アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
第五十四話 正しさとは何か
バーストリンカーとなった者が、加速世界で活動する際のもう一人の自分、分身であるデュエルアバター。このデュエルアバターとは、バーストリンカーの《心の傷》を鋳型にして生み出されたものであり、その体を動かす動力源はその人間の魂、心の熱に他ならない。
しかし、時として無力感、諦めなどの負のイメージがアバターに搭載されている補助回路である、イマジネーション回路へと溢れてしまうことがある。こうなるとバーストリンカーは魂からアバターへと伝わる信号がゼロに埋め尽くされた状態となってしまい、その結果、デュエルアバターがその者の意思に反して動かせなくなってしまうのだ。
石炭と水の無い蒸気機関車が動かないように、闘志無きバーストリンカーにデュエルアバターは動かせない。この現象をバーストリンカーは
──噂では人によって、目だけは見えていたり、耳だけは聞こえていることがあるらしいですが……。
半ば虚ろな意識の中で、晶名は
──あれだけ息巻いて、その結果がこれですか……。
一人で抱え込んで、促されてようやく助けを乞い、思わぬ状況で因縁の相手との再戦が叶ったというのにこの
次に《親》であるのに、倒れた《子》の身を案じることなく私情を優先した姿を見たら、経典はどう思うかだろうかと、自らの《親》について思い出す。
カナリア・コンダクターこと経典が怒ったところを、現実世界でも加速世界でも晶音は見たことがなかった。かつて大悟に訊ねた時も――。
──『あいつが怒ったこと? んー……あっ、三歳の時に俺があいつのプリンを間違えて食っちまった時は怒ったなぁ……。あれは悪いことした』
碌に参考にならない答えが返ってきたが、敢えて深読みすれば、そんな昔に遡らなければならないほどだとも取れる。
──さすがに怒ったでしょうか? それとも悲しそうに失望したのでしょうか? もしかすると黙って見放されていたかもしれませんね……。
思考が知らず知らずの内に悪い方へと向いていることさえ、晶名は気付いていない。
それにしても、
「──なさいって……言ってんでしょうがぁ!!」
いきなり右頬に強い衝撃を受けた晶音は、意識が光の届かない深海から一気に海上まで引き上げられたかのように感じられた。体が水に濡れていることに気付き、音が甦り、鼻腔には潮の香りが広がり、そして視界が色を取り戻すと、眼前には宇美が立っている。
混乱する頭で周りを見渡しながら状況を確認する晶音は、自分が地底湖の浅瀬に移動していること、体力ゲージが一割ほど削れていることに、遅まきながらに気が付いた。
ムーン・フォックスの特徴である、艶やかな毛並みの膨れ上がった尻尾が、徐々に元のサイズに縮んでいる様子から、頬を叩いた衝撃の正体を察する。
おそらく手加減はしてくれていたのだろう、そうでなければこの程度のダメージでは済まなかったはずだ。
「宇……フォックス? 貴女、毒は……?」
「やっと……反応した……」
宇美は回収してくれていたらしい、晶音の杖を放って寄越した。
よく見ると、宇美はアイレンズが不規則に点滅し、苦しそうに息を荒げている。信じ難いが、スコーピオンの心意技による毒に冒されている中で、気力を振り絞って動いているようだ。心意技の修得をしていないはずだが、その存在を知ったことでイマジネーション回路に働きかけ、毒に抗っているのだろうか。
「そうです……スコーピオンは? まさか貴女が……」
「倒してはいないよ。倒れたアンタにあいつがとどめを刺そうとしたところを……横から思いきり吹っ飛ばしただけ。すぐに起き上がってくるだろうから、こっちも迎え撃たないと……。ほら、手ぇ貸すから……立って」
肩を上下させながら、手を差し伸べる宇美。
彼女がスコーピオンに一撃を見舞ったのも驚いたが、それ以上に晶音が驚いたのは、
晶音は水に浸っている右腕を動かそうとして──止めた。それから、首を傾げる宇美に指示を出す。
「……貴女は今の内に先に行きなさい。スコーピオンは性格的に障害を一つずつ潰していくタイプですから、ここに私がいる限り、貴女を追うことはありません」
「ジャッジ……? 何言ってんの、二人であいつを倒すんでしょうが」
「遠くに離れても毒が消えないなら、ここから充分離れた所で一度死亡しなさい。さすがに心意技であっても大抵は死んで復活すれば影響を及ぼしはしないでしょうから」
「ジャッジ、私の話聞いてる……?」
「いえ、それよりも……。もしかしたらメディックなら、状態異常を回復する心意技を会得しているかもしれません。いっそ彼女と合流できることに賭けた方が良策かも──」
「ジャッジ、しっかりして!! もう
晶音は宇美に肩を揺さぶられるが、全く抵抗せずにされるがままとなっていた。闘志は湧いてこず、再び視界の端に数字のゼロがちらついたような気がして、掠れた声を出す。
「私は……駄目な人間です。貴女の《親》としても、人としても……」
うなだれる晶音が観念して内心を打ち明け始めると、宇美が肩から手を離す。
「水流に流された時も、何もできずに貴女に助けられて……。先程もそうです。貴女が倒れているのに、スコーピオンしか見ていなかった。……カナリアであれば、まずそんな真似はしなかったでしょう。スコーピオンを卑下する資格は私にはありません。彼と同類の、自分のことしか考えていない、身勝手で利己的な人間なのです。──分かったでしょう。さぁ、もう行きな──」
パァン!
乾いた音が響き、晶音の左頬に痛みが走った。
それまで口を挟まず、黙って晶音の話を聞いていた宇美が引っ
「……ジャッジ」
目を白黒させる晶音に、ぐいと顔を近付けて膝を着くと、宇美が普段よりやや強めに、改めて名前を呼んだ。
「よく聞いて。私は……カナリアとは直接会ったことはないけど、ジャッジに同じようになってほしいとは思わない。それに、
「成程、そういうことでしたか」
晶音との間に割って入る声を聞いた瞬間、宇美が素早く振り返り、立ち上がった。
その前方には、コキコキと首を鳴らすスコーピオン。宇美に不意打ちを受けたらしいが、さほど傷らしいものは見られない。
「アウトローについて調べましたが、道理で貴女の情報だけがない訳だ。まさかジャッジさんの《子》とはね。《
「虫ケラの毒なんて……、どうってこと……ないわよ」
「クク、威勢の良いお嬢さんだ。まぁ、それが少し不愉快でもありますし? 先に貴女から片付けましょうか」
スコーピオンに標的として定められた宇美が歩き出す。
「フォ、フォックス……」
晶音が呼びかけるが、言うべきことは言ったのか、宇美は振り返りもしない。
その足取りはふらつき、明らかに本調子とは程遠い状態で、宇美はスコーピオンに向かって駆け出していった。
宇美がスコーピオンとの戦闘を開始する中、どうしたらいいのか分からなくなってしまった晶音の脳裏に、亡き父の顔が思い浮かんだ。
父は優しかったが、正しき心を持って生きるよう晶音に常々言い聞かせ、病によって骨と皮だけの体となった最期の時までそれは変わらなかった。
だから、自らのデュエルアバターの名前に
そんな価値観を持つ晶音にとって、穏やかかつ聡明な経典は、理想に近い人物だった。今でも尊敬しているし、自分がそうしてくれたように、彼のように正しき心を持って宇美を導きたいと思っている。だが、そんな晶音に良い顔をしない者がいた。
──『いや、お前さんとカナリアは違うだろ』
いつかのプレイヤーホームでの雑談の最中に、話し相手の大悟はきっぱりと断言した。それが癇に障って、食ってかかったのを憶えている。
そんな晶音に、大悟は面倒臭そうに口を開いた。
──『別に見習うのは悪いことじゃない。ただ、やり方全部を同じようにするのは、いかがなもんかって話。誰一人として同じ姿、同じ能力じゃないのがブレイン・バーストで、人間ってやつなんだからよ』
遥か昔の他愛のない話。今の今まで忘れていたのに、思い出そうとすると驚くほどに鮮明に記憶は甦っていく。しばらく話した後に、大悟はこう締めくくった。
──『ジャッジよ、お前さんは何事にも完璧であろうとする節がある。いいか、完璧さに囚われるな。どんな天才だって人間である以上、間違えることはあるんだ。そうでなけりゃ、そいつは機械か何かだよ。もっと肩の力を抜けよ、カナリアだってミスることくらいあるさ。例えば? ……いや、すぐには出ないな……ゴホン、ともかくだ。そんな考え方もあると、頭の片隅にでも入れておけ』
それから晶音にとって、大きな出来事をいくつか経験した数年後。
父方のいとこである、宇美と久々に話す機会があった。それまで亡くなった父の墓参りや回忌で顔を合わせても、東京を離れてからはどこかよそよそしくなってしまっていた。東京に住んでいた頃は、最低でも月に一度は顔を合わせていたのに不思議なものだ。
親類の中でも宇美は、イギリス人である祖母の血を色濃く継いだのか、同じクォーターであっても日本人と変わらない容姿の晶音とは違い、目や髪の色といった容姿が日本人離れしていた。
それ故か、宇美が学校のクラスで浮いた立ち位置になっているらしいことが、向こうが明言しなくとも話していく内に窺い知れた。晶音は直感的に、宇美にバーストリンカーの素質を感じ取り、ニューロリンカー装着の期間などを確認してからブレイン・バーストの存在を明かし、コピーインストールをしたいかを問うた。
初めは半信半疑だった宇美も、こちらを信頼してくれたのか、あるいは他に思うところがあったのか、最終的に了承した。
インストールが無事成功し、最低限のルールを教えたその翌日。ダイブコールを用いた報告で、デビュー戦を勝利で飾ったと報告する宇美の声は弾んでいた。聞けばその理由は勝利だけでなく、自分も対戦相手も、少数いたギャラリーさえも、誰一人として違う姿であったかららしい。
宇美曰く、自ら選んだり、カスタマイズができるフルダイブ用のアバターではなく、その人間の心を基に創造された、唯一無二の存在であるデュエルアバターであることが重要なのだという。
その時の晶音にはどうもピンと来ず、変わっているな、程度の感想しか抱かなかった。
人として正しくあること。他人と自分との違い。そこに先程宇美に言われたことが、晶音の中に混ざり合っていった、その時だった。
今まで及びもつかなかった一つの考えが導き出され、稲妻に打たれたかのような衝撃が晶音に走る。
「……そうか。そういう、ことだったのですね」
劇的に何かが変わったわけではない。ただ、それまでの価値観を違う角度から見ただけだ。しかし、それだけで千々に乱れていた晶音の心中は、今や明鏡止水の域に至ったと錯覚させるほどに落ち着いていた。
首だけを動かした晶音が目を向けた先には、砂浜に倒れ伏す宇美と、少し間隔を空けて立つ、許せない敵の姿。やることは誰に言われずとも分かりきっている。
「中々に粘りましたが、そろそろ終わりにしましょう。その頑張りに敬意を表して、今回は一撃で仕留めて差し上げますよ」
宇美の生殺与奪権を握るスコーピオンが、後頭部に繋がる尾状パーツを高々と掲げた。
「《スティング・デスストーカー》!」
鎌首をもたげた蛇のように一度たわめられた、サソリの尾が一気に伸張する。鉤状の毒針が直線に形態が変わり、一本の槍と化した一撃が動けない宇美に──。
バシィッ!!
刺さることはなかった。左右から傾いて砂浜から出現した二つ石英の柱が、白刃取りのようにスコーピオンの必殺技を食い止めていたからだ。
「なっ……」
「《パーフォレイト・パニッシュメント》」
スコーピオンが目を剥いて驚愕する中、晶音の杖から真紅の光線が放たれた。
光線の向かう先はスコーピオン──ではなく、砂浜に突き出ている、表面が鏡のように磨かれた二つの水晶の塊。
光線は一つ目の水晶にぶつかると反射により角度が変化し、二本目の水晶の元へと進んでいく。二度の反射を経た直径二十センチ近い光線は、真っ直ぐに伸びた無防備なスコーピオンの尾の真芯へと垂直にぶつかり、焼き切った。
《パーフォレイト・パニッシュメント》。光線を反射する水晶の鏡を必殺技ゲージの消費量に伴い、任意で複数発生させることで軌道を撹乱させた光線で対象を射抜く、クリスタル・ジャッジの必殺技。残り少ない必殺技ゲージでも、発生させる水晶の鏡が二つ程度なら、問題なく発動できる燃費の良さも利点の一つである。
「ギッ……!? ギャアアアアアアアアアア!!」
切断面から血飛沫のように紫の光を噴き出しながら、たまらずスコーピオンが絶叫する。その様子を晶音は一瞥しただけで、すぐに倒れている宇美の元へと向かった。
「ジャッジ……」
「遅くなってすみません。頑張りましたね、フォックス。そして、ありがとう。貴女のおかげで大事なことに気付くことができました」
掠れ声で顔を上げる宇美を、晶音は優しく労い、感謝を述べた。
「私は……正しい人間とは、正しい行動だけを取らなければならないものだと思っていました。そこをスコーピオンに否定され、揺るがされたことで
それこそが、四角四面に物事を捉えてしまう性根を持つ、晶音が陥ってしまった袋小路だった。
「正しい心を持つように」という父の言葉を鵜呑みにしてはいけなかったのだ。おそらく父はその先まで伝えたかったが、十歳にも満たない子供には難しいだろうと、そこまでは踏み込んで教えなかったのだと晶音は推測した。
「しかし、ボンズや貴女の言葉を思い出すことで気付かされたのです。人は誰しもが外面も内面も違い、正解は一つではないのなど。だからこそ、時に道を誤ってしまったとしても、手探りで正解を見つけていけば良いのだと」
過ぎた出来事は元には戻らない。それがどんなに辛いものだとしても。それを受け入れることで、心を曇らせる霧が晴れた。
確かに再び迷うこともあるだろう。しかし、その時はまた自分が進む道を、自ら見つけていくことこそが大事なのだと、晶音はそう結論付けたのだった。
「本当に強い人間は、他人の道を辿るのではなく、自分だけの信念を持つ者なのだと。貴女はそれを私に伝えたかったのですね」
「ジャッジ……。──いや……マジメか」
「えっ!?」
宇美から返ってきたのは、衰弱気味の声であっても分かる呆れ声だった。
予想外だった晶音は、先の閃きに負けず劣らずの衝撃が走り、うろたえながら宇美に確認する。
「え……? だ、だって、そういうことを目が曇っていた私に教えたかったのでは……」
「そんなん知らないし……アンタ、いちいち難しく……考えすぎ」
「わ、私を叩いたのは、活を入れようとしたとか、そういうのではなく?」
「あんまり……ウジウジしてたから……シャンとしなさい……って意味ならあったわね」
話せば話すほど、葛藤していた自分が独り相撲をしていたように思えてきて、晶音は顔が熱くなっていく。
「でも、まぁ……何だか吹っ切れたみたいだし、いいんじゃない? 今も助けて……くれたしね。そろそろ……話すのもしんどいから……後、任せるね」
「……ええ、休んでいてください。ここからは私がやります」
それでも最後にフォローを入れてくれた宇美に、ふっと笑顔を見せると、晶音は意識を戦いへと向ける。仇敵との決着を着ける為に。
「──不愉快極まりますね」
手痛い反撃を受け、余裕が完全に剥がれ去った様子のスコーピオンは、隠すことない苛立ちを晶音達へと向けていた。
「私の予測を逸脱する存在……。もちろん悪い意味でのケースですが、それは私が何より嫌いなものです。それが二人も目の前にいるとは、全く度し難い」
「自慢の毒針を切り落とされてご立腹のようですね。フォックスをわざといたぶるように攻撃していた、貴方の過信が招いた結果だと知りなさい」
「
悪態を付くスコーピオンはインストメニューを開いたらしく、宙で指を動かして一つのアイテムを出現させる。その手に持ったのは、艶消しの黒色をした一枚のカード。
「保険程度にしか考えていませんでしたが……。これ以上要らない抵抗をされて、不快な思いをしたくはないのでね。──《ISモード、起動》」