アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第五十三話
第五十三話 蠍の
エメラルドグリーンの湖に隣接する、星のようにきらめく砂浜が広がる空間には、先程まで存在しなかった石英の塊が、至る所から突き出ていた。かつて《
今より六年前に横浜へ引っ越した晶音には、そこで友情を育んだバーストリンカー達がいた。彼らが結成したレギオンの名はリチェルカ。一年半前に壊滅した今は無きレギオン。
その原因は、とあるダンジョンで発見したアトランティスについて記された本型のアイテムを、メンバーの一人だったアメジスト・スコーピオンが奪い、レギオンメンバーを全滅させたことによるものだった。
更にスコーピオンは、リチェルカがアイテム入手時に行動を共にしていた、アトランティスの存在を知る晶音のことも、ポイント全損による加速世界の永久退場を目論んだ。
そして、心意技を用いるスコーピオンから、命からがら逃げ延びた晶音は、一度は失意の底に沈みながらも、彼を裁く為に今日まで力を蓄えてきたのだった。
現在、晶音は爆発した感情のままに杖を振るい、発生させた石英でスコーピオンを執拗に攻撃し続けている。
先刻のスコーピオンの発言が挑発だと理解していても、晶音には聞き流すことはできなかった。あんなに善良な仲間達を裏切ったのにもかかわらず、彼らのことを平然と口にするスコーピオンを、許すことなどできようはずもない。
クリスタル・ジャッジが発生させる石英には、必殺技ゲージを消費しないタイプと消費するタイプの二種類が存在する。前者はゲージの消費を気にせずに出せる分、石英の強度と発生の速度がやや劣り、一定時間経つと消えてしまう。後者はゲージこそ消費するものの、強度と発生速度が上昇するだけでなく、破壊されない限りその場に存在し続ける(例外として変遷が発生した場合は消えてしまうが)。
これらを使い分けて戦っている晶音だったが、スコーピオンはどこ吹く風と言わんばかりにのらりくらりと躱し続けていた。結果的に掠りもしない石英のいくつかがそのまま残る形となり、それが晶音の苛立ちに拍車をかける。
リチェルカが結成されてしばらく経ってから加入したスコーピオンを、晶音は初めて会った時からあまり好きにはなれなかった。口調や態度こそ丁寧かつ慇懃なものの、自分のことは些細なことさえ全く話そうとしないのに(ブレイン・バーストにおいて、リアル情報を秘匿するのが当然であることを差し引いても)、あらゆる情報に耳聡く、どこか煙に巻くような態度に不信感を覚えたからだ。
しかし、エネミー狩りやダンジョン捜索時の作戦や指示は的確なことから、彼が参謀的な立ち位置に納まるのにそう時間はかからなかった。リチェルカメンバーからも一定以上の信頼を得ていたし、行動こそ共にしていてもレギオンに加入していない自分が波風を立てるのも筋違いだろうと、晶音は誰にも心中を話すことはなかった。今にしてみれば後悔しかない。
無言で、しかし強く念を込めて晶音は必殺技ゲージを消費して、スコーピオンの背後に横に広がった壁を発生させた。壁は津波を凍らせたかのように、スコーピオンに向かって覆い被さる形で広がり、飛び越えることを阻止する。
──これなら回避は不可能……!
晶音が横薙ぎに杖を振るうと、先端のクリスタルの輝きに呼応し、何本もの鋭く尖った石英が横並びになって前方のスコーピオンを襲った。
星屑のように輝く砂が巻き上がり、石英の槍と壁の衝突音が響く。だが、その間に挟まれて串刺しになっているはずのスコーピオンの悲鳴が聞こえてこない。
やがて、石英からやや離れた位置の砂が盛り上がり、何食わぬ顔をした無傷のスコーピオンが這い出てきた。
「ふぅ……今のは少しばかりヒヤリとしましたよ。ここが砂地じゃなかったら、危なかったかもしれませんねぇ。しかし──」
砂を払い落としながら、アイレンズを細めてスコーピオンが溜め息を吐いた。
「話の途中で問答無用で攻撃なんて……ひどい人だ。昔は行動を共にした仲間の一人だったというのに」
「貴方は……最低の裏切り者です。その口でリチェルカについて語らないでください」
「おっと、これは手厳しい。でもまぁ、いいでしょう。そろそろ貴女の必殺技ゲージも底を尽きたでしょうから」
「っ……!?」
そこで晶音はアトランティスに入る前にフルチャージしていた必殺技ゲージが、もう二割も残っていないことにようやく気付いた。
「気付きもしなかった、という顔ですね。その様子では無駄打ちさせる為に私が逃げ回っていたことも理解していなかったようだ」
そう言いながら晶音に近付くスコーピオン。
晶音はスコーピオンの足元から石英を発生させるが、またも容易に躱すスコーピオンを見て、はっとなった。
「いつもより遅い……。まさか、それで……」
「貴女の石英はしっかりとした足場でなければ出せない。そしてこの砂浜……」
スコーピオンが爪先で足元の砂をほじくると、さらさらと砂が流動する。
「貴女の石英が砂の上に発生するのではなく、砂の中から飛び出すのは、ある程度砂の自重で固められた足場が作られる必要があるから。その分、発生速度にタイムロスが発生し、その杖の発光を確認しなくても、出現のタイミングと位置が把握できるというわけです。──もっとも、石英の重みで砂によって構成された不安定な足場が崩れないあたり、そこはゲーム的補正があるようですがね。リアルなのだか大雑把なのだか……。ブレイン・バーストは本当によく分からないゲームだ。ククク……」
喉を鳴らして近付いてくるスコーピオンに、晶音は反論できなかった。
「しかし、つくづく貴女という人は冷静に見えてその実、とても直情的だ。昔もそうです。エネミー狩りの時などで仲間が窮地に陥ると、動揺を隠し切れていなかった。他の方が気付いていたかは知りませんが、私は見抜いていましたよ」
「……黙りなさい」
動揺を堪える晶音を、スコーピオンは更に揺さぶろうとする。
「その癖、皆が何度もレギオンの加入を進めても首を縦に振ろうとしない。そう言えば貴女、東京に住んでいたこと以外に昔のことは全く語ろうとしませんでしたね。籍を置いていたアウトローで喧嘩別れでもしましたか? それとも他に気まずい理由でも?」
「いい加減にしなさい、魂胆は分かっています。無駄なことです」
「図星でしたか? ──あぁ! もしかすると、一定以上踏み込んだ関係になると、皆が永久退場した時に辛いから、あえて一線を引いていたと。いやいや何とも意地らしい──」
「黙って!!」
晶音の叫びと共に杖頭のクリスタルが輝くと、石英がスコーピオンを取り囲む形で発生し、全方位から突起が迫る。
だが、スコーピオンは両足に加え、後頭部から垂れ下がるサソリの尾を地面に押し付け、力を込めることで跳躍の補助とし、紙一重でこれを避ける。そして、着地と同時に駆け出すと晶音ではなく、心意技の毒を受けて倒れ伏す宇美の元で立ち止まった。
「ほぅら、やはり周りが見えなくなる」
どこか呆れているような、それでいて冷たい声で言い放つと、スコーピオンは尾を宇美の胴体に巻き付けて、ぶんと一周回してから晶音めがけて放り投げた。
晶音は慌てて宇美を受け止めようとするが、非力な体は衝撃を吸収しきれずに宇美諸共倒れ込むと、右腕に何かが巻き付いた感覚が走る。その途端に右腕が引っ張られて宇美から引き剥がされ、先程自らが作り出した石英の塊の一つに叩き付けられた。衝撃に息が詰まる。
「あうっ……!」
「どうやらあれからレベルも上げたようですが、それも大して活かせませんでしたね」
「──どうして……」
「はい?」
「どうして貴方は……リチェルカを裏切ることができたのですか……。一緒に過ごしてきた彼らを、どうして全損にまで追い込むなんて真似ができたのですか」
意地でも聞くまいと思っていたが、晶音はついに堪えることができなかった。アトランティスの存在を知った(今となっては、知ってしまったと言った方が適切かもしれない)リチェルカメンバーを、加速世界から追いやった理由はまだ分かる。そちらではなく、数年の付き合いがあった仲間達に手をかけられる、その精神が晶音には理解できなかった。
本当は理解もしたくなかったが、それでも訊ねたのは、この状況ではスコーピオンと会話をする以外にできることがない晶音が何かしらを得ようという、言ってしまえば悪足掻きだった。
そんな晶音を、じいっと無言で見つめていたスコーピオンは、やがてやれやれと首を横に振る。
「……私もね、彼らには悪いことをしたと思っていますよ、本当に。でも、仕方なかったのですよ。口封じという意味だけでなく、私自身のどうしようもない問題でもあります」
「……?」
「全く分からないといった顔だ。そうですね……こんな話を知っていますか?」
そう言うと、スコーピオンは話を切り出した。
「ある所に流れる川の向こう側へ行きたい、一匹のサソリがいました。
川は見渡す限り伸びていて、地続きになっている場所も渡り橋も見当たりません。
移動手段がなく困ったサソリは、そこに通りかかった一匹のカエルを見つけて頼みました。『どうか自分を背に乗せて、向こう岸まで運んでほしい』と。
ところが、『君を背中に乗せたら、刺されるかもしれないじゃないか』とカエルは嫌がります。
そんなカエルにサソリは、『川を渡っているのに君を刺したら、自分まで溺れてしまう』と言って諭しました。
これに納得したカエルは、サソリを背に乗せて泳ぎ出します。ですが、川の中ほどまで進むと、結局サソリはカエルを毒針のある尾で刺してしまいした。
カエルは苦しみながらサソリに言います。『嘘つき。刺さないと言ったのに、君を信じたのに、どうして刺したんだ』。
一緒に川底へと沈みながらサソリが言います『仕方がない。それがサソリのサガなのだから』とね」
少しだけ間を置いてから、スコーピオンが口を開いた。
「……この
「それなら……その話は何だと言うのですか」
「まぁまぁ、最後まで聞いてください。バーストリンカーになる少し前にこの話を聞いた私はね、後に《親》を全損させた時に、こう思ったのですよ。『あぁ何だ、あの話はデュエルアバターをサソリのモチーフにするほどに、私の心に響いていたんだなぁ』とね」
「っ!?」
自らの《親》を全損させたという衝撃的な事実を、まるで世間話でもするかのように平然と語るスコーピオンに、晶音はただ絶句することしかできなかった。
「エピュラシオンメンバーの内、何人かは《親》からひどい扱いを受けていたらしいのですが、私の場合は別に虐げられていたわけではありませんでした。むしろ、あれやこれやと親切にしてもらっていたくらいです。でもね、己のリアル情報を知っている人物がいると、後々衝突でもしたら不便なことになるかもしれないでしょう? リチェルカの仲間達にしてもそう。皆さん、私を信頼してくれていたようですが、あちこち嗅ぎ回ってダンジョンを徘徊する彼らが、いずれ東京にも進出するであろう面倒な存在になるのは目に見えていました。要するに、私にはどうしようもなく我慢ならないのですよ、私を脅かすであろう存在がいることがね。それが私の性分、サガなのです」
「そんな……そんな身勝手な理由で貴方は、罪のない彼らに手をかけたと……?」
声が震えている晶音に対し、スコーピオンは、はてと首を傾げるだけだった。
「もしや、他に何か止むを得ない理由があったとでも? 自分の身に降りかかる火の粉を事前に払おうと行動することは、人間として至極真っ当な行動でしょうに。あぁ、それとですね。寓話と違って、私は話の中のサソリのように共倒れになるような真似はしません。周到に準備して望みます。ほら、これもまた人間的でしょう?」
無感情にそう言ってのけるスコーピオンが晶音には、かつて心意技でなすすべもなく連続で死亡させられた時の何倍にも恐ろしく見えた。
悪いと思っているなど大嘘だと分かってはいたが、欠片さえも罪悪感を抱いていないとまでは完全に想定外だ。聞くべきではなかったと、後悔してももう遅い。何かを得ようと話を切り出したが、得るものどころか、何か失ったような気さえする。唯一晶音が得た情報は、自分がスコーピオンを理解することなど永遠にできないということだけだった。
対するスコーピオンは、そんな晶音の心を見透かすような口振りで、思いもよらないことを口にし出した。
「別に理解してほしいとは思いませんが、貴女も同類みたいなものでしょう? ジャッジさん」
「……何の話ですか? 私は貴方のように──」
「身勝手ではないと? では聞きますがね。貴女は先程私に攻撃をしていた時、そちらのお嬢さんのことを頭に入れていましたか?」
「え……?」
首だけどうにか動かした晶音は、離れた場所で倒れ伏す宇美を見てから、記憶を振り返った。そして愕然とする。スコーピオンに挑発を受けてから宇美を投げられるまで、スコーピオンを倒すことしか頭になかったからだ。宇美がどこにいるか把握し、巻き込まないように配慮した憶えはない。
「頭の隅にでも置いていましたか?」
「私は……そんな……」
スコーピオンの念を押すような確認に息が詰まる晶音。どうにか声を搾り出すが、会話になっていない。
「貴女の出した石英が、ともすれば彼女に当たっていたかもしれないのですよ? それを考慮して私に攻撃していたと、胸を張って言えますか?」
「ち、違う、違います……」
両手首を押さえられていなければ、晶音はその場にへたり込んでいただろう。すでに両脚に力は入っていなかった。
追い討ちをかけるように、スコーピオンの言葉が毒のように晶音に染み込んでいく。
「私のことを憎く思うあまり、貴女は他人を利用していたのではないですか?」
「利、用……?」
「ええ。ここは現実の時間で半年に一度だけ出現する幻のダンジョン、アトランティス。例えばここで死亡状態になっている時に、時間になってここが消えたとしましょう。その時、そのバーストリンカーは最低でも半年間は、いわゆる《封印》状態にされてしまうかもしれない。無制限中立フィールドに訪れることができなくなる可能性は充分に有り得ます」
それは大悟も、晶音自身も考慮していたことだ。だからこそダイブ前には保険となる、タイマーによる自動切断セーフティの準備もしていたし問題はない。
だが、極寒の吹雪に晒されて全身が凍えてしまったかのように、小刻みに震える晶音が声を出せずにいると、スコーピオンが畳みかける。
「その他にもイレギュラーが起こり得るのが、加速世界というものです。何年もバーストリンカーをやっている貴女なら理解しているでしょう。貴女はそれらを踏まえた上で、アウトローをここまで導いた。それは何故か……」
「違……や、やめ──」
「それは貴女が、彼らを自分の目的達成に必要な駒として利用する為に他ならない」
まるで一昔前のサスペンスドラマで見られる、追い詰められた犯人へと投げかけられるようなスコーピオンの宣告受けた途端、晶音の全身を苛む悪寒が消えた。しかし、それは厳密には間違いである。
悪寒どころか、全身の感覚がない。視界が徐々に数字のゼロに埋め尽くされ、それ以外に何も見えなくなっていく。
聴覚より伝わる音さえも段々と遠くなっていく中、くぐもったようなスコーピオンの声がかすかに聞こえてきた。
「おや、やり過ぎましたか。《
やがて晶音は何も聞こなくなり、ゼロに埋め尽くされた視界も完全に真っ暗になり、そして体は全く動かなくなった。
まるで、無機質な石英にでもなってしまったかのように。