アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ   作:クリアウォーター

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第六十五話

 第六十五話 無法者のヴォカリーズ

 

 

 曇天の空に、かっ! と稲妻が走り、やや間を置いて雷鳴が轟いた次の瞬間には、水の入ったバケツをひっくり返したような雨が降り始める。

 夏の午後の夕立。里帰りで赴いた祖母の家の居間で、ゴウは窓の外を眺めながら、隣に座る祖母にぴったりとくっついていた。

「大丈夫?」と優しく声をかけてくれる祖母に、ゴウは平気だと強がる。しかし、再び雷が落ちるとゴウは固く目を閉じて、首を縮めていた。怖いのなら最初から窓の傍から離れていれば良いのに、それでまた目を開けて空を眺めているのは怖いもの見たさからか。自分でもよく分かっていない。

 そんなゴウに、祖母は「おばあちゃん怖いから、ゴウ君もっとくっついてくれる?」と助け舟を出してくれた。ゴウは祖母のフォローにも気付かず、これ幸いと密着を続ける。

 しばらくすると、かなり近くに落ちたのか、ピシャーン! どころか、バキバキバキィ!! と一際大きな落雷が轟いた。人智を超えた自然の力を目の当たりにして、ゴウは飛び上がって祖母の腕にしがみ付く。

 ゴウは震えながら、どうして雷は起こるのかと祖母に質問した。

 すると、祖母は「雷はね、お空の上に棲む雷神様が落とすの。雷はすごく危ないけど、雷が沢山落ちると、その分だけお米が沢山とれるようになるんだよ」とゴウを宥めながら答えた。

 それを聞いたゴウは、雷神がどうして危険な雷を落とすのか、どうして雷が落ちたら米が沢山とれるのかと次々に祖母に質問していき、最後に聞いたのは「雷神には名前があるのか」というものだった。

 祖母はきょとんとした表情の後に、にこりと笑みを作って頷いた。

 祖母曰く、雷神の中でもすごく偉くて、すごく力持ちの神様がいるという。その神様の名前は──。

 その名前を祖母が口にすると、まるで名乗りを上げるように、また一つ雷が落ちる。

 この雷を最後に、やがて空は晴れ始め、曇天は夕焼け空へと変わっていった。

 そんな、夏の思い出。

 

 

 

 意識を取り戻した直後に走った胸の痛みに、ゴウは顔をしかめた。

 ──今のは三歳か四歳だった時の……これが走馬灯ってやつなのかな……。

 加速世界では睡眠も可能だが、ダメージによって長時間失神することはほぼ有り得ない。今回も気絶してから数秒しか経っていなかったらしく、プランバムは立っている場所から動いておらず、暗い鉛色のオーラを漲らせたままだ。

 ──……引力か何かを発生させて、僕を引き寄せたのか? 体の自由が奪われるくらい強力なやつで……。あの重いパンチは実際に体の密度を上げて重くなっているからだな……。重力の発生源になる心意技か? 何であれ、無茶苦茶もいいとこだ……。

 いつまでも痛みを堪えているだけでは、事態は絶対に好転しない。ゴウはどうにか頭を巡らせて、自分が何をされたのかを推測し、対策を立てようとする。

 

「しぶとい……」

 

 ゴウが死亡していないことを確認したプランバムが、再び腕を上げようとしている。今度同じことをされれば、心意技も解けているゴウに耐える術はないだろう。良案は浮かびそうになかった。

 ──くそ……、これで終わりか? ここまでなのか? そんなの……嫌だ。だって……だって僕は目の前の男に何も……何一つ、伝えられていないじゃないか……! 

 ゴウにはプランバムについて、一つ分かっていることがある。

 それは、こちらの行動に対して感想を口に出しこそすれ、プランバムは一貫してゴウ達をバーストリンカーではなく、己の悲願を妨げる障害の一つとしか思っていないということ。

 これではゴウにとっての、真の意味での対戦ではない。勝負でもない。ゴウはそれがたまらなく悔しかった。

 プランバムの腕がこちらに伸ばされ、ゴウが不可視の力を感じると、まず先にゴウが激突したことで砕けた壁の欠片が、プランバムの元へと飛んでいった。

 どうやら引力の対象は個人などの限定されたものではなく、ある程度の決められた範囲内になっているらしい。自分だけではなく、より軽い物体である壁の欠片が先に飛んでいったことから、そう判断付けるゴウ。しかし、自分もプランバムの発生する引力の餌食になるもの時間の問題だ。

 ──本当に、もう何も打つ手はないのか? 何か……何か……! 何か!! ……そうだ。

 はっと閃いたゴウは引き寄せられないように、壁にできた突起を左手で掴むと、右手でインストメニューを開いて操作を始めた。

 

「無駄な足掻きだ」

 

 プランバムが腕を伸ばしたまま近付いてくる。

 強まる引力に両足を踏ん張り、左手で壁の突起を強く握り締めてどうにか耐えるゴウは、アイテムストレージの項目を開いた。

 

「どこに、どこに……あった……!」

 

 目当ての物を探し出したゴウの手に、一枚のカードが実体化した。それはトランプのカードと同じようなサイズをした、濃い灰色のアイテムカード。

 ゴウが一ヶ月間に及ぶ、無制限中立フィールドでの心意技修得の修行の最後に、大悟から渡されたものだ。

 大悟は「何が何でも負けられない時に、駄目元で使ってみろ」と言うだけで、どういったものなのかは教えてくれなかった。

 ──今がその時……頼む……!! 

 ゴウは藁にも縋る思いで、カードの中心をタップした。

 タップしたカードに、真紅の三角形をしたマークが浮かび上がると、眩い光がカードから溢れ出す。その色は派手な黄色。

 

「う──」

 

 訳も分からずにカードを凝視しているゴウを、光が意思を持っているかのように包み込んだ。

 

 

 

 ──ああああっ!? …………あれ? 声が……。

 謎の光が自分に殺到し、叫ぼうとしたゴウだったが、声というより音が出ていない。思考として頭に浮かぶだけだった。

 ──……って体も無い! それに、ここは……。

 まるでずっと昔の一人称視点のゲームのように、どんなに首を動かしても自分の体が見えないのでゴウが困惑していると、ここが今までいた場所ではないことに遅まきながらに気が付いた。

 ここは、たった今までプランバムと戦っていた、アトランティスのどこかではない。

 夜空に浮かんだ大きく美しい満月が地上を薄く照らす、神殿風の建物の屋上。これは間違いなく、ブレイン・バーストの対戦フィールドの一つ、《月光》ステージだ。

 ──どうしてこんな所に……。もう何が何だか──。

 

「──録れてるよね……。さてと、上手くいくかな?」

 

 益々混乱していくゴウの耳に、少年特有の高い声が届いた。声に反応してゴウが目線を上げると、いつの間にか前方には一体のデュエルアバターが立っている。

 肩章を着けた、華美な礼服を思わせる装甲だ。頭部には鳥の嘴のような突起が付いていて、黒く小さめなアイレンズはくりっとした円形。

 ボディーカラーは明るく派手な色合いをした、黄色いM型アバターだ。背丈はダイヤモンド・オーガーとさして変わらない。

 ゴウの知らないアバターであったが、そのボディーカラーには見覚えがある。というよりも、先程の光と全く同じ色だ。

 

「……えーと、始めましてか、そうじゃないかは知らないけど、最初に名乗らせてもらうね。僕はカナリア・コンダクター。よろしくー……で良いのかな?」

 

 ゴウは小さく手を振っているアバターの名前を耳にした瞬間、心臓が飛び出そうになった。

 カナリア・コンダクター。大悟の弟、如月経典の分身であるデュエルアバターで、晶音の《親》である彼が、どうしてこの場所に現れているのか。

 全く理解が追い付かないゴウに頓着することなく、カナリア──経典は話し続けている。

 

「このリプレイ・カードを起動した君が何者なのか、周りに誰かいるのかは分からない。けど十中八九、僕が渡した人から貰っているだろうから、君がこのカードを託した彼とそれなりに関わりがあると仮定して話を進めよう。一応、固有名詞はぼかすけどね。……って、そもそも簡単な説明くらいは受けているのかな? いや、あいつは言葉足らずだからなー……。まぁいいや、あまりお喋りもしていられないから手短に話そう」

 

 初めてゴウが聞く経典の声は、当時の年齢である一桁とは思えないくらい落ち着きを払っていて、耳に心地よい穏やかなものだった。

 そんな経典が生まれた直後から虚弱で、今より六年以上前に病によってこの世を去っていることをゴウは知っている。他でもない双子の兄である大悟から、話を打ち明けられていたからだ。

 

「えー、最初に一つ。君がこの映像を見ている頃には、僕はこの世にはいないでしょう。加速世界にも、現実世界にも。未練はもちろんあるけど、幸福だったと胸を張って言える。このブレイン・バーストに出会って、加速世界で何十年分も人生を過ごせたからね。──でも、せっかくだから、何かを遺しておきたかったんだ。誰かの役に立てるような何かを。そこで一つ、僕は運試しをすることにしたのさ」

 

 どこか悪戯っぽい表情で、ぴしっと人差し指を立てる経典。

 

「君は知っているかな? このブレイン・バーストには人の意志が生み出す力があることを。僕はこのカードにその力を込めた……つもりだ。いやぁ、何てったってぶっつけ本番の思い付きだからさー。ただ力を発動しているところを記録するだけの可能性の方が、断然高いんだよね。それにアイテムカードって高いから、そんなにホイホイ買えないし、他の高い買い物もしちゃったし。……あいつ、怒るだろうなぁ」

 

 少し茶化すように話す経典の最後の呟きには、悲壮感とも取れるものが含まれていた。

 ゴウが話で聞いたことのあるリプレイ・カードとは、カードで記録した光景を立体映像で映し出すものだ。しかし、カードを起動したゴウはプランバムの心意技に抵抗している最中だったのに、今は引力も感じないし、何よりプランバムの姿も見当たらない。まるで別の次元に移動してしまったかのように。

 この信じられない現象を経典は人の意志が生み出す力、心意システムの力をアイテムカードに付与したからだと言う。実際に体感していても、半ば信じ難い話であるが。

 

「──ただし、この力は万能じゃない。あくまで僕は君の背中を、ほんの少し押すだけだ。何を成すのかは、全て君次第ってことを覚えておいてね。……まだ少し時間はあるか」

 

 経典は顎に手を当て、ふーむ……と悩むような素振りを見せたが、すぐに意を決したように頷いた。

 

「……もしもこれを見ている君が、僕について何か知っている人であるなら、少し伝言を頼みたい。あぁ、心当たりがないのなら、聞き流してくれて構わないよ。──まずは加速世界で出会い、長く一緒に過ごした二人へ。何も言わずにいなくなったこと、どうか許してもらいたい。リアルの素性も知らなかったけど、君達以上に頼れる存在はいなかったから甘えてしまった……。次にちょっと欲張って、増えているかもしれない仲間達に。僕らの作った居場所が、君らにとってかけがえのない止まり木になっていると嬉しいな」

 

 いつしかゴウは疑問も忘れて、経典が語る想いを一言一句逃さないように耳を傾けていた。

 

「──それから、僕の《子》へ。君にも何も伝えないで、勝手に加速世界を去ってしまってすまない……。君が僕の現状を知っていることを差し引いても、あまりに身勝手だよね。でもこれだけは知っていてほしい。不甲斐ない《親》だった僕だけど、君という《子》を持てたことを誇りに思っていたということを。あ、あと皆とも仲良くね。後輩や《子》ができたら優しくするんだよ。……そこは心配要らないか。それじゃあ、最後にカードを起動した君へ。んー……これは僕の勘だけど、もしかしたら君は、あいつの《子》なんじゃないかって思うんだよね。確率的には五割くらいかな。そうだとしたら、君からも言ってやってほしいんだけど──」

 

 本当は現在のゴウやアウトローのことを把握しているのではないかと思えるほどに、様々なことを的確に言い当てながら経典は続ける。できる限りの言葉を詰め込もうとするかのように。

 

「──っとごめんごめん。君へのメッセージなのに、何だか伝言役の割合が多くなっちゃってるね。コホン……願わくば……僕という存在がこの世にいたことを憶えていてくれますように。僕は君に直接会うことはできなかったけど、君が君の信じた道を進んでいけることを祈っているよ」

 

 やがて、経典の体が眩い輝きを放ち始める。

 

「さてと! それじゃあ一丁、君と君の大切な人達の為に歌うとしよう! 結構頑張るからね、時間にして何分くらいいけるかな? 僕の力が保つといいんだけど……。タイトルはそうだな、んー……よし、決めた。何者にも縛られない、無限の自由と可能性を君に。──《自由に生きる者(アウトロー)》」

 

《月光》ステージの満月の月明かりよりも遥かに強く、そして暖かな光にゴウは包まれていった。

 

 

 

 気が付くと晶音は、大広間の床に倒れていた。それだけではなく、誰かの腕が胴と頭に回され、抱き込まれている。まるで、守られているかのように。

 

「う……どうなって……」

「よぉ、無事か?」

「ボンズ……? ……ボンズ!? ちょ、ちょっと離してください!」

 

 やけに大悟の声が近くに聞こえ、晶音は自分が大悟に抱き込まれて倒れている状態になっていることを理解した。じたばたともがくと大悟はすぐに晶音を放し、のっそりと立ち上がる。

 

「まさか、一度も攻撃していないこっちに来るとはな……。油断していたつもりはなかったが、予想外だった。……抱き付く形になったのは悪かったが、緊急事態だったんだ。分かるだろ? さすがにそこまで拒絶されると傷付く」

「そ、そうではありません! いえ、それもありますけれど……とにかく! 戦況は一体──」

 

 晶音も立ち上がって辺りを見渡すと、リヴァイアサンが再び黒い穴に引き摺り込まれる状態になっていて、仲間達が攻撃に移っていた。

 

「キルンはゴーレムが大破したが、本人はすぐに脱出して無事だ。残骸もストレージに回収していたし、そのへんは抜け目のない奴だな、まったく」

「……そうです。どうして──」

「あ?」

「どうして逃げなかったのですか!! 私が盾になった時に!」

 

 事の顛末を思い出した晶音は、烈火の如き勢いで大悟を問い詰める。

 先程の海流を纏わせたリヴァイアサンの強力無比な突進に、晶音は防御心意技で対抗した。

 受け切れるとは思っていなかった。それでも発動したのは、無防備な大悟が回避できるように時間を稼ぐ為だ。だからこそ、水晶の結界内に大悟を入れないように、大きさを調節して発動したのだ。

 だというのに、大悟は準備に時間がかかるらしい大技の『溜め』である読経を中断し、合掌していた両手に絡み付かせていた数珠も引き千切った。そして移動能力拡張の心意技で、作り出した晶壁が破壊された晶音を抱きかかえ、間一髪のところでリヴァイアサンの突進を回避したのだ。

 

「言いましたよね、逃げてと。心意技はまだ発動できないのでしょう? 中断してしまってどうするのです! 私は貴方を逃がす為に、貴方に託す為に身を挺したつもりでした。護衛役が守られてしまっては、本末転倒ではないですか!!」

 

 晶音は自分が勝ち筋を潰してしまったような気がして、加えて大悟に信頼されていないような気がして、自分でも分からないが、ひどく悲しかった。

 そんな晶音の両肩に、大悟の両手がいつになく優しく置かれた。

 

「少し落ち着け。いいか? 確かに心意技の溜めは中断した。最初からやり直しだ」

 

 いつもよりも少し穏やかに、諭すように話す大悟が、右手を晶音の肩から離して掌を向けると青紫の光が輝き、再び数珠を形作った。

 

「……俺は確かに、お前さんに護衛役を任せたが、俺の為に死ねとなんざ、一言も言っていない。たとえお前さんが犠牲になって一撃を凌いだところで、お前さんが欠けた後、必ず均衡は崩れる。そうしたら、結局俺は心意技を発動する前に殺されるだろう。お前さんの力がまだまだ必要なんだよ、ジャッジ」

 

 痛手ではあったが、致命的ではないと言う大悟の手が肩から離れる頃には、晶音の心は平静を取り戻していた。

 先のスコーピオンとの戦いで一皮剥けたつもりでも、その実まだまだのようだと反省する晶音だったが、自分よりも戦況が見えている大悟と比較して、卑屈めいた気持ちにはならない。むしろ必要だと言われたことで、不思議と胸に暖かいものを感じていた。

 

「……そう、ですね。貴方が正しいのは認めます。──ですが、それならそうと先に言っておいてくれても良かったではないですか。大体、貴方は昔から大事なところで言葉が足りません」

 

 この男は普段は口うるさいことばかり言う癖に、こういう時に限って自分の言ってもらいたい言葉をかけてくる。それが少し気に食わず、晶音は若干の意趣返しも含めて反論する。

 

「あぁー……そこは俺にも非があったな。それじゃここは一つ、どちらも落ち度があったってことで……。まぁ……それに何だ、お前さんをだな、見殺しにでもしたら、その、俺はカナリアの奴に顔向けが──」

 

 すると、ややバツが悪そうに返す大悟の声が、何故だか段々と小さく聞き取り辛いものになっていく。らしくないその姿に、晶音は眉をひそませた。

 

「……何をゴニョゴニョと言っているのですか?」

「何でもないから気にするな。……よし。せっかくだから技の準備に入る前に、一丁ハッパをかけるとするか。──全員、耳だけ貸せ!!」

 

 大悟は切り替えるようにいきなり大きく息を吸うと、大広間全体に聞こえる声量を張り上げて仲間達に呼びかけた。

 

「今、俺達とは別の場所でオーガーが戦っている! きっとあいつは、まだ生きている。生きて、自分よりも強い敵を相手に闘っているはずだ。だったら! 俺達もエネミー一匹に負けていてはいられないよな! 俺もオーガーが言っていたように、ここを墓場にするつもりは毛頭ない! 全員生きて、ここから帰るぞ!!」

 

 …………オオ──────────!!!! 

 

 大悟の鼓舞に返事をした仲間達が活を入れられたように、リヴァイアサンへの攻撃の手を強めていった。その中には晶音の知る限り、エネミーとの交戦自体ほとんど経験がないはずのフォックスも加わり、果敢に立ち向かっている。

 これと似た状況を、かつて晶音は経験したことがあった。それはまだアウトローの一員だった頃のこと。

 自分の他に大悟、コング、メディック、そして経典とのエネミー狩りの帰り。偶然にも大型エネミーと鉢合わせてしまい、退路も防がれて、止む無く戦闘になってしまった。体力もかなり削れていたので、あわや全滅かという考えが晶音の頭をよぎったが、この時に経典は仲間に激励の言葉をかけて奮い立たせたのだ。

 ちなみにその後、経典は後方支援型であるのにもかかわらず、自ら囮役まで買って前衛に出るものだから、もう全員が消耗どころではなく、てんやわんやの状態だった。

 必死で弱らせたエネミーから、命からがら逃げ延びて安全な場所まで辿り着くと、「無茶しすぎよ、おバカ!」とメディックが経典の頭に拳骨を浴びせたのもよく憶えている。

 性格は違えど、やはり根本は双子なのかと、晶音は隣に立つ僧兵をちらりと見る。

 

「うんうん、何だかんだ言っても仲間想いの連中を持ってオーガーの奴は幸せ者だな。さて、俺も続きを──……?」

 

 満足げに頷く大悟は再び両手を合わせようとしていると、急に口を噤んで辺りを見渡し始めた。

 先程とはまた毛色の違う不審な様子の大悟に、晶音は少し心配になって訊ねる。

 

「どうかしましたか?」

「……何でもない。引き続き護衛役、頼んだ」

 

 首を振った大悟の口から出るのはもう、最初の節から始まった読経だけだった。

 

「世尊妙装具 我今重問被 佛子何因縁──」

 

 

 

 歌が聞こえる。

 歌詞はない。発声そのものが曲となり、歌を形作っている。

 ゴウは気付くと、再びアトランティスに戻っていた。プランバムの発する強い引力にも晒されていて、左手は壁にしがみ付いて抵抗している。

 右手に目を向けると、持っているカードが砕け散った。しかし歌声は消えず、光も未だに消えず、ゴウを薄く包んだままだ。

 

「貴様……何をした。いま砕けたアイテムカードは何だ。何故、心意の過剰光(オーバーレイ)を放ち、貴様に纏わり付いている。何故、カードが砕けたというのに光が一向に消えない。……? 何だ、この歌は」

 

 ゴウはわずかに困惑した様子のプランバムを無視して、歌声に耳を傾けていた。

 不思議な歌だ。特別に上手いとは思えないのに胸に刺さる。

 いや、刺さるのではない。じんわりと沁みていくような、自分のものではないのに全く調和を乱さずに受け入れられて、混ざり合っていくような。何よりも、声を大にして発せられることが、嬉しくてしょうがないという気持ちが伝わってくる。

 心意システムを付与するなどという、正規のものとは大きく逸脱した使用方法をした結果、経典の残した遺物は跡形も無く消え去り、この歌もたった一度しか聴くことはできない。しかし、カードは消えても、彼の遺した思いはゴウの中に受け継がれた。

 今こうして自分に力を貸してくれている、この奇跡を無駄にしてはいけない。

 そう思うゴウの口からは、この歌の力も借りて、心の中のイメージを実現させる為の言葉が自然と出ていた。

 それはかつて祖母から聞いた、雷神であり剣神。相撲の祖とも言われている、神の一柱の名前。

 

「────《建御雷(タケミカヅチ)》」

 

 呼応するように金糸雀(カナリア)色の光がゴウの中に入り込んだ次の瞬間、爆発的な勢いで純白の光がゴウから溢れ出した。

 

「ぐ……!?」

 

 プランバムもその凄まじい過剰光(オーバーレイ)の奔流に、向けていた腕を下げて様子を窺う。

 光の勢いが収まるとそこには、姿が少しだけ変わっているゴウが立っていた。

 胸部の傷こそ消えていないが、全身は《黒金剛(カーボナード)》にも見られたカット処理がより多く施され、どの角度からも光を反射して輝く、一点の曇りもないダイヤモンド装甲。透明度は通常の状態よりも遥かに高い。

 左右の肩甲骨からはアーチを描くパーツが伸びていて、アーチ上には太鼓型の物体が八つ並んでいる。

 そして、全身に纏う白く熱されているようなオーラが、エネルギーを発散させるように火花を走らせていた。

 元より額から伸びている両角も合わせて、その姿は正に──。

 

「雷神……!?」

 

 危機感を多分に声に含ませたプランバムが、鉛色のオーラを強めた両腕をゴウに向けた。すぐさま引力がゴウをプランバムの元に引き寄せ、同時に全方位からの圧力がゴウを押し潰しにかかる。

 だが、今のゴウを縛ることはできない。むしろ、ゴウの方からプランバムへと接近する。プランバムの力を意にも介さず、電光にも似たオーラを引きながら、これまでとは段違いの速さで。

 

「はっ!」

 

 一息でプランバムの間合いに入ったゴウは拳を突き出した。

 心意技で全身を高密度に強化させているプランバムが、反射的に右手で受け止めようとするも、ゴウの拳の勢いは止まらない。

黒金剛(カーボナード)》は防御力と耐久力の強化のみだったが、《建御雷(タケミカヅチ)》はそれに加えて攻撃力や敏捷性と、あらゆる数値が底上げされている。そういうものだと、ゴウは知っている。何故ならイメージし、生み出したのは他ならぬゴウ自身なのだから。

 

「ぬうう……!」

 

 左手も重ねたプランバムがようやくゴウの上段突きを止めると、ゴウはあっさりと引き下がり、プランバムの横をすり抜ける。その先にあるのは、己で選択し手に入れた愛用の金棒。狙いは元より攻撃ではなかったのだ。

 ゴウが強く念じると、血液が循環するように《アンブレイカブル》にも雷めいたオーラが伝わっていく。

 ゴウが自身の装甲のように、強化外装へ心意技の効果を付与するのに成功したのは、これが初めてだった。

 大悟が自身の強化外装に心意システムを付与することで、心意技に対抗しているのを目にしていたゴウは、心意の修行の際に同じように《アンブレイカブル》へ心意技の《黒金剛(カーボナード)》による強化を試みた。しかし、これが簡単そうに見えて難しく、結局最後まで金棒が黒く染まることは一度としてなかった。

「強化外装がデュエルアバターの腕の延長、己の一部であることをイメージするといい」と大悟の説明を受けた時には、どうにもピンと来なかった。だが、今は大悟が言わんとしていたことが胸にすとんと納まり、可能だという確信がゴウにはあったのだ。

 もしかすると今も部屋中に響き渡る歌声が、ゴウの背中を後押ししてくれているのかもしれない。

 

「よし……!」

 

 ゴウは透き通った金棒を下段に構えたまま、その重量も無視した速度でプランバムへと迫る。

 尚も鉛色のオーラの形をした負の心意技を発動しているプランバムは、下から斬り上げるようにゴウが振るった金棒に、盾に変化させた右腕で防御した。

 

「ぐおっ…………!」

 

 小さく呻くプランバムが体をくの字に折り曲げたことで、重心の下に入り込む形になったゴウは金棒を振り抜く。

 そうして真上に飛ばされたプランバムは落ちて──こなかった。どうしたことか、宙に不自然に止まっている。

 手応えを感じたゴウだったが、ここでプランバムにわざと上に打ち上げられる形に誘い込まれたことにようやく気が付いた。やはり、一筋縄ではいかない相手だ。

 今の自分なら十メートル上空にいるプランバムにも、跳躍して攻撃が届くだろうが、ゴウは下手に追撃をかけようとはせずに、警戒してプランバムを睨む。

 

「……いつぞやのように、力に任せて飛びかかりはしないか。その心意技、長く発動していれば、アバター本体の方が耐え切れずに、崩壊する類のものだな……」

「お互いにな。そっちこそ、そんなとんでもない力をずっと使い続けてはいられないだろう」

 

 ゴウの強化された膂力による衝撃は、完全には吸収しきれていなかったようで、プランバムは大きく凹んだ盾を元に戻した右腕を押さえ、声には明らかに苦悶の色が含まれている。

 一方のゴウも今は体に痛みもなく、力が溢れ出てくるのを感じてコンディション的には最高潮ではあるが、これが一時的なものであることは誰に言われるでもなく直感で感じ取っていた。おそらくは心意技を解除した瞬間に、まともに動けなくなるだろう。その前に決着を着けなければならない。

 

「然り。だが、それも力の代償。その代償を払ってでも成さねばならないことがある」

 

 プランバムはゴウの指摘に臆面も見せずに頷く。その姿には後ろめたさは欠片も見られない。

 

「加速世界を導いていく力を、ようやく手に入れたのだ。今も苦しんでいるバーストリンカー達を救わなければならないのだ。故に私は…………私は負けられないのだ!!」

 

 ヒビだらけの仮面をした鉛の男が、どこか悲痛ささえ感じさせる叫びを上げると、左胸に埋め込まれた《オリハルコン》がより強く黄金色の光を放ち始めた。光に呼応するかのように、プランバムが発している鉛色の過剰光(オーバーレイ)もまた色濃いものになり、今も感じている物理的な重圧がより強まったように思える。

 一体、何が彼をそこまで突き動かしているのか。過去に何があったのか、ゴウには分からない。かける言葉は見つからない。きっと何を言ったところで、自分の言葉は彼の心には届きはしないのだろう。

 ただ、ここで自分が彼を倒さなければ、彼はバーストリンカーではなく、悪と定めた者を滅ぼすだけの機械のような存在になってしまう気がするのだ。

 ゴウは思い上がりであることは承知の上で、そうなる前に倒してやらなければならないと、改めてそう結論付けた。

 ──……一撃に持てる力の全てを込める。それしか勝機はない。

 今も力を貸してくれている経典の歌がいつ終わるのかが分からない以上、ゴウに他の選択肢はなかった。しかし、明確な一つの道ができたことで、迷いもまた微塵もなくなり、金棒を握る両腕に意識を集中させていく。

 対するプランバムは宙に立ったまま右腕を左手で押さえると、五指をいっぱいに伸ばした右手の掌から、少し離れた所に球体が作り出された。サイズとしては砲丸投げに用いる砲丸に近い。球体はすぐに乱回転を開始し、白銀から青みがかった灰色へと色が黒ずんでいく。

 ──…………今!! 

 集中を極限まで高め、気力を全身へ張り巡らせたゴウは、構えた体勢のまま一息に跳躍した。

 地面を陥没させ、ロケットのような勢いでプランバムに接近し、金棒を上段から振りかぶる。

 プランバムもゴウが動くと同時に、凄まじい乱回転の末に漆黒となった球体を撃ち出して叫ぶ。

 

「《崩壊する星の終末(アルマゲドン・オブ・コラプサー)》!!」

 

 二つの力の激突が、アトランティス全体を揺るがせた。

 


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