アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第五話 再戦と名前
「《バースト・リンク》」
翌日ゴウは昨日と同じ時間に、朝の登校路を半分ほど歩いてからグローバル接続を行い、加速コマンドを唱えた。
現実の土地をシステムが分割している《
──よし。
一度大きく深呼吸した後、昨日の雪辱を晴らす為にゴウは標的であるムーン・フォックスの名前を押した。
対戦フィールドに降り立った瞬間、ゴウは全身に冷気を感じ、視界は一面が真っ白に包まれていた。空を覆うミルク色の雲からは細かい雪が降り、分厚い氷に変貌した建物を薄く覆う景色となっている。
これは多分《氷雪》ステージというやつだ。如月が話していたステージの例にも当てはまる。
──あんまり良くないな……。
雪は視界を阻害するほどの勢いではないが、ムーン・フォックスの装甲は白いので、この純白の世界では景色に溶け込んでしまうのだ。こういったフィールドによる補助的効果も対戦を左右する重要な要素の一つだと、ゴウは如月に教わった。
幸い相手が十メートル以上離れていることを知らせる《ガイドカーソル》が出現しているので、少なくとも今は近くにはいないということだけは分かっている。カーソルは特に左右には動かず、真っ直ぐにこちらの正面を向いていた。
向こうは正面から一直線に向かってきているのか、はたまた動いていないのか。ならば、とこちらもカーソルの指す方向へと歩き出す。
しばらくして、表示され続けていたガイドカーソルが視界から消える。十メートル圏内のどこかにいるはずだが、フォックスの姿は見えない。氷の陰に隠れているのだろうか、とゴウが辺りを見渡していると──直後、後ろからこちらを刺すような気配を感じた。
「はっ!?」
飛び出したフォックスの拳がゴウの左肩に当たる。わずかにダメージを受けるが、とっさに体を捻ったことで、装甲の薄い部分を狙ったであろう一撃のクリーンヒットは避けることができた。
真後ろからの奇襲を防がれたことで、フォックスがわずかに感心したような声を上げる。
「へぇ、やるね。《氷雪》ステージでの初撃が決まらなかったのは久々だな。《親》からアドバイスでも貰ったの?」
「ま、まぁね。さすがに真後ろから来るなんて思わなかったけど」
実際、如月に「敵の姿が確認できないときは必ず全方位を警戒しろ」と助言がなければ、今の一撃をまともに食らっていただろう。やはりフォックスにとってこのフィールドは得意な場所であるようだ。しかし、今のゴウには真っ向勝負なら勝てる自信は充分あった。
「……いくぞ!」
今度はこちらの番とばかりに意気込むゴウは、フォックスに向かって突撃し、正拳突きを放つ。真正面からの馬鹿正直な一撃は当然避けられるが、それは想定内。狙いはフォックスではなく、後ろの氷塊だ。
拳が直撃した氷塊を粉々に砕く。ゴウは砕けて手頃なサイズになった氷塊の一つを掴むと、フォックスに向けて勢いよく振りかぶって投げつけた。
「痛っ!」
投げた氷は見事にフォックスの顔面へ当たり、小さな悲鳴を上げる相手の足を止めることに成功した。
フォックスの体力が少しだけ削れたのを、ちらりと確認したゴウは距離を詰め、フォックスの左足を両手で掴んだ。
「ちょっ、何!?」
むんずと
「う、おおおおおおっ!!」
全身に力を込め、気合と共にフォックスをそのまま地面に叩き付けた。地面には雪が積もっているものの、大してクッションにはならずに、一割以上フォックスの体力ケージを削る。そのまま両手を離さず、もう一度フォックスを持ち上げ、再度地面に叩き付ける。
レベル的に格下であるゴウが序盤から一気に優勢になったことで、周囲の《
「うおぉ、あいつすげーな。昨日と全然動きが違うじゃん」
「いや、足持ってガンガン地面にぶつけるってエグくね?」
「見てくれはそんなパワータイプには見えないけどな。何かタネでもあるのかな?」
これこそ、昨日ゴウが如月と共に考え出した作戦だった。
「話を聞く限り、相手は近接戦闘主体のスピードタイプだな」
昨日の対戦中にゴウがムーン・フォックスの特徴について伝えると、如月はそう言った。
「そうすると、どうやって相手の動きを止めるかが肝だが……そこは自分で考えな」
「えっ、自分でですか!?」
「そりゃそうだ、一から十まで俺が教えてどうする。戦うのはお前さんだろ。それに自分で考えて戦えないなら今回勝ったとしても先はない」
ぐうの音も出ない正論だった。確かにこれから逐一如月のアドバイスに頼りきりになるわけにはいかない。それでもヒントくらいは……と思っていると、如月から助け舟が出された。
「……まぁ、実質初対戦みたいなもんだし、今回は俺の落ち度もあったから大サービス。一つお前さんに合った戦法を教えよう」
「ほ、本当ですか!? お願いします!」
「おう、勿体ぶってもしょうがないからな。いいか──」
──捕まえてぶん回す。成功しましたよ、如月さん!
荒っぽいの一言に尽きるが、これがダイヤモンド・オーガーにとって、有効な戦法であることは間違いなかった。
対戦時に一通りの身体能力を見た如月が言うには、オーガーは一般的な近接系アバターだが、一つのアドバンテージである《アビリティ》を持っていた。
《
デュエルアバターは生身の人間の体より運動能力は遥かに上だが、《剛力》アビリティを持つオーガーの単純な膂力は、レベルが数段上の大型アバターにも引けを取らない、と如月は言っていた。
ならば、同程度の体格であるフォックスなら、こんな芸当も可能だと考えたのだ。
──このまま一気に決める!
更に何度かフォックスを地面に叩き付け、勝利を確信し始めた直後。何か硬いものが凄まじい勢いでゴウの横っ面を叩いた。
「ぶっ!?」
予想外の出来事に、ゴウは思わずフォックスの足を掴んでいた両手を離してしまう。
左足は掴んでいたし、あの体勢では右足で蹴りを入れたとしても、そこまでの威力は出ないはずなのにどうして、と吹き飛ばされてから立ち上がるゴウは驚愕の光景を目にした。
フォックスの尾が何倍にも膨れ上がっている。《氷雪》ステージに気温によって凍りついたかのように毛並みが逆立ち、硬質化していた。
掴まれていた左足を軽くさすりながら、フォックスはこちらを睨み付けている。
「やってくれたね……。だいぶ食らったけどもう捕まらない。一気に決めるよ」
声には戦闘当初まで見せていた余裕が完全に消えていた。膨らんでいた尻尾が元の大きさに戻り、ゴウに対して体を半身にして構える。
現在フォックスの体力は残り五割、ゴウは八割強。
ゴウも構えながら、こうなったら今度はあの尻尾を掴んで逃がさない、と考えながら相手の動きに備えた。
今度はフォックスが先に真正面から突進してくる。視界から逃がさないように注視するが、フォックスはダッシュから一転、スライディングでゴウの足を蹴り飛ばした。
そのままフォックスは再び巨大化させた尻尾を利用して、手も足も使わず体を起こすと同時に、驚く暇もなく前のめりに倒れるゴウの鳩尾へと、カウンター気味に抜き手を放つ。
ゴウが後ずさりしながら痛みに呻いていると、再びフォックスに尻尾で吹っ飛ばされ、その先の氷壁にぶつかりようやく止まる。
「《ハント・ダイブ》!」
フォックスの声がかすかに聞こえた。
――《必殺技》!?
仰向けに倒れるゴウがそう思った瞬間、フォックスは尋常でない跳躍をしていた。通常の垂直跳びとは比べ物にならない高さから、全体重をかけた拳が降ってきてゴウの腹へと直撃する。
「ごほぉっ!!」
フォックスは拳をゴウから離し、素早く距離を取る。
この一連の攻撃で、ゴウの残っている体力はあっという間に残り三割を下回っていた。一気に逆転されて心は焦るも、連続攻撃の痛みのせいか、体が動かない。
気付くとフォックスの必殺技ゲージは、ほとんど無くなっている。どうやらあの尻尾の巨大化の仕組みは、《限定発動型アビリティ》によるものらしい。必殺技ゲージを消費することで武器に変貌し、強力な一撃を放つのだと遅まきながらに分析するゴウ。
考えてみれば、散々こちらがダメージを与えたのだから、それに応じて必殺技ゲージが溜まるのは当然で、フォックスは脱出からの連続攻撃に使用する分のゲージを溜めるのに、敢えて自分の攻撃を受けていたのだ。
逆の立場であったのなら、自分はそんなことにまで頭が回らないだろう。レベルが一つしか違わなくても経験が圧倒的に違う。いや、それ以前に相手の必殺技ゲージを意識するという基本さえできていないから、こうして倒れているのか。
やはり無理なのか。如月からアドバイスを受けて、その作戦が成功したことで、どこか油断していたのだ。現実の自分にはない腕力を得て有頂天になっていただけ。
どんどん思考が諦めに向かう中で、ゴウの脳裏に突如如月の言葉が響いた。
──『立ち上がって相手を見ろ』
昨日二回目の対戦中、ゴウは如月にそんな台詞を投げかけられた。
──『対戦で相手は、予想外の動きと力でお前さんを倒しにかかるだろう。そのまま逆転できずに負けることも、これから何度だってあるだろう。だがな、体力ゲージがゼロになるまで、倒れたまま諦めることだけはするな。勝負の終わる最後の最後まで頭働かせて勝機を見出せ。忘れるな、それができたとき、お前さんは一つ強くなれる』
はっと目を見開く。
言われた直後、模擬戦で手も足も出なかったゴウはあまり真摯に受け止めてはいなかった。そんなものは何度か対戦を経験してから、段々と出てくるのだろうと思っていたからだ。しかし、今の状況がまさにこれだ。
まだ体力は残っている。ここで諦めたらただ負けるだけで、自分は何も変わりはしない。ブレイン・バーストのインストールを決めた時、今の自分から変わりたいと思ったから、あの時YESボタンを押したのだ。
──だったら、ここでただ負けを待っているわけにはいかない!!
ゴウは意志の力で無理やり体を起き上がらせて立ち上がる。己の中の闘志はまだ残っている。この一戦を勝利する為に、再び頭を巡らせ始めた。
残り時間は半分を切り、自分の必殺技ゲージはこれまでの戦闘でほぼ満タンだ。
一方の姿の見えないフォックスは、必殺技ゲージが少し増えると同時に、どこからか何かが砕ける音がする。フィールドのオブジェクトを壊してゲージをチャージしているのだろう。
何故動けなかった自分を無視してゲージを溜めているのか。そのまま止めを刺すこともできたはずだ。それをしなかったのは理由があるからではないか。
昨日の初対戦ではフォックスは、尻尾も必殺技も使わなかった。顎に一撃入れた後、ふらつくだけのゴウが、徒手空拳だけで倒せると判断したからだ。しかし今回、満身創痍の状態のゴウを放置しているのは、おそらく自分を力任せに散々地面に叩き付けたゴウを警戒しているから。これは万全の状態で反撃を許さずに一気に止めを刺そうと準備しているということ。ゲージを溜めているのは、尻尾や必殺技以外では決定打に欠けると判断したということに他ならない。
──だったら勝機はある。まずは……。
「……ぉ、ぉおおおおおおっ!!」
フォックスの注意を引く為に、雄叫びを上げたゴウにギャラリー達は注目し、フォックスもすぐに姿を見せた。
「まだやれるの? あれだけ食らったのにタフだね。まぁ、これで終わりだけど」
フォックスは口調こそ普通だが、立ち上がるとは思っていなかったのか、驚きを隠し切れていない。
そんな相手に、ゴウは敢えて挑発的な発言をする。
「相手に背を向けて離れるなんて余裕だな。それとも尻尾が膨らまないと不安でしょうがないのか?」
「……万全を期す為だったけど、そんなことも理解してないなら不要だったかもね」
険の含んだ声でフォックスが答える。
少しでも挑発の効果があることを祈りながら、ゴウは突撃していった。勢いを付けた拳はフォックスに避けられ、逆にカウンター気味にパンチを放たれる。ゴウはこれを腕の装甲で防ぐと同時に後退すると、眼前に迫っている巨大化した尻尾を、敢えて顔面から食らった。
「っぶ!」
頭が衝撃で揺れる中、なんとか意識を保って片膝を着いた状態になる。これで体力ケージは残り二割弱。
「《ハント・ダイブ》!」
──来た! ここからは一か八か……決めるしかない!
一気に勝負を決めようと飛び上がるフォックス。この超高度からの落下の勢いに、全体重が乗った一撃を受けたら自分の負けだ。
「はああああああっ!!」
気合と共に拳を振り下ろしながら落下してくるフォックスを、ゴウはぎりぎりまで引き付けると、タイミングを見極めて立ち上がると同時に、両腕を腰に構えた状態で迎撃体制を取った。そして、己の持つ唯一の必殺技を叫ぶ。
「《アダマント・ナックル》!」
ゴウの上方に向けて放った左腕の正拳突きと、フォックスの右ストレートがぶつかり合う。一瞬の静止後、フォックスの右腕が凄まじい勢いで弾かれた。
拳を一時的に硬化させて放つ正拳突き。それがダイヤモンド・オーガーのレベル1の必殺技だった。単純な上に、範囲は狭く派手ではないが、オーガーの《剛力》アビリティと高硬度のダイヤモンド装甲が組み合わさった一撃は絶大な威力を生み出す。
満身創痍だったゴウに必殺技を迎撃されて理解が追い付かないのか、一瞬呆けた表情を見せて体勢を崩すフォックスの隙を見逃さずに、もう一度ゴウは叫んだ。
「《アダマント・ナックル》!!」
ゴウはフォックスの顔面に、渾身の力で右の拳を叩き込む。
二連続の必殺技によってフォックスは、体力が一気に減少しゼロになった瞬間、無数の破片になって爆散した。
視界中央に【YOU WIN!!】と炎が文字を形作った後に、バーストポイント変動のリザルトが表示される。
しばらくしてからゴウはようやく勝利を実感し、歓喜の雄叫びを上げるのだった。
「初勝利おめでとう、よくやったな。いやぁー、正直コンボ食らってた時は逆転負けすると思ったわ」
「ええぇっ!? そりゃないでしょう! 諦めるなって教えたのは如月さんじゃないですか! だからあんな必死に……」
「冗談だよ。あれは凄かったぞ、実際。ちゃんと自分で勝機を見出したのも良かった。対戦二回目で見事に成長したな」
如月が対戦を観戦していたことは事前に知らされて分かってはいたが、それでも初勝利の興奮を伝えたくて、ゴウは朝のホームルームが始まる前に、如月にダイブコールで連絡を取っていた。結果的に会話開始数秒で気持ちが落ち着いてしまったが、それでも褒められたのは嬉しかった。
「でも、今朝みたいな対戦を何度も続けていくことになるんですよね……先は長いなぁ」
「まだまだこれから、始まったばかりだからな。お前さんはもっと強くなれるはずだ」
「強く……」
たった一度の勝利。だがこの一戦は絶対に忘れることはないだろう。ゴウは如月に向かってもう一度頭を下げた。
「ありがとうございました、如月さん。僕、少し自分が強くなれたような、変われた気がします」
──なんか恥ずかしいな、これは言わなくてもよかったか……。
ゴウがそう思っていると、数珠頭のアバターなので表情は分からないが、如月が居心地悪そうに、もぞもぞと体を動かしていた。
「あー……まぁ、そんな面と向かって礼を言われるとさすがに照れるな。あっ、それとな。今更だけど俺のことは名前で呼んでくれ。如月はなんか女っぽいからどうも好かん」
「別にそんなことはないと思いますけど……」
「
照れ隠しなのか若干早口な如月に、ゴウは苦笑しながら頷いた。
「分かりました。これからもよろしくお願いしますね、大悟さん」
「おう、こちらこそよろしくな、ゴウ」
こうして御堂ゴウは己の心が生み出した分身、ダイヤモンド・オーガーとして加速世界を歩み始めた。
その名が《