒をして事の成り行きを見ているようだった。
「お前を……お前らを……オレは、絶対に……許す、ものか────ッ!!」
瀕死のクロウの咆哮がスタンドにも届いたその直後、クロウの背中を突き破って出た何かがジグソーの糸鋸を叩き折った。
両者はシャトルの外に出て距離を取り、クロウはたったいま背中から出てきた触手のような尾のような、環状パーツを繋げた黒銀の物体をタワーに突き刺した。それを支えに大きく上体を仰け反らせて更なる咆哮を上げる。
全身からはより濃いオーラが放射され、観客達が一斉にどよめく。皆も確信せざるを得なかった。あれは加速世界の黎明期より存在した伝説の存在──。
「クロム……ディザスタ──────ッ!!」
吼え猛るクロウが、《災禍の鎧》の名を呼んだ。
ほんの数分の間に、一切合切を破壊しながらヘルメス・コードのゴールに突き進んでいたジグソーはバラバラにされ、残っていた頭部がたった今クロウに握り潰された。
しかしもうジグソーを倒したデュエルアバターは、シルバー・クロウとは呼べないのかも知れない。
タワーに足の爪を食い込ませて体を保持し、闇色のオーラを纏う黒銀の装甲をしたデュエルアバターは、《六代目クロム・ディザスター》と呼んだ方がゴウには適切に思えた。
以前大悟が説明したように《鎧》は形態が変化していて、《五代目》だったチェリー・ルークの重装甲騎士のデザインとは異なっている。
始めに背中から生えた尾に加え、全身を包む鎧はよりシャープだが、強靭さと禍々しさにはそれ以上のものを感じた。鎧の構成時に一緒に復元された両腕の先には鋭い十本の鉤爪、足先に三本の太い爪が生えている。
クロウの最大かつ唯一無二の特徴である両翼は、金属フィンの一つ一つが武器のように鋭く尖り、全体的に西洋の悪魔を思わせる風貌となっていた。
無傷でジグソーを倒したクロウが観客スタンドへ向けた視線と、ゴウは目が合ったように感じた。チェリー・ルークは以前、無制限中立フィールドでゴウと大悟に対面した際に、こちらを『餌』と認識しているようだったが、バイザーに隠れたクロウの表情は何も窺い知れない。
大半は唖然呆然としている観客の中にも、不審そうに話し合う者が何人かいた。先程クロウが強化外装の名前を呼んでいたが、目の前のアバターが本当にあのクロム・ディザスターなのか半信半疑のようだ。おそらく七大レギオンに所属する者は、上位ランカーから《鎧》が完全消滅したと通達があったのかもしれない。
「オーガー、下がれ。状況が変わった。もしもあいつがここに乗り込んでくるようなら、そのときは……」
大悟が左腕をゴウの前に出し、こちらを見て沈黙している黒銀のアバターの一挙手一投足も逃すまいと見つめている。
とうとう両翼をゆっくりと展開させていくクロウが体を沈め、離陸しようとしたその瞬間──何故か両足の爪を立てて急停止した。
ややあって、突然自分の名前を叫ぶクロウの纏っていた黒銀の鎧が、液体のように足元まで一気に滴り落ちた。しかし、クロウ本来の姿が露出をしたのも束の間、剥がれた鎧が意思を持っているかのように、再び戻ろうと体の先端から再装着されていく。絶叫しながら鎧の侵食に必死で抗うクロウだったが、それも時間の問題に見えたその時。
「──────っ」
タワーの下方から、誰かが誰かを呼ぶ声が響いた。
大悟を先頭にアウトローの面々がギャラリーを押しのけて、スタンドの
ネガ・ネビュラスのライム・ベルとスカイ・レイカーだ。更にその後ろを彼女達の乗っていた半壊状態のシャトルが追っている。
一体何をしようというのだろうかと、迫る二人を目を見開いてゴウが見つめていると、彼女達を遠ざけようと叫んだクロウから一気に闇のオーラが噴き出し、次々に鎧が装着されていった。
残るは頭部のバイザーが装着されるのみとなると、ライム・ベルが左腕に装着された巨大なハンドベルを反時計回りに回転させ始める。続けて回していた巨大ベルをクロウへ向けると、この空間にいる全てのバーストリンカーに聞こえる声で必殺技名を発した。
「《シトロン・コ────────ル》!!」
透き通った鐘の音と共に鮮やかな緑色の光が放たれ、クロウを包み込んだ。光は闇のオーラと黒銀の装甲を引き裂き、再び液体のようになった鎧がクロウの背中のへと戻っていく。
「あれがライム・ベルの《時間遡行》……。なんて凄い、《災禍の鎧》にまで作用するのか……!」
メモリーが紙に叩き付けるように文字を書き込みながら、放たれた光を食い入るように見つめている。
ライム・ベルの能力についてはゴウも知っていたが、直接見るのとではまるで違った。
彼女の必殺技《シトロン・コール》は、放たれた光に浴びた対象のステータスを巻き戻すという稀有な力を持っている。燃費は悪く、放つ光も直線的だが、対戦格闘ゲームであるブレイン・バーストでは反則に近い体力回復(あくまで擬似的なものではあるが)の他に、強化外装の強制解除まで可能な、破格の能力を誇る必殺技だった。彼女のデビュー時には数多くのレギオンから勧誘が殺到したという。
そんな強力な必殺技を受けても尚、魔性の鎧は完全には剥がれず、尾部だけが未だに残されていた。
しかし、鎧から開放されたクロウが自由になった両腕で尾を掴み、両手を銀色に輝かせて叫んだ。
「《
先程ジグソーに放ったものと同じく、剣の形をした光は十字に交差して、伸びていた尻尾を断ち切った。残っていた尾も、根元から崩れるように消滅していく。
全精力を使い果たして落下を始めるクロウを、ベルとレイカーが優しく受け止めた。
「《災禍の鎧》を……押し戻した?」
「仲間の助けがあったとはいえ…………シルバー・クロウ、大した奴だ」
ギャラリーが静まり返る中でゴウが呆然と呟くと、張り詰めていた緊張を解いた大悟が、驚嘆を含ませた声でクロウを褒め称えた。
三つあった観客スタンドの内、ジグソーの攻撃から逃れた残りの一つは、大音響の声援で溢れ返っていた。
応援の対象はバイクを操縦するアッシュ・ローラーとそのバイク後部に座るクロウ、四足歩行の獣に変身したブラッド・レパードと彼女の背中に乗るレイカーの四人だ。
あれからネガ・ネビュラスの他に、他のチームメイトを乗せていない半壊したシャトルでアッシュとレパードが合流したものの、シャトルは完全にクラッシュしてしまった。
そこで提案されたのは、まず《壁面走行》アビリティを持つアッシュとレパードが空中を移動できる二人を乗せて限界までタワーを上り、その後にクロウがレイカーを抱えて飛行、最後にレイカーがジェットパックである《ゲイル・スラスター》のエネルギーを全て消費してゴールを目指す、というものだった。
それでゴールに到達するかは賭けだが、ごくわずかにでも可能性が出たことで、再びギャラリー達も惜しみない応援でゴールを目指す彼らを鼓舞している。
そんな中、仲間と共に元の席に戻っていたゴウは、複雑な心境でそびえ立つ塔を眺めていた。
あの日《災禍の鎧》の持ち主だったチェリー・ルークは、赤の王スカーレット・レインの《
ところが、その現場にいた者の一人であるシルバー・クロウは《鎧》を呼び出し、着装さえしてみせた。彼はストレージに移動した《鎧》をあの騒動以降ずっと所持していたのだろうか。
だが、《鎧》の支配から懸命に抗ったクロウの姿を目の当たりにして、そんなことをするとは考え辛い。
そして、もう一つ気がかりなのは一連の戦闘で幾度も見られた、眩い光を発しながら放たれた技の数々だ。クロウの銀色の剣、レイカーの空色の旋風、そしてジグソーの全てを錆びさせ、崩壊させた赤錆色の嵐。
あれらが幻惑系や光線系の必殺技から発せられる光とは、一線を画した何かであることはゴウにも分かる。しかし、システムで保護されていた体力ゲージはおろか、巨大なオブジェクトである観客スタンドにまで影響を及ぼすほどの力が一朝一夕で身に付くはずがないし、対戦ゲームであるブレイン・バーストで、あの力はルールバランスを崩壊するに余りあるものだ。
──つまり運営側は、あの力を知りながらも黙認している?
「お前さんが何を考えているか、おおよその見当は付く」
シャトルに同期している為、タワーを駆け上る彼らを追うことはできないスタンドで、ゴウは唐突に大悟に声をかけられた。
「こうなった以上は致し方ない、あの力についても教えざるを得なくなっちまったが……今はレースを見届けな」
「でも……もう何も見えませんよ。そもそも辿り着けるかどうかだって──ん……?」
上空でオレンジの光がぱっと輝いて、消えた。景色を彩る星とは違う、何かが燃え尽きたような光だ。
「あれは、大気の摩擦熱? この高さじゃ酸素は無いはずなのに……アバターがずっと漂っていない為の配慮か?」
メモリーがブツブツと呟きながら、未だに情報を紙に書き込んでいる。隣で呆れたような表情を向けるメディックにもお構いなしだ。
「もしも、ゴールまで誰も行けなかったらどうなるんでしょう?」
「そうだな、選手が全員リタイアであることを確認した運営側が、この空間ごと消してログアウト、なんてのも有り得るがそうはならないだろ」
「どうしてそう言いきれるんですか?」
大悟の確信したような言い方が気になるゴウをよそに、当の本人はずっと宙を見続けている。その姿は何かを見逃さないようにしているようだった。
「多分一瞬だ。お前さんもよく目を凝らして見ていな」
「は、はぁ。………………あっ!」
じっとタワーの上を見続けていたその時、一瞬だけ遙か上空で青い光が
「……もう《イカロス》なんて呼べないな。レイカー」
「師匠、あれはスカイ・レイカーの……?」
「ああ。やっと
満足げに頷く大悟。気が付くとアウトローだけでなく、スタンドのギャラリー全員が青い光を眺めていた。
「オーガー、少しガラにもないことを言うけどな。たとえどんなハイランカーでも悩み、目の前の壁に立ち止まることもある。でもそれを乗り越えて成長する姿は誰であれ、とても尊いものだと、俺は心底そう思うんだ」
大悟の唐突で予想だにしなかった言葉に、ゴウは冗談気味に「本当にガラにもないですね」と茶化そうとしたが、真剣な横顔を見た途端にその考えも失せた。
静かに天を仰ぐギャラリー達の視線の先でとても小さく、されど先程の比にならないほどに強く輝く青い光が十字にきらめいた。