アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第三話 もう一人の自分
真っ暗闇の中で、自分の姿だけがはっきりと見えている。
ここはどこなのか、出口はどこにあるのかとゴウは首を動かすも、周囲は闇に満たされたままだ。
すると、いきなり地面全体から炎が噴き出し、辺りに陽炎が揺らめいた。
呆気に取られるゴウだが、炎からは熱を全く感じない。それよりも陽炎によって揺れる周りの景色の方がひどく不気味だった。
ふと前を見ると、こちらに背を向けて男が立っている。その薄汚れた服装にゴウは見覚えがあったが、どこで見たのかが思い出せない。
ゴウの視線に気付いたのか、男が振り向いた。顔の上半分は暗くてよく見えないが、口元がニヤリと吊り上がると、背を向けて一目散に走り出した。
その逃げる後ろ姿を見て、ゴウの奥底に眠る一つの記憶がたちまち
──あいつだ。あの時の……。
あの時もこちらを見てから馬鹿にしたように笑い、逃げ出したのだ。
ゴウは頭に血を上らせて、男に向かって走り出した。あいつを捕まえなければいけない。あの時はできなかった自分が、今度こそ。
しかし、いくら走っても距離は縮まらず、それどころか男との差は開く一方だった。やがて男は見えなくなり、ゴウは力尽きて両手を地面に着く。荒く呼吸をする間も、炎も陽炎も消えず、視界は薄暗く歪んだままだ。
息を切らすゴウの周りを人影が囲む。顔も性別も分からない影達が、責めるようにこちらを見ている。
──お前のせいだ……。 ──どうして、何であいつを……。 ──すぐにお前が動いていれば……。 ──お前が強ければ……。 ――臆病者め。
恨むような、責めるような声が耳の鼓膜を通さず、頭に直接入ってくる。
──そんなこと、自分が一番分かってる!
そう叫ぼうとしても声が出ない。あまりの悔しさに涙が出そうになりながら、拳を握り締める。
──強くなりたい。何者にも負けない強さが、自分の意志を貫き通し、勝ち取れる。そんな強さが欲しい!!
ゴウが強く念じたその時、薄暗い空間全体を揺るがすような咆哮が轟いた。
ゴウは手を着いたまま、はっとして顔を上げると、少し離れた所に巨大な鬼がいつの間にか出現していた。
周囲は薄暗いのに、自分の体と同様、鬼の全身ははっきりと見えている。鬼の右手には逃げた男が掴まれ、男がその手から逃げ出そうともがいていた。
鬼がもがく男を掴んでいる右手で無造作に握り潰すと、男は溶けるように消えてしまった。
気が付くと、ゴウを責めていた周りの影は消え、炎が小さくなって陽炎も弱まる。鬼だけは一向に消えない。
鬼はこちらに向かって地響きを立てながら歩き始め、ゴウの目の前で立ち止まると、恐ろしい形相でゴウを見下ろした。
額には天を突くかのように大きな双角、裂けた口から突き出た牙、筋骨隆々の太い四肢と鋭い爪、そして近くにいるだけで蒸発しそうになる威圧感。そのどれもが、ゴウが持っていないものだ。
──あぁ、僕は……僕もそんな力が……。
自然と手を伸ばしているゴウを、見下ろす鬼が顔を歪めて
そして、地の底から響いてくるような声が聞こえた。
──それが……お前の望みか……?
がばっ! とゴウがベッドから飛び起きると、そこは自分の部屋だった。
ひどい悪夢を見た、ということだけは憶えているが、その内容は全く思い出せない。
まだ春なのに夏の熱帯夜ばりに体は汗だくになっている。時計を見ると、いつも起きる時間より三十分近く早い。
まだ覚醒しきっていない頭で、昨日駅前の喫茶店にて、如月から謎のアプリ、《ブレイン・バーストプログラム》をコピーインストールされてからのことを思い出す。
《加速》という見たことも聞いたこともない技術についての解説。時が止まったような青い世界。ネットアバターの姿で見た生身の自分。一般人が干渉な不可能なソーシャルカメラの映像を利用しているという事実。
実演を含めた一通りの説明の後に(理解できない内容ばかりだったが)、最後に如月から忠告をされた。
──『明日の朝までニューロリンカーは外すなよ。それとグローバル接続もするな。今のお前さんは、いわば仮登録の状態だ。その状態でニューロリンカーを外すと、そのアプリは消えると思え』
やや語気を強めてそう言いながらゴウに連絡先を教えると、「明日の昼休みにでも連絡をくれ」と言い残し、如月は帰っていった。
それから帰宅したゴウは、夕飯と風呂を済ませた後、どっと疲れが出て、すぐに眠ってしまったのだ。
そんなことをぼんやりと頭で反芻している内に、いつもの起床時間が近付き、ゴウはもそもそとベッドから出て仕度と朝食を済ませると、学校へと向かう。
この時、ゴウは一つの誤解をしていた。
如月は今日の朝までニューロリンカーを外すなと言っていた。つまりグローバル接続の切断も今日の朝までと判断し、接続してしまったのだ。これが間違いであったと、ゴウはすぐに、身を以って知ることとなる。
ゴウの自宅から徒歩で約二十分の登校路。その約半分まで差しかかった頃に、突然その現象は起きた。
バシィィィッ!! という昨日初めて耳にした、加速を知らせるあの音が聞こえると同時に、一瞬にして視界が暗転した。昨日体感した青く停止した景色ではないので、理解が追いつかないゴウの前に、【HERE COMES A NEW CHARENGER!!】の文字が浮かび上がる。
視界が回復すると、さっきまで朝日が眩しかった登校路は、巨大な月が辺りを照らす夜道となっていた。
地面は微細な白い砂に覆われ、建物は西洋風のデザインに変貌し、そのどれもが乾いた骨のように白い。
そして、視界の上部には【1800】の数字と共に左右へ二段のバーが両端にまで伸びると、視界の中央に【FIGHT!!】の文字が出て、消えた。1800の数字が1799、1788、とカウントダウンしていく。
──ここどこ? 学校に向かってたのに何でこんな所に……。さっきの音は昨日加速した時と同じ音だよな? でもコマンドなんて言ってないのに……。それにさっきから変な感じが……。
ゴウは訳の分からないまま歩き回って周りをよく見ると、周囲の町並みは変わっているが、建物の配置自体は変わっていないことに気付く。さっきまでビルがあった場所には、代わりに白亜の塔がまるで昔からそこに存在していたようにそびえ立っているし、車の通っていた道路は障害物の無い大きな道となっている。
そして、街灯のガラス部分に映る自分の姿を見たゴウは、いま動かしている体が自分の肉体でないことに、今更ながらに気付いた。
「何だこれ……!?」
顔は額の両端から二本の角が伸びている鬼のお面のような物で覆われ、素顔が見えない。また、全身の各所には顔面と同じように、月明かりに反射して輝く白みの入った透明な装甲に覆われている。背丈もゴウ本来の百五十センチ弱から、二十センチ近くも伸びていた。角も含めれば更に高いのだろう。先程からの違和感の正体が、いつもより高い目線から景色を見ているからだと、遅まきながらに気付く。
慌てて周りを見渡していると、周囲の建物の上から人影がこちらを眺めていた。そのどれもが、今のゴウのような人間の姿ではない。それぞれが色の異なるロボットのような、鎧のような姿達が何やら話し込んでいる。
「……見たことない奴だなー。お前知ってる?」
「ううん。聞かない名前だし、
「あの装甲見ろよ。特性は何だ?」
「《親》は見に来てないの?」
──会話している。あれはアバターか? じゃあここはフルダイブゲームの中で……それも今は加速中……如月さんの言っていた『別の世界』?
ゴウが何となくこの状況を理解し始めた時、視界上部の左右に伸びているバーの下に小さなアルファベットが並んでいるのに気付く。目を凝らしてみると左端には《Diamond Ogre》レベル1、右端には《Moon Fox》レベル2と表示されている。
自分の英語の知識が正しければ右の文字は《ダイヤモンド・オーガー》、左の文字は《ムーン・フォックス》と読める。
オーガー=鬼、おそらく今の自分のアバターネームだ。ならばもう一つの名前は──。
「……もういい? 色々と慣れていない
横に建つ建物の陰から、いかにも待ちくたびれて退屈しているような声が聞こえると、声の主がするりと姿を見せた。
狐に似たマスクをしたアバターだ。体付きはほっそりとしているが、両足は体の割に太くて逞しい。糸目をした細いアイレンズは赤く、全身はまるで月を削って滑らかに加工したような艶のある白色で、アルビノの動物を
「あのー、これってあなたと対戦するって──」
ゴウがおずおずと質問を言い終える前に、狐頭のアバター、ムーン・フォックスが駆け出す。驚きの声を上げる前に顎に衝撃が走り、左の自分側の青いバーがぐっと削れたのが見えた後に世界が回転し、ゴウは頭から勢いよく倒れ落ちた。
「そうか、そりゃ悪かったな。もっと詳しく言っとくんだったか」
「聞いてないですよ! いきなり加速したと思ったら、何が何だか分からない内にボコボコにされたんですよ! しかも相手の方がレベル? も上だったし……」
昼休みにゴウは如月に
ブレイン・バーストについて関わることは、人のいる場所では
同じ学校なのだから直接話すなり、グローバルネットで会話なりすれば良いとゴウは思ったのだが、学校は人の目があるから直接話すのは避けたいと如月が譲らないので、このクローズド空間を使用することになった。
ちなみにゴウのアバターは
「まぁ、実際に体験してブレイン・バーストがどんなものか分かっただろ? 簡単に言うと現実の地形をベースにした対戦格闘ゲーム。平たく言えば『格ゲー』だな」
「あんな凄い技術で、どうして無駄にクオリティの高い格闘ゲームなんですか? もう意味が分かりませんよ……」
如月の説明中でもゴウの頭には今朝の出来事が思い出され、拗ねたような口調になってしまう。
期せずして起きたデビュー戦で、ゴウは顎に一撃食らってからは、頭がぐらんぐらんに揺れた状態で続けざまに相手から攻撃を受け、やがて【YOU LOSE】の文字が目の前に現れてしばらくすると、意識は現実の登校路に戻っていた。ゴウは数秒間放心してからはっと我に返り、そこでようやくグローバル接続を切ったのだった。
「無駄にね……ちょっと違うな。加速の為に対戦をしていると言うか、あるいはその逆か。人によって受け取り方は違うが、対戦こそがミソなんだよ。詳しくは直接会って加速した方がよさそうだ」
昼休みの残り時間も少なく、如月が会話を締めようとしているのを察したゴウは、気になっていた質問をする。
「とりあえず一つだけ聞きたいんですけど、これアバターのデザインとかってどう変えるんですか? コンソール開いてもできないみたいで……」
ダイブコール前に、昨日までデスクトップに存在しなかったアイコン、ブレイン・バーストのコンソール画面を開いてみたものの、アバターのステータス、対戦履歴、バーストポイントなる数字などは見られるが、どうやってもアバターのカスタム画面が出てこないのだ。
ゴウに訊ねられた如月は、数珠頭が乗った首を傾げる。
「ん? あぁ。いや無理。デュエルアバターは変えられない。それはお前さんの分身だからな」
「えぇっ!?」
「昨日の晩、悪夢を見ただろ? あの時、プログラムがお前さんの深層イメージにアクセスして、お前さんの抱く願望、恐怖、強迫観念、劣等感なんかの諸々を基にして、デュエルアバターを創り出したんだよ。一人一人の感情や感性が素材だから、一つとして同じものはない」
──じゃあ、ずっとあの鬼型アバターを使わないといけないってこと? カッコ悪いとまでは言わないけど……。
人並み程度しかゲーム経験のないゴウだったが、今まであらかじめキャラクターが決まっているわけでもないのに、アバター変更が不可能なゲームなど聞いたことがないので、一層落ち込む。
「そうしょげるな、その内に愛着が沸くもんだ。じゃ、後は放課後、昨日と同じ喫茶店の同じ時間に。無理ならメールくれ。それと、対戦を避けたい場合はグローバル接続を念の為切っておくように」
如月は素早く要点だけ言うと、クローズド空間からゴウより一足早く消えてしまう。
フルダイブから戻って目を開けたゴウは、めまぐるしい出来事の連続に大きく息を吐いてから、午後の授業の準備をし始めた。