アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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第二十六話

 第二十六話 (よど)む心

 

 

 傘もささずに雨に打たれながら帰宅したゴウは、案の定風邪を引いた。ただし、翌日の日曜日は母親に「自業自得!」と怒られながら、薬を飲んで安静にしていたので、体調は万全ではなかったが、月曜日には問題なく登校していた。

 その翌日、六月十八日、火曜日の放課後。ゴウは土曜日から今日に至るまで、一度も加速していない。こんなことはバーストリンカーになってから初めてだ。

 体調を崩して寝込むなど年に一度あるかないかのことなので、初めはそのせいだと思ったが、ほぼ全快となった今でも何故か対戦をする気が起きない。

 土曜日の一件を、未だに自分が引き摺っている事実を認めざるを得なかったが、どう切り替えていいのかは全く分からない。しかし、大悟やアウトローのメンバー達に相談する気にもなれなかった。

 フロッグはまだISSキットを使用して対戦しているのか。エピュラシオンという聞いたことのないレギオンのバーストリンカー達は、何の目的でISSキットの使用者を探していたのか。フォックスはあんな目に遭ったが、もう立ち直っているのだろうか。一連の話を聞いたアウトローの皆はこのことをどう考え、どう捉えているのか。

 疑問は尽きないが、それでも行動する気は湧かない。

 

「──御堂君、帰るの?」

 

 部活動にも委員会にも所属していないゴウが帰り支度を済ませて教室から出ようとすると、後ろから蓮美に呼び止められた。

 進級に伴うクラス替えによって同じクラスになった大悟の妹、蓮美は一年生の頃から剣道部に所属している。今日も部活のようで、竹刀の入ったバッグを肩に掛けていた。

 

「うん。如月さんは部活? 頑張ってね」

「う、うん……」

 

 ここでゴウは、蓮美の様子がいつもと違うことに気が付いた。普段は元気一杯といった調子の明るい彼女が、今はどこか大人しいというか歯切れが悪い。

 気にはなるが、心当たりのない自分にできることもないだろうと考えて、ゴウはそこには触れずに教室を後にしようと──。

 

「あの……御堂君、週明けから元気ないけど何かあった?」

「えっ……?」

 

 予想外だった。蓮美はどうやら自分を心配してくれているらしい。そんなに態度に出ていたのだろうか。この二日間、クラスの友達にもそんな指摘はされなかったので、ゴウはまるで不意討ちを食らったように感じた。

 

「い、いや? そんなことないよ」

「そう? なら良いんだけど……。なんだか、たまに大兄ぃが上の空になる時と同じ感じがしたから、気になっちゃって。本当に大丈夫?」

 

 ──大悟さんと同じ? ……僕が? 

 その部分がゴウ自身でも分からないが、何故だか無性に(かん)(さわ)った。

 大悟なら自分みたいに、こんなことでいちいち落ち込んだり、立ち止まったりはしないだろう。そもそも、自分は大悟のように強くなどない。

 もしもあの時、あの場所にいたのが自分ではなく大悟だったら、フロッグ相手に傷だらけにならずとも説得できたし、横槍を入れようとするスコーピオンだって返り討ちにできたはずだ。

 

「……実は休みに風邪を引いて、今も少し喉が痛いんだ。悪いけど、今日はもう家に帰って休むよ」

 

 口調こそ穏やかだが、自分でも分かるくらい冷たい声が、ゴウの口から出た。

 風邪気味であることは本当なので、全くの嘘ではないのだが、本当の理由をバーストリンカーではない蓮美には詳しく話せないし、彼女が今のゴウの心境を知る由もない。それでも、ゴウは理由の分からない機嫌の悪さを隠しきれなかった。

 

「あっ……そうだったんだ。呼び止めちゃってごめん……。じゃあ、その、お大事にね」

 

 蓮美の申し訳なさそうに謝る姿に少し心が痛んだが、ゴウは「じゃあ……」と彼女の耳に届いたのか、自分でも分からないほどに小さい声で挨拶をして教室を後にする。

 結局、この日もゴウはグローバル接続、ひいては対戦をすることはなかった。

 

 

 

 翌日もゴウは授業を受けていても碌に身に入らず、重い気分は一向に晴れない。むしろ悪化したかもしれない。

 蓮美は昨日のことでゴウに気を遣っているのか、ゴウの言葉を拒絶と受け取ったのか、話しかけてはこなかった。

 ゴウも自分に落ち度があるのは分かっているものの、気まずさから声をかけられずに今に至る。

 昨日同様、授業が終わり放課後になると、ゴウはすぐに帰宅の用意を始めた。

 教室を後にし、校門を抜けて今日もやはり対戦をする気が起きず、昨日同様にニューロリンカーのグローバル接続を切ったままにして歩いていると、曲がり角で出会い頭に誰かとぶつかってしまった。

 

「あっ、すみませ──」

 

 反射的に謝りながら前を見ると、ゴウはぶつかった人物に目を丸くする。

 目の前に立っていたのは大悟だった。

 今年の四月に高校生になった大悟の、真新しい学生服を着込んだ姿はまだ数回しか見ていない。加速世界ではアウトローや対戦のギャラリーで顔を合わせることはあっても、今や生身で会う機会はほとんどなく、会ってもほぼ私服姿だからだ。

 

「よぉ、直接会うのは久々だな。早速だがちょっと来てくれ。どうせ暇だろ?」

「へっ?」

 

 そう言うと、大悟はくるりと背を向けて歩き始めた。その場で棒立ちになっているゴウを見ると、早く来いと言わんばかりに手招きをする。

 ゴウは訳の分からないまま大悟に付いていくことしかできなかったが、こうして理由も分からずに連れ回される状況に少し懐かしさも感じていた。この場合の大悟は基本的に目的地に着くまで理由を教えてくれないので、観念して黙って付いていく。

 やがて二人が到着したマンションの一室は、ゴウが一度だけ来たことのある場所だった。

 去年の夏に偶然蓮美と出会い、連れてこられた、如月兄妹の自宅だ。ここでゴウは何となく大悟の意図が分かってきた。

 

「まぁ上がりな」

「お邪魔します……」

 

 扉を開けた大悟に続いて玄関に進むゴウ。去年訪れた時と同様、玄関に自分達以外の靴がなかった。蓮美は現在部活中のはずだが、共働きなのだろうか、両親も不在のようだ。

 大悟は手早くキッチンで飲み物の麦茶の入った容器とグラス二つを盆に載せてから、ゴウを自室に案内した。

 

「あれから加速してないんだろ?」

 

 部屋のテーブルに盆を置いて、ゴウの対面に座った大悟は注いだ自分の麦茶を一気に飲み干すと、何の気負いもなく核心を突いた。

 麦茶を一口飲んでゴウは首肯する。帰り道に大悟が待ち伏せのようにあの場所にいた時点で、ある程度の予想はしていたので、見抜かれていてもそれほど驚きはなかった。

 

「昨日、蓮美が珍しく落ち込んでてよ。聞いてみたらお前さんに余計なこと言って怒らせたかもって。それで気になったが……まぁ、直接顔を見て確信した」

 

 ──如月さん、やっぱり気にしてたんだ……。悪いことしたな……。

 

「まぁ、そんな経緯はどうでもいい──ええと、どこだったか……」

 

 ゴウが蓮美に対して再び罪悪感を募らせる中、大悟は机の引き出しを開けて何かを探している。やがて目当ての物を見つけたらしく、再びゴウに向き直った大悟の手に握られていたのは一本の黒いXSBケーブルだった。

 

「朝起きて学校に行くのがかったるい日ってないか? 特に休み明けとか」

「え? はぁ、割とありますね」

「それでなんだかんだ学校に着いて授業が始まると、起きた時の倦怠感って気付くと消えているだろ?」

「んー……確かに。あるあるですね」

「そういうことだ」

 

 どういうことだ? とゴウが思っていると、脈絡のない話を切り出した大悟は、自分のニューロリンカーにケーブルを挿入して、片側の先端を持ってゴウに向けた。

 

「要はやる気がなくても、一度やっちまえば案外すんなりいくってこと。久々に『稽古』といこうや」

 

 

 

 唐突な直結対戦の舞台は、紅葉が舞い散る《平安》ステージ。大悟と初めて対戦した時と同じだった。

 思えばレベルの低い時期にはほぼ毎週、対戦という名の稽古をしていたが、《平安》ステージになったのは最初だけだった気がする。

 直結対戦では現実で相手が目の前にいても、自動的に相手と距離が離され、場所も戦域内のランダムな位置に出現させられる。

 ゴウはガイドカーソルを確認し、大悟のいる大まかな方向へと向かった。移動中にオブジェクトを破壊しながら、大悟側の必殺技ゲージを確認するが、向こうは増えていない。ガイドカーソルにも動きがないことから、どうも大悟は出現座標から動いていないらしい。

 余裕の表れか、侮っているのか、それとも他に意図があるのか。大悟の考えを読めないまま進んでいると、やがて石畳の道の中央に腕を組んで仁王立ちする僧兵アバターの姿が見えた。

 裳付衣(もつけごろも)と括り袴を象った装甲。厳密には裹頭(かとう)と呼ばれるらしい、頭部を覆う布でできた頭巾。石帯(せきたい)代わりに腰に巻かれた数珠、手首足首にも同じく数珠。

 紅葉舞い散る空を眺めていた、おそらく今までで一番多く姿を見たであろうデュエルアバター、アイオライト・ボンズは、すぐにゴウへと向き直った。

 

「よし、来い」

「…………」

 

 構える大悟に向かって、ゴウは何も言わずに突進した。ほぼ純粋な近接型同士の対戦では、まずは牽制を入れつつ、隙を見出して一撃を入れるのが基本だ。

 ゴウもまずは様子見、とはいっても体重を十分に乗せた重い拳を突き出す。

 対する大悟は自身の腕に捻りを加えることで、ゴウの突きを簡単に受け流してみせた。

 続いてゴウの出した膝蹴りに、すでに大悟は対応しようと腕を構えている。これは想定内。膝蹴りを素早く上段蹴りに切り替えて、ガードされていないこめかみを──。

 

「くっ……」

 

 声を漏らしたのはゴウの方だった。

 大悟は素早く頭下げて、こちらの蹴りをあっさりと避けてみせる。

 

 ──いま攻撃されたら躱し切れない……。

 一撃食らうのを覚悟するゴウ。ところが大悟は追撃してこなかった。

 

「……?」

 

 ゴウは違和感を覚えながらも頭を切り替え、今度は五指を真っ直ぐに伸ばした抜き手を放つ。ダイヤモンド・オーガーの両手は指先までダイヤモンド装甲に覆われているので、貫通力は中々のものだ。

 ところが、これにも大悟は動じずにゴウの抜き手を避けつつ、突き出された腕を両手で掴むと、背を向けて一本背負いの要領でゴウを投げ飛ばした。

 

「せい!」

「かはっ……!」

 

 硬い石敷きの道に背中から叩き付けられ、一瞬息が詰まる。その隙を大悟は見逃さない──はずなのだが。

 普段の大悟ならこんな隙を見せたら、「甘い!」とゴウを一喝しながら一撃を入れるのに、大悟は少し後退するだけで、やはり追撃はしてこなかった。

 

「なんで……手を抜いているんですか?」

「それはどちらかと言えばお前さんの方だろう」

「え……?」

 

 立ち上がるゴウに大悟はぴしゃりと言い放った。

 ゴウはもちろん全力で挑んでいるつもりだし、そもそも大悟相手に加減する余裕などない。相手は加速世界でも最高峰に近いレベル8のハイランカーなのだから。

 

「普段と比べて動きは単純、精彩さも欠けている。読み易いから捌くのも容易い。自覚がないのか? だとしたら思ったより重症だな。これじゃあアビリティを使う必要もない」

 

 大悟の批評にゴウは反論できなかった。このままでは対戦結果が惨敗で終わってしまう。そこでゴウはふと、あの力を思い出した。

 あの状態の最後は自爆してしまったが、短時間で勝負を決めれば、大悟に対しても勝ち目があるかもしれない。

 ゴウは目を閉じてあの時の心境を思い出そうとする。

 嘲るアメジスト・スコーピオンには攻撃はまともに当たらず、チタン・コロッサルには攻撃を難なく受け止められ、プランバム・ウェイトに至っては、路傍に落ちた石でも見るかのような視線を向けるだけで構えることさえしなかった。そして何より、無力な自分。

 それら全てが混ぜ合わさって、強くゴウ自身を責め立てる。

 

「──ぐ……うっ……ヴヴ」

 

 ゴウは胸の中心から熱が込み上げてくるのを感じた。熱は次第に全身に駆け巡り、ダイヤモンド・オーガーの姿を変えていく。額の両角は大きく湾曲し、装甲が隆起しながら、徐々に黒く染まっていく。指の先端は鉤爪のように、肩は触れたものを傷付けることのみを目的としたような、尖ったスパイクが生えていく。

 目を開いて確認すると、全身の装甲が濡れたような漆黒に輝いていた。炭のように薄黒いオーラが全身から立ち昇り、あの時と同じく全身に力がみなぎっている。これこそが、心意システムと呼ばれる未知なる力。

 

「これなら……どうですか?」

「………………」

 

 大悟は変貌したゴウの姿を見ても何も言わなかったが、雰囲気はより真剣味を帯びたものへと変わる。必殺技でもアビリティでもない、ゴウの心意システムによる力を警戒しているのは明らかだった。

 ゴウは自分の内から感じる力の奔流に、わずかながらの全能感が芽生え始めていた。長時間は使えなくとも、今の自分なら格上の大悟にも負けない、と自信さえ出てくる。

 ──これなら、いける……! 

 そう確信したゴウに、今度は大悟から接近してきた。腕がブレるほどの速度でゴウの胸部装甲を狙った掌底が放たれる。まともに受ければ装甲は陥没し、大ダメージを免れない。

 しかし、ゴウは慌てることなく右腕を胸の前に持ってきて、これに備える。強化された装甲は、大悟の掌底を難なく防ぎ切った。それどころか攻撃を仕掛けた大悟の方が、一割にも満たないものの体力ゲージが削れていた。

 

「オオッ!」

 

 ゴウは大悟の掌を払いのけると同時に、足を強く踏み込んでタックルを大悟に食らわせる。

 

「むぅ……!」

 

 ゴウの肩装甲のスパイクが、大悟の比較的装甲が薄い上半身に浅くない深さで突き刺さり、小さく呻く大悟の体力ゲージが一割削れる。

 ゴウは体勢を崩した今が好機と感じ、前傾姿勢を取ると同時に必殺技を呟いた。

 

「《ランブル・ホーン》」

 

 黒い角は普段よりも大きく、そして鋭くなり、突進速度も段違いだった。心意の力が必殺技の威力を底上げしているのだ。

 狂った猛牛の如き突進に気付いた大悟は、すぐに体勢を立て直すと跳躍し、石敷き道の横にそびえる白塗りの塀の上に着地する。

 そんな大悟を、ゴウは逃がす気などなかった。

 

「ラアアアアッ!!」

 

 体を傾けて無理やり進路を変えると、その勢いのまま塀に突撃、破壊していく。そのまま一直線に進んで塀の一角を突き抜けたところで、ようやくゴウは立ち止まり、振り向いた。

 必殺技によって、塀は重機で崩されたかのような有様になっていた。対してゴウの体力は全く減っておらず、オブジェクトの破壊によって必殺技ゲージも再び溜まっている。

 

「──随分と無茶をするじゃねえか」

 

 塀の破壊によって発生した土煙の中から大悟が現れた。ダメージはなかったようだが、見ると頭巾の下から、黄色い光が漏れ出ている。あの光が何なのかをゴウは知っていた。

 

「《天眼》を使ったってことは、本気になったと見ていいんですね?」

 

 あの光こそが、アイオライト・ボンズの持つアビリティ、《天眼(サード・アイ)》を発動している証拠だ。

 ボンズの額には両目のアイレンズとは別に、枯草色をしたアイレンズが一つ備わっている。普段から被っている布の頭巾で隠された形になっているが、発動時に支障はない。何故ならこのアビリティは発動することで障害物に関係なく、自身を中心に全周囲一定の範囲内のものを全て見通すことができるのだ。大悟曰く、通常の目で物を見るのとは違う感覚だが、感知する範囲内の物体の『流れ』を感じ取れるらしい。

 これによって大悟は対戦での相手の動きの先読みをしたり、幻覚系の技にも惑わされずに相手の姿を捉えることができるのだという。

 このアビリティの存在をゴウはアウトローで、ある日のエネミー狩りの際に素早く逃げ回るエネミーの捕捉に大悟が発動したことで初めて知った。そして、ゴウがレベル5になる寸前あたりの手合わせで初めて使用したのだ。

 

 ──『これを使わせるまでになったか。成長したな』

 

 以前、そう大悟に褒められたことに対して、ゴウは嬉しさと同時に悔しさを覚えた。つまり大悟はこれまで、まだまだ本気を出していなかったことになるのだから当然だ。

 大悟に勝利する道のりは遠いと思いながらこれまで腕を磨いてきたが、今の自分は初めてアビリティを使わせたあの時よりも強くなれたはずだ。

 ところが大悟は何も語らず、ただ黙して構えるだけだった。《天眼》アビリティは燃費が良いので、ゲージはすぐには尽きない。こちらも時間はロスできないと、ゴウは再び大悟に向かって走り出す。

 それからは接近状態での乱打戦が続いた。今の状態では攻撃力も防御力もゴウの方が上であるものの、大悟も凄まじい技術で捌いていく。避ける以外でも、真っ向からゴウの手足に衝突せずに攻撃の角度をずらしたり、自身の腕に捻りを加えることで軌道を逸らしてしまう。いかに《天眼》アビリティによる補助があるとはいえ、それを実行できるのはアバターの性能の他、大悟の経験があってこそのものだ。

 ゴウはこの膠着した状況に、次第に苛立ちを覚え始めていた。いかに大悟の卓越した手捌きでも、心意発動状態のゴウの攻撃に触れている以上、無傷ではない。じわじわと大悟の体力ゲージは削れている。

 それでも、クリーンヒットは未だに決まらないのだ。このままの状況が続けば、大悟の体力を削り切るまで心意の鎧は保てない。そうすれば一気に勝利は遠のくだろう。

 ──もっと。もっと強く……。

 間を置くことなく腕を、脚を、肩を、頭を繰り出していく。戦闘の中でゴウの集中力は増し、ついに大悟のガードの意識がわずかに薄れたことを感じた。

 ──ここだ! 

 

「《アダマント・ナックル》!!」

「…………っ!!」

 

 

 黒い火花を散らしながら放たれた右拳を、触れられないと判断した大悟が左へ跳ぶ。

 ──強く。つよく。ツヨク。

 ゴウはほとんど無意識の内に、回避行動をする大悟に向けて左腕を伸ばす。すると、ゴウの前腕の装甲が手の甲側に沿って隆起し、一瞬で刃を作り出した。黒い刃はとっさの回避で体勢を崩した大悟の顔に迫り──。

 

 ザン! 

 

 繊維質の裂ける音。

 大悟の頭巾の一部が切り裂かれたことで垂れ下がり、元々覆っている顔面を更に隠している。素早く後退して距離を取った大悟は、視界を遮っている頭巾を引っ掴むと、鬱陶しそうに一息で剥ぎ取った。

 ゴウが初めて見る頭巾の無いボンズの頭部はシンプルなデザインで、額の中心に位置する天眼以外に装飾や装甲の(たぐい)は無く、剃髪をした仏僧そのものだ。また、首にも数珠型の装甲が巻かれている。

 ただし、今はゴウの腕の刃によって、左目のアイレンズから顎下近くまで斜めに伸びる、深い傷跡が新たに作られていた。

 ゴウは左腕のみならず、右腕にも刃が形成された両腕をしばし見てから、視界の上部を確認する。時間はまだ十五分以上あるが、大悟の体力は残り四割強。対してゴウの体力は残り八割近くも残されていた。

 今までの対戦では、半分になんとか達する程度のダメージしか大悟に与えられなかったゴウは、この成果に笑みを浮かべた。

 ──よし、まだ体に違和感はない。このまま一気に勝負を決めるのも夢じゃ──。

 

「何を優越感に浸っている」

「────ッ!!」

 

 突如心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走る。

 その発生源である目の前の僧兵から発せられている殺気は、ゴウがかつて経験したブラック・ロータスやプランバムの威圧感よりもゴウの奥底に深く突き刺さった。

《親》から向けられる本気の殺意がゴウの足を無意識に一歩下がらせる。

 

「……理屈も知らずにそこまで心意を扱うか。だが、負の心意に酔いしれ始めているのなら話は別」

 

 大悟は頭巾だった布を放り捨て、五指を広げた右腕を前へと伸ばすと、ゴウの予想もしていなかった言葉を発した。

 

「着装、《インディケイト》」

 


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