アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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第六十一話

 第六十一話 顕現するは激情

 

 

 超重力の空間をゴウは大悟と共に走る。

 通常ならば、その場で指一本動かせなくなり、やがて圧殺されるだろうプランバムの《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》なる広範囲心意技から身を守るべく、ゴウは《黒金剛(カーボナード)》を発動させて抵抗していた。

 だが、この空間内では水中に入っているかのように、動きが普段よりも遥かに鈍い。それは大悟も同じだ。

 使用者であるプランバムだけは影響を受けていないらしく、両腕を大剣に変えると、凄まじい速度でゴウ達へ真っ向から突進してくる。あっという間に互いの距離は詰められ、心意の光に包まれた鉛の刃が二つ、ゴウと大悟にそれぞれ振り下ろされた。

 即座に二つの音が響く。一つは大悟が数珠の鎧を纏った右腕で、プランバムの右腕だった大剣を受け流し、大剣が床を叩き割る音。そしてもう一つは──。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 バシィィッ! と何かが叩き付けられるような音。

 肘から先が長さ一メートル、幅は五十センチを優に超える刃に変じたプランバムの左腕を、ゴウが両手で挟み込んで止めたのだ。いわゆる白刃取りである。

 

「今です!」

 

 叩き斬られないように、止めた大剣を左肩の装甲にあてがうゴウが叫んだ時には、大悟が薙刀を握る左腕をプランバムの首へと突き出していた。

 プランバムの両腕の大剣同様に、心意システムの効果が付与されている薙刀は、心意による重力に押し潰されることはない。しかし薙刀はプランバムの喉元、わずか数センチ前で止まっていた。

 

「ぐぅっ……!」

 

 呻き声にゴウが首を向けると、プランバムの右膝から槍が飛び出し、大悟に突き刺さることでつかえ棒の役割をして薙刀を体から遠ざけていた。

 幸い心意の鎧に守られている上に、空いている右腕で槍を掴んでいる為に大悟の本体に届いてはいなかったが、槍は柄の部分が更に伸び、そのまま派手な装飾が施されている壁へと大悟を激突させる。

 

「師匠!」

「この期に及んで、未だに他人の心配をするか」

 

 呆れ交じりの冷たい声と共に、大槌(おおつち)に変化したプランバムの右腕が、白刃取りで両腕が塞がっているゴウへと迫る。

 

「うう……らああああああ!!」

 

 ゴウは無理やり伸ばした右腕で大剣を肩に当てたまま押さえ込むと、自由にした左腕で乱暴に大鎚を殴り付ける。通常時よりも別次元に強度を増した黒いダイヤモンド装甲は、砕けることなく大槌を吹っ飛ばした。

 すぐに肩に乗せていた刃も払い落とし、単身でプランバムに挑むゴウはとにかく相手に息を吐かせる間もなく攻め立てていく。

 

「うおおおおっ!」

 

 絶えず降り注いでいる重力によって体は十全には動いてくれないが、そこは気合と集中力でカバーする。最初は腕を大型の武器に変化させていたプランバムも、徐々に打撃の回転数が上がっていくゴウに対応するべく、いつしか純粋な徒手空拳で対応するようになっていた。

 互いの拳が、脚が何度ぶつかっただろうか。時間の感覚がおぼろげになっていくが、自分が思うほどに時間は経っていないことはゴウには分かっていた。何故なら《黒金剛(カーボナード)》は強力な分、長時間維持し続けられる技ではないからだ。心意修得の修行で始めは数十秒だった持続時間を数分にまで伸ばしていなかったら、とっくに両足で立ってはいないだろう。

 

「……いつぞやの暴走など見る影も無い、見事に精錬された心意技だ」

 

 拳戟の中で、プランバムがゴウに賞賛の言葉を向ける。

 

「だが、やはり単純だ。読み易い」

 

 見透かしたような口振りのプランバムがゴウのガードをすり抜け、左フックと右ストレートのコンボが顔面に叩き込まれた。

 

「ぐ、はぁっ……!」

 

 殴り飛ばされ、床を削りながら滑るゴウがようやく止まると、やがて装甲の色が黒から透明へと戻ってしまう。

 心意技が解けたのを待ち構えていたかのように、心意の重力が容赦なくゴウを押し潰していった。

 

 

 

「《紳》」

 

 ゴウが殴り飛ばされ、プランバムから離れた瞬間を見計らい、壁に激突させられていた大悟は静かにコマンドを唱える。すると、薙刀は必殺技ゲージを消費することで、その柄が勢いよく伸張していく。

 しかし、ゴウとの肉弾戦から間髪入れずに放たれた大悟の一撃を、プランバムは見逃さなかった。再び首を狙った刀身を掴んだだけで、薙刀を止めてしまう。

 

「見抜いていたぞ。貴様が不意を突いてくるであろうとな」

 

 引き抜かれるのを防ごうとしているのか、プランバムの右手が形を変えていく。五指が溶けるように一つに結合し、螺旋状に渦巻きながら刃に絡み付いてがっちりと固定した。

 

「そうかい、これもか?」

 

 強化外装を無力化された大悟は、まるで動じずにその場で軽く跳ぶと、コマンドを呟いた。

 

「《縮》」

「……!!」

 

 薙刀の柄が猛烈な勢いで縮み、握っている大悟はプランバムの元へ急接近していく。

 迫る大悟を見て、プランバムはすぐに絡めていた右手に力を込め、薙刀の刀身の根元をへし折った。

 だが、その時にはすでに大悟はプランバムを攻撃射程圏内に収めていた。役目を果たしてくれた愛用の薙刀に、内心で礼を言いつつ握っていた柄を手放し、心意技を唱える。

 

「《天部(デーヴァ)火天(アグニ)》……」

 

 全身に纏う数珠が本来のものに戻ると、代わるように蒼い炎が大悟の体から噴き出した。防御用の《地天》から、攻撃用の《火天》へと心意技を切り替えたのだ。

 大悟は基本となる四種類の心意技を、長い年月をかけて全て修得したが、これらを同時に発動することはできない。これまで重力から身を守っていた数珠の鎧が消えたことで、これまで以上に不可視の力が体へ降りかかるが、大悟は歯を食いしばって堪える。勝負を決めるには、威力と速度を兼ね備えた一撃を繰り出さなければならないからだ。

 

「コォォォォ……──」

 

 一息で全身へと一気に意識を張り巡らせていく。コロッサルとの戦闘で手足に負担をかけすぎた今の自分では、普段のパフォーマンスで繰り出せる攻撃はおそらくあと一度が限度であると大悟は悟っていた。

 

「──喝!!」

 

 体全体を駆動させて運動エネルギーを生み出し、それら全てを右足に伝達させた蹴りを放つ。同時に炎を象る過剰光(オーバーレイ)が更に燃え上がるように噴き出した。

 迫る一撃に危険を感じ取ったのか、左脚を引いたプランバムから対抗するようにメタリックブルーの過剰光(オーバーレイ)が溢れ出し、交差させたプランバムの両腕と大悟の右足がぶつかり合った。

 衝突から一秒後、大悟の足裏、下駄の二つの歯がプランバムの腕に食い込む。

 衝突から二秒後、地に着くプランバムの両足が後ろへ下がった。

 衝突から三秒後、蹴りのエネルギーがプランバムの両腕を通して、炸裂すると大悟が確信した直後──。

 

「《カウンター・ウェイト》!!」

 

 プランバムの足が床にめり込んで後退は止まり、食い込んだ下駄の歯が進まなくなった。

 ──手応えが急に変わった! こいつ……! 

 大悟は内心で舌打ちをする。

 心意技か、心意を付与した必殺技か。どちらにせよおそらくは、体を高密度化して敵の攻撃を受け止める技なのだろう。腕を交差させて微動だにしないプランバムは蹴り飛ばされることなく、彫像のようにその場に留まり続けた。

 とうとうプランバムが蹴りを受け切ったことで、蹴りの反動によるダメージが大悟を襲う。

 

「があぁっ……! ──うっ!?」

 

 仰向けに倒れ込んだ大悟の腹を、プランバムが容赦なく踏み付ける。

 

「よもや、あのように間合いの詰められるとは露にも思わなかった。《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》も維持し切れなくなるとは。だが、ここまでだ」

「うぐ……く、くくくく……」

「……?」

 

 呻き声が忍び笑いに変わる大悟を見て、不可解そうにプランバムが首を傾げる。

 

「何が可笑しい」

「くくく……思った通りだ。いやね、やっぱり強すぎる力ってのは……持ちたくはないもんだなって──ぐぉっ!」

「それは負け惜しみか?」

 

 プランバムが大悟を踏み付ける右足の力を強めたが、それでも大悟は肩を震わせて笑う。やはりプランバムは勘付いていない。

 

「へ、へへ……だってそうだろ? 残心もしなくなっちまうんだからな。──敵から完全に意識を外すなら、死亡したかくらいは確認しろよ」

「な──!?」

「《モンストロ・アーム》!!」

 

 はっとして気付いたようにプランバムが左側を向くと、すでに重力に押し潰されていたはずのゴウがこちらに向かって走る姿があった。その右腕は体以上の大きさに肥大化している。

 その場から逃がさないよう、大悟は自分の上に乗るプランバムの右足をがっしりと掴んだ。

 

「重力も消えた今なら、よく吹っ飛ぶだろうよ」

 

 

 

 プランバムに殴り飛ばされ、心意技が解けたゴウだったが、降り注ぐ重力に圧殺されてはいなかった。確かに《黒金剛(カーボナード)》は消えてしまったが、プランバムが大悟との戦闘に移ると、微弱ながらも再度心意システムを発動し、機を待ち続けていたのだ。

 体の自由を奪おうとしてくる《鈍重地帯(ヘヴィー・ベルト)》の重力は、すでに大悟との衝突中に消えている。動くのは今をおいて他にない。

 弾けるように起き上がったゴウは駆け出して、肩より上に上げた右腕を引き絞って叫んだ。

 

「《モンストロ・アーム》!!」

 

 膨れ上がる右腕を左腕で支えつつ走っていると、振り向いたプランバムは右足を大悟に掴まれて逃げ切れないと悟ったのか、すぐさま流体金属の服が左半身を覆う大盾に変じて展開し、更には盾がメタリックブルーの光を纏う。

 心意システムを発動されてしまえば、必殺技であってもダメージを与えることはできない。必殺技という事象を心意システムは上書きしてしまうからだ。

 ゴウは巨大化した拳に、強く意識を集中させる。全身の装甲を強化する《黒金剛(カーボナード)》では間に合わないが、一部分だけならこちらも心意システムを発動可能かもしれない。

 ──いや、かもしれないじゃない、やるんだ。失敗すれば次はない。大悟さんが囮になって作ってくれたこのチャンスを、勝機を無駄にするな! 

 自分自身を叱咤し、ゴウは何者にも負けない『硬さ』をイメージしていく。己とアウトローの矜持を『守る』為に。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 強い想いを込めて突き出した腕の内、拳にのみ眩い白い光が迸り、再び黒く染まる。心意の力を付与されたゴウの必殺技《モンストロ・アーム》は鉛の大盾を突き破り──。

 

「……莫迦な────」

 

 信じられないとばかりに呟くプランバムを、先程の意趣返しとばかりに殴り飛ばした。

 拳圧で空気砲さえ生み出すほどのパンチに、砲弾のような勢いで飛ばされたプランバムは、ゴウがこの大広間に訪れた時に座っていた古びた玉座へと衝突する。それでも尚も止まらず、玉座の背もたれを粉砕して奥の壁に激突。大穴を作り出すと壁が崩れ、瓦礫に埋もれていった。

 

「師匠!」

 

 右腕が元の大きさに戻ったゴウは、急いで大悟に駆け寄る。《モンストロ・アーム》によって発生する拳圧は放射状に広がっていくので、直に拳で殴られたプランバムに接触していた大悟の受けた余波は最低限のものだったが、それでも巻き込まれた大悟は床に突っ伏していた。

 

「師匠、無事ですか!?」

「……ぶっ倒れている奴が無事なわけあるか」

 

 ゴウの呼びかけに文句で応える大悟だが、声に剣呑さはなく、冗談であることは明白だった。少しよろめきつつも、それでもゴウの手を借りずに大悟は立ち上がる。

 

「よっ、とと……。裏の裏の裏をかいて、やっと決まったな。お前さんありきの策だったが……」

 

 大悟がゴウに決め手を任せて、プランバムに意識を向ける為に囮役を買った理由の一つは、ゴウの持つダイヤモンド装甲にある。

 ダイヤモンドとは本来、地中深くの高温高圧の地中で生まれる鉱石。その為、緩やかに加えられる圧力には非常に高い耐性を持つ(逆に強い衝撃を急に与えられると、衝撃を与えられる面にもよるが、簡単に砕けてしまう)。

 その一点だけを見れば、重力の心意技を扱うプランバムにとって、ゴウは天敵に近い存在なのだ。事実、ゴウがしばらく発動していた心意システムが微弱なものであっても、降りかかる重力に耐えられた要因の一つであったのは間違いない。

 

「それでもあの土壇場で心意を発動したのは、ひとえにお前さんの力量あってのものだ。修行の成果が出たな」

「あ……ありがとうございます……」

「オーガーちゃん! ボンズちゃん!」

 

 手放しで褒められることに未だに慣れず、ゴウがモゴモゴと返事をしていると、入り口から聞こえた自分を呼ぶ声に振り向いた。

 

「ちょっと、二人してボロボロじゃない! ボンズちゃんたら、服まで脱げちゃって……」

「わぁ、ゴージャスな場所だなぁー。あちこち壊れてるけど」

「わ、わ、大変……」

 

 ダンジョンの仕掛けによって離散していたメディック、キューブ、リキュールと口々に感想を出しながら大広間に入ってきた。続けて二体のデュエルアバターが姿を見せる。

 

「ここは……」

「あ、オーガー!」

「フォックスさん、ジャッジさんも……!」

 

 晶音と宇美も、ゴウと大悟の元へ寄ってきた。皆、傷だらけだ。

 フォックスとリキュールには目立った傷はなくとも無傷ではなく、キューブにはリキュールよりも焦げ跡が目立つ。メディックは体の前面が火あぶりにされたように黒ずんでいて、卵殻型の装甲も、焦げ跡の他にもヒビや融解している箇所さえ見られる。ジャッジに至っては左腕が欠損していた。

 

「皆さんもボロボロですね……」

「これが強敵だったのよー。何とか勝ったけどね」

 

 それでも行方が分からなかった仲間達を見てゴウは一瞬安堵したが、現れたのは五人だけ。これではまだ全員揃ってはいない。

 

「これで全員ですか……? キルンさん、メモリーさん、それにコングさんは……」

「それが分からなくて……。私とメディックさん、キューブ君は一緒に行動していて、ジャッジさんとフォックスさんと合流したのも、ついさっきで……」

「多分、大丈夫だよー。そんな簡単にやられる奴らじゃないし、きっと今頃ここに向かってるってー」

 

 リキュールが申し訳なさそうに事情を説明し、続けて励ますようにフォローを入れるキューブの言葉に、ゴウは頷いた。

 

「まだ集合していない方の安否も確かに心配ですが……。ボンズ、この場所がダンジョンの最奥でいいのでしょうか? ここでの戦いには勝利したのですか? それに《秘宝》は……」

「今は親玉との戦いの真っ最中でな。丁度オーガーが良いのを決めて、そこの壁……瓦礫になっている所だ、殴り飛ばしたんだ。でも多分、まだ死んではいないから、すぐ出てくるぞ。それと《秘宝》な……実はもう奴が手に入れていて──」

 

 大悟が晶音に説明しているそばから、大広間の一角を占める瓦礫が内側から音を立てて蹴散らされた。大穴からは鉛色、どころか鉛そのものであるデュエルアバターが姿を現す。

 

「……噂をすればだな。あいつがエピュラシオンのレギオンマスター、プランバム・ウェイト。あの左胸に付いている金ピカがこのダンジョンの秘宝、《オリハルコン》。装着者のポテンシャルを最大限に高めるそうだ。今の奴は王並みに強いぞ。それと、集中するとダンジョン内のバーストリンカーがいる場所を把握できるようになるらしい」

 

 大悟の簡潔な説明に一同がどよめくが、この破格の効果を聞けば無理はない。

 プランバムは服が破けて、上半身の左側が露出していた。肩から二の腕にかけての部分には、アバターと同色の長方形をした筒状の物体が取り付けられている。おそらくは、あれが鎖分銅の収納機構なのだとゴウは推測する。そして、露わになっている左胸に埋まる《オリハルコン》。今は発光していないようだが……。

 ゴウ達とプランバムが、無言で睨み合うしばしの膠着状態になると、やがて大悟が口を開いた。

 

「潮時だな……。プランバム、今日のところはここでお開きといかないか?」

「はい?」

 

 応えたのはプランバムではなく晶音だった。

 

「何を言っているのですか! 今の今まで戦っていた敵を前に! それに勝負を放棄するなんて貴方らしくもない……」

「……お前さん、ちょっと見ない内に何か吹っ切れたか? まぁ、今はいいか……ともかく聞け」

 

 見るからに納得していない晶音を、不思議そうに眺めてから宥める大悟は、プランバムに向き直って話を続けた。

 

「そもそも、俺達より先に《オリハルコン》をお前さんが手に入れた時点で、ここでの決着は着いていたも同然だった。こっちも挑みはしたし、お前さんは俺達を逃がさないと言っていた。だが、俺とオーガーだけでそこまで負傷した身で、加えて五人も相手が増えたこの状況、勝てるなんて思ってないだろ? ただ、もうしばらくすれば倒した奴らも復活するだろうから、そうなったらもう泥沼だ。さすがにそれは避けたい」

 

 要するに大悟は時間切れだと言っているらしい。

 大悟の言うように、ゴウ達がこのアトランティスで戦う理由はすでになくなっていた。一回プランバムを倒しても《オリハルコン》を奪取できるわけではないし、ひたすら連続で倒すのも現実的ではない。もしかすると大悟は最初から、仲間達とこうして合流した時点を戦闘のリミットとして考えていたのかもしれない。

 ゴウとしても引き際を(わきま)えられないような真似はしたくなかった。……不完全燃焼感は否めないが

 

「どうだ? お前さんにしても、ここでこれ以上の戦いは不毛でしか──」

 

 ピシッ。

 

 不意にそんな音が響いた。

 先のゴウの一撃によるものなのか、プランバムの仮面に一筋の亀裂ができた音だ。左頬から口元にかけて斜めに走った亀裂は、無貌の仮面が笑っているようで、ひどく不気味に見える。

 プランバムは仮面にできたばかりの亀裂を指で無言でなぞり──。

 

「……フフ、ハハ……ハハハハハハハハハハ!!」

 

 瓦礫の中から出てきて以降、沈黙を保っていたプランバムは唐突に声を上げて笑い出した。

 だが、乾いた笑いと言うのだろうか。ゴウはここまで喜びや楽しいといった感情とかけ離れた笑い声を聞いたのは初めてだった。軋むような調子の声と仮面の傷も相まって、より恐ろしく感じられる。

 

「……何度も言わせるな。ここから始めるのだ、加速世界の秩序を正す為に。貴様らもまた、その対象の一つ。誰一人として逃がしはしない」

 

 足元の瓦礫を踏み砕いて歩き出したプランバムは、先程自身がぶつけられたことで背もたれが砕かれた玉座の前で止まった。

 

「……やっぱり、そのアイテムはあまり良い物じゃなさそうだな。この人数差じゃ、それは叶わないと分からないほどに頭が回らなくなったか」

「貴様の言う通り、貴様ら全員を相手取るのは不可能だ。……私ではな」

「…………!? 全員、入口の──」

「もう遅い」

 

 何かを察したらしい大悟の指示よりも早く、妙な気配を感じてゴウが入口の方を振り向くと、扉を覆い隠す真っ黒な穴が出現していた。

 天井から床、壁の端から端とほとんど同じ高さと幅をした楕円形のそれは、SFを題材にした作品に登場するような、別の次元に繋がる空間の扉を思い起こさせる。

 

「……リキュールちゃん、ちょっとあそこ撃ってみて」

「は、はい……」

 

 メディックに頼まれたリキュールが肩に掛けていた銃を構え、黒穴へ向けて数発の弾丸を撃つ。

 弾丸は波紋を立てて黒穴に当たっても、止まることなくそのまま直進していき、やがて見えなくなってしまった。その様子に一同は唖然とする。

 

「……海?」

 

 ゴウは自然と言葉が口を突いて出ていた。このアトランティスに訪れてから、ずっと潮風の匂いを感じてはいたが、黒穴からはこれまで以上に潮の香りが漂ってくる。

 

「……貴様らにとっての唯一の出口は封じた。この《オリハルコン》を身に宿した者は、アトランティスを手中に収めたのと同義。そして──」

 

 謎の空間への入口を発生させた張本人、プランバムの左胸の《オリハルコン》が再び輝き出す。それも、輝きは規則的なリズムで波状に広がっている。かすかに、りん、りん、と鈴が鳴るような音を立てて。

 その光景にゴウは嫌な予感がした。何かとんでもないことが起きるような、胸騒ぎがして収まらない。

 他の皆も何やら只事ではないとは理解しているようだが、あまりに異様な状況に下手には動けずにプランバムと黒穴、自分達を挟む形になっている二つへ交互に注意を向けている。

 

「今、何か光らなかった……?」

 

 そんな中、宇美が黒穴を指差した。

 ゴウもよく目を凝らしてみると、確かに奥で何かが光っている。途端に黒穴が水面のように波打ち、震えた。

 大広間を満たす《オリハルコン》の輝きが強く、りん、りん、と鈴鳴りの間隔が段々と速くなっていく。まるで、『何か』を呼んでいるような──。

 これに連動するかのように黒穴の震えが激しさを増し、黒穴の向こうから見える光もみるみる大きくなっていく。まるで、呼ばれた『何か』がこちら側に近付いているような──。

 

「さぁ、現れろ。アトランティスに封印されし守護獣──《リヴァイアサン》よ!!」

 

 黄金の光、鳴り響く鈴の音、黒穴の震動。それら全てが最高潮に達し、プランバムが高らかに叫ぶと、黒穴の表面が爆発したように弾けた。

 ゴウが感じたように穴の向こうは海水で満たされていたようで、大量の飛沫がかなり距離の開いたゴウ達にもわずかに降りかかるが、そんなことは瑣末な問題でしかない。

 撒き散らされる海水と共に黒穴から現れ出たのは、全身が鉛色の鱗で覆われた、途轍もなく巨大な怪物、海竜型のエネミーだった。

 長い体の背中には、ヨットの帆のように広がる背(びれ)が何枚も突き出ていて、左右側面には背鰭より二回り近く大きい一対の胸鰭と、規則正しく小さな棘が並んでいる。棘を境にして腹部は蛇腹状で、背面部よりも鱗の厚さが幾分薄くても、脆弱さなどまるで感じさせない。

 頭頂部には後ろに向いた二本の大角。両頬には体同様の鋭い棘条(きょくじょう)を軸に皮膜が付いた鰭。鋭い牙がずらりと並んだワニにも似た長い口吻からは、ざあざあと海水が流れ落ちている。

 そして、光が一切見えなかった漆黒の空間内で光っていたものの正体である、《オリハルコン》同様の金色をした双眸が爛々と輝いていた。

 

「────────────────────ッッッ!!!!」 

 

 頭を天井に向ける海竜が空気を嗅ぐように何度か首を左右に振ると、ぐばっと顎を大きく開いて、鼓膜を突き破らんばかりの耳を(つんざ)く大音響で吼える。

 悠久の昔より、光の届かない深海に閉じ込められ続けていたことに対し、抑えることなく憤怒しているかのように。

 


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